TS少女は演じたい 作:息抜き
七月二十四日、金曜日。
久世の机に、トレーナー三人の最終所見が揃っていた。
火曜日には、曲の途中から始める確認をした。
木曜日には、前回の修正を残したまま、六曲をもう一度つないだ。
新しい曲は増やしていない。
本番のために難度を上げたわけでもなかった。
覚えたものが、時間を空けても使えるか。
一度だけ通った結果を、そのまま本番の見通しへ置き換えていないか。
最後に残していた確認は、そこだった。
久世は、高瀬の文書を開いた。
身体・ダンス 担当:高瀬直人
ダンスの技術全般は、引き続き育成段階です。
新しい振付の習得速度、細かな角度の揃え方、動きの余裕には、既存五人との明確な差があります。
身体能力が特別高いわけではないという評価も変わっていません。
一方、現在練習している六曲については、振付の順序、立ち位置、移動先、曲間の切り替えを本人が把握できています。
隣の動きを見続けたり、一曲ごとに指示を受けたりしなくても、最後まで進められる状態になりました。
十八日に修正した歩幅は翌日にも残り、二十一日、二十三日の確認でも大きく戻っていません。
ミスがなくなったわけではありませんが、位置や動作がずれた際に、次の合流点へ自分で戻れるようになっています。
修正の理由を理解したあとならば、別の日や別の箇所にも反映できることを評価します。
体力の問題もあり、六曲後半では出力が落ちる箇所があります。
ただし、現行の曲順と負荷であれば、そのために移動が成立しなくなったり、周囲が継続して誘導しなければならなくなったりする状態は確認していません。
八月八日については、現行の六曲構成を基本とし、本番のステージ幅、衣装、入退場等への調整を行うことを条件に、ダンス面から実施可能と判断します。
この評価は、既存曲すべてへの対応や、長尺公演への対応を認めるものではありません。
二周年へ向けて曲数を増やす場合は、引き続き段階的な確認が必要です。
五月の報告には、現状のまま加入させることは不可能、とあった。
今回は、できる範囲が書かれている。
その範囲は広くない。
六曲。
現在の振付と、現在の負荷。
しかし、高瀬はその六曲について、自分の判断として実施可能と書いていた。
久世は、末尾の二行も削らずに起案書へ添付した。
二周年についてまで、同じ言葉で保証されたことにはしない。
続いて、鳴海の所見を開く。
声・歌唱 担当:鳴海亮介
歌唱の基礎は、現在も継続して育成する必要があります。
既存五人と同じ難度の歌唱を、同じ量だけ任せられる段階ではありません。
現在の六曲で割り当てている歌唱については、歌い出し、呼吸位置、音の長さ、語尾の処理を、別日にも再現できるようになっています。
動いたあとに声へ戻ること、次の歌い手へ渡すまで担当を保つことも、通しの中で確認しました。
疲労が出ると語尾が細くなる箇所は残っています。
ただし、息を使う位置を整理したあとの修正は残り、六曲後半まで自分の担当を続けられています。
声色や言葉の意味を表す感覚は、引き続き強みです。
以前は表現へ意識を向けると音程や長さが崩れていましたが、現在の短い担当範囲では、基礎を保ったまま表現を重ねられる箇所が増えています。
一方で、難度の高い独立したハーモニーや、動作負荷の高い箇所で長いソロを担わせることはまだできません。
現行の歌割りと曲順であれば、八月八日の六曲について、本人へ歌唱の担当を持たせられると判断します。
本番の音響、マイク、緊張下での呼吸への対応は、今後のリハーサルで詰める必要があります。
久世は、添付された音声も聞いた。
声の強さだけなら、五人との差はすぐに分かる。
だからといって、真琴の歌うところを、誰かの声で覆わなければ聴かせられないという状態ではなかった。
短くはある。
しかし、その短さの中で、言葉を終えるところまで本人が持っている。
五月には、曲を使って歌唱指導する段階にも達していない、と書かれていた。
そこから始めたことを、久世は覚えていた。
それが、これだけの評価をされるほど向上している。
三つ目の文書へ進む。
カメラ表現 担当:三枝朱里
二月から確認してきた、視線、表情、呼吸、間を用いて見え方を変える強みは、現在も明確に残っています。
歌唱やダンスの指導が増えたことで、その強みが薄くなったとは見ていません。
初期には、足や位置を考えると顔の表現が止まり、表情を作ると次の動作が遅れていました。
