狂乱サークル唯一の生き残りは、今日も涼しい顔で麺を打つ 作:ルクエリシオン
伊豆の海から吹き抜ける風に、ほんのりと初夏の匂いが混ざり始める頃。
伊豆大学のキャンパスは、今週末に迫った最大のイベント――『伊豆春祭』の準備に湧き返っていた。
「……よし、加水率三十八パーセント、かんすい二パーセント。完璧だな」
『Grand Blue(グランブルー)』の広々とした厨房で、俺はバット(大型トレー)の上に並んだ細めの黄色の麺を見つめ、満足げに頷いていた。
今作っているのは、特製の『手打ち中華麺』だ。
小麦粉の配合から捏ね、熟成に至るまで試行錯誤を重ね、鉄板で炒めた時に最も表面がカリッと香ばしく、中がモチモチとした弾力を保つように設計した逸品である。
「巡くん、もうそんなに大量の中華麺打ったの? すごいわね……!」
買い出しから戻ってきた奈々華さんが、買い物袋を抱えたまま、目を丸くして俺の手元を覗き込んできた。
薄手のブラウスの胸元が少し揺れ、ふわりと爽やかな柑橘系の香水と汗の匂いが鼻をかすめる。
「ええ、奈々華さん。今週末の伊豆春祭で出す、屋台の試作品を作ろうと思いまして」
「あ、そうだったわね! 今年のPaBの屋台、巡くんが『広島風お好み焼き』を提案してくれたのよね。普通のお好み焼きだと他のサークルと被っちゃうから助かるわ」
「はい。関西風のお好み焼きと違って、広島風は生地と具材を混ぜ合わせず、千切りキャベツ、豚肉、そして炒めた中華麺を層にして重ねて焼き上げます。麺の存在感がそのまま味の決め手になるので、俺の腕の見せ所です」
俺がいつものようにフラットな敬語で解説すると、奈々華さんは嬉しそうに微笑み、俺の肩をポンポンと優しく叩いた。
「ふふ、頼もしいなぁ。巡くんがいてくれるなら、食べ物系では絶対に負けないわね。あ、時田くんたちも離れで待ってるから、一緒に持っていってあげて?」
「わかりました。さっそく焼いてみましょう」
◆
グランブルーの離れ(兼、PaBの部室)へと入ると、そこにはすでに特大の業務用鉄板がドカンと設置されていた。
「おう、巡! 準備はできたか!」
「ガハハ! 今年も学園祭で荒稼ぎして、夏合宿のダイビング器材代と酒代を叩き出すぞぁぁぁ!」
当然のように上半身裸の時田信治先輩と寿竜次郎先輩が、汗を流しながら鉄板の温度を調整している。
その横では、今年入部したばかりの新入生・北原伊織くんと今村耕平くんが、どこか落ち着かない様子で体育座りをしていた。
「あの……先輩。大学の学園祭って、本当にこんな業務用鉄板を持ち込んで屋台出すんですか?」
伊織くんが尋ねる。高校までの文化祭とはスケールの違う本気度に、新入生特有の戸惑いを隠せないようだ。
「当たり前だろ! 素人の生ぬるい屋台と一緒にしてもらっちゃ困るぜ!」
「そうだぞ伊織! 俺たちPaBの屋台は毎年大繁盛なんだ! だが今年はさらに強力な武器がある!」
時田先輩が親指で俺を指し示した。俺は持ち込んだバットから大量の千切りキャベツと、打ちたての中華麺を鉄板の脇にセットする。
「巡さん、それって……中華麺ですか?」
耕平が眼鏡の奥の目を瞬かせた。
「ええ。今年出すのは『自家製手打ち麺の特製広島風お好み焼き』です。小麦粉のつなぎ生地を薄くクレープ状に伸ばし、その上に山盛りのキャベツ、豚バラ肉、そして香ばしく焼いた手打ち麺を重ねて卵で閉じます」
俺は両手に鉄板用のヘラ(コテ)を握ると、静かに鉄板の熱気と向き合った。
ジュワァァァァッ!!
鉄板の上に生地が薄く広がり、香ばしい匂いとともに勢いよく湯気が立ち上る。
その上に、これでもかというほどの千切りキャベツ、天かす、イカ天、豚バラ肉を美しい山型に盛り重ねた。
さらに隣のスペースで、茹で上げたばかりの中華麺を鉄板へと投入する。
チュウウウウッ!
