TS少女は演じたい   作:息抜き

11 / 11
11話

「はい。ここで一度、休憩にしましょう」

 

先生が音を止めた。

私は足を揃え、そのまま少し息を吐いた。

五人と別れてからも、足運びと重心の練習は続いていた。

右へ乗って、左を寄せる。幅を広げすぎない。顔を下げない。

一つずつ確かめているうちに、太腿のあたりが重くなっていた。

その繰り返し。

 

タオルで額を押さえる。

さっきまでは、次に何を直すかばかり考えていた。

止まってみると、背中も、首の後ろも汗をかいている。

……まだ、半分くらいだったはずだ。

壁際の時計を見てから、ペットボトルを取った。

 

「五人の方も休憩に入りますので、よければ一緒にどうぞ」

 

迎えに来た早川さんが言った。

 

「はい」

 

水を飲み、タオルとノートを持つ。

今度は、ペットボトルも忘れなかった。

 

————

 

元の部屋へ戻ると、美月さんが髪を結び直していた。

夏希さんは床に座り、片方の脚を伸ばしている。

神谷さんと雨宮さんは、壁際で何かを話していた。

 

「おかえり、真琴ちゃん」

 

美月さんが、両手を髪へやったまま言った。

 

「お疲れさまです」

 

「お疲れ。こっち、空いてるよ」

 

小日向さんが、自分の近くを示した。

私はそこへ腰を下ろした。

座れたことに、思った以上にほっとした。

脚をどう置こうかと少し迷ってから、楽な方へ崩す。

小日向さんは、早川さんの方を向いた。

 

「早川さん、事務所の冷蔵庫に預けたプリン、持ってきていただけましたか」

 

「ええ。こちらでも冷やしてあります。今持ってきますね」

 

「ありがとうございます」

 

プリン。

聞こえた言葉を、頭の中でもう一度繰り返した。

隣では、美月さんの手が止まっていた。

 

「プリンあるんですか?」

 

「あるよ」

 

「ひより先輩の?」

 

「うん」

 

「やった!」

 

結びかけていた髪をまとめ、美月さんが小日向さんのすぐ隣へ座った。

移動が早かった。

 

「今日から候補の子が来るって聞いたから、皆で食べようと思って。昨日作ったの」

 

つまり、手作りプリンということか。

小日向さんが私を見る。

 

「プリン、好き?」

 

「あ、はい。好きです」

 

「よかった」

 

早川さんが戻ってきた。

持っていた袋から小さな容器の入った箱を取り出し、小日向さんへ渡す。

蓋が開くと、同じカップが六つ並んでいた。

薄い黄色の下に、濃い茶色が少しだけ見えている。

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

受け取ったカップは冷たかった。

スプーンも一緒に渡される。

美月さんが二つ受け取り、一つを夏希さんへ回した。

神谷さんと雨宮さんの手にも渡って、最後の一つを小日向さんが取る。

 

「いただきます」

 

誰かの声に続いて、私も言った。

蓋を外し、表面へスプーンを入れる。

すくったところだけ形を残して、残りが小さく揺れた。

一口食べる。

冷たかった。

それから、卵の味と甘さがゆっくり広がった。

 

「……おいしい」

 

思っていたより、そのまま声に出ていた。

小日向さんがこちらを見る。

 

「ほんと?」

 

「はい。すごく」

 

「よかった。カラメル、少し苦めだから、絡めて一緒に食べてもいいよ」

 

言われたとおり、今度は底の方までスプーンを入れた。

茶色いところを少し混ぜて食べると、さっきとは違う味になった。

もう一口、食べたくなる。

 

「ひより先輩、自分の好みのプリン作りましたね」

 

「うん。真琴の好みなんてまだ知らないし、それなら私が一番作り慣れてる私好みのでいいでしょ」

 

「いいです。最高です先輩のプリン」

 

美月さんはそう言いながら、小日向さんの肩へ自分の肩を寄せた。

 

「一緒に撮りましょう。プリン持って」

 

「今食べてる」

 

「飲み込むまで待ちます」

 

待つと言ったときには、もうスマートフォンを出していた。

小日向さんは口元を手で隠し、少し笑う。

美月さんが画面を見ながら腕を伸ばす。

そのまま、小日向さんの方へ顔を近づけた。

 

