TS少女は演じたい   作:息抜き

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40話

重ねていた手が離れた。

 

美月が一度肩を回し、夏希が元の場所へ戻っていく。

私もマイクを持ち直して、ひより先輩の後ろへ立った。

幕の向こうから、まだ人の声が聞こえる。

さっきより大きくなったようにも思えたけど、自分がそちらへ近づいたせいかもしれなかった。

スタッフさんが玲奈さんへ何かを伝える。

玲奈さんが頷いた。

 

私は、マイクを持っていない方の手を開いた。

指先は、もう冷たくなかった。

代わりに、少し湿っている気がした。

客席で流れていた音楽が、小さくなる。

その変化だけで、向こうから声が上がった。

 

まだ誰も出ていない。

それなのに、もう始まることが分かっている人たちの声だった。

導入の音が流れる。

低い音が、床から靴の裏へ伝わってきた。

ひより先輩が前を向く。

私も、同じ方を見た。

 

「お願いします」

 

スタッフさんの手が動いた。

前の人が歩き出す。

私も、一歩を出した。

幕の端を通り過ぎる。

光が顔へ当たった。

 

その次に、地響きを感じるほどの声が来た。

思っていたより、ずっと大きかった。

正面。

右の方。

少し遅れて、奥からも。

幾つもの場所から来た声が重なって、何と言っているのか分からなくなる。

歩く足が、一瞬だけ遅れそうになった。

止まらず、決めた場所まで行く。

午前中に立ったのと、同じ場所だった。

でも、その先は全然違った。

 

椅子の列が見えない。

代わりに、人がいた。

その人たちの手元で、光が動いていた。

オレンジ。黄色。

緑と、青と、紫。

近くにも、ずっと向こうにもある。

左右へ目を動かすと、どの色もすぐに見つかった。

 

ただ、ピンクだけは、すぐには目につかない。

ないわけではない。

だけど、少ない。

他の色は探さなくても目へ入ってくるのに、ローズピンクは、その間を確かめないと見落としそうだった。

 

1800席。

数字で見ていた時には、ただ、大勢なのだと思っていた。

今は、その大勢の中で、自分の色がどれくらいあるのかまで見えてしまう。

皆が積み重ねてきたものの大きさが、痛い程伝わってきた。

 

導入の音が変わった。

最初の姿勢。

顔を上げる。

もう、それをする時間だった。

 

『はじまりのパレット』

 

何度も聴いた音が始まる。

最初の短いフレーズは、私の担当だった。

マイクを上げた。

口を開く直前、自分の喉がひどく狭くなったような気がした。

息は、さっき吸った。

ここで、声を出す。

 

足元のスピーカーから、自分の声が聞こえた。

その向こうで、客席の声が重なる。

自分が歌った声だった。

最後の言葉まで出して、マイクを少し下げる。

すぐに、ひより先輩の声が続いた。

その声に合わせるように、客席から別の声が上がった。

 

大きい。

 

そう思った時には、もう足を動かしていた。

横へ移る。

腕を上げる。

次の向きへ。

ひより先輩が目の端にいる。

近すぎない。離れすぎてもいない。

いつも合わせていた距離だった。

 

顔を正面へ戻すと、光が揺れていた。

私が腕を上げた拍で、客席の腕も上がる。

一瞬、そちらへ気を取られた。

次の足。

慌てて大きく動かすのではなく、覚えているところへ置いた。

間に合った。

……見えるものが、多い。

 

鏡の前では、自分たちしかいなかった。

前にスタッフさんがいる通しでも、こんなに動くものはなかった。

見ようと思えば、いくらでも見てしまう。

でも、その間にも、歌うところが来る。

サビでマイクを上げた。

 

六人の声が重なる。

踊りながら歌うと、息を使っていることがよく分かった。

腕を伸ばすところで、胸まで固めない。

次の言葉へ行く前に、決めていた場所で吸う。

家で音源を聴いている時なら、ただ続いている歌だった。

今は、一つの言葉を出すたびに、自分の身体から息が減っていた。

二番に入る。

また、自分のところが近づく。

今度は最初より、マイクを上げる手が迷わなかった。

短く歌って、次へ渡す。

声を出せたことにほっとしかけたところで、向きを変える振付が来た。

まだ終わっていない。

何度も練習したのに、そんな当たり前のことを思った。

 

澪先輩の声が、前へ出た。

客席の光が、さっきまでとは少し違う速さで揺れる。

私は決められた位置で身体を止め、その声を聞いた。

一曲の中でも、こんなふうに呼吸を戻せるところがある。

レッスンでも使っていたはずの時間が、今日はいつも以上にありがたかった。

 

最後のサビへ入る。

足を運ぶ。

歌う。

顔を上げる。

終わりの音に合わせて、腕を止めた。

拍手が起きた。

 

まだ、息を吐き切れていなかった。

一曲だけ。

確かにそれだけだけど、ちゃんと一曲が終わった。

そう思うより早く、美月がマイクを上げる。

 

「まだまだ、一緒にいけますかー!」

 

大きな声援が返ってきた。

私の胸まで押してくるような、大きな声だった。

その音が残っているうちに、次のイントロが始まった。

 

————

 

『きみの街まで』は、始まった途端に客席の動きが変わった。

ギターの音に合わせて、腕が上がる。

声を入れるところでは、何人もが同じ言葉を叫んだ。

美月が笑って、客席の少し奥へ手を伸ばす。

その先で、オレンジの光が高くなる。

 

近くの人だけではなかった。

後ろの方でも、同じように腕が動いている。

美月の声に、あんなに遠くの人まで返事をする。

私はその隣で、次の動きへ入った。

見ている場合ではない。

そう思うのに、また見てしまう。

 

ひより先輩の短い歌のあとにも声が上がった。

夏希が前へ出ると、今度は違う名前が聞こえる。

一人の声ではない。

何人もが同じ名前を呼ぶから、音が一つの塊みたいになっていた。

自分のところは、二番だった。

 

少し前へ入る。

足を止めてから、マイクを上げる。

情景を伝える短いフレーズ。

歌詞は覚えている。

どこで息を吸うかも。

歌い終わった、そのすぐあと。

 

「真琴ー!」

 

