世界樹への道程は意外に何も起こらない。
迷宮への冒険。
言葉から連想されるイメージは、野盗を退治したり立ち寄った村で魔物を討伐したり。そんなイベントが当たり前に起こるもの。
しかし現実はそうじゃなかった。正直なところ肩透かしをされてしまったような感じではある。
そもそも秘境というからには辿り着くのも困難な場所にあるものと思っていたのだが、まさかここまであっさり進むだなんて。
不満がある訳じゃない。
むしろ、わざわざこんな事を考えていなければならないほどに、想い人との旅は俺にとって刺激的過ぎた。
「ええ、ええ。あっしは構いませんよ。腕の立つ方が護衛してくれるんなら、こっちとしては願ったりだ」
都合のいいタイミングで街を出る行商人に、護衛という名目で馬車の荷台に間借りして、ぎっちり詰め込まれた積み荷の隙間に身を寄せ合う。
衣服が触れる程の距離感に、暴れる情動を何とか宥めて七日間。
道中の町や村での商いの時間以外は常に鼓動が聞こえる位置に師匠が居る。
それはあまりにも幸福で、同時に過酷と言える旅路だった。
そろそろ理性の箍が外れやしないかと気を揉む俺に、こっちの気も知らずに涼しい顔をした師匠が幌から身を乗り出して指差す。
「見える? あの道端に置かれた変な石。あんまり目立たないけれど、ここから先はエルフの領域ですよっていう目印なんだ。あれがあるって事は世界樹はもうすぐそこだよ」
ただでさえ積み荷で圧迫された荷台で俺より奥側に腰を下ろした師匠が外を指すと言う事は、つまり余計に密着する事になる訳で。
「ああ、ああ。勘弁してやって下さいな。そんなに引っ付いたら坊ちゃんが茹っちまいます」
手綱を握る行商人が肩越しに揶揄う声に反論する余裕もない。
その意図が分からないと言わんばかりの、不思議そうに小首を傾げる師匠のあざとさよ。
何でもいいから早く到着してくれという気持ちと、このまま時が止まって欲しいという気持ちが心の中で取っ組み合うのを俺は止める事が出来なかった。
▶︎
「ええ、ええ。約束通りあっしはここまで。いやあ、助かりました。護衛だけじゃなく商いまで手伝ってもらっちまって」
お礼にこれを差し上げますんで。
そう言って少年に何かを渡して、行商人の女の子は去っていった。
彼女の目的は世界樹の景観を売りにした観光地。
都から仕入れた商品をここで売って、特産品を仕入れて都まで売りに出るらしい。
こんなところにまで人の文化が根付いている事に時代の流れを感じるけれど、それでもエルフの聖域に足を踏み入れる者が少ないのは、閉鎖的な同胞達の涙ぐましい努力があるのだろう。
いっそ門戸を開いてしまえば、あたしみたいな放浪エルフへの奇異の目も減るのに。
「頭の固いお年寄りにはなりたくないなあ」
自分の実年齢を棚に上げて若者ぶってみれば、少年が意外なものを見たように驚いた。
「師匠もそんな事言うんですね」
うん。いつまでも若々しくいたいのは、女の子なら誰でも思う事だよ。
たとえ見た目が変わらなくったって、気を抜いたら直ぐにお婆ちゃんになっちゃうから。
実際、旅の中でつい少年を赤子のように扱って過剰に構ってしまうことが度々あった。
少年だって男の子だから、見た目が自分と変わらない女性からあからさまに子供扱いされるのはあんまり喜ばしい事じゃないはず。
自分が若いとは思ってないけれど、それはそれとして男の子はすぐに拗ねちゃう。
思春期ってやつだね。
微笑ましいけど、だからあたしも配慮しないと。
「・・・・・・あー、そういう感じ」
落胆したような少年の声。
うんうん、わかるよ。
少年は恋に恋するお年頃。異性との二人旅で意識しない訳ないものね。
少年のそれは師への尊敬と恋心を混同してしまって、少しだけ盲目になってるだけ。かつてのあたしも自分のお師匠に同じような気持ちを持っていたよ。
でも大丈夫。少年にはきっとお似合いの、とびっきりなお姫様がきっと現れる。
その時が来るまではちゃんと面倒を見てあげるから、安心して自分を磨いて欲しい。
弟子の精神状態を慮るのも、師匠の立派なお仕事だからね。
「ほら、あれが君が目指す世界樹だよ」
天を覆わんと枝葉を伸ばす巨大樹を指して、その大きさに息を呑む少年の横顔を盗み見る。
気持ちは上向いたかな?
