TS少女は演じたい 作:息抜き
「白瀬さんへの説明は、終わりました」
早川からそう聞いた時、玲奈は持っていた鞄を下ろした。
「……どうでしたか」
「久世さんと相談した範囲で、発表後の反応と、昨日までに分かっていることをお伝えしました。説明したことは五人にも伝えてよいと、本人に確認しています」
玲奈は頷いた。
何を聞き、どう答えたのかまでは尋ねなかった。
それは、真琴が早川と二人で話したことだ。
ただ、そのあとどうしているのかは気になった。
「今は、滞在用の部屋へ戻っています。受け答えはできていましたが、相当落ち込んでいる可能性は高いと思います」
早川は、一度言葉を切った。
「最後にお礼を言う前、少し息を整えていたんですよ。顔を上げた時には、もういつもどおりの表情でしたけど」
「……それが、気になったんですか」
「ええ。俳優の方を見ていても、そういう一拍に出ることがありますから。特に、抱え込みやすい方の場合は」
早川は、静かに続けた。
「これは、あくまで私の見立てです。ですが、いつもと大きく様子が変わらなくても、平気だとは思わない方がいいです」
「……そう、ですか」
昼間、真琴から相談された時のことを思い返す。
玲奈さんは、あまり変わらないので。
そう言われた時、玲奈は少しだけ返事に迷った。
自分が何も気にしていなかったわけではない。
真琴へ向けられた言葉を見て、腹が立たなかったわけでもない。
ただ、今まで通り話した方がいいと思っていた。
できていないところを曖昧に褒めたり、用事もないのに何度も声をかけたりすれば、その方が真琴は気にするだろうと。
その結果、自分へ聞きやすいと思ってくれたのなら、よかった。
けれど、聞きやすい相手になったところで、終わりにはしたくなかった。
「神谷さん」
早川に呼ばれ、顔を上げる。
「説明したのは、会社としての判断です」
何を気にしていると思われたのかは、分かった。
玲奈は小さく首を振った。
「相談をつないでくださったことも、間違いではなかったと思っています」
早川はそう続けた。
「白瀬さんも、自分で調べ始める前に、こちらへ聞きに来てくれましたから」
「……はい。ただ、聞けるようにして、あとは一人で考えてもらうというのも……」
「少し時間を置いて、私からも声をかけるつもりですよ」
「……そこは、疑ってはいないんですけど」
そこまで言って、少し考えた。
自分ならもっと上手く説明できる、と思っているわけではない。
真琴が読んだ言葉を、別の言葉で消せるとも思わなかった。
それでも、今日、顔を見ておきたかった。
「今夜、少し会いに行ってもいいでしょうか。本人がよければ、一緒に夕飯を食べるとか」
早川は時計を見てから、頷いた。
「ご本人に確認していただければ。普段の時間を一緒に過ごすことまで、控える必要はありませんよ」
「ありがとうございます」
部屋を出てから、玲奈はスマートフォンを取り出した。
真琴との連絡を開く。
そこで、少し指が止まった。
一人で行くつもりだった。
昼に相談されたのは自分で、早川へつないだのも自分だったから。
だが、今夜真琴に会いたいのは、それだけが理由なのだろうか。
少し先の部屋から、夏希の声が聞こえた。
続いて、美月が何かを言い返している。
玲奈は画面を消し、そちらへ歩き出した。
————
「今日、このあと時間ある?」
声をかけると、四人が顔を上げた。
美月は鞄へ上着をしまっているところだった。
ひよりはその隣で水を飲み、澪と夏希は椅子に座っていた。
「真琴のところへ行こうと思って」
そう続けた途端、美月の手が止まった。
「早川さんの話、終わったんですか?」
「うん。かなり応えているかもしれないって。一人で先に帰っちゃったみたい」
夏希が、すぐに立ち上がった。
「私も行きます」
「私も」
美月も続く。
玲奈は二人を見て、それからひよりと澪へ目を向けた。
「何か話を聞き出しに行きたいわけじゃないの。ただ、六人で夕飯を食べられないかなと思って」
「ご飯、多分まだだよね」
ひよりが聞いた。
「多分ね。まだ連絡してないから」
「だったら、何か持っていこうよ。真琴に用意してもらうんじゃなくて」
「うちで作る?」
澪の提案に、玲奈は顔を向けた。
