TS少女は演じたい   作:息抜き

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16話

スマホのアラームを止めて、少しだけ布団の中で目を開けていた。

昨日よりも身体が重い気がする。

起き上がって足を床につけると、太ももの辺りに、昨日動かした分がまだ残っているような感覚があった。

だからといって、もう一度寝られるわけではない。

カーテンを開けて、洗面所へ向かった。

 

顔を洗って、髪を整える。

朝食を用意している間に今日の予定を確認して、それから椅子に座った。

食べ始める前に何となくSNSを開くと、見覚えのある二人の顔が画面に出てきた。

フォローしている、美月さんの公式アカウントからの投稿だった。

 

『今日もひより先輩と一緒にお仕事!』

 

添えられた写真では、美月さんと小日向さんが肩を寄せていた。

スマホを持っているらしい美月さんが少し腕を伸ばしていて、その横から小日向さんが顔を寄せている。

二人とも、衣装ではなく私服だった。

背景はほとんど写っていない。

ただ、端に少しだけ見えるカーテンの色と、後ろの壁には見覚えがあった。

昨日食事をご一緒させてもらった時に見たものでしかない気がする。

 

自分の部屋を振り返ってから、もう一度写真を見る。

似たような部屋なんて他にもあるだろうし、これだけで分かるわけではない。

ただ、投稿自体がさっきであることを考えると、ほぼ疑いようがなかった。

 

その投稿はされたばかりなのに、もうたくさんの反応がついていた。

 

『朝からこの二人は嬉しすぎる』

『相変わらず距離が近いw』

『二人とも今日もお仕事頑張って!』

『ひよみづ供給助かる』

 

少し下へ送ると、見覚えのあるアイコンが目に入った。

小日向さんの公式アカウントからも、返信がついている。

 

『勝手にあげるな』

 

その短い一言に、指が止まった。

すぐ下には、美月さんからの返事もあった。

 

『ひより先輩が可愛かったので!』

 

『理由になってない』

 

やり取りを開くと、そこにもファンからの反応が集まっていた。

 

『写真とリプの温度差w』

『美月ちゃん全然めげてなくて笑う』

『このやり取りまでセットで好き』

 

写真では肩を寄せて笑っているのに、返信では随分と容赦がない。

美月さんの方も、褒めれば何とかなると思っていそうな返しだった。

昨日の二人を思い出すと、文字だけのやり取りにも声がつく気がした。

 

そのまま他の返信も眺める。

写真のひよりさんと同じように、美月さんの肩に寄りかかりたいと書いている人もいた。

その下には、二人のこういう写真が好きだという言葉が続いている。

写真をもう一度開く。

ひよりさんはカメラを見ているけど、身体は美月さんの方に傾いていた。

美月さんも、それを特に気にしている様子はない。

何でもない一枚みたいなのに、見ていると少し笑ってしまう。

同じ写真を見て、朝から元気が出たと言っている人の気持ちが分かった。

いいねを押してから、スマホを伏せた。

いつまでも見ていると、朝食を食べる時間がなくなってしまう。

 

食べ終えて、食器を片づける。

着替えとタオル、飲み物、それからノートを鞄に入れた。

読みかけの文庫本は、昨日入れたところにそのまま残っている。

今日は帰りに少し読めるだろうか。

そんなことを考えながら鞄を閉じて、部屋を出た。

 

 

 

FOLIOに着いて着替えを済ませ、レッスン室に入ると、玲奈さんたちはもう来ていた。

 

「おはようございます」

 

挨拶をすると、ストレッチをしていた雨宮さんが顔を上げた。

夏希さんは飲み物を床に置きながら、こちらに手を振ってくれる。

 

「おはよ、真琴」

 

「今日は、美月さんたちは……」

 

「ひよりちゃんと二人で公式チャンネルの動画用の撮影」

 

夏希さんの言葉に、朝の投稿を思い出した。

 

「あ、それで一緒のお仕事って」

 

「写真見た?」

 

「はい。今朝流れてきました。小日向さん、勝手にあげるなとかリプしてましたけど……」

 

「あぁ、あれはいつものことだから気にしないでいいよ。あれって写真の公開同意のことじゃないし」

 

「……違うんですか?」

 

聞いた瞬間に夏希さんが笑った。

 

「違う違う!あれ言ってる時も、いつも公開自体の同意はしてるから。ひよりちゃん、伸びるって自分が思うタイミングで写真投稿したいだけだよ」

 

