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ヘンダーソンが足を止めたのは大通りの喧騒から少し離れた、比較的静かな路地であった。
目の前には石造りの建物があり、軒先には「シャローム」と記された木製の看板が掲げられている。異世界の文字だが、なぜか歳三には読めた。これもあの「ご褒美」の一部なのだがまあ歳三には与り知らない話だ。
が、その扉は固く閉ざされている。 ご丁寧に「準備中」という木札までぶら下がっており、営業している気配は微塵もない。
「あー……休みみたいですぜ」
歳三は言うがしかし、ヘンダーソンはそんなことなどお構いなしといった様子で扉の前へと進み出た。
そして、人差し指を立てると、扉の表面に何やら奇妙な紋様を描き始める。
指先が滑るたびに、微かな光の粒子が尾を引き、複雑な幾何学模様が宙に浮かび上がる。一種の魔術的な解錠術でその辺はサブカルを嗜む歳三にも何となくやっている事は理解できた。
──お、〇バカムか?
などと考えていると、ガチャリと重々しい錠の開く音がする。
「サイゾウ、こっちだ。入りな、なに、遠慮するこたねえぜ」
ヘンダーソンは躊躇なく扉を開け放ち、中へと入っていき、歳三も後に続いた。
◆
店内に足を踏み入れた歳三は、思わず目を瞬かせた。
そこは静謐な空気に満たされた、こぢんまりとした喫茶室といった風情である。やけに観葉植物の類が多い。窓という窓には分厚い覆いがかけられているというのに、室内は妙に明るい。かなり意識が高そうな店内の様子にまたぞろしょうもない居心地の悪さを感じる歳三。
みあげれば天井付近には、まるで意思を持っているかのように、いくつもの淡い光の玉が浮遊している。それらが柔らかな光を放ち、店内を均一に照らしていた。地球の常識ではあり得ない光景──ではなく、まあPSI能力やトンチキ科学技術によってちょいちょい見かける光景ではある。
「ここはまあ、ちょっと特別な店でね。しかしさすがだな、狼狽えた様子もないようだ」
タフだねえ、とヘンダーソンが意味ありげににやりと笑い、カウンターの奥に向かって、声を張り上げた。
「おーい、フリーダ! 来てるぜ!」
「……聴こえていますわ。そんなに喚かなくてもよろしくてよ」
店の奥から現れたのは、一人の女性であった。
その姿を認めた瞬間、歳三はぎょっとする。
あまりにも
長く尖った耳。透き通るように白い肌。そして、深い森を思わせる緑色の髪。
──え、エルフってやつじゃねえか!
エルフという種族の基本的な特徴くらいは知っている。ファンタジー作品の定番だ。美形で、長命で、森に住んでいて、弓とか魔法が得意なのだ。まあ、作品によってはダークエルフだのハーフエルフだのと色々種類があるわけで、このフリーダなる女が純粋なエルフかどうかの確証はないのだが。
歳三の心臓は別の意味で早鐘を打ち始めていた。
美しい女性。それは歳三にとって、ダンジョンの最奥部に巣食うヌシ級のモンスターよりも恐ろしい、接触してはならぬ存在なのだ。目を合わせれば何か言われる。何か言われれば答えねばならない。答えれば、笑われる。そういう順序で物事が進むのだと、この男の身体は覚え込んでしまっている。過去のトラウマが、彼の古傷を容赦なく抉った。
「珍しいですわね、ヘンダーソン。お客様連れだなんて」
フリーダと呼ばれたエルフの女性は、感情の読めない冷たい瞳で歳三を射抜いた。
睨みつけるというよりは、酷く警戒しているようだった。まるで、清潔な空間に紛れ込んだ異物でも見るかのような目である。
「こいつはサイゾウ。フジノジュカイって国からやってきた戦士だそうだ。ちょいと俺の用心棒になってもらうことになってな。大した男なんだぜ、俺の勘がそういってるんだ」
ヘンダーソンの紹介に、フリーダの眉が微かに動く。
彼女は値踏みするように、頭のてっぺんから爪先まで、歳三の全身をゆっくりと凝視した。
そして、冷たく言い放つ。
「戦士……ですか……。ただの中年男にしか見えませんが?
