TS少女は演じたい 作:息抜き
拍手が収まり、六人が次の曲の位置についた。
客席後方、音響卓から少し離れた場所で、久世透は舞台を見ていた。
八月八日。
Lumière Paletteが、初めて六人で観客の前に立つ日だった。
ここまでの四曲で、確認できたことはいくつもある。
五人の強みや良さは、残っていた。
その一方で、真琴にはまだ余裕が少ない。
移動と歌が重なるところでは、客席へ向けられる表情が減る。
五人なら自然にできることでも、まだ一つずつ意識を配っているのも分かった。
それでも、任された場所に入り、声を出し、次へ進んでいた。
五人が真琴のためだけに自分を抑えているようにも見えない。
そこは、今日確かめたかったことの一つだった。
六月の舞台を思い出す。
八千席の客席を前にした五人は、十分すぎるほど輝いていた。
人数を増やさなければ先へ進めないグループではなかったし、久世自身、五人での完成度を高く評価していた。
その続きを、同じ五人で見たかったという人がいることも分かる。
自分が変えると決めたのは、まだ何もできていなかったグループではない。
既に、多くの人が好きになってくれていた五人だった。
舞台から、新曲の最初の音が聞こえた。
『六つの光』
久世は、手元の進行表から顔を上げた。
客席から声が上がった。
久世は、その声を聞きながらも、映像から目を離さなかった。
二月に見たカメラテストの少女が、今は歌って踊ったあとの呼吸のまま、同じ種類の表現を使っている。
一人で椅子に座っていた時とは、条件が違う。
何曲も動き続け、他の五人の声を聞き、決められた時間の中へ最高の表現を収める。
そこまでできている。
当然、誰にでもできるようなことではない。
だが、久世が見ていたのは、その先だった。
真琴の視線が、美月へ移った。
美月が歌い始める。
真琴はその声を受けるように目元を緩め、次の位置へ動いた。
入れ替わるように、美月が顔を上げる。
笑顔が客席へ大きく開いた。
オレンジの光が高くなり、先ほどとは違う歓声が広がった。
久世の口元が、わずかに緩んだ。
真琴のところが終わったから、次の人へ移ったのではない。
美月が、自分を見たいと思わせていた。
真琴の表現を薄くすることも、美月が同じように振る舞うこともせず、二人の違いがそのまま一つの曲を進めている。
これだった。
五人の誰かの代わりでもない。
真琴の表現が加わった先で、他の五人の魅力まで別の形で見える。
その可能性を、見てみたかった。
舞台へ目を戻す。
真琴は、もう六人の動きの中にいた。
客席の手元で、光がいくつか下がった。
再び上がった時、ローズピンクになっているものがある。
最初からその色を振っていた人だけではない。
もちろん、今この瞬間に推しが変わったのか、今日だけ声援を送ったのかまでは分からない。
ただ、見て、返してくれた人がいる。
そのことは、ここからでも分かった。
六人の声が重なる。
久世は進行表を持つ手を下ろし、そのまま曲の最後まで見ていた。
公演の最後には、周囲の拍手を聞きながら、久世も手を叩いた。
————
会場から戻ったあと、FOLIOの一室には、いつもの会議とは違う匂いがしていた。
机の上には、蓋を外した料理の容器が並んでいる。
サンドイッチ、唐揚げ、パスタ、サラダから、チキンや寿司、スープまで。
端には飲み物と紙コップがまとめられ、別の小さな机にはデザートも置かれていた。
六人体制での初公演を終えた日だ。
真琴にとっては、初めてのライブでもある。
今日は会社で用意しようと、事前に決めていたものだった。
早川たちが手配してくれた料理を見渡して、久世は思っていたよりも随分揃ったな、と少し笑った。
「これ、全部、今日のためにですか?」
部屋へ入ってきた真琴が、机を見ていた。
「はい。皆さんで召し上がってください」
早川が答える。
「ありがとうございます。……すごい」
最後の一言は、料理を見たまま出ていた。
美月が、その隣から顔を寄せる。
「真琴、何食べる?」
「まだ、考えてる」
「じゃあ一周しよう」
「取る前に?」
「先に決めた方がいいかなって」
二人が机の端へ移っていく。
その後ろから、夏希が皿を手に取った。
「私はもう決めた」
「どうせ唐揚げでしょ?」
「なぜバレた」
「いつものことだし」
真琴が笑った。
その顔に、久世は少し目を留めた。
衣装から私服へ着替え、髪も整え直している。
楽屋で見かけた時ほど、息が上がっている様子もなかった。
それでも、まだ頬は少し紅潮していた。
そして、笑顔がはっきりしている。
普段、打ち合わせなどで顔を合わせる時の真琴は、もう少し落ち着いていた。
年齢よりも大人びて見えることがあるのは、受け答えをする時の間の取り方のせいもあるのだろう。
今は、その間が少し短い。
夏希が料理へ手を伸ばせばすぐに何かを言い、美月が振り返れば笑って応じる。
話が終わっても、口元の笑みが消えきらない。
初めての舞台を終えたことが、まだ嬉しくて仕方がないようだった。
久世は、手にしたコップへ少しだけ飲み物を足した。
「ひとまず、揃って乾杯しようか」
声をかけると、六人がこちらを向いた。
