ガートルード・ロックハートの慨嘆 作:スマイル
ハリーは医務室のベッドで目をさました。
外はすっかり真っ暗になっている。
何回か瞬きし、思い出す。クィディッチの試合でブラッジャーに右腕の骨を折られ、それから――ロックハート先生に骨を抜き取られた。それから、医務室に運ばれ、「骨生え薬のスケレ・グロ」を飲まされ、そのまま疲れて眠り込んでいた。
「ハリー、目が醒めたのですか?」
病棟の隣のベッドに、ロックハートが腰かけていた。
ロックハートは、医務室の白く薄い病人用ローブをまとっていた。いつもと異なる儚い雰囲気に、ハリーは唾を呑んだ。
「ハリー、本当に申し訳ありません」
ロックハートはハリーに頭を下げた。
「あのブラッジャーには君を襲う強力な呪いがかかっていた。試合中には、君を明らかに執拗に狙っていたものの、審判や先生方が試合を強制中断させるほどではなかった。選手も続行を望みましたし。とはいえ試合後にブラッジャーが剥き出した牙は異常でした」
ロックハートは溜息をつく。
「私ですら即座の解呪が困難だということ、そしてブラッジャーには呪いの停止の条件が組み込まれていること、その条件が君が『大怪我』を負う――死亡でなくても構わないということ、そしてブラッジャーかどうかは問わないというところまで分析しました。そして校長先生が到着するまでに君の頭を割られるリスクを許容できず、君の右腕の骨をまるごと抜きました」
ロックハートはハリーの右腕を見下ろした。
「結果論として、校長先生は十秒後に到着されましたから、私の行いはまったくの無駄骨でした。しかし、当時の状況と私の把握していた情報をふまえると、いま検討しなおしても最善の選択だったと考えています。ただ――」
ロックハートは改めてハリーに頭を下げる。
「――どのような理由であれ、教師の身でありながら生徒に杖を向け予告なく医務室送りにした事実は変わりません。ここがマグルの学校であれば免職に値する。謝罪で済むものではありませんが――本当に、申し訳ありません」
ハリーはショックを受けた。
「そんな! ロックハート先生、どうか謝らないでください。先生はほんとうに素晴らしい先生です」
「……ありがとう。気遣ってくれて、嬉しいですよ」
ロックハートは微笑んだ。
「本当です。もっと『闇の魔術に対する防衛術』を教えてください、先生」
「そうですか? まだ先生と呼んでくれて、ありがとう」
ロックハートは窓のほうを見た。月明かりにその白い肌が照らされる。絵のような光景だった。
「…………私はね、ハリー、ホグワーツの先生を引き受けるのが、実を言うと怖かったというと、信じられますか?」
「ロックハート先生が?」
ハリーは目を丸くした。
「ええ。私はもともとは、臆病で自信が無いですからね。昔の私は、自分のことを無価値な粗大ゴミだと思ってたほどです」
「先生は粗大ゴミなんかじゃ――」
「ありがとう。でも昔の私はその裏返しに適当な虚勢を張り、他者から特別だと思われることで他者から必要とされることで凌いでいました。でも、このままずっとはもたない、自分を変えようと思いました。私がドラマの主役だとしたら? ガートルード・ロックハートというかっこいい理想の役はどうする? その役を演じようと努めた。そのために必要なことを何でもした。今はこうしてホグワーツで先生をやれている」
ロックハートは立ち上がった。
「……さてハリー。私はもう行きます。今日のことをもう少し聞きたいところですが――まずは君に休息が必要です。骨生え薬で辛いでしょう」
「マダム・ポンフリーからは痛いと脅されましたが、先生の呪文のおかげで、とくに何も感じないままです」
「それは何よりです。しかしいずれにしてもマダム・ポンフリーの大目玉をくらってしまう、私も学生時代は医務室の常連でしたので怖さをよく分かっています」
ハリーはふと、ロックハートが白いローブを着ていることに改めて気づいた。
「……ところで先生はなぜ医務室のベッドに? さっきまで寝ていたのですか?」
ロックハートは肩をすくめた。
「疲労で休んでいました。このごろ睡眠不足が続いていましてね。生徒に愚痴ることではないですが、ここだけの話、ホグワーツ教師がこんなに激務だとは思っていませんでしたね。世界を飛び回るほうがラクだ。――そして、あのブラッジャーの呪いを分析するために力を使い果たしてしまいました」
ハリーは何となく、ロックハートが言っていないことがあると感じた。
「――もしかして僕の骨を抜いたせいですか? 最初の授業で、『授業に不必要な呪いを生徒にかけない”誓い”を結んでいる』って、言っていませんでしたか?」
ロックハートは、ゆっくり口を開いた。