声が聞こえた。

ほかにも、何か叫んでくれた人がいた。

でも、さっきとは違った。

五人の時のように、広いところから一斉に押し寄せる声ではない。

一つ一つが、別々に聞こえる。

その違いは、初めてでも分かった。

 

ああ。

本当に、違うんだ。

覚悟していたつもりだった。

五人は、もうずっとここで歌ってきた人たちだ。

私の名前を知ったのは、ついこの間だという人ばかりだろう。

それでも、自分が歌った直後に返ってくる音で知ると、少し痛かった。

次の位置へ下がる。

 

その時、前の方でピンクの光が揺れた。

さっき私の名前が聞こえたのと、近い場所だった。

誰が呼んだのかは分からない。

だけど、ピンクを持った人が、こちらを向いていた。

顔を向けたまま次の動きへ入ると、その光がもう一度、大きく振られた。

見えています、と言う場所ではなかった。

私にも、次に歌う言葉がある。

だから、そのまま顔を上げて歌った。

 

美月が客席へマイクを向ける。

歌の一部が、向こうから返ってきた。

知っている声ではないのに、知っている言葉だった。

何人もの声が揃って、自分たちの曲になる。

思わず口元が緩んだ。

すぐに、マイクを戻す。

私たちが歌うところへ戻っていた。

最後の音まで動き、六人で止まった。

 

今度は、拍手が来ることを知っていた。

知っていたけれど、やっぱり大きかった。

肩が上下している。

マイクを下げて息を吐くと、額の汗が一筋、こめかみへ流れた。

 

 

 

「皆さん、こんにちは!」

 

玲奈さんの声が響いた。

客席から、返事が来る。

それを聞いてから、玲奈さんが少しこちらを見た。

 

「Lumière Paletteです!」

 

六人で頭を下げた。

拍手と歓声が重なる。

顔を上げると、さっきより客席が見えた。

前の方で笑っている人。

手を叩いている人。

サイリウムを持ったまま、こちらを見ている人。

ずっと奥まで顔が分かるわけではなかった。

でも、ただ光が並んでいるのではなく、その一つ一つを人が持っていることが、急にはっきりした。

 

「本日は、Special Stage『6つの色』へお越しいただき、ありがとうございます」

 

玲奈さんは、息が乱れていなかった。

さっきまで同じ曲を歌っていた。

同じように踊っていた。

なのに、話す言葉の途中で息が足りなくなりそうな感じが、少しもない。

 

「今日が、私たち六人で立つ初めてのステージになります。まずは『はじまりのパレット』と『きみの街まで』、二曲続けて聴いていただきました」

 

拍手が起きる。

玲奈さんは、その音が落ち着くのを待った。

 

「改めまして、リーダーの神谷玲奈です。今日は最後まで、よろしくお願いします」

 

名前を呼ぶ声が、幾つも重なった。

玲奈さんが笑って、小さく手を振る。

その隣で、ひより先輩がマイクを上げた。

 

「六人でたくさん練習してきたので、今日はそれを見てもらえるのが楽しみです。最後まで、楽しんでいってください」

 

また、声が大きくなる。

ひより先輩は少し目を細め、客席の右の方へ手を振った。

続いて、澪先輩がマイクを持ち上げる。

 

「今日は、一曲ずつ大事に歌いたいと思っています。六人の声が重なるところも、聴いてもらえたら嬉しいです」

 

紫の光が揺れた。

名前を呼ぶ声に、澪先輩が小さく笑って会釈する。

美月の番では、本人が話し始める前から名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

「さっきから皆の声、すっごく聞こえてます!私も今日は思いっきり楽しむので、皆さんも最後まで一緒に盛り上がっていきましょう!」

 

さらに声が上がった。

美月が嬉しそうに笑う。

夏希はマイクを上げると、客席の奥の方を見た。

 

「後ろまで見えてるよー!私も後ろからもしっかり見えるように、思いっきり踊ります!最後まで一緒に楽しもうね!」

 

緑の光が、一度に高くなった。

その動きを見ていたところで、玲奈さんがこちらを向いた。

 

「そして、八月一日に加入した、白瀬真琴です」

 

私の名前が、スピーカーから聞こえた。

マイクを上げる。

正面を見る。

 

「初めまして、白瀬真琴です。今日が初めてのライブで、すごく緊張していますが……皆さんに、来てよかったと思ってもらえるように、最後まで頑張ります。よろしくお願いします」

 

最後まで言えた。

頭を下げる。

拍手が聞こえた。

でも、やっぱり、少なかった。

さっきまでの五人の時より、はっきりと。

頭を下げたまま、その差が耳へ入ってきた。

 

顔を上げるのが、少し怖かった。

それでも上げた。

前の方で、両手を叩いている人がいた。

その隣には、黄色い光を持った人がいる。

ピンクではなかったけど、その人も拍手してくれていた。

 

「真琴ちゃん!」

 

少し離れたところから、声が来た。

私の名前だった。

マイクを持っていない方の手を、小さく上げた。

もう一度、同じ方で声がした。

……返してくれた。

自分が手を振ると、向こうも振り返してくれる。

そんなことにも、少し驚いてしまった。

 

「真琴、ここまで二曲歌ってみて、どう?」

 

玲奈さんが聞いた。

練習でも、似た質問をされた。

答えることはあった。

 

「……本当に、始まったんだなって思っています」

 

言いながら、玲奈さんへ向きかけた顔を正面へ戻す。

 

「出る前は、いろいろ考えていたんですけど。出てみたら、お客さんがいて……」

 

当たり前のことを言った気がした。

客席の近いところで、少し笑いが起きた。

私は言葉を続けた。

 

「皆さんの方を見ていたら、すぐ歌うところが来て。そこからは、もう、ずっと次のことで頭がいっぱいで……」

 

「曲、待ってくれないもんね」

 

美月が言った。

いつもの調子の美月の冗談めかした声に、少し気持ちが軽くなる。

 

「うん。ちょっと待って、って思ってる間に進んでた」

 

今度は、さっきより広いところで笑いが起きた。

笑わせようと思ったわけではなかった。

本当に、そうだったのだ。

 

「でも、ちゃんと二曲できた」

 