よしよし、いい傾向。
・・・・・・なんて、誤魔化すようなことをしてごめんね。
本当は、全部わかっている。
少年の気持ちが単なる憧れではないことも。
正直なところ、それが嫌な訳でも困っている訳でもない。むしろ心の片隅では少年の望む関係になっても構わないと思っている。
有り体に言って、少年のことは好ましいから。
一緒に過ごしたひと月とこの数日で、頑張り屋さんの少年に絆されてしまった自覚はある。
あたしを真っ直ぐに慕う眼差しに心を動かされて、触れ合う事に密かな悦びを覚えたのは、きっと悪いことじゃない。
けれど、少年の想いに応えてあげることはできない。
だって、少年は定命の人。
あたしは既に永く生きたけど、それでもこの身が朽ちるより先に少年の命が尽きてしまう。
自分がどんどん老いていくのに、傍らにいつまでも姿形が変わらない者が居続けるのは、人の心ではきっと耐えられない。
そしてその苦しみは、きっと遺される側も変わらないから。少なくともあたしはそれに耐えられる自信がない。
愛した人を失って壊れてしまった長命種が世界に害意を振り撒くなんてお話は、知られていないだけで実のところ沢山ある。
「じゃあ、行こうか。ここからなら歩いて辿り着くのは明日かな。野営する事になるから、場所も確保しなきゃ」
後ろめたい気持ちに蓋をして、少年を促せば元気のいい返事が返ってくる。
きっと、まだ見ぬ迷宮に思いを馳せて気合を入れているんだろう。少年を先導して歩きながら、この冒険の行く末を思う。
遠く離れた世界樹から伝わる不穏な気配の胎動に、半信半疑だった迷宮の存在は疑いようのないものになった。
明日になれば、甘酸っぱい恋心に思いを馳せる暇なんてない。
迷宮に足を踏み入れたのならば、意識を切り替えられないとどちらかが命を落としてしまいかねないから。
少年にも注意を促しておこう。
──でも、せめて今夜までは。
そう思ってしまうのは、あたしが未熟だからだろうか。
▶︎
贄が直ぐそこまで近づいている。
一緒について来た異世界の魂の気配に、迷宮は歓喜した。
──ご馳走だ。
贄を導くためだけの撒き餌のつもりで見せた夢が、まさか己の核を更に高みへ誘う素材を運んできてくれるとは。
見たところ成長途中に過ぎないが、試練を与えてやれば此度の贄に勝るとも劣らない極上の素材になってくれる筈だ。
思いも寄らぬ収穫に、急いで歓迎の支度を整える事にした。──秘境に生きる全てのエルフが、迷宮に呑まれた。
▶︎
「そういえば、行商人の子から何をもらったの?」
「なんでしょうね、これ。なんかそのうち必要になるって言ってましたけど」
「ええ、ええ。あの二人、今頃はきっとお楽しみでしょうねえ!」
【Tips】
《世界樹への道》
・世界樹は嘗て未開の秘境の地としてその存在のみが知られたが、英雄達の台頭と文明の隆盛によって人族が力を持った昨今は、少し足を伸ばせば拝める程度の代物へと成り下がる。
エルフの聖域に足を踏み入れる者は滅多にいないが、観光資源として世界樹を消費する彼等は知らない。
悍ましい迷宮がその営みに食指を動かしている事を。