「借りていいの?」
「うん。道具もあるし、作ってから持っていけばいいと思う」
ひよりも調理を手伝うと言い、美月と夏希は買い物や運ぶ準備を引き受けた。
誰かを説得する必要はなかった。
もう、何を食べるかという話になっている。
「……ありがとう」
玲奈が言うと、ひよりが少し首を傾げた。
「何かしたいのは、玲奈さんだけじゃないでしょ」
「私も真琴とご飯食べたいですし」
美月もそう言った。
玲奈は、小さく笑った。
自分が相談をつないだ責任はある。
でも、それを理由にしなければ会いに行けない相手ではなかった。
夕食は、澪の提案でクリームシチューになった。
「真琴、好きだもんね」
ひよりの言葉に、四人が頷いた。
五月には、好きな食べ物も知らなかった。
今は、すぐに一つ出てきた。
————
澪の部屋へ着くまでに食材を買い、三人でキッチンへ入った。
玲奈が野菜を切り、ひよりがサラダを作る。
澪は鍋を出し、美月と夏希はリビングで真琴の部屋に持っていく食器や容器を揃え始めている。
真琴へ夕食の誘いを送ってから、玲奈は手を洗い直した。
「二日の映像、改めて見ると、すごいですよね」
美月が言った。
「私たちと会う前から、あれだけできたんだなって」
カメラテストのことだと、すぐに分かった。
八月二日に公開されたドキュメントには、二月のテストから、歌やダンスの基礎、五人との合同レッスン、六曲を通すところまでが収められていた。
腕をつけると足が止まるところも、五人が六人用の動線を覚え直すところもある。
その中でも、公開後、特に注目されたのが冒頭のカメラテストだった。
三枝の指示に合わせて、真琴が表情を変える。
会えたのは嬉しいが、誘われた場所には行きたくない。
笑顔を残したまま困り、間を短くするよう言われれば、ほかを崩さずそこだけを変える。
別の課題では、心配する相手へ、大丈夫だと伝えていた。
『次は、目の前の相手には、本当に信じてもらおう。今より、ちゃんと安心させて』
ただし、映像を見る側には、何かを我慢していることを残す。
その指示を受けた真琴は、笑顔で相手を見る時間を長くした。
相手が納得するまで待ち、視線を落とした瞬間だけ、口元の力を抜く。
三枝はすぐに次へ進まず、担当者へ顔を向けた。
『これ、事前に練習してもらってます?』
『いえ。今日が初めてです』
玲奈は、あのやり取りを見た時、自分たちが初めて真琴の表情を間近で見た日を思い出した。
五人の方から、もう一度見せてほしいと頼んだ。
自分たちにも参考になると思ったからだった。
「三枝さんが、練習してきたか確かめるくらいだもんね」
夏希が言った。
「普段から見てもらってるから分かるけど、あれかなりびっくりしてる時だよね」
ひよりも頷いた。
玲奈自身も、ドキュメントが公開されてから、いくつかの反応を目にしていた。
真琴へ持ち込むつもりはなくても、話題になっている投稿が流れてくることはあった。
その中でも目についたのが、三枝が事前練習の有無を確かめた場面への驚きだった。
『本当に未経験なの?三枝さんまで事前練習確認してるし、指示が変わった直後に別の表情になるの怖いくらいすごい』
単純に、綺麗だ、可愛い、という感想だけではなかった。
映像制作や演技指導の経験があるとプロフィールに記しているアカウントからも、細かな解説が出ていた。
『一度いい表情が撮れたことより、指定された部分だけを変え、もう一度と言われて再現できることが大きい。相手役には隠し、観客には残すという要求まで理解している。これならスカウトして確かめたくなる理由は分かる』
自分たちが驚いたものを、他にも見つけた人がいる。
玲奈には、それが少し嬉しかった。
しかし、その賞賛が、そのまま加入への賛成になるわけではなかった。
『才能があるのは分かった。だったら俳優として育てればよかったんじゃないの。歌もダンスもこれからなのに、なんでルミパレを変える必要があるのか』
そんな投稿に、本人が六人で活動することを選んだのだから、と返信がつく。
すると今度は、本人の希望が分かっても五人で続けてほしかった気持ちは変わらない、と返される。
真琴の技術を褒めた投稿が引用され、その才能を理由に、増員への不満がより強く語られることもあった。