その言葉に、今度はヘンダーソンがぎょっとする番だった。
「え、そうなのか?」
彼は慌てた風に歳三を見る。
フリーダの指摘は、この世界の常識に照らせば至極当然のものである。
この世界において、人ならざる力を発揮する者は、大体が魔力をその身に宿している。戦士であれ、魔術師であれ、それは同じだ。魔力を持たない者は、すなわち「一般人」であり、戦力としては数えられない。
歳三はといえば、「魔力」という単語に聞き覚えはあったものの、それが何を意味するのか正確には理解していなかった。だが、自分にそんな便利なものがないことだけは確かだ。
彼はただ、力なく頷いた。
ヘンダーソンの顔から、さっと血の気が引いた。
彼は己の眼力に絶対の自信を持っていた。歳三の内に秘められた強さを見抜いたと確信していた。だが、その自信が今、音を立てて崩れ去ろうとしている。
「そ、そうなると……ええと、サイゾウ。本当に戦士なんだよな?」
確認するようなヘンダーソンの声は、明らかに狼狽していた。
歳三は再び頷く。戦士かどうかはともかく、戦うことだけが彼の取り柄なのだから。
「そうか、あ~……うん、そうか……」
ヘンダーソンは額の汗を拭い、さらに問いを重ねる。
「ええと、戦えるんだろ? そ、そうだ、武器は? 何を使うんだ?暗器とか……そんな感じか?」
歳三には、なにがなんだかといった所である。
しかし、話が余り良くない方向へと進んでいる事だけはなんとなく分かった。
疑われている。期待外れだと思われている。
その感覚が歳三の自尊心をちくりと刺す。せっかく掴みかけた誰かに必要とされるという感覚が、指の間から零れ落ちていくような焦燥感。ついさっき、確かに掴んだはずのものであった。それが、こうもあっさりと手の内から逃げてゆく。
「す、素手?まあ珍しくはない、が。魔力もないのに素手って、お前……!」
ヘンダーソンの問いは、もはや悲鳴に近かった。
追い詰められた歳三。
彼の貧弱なコミュニケーション能力は、とうに限界を迎えている。
言葉で説明できないのなら、どうするか。
答えは一つ。実演である。
歳三はその場で左足を前に、右足をやや引いた。すなわち、正拳突きの姿勢である。そして右拳をぎりりと握りしめ、腰だめに腕を引く。
頭がパンクしそうになった歳三は、とにかく自分の「強さ」を証明しようと考えたのだ。実に短絡的で、そして危険な発想である。
何せパニックに陥った歳三は今、この狭い喫茶室の中で全身全霊の突きを放とうとしていたのである。今の歳三がそれなりに
かくして、フリーダとヘンダーソンは──視た。
何かが──空気というか空間というか、いや、世界そのものがぐわりと歪むのを。
歪みが歳三の拳に収束していく。
まるで目に見えぬ巨大な力が、この世の理全てが、その不細工な拳に握りしめられているかのようだ。
凄まじいまでの圧。物理法則を超越した理不尽なまでの破壊の予兆。
もしこの一撃が放たれればどうなるか。
店が吹き飛ぶだけでは済まない。この一帯が、文字通り地図から消え失せるかもしれない。
──といった所で、ヘンダーソンが絶叫した。
「わ、分かった!! やめろ! 打つな! アンタの実力は分かった!」
彼は椅子から転げ落ちそうになりながら、両手を必死に振って制止する。
歳三はピタリと動きを止め、おずおずと構えを解いた。
見れば、フリーダもヘンダーソンも、全身がびっしょりと濡れるほどの汗をかいていた。その顔は蒼白で、呼吸は荒い。
フリーダは、魔力とは異なる、しかしそれ以上に純粋で、圧倒的な「力」の奔流を目の当たりにしたのだ。それは彼女の常識を粉々に打ち砕くには十分すぎる光景であった。
静寂が戻った店内で、歳三だけが、きょとんとした顔で立ち尽くしている。
──なんだ、これで良かったのか。
そんな間抜けなことを考えているとは、誰も思うまい。自分がもう少しで大惨事を引き起こすところだったとは、露ほども気づいていないのであった。
◆
ヘンダーソンはよろよろと立ち上がると、乾いた笑い声を上げた。
「は、はは……いやあ、肝が冷えたぜ。驚いたなんてもんじゃねえ!」
声は震えていたが、安堵も滲んでいる。己の眼力が正しかったことを証明され、彼は内心で快哉を叫んでいたのだ。博打に勝った気分である。あと少しで店ごと吹き飛ばされていたかもしれないのだが、そういう部分は都合よく忘れることにしたらしい。
