「ねぇ、どうしてお婆さんは私を助けたの?」
「そうさな、ただの老人の気まぐれじゃよ」
「なによそれ……ふふ」
笑う私、それを見てお婆さんは目を細める。
「だいぶ元気になったようだね」
「えぇ、お婆さんのお陰よ。ありがとう」
「なに、気にしないでおくれ。私はただ、見ていられなかっただけだよ」
「それでもよ。お礼を言わせて欲しいの」
お婆さんのお陰で私は逃れることが出来た。
ハリーの願いを叶えることが出来たの。
もし、お婆さんに会わなければきっと、私は捕まっていたわ。
そして、連れ戻された私はもう2度と出ることが叶わなくなってしまったはず。
けれど、その未来は回避された。
お婆さんには感謝が尽きないわ。
だからこそ、巻き込む訳にはいかない。
「お婆さん。私、そろそろ行くわ」
「まだ治ってないのに行くのかい?」
「えぇ、それでも行かなくちゃいけないの」
このままここに居たらお婆さんもハリーと同じ目に合うかも知れない。
私はそれが恐ろしかった。
これ以上、誰かの死ぬ姿を見たくないの。
悲壮を隠し笑みを浮かべる。
心配しなくて大丈夫だと、笑って伝えるのだ。
その言葉にお婆さんは溜め息を吐く。
「それは残念だね。せっかく出来た話し友達が居なくなってしまうよ」
「ごめんなさいね」
「なら、もう少し居てくれはしないかね?」
私は首を振る。
「それは無理よ」
だって、このままここに居たら離れなくなってしまうもの。
お婆さん、貴女と過ごす時間はとっても楽しかったわ。
ハリーを亡くし、傷を負った心を癒してくれた。
私を孫のように可愛がり、大事にしてくれた。
本当の孫娘のように相手してくれたの。
ずっと居たいと叫ぶ心。
心地の良いこの家でお婆さんと過ごしたいと心が叫ぶ。
けれど、それは叶えちゃいけない願い。
叶えてしまえばお婆さんを巻き込むことになる。
それだけは駄目。
犠牲になるのは私1人で十分よ。
お婆さんまで亡くしてしまったら今度こそ私の心は壊れてしまう。
私はソッと、心に封をする。
願い、叫ぶ心を見なかった事にして封印したの。
チクリと痛む心、悲しみを刺激するその痛みに唇を噛み締めてグッと堪える。
大丈夫。私は平気よ。
この程度の痛みなんて苦にもならないわ。
ほら、屋敷での生活を思い出しなさい。
自由を奪うあの環境に比べたらへっちゃらでしょう?
だから、涙を流さないで。
お婆さんをまた心配させてしまうじゃない。
そう自らを叱咤するのに、涙が止まらない。
「ノーア……!」
「ぁ……ぃ」
あぁ……やっぱり心配させてしまった。
平気だと、そう伝えたいのにそれが出来ない。
漏れ出しそうになる泣き声を抑えるのに必死で言うことが出来なかった。
私はお婆さんに抱き締められる。
「あの時も言ったけど、素直になりな。居たいのなら居たいと言えば良いんだ。ノーア、あんたは抱え込み過ぎるんだよ。誰かに甘えることを知らない子供さ。こんな老婆で悪いけど、私に甘えてはくれないかい?」
優しい言葉。
私を想うその言葉に、涙が決壊する。
そんなことを言うから離れづらくなるの。
お婆さん、貴女は酷な人よ。
せっかく覚悟を決めたのに、その優しさに決意が揺らいでしまう。
もっと居たいと心が叫ぶの。
駄目なのに、これ以上居たらいけないのに、居たくて居たくて堪らない。
