TS少女は演じたい   作:息抜き

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14話

木曜日のレッスンは、特に問題なく終わった。

もちろん、できなかったことや、直されたところは沢山ある。帰りには疲れていたし、翌朝も身体は重かった。

ただ、途中で動けなくなったり、予定を変えなければいけなくなったりはしなかった。

金曜日は学校へ行って、帰ってから課題を片づけた。

そして、土曜日になった。

 

五月十六日。

 

私はベッドの上に置いた鞄を見下ろしていた。

いつものレッスン用の荷物とは別に、もう一つ、大きめの鞄がある。

 

「一泊よね?」

 

部屋の入口から、母が言った。

 

「一泊だけど、明日もレッスンだから」

 

「それは分かってるけど」

 

母の視線が、まだ鞄へ入っていないポーチへ向く。

今日は、レッスンが終わっても家へ帰らない。

FOLIOが用意している宿泊用の部屋を、初めて使うことになっていた。

早川さんから聞いた話では、遠くから通う所属者や社員が、仕事やレッスンのあとに無理をして帰らなくてもいいよう、会社で借りている部屋があるらしい。

マンションの中に、そういう部屋をいくつか確保しているとかなんとか。

簡単な仮眠室のようなものを想像していたけど、二つの寝室とリビングがある、普通に生活できる部屋だと説明された。

寝具や家電も揃っていて、予約や鍵の管理は会社の担当の人がしてくれる。

 

私の場合は、土曜日の夜に泊まり、日曜日もレッスンを受けてから帰る。

家まで一時間半かけて戻って、翌朝、また一時間半かけて来る。

実際、その往復が一回なくなるだけでも、かなり違う。

 

『泊まれるからその分遅くまで練習する、ということではありません』

 

早川さんにはそう念を押された。

減らした移動時間は、夕食やお風呂や、ちゃんと眠るために使う。

両親にも説明してもらって、まずは今週末、利用してみることになった。

詳しい場所や行き方、鍵の使い方、部屋の中のことは、今日のレッスンが終わってから、実際に案内してもらう予定だった。

なので、今の私が知っているのは、そのくらいだ。

 

分かっているのは、いつもの荷物だけでは足りない、ということだった。

今日と明日の練習着。帰りに着る服。寝るときの服。下着と靴下。

タオルに、歯ブラシ。充電器。

それだけなら、もう少し簡単に収まったと思う。

 

問題は、その横にあるものだった。

クレンジングと洗顔料。小さな容器へ移した化粧水と乳液。

明日の朝に使う日焼け止めと、いつもの化粧ポーチ。

髪を留めるものと、ブラシも入れた。

一つずつは小さいのに、集めるとそれなりの場所を取る。

前世なら、こんなに顔の周りのものを持っていかなかったと思う。

着替えと歯ブラシがあれば、とりあえずどうにかなっていたような気がする。

 

今は、そうはいかなかった。

薄くても化粧をすれば落としたいし、顔を洗ったあとに何もつけずに寝るのも落ち着かない。

明日の朝、髪を整えたり、いつものように顔を整えたりするものも欲しい。

誰かに持っていきなさいと言われたわけではない。

自分で、これは使う、と思って集めた結果だった。

女子として馴染むために習慣にしたことは、今はもうやらないと落ち着かないくらいにはなっている。

持ち運びは面倒ではあるけど。

 

「タオルとかは、向こうにもあるんじゃなかった?」

 

「あるって。でも、最初だから一応」

 

「その一応が多いのね」

 

言い返せなかった。

母はベッドの端にあった薄い袋を取り、私へ渡した。

着たあとの服を入れるために出しておいて、忘れていたものだった。

 

「これも」

 

「……ありがとう」

 

また一つ増えた。

まぁ、これは必要だ。

ポーチの向きを変え、服の隙間へ収める。

最後に英単語帳を入れると、ようやくファスナーが閉まった。

 

「着いたら連絡してね」

 

「うん」

 