「ま、まあ、なんだ。細かい話は後だ! 腹が減っては戦はできぬって言うだろ? なあ、フリーダ、何か食いもんを頼むぜ。とびきり美味いやつをな!」
ヘンダーソンは努めて快活に振る舞い、場の空気を和ませようとする。フリーダは無言で一つ頷くと、すっと店の奥へと姿を消した。その足取りは常の優雅さを欠き、どこか覚束ない。
ヘンダーソンは空いている椅子を引くと、歳三に座るよう促す。
「まあ座れよ、サイゾウ。色々聞きたいことがある」
歳三はおずおずと、まるで罪人でもあるかのように縮こまりながら椅子に腰を下ろした。実力を証明できたことへの安堵よりも、四十七にもなってイキってみせた事への恥を覚えているのだ。
ヘンダーソンはそんな歳三の向かいに陣取ると、身を乗り出すようにして問いかけた。
「なあ、サイゾウ。あんた、一体何者なんだ?」
直截な質問である。
歳三はぎくりとした。何者かと問われても、歳三には何も言えない。なぜなら無職だからだ。この世界に転移する前は探索者という職についていたが、今はそうではない。歳三に限らず一部の己に自信を持てない者にとって、無職かそうでないかは自身のアイデンティティにも関わる重大な要素になったりする。肩書きというものは、それを失ってみて初めて、自分がどれほどそれに寄りかかっていたかを教えてくれるのである。
「お、俺は……その、ええと……」
「フジノジュカイの戦士、だったよな? その森じゃあ、あんたみたいなのがゴロゴロいるのかい?」
「いや……う、うん……そうかもな……俺より強い奴は沢山いるとおもうぜ……」
歳三の返答は精彩を欠いていたが、彼なりに誠実に答えようとはしていた。何せ歳三は中年になってからの大部分の時間を乙級探索者として過ごしたわけだが、自身の上に甲級探索者という階梯が存在している事は知っている。つまり、自分より優秀な者たちはゴロゴロといる、という認識なのだ。
「またまた……そんな事を言ってよ、まあいい。あんたの謙虚な態度は嫌いじゃないぜ。もう少し押しが強くてもいいと思うがね」
◆
ややあって、店の奥からフリーダが戻ってきた。その手には木製のトレイが乗せられている。
トレイがテーブルに置かれると、ふわりと爽やかな香りが漂った。土の匂いと、草の匂い。そしてほんのりと甘い香り。
だが、皿の上に並べられた料理を見て、歳三は内心で狼狽した。
見事なまでの野菜尽くしであったからだ。
色鮮やかなサラダ。根菜をじっくりと煮込んだポトフのようなもの。そして、見たこともない緑色の野菜を炒めたもの。肉や魚の類は一切見当たらない。
──全部、野菜じゃねえか。
佐古歳三、四十七歳。これでいて、実は野菜全般があまり得意ではない。
特に嫌悪しているのは缶詰に入ったホワイトアスパラガスだ。あの独特のふやけた食感と、妙な酸味を含んだ匂い。あれを口にするくらいなら、ダンジョンで毒液を吐きかけてくるモンスターの体液を浴びたほうがマシだと思っている。
歳三の好きなものはハンバーグとかオムライスとかカレーライスだ。後は肉、歌舞伎揚げ、酒。味は濃ければ濃いほど良い。四十七歳の男の好物としては、些か以上に幼いのだが、本人はそれを恥じたことがない。恥じる暇があったら食う。それがこの男の食に対する唯一の哲学であった。
だが、ここで「野菜はちょっと……」などと言えるはずもない。せっかく作ってもらった料理に難癖をつけるなど、恩知らずにも程がある。
歳三は意を決し、平静を装ってスプーンを手に取った。
まずはポトフらしきものから口に運ぶ。どうせ大味で、青臭いのだろう。そんな諦念と共にスープを啜った、その瞬間。
「……!」
歳三は思わず目を見開いた。
──美味い。
それは、単に美味いという言葉では表現しきれない、複雑で、それでいて優しい味わいであった。
野菜の持つ本来の甘みと旨味が、絶妙な塩加減で引き出されている。口の中でほろりと崩れる根菜は、まるで高級な肉のようにも感じられた。滋味が身体の隅々にまで染み渡っていく。
驚きつつも、今度はサラダに手を伸ばす。シャキシャキとした歯ごたえと共に、瑞々しい水分が口中に広がる。ドレッシングのようなものもかかっているが、それが野菜の味を邪魔していない。むしろ引き立てている。
青臭さなど微塵もない。それどころか、食べるたびに身体の内側から力が湧いてくるような、そんな感覚すら覚えた。
歳三が夢中になって野菜を貪る様子を、ヘンダーソンは満足げに眺めている。