お婆さんの優しさに浸っていたいの。
心の丈を籠めて叫ぶ私、お婆さんは背中を優しく叩き耳を傾ける。
それが酷く心地好くて、安心してしまう。
この人は私の味方だと、そう感じてしまうの。
部屋に響く啜り泣く私の声。
いっぱい泣いて気持ちが落ち着いた私が赤く晴れた目越しで見るは鼻水まみれのお婆さんの服。
「ごめんなさい。お婆さんの服を汚してしまって」
「なに、気にせんでくれ。私の服1つで泣き止むのなら安いものさ」
「なら、せめて服を洗わせて欲しいの」
何もしないのはお婆さんが許せても私が許せない。
罪滅ぼしだと思って洗わせて欲しいと頼み込む私にお婆さんは苦笑する。
「分かったよ。なら、頼むとしようかね」
「ありがとう。きっと綺麗な状態にしてみせるわ」
「それは楽しみだ。着替えてくるから少し待ってておくれ」
そう言って1度部屋を去るお婆さんを私は見送る。
1人となった部屋で私は窓の外を見た。
外に見えるのは森を開拓し作られた小さな家庭菜園。
幾つもの植物が植えられており、その頭上を虫たちが飛んでいる。
つい昨日も野菜を収穫し、水やりをしたことを思い返す。
あの蜂みたいな虫に追い掛けられたわ。
止めてって言うのに追い掛け続けられるものだから、とっても怖かったのを覚えている。
最後は粘り勝ちをして難を逃れたけれど、もう2度と遭遇したくない生き物トップ1よ。
つい、恨めしげに見詰めてしまう。
相手はそれに気付いた様子もなく、自由に飛び回る。
それが羨ましかった。
私もあんな風に自由に過ごせたら良いのに。
恨みも忘れ、つい、そんなことを思ってしまう。
私も同じく自由。
自由だけれど、その自由には制限があるの。
いつ来るかも分からない追手に常に警戒しなくちゃいけないのよ?
その追手さえいなければハリーと楽しく過ごせたのに。
そんなタラレバを考え、溜め息を吐く。
「駄目ね」
これではまたお婆さんを心配させてしまうわ。
落ち込んではいけないと、軽く両頬を叩く。
パチンと音が鳴り、僅かにヒリつく肌。
自分で叩いておきながら、痛みを抑えようと頬を撫でる。
思ったよりも痛いわ。
優しく叩いていないのだから当然ではあるのだけれど、想像を越える痛みに少しばかり後悔。
けれど、お陰で暗い気持ちが吹き飛んだ。
その代償が少しの痛みで済むなら安いものよ。
「なにやってるんだい、自分の頬を叩くなんて」
「ちょっとした気分転換よ。お婆さんはもう着替えが終わったのね?」
「上着を取り替えるだけだからね。すぐに終わったよ」
それもそうね。
言われて納得した。
私はさっそくお婆さんから服を預かり、洗濯に向かう準備を始める。
汚れても良い格好に着替え、必要な物を手に持つの。
準備を終えた私は意気揚々と出よとして、お婆さんに止められた。
「これを持ちな」
「これ、確かお婆さんがよく身に付けている物よね?」
お婆さんから渡されたのは小さな袋。
紐が通され、首から下げて身に付けられるようになっていた。
見た目だけならお守り。
それをよくお婆さんが身に付けていたことを思い出して疑問を漏らせば、お婆さんは服の中から同じ物を取り出してみせた。
「これは獣避けの匂いを発するサシェだよ。大抵の獣はこの匂いを嗅ぎ取って逃げる代物だよ」
「凄いわね……」
この小さな物で逃げるなんて、どれだけ嫌な匂いなのかしら?
