海外クライムドラマの役立たず情報屋になったけど、能力だけ無双系ゲームなんだが 作:きんきん
拳銃を構えていたマーサーも、俺の姿を認めた瞬間、足を止めた。
その背後からもう一人が倉庫へ入ってきて、俺は一瞬だけそちらへ目を奪われる。
三十代半ばほどだろうか。肩へ届かない程度に切り揃えた栗色の髪は、仕事の邪魔にならないよう耳へ掛けられている。すらりとした長身を黒いジャケットと細身のパンツで包み、装飾らしいものはほとんど身につけていない。
目元は切れ長で、顔立ちそのものは整っている。
ただ、最初に受ける印象は美人というより――近寄りがたい、だった。
ケイト・ハドソン。
ダニエル・マーサーの相棒。
原作では何度も見ているが、もちろん直接会うのは初めてだ。
そんな俺の内心など知る由もなく、ケイトは俺へ声を掛けるより先に、倉庫の中へ鋭く視線を走らせた。
床には十五人ほどの男が倒れ、鉄棚は歪み、木製パレットは砕けている。その隙間には拳銃やナイフが散乱し、少し遅れて入ってきた制服警官二人も、入口付近で思わず足を止めていた。
マーサーがゆっくりと拳銃を下ろす。
「何があった?」
「ちょーっと揉めちゃって」
「揉めた?」
「結構大変だったぞ」
呆れた様な視線を向けながら、マーサーは改めて倉庫内を見回した。
一方のケイトは、一番近くに倒れていた男のそばへ屈み込み、首筋へ指を当てる。そのまま何人かの呼吸や意識を確認してから、ようやく俺へ視線を向けた。
「……全員、あなたが?」
「ええ、まあ」
答えた瞬間、ケイトの視線が一段冷たくなった。
怖い。
その隣でマーサーは俺と床の男たちを何度か見比べ、やがて額を押さえた。
「まったく。いつからお前さんは情報屋じゃなくて、アメコミヒーローになったんだ」
呆れたように首を振っているが、マーサー以外の警官たちはまだ緊張を解いていない。
当然、ケイトも同じだ。
「それで、こいつらはレッド・ハンズの連中か?」
「ああ。車へ押し込まれて、気がついたらこの有様だよ」
全く、困ったものだ。
俺としては完全に被害者なのだが、床に転がっている男たちのせいで、いまいち説得力がないのはご愛敬。
黙ったままこちらを見ていたケイトが、今度は俺自身を上から下まで確認するように視線を巡らせた。
「あなた、怪我は?」
「え?」
言われて初めて、自分が殴られていたことを思い出した。
頬に腹。
確かに何発か食らったはずなのだが、意識してみても大した痛みはない。頬へ触れてみても腫れている感じはなく、腹も鈍い違和感が少し残っている程度だった。
「いやぁ……まあ、大丈夫。多分ね」
身体の異常さについてこれ以上突っ込まれるのも面倒なので、曖昧に笑って誤魔化す。
「それより、何でここにいるんだ?」
そう。
それだよ。
俺の知る原作では、警察が張り込むのは十七番倉庫のはずだった。
しかも、今日はまだ火曜日。
俺がマーサーへ渡した情報は、水曜深夜の取引だ。
時間が合わない。
「お前の話だけじゃ信憑性がないからな。明日が取引予定でも、その前に人が動く可能性はある。だから今日から周辺を見てた」
「なるほど……」
言われてみれば当然だった。
俺みたいな怪しい三流情報屋の話だけを信じて、当日の現場へ行って「はい逮捕」というわけにはいかない。
ドラマだと張り込みの場面なんて数十秒で済んでいたが、実際にはその前から地味に人の出入りを見て、裏を取り、準備をしているらしい。
「それで、俺を見つけたってこと?」
「いいや」
マーサーが首を振る。
「夕方から十七番倉庫の周辺を見てたら、レッド・ハンズと繋がりのある男が一人、この古い倉庫街へ入ってきてな。取引は明日のはずなのに、だ」
そこでケイトが続きを引き取った。
「最初は放っておいたんだけど、その後も同じ筋の車が何台かこっちへ入ってきたの。使われていない倉庫に、短時間で人が集まりすぎてたから怪しいって判断したわけ」
「つまり……」
俺が拉致されたから助けに来たわけではない。
レッド・ハンズの動きを追っていたら、たまたま俺が捕まっている現場へ辿り着いただけ。
なるほど。
危なかった。
俺がもう少し弱かったら、警察が来る頃には原作通り死体になっていた可能性もある。
「さて。世間話はこれくらいにして、とりあえずここを片づけないとね」
ケイトがそう言って、床からロイのスマホを拾い上げた制服警官へ目を向けた。
「携帯は全部確保して。通話履歴も消さないように」
「あ」
思わず声が漏れた。
ケイトがすぐ振り返る。
「何?」
「いや……」
ロイのスマホ。
その最新の着信履歴には、ルカ・カルデロンの名前が残っているはずだ。