映像を見ていないから分かってもらえない、という話だけではなくなっていた。
「俳優でいいのに、っていう意見もあるんですよね」
美月が、並べていた容器へ目を落とした。
玲奈は頷いた。
「真琴を見つけた理由には納得しても、私たちに加える理由には納得できない、ということなんでしょうね」
「……真琴、あれだけ褒められたあとも、普通に足を出すところから練習してたんだよね」
夏希が言った。
「私なら、できる方をもっとやりたいって思うかも。でも真琴、苦手なところへ戻って、分からなかったらまた聞いてた」
玲奈にも、その姿は何度も思い浮かんだ。
頭では順番が分かっているのに、身体がついてこない。
腕を加えると、さっきまでできた足も止まる。
真琴は落ち込んだ顔をすることもあった。
それでも、得意なことを見せたから十分だとはしなかった。
「真面目だけど、おとなしく言われたことをやってるだけでもないよね。結構負けず嫌い」
夏希は少し笑った。
「できないまま終わるのが悔しいんだと思う。ゲームでも負けたら、もう一回って言うし」
「夏希もでしょ」
「だから一緒にやってて楽しいんだって」
美月に返した声が、少し弾んだ。
ひよりも笑いながら、サラダの水を切った。
「ただ、できたことまで、まだ駄目な方に入れちゃうんだよね。切り替えがよくなったって言うと、でも腕の高さが、って」
「ああ……」
「そこは別に直そうって話で、できた方まで取り消さなくていいのに」
ひよりの声は柔らかかった。
「分からないまま頷かずに確かめるところは、最初からいいなとは思ってた。でも、自分のことを褒めるのは、もう少し上手くなってほしいかな」
玲奈は頷いた。
真琴のノートを見せてもらった時も、直すところばかりが詳しかった。
どうすればできたかも残した方がいいと話すと、次には書き方を変えてきた。
聞いたことを、その場の返事だけで終わらせない。
だから玲奈も、安心して次の話ができた。
「私、最初はもっと大人っぽい子だと思ってました」
美月が言った。
「でも、普通にくだらないことで笑うし、慣れたら言い返してくるし。七月に一緒に泊まった時、自分からオムライスがいいって言ってくれたのも、嬉しかったんですよね」
「私も覚えてる」
ひよりが頷く。
「こっちに合わせるだけじゃなくなったから。私、真琴に気を遣われたいんじゃなくて、もっと一緒に遊びたいので」
美月は、そう言って笑った。
「練習も、私が入った時よりずっと緊張したと思うんです。もう活動してる五人が目の前にいて、できないところが全部見えるんだから。それでも来てくれたの、すごいと思う。でも、ずっと頑張ってる顔じゃなくてもいいのになって」
澪が、鍋をかき混ぜていた手を止めた。
「前に二人で食べた時は、静かにしてたよ」
「あれ、澪先輩いつ真琴と一緒にご飯食べたんですか?」
「七月に差し入れして帰ろうとしたら、一緒に食べてほしいって言われた。食べ終わってからも、お茶飲んだ。いっぱい話さなくても、一緒にいられた」
澪は、少し口元を緩めた。
「私は、そういうところも好き」
玲奈は四人の顔を見た。
自分のいなかったところにも、真琴と四人の時間があった。
聞けば、それぞれが違うことを覚えている。
「歌は、前に話したことを次にも使おうとしてくれるから、続きから話せる」
澪が続けた。
「今は、真琴がどう歌うかを聞いて、私も合わせてる。教えるだけじゃなくなった」
「それ、私もです」
美月が顔を上げた。
「真琴の語尾がちゃんと残るようになると、次の私の入り方も変えられるんですよね。できるのを待ってるんじゃなくて、今の流れでもう一回やりたいって思う」
玲奈は、切り終えた玉ねぎをボウルへ移した。
最初は、どこまでできる子なのかを見ていた。
今は、真琴の担当の次に、自分がどう動くかを考えている。
六曲を初めて通した日も、間違いがなかったわけではない。
それでも真琴は、少し外れた位置を次の移動で戻し、途中で止まらず最後まで続けた。
五月には、指摘を待って顔が止まっていた子が、自分で直してついてきた。
あの時、玲奈も嬉しかった。
「私は、分からないことを隠さないところを、信頼してる」