現在は、六曲の中に設けた担当場面で、相手の歌を受け、自分の表現を出し、次の歌い手や移動へつなぐことができます。
新曲では、表情を変えるタイミングを修正したあと、次の移動まで続けても成立することを確認しました。
その後日を改めても継続的に同じ条件を保つことができています。
相手が歌い終わる前に次の表情を準備する癖は、今後も注意が必要です。
ただし、指摘を受けた際に原因を説明し、必要な部分だけを変える力は高まっています。
今回評価しているのは、単独で撮った時だけ強い、ということではありません。
六人の歌や動きの受け渡しの中でも、白瀬の強みである表現を見せることができる段階へ進んでいます。
現行六曲の表現上の見せ場については、本番へ向けて仕上げられると判断します。
他の五人の強みを弱めずに、白瀬の強みを同じ演目へ置けることを、加入検討上の重要な変化として報告します。
三枝の報告を読み終えてから、久世はしばらく手を止めた。
五月にも、三人の所見をこの順番で読んだ。
二つの低い評価と、一つの高い評価。
それを受けて自分で書いた最初の結論は、現時点での正式加入は不可、だった。
その時の結論が、間違っていたわけではない。
歌えなかったものが、歌えるようになった。
動けなかったところを、動けるようにした。
それだけの時間を、本人と指導する側が使っている。
そのうえで、最初に見つかったものも消えなかった。
久世は、三人の報告を起案書の後ろへ揃えた。
『白瀬真琴 Lumière Palette正式メンバー化及び六人体制移行案』
今日、会社へ起案するための重要な根拠だった。
————
「失礼します」
扉が開き、早川理沙が入ってきた。
手にしているのは、真琴の稼働記録と、発表前後の予定案だった。
久世の向かいへ座り、まず前者を開く。
「昨日の確認まで、予定していた範囲で終えています。今日は本人を呼んでいません」
「今日は来てもらう必要はないからな」
「はい。明日の面談についても、ご両親まで予定を確認できています。……万が一起案が通らなかった場合はどうするんですか?」
「その場合は、早期の加入可否判断の段階を終え、本格的に長期的な視点でメンバーとしての育成へ移るという話をすることになる。八月一日付の加入案が認められなかったとしても、メンバーとして育てること自体が否定されなければ、論点は加入時期へ移るからな」
七月二十五日。
今後について重要な説明があるとして、数日前から三人に時間を取ってもらっていた。
まだ、その説明が正式加入のオファーになるとは伝えていない。
「早川から見て、今の状態はどうだ?」
「五月からの負荷で継続できた、という確認は取れています。ただ、何も調整せずに続いたわけではありません」
早川が記録を一枚めくった。
「考査の前後には実技を減らしていますし、疲労が強い日は私の方で止めて確認だけにしています。土曜の宿泊も、翌朝までの往復を減らす意味がありました。そこを含めて成立した結果です」
「加入したら、同じ実働範囲であれば可能そうではあると」
「あくまで推測段階ではそうです。特に発表までの撮影や確認作業は、今のレッスンへそのまま上乗せしないでください。撮影をする日は、実技の方を組み替えます」
久世は頷いた。
正式加入へ進めば、必要なものは増える。
だからこそ、増えた仕事をどこへ置くかは、今のうちに決めておく必要があった。
「本人の申告は?」
「最初より具体的です。レッスンでは分からない箇所や、もう一度説明してほしいところは、本人から言えています。疲れている時に『できます』で押そうとする傾向は残っていますが、こちらが具体的に確認すれば、何がきついのか話せるようになっています」
「現場に慣れたということもあるか」
「あると思います。先生方だけでなく、五人にも聞けていますから」
早川は、机に置いた別の紙へ目を移した。
「関係も良好です。白瀬さんを正式に迎えることについて、既存の五人から異議は出ていません」
「個々にも確認したんだな」
「はい。六人での活動を続けることと、今の練習で困っていることを分けて聞いています。動線や合わせ方への意見はありますが、一緒に活動すること自体への反対はありません」
久世は、木曜日の記録を思い出した。
通しを終えた六人が、モニターの前に集まっていた。
「互いに名前で呼ぶようになったな」