「先輩、もうちょっとこっち」

 

「そっちに行くと、美月のプリンに当たる」

 

「あ、ほんとだ」

 

カップの位置が下がった。

二人の顔が、もう少し近くなる。

小日向さんも、美月さんの持つ画面へ顔を向けていた。

シャッターの音がした。

 

「いい感じ!早川さん!これSNSにあげていいですか!」

 

「駄目に決まってるでしょ美月……」

 

「横着しないでルール通り事務所側に確認を飛ばしてください。私がこの場で確認して万が一見落としがあったらそれこそ問題ですから」

 

それを聞いた美月さんが凄い勢いでスマホで何かを打ち込み始めている。

本当に確認しているのか。

 

「ルールって……」

 

「公式SNSは、色々あるから」

 

「澪はもう少しちゃんと説明してあげなさい。えっとね真琴。公式SNSに写真をアップする場合、色々確認しないといけないことがあるのよ。場所を特定できる情報が含まれていないか、写っている人の公開同意は取れているか、私たちが広告をしている企業の競合他社の商品が映り込んでいないか、とか。だから事務所に写真を送って、確認してもらっているの」

 

「あー……なるほど」

 

私が納得していると、夏希さんが勢いよく顔をあげた。

 

「あと今はこれも大事ですよね!真琴が映り込んでないか!」

 

「それは本当に万が一があれば大問題なので、美月は特に気を付けてくださいね。横着しないように」

 

「はーい!気を付けまーす!ただいま事務所確認中です!」

 

私はプリンを食べながら、そのやり取りを見ていた。

動画でも、二人が近くにいるところは見たことがある。

実際には、画面に入っていないときも、ずっとこんな調子らしい。

 

「美月、底の方は食べないの?」

 

小日向さんが、美月さんのカップを見た。

 

「最後にとってるんです。カラメル多めで食べたいので」

 

「ああ、そういうこと」

 

「美月って、好きなの最後に残すよね」

 

夏希さんが言った。

 

「うん。最後に食べたいじゃん」

 

「私は、好きなのから食べたい」

 

「知ってる。ケーキの苺、すぐなくなるもん」

 

「おいしいから」

 

夏希さんは、何でもないことのように言った。

美月さんが、自分のカップへ目を戻す。

 

「その一個を、最後に食べたいんだよね」

 

「それでこの前、お皿を下げられそうになってたわよね」

 

神谷さんの言葉に、美月さんが顔を上げた。

 

「まだ食べますって言いましたよ」

 

「苺だけ残ってたとき?」

 

雨宮さんが聞いた。

 

「そう。いらないのかと思われたみたいで」

 

「私も、苦手なのかと思ってた」

 

「一番好きなの。だから残してたの」

 

「そのあと、すぐ食べてたね」

 

小日向さんが言った。

 

「また下げに来たら困るので」

 

神谷さんが口元を押さえた。

私も、スプーンを口へ運ぶ前に少し笑ってしまった。

 

「真琴ちゃんは?」

 

小日向さんの向こうから、美月さんがこちらを覗き込んだ。

 

「好きなの、先に食べる?最後に残す?」

 

私はスプーンを下ろした。

 

「えっと、最後に残す方です」

 

「だよね。最後に好きなのがあると、嬉しいよね」

 

「はい」

 

美月さんが満足そうに頷く。

すると、夏希さんもこちらへ顔を向けた。

 

「じゃあ唐揚げとかも?」

 

「唐揚げ、ですか」

 

「うん。好きなおかず」

 

「……最初にも食べますけど、一個だけ残しておきます」

 

「それ私もやるなぁ」

 

返事が早かった。

 

「夏希、好きなのから食べたいんじゃなかったの?」

 

「最初にも食べてるよ」

 

「苺は残さないのに?」

 

「唐揚げは、ご飯と一緒に最後に食べたいから」

 

夏希さんは、真面目な顔で言った。

 

「最後の一個に合わせて、ご飯も残しておくの」

 

「あ……分かります」

 

思わず頷いた。

 

「ご飯だけになっちゃうと、ちょっと寂しいので」

 

「そうそう。それ」

 

夏希さんが、スプーンを持ったままこちらへ頷き返した。

 

「苺も、ケーキと一緒に残しておけばいいじゃん」

 