玲奈さんが言う。

 

「はい。——」

 

「美月、今日の『きみの街まで』はどうだった?」

 

私が次の言葉を探す前に、話が美月へ移った。

玲奈さんが、私が話し続けなくてもいいように調整してくれたのだと、すぐにわかった。

 

「もう声がすごかった!最初に呼びかけた時、私、ちょっと笑っちゃったもん」

 

美月が客席へ身体を開く。

 

「皆、早かったよね!?まだ私、最後まで言ってなかったのに!」

 

また笑いが起きる。

美月が客席へ話している。

客席も、美月へ返している。

レッスンで見たMCには、なかったものだった。

 

私はマイクを下げた。

その間に、後ろの台へ向かう。

自分の名前が貼られたボトルを見つけ、マイクを置いてから蓋を回した。

一口飲む。

喉を水が通っていく。

さっきまで、口の中が乾いていることも少し忘れていた。

 

「六人になって、位置も結構変わったんだよね」

 

夏希の声が聞こえる。

蓋を閉めながら、そちらを見る。

 

「六人版にするとき、私だけ五人の場所へ戻ってたことあるんだよ」

 

「別に夏希だけじゃないけどね。私もやったし?」

 

ひより先輩が聞いた。

 

「……美月も」

 

「澪先輩!?そんなばらさなくても!」

 

客席が笑った。

私はボトルを戻し、マイクを取った。

話は続いている。

 

「始める前に、二人とも違うところにいるから、どこからやるのかと思った」

 

澪先輩が言った。

声は大きくなかったのに、マイクを通るとちゃんと届いた。

また、笑いが広がる。

 

元の位置へ戻ると、玲奈さんが一度こちらを見た。

私は小さく頷く。

玲奈さんはそれ以上こちらへ話を戻さず、夏希の言葉を拾った。

 

「曲は同じでも、隣の人や、通る場所が変わると、どうしてもね。私も最初は自然と前の場所に行ってしまったもの」

 

「そう。覚えてる曲なのに、身体が勝手に前の方へ行く」

 

夏希が、その場で足だけ少し動かして見せた。

 

「でも今は、六人の方もちゃんと覚えました!」

 

拍手が起きた。

夏希が胸を張ると、美月がすぐに口を開いた。

 

「おお、すっごい褒めてもらってる感じに」

 

「これも皆がちゃんと覚えた夏希ちゃんを褒めてくれてるんですよ」

 

ひより先輩がマイクを上げる。

 

「それ、真琴も含めた私たち全員やったことなんですけど」

 

その言い方が妙に真面目で、私まで笑ってしまった。

客席から、もう一度拍手が来た。

今度は、さっきより大きかった。

六人へ向けられている拍手だとなんとなくわかった。

私も少し頭を下げる。

ひより先輩が隣で笑っていた。

 

そのあとは、最初に六人で合わせた頃の話になった。

歌い始める人が変わると、同じ曲でも聞こえ方が違うこと。

移動が変わったために、今まで見えなかった人の顔が見えるようになったこと。

澪先輩は歌について話し始めると、さっきより言葉が増えた。

美月が途中で質問し、玲奈さんも頷く。

夏希は、自分が歌う前に誰を見るかが変わったと話した。

私も、振ってもらったらそれに答えはした。

その間も、話している人を見ていた。

でも、身体まで全部そちらへ向けない。

客席から笑いが起きると、また正面を見る。

ここで笑っているのは、私たちだけではない。

それが不思議だった。

 

いつものレッスン室でも交わしそうな会話に、知らない人たちが笑っている。

ひより先輩が美月へ短く返すと、向こうからも笑いが来る。

あの二人のやり取りを、楽しみにしている人がいる。

前に画面で見た時の、自分を少し思い出した。

けれど今は、画面のこちら側にいなかった。

 

「それでは、そろそろ次の曲へ行きましょうか」

 

玲奈さんが言った。

私は一度息を吐いた。

水は飲んだ。

マイクも持っている。

次の場所へ戻り始めると、ほかの五人も同じように動いた。

玲奈さんが客席へ向けて、曲名を告げる。

 

『雨音のリフレイン』

 

拍手が起きた。

私たちが位置へ入ったところで、照明が変わった。

 

————

 

ピアノの音が、会場に響いた。

澪先輩が、マイクを上げる。

最初の声が伸びた。

客席は、静かだった。

誰もいなくなったわけではない。

さっきまであんなに声を出していた人たちが、今は静かに聴いている。

光は揺れているけれど、その動きもさっきよりゆっくりだった。

澪先輩の声の余韻が、静かに響く。

私は、自分の息を整えた。

動きは大きくない。

それでも、次の位置へ移る時に息を吐き切ってしまう癖は、何度も直された。

足を出す。

肩に力を入れない。

玲奈さんの低い声が重なった。

私が歌うのは、二番の短いところだった。

ひより先輩の声を聞く。

 

マイクを上げた。

最初の音が、少しだけ細くなった。

自分でも分かった。

もっと出さなければと思ったけれど、急に押し出したら、その先まで変わってしまう。

次の言葉へ息をつなぐ。

語尾を残す。

鳴海先生に繰り返し言われたことを、一つだけ思い出した。

最後まで、声を置く。

すぐに、次の人の声が入った。

 

落ちサビで、澪先輩が前へ出る。

長い声だった。

途中で息が足りなくなる気配も、言葉の終わりを急いでしまう感じもなかった。

同じ舞台に立っている。

同じマイクで歌っている。

それなのに、こんなに違う。

五人と一緒にいることには、前より慣れた。

でも、隣で歌を聴くたびに、その慣れとは別のところで驚く。

自分の出番を待ちながら、私は澪先輩の横顔を見た。

客席へ向けている顔だった。

その声を、すぐ近くから聞いている。

 

見学の時とは違った。

最後の音が消えるまで、動きを残した。

拍手が起きた。

今度は、曲のあとへそっと入ってくるような拍手だった。

 

その音の中で、次の位置へ移る。

少しの間を置いて、低いリズムが始まった。

 

『呼吸をそろえて』

 

さっき水を飲んで、息も戻したはずだった。

それでも、踊り始めるとすぐに呼吸が速くなった。

歌う前に、ここで吸う。

考えていないと、動くことだけで息を使ってしまう。

 