「そうですね。こちらから指示したことはありません」
「ひより先輩、と聞こえて、少し驚いた」
「橘さんのことも、今は美月と呼んでいますよ」
早川が、わずかに笑った。
「仲良くするよう言ってできることではないからな」
「はい。休憩中にも普通に話していますし、宿泊も本人たちから相談がありました。ただ、関係がよいから負担がない、とは考えていません」
「そこは、五月にも言われたな」
「今も同じです。手伝ってくれることと、仕事として任せてよいことは別ですので」
早川は、予定案を久世の方へ向けた。
「少なくとも八月八日までは、この組み方なら運用できます。その後に曲数を増やすところも、夏期休暇であることを加味したうえで、休養と学校の予定を残して枠を取れます」
「分かった」
「あと、本人の意思については、明日改めて聞いてください」
久世が顔を上げる。
「レッスンを続けたいという希望と、正式メンバーとして公に活動したいという返事は、同じではありません。発表後のことまで説明したうえで、本人に選んでもらう必要があります」
「ああ。そのためのオファーだ」
久世は、起案書の表紙を早川へ渡した。
「こちらが迎えたいと思っていることまで、曖昧にして持っていくつもりはないよ」
————
午後の経営会議では、久世の議題に入る前に、机の上の資料が一度入れ替わった。
代表と、各部門の責任者。
今回はライブ事業とデジタルメディアの責任者も、移行計画の説明に加わっていた。
早川も久世の隣に座っている。
起案書は事前に回してあった。
最後の技術所見と木曜日までの実施記録は、更新分として添付している。
代表が表紙を見た。
「白瀬真琴の正式メンバー化案だな」
「はい」
久世は壁の画面へ資料を映した。
「八月一日付で、白瀬真琴さんをLumière Paletteの正式メンバーとして迎えることを提案します。本日、会社としての方針を決定し、明日、ご本人と保護者へ正式にオファーしたいと考えています」
誰も、すぐには頷かなかった。
それでよかった。
五月の候補化と違い、今度は、表に出ている五人の形を変える判断になる。
「まず、候補化承認時に置いた判断条件を確認します」
久世は、当時の決裁内容を開いた。
八月八日を第一判断ラインとする。
その日に、限定した六曲で公演を成立させられるか。
当日に真琴を試し、終わってから加入を決めるという意味ではない。
七月中の育成結果から、本番へ出せる見込みがあるかを判断する計画だった。
「七月までに、グループで活動する適性がないと分かった場合は、候補化を撤回し、本人の希望を確認の上、映像方面の新人候補に戻す」
俳優・タレント部門の責任者が頷いた。
「適性はあるが八月八日には間に合わない場合は、二周年前の加入を見送る。五人は五人体制の二周年準備へ移り、白瀬さんはいったん個別の育成を中心に戻す。長期的に育て、加入時期を改めて検討する」
久世は、その次の行を示した。
「そして、六曲の公演を成立させられる見込みが立った場合は、八月一日の加入・公表を基本として、正式メンバー化を起案する。今回、私が提案しているのは、この三つ目です」
アーティスト開発の責任者が、添付の所見を開いた。
「三名とも、現行の六曲については、本番へ進められるという評価ですね」
「はい。十八日と十九日の通しに加え、二十一日と二十三日にも確認しています」
「ただ、技術全般の評価は今も育成段階、と」
「そこは変わっていません」
久世は答えた。
「六曲が通ったことを、他の曲でも同じようにできるという評価には広げていません。歌割りも振付も、現在の白瀬さんが担当できる範囲で組んでいます」
「五人がかなり支えているのでは?」
「当然支えています。ただ、本人の担当がない状態ではありません」
久世は、六曲通しの映像へ切り替えた。
「新曲の、この範囲を見てください」
ひよりの声が会議室へ流れた。
真琴が受ける。
短く歌い、美月へ渡す。
次の移動にも遅れず入る。
画面の中では、六人の中心が変わっていった。
澪が歌うところでは澪を見せ、夏希の動きが全体を大きく転換させる。
真琴のためだけに、他の五人が後ろへ下がり続ける曲ではなかった。
「五月に確認したかったのは、カメラの前で一人ならできることが、他の人の歌や動きと組み合わさっても使えるか、という点でした」
久世は、映像を止めた。
