狂乱サークル唯一の生き残りは、今日も涼しい顔で麺を打つ   作:ルクエリシオン

2 / 2
第2話 冷やし釜玉と、パンイチの狂想曲

朝の光が『Grand Blue(グランブルー)』の厨房に差し込む頃、俺は静かに湯気の立つ大鍋の前に立っていた。

 

トントン、と包丁で薬味のネギを刻む音が、静寂な室内に心地よく響く。

 

今日仕込んだのは、昨日から寝かせておいた熟成生地による手打ちうどんだ。加水率と踏み込みの回数を極限まで調整し、小麦の旨味とツルツルとした強いコシを引き出している。

 

今回はゲテモノの実験作ではない。出汁もカツオと昆布から丁寧にとり、氷水でキリッと締めた純粋な『冷やし釜玉うどん』だ。

 

「……んー……まだ静かだな……」

 

大鍋から上がる湯気をぼんやりと見つめながら、俺はあくびを噛み殺した。

 

昨晩は新作スープの構想に没頭して少し夜更かしをしてしまったため、頭がまだ完全には起きていない。眠気が脳の半分を支配しているこういう時間帯は、どうにも言葉のガードが甘くなる。

 

「……おはよう、巡くん。朝早くから何作ってるの?」

 

階段からトントンと軽い足音が聞こえ、薄手のブラウスを羽織った奈々華さんが顔を出した。

 

寝起き特有の少し乱れた髪と柔らかな微笑み。街の男たちが一目見たら失神しそうな美しい姿だが、毎朝見ている俺にとっては「居候先の優しい同居人」という安心感が先に来る。

 

「……おう、奈々華さん。朝飯、冷やし釜玉だけど食うだろ」

 

湯切りザルを片手に、俺は素のタメ口でボソリと答えた。

 

普段は誰に対しても敬語を徹底しているのだが、オフモードの寝起きだけは、どうしてもこの無防備な口調が出てしまう。

 

「あ……ふふっ、うん。いただくね」

 

奈々華さんは一瞬驚いたように目を丸くしたあと、頬をうっすらと朱に染めてくすりと笑った。

 

彼女は俺のこの「寝起きの素のタメ口」に弱いらしい。普段はのほほんとした居候の男弟子のくせに、不意に低い声でタメ口を叩くギャップがツボに入ると、以前どこかで言っていた気がする。

 

冷水で締めた麺を丼に盛り、新鮮な卵黄と特製のかえし醤油、刻みネギを添えて奈々華さんの前に差し出す。

 

「……どうぞ。……あ」

 

冷たい水を一杯飲み干した瞬間、パチッと脳のスイッチが切り替わった。 俺は慌てて前掛けを整え、いつものフラットな敬語へと戻す。

 

「失礼しました、奈々華さん。少し寝ぼけていて言葉遣いが乱れました。どうぞ、今朝は自信作の冷やし釜玉です」

 

「ふふ、気にしなくていいのに。美味しくいただくね♪」

 

奈々華さんは卵黄を崩し、ツヤツヤと輝く麺を一口すする。

 

瞬間、彼女の顔がぱぁっと輝いた。

 

「おいしい……! コシがすごくあって、お醤油の旨味と卵が絡んで最高ね! 巡くん、やっぱり麺打つの天才じゃない?」

 

「ありがとうございます。熟成時間を12時間にしたのが正解でしたね」

 

奈々華さんに褒められるのは素直に嬉しい。俺が満足感に浸っていると、奈々華さんがふと思い出したように首をかしげた。

 

「そういえば……伊織くんは? まだ起きてこないみたいだけど」

 

「ああ、伊織くんなら――」

 

俺は昨晩の出来事を思い出していた。

 

昨晩、離れで繰り広げられたPaBの地獄の宴。新入生の北原伊織くんは、一応俺たち先輩勢に「工学部機械工学科の北原伊織です!」と簡単な自己紹介は済ませたものの、すぐに逃亡を図ろうとしていた。

 

『明日は大事なガイダンスがあるんで、俺はもう部屋に帰って寝ます!』

 

