行商人の協力を得て世界樹に舞い戻る。
時間が経てば師匠の身が危ういと、少女が用意してくれたのは旅路で世話になった馬車を改造した戦車だった。
「ええ、ええ!あっしらも荒事には常々備えて御座います。戦車の一つや二つ、すぐさま拵える程度の事は行商人の嗜みでしょうや」
森の入り口に飛ばされて数刻も経たないうちに戦車に乗って森を駆ける。
何をどうやったらこんなモノがすぐさま用意できるのか、俺には何もわからないけれど、行商人が言うのだからそんなものなのだろう。
正直、俺としては有難い。
気にするべきは手段ではない。師匠が窮地に陥っていないか、無事でいてくれるのか。ただそれだけが重要だ。
「お熱いねえ!しかし坊ちゃん。あんたは焦っちゃいけません」
騎手を務める行商人の声が耳を打つ。
それでもこの胸の焦燥は治まることはない。
ゲームの中では常に味方であったハーフエルフが敵だったなんて、思いもしなかった。
頭ではこの世界は作り物じゃないと、自分は主人公ではないんだと理解しているつもりになっていた。
戦いが始まるのは迷宮に侵入してからで、まだ足を踏み入れてもいないのに事態が急変するなんて想像すらしていない。
かつて師匠が言っていた迷宮の悪辣さを、こんな事で実感するだなんて。
「ああ、ああ! しょうがない坊ちゃんだ」
戦車が止まる。
何をしているんだ。急がなきゃ師匠が!
「落ち着きなさいと言ってるんでさあっ!!」
手綱から手を離してこちらを振り返る。
眉を吊り上げた行商人は、俺を指差して声を張り上げた。
「気持ちはわかりますがね、焦ってあんたまで身を崩したら元も子もないでしょうに。
何も、その気持ちに蓋を被せろってんじゃありません。
ただ、坊ちゃんのお師さんの教えってものがあるでしょう? それを忘れっちまったらいけません」
叱りつける行商人に返す言葉が見つからない。
黙ってしまった俺に行商人は声を落として続ける。
「あっしも商売柄いろんな方を見てきやした。今の坊ちゃんのように切羽詰まって大局を見失った人の末路も、沢山目にしてきたんです」
だから、どうか冷静に。
そこまで言われて、ようやく我に返ることができた。
そうだ。あのひと月の鍛錬の中で、師匠はちゃんと教えてくれていた。
迷宮は何が起こるか分からない魔境だ。
もし分断されることがあるのなら、どうするべきか。
その時の自分の手札は何か、状況はどうだ。
ひとつひとつを冷静に考えて答えを出す。そして、何をすべきか定まったならば、その時にこそ全力を尽くすのだ。
「ごめん、ありがとう」
詫びれば、先ほどの激昂が嘘のように飄々とした表情を向けられる。
「わかってくれたようで何よりでさあ。
ああ、ああ。世界樹はもう目の前。あっしは流石に最後までお供できやせんが、行けるとこまではご一緒しましょう。
坊ちゃん、今のうちにしっかり備えておくことです」
頷いて、改めて礼を告げる。
特別にお代はツケとしましょう。そう言って行商人は手綱を握り直した。
「今、俺が出来ることを」
再び走り出した戦車の上で、目を瞑る。
信じよう。きっと師匠は大丈夫。
▶︎
ああ、ああ!青臭いっ!
つい先日商いの世話になった師弟だという二人組の片割れは、傍から見たら危なっかしくてしょうがない。
あっしが手を貸してやらなけりゃ、折角の冒険譚がつまらない悲劇で終わってしまうとこだ。
長いこと彼方此方に顔を出してきやしたが、これはと言った物語に立ち会えるのは本当に珍しいもんで。
あんまり褒められた行ないじゃないのは重々承知しておりますが、未発見の迷宮を目指す旅だなんて聞いた日にゃあ、首を突っ込まざるを得ないってねえ。
道中は甘酸っぱい恋物語を見せてもらえたんで満足しておりやしたが、まさかまさかの英雄譚だったとは。
囚われたお姫様って言うにはヒロインがちと強すぎるが、何、こう言うのも大好物でさあ!
「見えてきた!ここで降ろしてくれ」
ええ、ええ見えてござんす。
視線の先には如何にもって風情の人型の群れ。
世界樹の根本に蠢いて、これは坊ちゃんを狙っていやがる。
エルフの姉さんを攫ったって奴等が雁首揃えてお出迎えだ。
ああ、ああ。なるほど、これは。
全く迷宮ってのはどれもこれも趣味が悪くていけないねえ!
「突っ込みますんで!坊ちゃん、舌を噛みなさんなっ」
制止する声を無視して戦車が駆ける。
こんくらいのサービスなら、偶には良いってもんでしょう。
さあ、さあ! 舞台は整って御座います。
──だから私に魅せておくれ、異世界から来た若い英雄よ。
▶︎
「とるにたらない。本当にお前が迷宮の主?」
木偶人形をこねくり回して樹木のような姿をとった怪物を、幾度となく斬り刻む。
伸びる枝葉や木の根を使って不意をつくような攻撃を繰り出す迷宮の主は、正直なところ今まで戦ってきたどの主よりもずっと弱い。
搦手ばかりに傾倒して、全ての行動が容易に読める。
纏う魔力は間違いなく迷宮の主と言えるのだけれど、逆にそれだけ。
再生力は褒めてあげてもいいけれど、この程度なら殺しきれないこともない。
勿論、そこらの雑魚とは一線を画している。
普通の冒険者や若い英雄なら手を焼くことになるのは間違いないと思う。
ただ──
「戦い慣れていないでしょう? 全部が雑すぎて、これなら木偶人形を集めた方がいくらか上だよ」
毒の礫もエナジードレインも、ちょっとした手間程度の障害にしかなっていない。
少年を模した人形如きで、あたしの剣が鈍るとでも?
この程度のものに同胞達がいい様にされていたなんて、俄かには信じられないかな。
──威勢がいいな。そんなに番が心配か。お前の焦燥は透けて見えているぞ。
下らない挑発。
焦っているのはお前の方だろうに。
迷宮を楽しみにしてた少年には悪いけど、ここで始末をつけてしまおう。
冒険はまた別の所に挑戦すればいい。
秘宝とやらを持っていけば、きっと少年も許してくれるはず。
「これでお終い」
幕を引こうと剣を振り翳して、私の意識が闇に堕ちた。
──そうとも。これでお前はお終いだ。
迷宮は卑しく嗤う。
かくして、少女は迷宮に囚われた。
【TIPS】
《迷宮の主》
・迷宮の意思を持つ強大な魔物を主と呼ぶ。
迷宮という巨大すぎる存在が侵入者を阻むために自ら動く時に主は生まれる。
通常、主を倒せば迷宮は力を失うが、そのルールに当てはまらないものも稀に現れる。