「そこは確認できたと考えています。五人と同じ技術になったから入れるのではありません。五人とは異なる強みを残したまま、同じ演目を成立させられるところまで来ました」
企画開発の責任者が、止まった画面を見ていた。
「この新曲は、白瀬さんを中心にした加入曲ではないんですね」
「はい。六人それぞれに見せる場面を置いています。表題は『六つの光』です」
「八月八日の公演名も、それに近い考え方ですか」
「Special Stage『6つの色』。白瀬さん個人のお披露目ではなく、六人体制の初披露です」
久世は答えた。
「白瀬さんにとって初めてのステージであることは、もちろん大きい。ただ、公演を見に来る方へ出すのは、六人のLumière Paletteです」
「……既存の五人の意向を、もう少し詳しく聞かせてください」
マネジメント部門の責任者が言った。
「歌割りも、立ち位置も変わる。候補者と一緒に練習することと、正式な仲間として活動することでは、受け止め方も違うでしょう」
早川が資料を開いた。
「それぞれ確認しています。白瀬さんを正式に迎えて活動を続けることについて、異議は出ていません。練習上の課題は、別に挙げてもらっています」
「人間関係は?」
「良好です。練習外でも自然に会話しています」
「白瀬さんが、五人に合わせているだけということは?」
早川は、手元の記録へ目を落とした。
「昨日の確認で、こういう場面がありました」
久世は、木曜日の別の箇所を再生した。
通しのあと、六人がモニターを見ていた。
美月が画面を指している。
それに真琴が少し身を寄せていた。
『ここで戻すなら、もう少し顔をこっちへ残した方がいいかも』
『私の顔?』
『うん。今のだと、向き直る途中が長く映ってるから』
美月が自分の顔の向きを変えた。
『こう?』
『多分。映してもらって確認したい』
『じゃあ、そこからやろう』
ひよりが頷く。
そのまま、六人は位置へ戻り始めていた。
久世は再生を止めた。
「このあと、三枝にも見てもらっています。白瀬さんの意見が、そのまま正解になるわけではありません。ただ、五人が聞いて、試すところへ進められている」
「指摘されるだけではなく、返せていると」
「はい。少なくとも、白瀬さんだけをお客さんとして扱う状態ではなくなっています」
早川が続けた。
「五人が日頃している、気づいたことを率直に伝えるやり方に、白瀬さんも参加できています。誰か一人が常に間へ入らなければ会話できない、ということもありません」
マネジメントの責任者が、紙へ短く書き込んだ。
「分かりました。ただし、五人が快く手伝うことを前提にはしないでください」
「そのような組み方にはしていません」
久世は答えた。
「五人には、一緒に活動する当事者として意向を確認しています。技術の判定と、加入を決める責任は、こちらで持ちます」
早川から、学校、移動、睡眠についての報告が続いた。
五月から通った回数だけでなく、削った回も示される。
考査に合わせて新しい課題を止めた週。
週末の往復を減らすための宿泊。
通しの翌日や、重要面談の前日に実技を置かない日程。
「本人の熱意で、無理な予定を押し切った結果ではないということですね」
「はい。逆に言えば、この調整は加入後も必要です」
早川は発表前後の予定案を開いた。
「写真撮影や映像の確認が入る分は、実技の枠を組み替えます。加入が決まったから、今までのレッスンを残したまま何でも足せるという扱いにはしません」
「本人にも、活動量が変わることを説明してください」
「明日、具体的な予定と合わせて説明します」
コーポレートの責任者が、起案書の前半へ戻った。
「ここまでの育成が成立したことは理解しました。ですが、あと半年育てれば、今よりできることは増えるのではありませんか」
久世は頷いた。
「増える可能性は高いと思います」
「二周年は五人で行い、白瀬さんはその後に加入する。それも、当初から残していた案でしょう」
「はい」
「それを選ばない理由を聞かせてください」
穏やかな問いだった。
早く発表したいから。
予定をもう組んでいるから。
それだけでは、五人の形を変える理由にはならない。
久世は、延期した場合の案を開いた。
「技術だけを見れば、さらに育成してから加える利点はあります。一方で、加入時期を遅らせれば、他のリスクが小さくなるとは限りません」
「……ファン側の反発ですか」