玲奈が言うと、四人がこちらを向いた。
「遠慮はするし、考えすぎるところもある。でも、聞いて、直して、次に持ってきてくれる。だから、一緒に続きを作れると思ったの」
頑張ったから迎えてあげたい、だけではなかった。
こちらにもできないことを持ち、苦手なところは少しずつできるようにしてきた。
一緒に練習するうちに、真琴がいる次の時間を楽しみにするようになっていた。
「ただ、しっかり返事ができるからって、放っておいて平気な子だとは思ってないわ」
「うん。聞くと、そこまで一人で考えてたの、ってなる」
夏希が言った。
昼間の相談も、そうだった。
知らない間、何も考えていなかったわけではない。
周囲の様子から察し、分からないところを一人で埋めようとしていた。
玲奈は、スマートフォンを確かめた。
夕食の誘いは、まだ読まれていなかった。
ファンが真琴をどう受け止めるかは、自分たちには決められない。
映像を見て才能に驚く人も、努力を認めても加入には反対する人もいる。
それでも、五人が一緒に過ごして知ったことまで、その反応で変わるわけではなかった。
「結局、私たちにとってはもう大事な仲間ってことですよね」
容器を揃えていた美月が、顔を上げた。
玲奈は四人を見た。
改めて聞かれて、迷う顔はなかった。
「そうね。これからも一緒にやりたい相手だし、困っていたら力になりたい。それは、真琴に対しても同じだわ」
「うん。真琴が一人で入るって決めて、私たちが付き合ってるわけじゃないからね」
ひよりが言った。
「私たちも嬉しかったんだって、そこは忘れないでいてほしいな」
夏希が大きく頷いた。
「私、真琴にごめんって言われるより、もう一回付き合ってって言われる方がいい」
「練習?ゲーム?」
美月が聞く。
「どっちも。一緒にできることなら、一緒にやればいいじゃん」
その返事に、玲奈は少し笑った。
真琴にできることが増えたのを、五人とも喜んでいた。
けれど、できないことがなくなるまで頼らずにいてほしいと思っていたわけではない。
「今日みたいなことも、一人で答えを出してから話しに来なくていいんだけどね」
玲奈が言うと、澪が頷いた。
「まとまってなくても、聞けるよ」
「そうね」
「話す気にならなかったら、ご飯だけでもいいし」
澪はそう続けて、鍋へ目を戻した。
美月も、手元の容器へ視線を落とす。
重ねていたものを、一つずつ分けた。
「私たちが真琴といて楽しいってことも、ちゃんと伝わるといいですね」
玲奈は頷いた。
「そうね。心配しているのも本当だけど、それだけで集まったわけじゃないもの」
澪が鍋へ蓋をした。
「夏希、パン買ってきてもらっていい?」
「もちろん!行ってきます!」
夏希が買い物のメモを持って立ち上がった。
鞄の口から、小さなゲームの箱が覗く。
ひよりがそれを見て笑った。
「それも持ってきたんだ」
「六人でできるやつだから」
玲奈も笑った。
何をどう伝えるかを決めるより先に、夏希はもう、一緒に遊ぶ用意をしていた。
「プリンも六個、お願いね」
「了解!」
夏希が出ていく。
美月は六人分の容器を揃え、ひよりはサラダを分け始めた。
玲奈も手を洗い、空いたボウルを片付けた。
————
夏希が戻った時には、窓の外が暗くなっていた。
買い物袋をテーブルへ置くと、夏希は先に玲奈を見た。
「真琴から、返事ありました?」
「まだだけど」
「部屋、電気ついてないんです」
玲奈の手が止まった。
「真琴のところ?」
「はい。戻ってくる時に見えたんですけど、昨日泊まったところの窓、暗くて」
玲奈はスマートフォンを確かめた。
メッセージは、まだ読まれていなかった。
休んでいるのかもしれない。
そう思ったが、早川の話を聞いていた分だけ、少し落ち着かなかった。
澪が火を止めた。
「できたよ」
その声に顔を上げる。
ひよりは、サラダの容器へ蓋をしていた。
美月も、持ち運ぶ袋を開いている。
「持っていこうか」
玲奈が言うと、四人が頷いた。
————
真琴の部屋の前で、玲奈がインターホンを押した。
返事はなかった。
少し待って、もう一度押す。
「……はい」
ようやく返ってきた声は、寝ていたのが読み取れるものだった。
「真琴?玲奈だけど」
「あ……はい。今、開けます」
