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「ああそうだ、サイゾウ、出発は一応五日後を考えているんだが……」
ヘンダーソンは満足げに頷くと、ふと思い出したように言葉を続けた。
「一応確認しておくが、冒険者登録はしていないんだったな?」
歳三がこくりと頷くと、だったらまず登録をしておくといい、とヘンダーソンは言った。
冒険者ギルドに登録する利得は多い。まずは身分証がわりとなる。まあ信用はランクによりけりではあるが、ないよりは遥かにましである。さらに、ギルドを通じて様々な依頼を受けることができ、安定した収入源を確保しやすい。加えて、ギルドが運営する施設、例えば宿泊所や訓練場などを格安で利用できるという恩恵もある。
無論、損な面がないわけではない。ギルドに登録するということは、自身の能力や素性がある程度管理されることを意味する。歳三のように人と話すこと自体に難のある者にとっては、それだけで十分な苦痛であろう。また、時には危険で割に合わない依頼を強制的に割り振られる可能性もゼロではないのだ。
だが、今の歳三に選ぶ自由などない。何よりこの世界で生きていくための「身分証」は、何としても手に入れねばならなかった。
「……う、頼ンます……」
──苦手なんだよな、役所は。
歳三のような男にとって、役所とはすなわち断罪の場に他ならない。そこでは納税額や職歴といった、社会人としての「成績」が極めて無機質に査定されるのだ。前科持ちで、まともな社会人経験も乏しい歳三からすれば、それは公開処刑にも等しい苦行であった。窓口の職員が何を言うわけでもない。ただ書類に目を落とし、判を押し、次の番号を呼ぶだけだ。それだけのことが、この男には堪らない。自分が社会の基準から著しく逸脱したしょうもない存在であることを、その事務的な視線が雄弁に物語っているように感じてしまうのである。実際には職員のほうは歳三のことなど何はっきりいってどうでもいいのだが、まあこの辺のセンシティブな問題は本人がどう考えるかが肝なので──。
「よしきた! 善は急げだ。早速行こうぜ!」
ヘンダーソンの快活な声に引かれるように、二人は再び活気あふれる大通りへと歩き出したのであった。
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冒険者ギルドのベルグリット支部は、街の中央広場に面した一等地に建っていた。石と木材をふんだんに使った重厚な三階建ての建物である。その入り口には、剣と盾を交差させた意匠の巨大な紋章が掲げられている。
中へ足を踏み入れると、そこは酒場と見紛うばかりの喧騒に満ちていた。屈強な戦士たちが酒を酌み交わし、フードを目深にかぶった妖しげな魔術師が依頼掲示板を眺めている。猫のような耳を持つ獣人の少女がカウンターで依頼の報告をしている姿もあった。
およそ公的機関とは思えぬその光景に、歳三は完全に気圧されてしまう。
──ま、まるでアニメみたいだなぁ。
これでいてサブカルには多少通じる歳三だが、やはり生のファンタジィな光景は一味違う。暫時呆然とする歳三の腕をヘンダーソンがぐいと引いた。
「こっちだぜ、サイゾウ!」
人の波をかき分けるようにして進んだ先は、ずらりと並んだ受付カウンター。その一つに、ヘンダーソンは迷いなく歳三を導いた。
「新規の登録を頼むよ、お嬢さん」
受付の向こう側に座っていたのは亜麻色の髪を三つ編みにした、そばかすが快活な印象を与える若い女性であった。彼女は手慣れた様子で一枚の羊皮紙とペンを取り出す。ぱっと見は人間に見える。
「はい、冒険者登録ですね。こちらの用紙にご記入ください。登録料として銅貨十枚を頂きます」
ヘンダーソンが懐から銅貨を支払い、歳三はペンを受け取った。その手は緊張で僅かに震えている。また借りが増えた、という思いが、ペン先よりも先に紙へ落ちそうであった。