「おおう!? めっちゃ美味そうな匂いがしてきたぞ!」
伊織くんが身を乗り出す。
俺は自家製の甘辛ソースを麺にサッとかけ、コテを滑らかに動かして表面に絶妙な焦げ目をつけていった。
キャベツが蒸気でしんなりと甘みを引き出されたタイミングを見計らい、麺の上に具材の層をまるごとドッキング。仕上げに鉄板で崩した半熟の生卵の上へと鮮やかにひっくり返す。
仕上げに濃密なお好みソースをたっぷりと塗り、青のりと削り職を散らした。
「完成です。『手打ち麺の特製広島風お好み焼き』です」
コテでカツンカツンと手際よく六等分に切り分け、皿に盛って差し出す。
「うおぉぉぉ! いただきます!」
伊織くんと耕平が、待ってましたとばかりに熱々の塊を口へと放り込んだ。
「アツっ……フーフー……むぐっ……!???」
瞬間、伊織くんの全身がビクンと硬直した。
「う……美味ぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!? なんだこれ! 外側の豚肉と生地がカリッとしてるのに、中のキャベツが驚くほど甘くてジューシーだ!」
感嘆の声を上げる伊織くんの隣で、耕平もまた、ハフハフと熱気を吐き出しながらメガネの奥の瞳を怪しく光らせていた。
「う……うむ……! これは素晴らしい……! この麺のしなやかで力強いモチモチとした弾力は……まさしく『水樹カヤたん』の絶対領域(太もも)の柔らかさそのものではないかぁぁぁッ!」
「味の情報が1ミリも頭に入ってこねぇよバカ野郎ーッ!! なんでお好み焼き食って声優の太もも感じてんだよ気味が悪いわ!!」
伊織くんの鋭いツッコミが飛ぶが、耕平は一切意に介さず、熱く語り続ける。
「さらにだ北原! この香ばしく焦げた特製ソースの深いコクと甘みは……ツンデレヒロインが不意に見せる、熟成されたツンデレの包容力! そしてキャベツの瑞々しさは……そう、幼馴染キャラの妹属性が持つ透明感! これら三次元の物質が、巡さんの神の手によって二次元の完璧な黄金比(ハーモニー)として昇華されておる……! ああ、食べれば食べるほど三次元の境界線が溶けていくのがわかるぞぉぉぉッ!」
「お好み焼きを食えお好み焼きをォォォッ! なんで具材のひとつひとつをギャルゲの属性に変換してんだアホオタク!!」
「ガハハハハ! よく分からんが美味いことだけは伝わるぞ!」
「巡! ビールが足りねぇ! 追い酒だぁぁぁ!」
時田先輩と寿先輩も、大口でお好み焼きを頬張りながらジョッキを煽っている。
「喜んでいただけて良かったです。当日はこの手打ち麺を二〇〇食分用意しておきますね」
俺はコテを丁寧に拭いながら、手応えを感じていた。
これなら屋台の準備は完璧だ。……だが、俺の脳裏には、もう一つの「学園祭の狂気」が懸念事項として浮上していた。
◆
「なぁ、巡さん」
お好み焼きを綺麗に平らげ、腹を満たした伊織くんが、満足そうにお茶を飲みながら尋ねてきた。
「学園祭の出店はこれで完璧として……なんか、伊豆春祭って他にもイベントがあるんですよね? さっきキャンパスで『男コン』とか『ミスコン』とか書かれたポスターを見たんですけど」
――その言葉が出た瞬間。
時田先輩と寿先輩の動きがピタリと止まった。
二人はニヤリと、どこか邪悪で意味深な視線を交わし合っている。
「……伊織くん。その話題には深く触れない方が賢明ですよ」
俺は静かに茶をすすりながら、いつものフラットな声で忠告した。
「え? なんでですか巡さん? 男子コンテストって、要するにイケメンコンテストみたいなやつでしょ?」
「甘いです、伊織くん」
俺は目を細め、去年の悪夢のような光景を思い出していた。