「それもあります。五人の人気とファンの規模がさらに大きくなり、五人体制で二周年を越える。その後で加入させるなら、今より長く積み重なった形を変えることになります」
五人が出演した番組。
五人で歌った曲。
五人で迎えた節目。
待っている間にも、そうしたものは増える。
「二周年を五人で仕上げたあと、改めて六人の歌割りと隊形を覚え直す必要もあります。今回の六曲以外について、白瀬さんが単独で振付を覚えるだけでは終わりません」
「ただ、それは今入れても同じでしょう」
「はい。必要な作り直しをなくすことができるという話ではありません。いつ、その時間と費用を取るかです」
久世は、最初の判断条件へ目を向けた。
「八月八日に届かないなら、私は延期案を出していました。後から入れる方が難しくなるとしても、今出せないものは出せません」
責任者は、黙って続きを待った。
「しかし、今回は当初置いた条件を満たしています。待たなければならない技術上の理由と、待つことで得られる利点、その間に増える負担を比べたうえで、今進む方を提案しています」
代表が口を開いた。
「二周年公演のチケット販売は、まだ始めていないな」
「始めていません」
ライブ事業部の責任者が答えた。
「出演体制と公演規模を確定していないためです。五人体制として先に売り、その後六人体制へ変更することは避ける方針で準備しています」
「会場は?」
「周年公演として、日程と会場候補は前から押さえています。六人へ移る場合は、東都ガーデンホールの六千席、一公演を基本にしています。五人で続ける場合の制作案もありますが、どちらにせよ、ここで方向を決める必要があります」
久世が引き取った。
「九月二十一日の公演は、まだ、五人の二周年としても六人の二周年としても販売していません。今なら、選んだ体制を明示して発表できます」
「さらに一か月様子を見る、という選択は?」
「白瀬さんの育成だけならできます。ただ、その間、二周年の出演体制と制作、チケット販売まで保留し続けることになります。現実的ではありません」
代表が、予定表へ目を落とした。
「五人か六人かを決めないまま、九月を待つことはできない、ということだな」
「はい。加入を見送るなら、その判断も今必要です」
「六人体制の場合、八月以降はどう進める」
代表の問いに、久世は実施計画を開いた。
「まず八月一日に、正式加入と六人体制への移行を公表します。同時に、八月八日のSpecial Stage『6つの色』を発表し、チケット販売を始めます」
画面には、一週間後の公演概要があった。
東京ハーバーステージ。
一千八百席。
六曲。
四十五分から五十分。
「二周年公演も、この日に詳細を発表します。六人体制の『Same Sky, New Palette』として、チケットの抽選受付を開始する計画です」
「二周年は、六人の場合は六千席だったな」
「はい。公演尺は百から百十分、十六曲前後を想定しています」
ライブ事業部の責任者が補足する。
「六月の八千席二公演から、現地の販売枠は抑えます。新体制の作り直しと、大規模化を同時に進める案にはしていません」
コーポレートの責任者が、制作費の別紙を開いた。
「動員を伸ばせる時期に、一度止めることになりますね」
「そうなります」
久世は答えた。
「五人の公演へ白瀬さん一人を置けば済むのなら、ここまで抑える必要はありません。しかし実際には、歌割りもハーモニーも、移動もカメラも変えます。五人も、自分たちの動きを覚え直すことになる。六人体制として提供できるパフォーマンスの完成度を優先した方針です」
「六曲から十六曲へ増やす見通しは?」
久世は、週ごとに分けた育成案を示した。
「構成は、六人版十四曲と、既存のユニット二曲です。ユニットは小日向と橘、神谷と雨宮の二組ですので、白瀬さんが参加するのは十四曲になります。そのうち六曲は、今回、本番へ進められると評価された曲です。新たに習得するのは、残り八曲です」
七月までの育成記録を、その隣へ並べる。
「六人版の楽曲レッスンを始めたのは、六月十六日です。そこから昨日まで、通常授業と考査による調整を挟みながら、六曲を今の段階まで持ってきています。最初は一曲の中で歌と動きをつなぐところからでしたが、今は六曲を続けても、自分の担当を保てるところまで来ています」
早川が、八月の予定へ指を置いた。