そう言って必死に引き払おうとした伊織くんに対し、時田信治先輩と寿竜次郎先輩は、全裸で凶悪な笑みを浮かべてこう言ったのだ。

 

『ガハハハ! 気にするな伊織! 俺たちが責任を持って、絶対に遅刻しない場所に運んでやる!』

 

『“盃を乾す”と書いて乾杯だぁぁぁ!』

 

絶叫する伊織くんを二人が軽々と担ぎ上げ、夜の闇へと消えていったのは覚えている。

 

「たぶん、今頃は大学の講堂前で朝を迎えているんじゃないでしょうか」

 

「えっ……!?」

 

俺が穏やかに事実を告げると、奈々華さんは「またあの人たちは……!」と呆れたように額を押さえた。

 

「困ったわね……私と時田くんは午後からのサークル勧誘(PaBのブース設営)の準備があるから、今から大学の講堂まで見に行くのは難しいのよ」

 

「それなら、俺が見てきましょうか? ちょうど俺も、機械工学科の過去問データを大学のパソコンから取り出したいと思っていましたし」

 

「本当? 助かるわ、巡くん! じゃあ、この冷やし釜玉うどんもタッパーに詰めるから、伊織くんに差し入れてあげてちょうだい」

 

「承知しました。行ってきます」

 

俺は奈々華さんから特製うどんの入ったタッパーを受け取り、原付に跨がって伊豆大学へと向かった。

 

 

伊豆大学のキャンパスは、新入生たちの熱気とソワソワした空気で満ち溢れていた。

 

俺は講堂へと続く階段を上り、開け放たれた扉から中を覗き込む。

 

「……あ」

 

そこに広がっていたのは、紛れもない地獄絵図であった。

 

大講義室の中央付近。新入生たちがビシッと私服で座っている中、たった一人だけ【青ざめた顔でパンツ一丁(パンイチ)】のまま着席している男がいた。北原伊織くんだ。

 

二日酔いの頭痛に耐えながら、周囲の新入生からスマホでパシャパシャと写真を撮られ、絶望の表情を浮かべている。

 

さらに面白いのは、その伊織くんの【左隣】に座っている男だった。

 

顔立ち自体は誰もが振り返るような超絶イケメンなのだが、着ている服がヤバい。極彩色で描かれた美少女アニメキャラのド派手なTシャツ(痛T)を身に纏い、キリッとした真顔で前線を見つめている。

 

……お互い、一切の会話がない。

 

伊織くんは「なんだこの痛いオタク……関わらんとこ」という視線を送り、アニメTシャツの男は「なんだこのパンイチの変態……関わらんとこ」という蔑みの視線を送っている。

 

お互いが互いを最高レベルの警戒対象として認識し、完璧なディスタンスを保っていた。

 

(……なるほど。あのイケメンオタクくんも、なかなかに濃い新入生ですね)

 

俺が感心しながら見守っていると、ガイダンス終了のベルが鳴り響いた。

 

「逃げろォォォッ!」

 

ガイダンスが終わった瞬間、伊織くんは脱兎のごとく講堂を飛び出した。

 

パンイチでキャンパスを爆走する姿は、まさに都市伝説の妖怪そのものである。俺は適度な距離を保ちながら、彼の後を追った。

 

伊織くんは中庭で偶然見つけた従姉妹の古手川千紗(ちさ)に泣きつき、「千紗ぁ! 頼むから服を貸してくれぇ!」と胸を張って乞うたが、千紗は氷のように冷たい「生ゴミを見る目」を一瞥だけ送ると、一言「……バカなの? 警察呼ぶよ」と言い捨てて去っていった。容赦なさすぎる。

 

『おい! そこでパンイチの男! 止まりなさい!』

 

案の定、大学の警備員に見つかった伊織くんは、悲鳴を上げながら植木鉢の陰へと滑り込んだ。

 

「ハァ……ハァ……死ぬ……マジで社会的生命が死ぬ……!」

 

「……おい。狭いんだが、どいてくれないか」

 

植木鉢の陰には、先ほどの美少女Tシャツの男が隠れていた。

 