「明日の朝、起きられるようにしておくのよ」

 

「それは大丈夫」

 

「いつもは呼びに行く日もあるのに?」

 

「……流石に一人の時は大丈夫」

 

私は、スマホのアラームをもう一つ増やした。

 

————

 

この日のレッスンは、午後からだった。

FOLIOへ着くと、早川さんがいつもより大きい荷物を見て、置いておける場所を教えてくれた。

宿泊先への案内は、予定通りレッスンのあと。

その確認をしてから着替え、まずはダンスレッスンへ向かった。

 

身体をほぐして、重心の移し方を確認する。

短く区切った足の動きを繰り返し、できるところにだけ腕をつける。

ボーカルレッスンでは呼吸と発声、それから短いフレーズの入りと終わりを見てもらった。

足だけ先に出さない。

息を吸うときに肩を上げない。

終わったと思って、最後の音を雑にしない。

 

火曜日や木曜日にも言われたことを、今日も直された。

前よりできたところもあったけど、その分だけ別のことまでできるようになったわけではない。

動きを一つ増やすと、さっきまで気をつけていたことが抜ける。

それでも、最初から最後まで何も分からない、という感じではなくなっていた。

少なくとも、何を直そうとしているのかは、前より分かる。

 

少し休憩を挟んで、次がビジュアルのレッスンだった。

私は水を飲みながら、ノートを開いていた。

身体の方の注意を書いたところへ、声関連で言われたことも足す。

書いている間にも、肩のあたりがじんわり重かった。

 

「真琴ちゃん、今日すごい荷物だったね」

 

隣から、美月さんが覗き込んできた。

 

「あ、はい。今日、泊まるので」

 

「ああ、そっか。明日もあるもんね」

 

「初めてなので、何を持っていけばいいか、少し迷って」

 

「分かる。使うかもしれない、って思うと増えるよね」

 

「……はい。一応って思ったら、どんどん膨らんでいって」

 

小日向さんが言った。

 

「美月は泊まらない日も増えるけどね」

 

「それは必要なものが多いだけです」

 

「今日の鞄にも、使うかもしれないレベルのものも入ってるでしょ」

 

「入ってます。夜にひより先輩と遊ぶためのものまで完備!」

 

「明日仕事なの忘れてない……?」

 

「えっと、美月さんと小日向さんも、泊まるんですか?」

 

「うん。私と美月、明日ちょっと公式チャンネル用の収録の予定あるから」

 

会話を聞いていて気になったことを聞いてみたら、すぐにそう返された。

 

「……?あ、そういうことか。安心していいよ。別の部屋だから。同室に泊まるかどうかって泊まる人全員の同意の上で決まるから、勝手に同室にされたりはしないよ。場所は普通に隣の部屋とかにはなるけど」

 

「な、なるほど……?」

 

「真琴ちゃんも泊まりなら夕飯とか一緒に——」

 

「だから気が早いって。あんまりぐいぐいいかないの」

 

勢いよく顔をあげた美月さんを、小日向さんが抑えるようにして止めてくれていた。

小日向さんの方が凄く小さいのに、美月さんの身体を慣れた手つきで抑えている。

……公式プロフィールだとこの二人、二十センチ差とかだったかな。

それはそれとして、夕飯の話はどうしよう。

 

そんなことを考えていたら、三枝さんが入ってきた。

挨拶をして、ノートを閉じる。

部屋の前にはカメラがあり、少し斜めの位置にも、もう一台置かれていた。

モニターには、床の印と、まだ誰も立っていない場所が映っている。

 

「今日は六月のライブに向けて、動きの中での見せ方を詰めます。客席への目線と、カメラに顔を渡すところ。それから今回の曲同士のつながりも含めた曲中での表情」

 

三枝さんが、手元の資料を置いた。

私はタオルとノートをまとめ、早川さんの方を見た。

これまでなら、五人が本番の曲を使うところで、私だけ別の部屋へ移ることが多かった。

 

「白瀬さんも、そのままで」

 