「美味いだろ、サイゾウ」
彼は得意げに胸を張った。
「エルフェが育てた野菜ってのは、大体美味いんだぜ。奴らは自然の力を引き出すのが得意だからな。そこらの畑で採れるもんとは訳が違うのさ」
なるほど、と歳三は納得する。ファンタジー作品において、エルフ(エルフェ)が農業や自然と親和性が高いというのは定番の設定だ。この世界の野菜が美味いのではなく、エルフが育てたから美味いのである。
食事は滞りなく進んでいく。
やがて皿が空になる頃、ヘンダーソンは改めて歳三に向き直った。その目は、先程までの人懐っこいそれとは違い、真剣な光を宿している。
「それにしてもよう、サイゾウ」
「……」
「あんた、もしかして上級の冒険者だったりするのか?」
冒険者。
この世界における、探索者に近い職業。ヘンダーソンから以前聞いた話では、彼らはギルドに所属し、依頼をこなして生計を立てているという。
「上級上位の冒険者を昔、遠目で見たことがあるが……正直、あんたほどヤバいとは思わなかったな」
ヘンダーソンの言葉は、純粋な称賛であった。
この世界における「上級冒険者」とは、まあ勇者一歩手前の連中の事を差す。やたら偉くてやたら強いのだ。冒険者という存在自体はこの世界では無宿浪人みたいなもので、まあ犯罪者よりはマシという程度の人権しかないものの、上級冒険者となると話が変わってくる。下手をするとそんじょそこらの貴族よりよほど国家に対する影響力があったりするのだ。
歳三が先程見せた力の一端は、ヘンダーソンの常識を遥かに凌駕していた。だからこそ、彼は歳三をその領域の住人だと判断したのだ。
だが当の歳三にとっては、またもや頭の痛い問題である。
上級か、そうでないか。
どう答えたものか。
歳三は自身の強さについて、客観的な評価を下すことができない。糞雑魚とはさすがに思っていない──歳三にも自負らしきものはあるのだ。だが、それがこの世界においてどの程度のものなのか、基準が皆目見当がつかないのだ。
歳三がいた世界では、探索者はその実績に応じて甲・乙・丙・丁・戊の五段階に分けられていた。
歳三の等級は「乙級」。上から二番目である。
乙級の目安としては、戦術を選べば近代戦車と喧嘩して勝てる程度、といったところだろうか。ちなみに真ん中は丙級だが、これは銃火器で武装した一般人複数名を一方的に皆殺しに出来る程度の戦闘能力といっていい。無論これはかなり大雑把な分類に過ぎず、例えば甲級のとある探索者などは、ステゴロでは一般ポメラニアンにも勝てないクソ雑魚なのだが、その強大なPSI能力によって小惑星を誘引・衝突させることができたりする。
まあ歳三の実力は乙級の範疇を遥かに超えている。原子力空母と喧嘩しても勝てるだろう。だから戦闘能力“だけ”を言うならば甲級相当。
しかし歳三の精神的な不安定さや、社会性の欠如を理由に、乙級に留め置かれてはいたが。
ともあれ、どう答えるか。
歳三の思考は再び空転を始める。そして、導き出された答えは、嘘偽りのない誠実なものであった。
「上級とかは知らないけどよ……俺は、ええと……乙級だ」
それはただ事実を述べたに過ぎない。
だが、異世界でその単語が通じるはずもない。歳三のコミュニケーション能力の欠如が、またもや露呈した瞬間であった。
「お、おつきゅう……?」
ヘンダーソンは心底不思議そうに首を傾げる。聞いたこともない単語だ。
彼は少し考え込み、そしてポンと手を打った。
「ああ、なるほど! 部族の、その、位階のようなものか!」
どうやらヘンダーソンは、「乙級」という言葉を、フジノジュカイという森に住む戦闘部族における階級の一つだと解釈したらしい。
ヘンダーソンは満足げに笑みを深める。
「そうか、オツキュウか! よく分からんが、とにかく強えってことだな!」
彼はそう言うと、テーブルの上に革袋を置いた。じゃらり、と重たい金属音がする。
「さて、サイゾウ。改めて、俺の護衛を引き受けてくれるか? 報酬は前金で金貨五十枚。成功したら、さらに金貨五十枚だ」
金貨五十枚。それがこの世界においてどれほどの価値を持つのか、歳三には見当もつかない。だがヘンダーソンの表情から察するに、決して安い金額ではないのだろう。
歳三は無言で頷く。
「よし、正式に交渉成立だ! これであんたは今日から俺の相棒だぜ!」
ヘンダーソンは快活に笑い、手を差し出す。
歳三はおずおずと、その手を握り返した。