「お前はさっきの……! 俺は北原伊織!」

 

「俺は今村耕平だ。……で、何の用だ変態」

 

「頼む耕平! 俺にその服を貸してくれ! パンツ一丁じゃ人間らしい生活が送れないんだ!」

 

切実すぎる伊織くんの嘆願に対し、今村耕平は一切の躊躇なく、冷徹に言い放った。

 

「断る。……警察ー! ここに変態がいます!」

 

「おい速攻で売るなバカ野郎ォォォッ!?」

 

ドカッ! という重い打撃音が響き、耕平に顔面を殴られた伊織くんは鼻を押さえながら転がり出た。そのまま追ってきた警備員から逃れるため、近くにあったサークル勧誘ブースの長机の裏へと必死に潜り込んだのである。

 

 

「伊織くん。大変そうですね」

 

「ひゃああっ!? じ、巡さん!?」

 

長机の裏で丸くなっていた伊織くんが、俺の声に飛び上がった。

 

俺は長机の隙間からひょっこり顔を出し、奈々華さんから預かってきたタッパーを差し出した。

 

「奈々華さんからの差し入れです。『冷やし釜玉うどん』を持ってきました。食べますか?」

 

「うどん食わせてる場合じゃないでしょーが!! 服! 服を持ってきてないんですか巡さん!?」

 

「あいにく、俺は着替えの服までは預かっていませんね」

 

「使えねぇぇぇ! なんでそんな涼しい顔して釜玉うどん勧めてきてんだよあんたはぁぁぁ!」

 

伊織くんが血吐くようなツッコミを入れていると、ブースの影からノシノシと二つの巨大な影が現れた。

 

当然のように全裸の、時田先輩と寿先輩である。

 

「ガハハハハ! いい走りだったぞ伊織!」

 

「陸上部もびっくりの瞬足だったな!」

 

「時田先輩! 寿先輩! 服を返してくださいマジで! 警備員に追われてキャンパスライフが初日で終了しそうなんです!」

 

涙目で訴える伊織くんに対し、時田先輩は腕組みをして不敵に笑った。

 

「おいおい伊織。タダで服を返せるわけないだろ? 俺たちPaBは『ギブ・アンド・テイク』のサークルだ」

 

「どこがだよ! 暴力と酒の搾取しかねぇだろ!」

 

「条件だ。今日の新歓ブースに、新人を【一人】でも連れてきたら服を貸してやる。ついでに今夜の飲み会も奢りだ!」

 

「新人一人……! 本当ですね!? 約束ですよ!?」

 

伊織くんの目が、ハングリーな肉食獣のようにギラリと光った。

 

服を手に入れるためなら悪魔にでも魂を売り渡す覚悟を決めた伊織くんは、机の裏から這い出ると、野性の勘を頼りに獲物を探し始めた。

 

そして――広場の中央で、奇跡のようなターゲットを発見したのである。

 

「どうしてだぁぁぁぁッ!?」

 

広場の真ん中で、先ほどのイケメンオタク・今村耕平が地面に両手をつき、膝から崩れ落ちて絶望の咆哮を上げていた。

 

「どうして……どうして俺を中心にした『女子高生美少女ハーレムサークル』がないんだよぉぉぉッ! おかしいだろこの大学はぁぁぁ! 夢のキャンパスライフが崩壊したぁぁぁ!」

 

「(見つけた……最高のカモだ……!)」

 

伊織くんの顔が、般若のような邪悪な笑みに歪んだ。

 

彼はそっと耕平の背後に歩み寄ると、天使のような(胡散臭さ1000%の)笑顔を貼り付け、優しく手を差し伸べた。

 

「やあ、君。ハーレムに興味があるのかい?」

 

「……な、なんだと!?」

 

耕平がガバッと顔を上げた。

 

「実はあそこに、とびきり可愛い女の子がたくさんいて、男手が足りなくて困っているサークル(PaB)があるんだが……どうだ? 一緒に行ってみないか?」

 

「ほ、本当か……!? 天国は……天国は実に存在したのかぁぁぁっ!」

 