「え」

 

三枝さんに言われ、手を止める。

 

「今日は、移動しなくていいんですか?」

 

「ええ。最後まで六人でやります。私からそうお願いしました」

 

五人の方を見る。

夏希さんが、もう床の印へ向かっていた。

 

「動きは、今できるものに減らします。ただ、ライブで何を見られるのかは、一緒に見ておいてほしいので」

 

三枝さんは、私の立つ場所を示した。

 

「一人で分けると、今はどうしても、足や姿勢を直す時間が中心になるでしょう」

 

「……はい」

 

「それも必要なことではある。でも、それだけだと、表現のレッスンなのに全部身体のレッスンになってしまう。動けるようになった先で、何をするのかも知っておいてほしいの」

 

私は頷いた。

 

「それに、動きに気を取られて表情が崩れたのか、表情そのものを変えた方がいいのかは、分けて見たい。そこは、今日は私が直接見ます」

 

同じように前を向いていても、三枝さんが止めるところは細かい。

顔の向きではなく、その前にどこを見ていたか。

笑ったあとの顔ではなく、笑う直前に何が見えていたか。

ほかの先生に見てもらっていた時には、そのまま次へ進んだところで、もう一度、と言われることもあった。

何を見ているのか分からないまま終わるのではなく、映像を戻して、違いを見せてくれる。

それを、今日は五人と同じ場所で受けるらしかった。

 

私はノートを壁際へ置いた。

持っていくつもりだったタオルも、その上に重ねた。

 

————

 

最初は、短い動きだった。

 

二歩移動して、身体の向きを変える。

腕を動かし、指定された音で正面へ視線を出す。

そのまま次の動きへ入る。

説明だけなら、難しそうには聞こえなかった。

 

「白瀬さん、顔を向けるときに、胸まで全部戻さないで」

 

一度目で止められた。

 

「はい」

 

もう一度、元の位置へ戻る。

身体は斜めに残す。顔だけを正面へ。

そう思ってやると、今度は最後の足がうまく収まらなかった。

 

「歩幅を少し狭く。今はそこまで進まなくていい」

 

「はい」

 

「顎はそれ以上引かない。下から目だけ上げようとしなくていいから」

 

一つ直すたびに、別のところが出てくる。

隣では、夏希さんが同じ動きをしていた。

移動して、身体を止める。

顔は正面にあるのに、肩まで無理にこちらへ向いてはいない。

次の音が来ると、そこから自然に動き始める。

止まっているところと、次へ行くところの間が、私とは違った。

私の場合は、一度全部を止めて、それから次を探している感じになる。

 

「桜庭、今の止まり方はそのまま。顎だけ少し柔らかく」

 

「はい」

 

次の一回では、そこだけが変わった。

……身体のことになると、この人は本当に早い。

美月さんは肩の開き方を、小日向さんは顔を戻すタイミングを直されていた。

神谷さんにも、雨宮さんにも指示が入る。

誰も、ただ一度やって終わりではない。

ただ、直されているところの細かさが違った。

私がまず形へ辿り着こうとしている間に、五人は、その形から何を見せるかを調整していた。

表情演技がどうとかっていう前に、まずそこを見てもらえる段階まで辿り着けていない。

それが、素人目にも分かってしまった。

 

映像を見ても、その差は分かった。

正面のカメラでは、私の顔が一度、腕の後ろへ隠れていた。

斜めからの映像では、隠れてはいない代わりに、次の足を探している目がよく見えた。

 

「……こっちだと、下を見たのが分かりやすいですね」

 

「そう。正面だけで確認していると、気づきにくいところ」

 

三枝さんが映像を戻す。

 

「分かっているとは思うけど、六月は遠い席から見る人も、スクリーンや配信で見る人もいます。カメラに目線を入れるところだけ頑張って、その前後で崩れるなんてことにならないように。まして、カメラにいつ抜かれるか分かれば苦労しない。いつ、どこから抜かれてもいいように完成させることを意識して」