「外から見てるだけだと分からない」

 

「ひよりの分析癖は置いておくとして……ともかく、二人は今日はこっちには来ないから、四人ね」

 

神谷さんがそう言って、壁際に置いていたタオルを取り上げた。

私も鞄から飲み物を出して、その隣に置いた。

 

 

 

少しして高瀬先生が来ると、レッスンが始まった。

準備運動の後は、昨日もやった基礎だった。

音に合わせて身体を動かし、重心を左右に移す。

四人で鏡の前に並ぶと、自分の動きだけが少し遅れているのが分かった。

 

足の順番は覚えている。

次にどちらへ動くのかも分かっている。

なのに、足を出した後で身体がついていかなくなった。

 

「白瀬、歩幅をもう少し小さく。今は大きく動かなくていい」

 

「はい」

 

高瀬先生の声を聞いて、次は足を出す幅を狭くする。

それで少し動きやすくなった気がしたのに、戻るところでまたずれた。

昨日は、ここでもう少し楽に動けていた。

少なくとも、最後の方はそうだったはずだ。

 

「今、戻すのを急いだね。右に移ったところまでで、一度止めよう」

 

言われた通りに、途中で止まる。

高瀬先生に位置を確かめてもらってから、もう一度動いた。

 

「そう。今の位置」

 

その言葉に少しほっとする。

けれど、続けてやってみると、また同じところで身体が遅れた。

右に乗る。戻すのを急がない。歩幅を広げない。

一つ意識すると、他のことが抜けてしまう。

足元が気になって下を見そうになり、慌てて鏡へ視線を戻した。

 

夏希さんにも、動き出しが少し早いと声がかかっていた。

雨宮さんは高瀬先生に言われて腕の位置を直している。

皆、それぞれに指摘を受けている。

 

それでも私は、自分がさっきから同じことを言われ続けているのが気になった。

 

音が止まる。

息を吐いて、足を揃えた。

 

「……昨日できたのに」

 

思っていたことが、そのまま小さく声になった。

高瀬先生がこちらを見る。

慌てて顔を上げると、怒られるような雰囲気ではなかった。

 

「昨日の最後の感じに戻せないか」

 

「はい。同じようにしているつもりなんですけど……」

 

「分かった。そこは、この後もう少し区切って見る。まず水を飲んでこい」

 

頷いて、壁際へ戻る。

飲み物を口にしながら、昨日の最後を思い出そうとした。

あの時、何を考えていたんだろう。

できたと思った時の感覚は覚えている。

でも、その前にどう動いたのかを思い出そうとすると、途端に曖昧になった。

 

ノートを開く。

昨日書いたところには、教わったことがいくつも並んでいた。

今日言われたことと、同じような言葉もある。

読めば、そうだったと思う。

それなのに、身体はその通りになってくれない。

 

「ここからは、それぞれの課題に合わせて分かれる。その前に、今やったところの確認をしておこう」

 

高瀬先生の声に、ノートを持ったまま顔を上げた。

 

「音に遅れた時、途中から急いで追いつこうとすると、その後も崩れやすくなる。今は動きを大きくするより、どこでずれたかを確認するように」

 

高瀬先生は、さっきの動きを小さくやって見せた。

足を出す位置と、身体を移す位置。

動いている時には一緒になって見えたものが、区切られると少し分かりやすくなる。

 

「白瀬は、今日はまず右へ移るところ。続けると戻りを急ぐから、そこを分けてやろう」

 

「はい」

 

「昨日できていたのはちゃんと見ている。ただ、昨日の最後にできたことが、今日の最初から同じようにできるとは限らない。そうできるようにするために練習してるんだから、最初のうちはすぐできなくても不思議じゃない」

 

私は、ノートの端を指で押さえた。

 

「昨日できたのが、たまたまだったんでしょうか」

 

「昨日は声をかけながら何度か繰り返す中でできたんだ。それも、できたことには変わりない。ただ、一人で最初からできるか、音に合わせて続けられるかは、また別に確認する必要がある」

 

高瀬先生が、鏡の方へ視線を向ける。

 

「できた時の形に、慌てて全部戻そうとしなくていい。今、直すところはこちらから伝える。まずは一つずつやっていこう」

 

「……はい」

 

返事をして、ペンを持ち直した。

 

書き足していると、隣から神谷さんがノートを覗くように少し身体を傾けた。

 

「真琴、それ、ちょっと見てもいい?」

 