美月さんに言われて、夏希さんは少し考えた。

 

「……でも、苺は先に食べたいんだよね」

 

「そこは変わらないんだ」

 

「うん」

 

神谷さんの肩が、小さく揺れた。

美月さんも笑っていた。

 

「私、さっきから苺の話をしてたんだけど」

 

「真琴が唐揚げを残すって言うから」

 

「聞いたの夏希でしょ」

 

小日向さんが言った。

 

「あ、そうだった」

 

夏希さんがこちらを見て笑ったので、私も笑った。

自分の食べ方について、こんなに話すことになるとは思っていなかった。

 

「唐揚げ、食べたくなってきた」

 

雨宮さんが、ぽつりと言った。

 

「今プリン食べてるのに?」

 

美月さんが聞く。

 

「うん。話を聞いてたら。お腹空いたし」

 

「分かる。私も」

 

夏希さんが頷いた。

 

「……私もちょっと、食べたいです」

 

言うと、美月さんがこちらを見た。

 

「真琴ちゃんまで」

 

その言い方がおかしくて、また笑ってしまった。

小日向さんは、自分のプリンをすくっていた。

 

「私も、帰りに買って帰ろうかな」

 

「先輩もじゃないですか」

 

美月さんが笑いながら、小日向さんの肩へ軽く寄りかかった。

小日向さんはカップを少し横へ避け、そのまま一口食べる。

 

私も、手に持ったままだったスプーンを動かした。

……プリンをくれて、雑談まで振ってくれて、明らかに気を遣ってくれてるのは伝わってくる。

振られる話のくだらなさも相まって、いつの間にか頬が緩んで笑いそうなっていた。

尋問みたいに根掘り葉掘り聞かれるんじゃないかと思っていたんだけど……

 

「……こういうのって、いつも作って持ってくるんですか?」

 

「ん?そんなことないよ。今日は特別だったから作ってきただけ。流石に毎回やってたら手間だしね」

 

「いつもは……お菓子とかじゃない?」

 

「そうね。皆で持ち寄ることが多いかしら。何もない時も多いけれど」

 

「変なのを持ってくるのは大体美月と夏希」

 

「なっ!?だって、澪先輩!映えそうなのがあったら買いたくなるじゃないですか!!」

 

「否定はしないけど変なのは変なの」

 

「私は普通に美味しそうと思って買ったらハズレ引いたりしてるだけだねー。だから美月とは違う!」

 

「それもダメでしょ」

 

「……ダメですか」

 

五人とも、汗はかいていた。

タオルで拭いているし、水も飲んでいる。

なのに、楽しそうに話す声は、部屋へ入ったときとあまり変わらなかった。

 

私は座っているだけで、太腿が重い。

できれば、次に立つまで、もう少し時間がほしかった。

 

「……皆さん、すごいですね」

 

美月さんが顔を上げた。

 

「何が?」

 

「踊るのも、歌うのも。さっき、一緒にやってみて、全然違って」

 

カップを持ち直す。

 

「それに、まだそんなに元気で。私、もう結構、疲れてるんですけど」

 

言ってから、少し笑った。

隠せるほど元気な顔も、していないと思った。

小日向さんが、私の脚の方へ一度目をやった。

 

「私も、最初の頃は酷かったよ。すぐに立てなくなったこともあるし、帰り道でゆっくり歩かないといけなかったり。特に階段とか」

 

「階段はね」

 

神谷さんが頷いた。

 

「私は下りる方が嫌でした。上るのも嫌でしたけど」

 

「結局どっちもじゃないですか」

 

美月さんへの返事に、私も少し笑った。

 

「でも、今はあれだけ動いて……」

 

「少しずつ長くしてきたので。最初から、今と同じ時間はやっていませんよ」

 

神谷さんは、空になったカップへスプーンを入れた。

 

「曲数が増えると、また疲れ方が変わりますし」

 

「ああ、それはある」

 

夏希さんが頷く。

 

「私、踊るだけならいけると思ってたんだけど、歌も一緒だと全然違った。最初、次の歌い出しなのに息が戻ってなくて」

 

「夏希さんも、ですか」

 

「うん。踊る方で全部使ってた。次に歌うこと、身体の方が全然考えてなかったんだよね」

 