「男コン……正式名称『伊豆大学男子コンテスト』。一見すれば、爽やかな男子学生たちが格好良さを競う平和なイベントに思えるでしょう。ですが、実態は違います。あれは……【全裸の男たちが狂喜乱舞し、アルコールと汗と狂気が渦巻く、警察沙汰寸前の地獄絵図】です」
「「じ、地獄絵図……!?」」
伊織くんと耕平くんが頬をひくつかせる。俺は淡々と説明を続けた。
「去年の男コンを俺は1年生の時に客席から見ましたが、酷いものでした。ステージ上に上がった各サークルの代表者たちは、最初は服を着ているものの、観客(主に全裸のPaB先輩方)からの酒のコールが始まった瞬間、自ら服を破り捨てて全裸になります」
「自ら破るなよバカ野郎!?」
「そして、鍛え上げた肉体と股間を謎のポーズで誇示しながら、可燃性の液体(スピリタス)をラッパ飲みし、ステージ上で火を噴く者まで現れました。最終的には審査員も観客も混ざり合って全裸の乱闘騒ぎとなり、大学の警備員が防暴用の盾を持ってなだれ込む事態になったのです」
俺の冷徹なまでの冷静な回想に、何も知らなかった新入生二人――伊織くんと耕平くんの顔から急速に血の気が引いていった。
「な……なんだよその世紀末覇者みたいなコンテストは……! 正気か伊豆大学!?」
「狂っておる……! 二次元の平和な学園祭イベントとはかけ離れた、悪魔の宴ではないか……!」
「ええ。ですから、あのイベントには絶対に関わらないことを強くお勧めします。巻き込まれたら社会的生命が死にますからね」
俺が静かに頷くと、伊織くんは胸を撫で下ろし、大船に乗ったつもりで大袈裟に息を吐いた。
「よかった……! 教えてくれてありがとうございます巡さん! 俺たち一年生は、おとなしく広島風お好み焼きを焼くことに専念します! 男コンなんて絶対に近づきませんからね!」
「同感だ北原! 俺たちの聖域(プライバシー)は俺たちが守るのだ!」
ガシッと固い握手を交わす二人。
……だが、哀れな二人はまったく気づいていなかった。
彼らの背後で、時田先輩と寿先輩が【獲物を狙う肉食獣のような邪悪な眼光】をギラギラと輝かせていることに。
「おいおい伊織〜、耕平〜。何をそんなに怯えてるんだぁ?」
時田先輩が、急に優しそうな(胡散臭さ千パーセントの)笑顔を浮かべて二人の肩を抱き寄せた。
「俺たちPaBは後輩思いのサークルだからな! 当日の屋台では、お前たちにビシッと格好いい『お揃いのスタッフ衣装』を用意してやろうと思ってな!」
「えっ!? マジですか時田先輩! お揃いの衣装!?」
伊織くんの目が輝く。
「そうだぞ耕平! 衣装を着るなら、体のサイズをピッタリ合わせなきゃな! ほら、肩幅とウエストと……胸囲の採寸だ!」
寿先輩がメジャーを取り出し、伊織と耕平の身体データをやたら細かく採寸し始めた。
「うわ、先輩たち意外と形から入るタイプなんですね! 感動しました!」
「フッ、二次元のコスプレ衣装採寸を思い出すな……感謝するぞ先輩方!」
――当然、これは嘘である。
お揃いの衣装などではなく、男コンのステージ上で『一瞬でビリビリに破り捨てるための細工衣装』を作るためであり、さらにはエントリー用紙の身体データ欄を埋めるための採寸であった。
さらに寿先輩は、白々しい演技で伊織の背中を叩いた。
「それとな、伊織。当日は千紗も『ミスコン』に出場するんだ」
「えっ!? 千紗がミスコンに!?」
「そうだ。サークルのダイビング器材代(賞金十万円)のために出ることになったんだが……ミスコン会場にはチャラいナンパ男や変態が湧くかもしれないだろ? だからお前たち一年生には、千紗を守るために『ステージ裏での警護ミッション』を頼みたいんだ!」
「「警護ミッション……!!」」
伊織くんと耕平くんの目が、正義感で燃え上がった。
「任せてください先輩! 千紗のガードは俺たちがやります! 変な男が近づいたら叩き潰しますよ!」
「うむ! 三次元の女とはいえ、我がサークルの仲間を守るためなら一肌脱ごう!」