 

画面の中の私は、正面へ目を向けた瞬間だけ、少し落ち着いた顔をしていた。

そこへ行くまでは忙しく、終わったあとは、ほっとしている。

見せたい一瞬の前後に、準備と片づけがついていた。

 

「……私の場合、カメラを見る、が一個の作業になってるのも悪いですよね」

 

「今はそうね。白瀬さんの場合は、まず動きの中へ表情演技を入れていかないといけない」

 

私は頷いた。

カメラの場所が分かればいい、という話ではなかった。

 

次に使われたのは五人の楽曲の一つ、『透明な合図』だった。

家でMVも見たことはある。

曲も、聴けば分かる。

うろ覚えだけど物語性が強い歌詞で、MVもそういう形でやっていたはずだ。

 

まず五人が、本番用の位置で短い部分を確認する。

私は同じ部屋の端で、その動きと、モニターを交互に見ていた。

全員で試すときには、五人の動線から外れた印へ入り、教わった短い動きに置き換える。

 

五人の立ち位置を、六人用に変えているわけではない。

六月にあの場所へ立つのは、五人だ。

私は、そのために何を揃えているのかを、一緒に教わっていた。

 

曲が流れると、さっきまで隣で水を飲んでいた人たちの見え方が変わった。

美月さんが動くと、その先を見たくなる。

小日向さんは、位置を変えても、こちらへの顔が途切れにくい。

神谷さんの視線は、次にどこを見るのかまで繋がっている。

雨宮さんは、大きく動かないところでも、曲から離れない。

夏希さんの動きには、迷いがなかった。

 

そこへ、三枝さんの指示が入っていく。

 

「橘、そこは正面へ戻しすぎない。今、斜めのカメラに渡したところでしょう」

 

「はい」

 

「神谷は、次の入りまで目線を残して。雨宮、今の顔の向きはそのままでいい」

 

私には、既にできているように見えるものが、まだ変わっていく。

何度目かで、三枝さんが音を止めた。

 

「じゃあ、次はここの表情。歌い終わって、次のサビへ入るまで」

 

ほんの短い部分だった。

大きな移動が落ち着き、顔が見えやすくなるところでもある。

 

「ここを寄りで見せるなら、ただ笑顔を置くだけにはしたくない。相手に気づいてもらえた嬉しさはある。でも、同じ気持ちかどうかまでは、まだ分からない」

 

三枝さんが、歌詞のある紙へ指を置く。

 

「確かめたい、というところを残して、サビへ繋げましょう」

 

五人が頷いた。

私も、紙と映像を見比べた。

もう一度、曲が流れる。

夏希さんは、身体の向きが変わるところで、表情を少し抑えた。

動きは綺麗だった。

ただ、さっきまであった明るさが、その部分だけ、すっと消えた。

 

「桜庭、そこまで感情を抑えなくていい。嬉しいのが分からないくらいまで表情がなくなった」

 

「……はい」

 

夏希さんが口元へ手を当てた。

 

「まだ分からない、をやろうとすると、考えてる顔になるんですよね」

 

「何を考えるかがなくて、考えている形だけ作ると、そうなりやすいよね」

 

今度は美月さんが同じところを試した。

笑みを弱めても、綺麗だった。

カメラの位置も外していない。

 

「橘は、最初から答えありきで用意してる」

 

「えっと、どういう?嬉しいのが強すぎたとかですか?」

 

「強さより、順番。相手を見る前から、その笑顔が用意されているから。ちゃんと見る演技をして、その後に表情を変えないといけないの」

 

三枝さんがモニターを示すと、美月さんが顔を近づけた。

 

「……あ、本当だ。見る前に笑ってる」

 

「そういうこと」

 

美月さんがもう一度やる。

今度は笑い始めるのを遅らせた。

だけど、目線を出したあと、笑顔になるまでに、少し空白ができた。

 

「待っている間も、ちゃんと見ていて。笑うタイミングの音が来るのを待たない」

 