ということは、警察側にも本来よりかなり早い段階で、レッド・ハンズとカルデロン・ファミリーを繋ぐ証拠らしきものが渡る可能性がある。
原作と違う。
大丈夫なのか、これ。
「何かあるの?」
「……いや、別に」
まあ、早く繋がるなら、それに越したことはない。
多分。
俺が余計なことをしたせいで別の流れへ入る可能性については、考えないことにする。
ケイトがさらに追及しかけたところで、先にマーサーが口を開いた。
「それより、まずいかもしれんな」
「何が?」
「明日の取引だ」
俺が聞き返すと、ケイトも腕を組みながら表情を引き締めた。
「確かに。警察がここへ大勢入ったことは、向こうにもすぐ伝わるでしょうね」
「ああ……」
そこでようやく意味を理解した。
「取引が中止になる?」
「可能性は高いな」
マーサーが低い声で答えた。
――待て。
それってつまり。
俺は思わず、すぐ近くに立っている女刑事へ目を向けた。
ケイト・ハドソン。
シーズン序盤の夜。
何者かに襲撃され、銃撃を受けて重傷。
そこまでは覚えている。
だが、細かな時系列が曖昧だった。
確か、サウスドックの取引の後だったはずだ。
もし今夜の騒ぎで取引そのものが中止になったら。
その後に続く出来事も、当然ずれる。
ケイトが襲撃される日時も、場所も、理由も変わるかもしれない。
いや。
もしかすると、取引がなくなったせいで襲撃自体が消える可能性だってある。
でも、それを確認する術はない。
原作知識が、役に立たない。
「……ううん、分からん」
「何が?」
「いや、こっちの話」
それでも。
警告だけはしておいた方がいいか。
「ケイト」
「何?」
突然名前を呼ばれたせいか、彼女が少しだけ眉を上げた。
「しばらく、一人で動かない方がいい」
一瞬、周囲の空気が変わった。
ケイトだけでなく、マーサーもこちらを見る。
「どういう意味?」
「……この間言ってた件か?」
マーサーには電話で先に漏らしてしまっている。
なら、ちょうどいい。
二人が揃っているうちに、もう一度はっきり伝えておこう。
「誰かが私を狙ってるっていうの?」
ケイトが不審そうに目を細める。
「……その可能性がある」
「誰が?」
答えられない。
俺も知らないからだ。
原作では黒づくめで、顔もほとんど映らなかった。
結局、その襲撃自体が伏線めいた形で残されたまま、はっきりした犯人は明かされなかったはずだ。
よくある話だ。
シーズン一で意味ありげに登場して、そのままフェードアウトしたキャラクターだって何人もいた。
海外ドラマあるあるである。
「そこまでは分からないな」
「分からない?」
「まあ、三流情報屋のガセネタかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
ある意味では本当のことだ。
俺の情報源は、前世で見たドラマ。
しかも既に原作の流れが変わり始めている以上、今後も同じ事件が起きる保証はない。
当然ながら、ケイトは納得しなかった。
「そんな曖昧な話で――」
その時、倉庫の外から救急車のサイレンが聞こえてきた。
助かった。
ほどなくして、回転灯の赤い光が開け放たれた入口から差し込み、倉庫の壁や床を断続的に染めていく。警官たちも慌ただしく動き始め、マーサーとケイトも現場対応へ意識を向けざるを得なくなった。
今がチャンスだ。
「……帰るか」
小さく呟き、入口へ向かう。
だが、数歩も進まないうちに背後から声が飛んできた。
「待て」
「何だよ」
「まだ事情を全部聞いてないぞ」
マーサーだった。
「明日にしてくれ。今日は攫われて、殴られて、大変だったんだ」
マーサーは深いため息を吐いた。
「わかった。明日、連絡する」
「昼過ぎにしてくれ」
「何でだ」
「寝たい」
呆れきった顔を背中に受けながら、俺は今度こそ倉庫の外へ出た。
夜の港は暗く、冷たい潮風に油と鉄の匂いが混じっている。
普段なら人気の少ない古い倉庫街も、今夜だけは警察車両と救急車に囲まれ、この一角だけが妙に明るく、騒がしかった。
俺はその光景を横目に、ゆっくり息を吐く。
とりあえず。
本来死ぬはずだった日は、生き延びた。
だが、その代わりに原作の流れは少し変わった。
ケイトがいつ襲われるのか分からなくなった。
レッド・ハンズとカルデロンの繋がりも、予定より早く警察へ露出するかもしれない。
そして何より、ルカ・カルデロンには俺の名前を覚えられた。
「……さあて」
夜空を見上げる。
「ケイトのこともだけど、ルカもどうすっかなぁ」
死ぬ予定を一つ潰しただけなのに、面倒事はむしろ増えた気がした。