「白瀬さんは、すでに夏休みに入っています。これまでは平日の実技を放課後の限られた時間へ置いていましたが、これからは日中の枠が使えます。学校の課題と受験準備、休養を残したうえでも、授業のあった時期より、個別の指導と六人で合わせる時間を増やせます」
「八月八日までは、現行六曲の仕上げと発表の準備を優先します。九日は休養にして、その後、追加の八曲を段階的に入れていきます」
久世は、九月二十一日まで続く予定を示した。
「新しく覚えた曲は、すでにできている曲と数曲ずつつなぎます。一曲ごとの担当を増やすことと、連続して歌い動ける時間を延ばすことを、並行して進めます。十四曲すべてを最初から覚え直すのではなく、今の六曲を土台に広げていく計画です」
「白瀬さんの練習量を増やすだけではない、と」
「はい。六人全体の再構築です。曲間、MC、衣装転換、後半の声と身体の使い方まで含みます」
早川が続けた。
「通常授業が再開したあとも、夏休みと同じ量を続ける予定ではありません。日中を使える間に習得と合わせを進め、その後は学校の予定に合わせて、公演全体の確認と仕上げへ移します」
アーティスト開発の責任者は、高瀬の所見へ目を戻した。
「現時点で実技の確認が済んでいる六曲と、二周年までに仕上げる見通しは、分けているわけですね」
「はい。十四曲が今日すべてできている、という報告ではありません。ただ、これまでに六曲を仕上げた実績があり、修正を定着させる力も確認できています。そのうえで、夏休みにはこれまでより指導と合わせの時間を取れる。残り八曲の習得と長尺への対応を進め、二周年は予定の六人体制で実施できると判断しています」
責任者は、七月までの記録と、八月以降の予定を見比べた。
「分かりました。その実績と稼働計画であれば、二周年を六人体制で進める判断に異論はありません」
責任者が、ようやくペンを置いた。
「八月八日の会場も、確保済みということでいいですね」
企画開発の責任者が聞いた。
「はい。加入した場合に実施できるよう、非公開で条件付きの準備を進めていました」
「楽曲は?」
「既存の五曲は、今見ていただいた六人版です。新曲の『六つの光』も、楽曲としては完成しています」
久世が答えると、早川が衣装の進行表を開いた。
「衣装も制作済みです。白瀬さんには、候補として今後必要になる準備のため、私からサイズ等を確認しました。衣装担当へ必要な情報を渡しています」
「本人分も、もうあるんですね」
「はい。合意後に試着し、動いた時の最終確認と調整を行います。そこから一着を新しく作り始めるわけではありません。ですので、衣装等が間に合うか、という点に関しては問題はありません」
コーポレートの責任者が、進行表と費用の別紙を見比べた。
「現段階での正式加入が成立しなかった場合、この会場はどうするつもりですか」
「会場は条件に沿って転用か見送りを判断します。楽曲や衣装についても、予定どおり使えないものは当然出ます」
「全額を別のところで回収できる、ということではないですね」
「そういう前提にはしていません」
少し間が空いた。
「加入を決めたあとに、本人へ短期間で無理をさせないための先行準備であり、投資です。用意したこと自体を、加入させる理由にはしていません」
責任者は、その言葉を聞いてから頷いた。
「では、そこまで準備が済んでいて、承諾後に残る作業は?」
デジタルメディアの責任者が、別の進行表を前へ出した。
「発表に使う素材は、これからです」
一枚の紙に、いくつもの工程が並んでいた。
真琴個人の宣材写真。
六人での集合写真。
公式プロフィール。
加入挨拶。
公式サイトと各SNSの画像。
公演告知。
八月一日の公表に用いる短いティザー。
翌二日に公開する、候補期間のドキュメント。
撮れば終わるものばかりではなかった。
選び、編集し、本人へ見せ、直し、公開用の形にする必要がある。
「写真の撮影枠や、サイトのひな形は準備できます。ただ、本人が正式加入に合意する前に、新メンバーとして撮影を進めることはできません」
「プロフィールも、候補者の登録情報をそのまま出すわけにはいかないな」
「はい。趣味や特技、紹介文、公開する内容を本人と確認して作ります。挨拶も、本人に考えてもらったものを確認する工程が必要です」
久世は、並んだ工程を見ていた。
会場と曲と衣装があれば、ステージの準備には進める。
しかし、世の中へ六人の名前と顔を出すためには、まだ足りない。
