海外クライムドラマの役立たず情報屋になったけど、能力だけ無双系ゲームなんだが 作:きんきん
電話が切れたあともしばらく、俺はスマートフォンを耳元に当てたまま動かなかった。
相手の名は、ミック・バーロウ。
知らない。
少なくとも、俺が覚えておく必要のある人間の中にはいなかった。
ブライアーポートには、情報を売って食っている連中が山ほどいる。警察に話を流す奴もいれば、ギャングに売る奴もいるし、同じ話を両方へ持ち込んで小銭を稼ぐ馬鹿もいる。
たいていは長生きしない。
「……ミック・バーロウ」
名前を口に出してみるが、やはり何も引っかからない。
俺はソファへ深く腰を下ろし、テーブルに置いてあったグラスへ手を伸ばした。
ここはカルデロン・ファミリーが所有する会員制クラブの二階だった。階下からはピアノの音と客の話し声が微かに届いてくるものの、この部屋まで上がってくる人間は限られている。
窓の向こうには夜のブライアーポートが広がり、そのさらに先には港の照明が並んでいた。
ロイは、その港で動かしている人間の一人だ。
正確にはファミリーの人間ではない。レッド・ハンズはレッド・ハンズで縄張りを持ち、勝手に薬を捌いている。
ただし、港を通す荷の一部については話が別だった。
こちらがルートを用意し、向こうが現場で捌く。その程度の関係でしかないし、だからこそ俺がロイへ直接連絡することも多くはない。
今夜は確認したいことがあったから連絡をした。
明日の深夜に予定している荷の受け渡しについてだ。
それが、電話に出たのは知らない男だった。
しかも、ロイは「寝ている」と来たもんだ。
「どうした。面白い顔してるな、ルカ」
向かいの椅子に座っていた男が笑った。
従兄弟だ。ファミリーの帳簿と人の出入りを管理している男で、腕っぷしは大したことがないが、人の名前を覚えることに関しては俺よりよほど使える。
「なぁ、ミック・バーロウって知ってるか」
「ミック?」
従兄弟はグラスを傾けながら少し考え、やがて「ああ」と声を漏らした。
「オールドタウンをうろついてる情報屋だろ。金さえ払えば何でも喋る。警官にも売人にも嫌われてる、小物だよ」
「それだけか」
「それだけって?」
「腕っぷしは」
従兄弟が笑った。
「ミックが?」
その反応だけで、なんとなく理解はできた。
「殴られる側だよ。借金もあるし、酒もやる。店から放り出された話なら何度か聞いたことがあるけどな」
「そうか」
「何だ。そいつがどうした?」
俺は答えず、グラスの中身を一口だけ飲んだ。
電話の向こうの声を思い返す。
虚勢を張っている感じもない。
レッド・ハンズの連中と揉めたと言いながら、妙に落ち着いていた。
「ロイの所、人数は?」
「今夜か?」
「ああ」
「確か、倉庫の見張りを合わせて十数人。チームの連中がやられたとかで、少し多めに集めたって話だったな」
その言葉に目を上げる。
「何かあったのか」
「聞いてないのか?」
従兄弟は肩を竦め、ポケットから自分のスマートフォンを取り出した。
「《ブルー・コメット》の裏で、レッド・ハンズの下っ端が五人やられたって報告が上がって来てたな。詳しくは見てなかったが。ちょっと待て。相手は一人で……オイオイ、マジか」
指が画面を滑る。
従兄弟の眉が上がった。
「ミック・バーロウだ」
「……ほう」
そこらのチンピラとはいえ、五人を相手取った。
中々できることじゃない。
「理由は?」
「ミックが港のことを嗅ぎ回ってたらしいな。下っ端が裏へ連れ出して締めようとしたら、逆に全員やられたらしい。それでロイが攫うって話をしてたが……」
「それで、十五人か」
「十四か十五だったはずだが。まさか――」
従兄弟の声が止まる。
俺は何も言わなかった。
言う必要がない。
さすがに向こうも話が感づいたらしく、手にしていたグラスを静かに置いた。
「冗談だろ」
「俺もそう思いたい」
「あの三流が、一人で?」
「電話に出たのは、その三流だったさ」
従兄弟の顔から笑みが消えた。
俺はソファにもたれながら、窓の向こうへ視線を戻す。
港の明かりはいつもと変わらないが、今日はそこで、あり得ないであろうことが起きたことは確かなようだ。
昨日まで名前すら意識していなかった情報屋が、レッド・ハンズの人間をまとめて潰している。
「調べろ」
「ミックを?」