自分のパートへ入った。

足は、止められない。

声を出しながら重心を移すと、太ももに力が入った。

次の言葉。

最後まで歌ってから、マイクを下げる。

 

息を吐いた。

まだ、次の動きがある。

額に汗が溜まっていた。

拭きたいと思ったけど、そのために使える手も時間もなかった。

夏希が前へ出た。

大きく身体が回る。

緑の光が高くなり、名前を呼ぶ声が上がった。

私は、その後ろを通った。

前に、少し狭くなっていたところ。

夏希の下がる一歩は、練習で直した位置に収まっていた。

避けなくても通れる。

私は決めた歩幅のまま進み、次の場所へ入った。

ひより先輩が、その先にいた。

 

六人の向きが揃う。

音に合わせて、腕を出した。

綺麗に合った。

そんな小さなことを思う暇はあった。

嬉しいと思うより先に、次の拍が来たけど。

最後のサビでは、脚が重くなっていた。

動かないわけではない。

ただ、最初と同じところまで腕を出すのに、少し余計に力が必要だった。

 

小さくしない。

肩を上げない。

声も出す。

歌って踊る、という言い方は簡単だった。

今、自分がやっていることは、その二つを別々に並べたものではなかった。

 

身体を動かしている間に歌う息を残す。

歌っている間に、次へ動けるように足を置く。

どちらかに夢中になると、もう片方が遅れる。

それでも、曲は先へ進む。

 

最後の音で、身体を止めた。

拍手が起こる。

今度は、胸が大きく動いていた。

私はマイクを下げたまま、息を吐いた。

 

————

 

「ありがとうございます!」

 

玲奈さんが、正面へ声を届けた。

私も頭を下げる。

顔を上げた時、前髪が少し額へ張りついた。

 

「『雨音のリフレイン』、そして『呼吸をそろえて』を聴いていただきました」

 

玲奈さんも汗をかいていた。

だけど、すぐに次の言葉が出てくる。

 

「夏希、間奏のダンス、すごく盛り上がってたね」

 

「はい!踊ってる時も、名前を呼んでくれてるのが聞こえてました!」

 

夏希が客席へ顔を向ける。

 

「すっごく嬉しかった!ありがとう!」

 

夏希が笑った。

また、客席から名前が飛んでくる。

夏希は手を振って、それに応えた。

私は、その間に後ろの台へ向かった。

水を飲む。

一度、ゆっくり息を吐く。

さっきよりも、喉を通る水がありがたかった。

 

「止まるところ、最後まで見てもらえましたか?」

 

夏希が客席へ聞いている。

声が返る。

 

「よかった!あそこ、回るより止まる方が大事って、すっごい言われたから」

 

「夏希は、回る方を頑張りたがるものね」

 

玲奈さんが言った。

 

「だって、回れるなら回りたくないですか?」

 

「私は、回ったあとにちゃんと戻れればそれでいい」

 

ひより先輩の声で、笑いが起きた。

 

「戻ってるよ!」

 

「今日はね」

 

「今日だけじゃない!」

 

ボトルを持ったまま、笑ってしまった。

笑うと、まだ少し息が足りない。

蓋を閉めて、元の場所へ戻る。

私が戻るのと入れ替わるように、澪先輩が水を取りに行った。

前では、美月が夏希の動きを小さく真似していた。

途中で、自分で笑い始める。

 

「違う違う、そうじゃない」

 

夏希が、足の置き方を見せた。

 

「今ここで教えるの?」

 

「だって違ったから」

 

「二人とも、続きはあとでね」

 

玲奈さんが言った。

その言葉にも、客席が笑う。

玲奈さんまで少し笑って、マイクを口元から離した。

私は、前を見た。

一番前の列だけではなく、少し後ろでも笑っている人がいた。

美月が話すと、その方を向く。

夏希が動くと、そちらを見る。

五人がよく知っている客席の反応を、私はまだ一つずつ知っているところだった。

会話は、六人で合わせる時の話へ移った。

ひより先輩は、隣の人が変わると目に入るものも変わると話した。

 

「美月の隣だったところが、真琴になったりするから。視界の上の方が少し空いた感じがした」

 

「私、そんなに場所取ってます?」

 

美月が聞く。

 

「高さの話」

 

「あ、高さ」

 

「あと、髪」

 

美月が、自分のポニーテールへ手をやった。

客席から笑いが起きる。

 

「真琴は、どうだった?」

 

ひより先輩に聞かれ、私はマイクを上げた。

 

「……ひより先輩の隣は、最初からすごく分かりやすかったです」

 

「そう?」

 

「はい。毎回、同じところにいてくださるので」

 

ひより先輩が少し笑った。

美月がすぐに頷く。

 

「それは分かる!ひより先輩がいると、あ、ここで合ってる、ってなる」

 

「自分の場所は自分で覚えてね」

 

「覚えてますって!」

 

今度は、私も声を出して笑った。

ひより先輩は私の方を一度見て、口元を緩めた。

それから、話は澪先輩へ移った。

私はマイクを下げた。

答えたのは、短いことだけだった。

その先を何か付け足さなければと考える前に、玲奈さんが別の人へつないでくれている。

黙っていても、会話からいなくなったわけではなかった。

聞いて笑い、時々頷く。

その間に、息も少しずつ落ち着いた。

 

「さて、次の曲のお話をしましょうか」

 

玲奈さんが言った。

客席の声が、少し変わった。

 

「このあと聴いていただくのは、今日、初めて披露する新曲です」

 

大きな歓声が上がる。

私は、マイクを持つ手へ少し力を入れた。

次。

もう、そこまで来ていた。

 

「最初から六人で歌う曲として、準備してきました。一人ずつ前へ出るところも違いますし、声だけではなく、動きや表情でも楽しんでいただける曲になっています」

 

玲奈さんが、こちらを見る。

 

「真琴は、カメラに向けて表現するところもあるよね。どんなところを見てほしい?」

 

マイクを上げた。

さっきとは、少し違う緊張だった。

これからやることについて、聞かれている。

 

「歌っているところだけじゃなくて、そのあとの顔も、見てもらえたら嬉しいです」

 