鍵の音がして、扉が開く。
真琴は、髪の片側が少し跳ねていた。
玲奈を見て、その後ろを見る。
五人がいると分かると、目が大きくなった。
「……皆さん?」
「お疲れ、真琴。ご飯、持ってきたよ」
美月が袋を少し上げた。
真琴は袋を見て、それからまた五人を見た。
「すみません。私、いつの間にか寝てしまって……」
「起こしちゃったわね。夕飯、まだだった?」
「はい」
「よかった。みんなで作ったの。早川さんから、説明が終わったことは聞いていて、少し顔を見たくなったから」
真琴が、わずかに目を伏せた。
「……すみません」
「謝らなくていいわ。まだ休んでいたいなら、ご飯だけ置いて帰ることもできるから」
真琴は少し驚いたように顔を上げた。
「いえ。もう起きましたし……私も、一緒に食べたいです」
「そう。じゃあ、お邪魔するわね」
「はい。ただ、何も用意していなくて……」
「用意してきたから、そこは大丈夫」
夏希が言う。
真琴は、はっとしたように奥へ戻った。
「今から、テーブル片付ける」
五人が靴を脱いで入る。
リビングの明かりは、つけたばかりらしかった。
テーブルへ袋を置くと、美月が持ってきたものを出し始めた。
ひよりはサラダを並べ、澪はシチューを器へ移す。
夏希が引き出しを覗いた。
「真琴、スプーンこれ?」
「夏希も普段この部屋使うのに、聞く必要ある?」
「ない!」
「なにそれ……」
返事をしたあと、真琴は少しだけ玲奈の方を見た。
玲奈は何も言わず、皿を受け取った。
今の言い方で構わないと、説明する必要もない。
夏希は普通にスプーンを取り出していた。
————
六人分の食事を並べると、テーブルはかなり埋まった。
真琴はクリームシチューを見て、少し顔を上げた。
「これ、作ってくれたんですか」
「うん。好きだったよね」
ひよりに聞かれ、真琴は頷いた。
「はい。ありがとうございます」
玲奈はコップを持った。
何か言おうとしたところで、美月が先に口を開く。
「せっかくだし、八日に向けて乾杯しません?」
「いいね」
夏希がすぐにコップを上げた。
「じゃあ、六人での初ライブに」
美月に続いて、玲奈もコップを持ち上げる。
「三日後、よろしくお願いします」
ひよりが笑った。
「仕事の挨拶みたい」
「急に振られたから」
「玲奈さんでも、用意してないんですね」
「毎回はしてないわよ」
美月が笑い、真琴もつられて口元を緩めた。
六人で乾杯する。
それから、夕食が始まった。
真琴が一口食べた。
少し間を置いて、もう一度スプーンを皿へ入れる。
「おいしいです」
澪が小さく頷いた。
「よかった」
真琴は少し迷ってから、顔を上げた。
「わざわざ、皆さんで作ってきてくれたんですよね。時間まで使ってもらって……」
「私たちも食べるためだから」
夏希が、パンを持ったまま言った。
美月も頷く。
「六人で食べたくて、六人分作ったんだよ」
真琴は、少し困ったように笑った。
「……ありがとうございます」
それから、もう一度シチューを口へ運んだ。
玲奈も食事へ戻ろうとしたところで、真琴が顔を上げた。
「あの……今日、早川さんから、お話を聞きました」
玲奈はスプーンを置いた。
「うん」
「ファンクラブをやめた方もいるって。もちろん、全部が私の加入を理由にしたものではないとも聞いたんですけど……」
真琴は、一度言葉を止めた。
「それでも、五人のままがよかったから、もう応援しないって決めた方もいるんですよね」
玲奈は頷いた。
そのことを、ここで否定するつもりはなかった。
「私が入ったことで、皆さんにも……」
また、途中で言葉が切れた。
玲奈は、真琴がどんな資料を見たのか知らない。
ここで数字の意味を説明し直したり、早川より上手く伝えようとしたりするつもりはなかった。
自分たちの気持ちなら、話せた。
「五月、真琴が来ると聞いた時、私たちも驚いたの」
真琴が顔を上げる。
「それまでは五人で活動していたし、六人でステージに立つところも、まだ想像できなかった。でも、それから一緒に練習したでしょう」
「……はい」
「最初は知らなかった真琴のことを、少しずつ知って、一緒にできることも増えていった。だから、真琴が私たちと一緒にやりたいと思ってくれたのと同じように、私たちも真琴とやりたいと思ったのよ」