夏希さんは笑いながら、自分の胸のあたりを軽く叩いた。

 

「今も、元気だからって大きくやるとあとで困る」

 

「それ、今日も言われてたからね」

 

「ひよりちゃん、それは今言わなくてもよくない?」

 

小日向さんが少し笑う。

 

「私も、振りの順番は覚えたのに、最後まで同じようには動けなかったよ。後半の映像を見ると、腕が全然上がってなくて」

 

「やっているときには、分からないんですか」

 

「自分的には上げてるつもりだったからね。見て、あれってなった」

 

私は、鏡の中の自分を思い出した。

足を寄せているつもりなのに、身体があとからついてきていた。

 

「私、さっき、足だけでも何回も分からなくなって」

 

雨宮さんが、こちらを見た。

 

「腕をつけると?」

 

「はい。足だけなら少しできたんですけど、腕を動かそうとしたら、どっちへ行くんだったか……」

 

「それ、私もやった」

 

返事が早くて、私は顔を上げた。

 

「雨宮さんも?」

 

「うん。本格的にダンスを始めた頃は、かなりひどかったよ」

 

雨宮さんは、そう言ってプリンを一口食べた。

特に言いにくそうでもなかった。

 

「音は聞こえてるから、合わせればいいと思ってた。でも、細かく聞こうとすると、身体の方が遅れるの。次の音を聞いてる間に、足を出すところが終わってたり」

 

「はい」

 

「それで手も動かすと、足が止まる。足を気にすると、手がどこかへ行く」

 

……さっきの自分のことを言われているみたいだった。

 

「高瀬先生に、まず足だけって言われて。足と、体重を乗せるところを、何回もやった」

 

「今日の、私みたいに」

 

「うん。足だけで終わりになっちゃった日も、いっぱいある」

 

雨宮さんは、静かに頷いた。

 

「帰る前にできたと思っても、次にやるとできなくて。また足だけに戻ったり」

 

それは、あまり想像していなかった話だった。

さっきの雨宮さんは、私が見ている限りでは、ちゃんと踊れていた。

声を出したときには、どこから音が始まるのかまで、はっきり分かった。

その人も、一人だけ腕を下ろして練習していたことがある。

 

「私は、同じ歩数なのに、違う場所に着いてたよ」

 

美月さんが言った。

 

「違う場所?」

 

「前に出すぎるの。自分では皆と同じことしてるつもりなのに、私だけ近かったり」

 

「歩幅が大きかったんだよね。美月足長いから」

 

小日向さんの言葉に、美月さんが頷いた。

 

「小さくって言われて、小さくしたつもりでも、まだ大きくて」

 

「あれは映像で並べて見た方が分かりやすかったね」

 

「そう。私だけ、すごい進んでるの」

 

二人とも笑っていた。

夏希さんが、私へ顔を戻す。

 

「さっきやった、左右に足を出すやつ。私たちあれ何回やったんだろうね」

 

「数えてない」

 

「澪ちゃんは特に多そう」

 

「多いと思う」

 

雨宮さんはあっさり答えた。

 

「今でもやるし」

 

「今日もやったもんね」

 

私は、残っていたプリンをすくった。

五人ができることと、私ができることの差は、とても大きい。

それは変わってない。

ただ、一人だけ足の動きを繰り返していた時間を、さっきとは少し違う気持ちで思い出せた。

あの人たちにも、そういう時間があった。

しかも、一度できたら終わり、というわけでもなかったらしい。

指摘点が細かくなって、今でも沢山直されてるってことみたいだし。

 

「……私、足だけに戻されると、戻っちゃったと思ってました」

 

「私も思ったよ」

 

雨宮さんが言った。

 

「でも、できなかったところをそのままにすると、次もそこで止まるから」

 

私は頷いた。

右足へ乗ってから、左足を寄せる。

今日、何度も聞いた順番だった。

カップの底に残ったカラメルを、最後の一口と一緒に食べた。

 

「ごちそうさまでした。おいしかったです」

 

小日向さんに言うと、柔らかく笑ってくれた。

 

「よかった」

 

「ひより先輩、またお願いします」

 

「気が乗ったらね」

 

美月さんがカップを両手で持った。

夏希さんが、その手元を覗き込む。

 

「まだ食べてるの見ると、もう一口ほしくなる」

 