美月さんが頷き、元の位置へ戻った。

私は、ノートを持つ手を少し緩めた。

言われていることは、分かる気がした。

私も、前のレッスンで似たことを言われていた。

相手の返事を聞く前に、そのあとにする顔を決めてしまう。

五人は、さっきからお互いに指摘し合っている姿も見える。

でも、私が分かる気がすることと、五人に何かを言えることは違った。

口を挟める気はしなかった。

 

「白瀬さん」

 

「は、はい」

 

顔を上げた。

三枝さんが、私を見ていた。

 

「ここ、あなたはどう見せたいと思った?」

 

一瞬、返事が遅れた。

五人も、こちらを向いていた。

見ていたことを、見られていた。

 

「……私、ですか」

 

「ええ。今、何か考えていたでしょう。聞かせて」

 

私は歌詞の紙へ目を落とした。

それから、もう一度、止まった画面を見る。

 

「笑うのを、我慢するところなのかなって、思いました」

 

「我慢?」

 

「はい。嬉しくないんじゃなくて……嬉しいって顔に出したら、自分が待っていたのも分かってしまうので」

 

自分でも、少し言葉を探した。

 

「相手がこっちを見たから、見返す。でも、それがどういう意味かは、まだ分からない。だから、すぐには全部笑えない、というか」

 

夏希さんが、画面へ目を戻した。

 

「嬉しいのは、最初からある?」

 

「あると思います。ただ、最初から見せようとはしてない感じで」

 

言ってから、少し不安になった。

 

「……私は、そう読んだんですけど」

 

「ええ。その読み方で、一度やってみましょう」

 

三枝さんが、カメラの前を示した。

私は、ノートを持ち直した。

 

「動きも、ですか?」

 

「足は止めて。それに、歌わなくていい。顔の向きと目線だけ。さっき話した順番を、音の中で見せて」

 

……それなら、多分出来る。

口には出さなかったけど、そう思った。

ノートを置き、印の上へ立つ。

足元を一度確認してから、カメラを見た。

 

 

 

音が、少し前の部分から流れ始めた。

私は、レンズより少し外側へ視線を置いた。

見たい相手は、そちらにいる。

相手が目の前にいるわけではない。カメラ越しに私を見ている、架空の相手がそこにいる。

そう考えて、タイミングを図る。

それでも、ずっと見ていたことまでは、知られたくない。

向こうがこちらを見た気がして、目を戻す。

 

そこで、すぐに笑わない。

目が合ったことを、先に受け取る。

息が少し緩む。

口元もつられて動きかけるけど、全部は出さない。

まだ、こちらだけが喜んでいたら、少し恥ずかしい。

それでも、視線までは逃がしたくなかった。

次の音が来るところで、ほんの少しだけ笑った。

 

三枝さんの手が上がり、曲が止まった。

 

「はい。OK。白瀬さんもこっちに」

 

私は印から下がって、指示通りそっちに移動する。

五人が、モニターの前へ寄る。

誰もすぐには話さなかった。

自分の映像を見るより、その沈黙の方が気になった。

 

画面の中の私は、足を動かしていなかった。

腕も、難しいことは何もしていない。

それなのに、さっきの二歩の練習より、ずっと余裕があるように見えた。

まあ実際、足のことを考えていない分だけ余裕はあったのだけど。

 

「……今、何か返ってきた感じがした」

 

小日向さんが言った。

私は、そちらを見た。

 

「相手は映ってないのに。こっちを見てから、顔が変わったからかな」

 

再生が終わる。

美月さんが、画面の方へ片手を出した。

 

「最後だけじゃなくて、そこに行く前も、もう一回見たいです」

 

三枝さんが少し戻した。

私が、レンズへ目を向ける。

まだ笑っていないところで、美月さんが小さく頷いた。

 

「ここ。笑ってないけど、もう嬉しいんだ」

 

雨宮さんも画面を見たままだった。

 

「言おうとして、言わなかったみたい」

 

