ガートルード・ロックハートの慨嘆 作:スマイル
ハーマイオニーの差し出した許可証を前にして、ロックハートは孔雀の羽根ペンを取り出して何気なく言う。
「しかし私は生憎あまり魔法薬には詳しくないですからね。あの薬に関してもっと他に良い本があるか、あとで魔法薬のスネイプ教授にも聞いてみますね!」
「いや、それは!」
ハーマイオニーは慌てて手を振り、しまったと口を押さえる。ロックハートは訝しげに首をかしげる。
「――あの――その――あとで嫌味を言われたくなくて。あの先生は、私が手を挙げて言うと、いつも出しゃばりだと馬鹿にします。こんな悩みを知られるなんて」
「――それはその通りですね。しかし、もちろん、私はあなたの名前と目的を言うつもりはありませんよ」
「でも――」
ハーマイオニーは、スネイプの薬品庫に忍び込むつもりだったから、わずかなりとも余計な情報をスネイプに知られるわけにはいかなかった。
「――では、マクゴナガル先生には? 彼女は学習意欲を削ぐことはしないでしょうし、信頼できる魔法薬のエキスパートを知っているはずです」
「あの、それも――わざわざ、そこまでしていただかなくても――その、恥ずかしいので――けっこうです――」
「ふむ」
ロックハートは、羽根ペンをインク壺に立てて置いた。両手を組んで机の上に置く。
「グレンジャーさん。言うまでもないことですが、私がこれにサインをするということは、あなたがこの書物を読むことに際して発生する責任の一端を私が負うということです。万が一にですが、あなたがたが私を何か騙そうとしているのであれば、私はおもしろくありません。こいつなら騙せると舐められたということがです」
ロックハートの口調は静かだったが、ハーマイオニーの顔は青ざめる。
「――ですが、私がそこまで無能だとあなたがたに思わせるほど私は退屈な授業をしていないと自負している。また、あなたはレイブンクロー出身の闇の魔術師とは異なり、知的好奇心を他のすべてより優先させるタイプではないはずです。規則と倫理を重んじるタイプだと信じています。魔法薬で他人を傷つけるタイプだとも――そうだとしてもこのようなあからさまな手段を取るようにも見えない。であればあなたには切迫した事情がある。それはなんですか? あなたがたは何か脅迫を受けているのですか?」
ロックハートはハーマイオニーの背後に回り込む。
「隠さずに正直に教えてください。あなたの動機は何でしょうか?」
ハーマイオニーの頬にピンクが差す。ハーマイオニーはロックハートを振り返って熱く訴える。
「……私は規則を破ったり、嘘をついたりしたくありません。…………でも、『秘密の部屋』を開いて、マグル生まれの者を脅迫するなんて、もっとずっとずっと悪いことだと思うんです! こんなことは許せません……!」
ロンは片手で目をおさえる。ロックハートもまた目を閉じる。
「――そうですね。マグル生まれの生徒の恐怖は、とてつもなく大きいものでしょう。一刻も早く解決できず不安を拡げているのは、我々教師の責任です」
そして、青色の薄い紙を一枚取り出し、杖を振った。紙は折りたたまれ、飛行機となり、扉からすっと出て行った。
「ですが教師に任せず自分たちで動きたいのであれば、相応のやり方がある。私の部屋に来なさい」
ロックハートは立ち上がり、教室から出た。三人は当惑して顔を見合わせながら、廊下を歩き、ロックハートの部屋に入った。ロックハートは杖で扉に何やら呪文を唱えた。
「さて。今から聞くのはあなたの内心の話です。実際に計画し実行しようとしているかとは関係が無い」
立ったままのハーマイオニー達に向けて、ロックハートは椅子に腰かけ頬杖をつきながら訊いた。
「『イエス』か『ノー』か『分からない』か『答えられない』で答えてください。――あなたは、本心では他の目的の薬を調合したいと思っていますか」
「……イエス」
「それは事件を捜査するためのものですか」
「イエス」
「あなたがた自身の推理能力を向上させるものですか?」
「ノー」
「あなたを幸運にするものですか?」
「ノー」
「容疑者が誰なのかを探すためのものですか」
「イエス――ノー?」
「あなたがたは、容疑者が誰か心当たりがついてるのですか」
「イエス!」
「証拠集めをしようとしていたのですか」
「イエス」
「そもそも私や教員に報告をしていなかった理由について、何か知られるとまずい事情がありますか?」
「……ノー」
「単に『報告する』を選択肢から外してた?」
「……イエス、でも」
「そもそもあなたがたが容疑者を候補と考えた根拠は、何かあるのですか? スリザリンだから、マグル嫌いを公言しているからという以外の理由で」
「……ノー、でも……」
「それをする能力がある人物だと思いますか? 単にマグル嫌いを公言しているのではなく、それをする能力があると」
「……ノー」
「そうであれば、何かスリザリンの直系の子孫だと信ずるに足る証拠がありましたか?」
「……ノー」
「あなたの容疑者はあなたがたが単にふだん接触している人でしたか。つまり、あなたがたは、数多のスリザリン生やホグワーツ生を検討するのではなく、単にあなたがたの知り合いの中で候補を絞りましたか」
「……イエス」
「あなたがたが怪しいと思っている人たちは、教員も既にそう思っているかもしれないことは考えていましたか?」
「……ノー」