「おいしかったもんね」

 

「うん」

 

夏希さんは空のカップを覗いてから、スプーンで底をさらった。

美月さんが笑いながら、残っていたプリンを少しだけすくう。

私も、空になった自分のカップを見た。

もう一口ほしい気持ちは、少し分かった。

 

————

 

少しして休憩の終わりを告げられ、空の容器を片づけた。

立ち上がるとき、膝へ手を置く。

座る前より、脚の重さがはっきり分かった。

隣では美月さんがタオルを肩へ掛け、夏希さんがもう靴の紐を確かめていた。

小日向さんも、空になった箱を脇へ寄せて立ち上がる。

私も、飲み物とノートを持った。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

「うん。またね」

 

小日向さんが言った。

私は頷いて、別室へ戻った。

 

————

 

「はい。今日予定していた分は、これで終わりです。お疲れさまでした」

 

先生の声を聞いて、私は伸ばしていた脚を戻した。

終わった。

今度は、本当に。

 

「ありがとうございました」

 

頭を下げてから、しばらくそのまま座っていた。

タオルを取ろうと腕を伸ばすだけでも、少し億劫だった。

休憩の前には、まだ疲れたと言いながら笑う余裕があった。

今は、次に何か言われるまで、何も考えたくなかった。

体験レッスンで受けたものや、評価目的で受けたものとは全然違う。

とにかく身体が重い。

慣れるまでは、長そうだった。

 

「白瀬さん、お疲れさまです」

 

早川さんが入ってきた。

 

「お疲れさまです」

 

「今日はこれで終了です。荷物を取って、着替えましょうか」

 

「はい」

 

床へ手をついて立ち上がる。

すぐに歩こうとすると脚が重くて、一度、姿勢を整えた。

早川さんは、私が荷物を持つのを待ってからドアを開けた。

廊下へ出ると、音楽が聞こえた。

五人の部屋からだった。

 

時計を見る。

私の終了予定の時刻になっていた。

五人は、そのあとも練習が続くと聞いている。

分かっていたことだった。

それでも、今の自分の身体でその音を聞くと、ずいぶん違って感じた。

早川さんがドアを少し開ける。

 

「荷物だけ取りましょう」

 

私は頷き、そのあとから中へ入った。

五人は、鏡の前で踊っていた。

さっき一緒にプリンを食べていた場所には、もう誰も座っていない。

美月さんの長い髪が揺れる。

夏希さんが向きを変え、その横を雨宮さんが通った。

小日向さんと神谷さんも、別の位置へ動いていく。

足元を見続けなくても、次の場所へ着ける。

腕を動かしても、足が止まらない。

綺麗なフォーメーションだった。

素人目でも、そう思ってしまった。

 

私は壁沿いに歩き、自分の鞄の前でしゃがんだ。

ノートをしまう。

飲み物を入れ、タオルは別の袋へ押し込む。

鞄を持ち上げたところで、鏡の中の神谷さんと目が合った。

神谷さんは、動きを止めずに小さく頷いた。

私も頭を下げる。

 

「お先に、失礼します」

 

音楽の邪魔にならないくらいの声で言った。

小日向さんがこちらに気づき、少し笑った。

その顔がすぐに前へ戻る。

私はもう一度だけ五人を見て、早川さんと部屋を出た。

ドアが閉まると、音が遠くなった。

止まったわけではなかった。

更衣室では、Tシャツを脱ぐために腕を上げるのにも、少し時間がかかった。

制服へ着替え、練習着を袋へ入れる。

 

母に、終わったと連絡した。

送信してから、鞄を肩へ掛ける。

来たときと、入っているものはほとんど変わらない。

飲み物が減った分、むしろ軽くなっているはずだった。

それなのに、そうは思えなかった。

 

更衣室を出ると、早川さんが待っていた。

一緒にエレベーターへ乗り、下へ降りる。

 

「お母様とは、合流できそうですか」

 

「はい。近くにいるそうなので」

 

答えて、肩の鞄を掛け直した。

建物の外へ出ると、風が首元を通った。

まだ少し熱の残っていた身体に、気持ちよかった。

上の階では、五人がまだ練習をしている。

私は、もう十分に疲れていた。

あそこへ戻って一緒に動くことを考えても、脚がついてくる気はしない。

それでも、今日の五人を思い出すと、揃った動きの間に、別の顔も浮かんだ。

 