客席を見る。

 

「何度も練習してきたので……ちゃんと、見せたいです」

 

言い終えると、拍手が起きた。

その中に、自分の名前を呼ぶ声もあった。

私は小さく頭を下げた。

 

「私、あそこ、本当に好きなんですけど——」

 

美月が言った。

こちらへ向いていた顔が、客席へ戻る。

 

「でも、その次、私なんですよ」

 

何人かが笑った。

美月は、少し大きく頷いた。

 

「練習の映像を見たら、真琴のところがすごくて。私がもう歌い始めてるのに、まだ真琴の顔を見ちゃってたの」

 

私は、美月の方を見た。

あの映像のことだ。

三枝さんに、表情を残しすぎていると言われたところ。

 

「で、ちょっと待って、次、私歌ってる!ってなって」

 

客席から、笑いが広がった。

 

「だから私も、めっちゃ練習しました。真琴も調整してくれてた。だけど、私も歌い出す時の向きとか、目線とか!真琴のあとでも、私の魅せ方でちゃんと私に目が行くように!」

 

「……あそこ、何回も戻してたの、それで?」

 

思わず聞いた。

美月が、こちらへ笑いかける。

 

「そう!だって、私のところも見てほしいもん」

 

また、客席が沸いた。

美月の名前を呼ぶ声が、あちこちから来る。

その数は、やっぱり多かった。

美月は、その声へ手を振った。

 

「そうですよ!真琴のところを見たあと、そのまま私も見てくださいね!」

 

「自分の宣伝になった」

 

夏希が言った。

 

「大事でしょ!」

 

「うん。すごい大事」

 

夏希が真面目に頷いたので、玲奈さんが笑ってしまった。

マイクを下げ、口元へ手をやる。

ひより先輩が、その隣で客席を見た。

 

「そのあと、夏希もありますので、そちらも」

 

「あります!そこも見てください!」

 

今度は緑の光が高くなる。

私は、笑いながら美月を見た。

練習していたことは知っている。

隣で一緒に、何度も同じところへ戻った。

でも、美月が何を考えて繰り返していたのかは、今、本人の言葉で初めて聞いた。

私は、自分の表情を次へつなぐことに必死だった。

美月も、その先を自分の場所にしようとしていた。

私を助けるためだけではなく、美月が美月の歌を見てもらうために。

 

「……私も、美月のところ、ちゃんと見たい」

 

小さく言うと、美月が目を丸くした。

それから笑う。

 

「真琴は踊らないと」

 

「それは、忘れてないけど」

 

「じゃあ後で一緒に映像振り返ろ!」

 

「それ、今日はダメって早川さんに怒られるやつ」

 

澪先輩のツッコミに客席から笑いが起きた。

少し顔が熱くなる。

美月は、楽しそうだった。

玲奈さんが、ようやくマイクを戻した。

 

「そういう曲です。六人それぞれ、見ていただきたいところを準備してきました」

 

「玲奈さん、まとめるの上手い」

 

夏希が言った。

 

「まとめないと、披露できないもの」

 

また笑いが起きた。

そのあと、玲奈さんは発売の予定を短く伝えた。

後日公開されるMVの話もあった。

 

私は、その間に次の立ち位置を見た。

行く場所は分かっている。

息も、戻った。

美月がマイクを持ち直す。

ひより先輩が、一度こちらを見る。

私は小さく頷いた。

 

「それでは、聴いてください」

 

玲奈さんの声が、会場へ届いた。

 

「『六つの光』」

 

————

 

最初の音が流れた。

客席の拍手が、その音の向こうへ下がっていく。

六人で、最初の姿勢へ入った。

ひより先輩の声がする。

次は、私だ。

 

先輩の言葉が終わるのを待つ。

その前から、自分の顔だけを作ってしまわない。

短いフレーズを歌う。

言葉の終わりに、少しだけ表情を残す。

美月の声が入った。

視線を渡す。

自分の歌の気持ちを、急に全部消すのではない。

美月の声を聞いたことが、そこへ加わる。

次の位置へ、足を出した。

 

美月が客席へ顔を向ける。

マイクを持っていない方の手が開いた。

背筋が伸びて、表情が明るくなる。

ちらりと見えたのは、さっきまで私へ笑いかけていたのとは、違う顔だった。

正面の人だけに向けているのではない。

ずっと奥まで、届かせようとしている。

声援が上がった。

美月が、その声を受けたまま歌い続ける。

 

私も次の振付へ入る。

夏希の動きが、六人の並びを変えた。

玲奈さんの声がつなぐ。

澪先輩の声が、その上へ伸びる。

ひより先輩が止まったところで、私も同じ拍に収まった。

一つずつ、先頭が変わる。

自分の出番が終わっても、見るものも、聞くものも、することもなくならない。

最初のサビで、六人の声が重なった。

 

客席の光が揺れる。

初めて聴く曲だから、いつもの曲と同じコールはない。

それでも、音に合わせて腕を動かしている人がいた。

次に来る音を、私たちは知っている。

向こうの人たちは、まだ知らない。

そのことを考えたら、少しだけ、不思議な気持ちになった。

私が何度も家で聴き、ノートへ書き込み、同じところへ戻ってきた曲を、今初めて聴いている。

だからこそ、ここで出すものが、その人にとっての最初になる。

 

二番へ入る。

脚には、もう疲れがあった。

さっきのMCで休めても、踊り始めればまた使う。

だけど、どこが忙しくて、どこなら少し戻せるのかは分かっていた。

移動の少ないところで、息を整える。

次に前へ出るための足を置く。

カメラの位置は、もう確かめてあった。

正面から少し外れた、客席側。

あのレンズ。

このあと、自分を大きく映すカメラだった。

 

曲の中でどこを撮るのかは、前から共有されていた。

別のホールで合わせた時も、今日の午前中も、目を送る先と顔の角度を確認した。

いつアップになるのか。

どこまで、その表情を見せるのか。

何も知らずに、たまたま撮られるところではない。

ここを、私がやる。

そう思った途端、マイクを握る指へ力が入った。

汗で少し滑りそうになって、握り直す。

肩まで固めない。

次の動きへ入った。

夏希が大きく向きを変える。

 