その最後の部分は、会社だけでは埋められなかった。
「反発への対応を聞かせてください」
企画開発の責任者が言った。
「社内で六人が成立していることと、ファンが受け入れることは別です。五人が仲良くしている映像を出せばそれだけで済むという話でもない」
「はい」
久世は頷いた。
「五人のままがよかった、とは言われると思います。歌やダンスの経験差も、見れば分かります。そこを隠す発表にはしません」
「隠さなければ納得されるわけでもありませんが」
「その通りです」
五人で完成していたことを、会社が説明するためだけの言葉にしたくはなかった。
あの五人を好きになって、たくさんの時間とお金を使ってきた人がいる。
新しい可能性があると説明されたからといって、昨日まで好きだった形を、すぐ別の形へ置き換えられるとは限らない。
「既存メンバーのパートを奪った、とも言われるでしょう」
企画開発の責任者が続けた。
「会社のごり押しだとか、誰かが抜ける前触れだとか。加入する子の技量が低く見えるほど、別の理由を探されます」
久世は、その言葉を遮らなかった。
五月に起案した時にも、考えていたことだった。
実際の発表日が近づいた分、今はもっと具体的な問題になっている。
「八月一日に、加入経緯の骨格は説明します」
久世は言った。
「二月のカメラテストから通常の新人育成を経て、五月から非公開の合同レッスンをしてきたこと。今回の加入は、そこまで確認した結果であること。まず、その情報を発表と同時に出します」
「となると、それ以外の大部分は、翌日の本編動画で、ということですか」
「八月二日です」
デジタルメディアの責任者が答えた。
「素材としては、二月のカメラテスト、新人候補期間の実技記録、五月以降の合同レッスンがあります。記録の所在は確認してあります。ただし、公開版で何を使えるかは別です」
「本人の確認が必要になる」
「はい。内部記録への同意を、そのまま公開同意として扱うことはできません。使用候補と構成を示して確認し、編集後の完成版も見てもらいます。五人が映る部分も同様です」
企画開発の責任者が、動画の工程へ指を置いた。
「炎上してから作る動画ではない、ということですね」
「最初から、加入を説明するために必要なものとして用意します」
久世が答えた。
「発表だけを出して、何日も理由が分からない状態にしたくありません。何を評価し、どう一緒に練習してきたのか。その判断材料を、早い段階で渡します」
「仲のよいところだけを集めても、作った映像だと受け取られますよ」
「練習を見せます」
久世は、先ほどの映像へ目を向けた。
「白瀬さんができなかった箇所も、指摘されて直したところも、五人が自分の修正をしているところもです。五人から歓迎の言葉を並べてもらうだけでは、何を確認して加入を決めたか伝わりません」
「それでも、確実に反発は残る」
「残ると思います」
久世は、今度はすぐに答えた。
「動画一本で全員に好きになってもらえるとは考えていません。ただ、会社が決めた変更について、説明をしないまま本人を矢面に立たせることは避けたい」
マネジメントの責任者が、早川を見た。
「本人と保護者には、どの程度伝えますか」
「強い反発が起こる見込みであることを、明確に伝えます。発表直後の検索や掲示板の巡回は控えるよう勧めます。危険な投稿や個人情報の特定等に関しては、会社側で確認して適切に対応します」
「その場合でも、本人が本番で覆せばいい、という説明にはしないでくださいよ」
「しません」
久世が答えた。
「八月八日に必要なのは、六人で六曲を成立させることです。白瀬さん一人に、加入の正当性を全て証明させるための公演ではありません」
会議室が、少し静かになった。
代表は、ここまでのメモへ視線を落としていた。
「実行計画は分かった」
代表が言った。
「だが、もう一つ。なぜ、この会議で決めたいのか。公演のためだけなら、社内判断を数日置く余地はあるな」
久世は、発表までの工程表を開いたままにした。
「その数日を、できるだけ本人とご家族に残したいからです」
代表が顔を上げた。
「明日は、今後について重要な説明があるとして、三人に時間を取っていただいています。こちらが今日決められれば、正式な条件と、会社として迎えたいという考えを揃えて渡せます」
「結局、八月一日へ合わせるために、返事を急がせることにはならないか」