美月が頷いた。
夏希も、その隣で頷く。
「知らない間に入ってきた相手を、我慢して受け入れているわけじゃない。私たちも、六人でやることを選んだんだから」
真琴は、少しの間玲奈を見ていた。
「……そう、ですよね」
その声は小さかったが、返事ははっきりしていた。
「私も、ショックだったよ」
ひよりが言った。
真琴の視線が、そちらへ移る。
「いつも反応してくれる、名前を見たことのある人が、五人のままがよかったって書いてて」
ひよりは、膝へ置いていたナプキンを一度畳んだ。
「私たちが次にやることも楽しみにしてくれてるのかなって、何となく思ってたから。そうじゃない気持ちもあるんだって、実際に読んで分かった」
玲奈は、ひよりの話を聞いていた。
以前から応援してくれている人だからこそ、その言葉が重く感じられることもある。
「五人を大切に思ってくれていたのは分かるんだよね。だから、そういう気持ちまで間違ってるとは思わない。でも、それとは別に、真琴へ直接ひどい言葉を送っている人もいて。それを見た時は、もっと嫌だった」
真琴が何か言いかける。
ひよりは、その前に小さく首を振った。
「謝ってほしくて話してるんじゃないよ。真琴だけが気にしていて、私たちは平気みたいになってたら、それは違うから」
「……はい」
「今すぐ気にしなくなるのは、私も無理だと思う。でも、六人になることは私たちも選んだんだし、真琴一人が申し訳なく思うのは違うよ」
真琴は、少し長く目を伏せていた。
「……ありがとうございます」
「うん」
ひよりは、それだけでコップへ手を伸ばした。
「私も、真琴が加入するって決まった時、本当に嬉しかったんだからね」
美月が言った。
「それまでだって一緒に練習してたし、普通に遊んだりもしてたけど。これからもずっと一緒にやれるんだって思ったから」
「……うん」
「真琴が一人で入りたがって、私たちが困ったみたいに思わないでほしいな。私たちも、これからも一緒にいられるのが嬉しかったんだから」
真琴は受け取ったパンを皿へ置き、美月を見た。
「……そう言ってもらえるのは、本当に嬉しい」
少し間が空く。
「でも、やっぱり、離れてしまった人のことも気になって……」
「うん。それはそうだと思う」
美月は、すぐに答えた。
「だからって、私たちと一緒にいて楽しい時まで、申し訳なく思わなくていいんだよ。私も真琴と遊びたいし、これからもいっぱい一緒にやりたいことあるから」
真琴は、少し困ったように笑った。
「……ありがとう」
「私は、今の六人の歌の響きも好きだよ」
澪が言った。
真琴が顔を上げる。
「真琴の声が入るところも。前と聞こえ方が変わったところも」
澪は、少し考えた。
「まだ直すところはあるけど、それは明日またやる」
「……はい」
「好きだって思ってるのは、本当」
真琴は澪を見て、頷いた。
夏希もコップを置く。
「八日、真琴一人が出るわけじゃないからね。私も踊るし、美月も喋るし」
「喋るだけ?」
「歌うし踊る。でも美月はどうせ喋りまくるでしょ」
「そうかもしれないけどぉ」
美月が返し、真琴が少し笑う。
「だから、私たちの分まで真琴一人でどうにかしようとしなくていいってこと」
夏希は、真琴へ向き直った。
「私も出るんだから、私もちゃんとやるよ」
その言い方に、玲奈も少し笑った。
「私たちにとっても、初めての六人のステージだものね」
玲奈が言うと、真琴はこちらを見た。
「何もかも平気な五人が、真琴だけを見ているわけじゃないのよ。緊張することも、上手くできるか気になるところもある」
「……皆さんも」
「うん。だから、これからも一緒にやっていきましょう。真琴も、何かあったら遠慮せずに話してね」
真琴は、少しの間黙っていた。
それから、小さく頷いた。
「……はい」
その一言で、全部が整理できたとは思わなかった。
玲奈も、それを求めなかった。
夏希がパンを取ろうとして、美月の手と重なる。
残りを数え始めた二人に、ひよりがまだ袋にあると伝える。
真琴はそのやり取りを見て、もう一口、シチューを食べた。
————
食事を終えてから、六人で片付けた。
真琴は何度か、すみませんと言いかけた。
