聞き覚えのない声に反応する間もなく、アラクネの攻撃が飛んでくる。
雨霰と降り注ぐ糸は足を止めることを許してくれない。
奴の瞳が赤く輝く。
「余所見はするなってか」
悪態を吐いて駆けずり回り、その度にこちらが動ける範囲が狭まる。
対して、奴に優位なフィールドは刻一刻と構築されていく。
掠る程度だが徐々に被弾も増えてきて、確実に削られてきている。
このままじゃそう遠くない未来に嵌め殺される。
声のことは気にかかるが、構っている余裕はない。
仮にそれが味方のものであったとしても。
まずは目の前のアラクネを攻略するのが先だ。
異常個体のアラクネは強い。
それはあのゲームをプレイしたことのある奴なら全員が当たり前に知っている。
それはつまり、その対処法も明らかにされているということだ。
冷静に考えれば当たり前の話だが、迷宮内での初めての戦闘に頭が茹っていた。
この世界はゲームではなくても、限りなく近い性質を持っている。
アラクネだってそうだ。
なら、あの攻略法が通じる可能性も十分あり得る。
それを実現する手段は実のところ持っている。
「魔法がなくても、火力なら補える」
腰に据え付けたポーチから取り出したのは、行商人の戦車から幾つか拝借した魔導爆弾。
恩人の物を黙って持ち出すなんて許されることじゃないが、然るべき対価は置いてきた。
俺が持っていた全財産だ。抜け目のない彼女ならきっと気づいてくれるだろう。
不義理の詫びは師匠と一緒に迷宮を出た後でいくらでもさせてもらう。
だから、こんなところで時間を食うわけにはいかないんだよ。
アラクネの攻略法は、極論を言えば奴が巣を完成させる前に本体を叩くタイムアタック。
ステータスによるごり押しにしろ大火力の魔法にしろ、殺し切れるなら手段はなんだっていい。
そして、魔導爆弾の威力は凄まじい。
それはゲームの知識なんかじゃなく、行商人が実際に見せたときに骨身に染みた現実だ。
奴は異常個体ゆえに特殊な糸を備えてはいるが、耐久性は通常個体より僅かに劣る筈。
世界樹の足元一帯を焼き払う火力に、ご自慢の糸が耐え切れるか?
「喰らえ!」
啖呵を切って投擲する。
当然のように避けられて迎撃されるが、それでいい。
動き回る奴に直接ぶつける必要もない。
なぜなら、魔導爆弾は全アイテムのうち唯一の全体攻撃を可能にするアイテムなのだから。
身を伏せて素早く印を結べば、轟音が洞窟に響いた。
『────!』
絶叫と共に完成間近の巣からアラクネが落ちる。
優位に運んでいたはずの戦いが、奴の油断を誘ってくれた。
下手に叩き落とそうとせずに防御を固めれば耐えられたろうに。
八本の蜘蛛の足は千切れ飛んで、美しかった上半身も爆炎に焼かれて煙を上げている。
悲鳴をあげて苦しむ姿に目を背けたくなる。
例え分かり合えない魔物であっても、痛みにのたうち回る様は見ていて気分のいいものじゃない。
「・・・・・・きっつい」
かく言う俺も無傷じゃなかった。
魔導爆弾は強力な反面、洞窟という閉鎖空間で使うべき手じゃなかった。
それでも、一瞬だけ防御力にステータスを極振りして身を固めた自分と迎撃のために身を晒したアラクネではどちらが致命傷か論じるまでもない。
「止めだ」
なんとか身を起こして虫の息のアラクネに剣を向ける。
潰れた瞳から涙を流すアラクネは放っておいても死ぬだろうが、自分の手で幕を下ろしてやらなければならない気がした。
『──ぃ、死にたくない』
悲痛な願いを、聞き入れてやるわけにはいかない。
俺だって冒険者の端くれだ。
命を奪ったことはある。
振り下ろした刃はアラクネの命を刈り取って、自分の心臓の鼓動が嫌に大きく感じた。
アラクネが粒子となって消えていくのを見つめて、大きく息を吐いた次の瞬間──
──いけない、避けるんだ!
再び声が響いて、背後から迫る影に吹き飛ばされた。
▶︎
行商人君が少年に持たせたというアイテムを依代に遠見の魔法で干渉したはいいけれど、面識のないぼくの声は彼をいたずらに警戒させてしまったようだ。
全く、冒険者って人種は誰も彼も警戒心が強すぎないかい?
状況が状況だから理解できないとは言わないけれど、少なくない魔力を投じている身としてはヤキモキしたものを感じてしまうね。
「うーん、しかし彼は思ったよりやるじゃないか」
あのアラクネはおそらく英雄かそれに類する魂を元に存在を歪められた強力な個体だ。
聞いていた彼の実力なら挑むことがまず間違いだと言えると思う。
それを洞窟ごと爆破するなんて無茶な真似をしてまで倒してしまうなんて、よっぽどのお馬鹿さんなのかそれだけあの子への思いが深いのか。
どちらにせよ、放ってはおけないタイプだよね。
ただ、止めをさす時の躊躇はいけない。
その臆病さは個人的には好ましくはあるけれど、迷宮においてそれは明確な弱みになってしまう。
でも、奇襲を仕掛けた敵からわざと吹き飛ばされることで距離をとった機転はとてもいい。
思わず声を上げたけれど、少年の対応は奇襲を察知していなければできない芸当だ。
接触の瞬間に剣を挟んで攻撃を捌くやり方は、あの子が好んで使う技のひとつ。
全く、隅におけないなあ。
「助けはいらないだろうけど、そうも言ってられないかな」
▶︎
受け身を取って、襲撃者の姿を捉える。
そうでないかとは思っていたけれど、はっきりと認めると本当に似ている。
「・・・・・・ちくしょう」
固い動きでこちらを向く人形は、確実に師匠を真似たものだ。
心当たりはある。
迷宮のラスボス、主と呼ばれるモンスターは人体を寄せ集めた樹木の姿をしているが、実はこいつは倒しちゃいけない。
正確には、正しい手順を踏まずには倒せない。
何も知らずに倒してしまうと、プレーヤーに寄生して第二形態へ変化するのだ。
その時点でゲームオーバー。
第二形態となってしまったデータは新しくゲームを開始しても引き継がれ、プレーヤーは前回自分が育てたキャラクターと戦う羽目になる。
その際、迷宮に登場する雑魚の色味も変わっていた。
プレイしてた時はドット絵だったから単純に色違いだと思っていたけれど、あれがもしキャラクターを模した姿なのだとしたら。
「師匠が、ボスに取り込まれた」
いや、これは憶測だ。
根拠なんて俺の頭の中にしかない。
あの鍛錬の日々で垣間見た彼女の力は、俺のチートなんてちっぽけなものに見えるほど強大なものだった。
下手な魔物なんか相手にならないし、聞いた話だと俺と出会う直前に邪神の欠片を倒したと軽く口にするほどだ。
彼女より強い存在はこの世界にいない。
実際のところどうかなんて知らないが、少なくとも俺はそう信じている。
・・・・・・だからなのか?
強すぎるから主を簡単に倒してしまった?
あれは、ステータスやレベルなんて関係ないゲーム上の仕様だ。
仮に現実の迷宮の主が、その特性をもっていたとしたら?
天地が揺らぐようだ。
嫌な想像が止まらない。
喉が渇く。息が苦しくなる。
やめろ、やめろ。やめてくれ!!
「落ち着いておくれ」
狼狽する俺に歩み寄る人形が時が止まったように静止して、黄金の瞳を持つ黒髪の少女が俺の顔を覗き込んだ。