「即答は求めません。契約書も持ち帰っていただきます」
久世は言った。
「ただ、合意が得られたあとには、先ほど挙げた作業があります。宣材撮影も、プロフィールも、挨拶も、映像の確認も。会社が検討を延ばせば、その分だけ、ご家族で考える時間か、了承後の準備時間が短くなります」
机の上には、五月からの評価が並んでいた。
何を見たいかを考えた時間。
実際に教えてもらい、変化を待った時間。
会場と制作条件を検討した時間。
久世たちには、その時間があった。
「こちらには、五月から検討する時間がありました。七月中に第一判断を下す前提で進めてきて、中間報告も行っています。最後に必要だった確認も、昨日までで終わっています」
久世は続けた。
「それでも残る不安はあります。ただ、あと二日同じ資料を読めば、反発のリスクがなくなるわけではありません。その二日を会社が使うより、本人とご家族に渡したいと考えています」
コーポレートの責任者が、予定表の七月三十日を見た。
「この日は、契約締結の希望日ですね」
「はい。可能なら三十日、遅くとも三十一日までにご回答いただきたいと説明します。ただし、確認が終わっていない場合は、八月一日の発表を動かします」
「八月八日の扱いも、その時点で見直す必要がありますね」
「必要なら、その前のリハーサルや本番に近づけたレッスンの実施計画も見直します」
代表は、しばらく何も言わなかった。
空調の音が聞こえた。
机の向こうで、一人が資料の端を揃える。
久世も、言葉を足さなかった。
今日決めたい理由は、もう全て説明していた。
最初に口を開いたのは、アーティスト開発の責任者だった。
「現行六曲を条件とした実施判断について、私は異論はありません。二周年への拡張は、別の確認を続ける前提です」
ライブ事業部の責任者が続いた。
「六人体制へ移る場合の会場、規模、制作案で進められます。出演体制の確定を受けて、八月一日の告知と販売へ準備を移します」
デジタルメディアの責任者は、発表素材と動画の工程を確認した。
本人の合意後に撮影と公開確認を行うこと。
社内で先に進められる素材整理と、本人が選ばなければ進められない作業を分けること。
コーポレートの責任者は、移行費用の別紙を閉じた。
「短期的には、動員拡大を止める判断です。六人体制にしたことで、必ずそれ以上の利益が出ると見ることもできません」
「はい」
久世は答えた。
「その前提で、新メンバー追加案へ投資するということですね」
「そうです」
企画開発の責任者は、最後まで画面の公演名を見ていた。
「反発への対応は、発表して終わりにはしないでください。特に、万が一公演で失敗した場合の炎上は大きなリスクです。説明で足りなければ、会社が前へ出る必要がありますし、久世統括プロデューサー自身が判断経緯を説明し、責任の所在を明確にする必要も出るでしょう」
「承知しています」
代表が、ゆっくり資料を閉じて、久世を見た。
「歌もダンスも、五人と同じになったわけではない」
「はい」
「二周年までに作らなければならないものも、まだ多い。反発も起こる。五人で続ける場合より、手間も費用もかかる」
「はい」
代表は、三人の所見へ手を置いた。
「一方で、候補化の時に置いた条件は満たしている。限定六曲なら、六人で本番へ進める見込みがある。最初に評価した強みも、その中で残っている」
久世は黙って聞いていた。
「既存の五人にも異議はなく、関係は良好。生活と育成の両立も、調整を続ければ運用できる。加入後の計画も出ている」
代表が、各部門の責任者へ視線を移す。
今度は、それぞれが頷いた。
「——白瀬真琴への正式加入オファーと、合意を条件とする六人体制移行計画を承認する」
久世は、背筋を伸ばした。
「八月一日付の加入を基本として、明日、本人と保護者へ正式にオファーするように。契約と発表は、本人たちの合意を得てからだ」
「はい」
「二周年についても、六人体制の案で進める。必要な移行費用と制作の稼働は、今日の計画に沿って手配するように」
代表はそこで、一度言葉を切った。
「この場での検討は、ここまでにしよう」
久世は、静かに頷いた。
「ありがとうございます。明日、私から伝えさせていただきます」
五月には、正式加入は認められなかった。
今は、会社として迎えると決まった。
その間に増えたのは、期待する言葉だけではない。
六曲分の歌と、動きと、そこへ戻ってこられるだけの反復だった。