途中でありがとうと言い直すこともあった。
玲奈は、そのたびに何か言うことはしなかった。
容器を渡してもらい、お礼を言う。
真琴が洗った皿を、美月が拭く。
普通に手分けをしていれば、それでよかった。
片付けが済むと、夏希がゲームの箱を出した。
「一回、やらない?」
真琴が箱を見て、少し目を細めた。
「……やっぱり持ってたんだ」
「今日は六人いるから」
そういって夏希が取り出したのは、言葉と絵を交互に渡していくことで伝言をするアナログゲームだった。
玲奈のお題は、図書館。
美月が本を抱えた人を描き、真琴がそれを、本を運ぶ人、と言葉にした。
夏希の絵で両腕に力が入り、澪のところで筋トレになった。
最後にひよりが描いた人は、立派な重りを持ち上げていた。
玲奈は、ノートを開いたまま動けなくなった。
「……本は?」
「重りになった」
澪の返事で、とうとう笑ってしまった。
美月が、健康的な図書館ですね、と余計なことを言う。
真琴まで、借りる前に鍛えないと駄目そう、と続けた。
誰も、真琴を笑わせるために間違えたのではなかった。
本当に伝わるつもりで描いて、本当に伝わらなかった。
玲奈も、ただ楽しかった。
二回目を終えたところで、ひよりが時計を見た。
夏希が箱へ伸ばしていた手を止める。
「まだ、何も言ってない」
「三回目のお題を探してる」
真琴が笑いながら、ペンのキャップを閉めた。
————
写真を撮ろうと言い出したのは、美月だった。
「記念だよ記念!」
「記念も何も、美月はいつでもどこでも写真撮ってるでしょ」
「思い出は沢山写真にして残したいじゃないですか!」
真琴も頷いた。
外へ出すための写真ではなかった。
美月が、グループに送るだけね、と言って、スマートフォンを置く場所を探した。
テーブルの端には、まだゲームの箱がある。
クッションも、最初より少しずれていた。
六人で座ると、夏希の肩が半分、画面から切れた。
真琴が少し場所を空ける。
「こっち来たら?」
「うん!ありがと!」
美月がタイマーを押して戻ってくる。
直前に誰かが笑い始め、玲奈もつられた。
一枚目は少し顔が下を向いたが、美月はそれも残すと言った。
もう一枚撮る。
今度は、六人とも顔が上がっていた。
写真が連絡用のグループへ送られ、同じ部屋で六人分の通知が鳴った。
真琴が笑った。
玲奈は、その写真を見た。
初めて会った日の、きちんと膝へ手を揃えていた子とは違う。
それでも、笑う時に少し口元へ手をやるところは、あの日にも見ていた。
知らなかった人が、別人になったのではない。
知らなかったところを、一緒に過ごすうちに知ったのだと思った。
五月には、どこまで近づいていいかを考えていた。
真琴が自分たちをどう思うかも分からなかったし、自分たちが真琴をどう思うようになるかも、まだ分からなかった。
今は、その答えがいくつもあった。
何度も確かめるところ。
うまくいかなかったことを、ちゃんと言葉にしようとするところ。
できた時には嬉しそうなくせに、次の心配をすぐ持ち出すところ。
得意なことを見せたあとも、苦手な足の動きへ戻っていったこと。
勝てば少し得意そうにする。
負けると、もう一回と言う。
食べたいものを言いかけて考え直し、それでも、自分で選んだものがおいしいと嬉しそうに食べる。
玲奈が一緒にやりたいと思ったのは、そういう真琴だった。
今夜、四人もそれぞれに知っている真琴の話をしていた。
自分たちは、彼女を知らないまま庇おうとしているわけではない。
何もできない子だから、かわいそうだと思って集まったのでもなかった。
一緒にいた時間があり、次も一緒にいたいと思っている。
その先に、今日があった。
外の言葉がなくなることはない。
自分たちが気にしなくていいと言っただけで、真琴が自分を責めなくなるとも限らなかった。
それでも、さっきゲームで笑っていた真琴も、今、写真を見て笑っている真琴も、玲奈の知っているいつもの真琴だった。
今日聞いたことを、もう考えていないわけではないだろう。
明日になれば、また気になることもあると思う。
ただ、今こうして六人で過ごしている時間を、真琴も楽しんでくれている。
少なくとも、玲奈にはそう見えた。