「生まれから今まで全部だ。誰と繋がってる。誰に雇われた。どこで戦い方を覚えた。最近、誰と会った」
「ただの情報屋だって話だぞ」
「だから調べるんだ」
人間には理由がある。
強いなら、強くなった理由がある。情報を持っているなら、それを流した人間がいる。急に変わったのなら、その前に何かが起きている。
何もないところから、突然別人になる奴はいない。
少なくとも、俺はそう思っていた。
部屋の扉がノックされた。
返事をすると、若い男が入ってくる。息を切らしてはいないが、普段より歩幅が大きく、顔にも僅かに緊張が浮かんでいた。
「ルカ」
「何だ」
「ロイの倉庫に警察が入った」
従兄弟と目を合わせる。
「いつだ」
「ついさっきだ。救急も向かってる。こっちの見張りが確認した」
「ロイたちは?」
「全員やられてるみたいだな。死者がいるかはまだ分からないが。ただ、警察らしくないヤツが一人、いたらしい」
「ミックか」
「……知ってるのか?」
「続けろ」
男は僅かに戸惑ったものの、すぐ報告へ戻った。
「市警のマーサーに、ケイト・ハドソンも一緒だそうだ」
ダニエル・マーサー。
その名にも覚えがある。
面倒な刑事だ。
派手さはないが、一度噛みつくとなかなか離れない。
「十七番は?」
「今のところ動きなし。ただ、このまま予定通りには……」
「中止しろ」
即答すると、男が頷いた。
「場所を変えるか?」
「今は動かすな。警察がどこまで把握しているか分からない状態で荷を動かせば、逆に尻尾を掴ませる。ロイのところから何が押さえられたか確認してから決める」
「分かった」
「レッド・ハンズにも勝手に動くなと伝えろ。仕返しもだ」
そこで男が少しだけ顔を上げた。
「ミックに?」
「ああ」
「でも、ロイたちをやられて黙ってるか?」
「黙らせろ」
低く言うと、それ以上の反論はなかった。
男が部屋を出ていく。
扉が閉まってから、従兄弟が俺を見た。
「珍しいな」
「何がだ」
「やられて、相手をそのまま放っておくのか?」
「いいや」
ただ、殺すだけなら簡単だ。撃てばいい。
寝床が分かるなら、そこへ人を送ってもいい。
だが、それでは何も分からない。
なぜ昨日まで小物だった情報屋が、突然そんな真似を始めたのか。どうして港を嗅ぎ回り、マーサーに情報を流し、それでいてレッド・ハンズを敵に回してまで自分で動くのか。
何より、本当に一人で十五人を倒したのか。
電話越しの声だけでは判断できない。
「会ってみたい」
口にすると、従兄弟が嫌そうに笑った。
「っへ、ろくでもない顔してるぞ」
「どんな顔だ」
「面白そうな奴を見つけた時の顔だ」
「失礼だな」
俺は立ち上がり、窓辺まで歩いた。
眼下の通りには黒塗りの車が並び、その向こうには夜の街が続いている。
ミック・バーロウ。
三流の情報屋。
酒と借金で首が回らず、金のためなら誰にでも情報を売る男。
その評価が正しいなら、今日の出来事はおかしい。
評価が間違っているなら、これまで何年も正体を隠していたことになる。
どちらにしても、放っておくには厄介になるかもしれん。
「おい」
「ん?」
「写真はあるか」
「昔の逮捕記録なら出せると思う」
「見せろ」
「顔くらい先に覚えときたいって?」
「ああ」
次に会った時、知らない顔ではつまらない。
従兄弟が端末を操作し始めるのを横目に、俺はさっきの電話をもう一度思い返していた。
こちらが名を聞いても怯えない。
ロイを倒したことを誇りもしない。
それどころか、俺に名前を覚えられることを、本気で嫌がっているようだった。
普通なら、カルデロンの名を利用しようとする。
あるいは恐れる。
どちらでもない人間は珍しい。
しばらくして、従兄弟が端末をこちらへ向けた。
「これだ」
画面には、くたびれた顔の男が映っていた。
金髪に無精髭。どこか眠たそうな目をしていて、服装にも特別なものはない。
街角ですれ違えば、そのまま忘れてしまいそうな男だった。
「これが?」
「ミック・バーロウ。間違いない」
俺は写真をしばらく眺め、それから小さく笑った。
「手を出すなよ」
「誰にも?」
「少なくとも、俺が会うまではな」
従兄弟が肩を竦める。
俺はもう一度、画面に映るミック・バーロウの顔を見た。
そして、その名前を今度こそ頭の中へ刻む。
忘れてくれ、と本人は言っていたが、残念ながらそれはもう、少し遅い。