「……はい。あまり、綺麗じゃないですけど」

 

「読めれば大丈夫」

 

ノートを少し神谷さんの方へ向ける。

神谷さんは昨日の部分と、今書いたところを見比べた。

 

「これって、分からなかったことと、注意されたこと?」

 

「そうです。忘れないようにと思って」

 

「うん。それは書いておいた方がいいと思う。あと、できた時のことも、少しだけ入れておくと見返しやすいかも」

 

「できた時、ですか?」

 

「例えば、さっきの。ゆっくり区切った時はできていたでしょう。先生に声をかけてもらって、右に移ったところで止まった時」

 

その一度だけ、高瀬先生が頷いてくれたことを思い出す。

 

「はい。でも、その後はまた……」

 

「それも一緒に書けばいいの。ゆっくり途中で止めればできた。続けるとまだ難しかった、って」

 

神谷さんの指が、文字のない余白の手前で止まった。

 

「説明の意味が分からないのと、意味は分かるけど身体が動かないのと、声をかけてもらえばできるのって、違うでしょう。全部同じように書いてあると、後で読んだ時に分からなくなりそうだから」

 

もう一度、自分のノートを見る。

昨日のページには、直すところばかりが書いてあった。

 

これだけを見れば、昨日も今日も、同じことができていないように見える。

でも、昨日の最後にできたことも、さっき一度できたことも、本当はあった。

 

「……できなかった、だけじゃなくて」

 

「そう。どこまでできたかも。私だったらそう書くから」

 

ペン先を余白に置いた。

ゆっくり、途中で止める。

声をかけてもらえばできた。

続けると戻りを急ぐ。

書いてみると、少し長くなった。

でも、注意された言葉だけを書いたところよりも、さっきの自分の動きを思い出しやすかった。

 

「後で読んだ自分が分かればいいから、綺麗にまとめ直さなくても大丈夫」

 

神谷さんが言った。

 

「休みの日も、身体を休めながらこれを見て、何の練習だったか思い出してイメージトレーニングをするくらいならできるでしょう。書いてあるのに意味が分からなくなってたら、そこに印をつけておくの。次に聞きやすくなるから」

 

「全部、もう一回やってみるんじゃなくて?」

 

「動いて確かめることもあるけど、休みの日に毎回全部やり直す必要はないと思う。まずは、何を教わったか分かるようにしておくだけでもいい」

 

「動く方は、今日確認した範囲にしておくように」

 

高瀬先生が言葉を引き継いだ。

 

「神谷の言う通りだ。分からなくなったところを自分だけで直そうとしなくていい。それは次に持ってきてくれ」

 

「はい」

 

ノートの端に、分からなくなったところには印をつける、と小さく書く。

 

「私、前に『ここを直す』って書いて、後でどこのことか分からなくなったことある」

 

夏希さんが言った。

雨宮さんが、その隣で少し笑う。

 

「せめて、何の練習かくらいは書こうよ」

 

「書いてる時は、絶対忘れないと思ったんだって」

 

それは、少し分かる気がした。

私も昨日、できた時の感覚は忘れないような気がしていたから。

 

「メモが終わったなら、続きをやるぞ」

 

「はい」

 

高瀬先生の声に、ノートを閉じた。

 

 

 

その後は、それぞれの課題に合わせて分かれた。

私は引き続き高瀬先生に見てもらいながら、動きを区切って繰り返した。

一度できても、次は上手くいかないことがあった。

続けて動こうとすると、また同じところを直された。

ただ、さっきまでのように、全部できなくなってしまったとは思わなかった。

止まりながらならできる。

続けると難しい。

今の自分は、その間にいるらしかった。

 

レッスンが終わる頃には、タオルを当てても、すぐにまた汗が滲んだ。

 

「今日はここまで。次もこの速さから確認しよう」

 

「はい。ありがとうございました」

 

頭を下げてから、飲み物を取りに戻る。

少し落ち着いて、最後にノートを開いた。

音に合わせて続けると、まだ不安定。

そう書いて、その上に、神谷さんに言われた通り、区切ればできたことも付け足していった。

 

————

 

「真琴?」

 

着替えを済ませて一階へ下りると、エントランスの少し先で聞き覚えのある声が聞こえた。

振り返ると、彩花と目が合った。

 

「あ、彩花。お疲れさま」

 

「お疲れ。今終わったところ?」

 

「うん。彩花も?」

 