その動きを受けて、六人の並びが開く。

私は決めた場所へ進んだ。

もう、床は見なかった。

ひより先輩の声が、すぐ近くから聞こえる。

あの声を受ける。

客席を広く見る時間が終わった。

 

意識を、一つのレンズへ絞る。

自分が見ている先を、そのまま見てもらうところだった。

ただ笑って、カメラを見るのではない。

離れていた相手を見つける。

向こうは、まだこちらに気づいていない。

呼びかけたいのに、一度ためらう。

それでも目が合った時には、もう隠せなくなる。

練習の時、言葉にして確かめた気持ちを、歌の流れへ戻した。

予定の位置に辿り着いて、足を止める。

胸はまだ動いていた。

踊ってきた分だけ、息が速い。

顔だけを切り離して、何もなかったようにはできない。

 

息を吐く。

ひより先輩の最後の言葉を聞いて、目を動かした。

先に、目だけ。

そのあとで、顔を向ける。

今。

この音で、自分のアップへ切り替わる。

私の後ろのモニターへ、この顔が大きく出る。

確かめるために、そちらを見ることはできなかった。

見なくても、何をするかは分かっている。

レンズを捉えた。

マイクを上げ、短い言葉を歌う。

気づいてもらえた。

その嬉しさを、全部いっぺんには出さない。

目が少し開く。

言いかけた気持ちを残したまま、口元だけが先に緩む。

最後の音を、急いで切らない。

歌い終わって、マイクを下げた。

 

ここからも、まだ映っている。

顎を引きすぎない。

午前中に言われたことが、一度だけ浮かんだ。

それを直すための余計な動きはしなかった。

最初から、その角度へ入っていた。

目をそらしかける。

だけど、途中で止める。

今度はちゃんと相手を見る。

レンズの向こうへ、もう一度、視線を戻した。

笑い方を、少しだけ変える。

さっきよりも、隠さない。

向こうへ応える。

 

客席から、声が上がった。

何かが、返ってきたのが分かった

でも、まだ終わっていなかった。

嬉しくて、その声の方を見たくなった。

今は、見ない。

ここまで。

決めていた音を聞く。

視線を、美月へ渡す。

 

自分のところだけを、強く残し続けない。

かといって、終わったからと顔を戻さない。

美月が歌い始めた。

その声を聞いてから、目元を緩めた。

次の言葉を、受け取る側になる。

足を出す。

美月の後ろへ回り、六人の動きへ戻った。

やった。

そこまで、できた。

映像がどう見えていたかは、まだ分からない。

 

でも、途中で目を逃がさなかった。

声が返ってきても、決めたところまで残れた。

美月の歌へ、つなげた。

その美月が、顔を上げる。

 

真琴のあとでも、ちゃんと私に目が行くように。

さっきの言葉が浮かんだ。

美月は、大きく笑った。

私の静かなところから、客席へ一気に開くような表情だった。

オレンジの光が揺れる。

大きな歓声が来た。

美月の番だった。

 

私は、その後ろで腕を動かした。

正面へ顔を戻した時、ピンクが目に入った。

一つではなかった。

前の方。

少し奥。

通路の反対側にも。

さっきより、多い。

最初に出てきた時、探してようやく見つけた色だった。

今は、顔を向けた先にある。

前方の通路側で、一本の光が手元へ下がった。

色が変わる。

もう一度上がってきた時には、ローズピンクになっていた。

私は、そこを見た。

その向こうにも、ピンクがある。

 

増えている。

気のせいではなかった。

黄色も、オレンジも、緑も、青も、紫も、ずっと多い。

客席が私の色一色になったわけではない。

それでも、さっきと違う。

 

「真琴ー!」

 

名前が聞こえた。

別の場所からも。

胸の奥が、急に熱くなった。

さっきのところを、見てくれた。

見て、その色にしてくれた人がいる。

どんなふうに見えたのか、聞きたくなった。

今のはどうだったか、確かめたくなった。

だけど、その人は客席にいて、私は舞台にいた。

 

こらえきれなくて、少しだけ笑顔が漏れてしまったのが、自分でもわかった。

自分の声が返ってくるのが聞こえる。

その向こうで、ピンクの光が動いていた。

応援してもらえたら嬉しいだろうとは、考えていた。

だけど、こんなに嬉しいとは、思っていなかった。

その嬉しさを抱えたまま、次の音を出さなければならないことまでは、分かっていなかった。

 

澪先輩の声が、サビを広げた。

玲奈さんが次の動きをつなぐ。

夏希が前へ出る。

美月が客席を向く。

ひより先輩と同じ拍で、私は止まる。

六人の声が重なった。

ピンクを、ずっと見ているわけにはいかなかった。

他の色の向こうにも、人がいる。

私は正面へ視線を戻し、最後の言葉まで歌った。

 

————

 

音が消える。

拍手が来た。

さっきより、自分の名前が聞こえる気がした。

その中には、ほかの五人の名前もある。

何もかもを聞き取ることはできなかった。

私はマイクを下げ、息を吐いた。

腕が重い。

でも、顔を上げたままでいたかった。

 

「ありがとうございます」

 

玲奈さんが言った。

 

「新曲『六つの光』、いかがでしたか?」

 

大きな声が返った。

美月が隣で笑う。

私は、その顔を一度見た。

目が合った。

美月が、ほんの少しだけ頷いた。

私も頷く。

話す時間はなかった。

玲奈さんが、最後の曲へ言葉をつないでいた。

 

「今日、最後に聴いていただくのは――」

 

客席から、惜しむような声が上がる。

もう最後。

私も、そう思った。

さっきまでは、まだ次があることばかり考えていたのに。

 

「また皆さんに会いたいという気持ちを込めて、六人で歌います」

 

私は最後の位置へ入った。

 

『またねの続きを』

 

イントロが流れる。

あと、一曲。

頭の中では、そこまで来たことが分かっていた。

身体の方は、随分前から疲れていた。

一歩出すたびに、靴の中で足の裏を感じる。

汗が、背中を伝っていく。

それでも、次に何をするかは分かった。

 