「…………よく覚えてますね。それもあります。私は、教師が生徒に暴力をふるい傷つけることは許されない、という信念を持っています。もし自分が教師になったらそんなクズにならないと決めていました。ですから私はホグワーツと契約して己を縛っているのです。先の誓いに加え、『生徒を呪いで傷つけない、どうしても必要な場合を除いては』と。――ある程度の柔軟性をもたせましたから、今回は『部分的に必要があった』と判断されたようですが」
ハリーは背筋が冷たくなった。
「必要がなかったら?」
ロックハートは恐ろしい笑みを浮かべた。
「――仮に私がそんな輩だとしたら。そんな人間の末路を、君が気にかける必要も無いです」
ロックハートは医務室の扉を開き、ハリーを振り返り、手を振った。
「私はもう元気になので、あとは自室に戻ります。――ではハリー、良い夢を」
「…………」
眠るまでそばにいてほしいとは、あまりに子どもっぽくて、ハリーは言えなかった。
ハリーはやがて眠りについた。ダーズリーの家の芝生を歩いている。隣には母親らしき女性がいる――。
しかし、再び目が醒めた。
何かがハリーの額の汗をタオルで拭っていた。
「ドビー!」
コウモリのような長い耳、緑の目がギョロリと飛び出した小さな生き物――
ボロボロの枕カバーを着ていて、身体には生々しい傷や火傷の痕、包帯が巻かれている。
「…………いえ、ドビーではありません。間違いです。トビーとお呼びください」
「いや、絶対ドビーだよね。夏休みにダーズリーでパーティをめちゃくちゃにして、僕の手紙を止めていた」
「…………いえ、違います。あなたさまには屋敷妖精の見分けがつかないのでしょう」
「そうなのかなあ」
「……ハリー・ポッターは学校に戻ってきてしまった。トビーめが警告したにもかかわらず。――ああ、あなた様はなぜ、汽車に乗り遅れてもお戻りになってしまったのですか」
「汽車に乗れないようにしたのは君だったのか!」
「あなた様をどうしても行かせたくなくて、自分への罰としてトビーは自分の手にアイロンをかけました。……それでもあなた様が行ったと知り! トビーめはひどく慌てました。そのせいでうっかりご主人様の夕食を焦がし、ムチを十発も打たれました。そのうえ、お洗濯もののシミを抜き忘れ、氷の風呂に一晩中沈められました」
「…………なんで、君はそんなひどい家に仕えてるんだい」
「屋敷妖精は、一族、一家に一生お仕えする運命なのです。お洋服を――ソックスの片方さえいただければ――自由になるのですが」
トビーはハリーに絶望の眼差しを送る。
「ハリー・ポッターに家に帰っていただきたい。そのためにトビーのブラッジャーでそうさせることができると……」
「君が殺そうとしたのかい?」
ハリーは飛び起きて睨んだ。
「殺すなんて! ただ、大怪我をして家に帰っていただきたかったのです」
「……じゃ、先生の言う通りなのか。でも、あれは殺そうとしてたよね? 僕はバラバラになるところだった!」
「ト、トビーめがブラッジャーにしたのは……たんに」
トビーはそこで固まった。急に自分の首を絞め挙げた。
「トビー!」
「ケホ、ケホ。――ハリー・ポッター、嗚呼、お分かりくださればよいのに!」
「いったい何でそこまでして屋敷妖精たちは僕を返したいの?」
「わたくしどものような、魔法界のクズどもにとって、あなたがどんなに希望だったか! 屋敷妖精は賤しい奴隷でした。そして『名前を呼んではいけないあの人』が力をつけてからは、害虫のように扱われたのでございます。トビーの同胞はみな気まぐれに刻まれ焼かれ剥がれ刺され実験され薬漬けにされ殺されました」
トビーは鼻をかみ、声を震わせた。
「『名前を呼んではいけないあの人』が打ち砕かれ、わたくしどもは、ずっと良い暮らしになりました――トビーめは今も違いますが。ともかく錆びた斧におびえる必要がなくなったのです。どうかハリー・ポッターには生き延びてほしい。それなのに、ホグワーツに危機が――またしても『部屋』が――トビーめはなんとしても――!」
そこでトビーは再び固まり、何もないところから大きなハンマーを取り出した。ハリーは叫び声をあげてトビーを突き飛ばした。ハンマーは鈍い音を立てて床に転がった。
「トビーは悪い子――」
「『秘密の部屋』はほんとにあるんだね! きみは知っているの? きみのご主人様が『スリザリンの継承者』なの?」
「ああ、どうぞ聞かないでくださいまし。トビーには答えられません」
「それに、僕が家に帰ってどうなるんだい? ハーマイオニーもみんな危険だ!」
「嗚呼、ハリー・ポッターはなんと勇敢な!」