「……はい。そういう感じで、やりました」

 

そう答えると、雨宮さんは私を見て、一度頷いた。

三枝さんが再生を止める。

 

「白瀬さん、もう一度。目を合わせたときの嬉しさと、そこまでの流れは今のまま。最後の笑みだけ、出しかけて止めて」

 

「サビの前まで、ですか?」

 

「そう。目は逸らさない。嬉しさをなくすんじゃなくて、大きく口元に出すのをやめるように」

 

「分かりました」

 

印へ戻る。

相手を見るところは、変えない。

目が合って嬉しいことも、そのあとに少し息が緩むところも。

ただ、最後は笑い切らない。

出かけた笑みを、唇のところで留める。

音が止まった。

 

「……あ」

 

夏希さんの声がした。

今度は、私もすぐにモニターを見た。

最初のものと、二つ目のものが続けて再生される。

 

同じように相手を見ている。

でも、終わり方は違った。

一つ目は、少しだけ気持ちを渡している。

二つ目は、まだ自分のところへ残していた。

 

「今の、終わりだけ変えたんだよね?」

 

夏希さんに聞かれ、頷く。

 

「はい」

 

「その前は、変えないで?」

 

「同じようにしたつもりです」

 

夏希さんが、もう一度画面を見た。

 

「私、最後に何をするか変えると、その前も変わる」

 

「私も、待ってる顔から変わっちゃう」

 

美月さんが言った。

さっきまで自分の映像を見ていたときと、同じ真剣な顔だった。

三枝さんが、私へ顔を向ける。

 

「……じゃあ、最初の方に戻してみて。最後に、少し伝わる方に」

 

「はい」

 

もう一度、音が流れた。

今度は、止めない。

相手を見て、確かめて、隠し切らずに少し笑う。

終わると、神谷さんが画面と私を見比べていた。

 

「戻るんですね」

 

「……え?」

 

「さっきの形に。ただ似た顔をするんじゃなくて、途中の流れごと」

 

私は、少し考えた。

 

「どこで何を見たかを、同じにしたので」

 

「そこを覚えているんですか」

 

「はい。口元だけ覚えると、その前がなくなるので……私は、見てからどうなったかの方が、やり直しやすいです」

 

神谷さんは、すぐには返事をしなかった。

もう一度映像へ目を向け、それから三枝さんを見る。

 

「久世さんが話していたのは、こういうことだったんですね」

 

「ええ」

 

三枝さんが頷いた。

 

「表情を変えられるだけではなくて、どこを変えたかを自分で分かっている。他を残したまま、必要なところだけ変えられる。ここは、五人にも見てもらいたかったところです」

 

私は、置いてきたノートの方を見た。

何か書いた方がいい気がしたのに、何を書けばいいのか、すぐには分からなかった。

 

「真琴ちゃん、これ、毎回こうやって考えてるの?」

 

美月さんが聞いた。

 

「全部、言葉にしているわけではないです。でも、何を変えてくださいって言われたら、そこは考えます」

 

「考えて、その通りに変えられるんだ」

 

「まだ、できないときも、あります」

 

言いながら、さっきの足の動きを思い出した。

あれは、考えてもその通りにはならなかった。

美月さんは笑ってごまかすような顔をしなかった。

私を見て、それから、また画面へ目を戻した。

 

「うん。でも、今のはできてた」

 

その言い方が、妙に耳に残った。

三枝さんに褒めてもらうことは、今までもあった。

でも、その隣で五人が私の映像を見て、自分たちのものと比べている。

できなかったところを教えてくれようとしているのではなく、できたところを、もう一度見ようとしている。

それが、少し不思議だった。

 

「今の顔を、全員がそのまま真似する必要はありません」

 

三枝さんが、五人へ向き直る。

 

「笑顔の形ではなく、変わるまでの順番を見て。それぞれの見せ方へ調整して、自分なりのやり方に調整してほしいの」

 