涙を流して感動した耕平は、伊織くんの手を力強く握り返した。

 

そのまま、伊織くんに誘導されるがまま、PaBのブースへと連行されていく。

 

ブースに到着した瞬間――耕平の視界に飛び込んできたのは、酒樽を抱えて筋肉を躍動させる全裸の時田先輩と寿先輩の姿だった。

 

「ようこそPaBへぇぇぇ!!」

 

「さあ乾杯だぁぁぁ!!」

 

「謀ったなー貴様ーーーッ!! 美少女はどこだぁぁぁ! 筋肉モグラしかいないじゃないかぁぁぁっ!?」

 

絶叫する耕平の首をつかみ、時田先輩たちが豪快にスピリタスを注ぎ始める。

 

「時田先輩! 約束通り新人を連れてきました! 服をください!」

 

「おう! 約束通り服だ!」

 

投げ渡されたTシャツとズボンを、伊織くんは歓喜の声を上げながら身にまとった。こうして彼は、一人の犠牲者(耕平)を差し出すことで、見事に人間の尊厳を取り戻したのである。

 

「ふぅ……死ぬかと思った……。あ、巡さん! うどんいただきます!」

 

服を着て落ち着いた伊織くんは、俺が差し出しておいたタッパーの『冷やし釜玉うどん』を豪快に口へ運んだ。

 

次の瞬間、彼の目がカッと見開かれた。

 

「う……美味ぇぇぇぇッ!? なんだこれ、麺のコシが半端じゃない! 出汁もめちゃくちゃ美味いぞ!?」

 

「だろ……? 俺の……俺の嫁(アニメキャラ)の手料理より美味いだと……!?」

 

いつの間にか全裸で酒を飲まされていた耕平も、涙目になりながらタッパーのうどんを貪り食べていた。

 

「お口に合って良かったです。ちなみに伊織くん、俺たち機械工学科は男子140人に対して女子3人です。過去問がないと確実に留年するので、覚悟しておいてくださいね」

 

「夢も希望もねぇ現実を涼しい顔で突きつけてくるなァァァッ!!」

 

伊織くんの悲鳴が伊豆の青空に響き渡るのを、俺は冷やし釜玉のつゆを飲みながら、穏やかに見届けるのであった。

 

 

夕方――。

 

一日のバタバタが落ち着き、俺はグランブルーの厨房へと戻っていた。

 

仕込みの道具を洗っていると、サークル勧誘を終えた奈々華さんが「ただいまー」と疲れた様子で帰ってきた。

 

「おかえりなさい、奈々華さん。お疲れ様です」

 

「ふぅ、疲れたわ……。あ、巡くん、伊織くんはどうだった? ちゃんと服着てガイダンス受けられてたかしら?」

 

「ええ。色々ありましたが、無事に新人を一人犠牲にして服を着ることができましたよ。冷やし釜玉も喜んで食べてくれました」

 

「そっか、よかった……って、新人を犠牲に!?……ううん、聞かないでおくわ」

 

奈々華さんは苦笑いしながらカウンターに腰掛け、ほっと息をついた。

 

「わざわざ大学まで行ってくれてありがとうね、巡くん。やっぱり巡くんがいてくれると、すごく頼りになるわ」

 

「いえ、俺も過去問の整理ができましたから。奈々華さんが困っているなら、いつでも言ってください」

 

俺がタオルで手を拭きながら微笑むと、奈々華さんはふと動きを止め、俺の顔をじっと見つめてきた。

 

「……? 奈々華さん、俺の顔に何か付いていますか?」

 

「あ……ううん! なんでもないの!」

 

奈々華さんは慌てて視線を泳がせ、少し赤くなった耳元を隠すように髪を耳にかけた。

 

175センチの引き締まった体躯で、自分のためにさらりと動いてくれる居候の青年。

 

のほほんとした雰囲気の裏にある、ふとした瞬間の男らしさと頼もしさ。奈々華さんは胸の奥がキュッと高鳴るのを感じながら、「もう、ズルいんだから……」と小さく呟くのであった。

 

狂乱のキャンパスライフは、まだ始まったばかりである。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。