……完璧にハメられていた。
ステージ裏に呼び出しさえすれば、あとは力ずくで男コンのステージへ叩き落とせるからこその『警護ミッション』という名の罠である。
二人が「先輩って実はすごく後輩思いなんですね!」と感激している隙に、時田先輩は背中でコソコソと『伊豆春祭・男コンエントリー用紙』の代表者欄に【北原伊織・今村耕平】と太字で記入し、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべて提出用封筒に仕舞い込んでいた。
俺はその一部始終を、冷やし茶を飲みながら静かに見届けていた。
(……伊織くん、耕平くん。可哀想に)
俺はそっと二人に近づくと、聞こえるか聞こえないかくらいの低い声で助言を落とした。
「……伊織くん。明日は予備のパンツと、着替えを三着ほど持ってきた方がいいですよ」
「え? なんすか巡さん、着替え? お好み焼きのソースが服に跳ねるからですか?」
「……まあ、そういうことにしておきましょう」
俺はそれ以上追及せず、のほほんとした笑顔でかわした。
お好み焼きの美味さに夢中な二人は、俺の警告の真意に気づくはずもなかった。
◆
「ただいまー。あら、みんな楽しそうね?」
ガラリとドアが開き、グランブルーの看板娘・古手川奈々華さんが入ってきた。後ろには、妹の千紗ちゃんも一緒だ。
「あ、奈々華さん! 千紗! 聞いたぞ、お前ミスコンに出るんだって!?」
伊織くんが尋ると、千紗ちゃんは少し嫌そうな、気まずそうな顔でそっぽを向いた。
「……サークルの資金稼ぎ。本当は嫌だけど、新しいレギュレーターが欲しいから」
「ふふ、千紗ちゃんはツンツンしてるけど頑張り屋さんなのよ♪」
奈々華さんが嬉しそうに千紗ちゃんの肩を抱き寄せる。
千紗ちゃんは抜群の美少女だ。ショートカットに引き締まったスタイル、クールな顔立ちは、普通に出場すれば優勝候補筆頭である。
「よし耕平! 千紗がミスコンで頑張るんだ、俺たちも屋台のお好み焼きをバカ売れさせて、ステージ裏の警護も完璧にこなすぞ!」
「応ともさ! 俺たちの学園祭は完璧な勝利で終わるのだ!」
すっかり安心しきって、意気揚々と拳を突き上げる一年生コンビ。
俺はその横で、時田先輩と寿先輩が「ククク……」と悪魔のような笑い声を漏らしているのを静かに見送るのであった。
◆
その夜――。
騒がしい嵐の予感を秘めたまま宴が終わり、静まり返ったグランブルーの厨房で、俺は一人で明日のキャベツの千切りにとりかかっていた。
トントン、トントン、と包丁がリズム良くまな板を叩く。
「……巡くん、遅くまでご苦労様」
背後から柔らかい声が聞こえ、パジャマ姿の奈々華さんが温かいお茶を持って入ってきた。
「奈々華さん。いえ、キャベツの仕込みをしておかないと、明日の朝が大変ですから」
「ふふ、巡くんがいてくれて本当に助かるわ。お好み焼きもすっごく美味しかったし……私、巡くんの広島風お好み焼きなら毎日でも食べたいくらい」
奈々華さんはそう言って、クスクスと可愛らしく笑った。
「……毎日ですか? それは少し栄養が偏りそうですね」
「もう、そういう意味じゃないのに……巡くんたら、たまにすっごく鈍感なんだから」
奈々華さんは少し頬を膨らませて呆れて見せたが、すぐに愛おしそうな目で俺の横顔を見つめてきた。
「……明日からの学園祭、よろしくね。時田くんたちがまた暴走したら、巡くんが止めてあげて」
「善処します。まあ、伊織くんたちの健闘を祈るばかりですが」
俺は包丁を止め、穏やかに微笑んだ。
深夜の静かな厨房に、出汁の香りと二人の穏やかな時間が流れる。
嵐の前の静けさ――。
明日開幕する『伊豆春祭』で、どんな狂乱が巻き起こるのか。俺は涼しい顔で、ただ包丁を動かし続けるのだった。