「そう。今日も今日とてレッスンでした。真琴もでしょ?」

 

「うん」

 

「そっかそっか。……そうだ、この後、何かある?」

 

今日は、帰ってからの予定は特になかった。

首を横に振ると、彩花が少し嬉しそうに笑った。

 

「じゃあ、久しぶりにお茶しない?」

 

「そうだね……うん、いいよ」

 

「やった!この間の小説の感想、ちゃんと話したかったんだよね」

 

 

 

二人でFOLIOを出て、駅へ向かう途中にある店に入った。

ちょうど奥の席が空いていて、向かい合わせに座る。

私は紅茶、彩花はカフェラテを頼んだ。

メニューを戻したところで、彩花が私の鞄を見た。

 

「重そうだね」

 

「着替えとか、色々入ってるから」

 

「本も?」

 

「……入ってる」

 

答えると、彩花が笑った。

 

「やっぱり」

 

鞄の中から文庫本を出す。

少し曲がりかけていた表紙を手で直していると、彩花が身を乗り出した。

 

「あ、それ読んでるんだ」

 

「知ってる?」

 

「読んだことある。今、どの辺?」

 

「主人公が、昔の友達に会いに行ったところ。最近あまり進んでなくて」

 

栞を挟んだページを少しだけ開く。

昨日も、一昨日も、この辺りだった。

 

「続きは気になってるんだけど、帰りの電車で開こうと思っても、そのままぼーっとしちゃうんだよね」

 

「持ってるだけで、今日は読める気がするんだよね」

 

「そう。それで結局、鞄が重くなるだけ」

 

彩花が頷いて、文庫本の表紙を見る。

 

「そこまでなら、まだあまり感想言わない方がいいかな」

 

「え、何かあるの?」

 

「そういう聞き方されると、何も言えなくなる」

 

「その言い方は気になるんだけど」

 

「じゃあ、面白かった。それだけ」

 

随分と大雑把な感想を言われてしまった。

思わず笑うと、彩花も笑った。

 

「でも、今のところ、主人公の友達がちょっと怪しいと思ってる」

 

「ああ」

 

「その『ああ』は、どういう意味?」

 

「登場人物を思い出しただけ」

 

「本当に?」

 

「ほら。何を言っても疑うから」

 

ちょうどそこで、頼んだ飲み物が運ばれてきた。

私は本を鞄に戻し、カップに手を添える。

 

「真琴は、読み終わってからもう一回読む方?」

 

「気になったところだけ戻ることはあるかな。最初から全部は、しばらく経ってから」

 

「私は犯人が分かった後に、最初の方を読むの結構好き」

 

「あの時、どういうつもりで言ってたのか、とか?」

 

「そう。それで、ちゃんと書いてあったんだってなるの」

 

彩花がカフェラテを一口飲んだ。

 

「この前観た映画も、見終わってから最初の場面をもう一回見たくなった」

 

「映画館で観たやつ?」

 

「うん。最初は何でもない場面だと思ってたんだけど、最後まで観ると意味が変わるところがあって」

 

「そういうの、ちょっと困るよね」

 

「困る?」

 

「本だったら、すぐ前のページに戻れるから。映画館だと、確かめたいところがあっても戻れない」

 

「ああ、分かる。今の表情、もう一回見せてってなる時ある」

 

私は頷いて、紅茶を飲んだ。

 

「でも、戻れないから、そのまま最後まで観られるのかも。家だと、気になったところで止めちゃうし」

 

「真琴、字幕を読み直すために戻してそう」

 

「……する」

 

「やっぱり」

 

「一回、読みそびれると気にならない?」

 

「気になるけど、後で何となく分かるかなって思って、そのまま観ちゃうこともある」

 

同じ映画を観ていても、見方は案外違うのかもしれない。

彩花は俳優の表情が気になると言い、私は、聞き取れなかった台詞があるとしばらく引きずると話した。

 

そこから、原作のある映画の話になった。

好きだった場面がなくなっていて残念だったこと。

反対に、文章では何気なく読んでいたところが、映像になると印象に残ったこと。

彩花が結末に触れそうになり、慌てて止めることもあった。

 

「待って。それ、まだ観てない」

 

「——危なかった」

 

「分かった。先に観るから、その話は取っておいて」

 

「じゃあ、宿題が増えたね」

 

「本も止まってるのに」

 