「ギルドのランクについてご説明しますね。冒険者のランクは、大きく分けて『上級』『中級』『下級』の三つに分かれています。そして、そのそれぞれがさらに『上位』『中位』『下位』の三段階に細分化されているんですよ。新規登録の方は、例外なく下級の下位からのスタートとなります」
受付嬢は事務的な口調で淀みなく説明を続けるが、歳三にしては珍しく何となくだが言わんとすることは理解できた。
──ははぁん、これは要するにあっち系の……
あっち系とは、よくある異世界転生系のコンテンツの事だ。何の取り柄もない凡人が転生してチートで無双でなんだかんだしてというのが定番だが、最近は色々ひねった設定の作品も多くみられる。歳三も人並みにweb小説を嗜む一面があり、好みのジャンルは意外な事にSFであった。
ともあれ歳三は登録用紙に目を落とす。記入すべき項目は三つ。名前、年齢、そして出身地。実に簡素なものだ。馬鹿でも書けるこのシンプルさには当然理由がある。冒険者になろうという者の中には、純粋な冒険への憧れを抱く者もいるにはいるが、その大半は社会のレールから外れた者たちである。食い詰めた流れ者や、故郷を追われた元犯罪者。そういった者たちの受け皿としてギルドは機能している側面があるのだ。出自や経歴を根掘り葉掘り問うていては、誰も寄り付かなくなってしまうだろう。考えてみれば、歳三ほどこの受け皿にふさわしい男もそうはいまい。
歳三はペンを握りしめ、まずは名前の欄に「サコ サイゾウ」とカタカナで記入した。この世界の文字ではないが、不思議と通用するらしい。これも〝ご褒美〟の効力の一つなのだろう。
次に年齢。「四十七」と記入する。
そして、最後の項目で歳三のペンはぴたりと止まった。
──出身地。
その三文字が、まるで巨大な壁のように彼の前に立ちはだかる。
歳三は、自分がどこで生まれたのかをすっかり忘れている。天涯孤独のむなしい寂しいやるせない養護施設生まれだ。灰色の少年時代! 歳三は他の子供たちの輪に入ることができず、いつも一人でいた。例えば、皆でやるボール投げ。歳三が投げたボールは、いつだって明後日の方向に飛んでいく。一度や二度ではない、毎回だ。最初は笑っていた子供たちも、やがて呆れたようにため息をつき、次の遊びからは誰も歳三を呼ばなくなった。
──ああ、そうだ、俺はどこで生まれたんだ……? なんで俺には父ちゃんや母ちゃんがいねえんだ……。分かってる、それは俺が駄目だったからだ。頭が悪くて、他の人達とは違っていて……。俺は、誰からも……
いや、と歳三は思う。
望月や比呂、権太、さらに鉄騎や鉄衛らがいるではないか。他にも探索者を続けるにあたって、知り合い、縁を紡いできた者たちがいるではないか。彼らは歳三がボールを明後日の方向へ投げても、次の遊びに呼んでくれたではないか。己を必要以上に卑下することは、己を想う人々を虚仮にすることである──そんな想いで、歳三はメンタルブレイクを瞬時に建て直した。この辺は歳三の成長の証であろう。……とまあ、たかが「出身地」という文言に、ここまで心を乱されるのは古今東西探しても歳三くらいなものだろうが。
「おーい、サイゾウ? 手が止まってるぜ?」
ヘンダーソンの声が、歳三を陰鬱な回想から引き戻した。見れば、受付嬢もヘンダーソンも不思議そうな顔でこちらを見ている。
「あ、ああ……」
「どうしたんだい? ああ、出身地のところか」
ヘンダーソンは歳三の手元を覗き込み、あっさりとそう言った。
「そんなの、フジノジュカイでいいんだよ。あんたは森の民なんだろ? だったらそれが国みたいなもんだ。ざっくりでいいんだ、ざっくりで!」
歳三は頷き、ぷるぷるプリンのように震える手でペン先にインクをつけ、そして出身地の欄に、ゆっくりとこう記した。
『フジノジュカイ』
かくして佐古歳三は異世界の冒険者として、その第一歩を正式に踏み出したのであった。