玲奈さんの声を聞く。

ひより先輩が続く。

一人ずつ、前へ出る。

私の番も来た。

短く息を吸い、マイクを上げる。

客席を見ると、ピンクの光があった。

さっきの見せ場で見えた時ほどではない。

他の色へ戻した人もいるのだと思う。

それでも、最初より見つけやすかった。

その光の少し横には、青い光を持った人がいた。

こちらを見ている。

 

私は、そこへ向けて言葉を出した。

また会うことを歌う、短いフレーズだった。

録音で聴いていた時には、曲の一部分だった。

今は、ここに来てくれた人へ言っている。

自分の声で。

自分のところを歌い終え、次へ移る。

客席から名前を呼ばれた。

私は振付の中で顔を上げた。

手を振り返したくなったけれど、今は腕を出す向きが決まっている。

その向きのまま、顔だけを少し向ける。

ピンクの光が、もう一度揺れた。

次のサビで、六人の声が重なる。

客席の腕も上がった。

さっきまで見えていた一つの光が、他の色の中へ紛れる。

それでも、なくなったわけではなかった。

今は見つからないだけだ。

 

最後の動きへ入った。

腕を伸ばす。

もう一度、顔を上げる。

澪先輩の声が残る。

その音が終わるところで、六人で止まった。

拍手が起きた。

 

終わった。

今度こそ、六曲全部。

そう思った途端、肩を下ろしそうになった。

まだ挨拶がある。

マイクを持ち直し、正面へ向き直った。

玲奈さんが、少し息を整えてから話し始めた。

 

「本日は、本当にありがとうございました」

 

六人で頭を下げる。

顔を上げると、客席でたくさんの手が動いていた。

五人が、一言ずつ今日のお礼を伝えた。

美月は新曲のところまでしっかり見てもらえたことを喜び、夏希は、もっと踊りたくなるくらい声が届いたと話した。

澪先輩は、静かな曲も最後まで聴いてくれたことへお礼を言った。

ひより先輩は、一度客席を見渡してからマイクを上げた。

 

「今日の六人を見に来てくださって、ありがとうございました。また、一緒にライブを楽しんでもらえたら嬉しいです」

 

黄色い光が揺れる。

声が重なる。

私は、その隣で自分の番を待った。

 

「真琴も、一言どうぞ」

 

玲奈さんが言う。

マイクを上げた。

まだ、言葉にできないことが多かった。

ピンクが増えたこと。

名前を呼んでもらったこと。

カメラへ向けてやったことに、声が返ってきたこと。

全部話そうとしたら、どこから始めればいいのか分からなかった。

だから、一つにした。

 

「今日は、ありがとうございました」

 

客席を見る。

 

「歌っている時に、皆さんの声が聞こえて……嬉しかったです」

 

一度、息を吸う。

 

「また、皆さんの前で歌いたいです」

 

拍手が来た。

名前を呼ぶ声もあった。

五人の時ほど、たくさんではない。

それでも、もう、聞き間違えなかった。

自分へ向けられた声だった。

頭を下げる。

顔を上げた時、頬の辺りまで熱くなっていた。

 

玲奈さんが、最後の言葉をまとめた。

六人で挨拶をする。

客席の右側。

真ん中。

左側。

五人が手を振るのに合わせて、私も手を上げた。

こちらを見て手を振る人がいる。

今度は、振り返してよかった。

少し大きく手を動かした。

腕は重かったけれど、下ろしたくなかった。

袖へ向かって歩く。

 

幕の手前で、もう一度振り返った。

光が、まだ動いていた。

私は笑って、手を振った。

そのまま、幕の向こうへ入った。

 

————

 

「お疲れさまでした!」

 

声をかけられ、頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

自分の声が、急に小さく聞こえた。

マイクを通っていない声だった。

手に持っていたマイクをスタッフさんへ返す。

指を離すと、掌が湿っていた。

ずっと、力をこめて握っていたせいだ。

渡されたタオルを受け取って、額へ当てた。

 

「……暑い」

 

思わず言った。

隣で夏希が笑う。

 

「踊ったからね」

 

「それは、分かってる」

 

返したところで、息を吸った。

夏希はもう、普通に話していた。

髪は汗で少し乱れているし、首にタオルも掛けている。

でも、それだけだった。

美月は前を歩きながら、玲奈さんへ何か話していた。

 

「終わったー!六人で、最後までできましたね!」

 

「うん。皆、お疲れさま。楽しかったわね」

 

「すっごく!最後、六人で並んだ時、なんか嬉しくなっちゃいました」

 

「私も。皆の顔を見たら、笑っちゃった」

 

ひより先輩が言った。

 

「ね!練習してた時も楽しかったけど、今日は全然違った!」

 

「うん。今日、六人で立ててよかった」

 

「ほんとに!あー、嬉しい!」

 

皆、普通に会話をしている。

私も同じところへ立っていた。

同じ六曲をやった。

なのに、今はタオルを当てながら、その会話についていくだけで少し忙しかった。

通路を歩くと、空気が涼しかった。

汗をかいた頬へ触れて、ようやく舞台の照明から離れたことが分かった。

 

「真琴」

 

ひより先輩が、少し歩く速さを緩めた。

 

「大丈夫?」

 

「はい。疲れましたけど」

 

「うん」

 

先輩も額の汗を拭いた。

 

「ちゃんと、終わったね」

 

私は頷いた。

 

「……終わりました」

 

言ってみると、少し変だった。

まだ、次の歌い出しを待っているような感じがした。

身体の中で、曲が続いているような気がした。

 

楽屋の扉が開く。

朝、自分の名前を見た紙が、まだ貼ってあった。

その下を通り、部屋へ入る。

鞄があった。

椅子も、朝置いた場所のままだった。

私はそこまで行って、腰を下ろした。

座った途端に、脚が重くなった。

さっきまで動いていたのに。

タオルを額へ当てる。

汗は、まだ止まらなかった。

 

「真琴、お水」

 

澪先輩が、手の届くところへボトルを置いてくれた。

 

「ありがとうございます、澪先輩」

 

蓋を回す。

一口飲んで、息を吐いた。

それから、もう一口。

向こうでは夏希が、靴の具合を見ながら足首を回していた。

美月は椅子へ座りかけて、そのまままた立っている。

 

