幼い頃から世界樹のことはあまり好きではなかった。
周りの大人達の教えが幼いあたしにとって窮屈だった事もそうだ。
巫女だなんだと持ち上げられて、仄暗い洞の中に幽閉されていた事がその気持ちに拍車をかける一因だったと思う。
別に苦しい思いをしていた訳じゃない。
むしろ、他の同胞達と比べて悠々とした暮らしを送っていたと思う。
ただ、そこにあるだけの巨大な樹木を有り難がって父よ母よと讃える同胞達を異様に感じて、どうしてもそれが受け入れられなかった。
森を出ようと画策して、あっさりとそれがなされたことを不思議に思いながら、最後に盗み見た大人達の、それまで見た事もないような表情を今でも覚えている。
「おお、これが世界樹! はは、凄え!でっけぇ!」
夜が明けて、世界樹が近づいて来ると少年は大きく声を上げた。
遠く離れなければ全容を窺い知れない世界樹の巨大な幹は、それだけで小さな集落の外周とそう変わらない。
伸びる枝は空を覆い、陽の光を遮って一帯に暗い影を落とす。
そのお陰で世界樹の周辺は仄暗く、エルフ達の篝火がなければまるで夜の帳が下りているかのよう。
久しぶりに帰還すれば何か感じ入るものがあるかもと思っていたけれど、そんな事はなかった。
千五百年ぶりの故郷は、当時と変わらず陰鬱な場所。
粘つく気配が、本当に好きになれない。
「師匠、早く行きましょう!迷宮までもう少しです」
はしゃぐ少年は異変に気づいていない。
初めての場所への高揚感が、冒険者ならば当たり前にあるべき警戒心を上回ってしまっている。
否、エルフの聖域、秘境という先入観が、通常ならあり得ない状況を是としてしまっているのだろう。
行商人と別れてからここまでの道中は何もなかった。
正確には、誰とも出会っていない。
魔物はおろか、哨戒役の気配すら感じられないのは明らかに異常だ。
エルフだって人族の一種。その営みは人のそれと同じで、ましてや閉鎖的な彼等が聖域への侵入者に対して何の行動も起こさないなんて事は、本来なら絶対にない。
弓と魔法に長けたエルフは、たとえ遠く離れていても当たり前のように余所者の接近を察知できるというのに。
「待って。何かおかしい」
意気揚々と歩みを進める少年を制して状況を整理しようとして──
『ようこそ』
気配もなく背後に立った人影に、躊躇なく斬りかかった。
▶︎
いったい何が起こっているんだ。
俺の少し後ろを歩く師匠に呼び止められたかと思ったら、次の瞬間に抜刀した師匠が戦闘を開始している。
師匠に斬り伏せられたのは、ゲームで馴染み深いNPC、迷宮の外に暮らすハーフエルフの青年だった。
「な、なんでいきなり」
ゲームではプレイヤーを補助する役割を持つ彼に何の恨みがあったのか、師匠の思惑がわからない。
いきなり声をかけられて吃驚したなんて理由は師匠に限ってないだろう。
困惑する俺に向けて警戒しなさいと声をかける。
剣を収める様子もない姿に、ようやく俺はこの場が戦場になったのだと思い至った。
「次、くるよ」
師匠の言葉に頷いて自分も剣を抜く。
周囲を窺えば暗がりに蠢く気配が複数、既に俺達は囲まれている。
背中合わせに剣を構える俺達を取り囲み、姿を現したのはさっき師匠が切り捨てたハーフエルフと全く同じ顔。
これって、もしかして。
「少年、ここはもう駄目」
忌々しげに師匠が言う。
「成り代わり。多分、生きてるエルフはもういない」
『然り』
包囲網からひとり、悠然と両手を広げて歩み寄る。
『彼等は役割を終え、そして私達になった。改めて歓迎しよう。エルフの巫女、世界樹の贄よ』
──ようこそ、世界樹の迷宮へ。
世界が暗転して、気がついた時には森の外にいた。
▶︎
少年と分断された。
一瞬の暗転の後、あたしはひとりで洞窟にいた。
あいつらの立ち位置、陣形を組む事で発動する転移の魔法の亜種だった。
あいつが言った言葉によれば、ここは迷宮の中なのだろう。
それ自体はどうでもいい。問題は、少年がどこに飛ばされたかわからないこと。探ってみるに、少なくとも近くにはいないようだ。
無事でいてくれればいいのだけれど。
自分の迂闊さが嫌になる。もう少し早く気づいていれば、あの場で全て切り捨ててやったのに。
『案ずる事はない。彼もやがてここに来る』
同胞を模した木偶人形が気配もなく現れる。
エルフの姿をしている癖に、そこに魂が宿っていない。
その在り方が同胞達を酷く侮辱しているようで、見ていて気分が悪くなる。
『先ずは巫女を主に捧げる。あの少年は、後に主が手ずから喰らいに行かれるだろう』
舐めた事を口走る木偶人形を斬る。
抵抗は無意味だと嘲笑うように、木偶人形が地面から生える。
「鬱陶しいなあ」
人形風情が、この剣王に楯突くか。
広い洞窟内を埋め尽くさんと蠢く木偶人形をさっさと殲滅して少年を迎えに行かないと。
──彼に手を出すつもりなら、迷宮の主も斬り捨ててやろう。
▶︎
迷宮は嗤う。
何らかの手違いでおまけの方は取り逃したが、何、贄は我が胎に捕えることが出来た。
エルフ達を苗木にして作ってやった人形は、いい仕事をしてくれた。
後は贄を取り込んで、その体を使っておまけの方も喰らってやろう。
丁度、手駒を使い潰した事だ。
永く居着いたこの地を捨てて、新たな場所を求めて放浪するのも良いだろう。
手頃な地に根を下ろして新たな芽を育むのだ。
此度の贄は極上ゆえに、その力を得ればわざわざ世界樹などと言う擬似餌を使って働き蟻を集める必要もなくなるだろう。
──実に名案だ。お前もそう思うだろう?
「馬鹿め、誰がお前風情に喰われるものか」
▶︎
おや、おや。坊ちゃん、こんな所で項垂れて。一体どうしちまったんですかい?
・・・・・・ふむ、ふむ。成る程。そりゃあ確かに一大事だ。
てっきりあっしは、坊ちゃんがあの剣士の姉さんと喧嘩して捨てられちまったもんかと。
ええ、ええ。そんな顔してましたよ。
痴話喧嘩でないのなら良かったってもんです。ええ、本当に。で、坊ちゃんはどうするつもりで?
流石だ坊ちゃん、男の子ならそうこなくちゃあ!
ああ、ああ!任せて下さい。代金さえ払っていただけるなら、あっしら商人はたとえ火の中水の中ってね。
【Tips】
《ハーフエルフ》
・知らぬ者はハーフと呼ぶが、本来はエルフを材料に作られた模造品。
迷宮の主は戯れにレッサーエルフと名付けたが、その名で呼ぶ者はついぞ現れなかった。