言ってから、二人で笑った。

レッスンのことを考えずに話していると、時間が経つのが早かった。

紅茶を半分ほど飲んだ頃、彩花がふと思い出したようにスマホを手に取った。

 

「そういえば、今朝の写真見た?」

 

「写真?」

 

「美月ちゃんとひよりちゃんの」

 

それだけで、どの写真か分かった。

 

「見た。朝ごはんの時に」

 

「可愛かったよね。ひよりちゃん、すごく楽しそうで」

 

彩花が画面をこちらへ向ける。

朝見た時より、反応の数が増えていた。

 

「美月ちゃんの方に寄ってるのに、ちゃんとカメラも見てるのがいい」

 

「返信にも、距離が近いって書かれてたよ」

 

「あ、それ私も思った。二人とも、あんまり写真を撮るために構えてる感じがしないんだよね」

 

朝、自分が感じたことと少し似ていた。

 

「うん。普通に話してた途中みたい」

 

「そう、それ」

 

彩花が写真を少し大きくする。

返事に余計なことは付け加えなかった。

小日向さんと美月さんが泊まっていた場所とかの話は、守秘義務に関わる部分だ。

投稿に書かれているのは、二人で仕事をするということだけ。

 

「今日も一緒って書いてあるし、また何か見られるのかな」

 

「楽しみだね」

 

「うん。この前の公式動画も面白かったし」

 

その言葉で、以前、彩花からいくつも動画を勧められたことを思い出した。

 

「前に教えてくれたPRACTICE LOGも、今も時々見てるよ」

 

「本当?三枝さんの回?」

 

「うん。他のも少しずつ」

 

「見始めると、結構時間かかるでしょ」

 

「一つだけのつもりだったのに、別のも気になっちゃうんだよね」

 

「分かる」

 

彩花が頷いた。

私はカップを置いて、ふと気になったことを聞いた。

 

「そういえば、彩花はどうしてあれを見始めたの?」

 

「最初は演技の動画を探しててさ。少しでも勉強したくて。それで、表情とか目線のことを調べてたら、カメラのレッスンの回が出てきたの」

 

「ルミパレを見ようと思ったわけじゃなかったんだ」

 

「うん。名前は知ってたけど、その頃は曲もあんまり知らなかったと思う。三枝さんを知ったのもその動画だったし」

 

彩花はスマホを自分の方へ戻した。

何度か画面に触れてから、見覚えのある動画の一覧を見せてくれる。

 

「最初は、こんなに細かく直すんだってびっくりしたんだよね。私には、変える前から十分よく見えてたから」

 

「それは私も思った」

 

「でも、説明を聞いてからもう一回見ると、確かに違うの。何を変えたか分かると、他のところも気になってきて」

 

その感覚は、何となく分かる。

完成したものだけを見せられたら、きっと上手だなと思って終わっていた。

途中のやり取りまで見えるから、さっきと何が違うのかを確かめたくなる。

 

「それで家でもやってみたの?」

 

「そう。見てる時は、自分にもできそうな気がしたから」

 

「前に言ってた、ただ横を見てるだけになっちゃったっていう……」

 

「それ。覚えてたんだ」

 

「覚えてたね」

 

彩花が笑った。

 

「自分で撮ったのを見ると、全然違うんだよね。それでまた元の動画に戻って、どこが違うんだろうって見てた」

 

「何回も?」

 

「うん。同じところばっかり。そのうち三枝さんが次に何を言うか、予想できちゃうくらい」

 

見るだけでは物足りなくなって、自分でも試してみる。

彩花らしい気がした。

好きな映画の話をしている時とは少し違うけれど、今もやっぱり、話していて楽しそうだった。

 

「じゃあ、今はルミパレのファンなの?」

 

「うん、ファンではあるよ。でも、熱烈なファンってほどではないかも。全部追ってるわけじゃないし、気になる動画を見たり、曲を聴いたりするくらいかな」

 

そこで一度言葉を切ってから、彩花はすぐに付け足した。

 

「あ、でも三枝さんが出てる回は、参考になるから毎回見てるよ?」

 

「そこは毎回なんだ」

 

「そこはね。後で見ようと思って、そのまま忘れたくないから」

 

随分とはっきりしている。

少し笑うと、彩花も笑った。

 

「でも、今は勉強のためだけに見てるわけじゃないよ。別の動画も見てたら五人のことも好きになったし。今朝の写真だって、普通に可愛いと思ったから真琴に見せたんだし」

 

「うん。それは分かる」

 