「新曲、どうだった?」

 

美月が聞いた。

私に、だった。

 

「……美月のところ、見た」

 

「踊りながら?」

 

「踊りながらでも、少し見えたよ」

 

美月が笑った。

 

「どうだった?」

 

少し得意そうな顔だった。

私はタオルを下ろした。

 

「ちゃんと、美月のところになってた」

 

美月の顔が、明るくなる。

 

「でしょ!」

 

すぐに返ってきた。

その返事を聞いたら、私まで嬉しくなった。

 

「あと……ピンク、増えてた」

 

言葉にしてから、美月を見た。

 

「新曲の途中で。最初より、ずっと」

 

「見えた?」

 

私は頷いた。

 

「うん。色を変えてるところも見えた」

 

美月は少しだけ黙って、それから笑った。

 

「そっか」

 

それだけだった。

だけど、話せてよかった。

自分の中だけに置いておくと、あとで、見間違いだったのではないかと思ってしまいそうだったから。

ひより先輩も、少し離れたところでこちらを見ていた。

目が合うと、小さく頷いてくれた。

それを見ながら水を飲んで、また額へタオルを当てる。

 

「……なんで、まだ汗出るんだろう」

 

「真琴、すっごい汗だね」

 

美月が言った。

 

「美月も、踊ってたよね?」

 

「踊ってたよ!」

 

「歌ってたよね?」

 

「歌ってたって!」

 

私は、他の四人も見た。

皆、汗はかいている。

澪先輩も髪を耳へかけ直していたし、玲奈さんも水を飲んでいた。

それなのに、誰も私みたいに、座ったまま何度もタオルを当てていない。

 

「……余裕あるね」

 

夏希がこちらを向いた。

 

「今日は六曲だから」

 

私は少し黙った。

夏希も、私を見た。

 

「今の、何かおかしかった?」

 

「ううん。私も、六曲だったなと思って」

 

美月が吹き出した。

玲奈さんも笑った。

 

「私たちは、もっと長い公演もやってきているからね」

 

「はい。見ました」

 

六月のライブ。

あの時の五人は、今日よりずっと長く歌って踊っていた。

見ている時にも、すごいと思った。

今は、さっきと同じように話しているこの人たちが、もっと長い時間あれを続けていたことが、身体の方で分かった。

夏希がボトルを持ち上げる。

 

「でも、今日も楽しかったよ」

 

「……うん」

 

私は頷いた。

 

「私も、楽しかった」

 

疲れたことと、それは別だった。

水を飲んでから、もう一度顔を拭いた。

その時、部屋の入口の方で小さな画面が動いた。

早川さんが持っているものだった。

端末かと思った。

でも、違った。

片手に収まるくらいの、小さなカメラ。

横へ開いた画面に、こちら側の様子が映っていた。

私はタオルを下ろした。

 

「……早川さん」

 

「はい」

 

早川さんが、カメラを少し下げる。

 

「それ、今日、ずっと持っていらっしゃったんですか?」

 

聞くと、早川さんが少し目を丸くした。

 

「はい。合間に、少しずつ撮っていましたよ?」

 

「朝から?」

 

「朝の準備や、皆さんが移動されるところなどですね。私が手の空いている時だけですが」

 

全然、気づかなかった。

舞台の大きなカメラは、あんなに意識していたのに。

 

「私、朝手振ったりしてたよ?」

 

夏希が言った。

美月も頷く。

 

「私も。真琴、その時進行表見てた」

 

「……そうだったんだ」

 

「すごい真剣だったから」

 

私は、テーブルの端を見た。

進行表があった。

少し端の曲がった、あの紙。

さっきまで何度も見ていたものだった。

もう、今日の本番のために読み直すことはない。

 

「全然、気づいてませんでした」

 

早川さんが、少し笑った。

 

「今は気づいていただけましたね」

 

「はい」

 

夏希が、カメラへ向けて手を振った。

美月もその横から顔を出す。

私は二人を見て、それから小さく手を上げた。

早川さんがカメラを下ろしたところで、美月が言った。

 

「あ、写真!」

 

私たちの方へ振り返る。

 

「着替える前に、六人で撮ろうよ。終わったところ!」

 

「撮ろう!」

 

夏希がすぐに答えた。

玲奈さんがボトルを置く。

 

「そうね。早川さん、お願いしてもいいですか?」

 

「もちろんです。少しお待ちください」

 

早川さんが、カメラの操作を変えた。

私は自分のタオルを見た。

それから、前髪へ触る。

まだ、少し湿っていた。

 

「……今?」

 

美月がこちらを見る。

 

「今!」

 

「汗、すごいんだけど」

 

「私たちもかいてるよ」

 

「量が違う」

 

ひより先輩が笑った。

 

「じゃあ、一回拭いてから」

 

頷いて、額と頬を押さえる。

鏡を見ると、自分がいた。

朝、メイクをしてもらった時より髪が乱れている。

頬も赤い。

ライブが終わった顔だった。

もう一度だけ前髪を直して、タオルを椅子へ置いた。

五人が並び始める。

私は、ひより先輩と夏希の間へ入った。

美月がひより先輩の反対側へ寄る。

玲奈さんが少し位置を変え、澪先輩もこちらへ身体を向けた。

 

「もう少しだけ、寄っていただけますか」

 

早川さんが言った。

夏希が、半歩こちらへ詰めた。

私も寄る。

ひより先輩の肩が、軽く触れた。

 

「真琴、足、大丈夫?」

 

「大丈夫です。立てます」

 

「そこまでは心配してない」

 

言われて、笑ってしまった。

夏希が顔を覗かせる。

 

「真琴、すごい楽しかった顔してる」

 

「夏希は、まだ踊れそうな顔してる」

 

「踊れるよ」

 

即答だった。

美月が笑う。

 

「今からは踊ったりしないでね」

 

「分かってるって!」

 

玲奈さんも笑い始めた。

澪先輩が、その隣で口元を押さえる。

 

向けられているレンズを見る。

額は、まだ熱かった。

脚にも、踊った重さが残っていた。

隣から、美月の笑う声が聞こえる。

つられて、また笑った。

次の瞬間、シャッターの音が楽屋に響いた。

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