五人が頷いた。

三枝さんは、引きの映像も出した。

画面の中で、私が少し小さくなる。

 

「それから、今のは寄りの画面で見える細かさです。遠い客席へ伝えるなら、身体の向きや動きの流れも必要になる。小さくやればいい、という話ではない。白瀬さんも、その点を踏まえて調整していく必要がある」

 

さっきまでよく分かった口元の違いが、引くと見えにくくなった。

その代わり、身体をほとんど動かしていないことが目についた。

顔だけならできることがあっても、それだけでライブができるわけではない。

そのことも、同じ画面の中にあった。

 

「白瀬さんは、まず今の流れを、最初の短い動きに乗せること。歩幅は広げないで」

 

「はい」

 

私も、元の場所へ戻った。

 

————

 

夏希さんの動きが、少し変わった。

足の運び方ではなかった。

身体の向きが変わったあと、正面を見るまでのところ。

そこに、相手を確かめるような間ができた。

次の動きへ入る速さは、変わっていない。

止まって待つのではなく、動きながら見ていた。

 

「うん、今の方がいい。今の表現なら、寄りで撮られても嬉しいのが伝わる」

 

「はい。笑っちゃ駄目、って思わない方がうまくできました」

 

夏希さんが、こちらへ顔を向ける。

 

「真琴が言ってた、待ってたのがばれるっていうの。あれだと、すっごい分かりやすい」

 

「……そうですか」

 

「うん、ありがと!」

 

もう一度、音に合わせてやってみせる。

さっき私が言ったことが、夏希さんの動きの中に入っていた。

でも、私と同じには見えなかった。

私にはできない動きで、夏希さんの表情になっていた。

美月さんも、最初から笑顔を置かなくなった。

相手を見たあとで、目元が明るくなる。

笑みを小さくしていたときより、ずっと美月さんらしいのに、前とは違うものが見えた。

 

小日向さんが、その映像を指さす。

 

「今の、気づいた感じがする」

 

「さっきまでは、最初から見つけてたんですよね」

 

「うん。見つける前から、こっちに手を振ってる感じだった」

 

美月さんが、自分の映像を見て笑った。

神谷さんは、笑みを残す長さを確かめていた。

雨宮さんは顔の向きを少し変えただけだったけれど、その分、目がどこへ向いているのかが分かりやすくなった。

五人が、同じ課題を、それぞれ別のやり方で直していく。

その横で、私はまた、最後の足を置き直していた。

 

「白瀬さん、今は正面を見ようとして、身体まで戻った」

 

「……はい」

 

さっき言われたことだった。

顔をどうするかが分かると、今度はそちらへ意識が寄りすぎる。

身体を残そうとすると、目を向けるタイミングが遅くなる。

足を止めてやったときの自分と、同じ曲の同じ部分なのに、随分違う。

私は一度、息を吐いた。

 

「今、顔の方を先にやろうとしてました」

 

「そうね。移動を終えてから表情を始めようとすると、間に合わなくなる。まず歩幅を戻しましょう」

 

足を確認する。

二歩だけ動く。

そこへ、顔の向きをつける。

当たり前だけど、五人に見てもらえたからといって、急にできるようにはならなかった。

ただ、足を直されている間にも、さっきの映像の顔は思い出せた。

できないことばかりで、全部なくなってしまったようには思わなかった。

 

休憩の合図が入ると、私は壁際へ戻った。

水を飲んでから、ノートを開く。

 

歩幅。胸を戻さない。

その下へ、少し迷ってから、表情を変える前に何を見るか、と書いた。

隣に、小日向さんがしゃがんだ。

 

「さっきの、最後を変えた方」

 

「はい」

 

「あれ、笑うのをやめても、目の方は嬉しいままだったよね」

 

「そのつもりでした」

 

「そこ、もう一回見たい。口元を止めると、私、目も一緒に止まりそうだから」

 

私はペンを持ったまま、小日向さんを見た。

少し離れたところで、神谷さんも頷いた。

 