ハーマイオニーの声は萎んでいった。
「あなたがたはその容疑者に『真実薬』か、それに類する自白薬を飲ませるつもりですか」
「……ノー」
「ふむ。では毒薬の類でも使って拷問しようとしたのですか?」
「ノー!」
「では惚れ薬の類で懐柔しようとした?」
「ノ、ノー」
「それは標的に飲ませるものではなく、あなたがたが飲むものですか」
「い、イエス」
「あなたがたがスパイをするためのものですか? 具体的にはスリザリン寮の内部の情報を集めるものですか?」
「……イエス」
「スリザリンの内部の情報を集めれば、あなたはすぐに情報を得られると思ったのですか?」
「……イエス」
ハーマイオニーの声はさらに萎んでいった。
「ところでポリジュース薬という薬がきわめて危険なものであることは承知していますか?」
「…………イエス」
「あなたはポリジュース薬で他者の名誉を貶めるつもりがありましたか?」
「ノー」
ロックハートは目を細めた。
「では、余談の質問です。ポリジュース薬が禁止されるのは犯罪にいくらでも悪用できるからですが、それに伴って他者の名誉を貶める薬であることを承知していましたか? たとえば、あなたが私に姿を変えて、私の愉快な写真を撮ってばらまく。あなたはそれだけで私の社会的な名誉を粉砕できることを認識していましたか?」
「…………ノー」
そこでノックの音がした。
「さきほど紙飛行機で呼んだ客でしょう。あなたがたには、姿を隠し音を消してもらいます」
ロックハートが杖を向けると、ハーマイオニーは頭から冷たい水がかかったように感じた。隣のハリーとロンが見えなくなっている。
「こんばんはファーレイさん」
ドアを開けてロックハートがにこやかに挨拶する。ファーレイと呼ばれた女子生徒は目つきが鋭く、「監督生」バッジを胸に留めている。
「……何でしょうか」
「周囲には、メモの通り、『闇の魔術に対する防衛術』の次回の授業準備を再び手伝わされたと言っておいてください。――本題から入りますが、この間、ミセス・ノリスが何者かに攻撃され壁に悪趣味な落書きが残されていたことについて、知っていますね?」
ファーレイは肩をすくめる。
「スリザリンじゃその話で持ち切りですよ」
「ふむ。どんな風に?」
「別に。どいつが先に殺――追い出されるか、賭け――気にされてます」
ロンはそこで悪態をついたが、声は何も出なかった。
「我こそが『継承者』だ、と自称して喝采を受けているかとも思ったのですが」
「いるわけないでしょう。単なる見栄とはわけが違う。本当の『継承者』が近くにいるかわからないのに、自称できるわけもない。スリザリンは疑心暗鬼ですよ。本当の『継承者』がいたとして、不用意に寮中にバラすわけもない」
「でも、監督生のあなたなら、もっと興味深いことを知っているかもしれない」
ファーレイは眉をひそめてロックハートを見る。ロックハートは笑顔で続ける。
「率直に言いますがジェマ・ファーレイさん、犯人探しをしたいのでスリザリン寮の状況を詳しく聞きたいのです。スネイプ寮監には言えないことだとしても」
「…………監督生の私に寮を裏切れと?」
「あなたが良心の呵責を覚えない範囲の情報しか求めませんよ。もとよりあなたはマグル生まれを追放することが正義と考える思想でもないでしょう」
ファーレイは値踏みをするようにロックハートを見た。
「しかし私が何を言おうと、言葉に重みは無いのでは?」
「それはもちろん、あなたが私の信頼を裏切ることの重みをどう秤にかけるかによりますね」
ロックハートが杖を振ると、壁に架かったロックハートの写真が一つ――ポンチョを着ている――前に倒れて外れた。そして何かが飛び出て、ロックハートとファーレイの前の机にどさりと落ちた。青黒い表紙の、題名も何も描かれていない本だった。
「私の力と知のひとかけら。非売品です。あなたのようなとても優秀なスリザリン生には扱うに相応しい。――それに、あなたの頼みごとや願いを一つ叶えるよう努力しましょう。私の力の及ぶ範囲であれば何なりと」
ファーレイの瞳に誇りと飢えと迷いの感情がちらついた。
「…………何をしろと?」
「率直に、あなたは『継承者』と名乗る者が誰かを答えられますか? もしくは、『継承者』が誰かを知っている者の名前を答えられますか?」
「どちらもノーですよ。仮に何を頂こうとも答えは変わらないです」
ファーレイは肩をすくめた。
「私には何も情報は伝わってないから、渡せるものもありません。もとより純血名家のネットワークには縁が無い身ですが」
「なるほど。ではたとえばドラコ・マルフォイさんが寮で自慢をしているわけではないと」
「は? マルフォイ? たかが二年生に――父親から金と権力以外の何かを受け継いでるにしても――できるわけないでしょう。『継承者』が誰か知ってたら良いのになと昨日も談話室でうるさく言ってたのを聞きましたよ」
「仮にお友達のクラッブさんとゴイルさんとか、あるいは女子のパンジー・パーキンソンさんとかダフネ・グリーングラスさんあたりが聞きだしたら、答えは変わりますかね?」
「先生、本気です? 本物の『継承者』がそこまで軽率だと?」
ロックハートは首を振る。
「もちろん、いいえ。ですが、有益な情報でした。ありがとうございます。今日のところは退室してよろしい」
ロックハートは扉を開いた。
「――ところで、その本は要らないですか?
