【アルバイト募集:郷土資料・民間伝承に関する現地調査補助】 作:内山田
話を終えると、二階堂さんは僕を連れて社長室に向かった。
中央にあるテーブルに、僕と二階堂さん、社長と山吹さんの四人が集まった。
机の上には、昨日撮った祠の写真や、僕が大学で見つけた資料が広げられている。
「うんうん、なるほどね」
二階堂さんからの報告を聞いて、社長が頷く。
「じゃあ、どういう『形』にするか考えようか」
社長は机の上に広げられた資料をトントンと指で叩いた。
「まずは、この資料を持ってきてくれた髙森くんの意見を聞こうか」
突然こちらに話を振られて、少し背筋が伸びる。
「僕ですか?」
「うん。現地を見て、資料も調べたんでしょ? どう思った?」
僕は少し考えてから、口を開いた。
「……女性の霊として残すのが、一番元の話には近いんじゃないでしょうか」
すると、山吹さんが静かに言った。
「ですが、それだと今後も『夜道に女が出る』という認識を強めることになりませんか?」
「……」
確かにそうだった。
僕が見つけた新聞記事には、若い女を見たという証言があり、その後の調査記録にも、女が人を迷わせるという話が残っている。
「……それだと、人を迷わせる存在として固定されてしまう?」
「だろうな」
二階堂さんが頷く。
「だったら、危ない形をそのまま残す理由はない」
「じゃあ、狐か狸にするんですか?」
僕が尋ねる。
山吹さんが資料に目を落としながら答えた。
「現地では、狐についての話のほうが具体的でした。それに、狐であれば神様として受け入れられやすいでしょう」
「でも、狸だという人もいました」
僕が言う。
「そうだな」
二階堂さんは頷いた。
「だから、狐にするなら、それだと誰が見ても狐だと分かるようにしたほうがいい」
「どういうことですか?」
僕が尋ねると、二階堂さんは机の上の写真を指差した。
「口伝だけじゃ、そのうちまた変わる。狐だって言う奴もいれば、狸だって言う奴も出てくる」
「……なるほど」
「何か、目に見えるものを置いた方がいい」
その言葉を聞いて、僕は二日前に見たあの祠を思い浮かべた。
「……あの石」
思わず口に出すと、三人がこちらを見る。
「石?」
「あの祠の前に、平たい石がありました」
僕は机の上に広げられた資料の下から、祠で撮影した写真を取り出した。
「これです」
写真を見せる。
「この石、上に何か乗せられそうじゃないですか?」
二階堂さんは写真を覗き込み、少し考えた。
「……確かにな」
「何かを置くための台だったのかもしれませんね」
山吹さんも写真を見る。
「もともと、何かが置かれていた可能性もあります」
「じゃあ」
社長が写真を覗き込みながら言った。
「そこに狐の石像を置いちゃえばいいんじゃない?」
「それなら、見た人にも一目で分かりますね」
山吹さんが頷く。
「狐を祀っている祠だと、誰が見ても理解できます」
「昔、そこに現れた女も、狐が人の姿に化けていたってことにすればいい」
二階堂さんが続ける。
「そうすりゃ、今までの話も無駄にならん」
「人を迷わせる狐……」
僕は呟いた。
そして、もう一つ思いついた。
「でも、それだけだと……まだ少し怖いですよね」
三人が僕を見る。
「だったら、今後は人を迷わせるんじゃなくて……」
少し考える。
「道に迷った人を、正しい道に戻す狐にするのはどうでしょう」
二階堂さんが、ふっと笑った。
「いいんじゃないか」
「道を守る存在としてなら、この祠が道のそばにあることともつながりますね」
山吹さんが言う。
「今までの伝承とも、完全に切り離されるわけじゃない」
「人を迷わせる狐がいた」
社長が楽しそうに言った。
「それを村の人たちが退治して、祠を建てた。で、その後は心を入れ替えて村を守ってくれるようになった、と」
「心を入れ替えた、というのは少しおかしくないですか?」
僕が言う。
「ははは、まあ昔話なんてそんなもんだよ」
社長は笑った。
「じゃあ、もっともらしくするなら……」
二階堂さんが腕を組む。
「昔、この村には人を化かして道を迷わせる狐がいた。村人はそれを退治し、供養のために村境へ祠を建てた」
山吹さんが続ける。
「その後、その狐は村を守るものとして祀られるようになった」
「うん。それでいい」
社長が頷いた。
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昔、この村には人を化かして道を迷わせる狐がいた。
困った村人は狐を退治し、供養のために村境に祠を建てた。
以来、その狐は村を守るものとして祀られている。
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「うん、いいじゃない」
社長が満足そうに笑った。
「では、狐の石像を手配します」
山吹さんが机の上の資料をまとめながら言う。
「頼む。髙森」
二階堂さんが僕を見る。
「石像が完成したら、またあの村に持っていくぞ」
「はい」
僕は返事をした。
机の上に並んだ写真を見る。
そこには、何百年も前からそこにあったのかもしれない小さな祠と、その前の平たい石が写っていた。
つい昨日まで、ただの石にしか見えなかった。
けれど、そこに何を置くのかが決まった途端、その石の意味まで変わったような気がした。
僕は、昨日二階堂さんに言われた言葉を思い出す。
----形を決めるための材料----
なるほど。
僕らが昨日集めていたものは、あの祠の答えそのものではなかった。
何を知っているか。
何を覚えているか。
何を信じているか。