「次の確認で、最初のものと続けて見せてもらえますか。違うところだけではなくて、残っているところも見たいので」

 

「あ、私も見たいです」

 

美月さんが近づいてきた。

雨宮さんも、水の蓋を閉めてこちらを見ている。

夏希さんは、さっきの目線の動きを小さく試してから、私へ向き直った。

 

「今度、顔の方をちゃんと見る。最初、何が変わったのか分かんなくて、全部見ちゃった」

 

三枝さんが、カメラの位置を確かめながら頷いた。

 

「じゃあ次はそこから。見たあと、それぞれの動きへ戻しましょう」

 

私は、ノートへ視線を落とした。

書きかけのところで、ペンが止まっていた。

もう一度見せてください。

それは、この部屋へ来てから、私がトレーナーの先生たちに何度も言っていた言葉だった。

今日は、五人が私に言っている。

 

「……はい」

 

返事をして、ノートを閉じた。

まだ、踊れないところは沢山ある。

歌も、動きも、五人には全然追いついていない。

でも、今、もう一度見たいと言われているものは、私にもあった。

私は立ち上がり、カメラの前へ戻った。

足の位置だけ、一度確かめる。

それから、顔を上げた。

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銀盤に踊る銀(しろがね)(作者:ブリザード)(オリジナル:現代/コメディ)

橘瀬理奈は銀髪碧眼ながら日本人のフィギュアスケーター。▼17歳にして4回転アクセルを跳べる唯一無二の女子選手。▼だが、世界は知らない。▼実は主人公が転生者で、30歳の会社員が女の子に輪廻転生したことを。▼そんな彼女の悪戦苦闘の日々。▼※カクヨム、なろうにも掲載始めました▼カクヨム https://kakuyomu.jp/works/2912051600434…


総合評価:5228/評価:8.55/連載:33話/更新日時:2026年06月19日(金) 08:00 小説情報

TS転生おっさん物語(作者:すすぺっと)(オリジナル:現代/日常)

▼社会に疲れた元おっさんは、死後、丸い蛍光灯のような神様によって、現代日本によく似たパラレルワールドへ女の子として転生する。▼赤ちゃんから成長し、高校生になった彼女――**高遠透花**は、180cm前後の高身長と整った容姿を持つ無気力系JK。▼本人はただ平穏に過ごしたいだけだが、前世の社会経験から来る落ち着きや距離感が、周囲には妙に大人びた魅力として映ってし…


総合評価:2240/評価:7.74/連載:23話/更新日時:2026年09月26日(土) 00:01 小説情報

TS双子姫と乙女ゲーム世界(作者:熱湯キチ郎)(オリジナル:ファンタジー/恋愛)

乙女ゲーム世界の王族の双子姫として転生した元男性二人。▼可憐な見た目とは裏腹に、二人の趣味は人間観察とトラブル鑑賞だった。▼やがて学園に入学した双子は、王子の婚約者である令嬢が追い詰められていることを知る。▼追い詰められた令嬢は双子へ助けを求めた。▼「私たちと契約すれば万難を排して見せましょう。」▼契約を交わした瞬間から、何者かのシナリオは崩壊を始める。▼こ…


総合評価:1146/評価:7.72/完結:55話/更新日時:2026年09月25日(金) 07:00 小説情報

人権ヒーラー(︎︎♀)に転生おじさん(作者:春に木漏れ日)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

超絶美麗グラフィックオープンRPG『冥魂』────。▼ ▼ リリース当初はそのゲームシステムや初期ストーリーのモッサリとした展開具合にユーザー離れも酷かったが、しかしVer6.4まで経てかなり評価を覆したこの作品。▼ ……の、周年限定的なガチャでしか手に入らない人権ヒーラー(♀)に転生したおっさんプレイヤー(♂)が原作を破壊したりしなかったり、厄ネタ(主人公…


総合評価:1916/評価:7.77/連載:33話/更新日時:2026年09月24日(木) 16:40 小説情報


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