「ええ、ですが――先生と末永く関係を築きたいもので。私にお手伝いできることがあればですが」
ファーレイは声を慎重に抑制していたが、視線は熱を帯びていた。ロックハートはにこやかに言う。
「こちらこそ歓迎ですよ、ファーレイさん。今後も持ちつ持たれつでいきましょう。半純血の私にとっては、家柄と金だけのボンボンではなくあなたのようなとても優秀なスリザリン生にこそどんどん力を持って中から変えてもらいたいですからね」
ファーレイが去ると、ロックハートは杖を振る。三人の姿が再び見えるようになった。
「いま私がさして代償を支払わずに得た情報はこんなところです。ついでに優秀な協力者も。――言っておくと、もしあなたがたがうっかり彼女の名前を出すことがあれば、彼女の寮内の信頼、彼女と私の信頼、私とあなたがたの信頼が破壊されます。私はそれをおもしろく思いません」
ロックハートは椅子に腰かけ、ハーマイオニーに顔を向けた。
「さて、グレンジャーさん。たしかに私は授業で批判的な思考方法や策謀のやり方というものを教えていませんでした」
ロックハートからの目線に失望の色を感じ取り、ハーマイオニーは血が凍り付くように感じた。
「しかし次はもっと真剣に考え計画してください。テストの採点と違い、往々にして策謀には成功と失敗の二値で、失敗は失点ではなく破滅を意味します。忘れ去って無かったことにはできない。復習はできない」
ロックハートは声を大きく張り上げた。
「課題と目的が何かを明確に言語化しなさい。その目的を達成するための考えられる手段をすべて洗い出しなさい。各々の成功の可能性、得られるものの大きさ、リスクの大きさをすべて慎重に計算しなさい。リスクに対する策と失敗したときの対処を幾重にも張りなさい。賭けるべき箇所を最小限に減らし、賭けるべき箇所で大胆に行動しなさい。切り札の切りどころを見極めなさい」
ハーマイオニーは口を開けた。先生は規則の破りかたを教えている?
ロックハートはあくまで講義のような調子で続ける。
「『闇の魔術師』は三種類います。力に秀でる者、知に秀でる者、力と知を兼ねる者。私のような教師すら御せないようであれば『闇の魔術師』の底抜けの悪意と狡知に抗えるわけがありません。あなたはさらに知を磨ける。学年最優秀の頭脳と記憶力を持つあなたの視野は本来今よりずっと広いはず。レポートの提出は不要ですが、考えなさい」
「…………」
「さて、無関係の雑談はこれくらいにしておきましょう。それでは許可証のサインですが」
そしてロックハートは言葉を区切ると、何事もなかったかのように、羽根ペンを持ち、ハーマイオニーの許可証にサインをした。
「『”最も強力な魔法薬”の閲覧を許可する、ガートルード・ロックハート』――はい、どうぞ」
「え?」
ハーマイオニーは当惑した。この流れでサインをもらえる雰囲気ではないと思っていたのだ。ロックハートはわざとらしく首をかしげる。
「私は、あなたが、私の著書の魔法薬を理解するために本を借りたいと思った、という言葉を聞いてサインをしただけです。あなたがたの目的は何も聞いていませんし知りません。ですからその結果どうなろうと、私は知りません。もとよりグリフィンドールのあなたがたは、失敗したときに限って私に尻拭いをさせるつもりでもないでしょうが」
ロックハートはハーマイオニーとハリーを狩るような目で射抜く。
「学年最優秀の魔女と『生き残った男の子』なら、『成功』させるかもしれない。『成功』すれば、あなたがたにとって貴重な思い出になるでしょう。私は楽しみです」
「…………」
ハーマイオニーは、紙を受け取ったが、それは呪いの紙のように感じられた。