「そもそも、君は止められないの? きみのご主人様は『継承者』じゃなくて、きみは凄く強い魔法を使えるんだろ?」
「トビーは――トビーのご主人様は――」
トビーはフラフラし、ベッドの縁に頭をぶつけそうになったので、ハリーはまた慌てて止めた。
「とにかく、もうしないでくれ。ロックハート先生がいなかったら僕は死んでてもおかしくなかった」
「ロックハート?」
トビーはギョッっとして小さく悲鳴を上げた。
「ハリー・ポッター様は、あ、あんな――恐ろしい女にはかかわってはいけません! いつも耳にします。あの薄汚い女は――」
「トビー!」
ハリーは腹が立って言い返した。
「きみが何を知ってるんだ。君は僕の頭を割って殺しかけたけど、ロックハート先生は僕を君のブラッジャーから救ってくれたんだよ」
「ハリー様はお分かりになっていない――」
トビーはそこで、ハッとなったように凍り付く。
「トビーめは、もう行かなければなりません――」
そのとき声が響き渡る。
「
トビーは凍り付いた。半透明な乳白色の箱が覆いかぶさった。
「そんなに褒めないでくださいよ照れますね――帰る前にすこーしだけお話伺いますよ、
ロックハートが隣のベッドに腰かけて杖をまっすぐトビーに向けていた。ロックハートはトビーの瞳をまっすぐ見つめた。
「ドビーさん、いやトビーさん。『継承者』は誰ですか。ハリーに迫る危機とは何ですか。――悪いようにはしません。あなたを助けますよ」
「…………!」
トビーはしばらくもがいていたが、バチンと音が鳴り姿が消えた。
ロックハートは舌打ちした。
「――私の力不足です。屋敷妖精の魔術は、一般にヒトより遥かに強力です。ホグワーツの内外を『姿現し』できるほどに。それにしてもあの妖精があそこまで強力だとは――」
「…………屋敷妖精って何なんですか」
ロックハートは笑っていなかった。
「奴隷です。良くて召使い。ホグワーツの妖精たちに限れば最大限の厚遇を受けていると信じていますが」
「何で人間なんかに従ってるんですか?」
「何でなんでしょうね。何で人に逆らえないし人を殺せないのか、ほとんどの魔法族は深く考えようともしてこなかった。未来がどうかも考えない、恐ろしいことに」
ロックハートはハリーに向き直った。
「医務室の侵入者を検知する結界を張っていたので、姿を消して駆け付け、あの屋敷妖精の会話を聞かせてもらいました。君の寝顔は勝手に見ていないので、ご安心を」
ロックハートは立ち上がって、医務室を歩く。
「罠を仕掛けていましたが、取り逃してしまいました。謎があまりに多い――ホグワーツに脅威が迫っていると考えハリーに警告した。『秘密の部屋』が開かれたことを知っていた。ハリーに対する行動は主人の命令ではない。ハリーを半殺しにしてでもホグワーツから遠ざけたい。主人が『継承者』に関連するか不明。魔法省の名簿に登録されているなら照合できます。未登録や偽名であっても、ホグワーツ生への聞き込みであたりがつく。とはいえ――家名を特定したとて、その瞬間に他殺されるか自殺するに違いない。ブラッジャーも既にすり替えられ調査はできない」
そこで医務室の扉が開いた。
「申し訳ありません校長、逃がしました」
「ガートルード、遅れてすまぬ。緊急事態じゃ」
ダンブルドアとマクゴナガル先生、校医マダム・ポンフリーが入ってきた。タンカに、石になったグリフィンドール生が乗せられている。
ハリーやロックハートをいつもバシャバシャ撮ってくる、迷惑な一年生コリン・クリービーだった。おかげでハリーはロックハートとのツーショットを二十枚も持っていた。
「……ついに生徒が」
ロックハートは目を細めた。マクゴナガルもうなだれる。
「ホグワーツに入ったばかりでこのような。…………この子のカメラに、何か映っていると良いのですが――」
カメラは焦げ付いていた。
「――『秘密の部屋』が開かれた。」
ダンブルドアの顔は深刻だった。
「……アルバス、いったい誰がこのような――。まさか半世紀前と同じ?」
「『継承者』じゃろう。しかし、どうやってが見当もつかぬ。ガートルード、おぬしは?」
「あいにくと、まだ見当がつきません」
「おぬしの契約や報酬についても改めて相談させてほしい。おぬしの力がわしらに必要じゃ」
「既に過労ですが――そういうことを言っている場合でもないですね」
ロックハートは天井を見る。
「防護策の見直しも必要ですね。それに――生徒の不安や動揺を軽減させることも必要です。実践的な技能は『防衛術』の授業で教えているとしても、いかんせん生徒が好む派手さに欠ける。生徒の対立や緊張を抜く意味でも――」
「――思い付きですが校長、私の名で決闘クラブを再開してよろしいでしょうか?」