プリンを勧めてくれた小日向さん。

その肩へくっついて、写真を撮っていた美月さん。

唐揚げの話を大真面目にしていた夏希さんと、その隣で口元を押さえて笑っていた神谷さん。

足だけになった日も沢山あると言ってくれた雨宮さん。

誰も、なんでメンバー候補の話を受けようと思ったのとか、なんでFOLIOの新人候補になったのとか、そういうことは聞いてこなかった。

 

私は少しだけ、口元を緩めた。

五人とも、思った以上に優しくて、いい人みたいだった。

今度会ったときには、こちらからも何か話せるかもしれない。

脚は相変わらず重かった。

早川さんと並んで、私はいつもよりゆっくり歩き出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

TS侍女は逃げられない(作者:TSスキー)(オリジナルファンタジー/恋愛)

前世で男だった記憶を持つ男爵令嬢エリナは、八歳の頃から同い年の侯爵令嬢ソフィアに仕えている。▼立派に育った主人を内心では妹のように可愛がり、専属侍女として一生その世話を焼いて暮らせれば、それで十分。自分自身の結婚など御免だった。▼そんなある日、お嬢様に政略結婚の話が持ち上がる。▼貴族の娘として婚姻を当然の責務と受け入れるお嬢様。しかし、覚悟と不安は別のもの。…


総合評価:2082/評価:8.65/短編:2話/更新日時:2026年08月21日(金) 18:13 小説情報

銀盤に踊る銀(しろがね)(作者:ブリザード)(オリジナル現代/コメディ)

橘瀬理奈は銀髪碧眼ながら日本人のフィギュアスケーター。▼17歳にして4回転アクセルを跳べる唯一無二の女子選手。▼だが、世界は知らない。▼実は主人公が転生者で、30歳の会社員が女の子に輪廻転生したことを。▼そんな彼女の悪戦苦闘の日々。▼※カクヨム、なろうにも掲載始めました▼カクヨム https://kakuyomu.jp/works/2912051600434…


総合評価:5225/評価:8.55/連載:33話/更新日時:2026年06月19日(金) 08:00 小説情報

おせいそうすほそ系TSヒーラーは、生きているだけで偉いと思う(作者:うすひら)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

TS転生者のクリスはおせいそうすほそヒーラーだ。▼冒険者としての実力は確かで、他にも色々と特技を持っている。▼しかし本人は冒険者らしいことをほとんどせず、ギルドでだらけたり教師をしたり、運び込まれた急患を治癒したりして過ごしていた。▼全ては彼女の信条が「生きているだけで偉い」の一言に尽きるがために。▼そんな彼女に性癖を破壊されたり、実力に惹かれるものは数しれ…


総合評価:6005/評価:8.72/連載:7話/更新日時:2026年09月22日(火) 07:05 小説情報

TS転生おっさん物語(作者:すすぺっと)(オリジナル現代/日常)

▼社会に疲れた元おっさんは、死後、丸い蛍光灯のような神様によって、現代日本によく似たパラレルワールドへ女の子として転生する。▼赤ちゃんから成長し、高校生になった彼女――**高遠透花**は、180cm前後の高身長と整った容姿を持つ無気力系JK。▼本人はただ平穏に過ごしたいだけだが、前世の社会経験から来る落ち着きや距離感が、周囲には妙に大人びた魅力として映ってし…


総合評価:2285/評価:7.86/連載:20話/更新日時:2026年06月20日(土) 12:00 小説情報

50歳のおじさんがJKにTS転生したのでネットアイドルしてみる話(作者:アラフィフ大活躍)(オリジナル現代/コメディ)

おじさんは疲れ切っていた。▼気がつけば16歳女子高生に!?▼親は海外出張しているが、お小遣い欲しさにネットアイドルしてみるとオヤジくさい女子高生はまさかの大反響!?▼あらすじの通りのお話です▼こちらはイメージです。女子高生ですが、80年代を知っています。▼【挿絵表示】▼※総合日間ランキングで20位に入っていて、感謝しかありません。読んでくださっている方、興味…


総合評価:1100/評価:7.34/連載:36話/更新日時:2026年09月16日(水) 06:33 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>