そういうものを一つずつ集めて、最後に「これなら大丈夫だ」と思える形を決める。
僕は、そんな仕事をしているのだと、少しだけ実感した。
*
「まあまあ、かわいらしいお狐様ですね」
忍野さんが目を細めた。
一週間後、僕らはまた村に戻ってきていた。
今度は、狐の石像を持って。
祠の前にある平たい石。その上に置かれたばかりの像を見てみる。
小さな狐だった。
それでも、背筋を伸ばしてしゃんと座っている姿には、不思議と威厳がある。
狐の目線の先には、この村に広がる田んぼと、その向こうの山々が見えていた。
「狛犬にしちゃあ、ずいぶん可愛いな」
二階堂さんが言った。
「でも、道案内はしてくれそうですよ」
僕が答える。
「そうですね」
忍野さんも笑った。
「あら、狐だわ」
声に振り向く。
先日話を聞いた二人組の女性が立っていた。
「ほら、やっぱり私の言った通り狐じゃないの」
「そうだったのねえ。あたしてっきり狸だと思って、干し柿を上げちゃってたわ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「狐は雑食性ですから。干し柿も食べると思いますよ」
僕がそう言うと、
「あら、そうなの」
と二人はまた楽しそうに笑った。
たったそれだけのことだった。
けれど、今まで「狐だ」「狸だ」「何かよく分からないものだ」と、それぞれ別の形で語られていたものが、少しずつ一つの姿にまとまり始めている。
この祠にいるものは、これから狐として語られていくのだろう。
そう思った。
*
「では、我々はこれで」
二階堂さんが口を開く。
「本当にありがとうございました」
忍野さんが丁寧に頭を下げた。
「孫にも、この狐は道案内をしてくれるありがたいものだということを教えてあげようと思います」
「それがいいでしょう」
二階堂さんはそう言って、もう一度狐に目をやった。
「帰るぞ」
二階堂さんは車へ向かった。
僕も続こうとして、ふと足を止めた。
もう一度振り返る。
屋敷の隣に、小さな祠が立っている。
その向こう、屋敷の影に何かが動いた。
目を凝らす。
一匹の狐がいた。
屋敷の壁から体を覗かせるようにして、こちらを見ている。
目が合う。なぜか僕は、目を離すことができなかった。
どれくらいそうして見つめ合っていただろう。
時間にすれば、ほんの数秒だったと思う。
狐が、尻尾をゆらりと揺らした。
「おい」
声をかけられて振り向く。
「何やってんだ。早く乗れ」
二階堂さんが、運転席の窓を開けて言った。
「すみません」
返事をして、もう一度狐がいた場所を見る。
そこには、もう何もいなかった。
僕は車に乗り込む。
二階堂さんがエンジンをかけ、車を発進させた。
助手席の窓から、村の風景が流れていく。
田んぼ。
古い家々。
その向こうに連なる山。
あの狐は、これからもあそこにいて、この道を通る人たちを見ているのだろうか。
そんなことを考えながら、僕は村が見えなくなるまで窓の外を眺めていた。
*
後日。
事務所のオフィス。
僕は仕事をしている山吹さんのところへ向かった。
手には、山梨で買ってきた「栃もち(あんこ)」がある。
「山吹さん、これ。よかったらどうぞ」
僕が差し出すと、山吹さんは少し意外そうな顔をした。
「これを、私に?」
「ええ。二階堂さんから、和菓子がお好きだと聞いたので」
「ああ……そうでしたか」
山吹さんは包みを受け取ると、中身を確かめた。
「ありがとうございます。せっかくですし、お茶でも淹れましょうか」
「いいんですか?」
「私も食べたいので」
そう言って、山吹さんは席を立った。
二人で事務所の一角にある小さなソファスペースへ移動する。
山吹さんがお茶を淹れてくれて、向かい合って座った。
「では、いただきます」
「いただきます」
僕も栃もちを一つ手に取った。
餅は柔らかく、中には甘いあんこが入っている。口に入れると、普通の餅とは少し違う香ばしさが広がった。木の実のような風味がかすかに残り、あんこの甘さとよく合っている。
「美味しいですね」
山吹さんが言った。
「よかったです」
「こういうの、好きなんですよ。あんまり洋菓子は食べないので」
「そうなんですね」
「ええ」
そう言って、山吹さんはもう一つ栃もちを手に取った。
なんとなく嬉しそうに見える。
けれど、本人は特にそれを隠そうともしていなかった。
「どうでしたか」
ふいに、山吹さんが聞いた。
「え?」
「初仕事です」
「ああ……」
僕は湯呑を手にしたまま考える。
「そうですね……」
少しだけ考えてから、口を開いた。
「今まで、こういうオカルトみたいなものとは無縁だと思ってました」
山吹さんは黙って聞いている。
「でも今回のことを調べてみて、なんというか……そこにあるものって、最初から決まった形をしているわけじゃないんだなと思いました」
「形、ですか」
「はい」
僕は昨日までのことを思い出した。
「信じる人がいて、話す人がいて。そういうものが積み重なっていくうちに、少しずつ形が決まっていくんだなって」
「……なるほど」
山吹さんが頷いた。
「そういうところが、髙森さんには向いているんでしょうね」
「そうでしょうか」
「ええ」
山吹さんは栃もちをもう一つ取る。
「今回も、あの石に気づいたのは髙森さんでしたし」
「でも、最後に決めたのは皆さんじゃないですか」
「そうですね」
山吹さんはあっさり認めた。
「ですから、これからもよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
僕はもう一度湯呑みに口をつける。
やっぱり熱かった。