サシェを鼻に近付けて嗅ぐけれど、臭い匂いはしない。
それどころか、お婆さんと同じ匂いがしてホッと安堵する。
「でも、良いの?私がこれをもらってしまっても」
「良いんだよ。幾らでも作ろうと思えば作れるからね。それよりノーアの安全さ。遠くないとは言え、森の中に入る必要があるからね」
これ1つでノーアの安全を確保できるのなら安い物だと語るお婆さん。
その優しい気遣いに私はお礼を言って首に掛ける。
ぶら下げたサシェを見下ろし、お婆さんに似合うかと尋ねる私。
似合っていると、逆にサシェの方が見劣るすると、そう褒めるお婆さんは笑っていた。
慣れない褒めに私は照れ笑う。
そんなことはないと、お婆さんのサシェも素敵よと、褒め返す。
お互いを褒め合い、そして同時に笑う。
これでは平行線だと、笑い合うの。
楽しかったわ。
まるで本当の家族のようなやり取りがとても楽しかったの。
このままではいつまで経ってもいけないと思った私は名残惜しさを感じつつも言う。
「そろそろ洗いに行って来るわ」
「そうかい。気を付けて行くんだよ」
「えぇ、ありがとう。無事に帰って来るわ」
家を出て森へと向かう私とそれを見送るお婆さん。
手を振るお婆さんに私も手を振り返し、ちょっとした旅に出るの。
森の中に存在する川へと向かって。
不安はあった。
遠くないとは言え、野生動物が存在する森の中、戦う術の持たない私では成すすべなくやられてしまう。
けれど、お婆さんからもらったサシェがあれば大丈夫。
どれだけの効果があるかなんて関係ないわ。
私を想って渡してくれたこのサシェはきっと、私を守ってくれる筈だもの。
だから、大丈夫。
きっと無事に帰って来れるわ。
「うん、だいぶ綺麗になったわね」
川へと辿り着いた私はさっそく道具を使って服を洗っていた。
予め持って来たタライに水を汲んで石鹸を用いて擦る。
ゴシゴシと泡立てながら汚れを擦ると綺麗になるの。
後は泡が出なくなるまで濯ぎを繰り返せば完成よ。
空に向かって両手で広げれば綺麗になった服。
だいぶ手慣れたものね。
最初は慣れなくて四苦八苦していたというのに、数日で慣れたもの。
我ながら綺麗になったと自負し、さっそく家に戻って乾かすために道具を持って家に帰る。
思えば、家に帰りたいなんて思ったことがなかったわ。
それがお婆さんに出会って帰りたいと思える家が出来たの。
昔の私に言ったらなんて答えるのでしょうね?
そんな訳ないと、そんな未来はないと、そう答えるのかしら?
容易に思い付くその回答。
ハリーと出会う前なら私はきっと……いえ、確実にそんな未来はないと言っていたのでしょう。
思わず苦笑する。
ほんと、人生は何があるか分からないわね。
こんなにも予想できないなんて思ってもみなかったわ。
これも全てハリーのお陰よ。
私を連れ出してくれたお陰で私はレールから外れることが出来たの。
外れた線路の先に貴女が居ないのが寂しくはあるけれど、ハリーの望んだ通り、私は自由に生きてみせるわ。
「え?」
ふと耳に届く1つの音。
焚き火の燃える音を耳が捉えた。
いえ、それだけではないわ。
遠くに見える火の手。
確か、この方向は―――。
「ッ!?」
気が付けば私は走っていた、
とても嫌な予感がした。
違って欲しい、気のせいであって欲しい、そう願うのに現実は何処までも残酷な光景を見せ付ける。
「ぁ………!」
燃えていた。
お婆さんのお家が。
辿り着いた時には既に手遅れだった。
燃え盛る火の手は家の全てを包み込み、盛大に燃えていた。
ゴォゴォっと燃え盛る火の熱さは此方まで伝わってくる。
思わず足が止まってしまったけれど、お婆さんの顔が過り慌てて家へと向かおうとする。
それなのに私は背後から押さえ付けられてしまう。
「いけません。危ないですよ、レンゲルト公爵令嬢?」
「離して!!私は行かないといけないの!!」
お婆さんの安否を確認したかった。
もし、まだあの中に居るのなら私が助けないといけないの!!
こうなったのは私のせい。
私がお婆さんの優しさに甘えてしまったばかりにお婆さんの家が燃やされてしまった。
こんな所で捕まっている訳にはいかないのに、力に抗えなくてただ見ていることしかできない。
必死に罵声を飛ばし、離して欲しいと訴えるのにビクリともしない。
私は無力だった。
何かをするには、誰かを救うには私はあまりにも無力な少女でしかない。
「ぅあ……!」
視界を歪める涙の奔流。
止めどなく流れ、地面に小さな池を作る。
悔しかった。
ハリーを亡くした時も、今だってそう、私はただ見ていることしか出来ないのが悔しくて悔しくて仕方がない。
抵抗なんてもはやしなかった。
したところで無駄なのは分かりきっていた。
なら、諦めるしかないでしょう?