「練習動画を見に行ったはずなのに、その後ずっと放送部を見てることもある」

 

「それだと、本を読む時間がなくなりそう」

 

「なくなる。だから最近、ちょっとずつ積んでる」

 

さっきまで、私の読みかけの本の話をしていたのに。

思わず笑って、紅茶を一口飲んだ。

 

五人が好きだから、練習しているところも見たい。

そういう人ばかりではないのか。

彩花のように、先にレッスンの内容へ興味を持つ人もいる。

考えてみれば、私も最初はFOLIOのことを調べていて、あのチャンネルに辿り着いた。

 

家で両親と見た画面を思い出す。

その時、チャンネル名の下に表示されていたのは、218万人という数字だった。

全員が熱心なファンとは限らないとは思っていた。

だけど、じゃあ他にどんな人が見ているのかまでは、あまり考えていなかった。

歌やダンスを習っている人。

彩花のように、俳優になりたくて表情や目線を見ている人。

そういう人たちも、次の動画を待っているのかもしれない。

そう考えると、あの人数に少し納得した気がした。

 

そして、本当に加入することになったら、その人たちが見る画面の中に、私も入る。

私は、スマホに並んでいる動画の小さな画像へ目を戻した。

今は、ファンと同じ目線でどれを見ようかと選んでいる。

でも、その中に自分の顔が並ぶことも、あり得るのだ。

 

三枝さんに何か言われて、やり直す私を。

今日みたいに、分かっているつもりなのに身体が動かない私を。

知らない誰かが、さっきと何が変わったのか確かめながら見るのかもしれない。

そう考えると、カップを持つ手が少し止まった。

 

「これ、もう見た?」

 

彩花の声に、顔を上げた。

指先が、一覧の中の一本を示している。

 

「……多分、まだ」

 

「三枝さんの回。前に話したのとは別のやつなんだけど、こっちも分かりやすかったよ。後で送ってもいい?」

 

「うん。……一本だよね?」

 

彩花がこちらを見た。

それから、少しおかしそうに笑う。

 

「一本。今日はね」

 

「今日は、って」

 

「だって、他にもあるし」

 

前に連絡先を交換した時も、こんな調子だった。

二本だったはずが、いつの間にか三本になっていたのを覚えている。

鞄からスマホを出すと、ちょうど通知が来た。

送られてきた動画は、今のところ一本だけだった。

 

「ありがとう。帰ってから見てみる」

 

「うん。また感想聞かせて」

 

頷いて、後で見られるように保存する。

少し前まで、自分がそこに映るところを考えていたのに。

今はまた、彩花が面白いと言ったところを見てみたくなっていた。

 

その後は、また映画の話に戻った。

お互いに観たいと思っているものを挙げてみると、一つだけ同じものがあった。

 

「予定が合ったら、一緒に行こうか」

 

「行きたい。観終わった後、そのまま感想を話せるし」

 

「じゃあ、途中で分からない台詞があっても、私に聞かないでね」

 

「映画館では聞かないよ」

 

「出てから?」

 

「出てからは聞くかもしれない」

 

彩花が笑って、空になったカップをソーサーに戻した。

気づけば、私の紅茶もほとんど残っていなかった。

彩花とは、だいぶ趣味があるのはもう分かった。

時間を作るのは大変かもしれないけど、どうにか捻出して見に行きたい。

土日がほとんどレッスンで埋まる可能性があるから、本当に行けるのかはちょっと分からないけど……

 

最後の一口を飲んで、鞄を持ち上げる。

さっきまで机の上に出していた文庫本が、中で少し傾いていた。

今日は、続きが読みたくなっていた。

ただ、彩花に感想を話せるところまで急いで読もうとすると、また途中の台詞が気になって戻りそうだった。

会計を済ませ、二人で店を出る。

駅へ向かって並んで歩きながら、まだ本の話をしていた。

 

「読み終わったら連絡する」

 

「うん。誰を疑ってたか、ちゃんと覚えておいてね」

 

「やっぱり、友達じゃないんだ」

 

「だから、何も言ってないって」

 

横断歩道の手前で、彩花が笑いながら立ち止まった。

ここからは、別の方向だった。

 

「じゃあ、またね。今日は楽しかった」

 

「私も。またお茶しよう」

 

「うん。またね、真琴」

 

「またね、彩花」

 

手を振ると、彩花も同じように振り返してくれた。

青になった横断歩道を、彩花が向こう側へ渡っていった。

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