「ッ!?ここに来てまだ無駄な抵抗を!?」
出来る訳ないじゃない。
私を助けてくれたお婆さんを無駄だから諦めるって言うの?
そんなの私が許そうとも、“俺”が
許さない。
抗えないのなら限界を超えろ。
人のリミッターを壊して100%の力を引き出せ。
なぁに、ちと体が壊れるだけさ。
それでお婆さんを救えるのなら安いものだろう?
えぇ、そうね。その通りだわ。
その程度で済むなら安いものよ!!
「あぁ……!!」
「そんなまさか!?」
「アァアアァアァアァアアアアア―――!!!」
拘束を弾き飛ばす。
驚愕する顔を横目に私は家に向かって走る。
目の前に立ちはだかる敵。
あの男を示す紋章を見に纏った敵を身体能力を持って突破する。
走りに走り続け、私は家へと突入した。
「うっ!」
家の中はとても熱かった。
肌を突き刺す熱さと、有毒な煙、真っ赤に染まる家の中を私は走る。
長時間ここには居られない。
息が持たないのは無論のこと、発見するのが遅れれば遅れるほどお婆さんの命が危うくなるから。
何処に居るのお婆さん。
居るのなら返事をして欲しかった。
そんなことは無理だと思いながらも探し続け――見つけた。
「あっ……」
よく話をした部屋の中で、背中から血を流すお婆さんが倒れていた。
その瞳には既に生はなく、ただの屍だと語る。
ドサリと私は膝をついた。
「あぁ………!」
ハリーに続きお婆さんまで亡くしてしまった。
私に良くしてくれた人が、私の大事な人が、私のせいで死んでしまった……!!
パリン!と何かが砕ける幻聴《おと》を聞いた。
心が暗闇に覆われる。
悲しみも怒りも何もかもがその暗闇の前に閉ざされてしまう。
無だった。
表情の抜け落ちた顔でお婆さんだった者を見下ろす。
目をかっぴらき、驚愕の表情を浮かべるお婆さんはきっと、訳の分からぬ内に殺された。
「ごめんなさい……私がもっと早く出ればこんなことにはならなかったのに……」
お婆さんの優しさに甘え過ぎてしまった。
私の心の弱さがこんな結末を迎えさせてしまった。
何度謝ったところで許されることではないわ。
それでも言わずにはいられなかった。
お婆さんの瞼を閉じる。
体を仰向けにして、胸の前で両手を組ませる。
表情を柔らかい物にするのも忘れてはいけないわ。
私はお婆さんの死骸を前に手を組み祈る。
“神様。どうか、この優しいお婆さんを天国に召していただけませんでしょうか?”
“そのためなら私は何だってします。あの男に嫁げと言うのであれば嫁ぎましょう”
“ですから、どうか……このお婆さんを天国に……お願いいたします”
初めて祈る神への願い。
死者蘇生なんて望まない。
望んだところであの男によってまた殺されるのがオチよ。
なら、あの男の手の届かない天国へと連れて行って欲しかった。
その世界で、お婆さんには幸せに過ごして欲しかったの。
身勝手な願いだと思うわ。
それでも、私が犠牲になるだけで天国に連れて行けるのなら安いと思ったの。
祈りを終えてお婆さんを見る。
「どうか安らかに………ゴホッ!」
長くここに居すぎた。
煙を吸い過ぎて苦しかった。
もはや逃げる体力もないかも知れない。
けれど、それで良いと思ってしまう。
最後は誰かと逝くのも悪くないと思ったの。
ハリーの時は叶えられなかった願いを今なら叶えられる。
私はお婆さんの体に身を預ける。
まだ体温の残る体は心地好くて、お婆さんの匂いを嗅いで安堵するの。
私は目を瞑ってそれを堪能する。
“あぁ……段々と意識が薄れて行くわ”
深い闇へと意識が呑み込まれて行く。
恐怖はなかった。
だって、1人ではないんですもの。
暗闇の中、私の両側に存在する2つの影。
見えなくても分かるわ。
2人はハリーとお婆さんだって。
たとえ、幻影だろうと構わないわ。
最後は好きな人たちと逝けるのなら何だって良かった。
私は笑顔で2人と腕を組む。
“さぁ、行きましょう!――天国へ!!”