玲奈が周りを見て、近くのスタッフにもコップが渡ったことを確かめる。
久世は長い話をするつもりはなかった。
「今日はお疲れさま。準備も含めて、よくやってくれた。手伝ってくれた皆も、ありがとう」
六人が、小さく頭を下げた。
「真琴の初ステージも、無事に終わった。今日はちゃんと食べていってくれ」
「はい」
真琴が答えた。
その返事のあとで、夏希がコップを少し持ち上げる。
「もう食べていいですか?」
「乾杯したらな」
「あ、はい」
美月が笑った。
玲奈も口元を緩めながら、六人の方へ身体を向けた。
「じゃあ、改めて。今日もお疲れさま。乾杯」
声が重なった。
真琴もその中に混ざり、隣の夏希へコップを近づけていた。
食事が始まると、部屋のあちこちで話し声が重なった。
久世も料理を少し取ってから、机の端へ腰を下ろした。
六人は向こう側にまとまって座っている。
仕事の話をしていても、反省会にはなっていなかった。
客席から聞こえた声のこと。
舞台へ出る前に誰が何をしていたか。
終わってから撮った写真のこと。
真琴も、フォークを持ったまま話に入っていた。
「名前、思っていたより分かるんですね」
「コールのこと?」
美月が聞く。
「うん。いろんな音がしてるから、もっと分からないのかと思ってた」
「言ってもらえた時は、すごく聞こえるよね」
夏希が頷いた。
「最初の頃は言われるたびに私の名前だー!ってなってたなぁ」
「……私もなった」
真琴が、少し笑った。
「最初は、今のそうだったのかなって思ったんだけど。そのあと、ちゃんと聞こえて」
そこまで言ってから、飲み物へ手を伸ばす。
すぐには続きを話さなかった。
ただ、顔を伏せても口元は緩んだままだった。
ひよりが、その顔を見て笑う。
「嬉しいよね」
「はい」
返事は短かった。
それから真琴は顔を上げた。
「すごく」
久世には、その二文字がよく聞こえた。
向こうでは、美月も嬉しそうに笑っている。
夏希は一度頷いてから、自分の皿へ目を戻した。
真琴が、それを見た。
「夏希、唐揚げ減ってなくない?」
「おかわりしただけだけど」
「この一瞬で!?」
「唐揚げに命かけてるので……」
「命まで……?」
美月が吹き出す。
玲奈も笑い始め、食べようとしていた手を止めた。
「ちょっと、今は笑わせないで」
「私、普通に答えただけですよ?」
「分かってる。分かってるけど」
澪が、隣から玲奈へ紙ナプキンを寄せた。
「先に食べたら?」
「そうする」
真琴も、口元へ手を添えて笑っていた。
そのあとで自分の皿を見て、今度はちゃんとフォークを動かす。
食事をしながら、会話を聞いている。
誰かが話を振れば、顔を上げて返す。
久世が最初に映像で見た少女より、声も表情も、ずっとよく動いていた。
————
「久世さん」
呼ばれて振り返ると、宮原凛が端末を持って立っていた。
SNS運用側で、今日の公開反応を追っていたはずだった。
「少しだけ、お時間いいですか」
「ああ。初動?」
「はい。まだ全体をまとめたものではないですが」
久世は皿を少し脇へ寄せた。
宮原が隣へ座り、端末を二人の間へ置く。
向こうの六人の声は、まだ聞こえていた。
「公演を見たという方から、具体的な感想が出始めています。六人でもライブとして成立していた、既存の五人の良さが残っていた、というものですね」
画面に、いくつかの投稿が並んでいた。
『どうなるか心配だったけど、ちゃんと6人のルミパレだった。美月のところも澪の歌も好きなままだし、新曲よかった』
『六つの光、誰か一人のお披露目曲じゃなかったのがよかった。全員に見せ場が回ってくるの好き』
久世は、もう少し下へ目を移した。
『真琴ちゃんは、確かに歌とダンスはまだこれからだと思う。そこははっきりわかった。五人とはだいぶ差があった。でも新曲のアップは忘れられない。あそこはちゃんと真琴ちゃんの見せ場になってた』
「表情のところは、具体的に挙げている投稿がいくつかあります。歌い終わったあとまで印象に残った、という声も」
「そうか」
舞台の後ろへ大きく映った顔を思い出す。
久世が見たものを、客席からも見てくれた人がいる。
そのことは、やはり嬉しかった。
宮原が、別の投稿を表示した。
「それと、こういうものもありました」
真琴のアクスタについて書かれた投稿だった。
『正直、あまりにも叩かれててかわいそうで、応援のつもりで真琴のアクスタ買った。だけど、今日見て、買ってよかったと思った。六つの光、またライブで見たい』
久世は、一度読み終えてから、もう一度最初へ目を戻した。
買った時には、まだ好きだったわけではなかったのだろう。
行きすぎた非難を見て、そのままにしておくのが嫌だった。
応援する人間もいると伝えるために、商品を手に取ってくれた。
その気持ちだけでも、ありがたい。
だが、この人は今日、別の気持ちで帰ったらしい。
「……買ってよかった、か」
小さく呟くと、宮原が頷いた。
「これだけで購入者全体の気持ちは分かりませんが、この方はそう受け止めた、と」
「ああ」
一つの投稿だった。
全体の売上へ説明をつけられるほどの話ではない。
それでも、今日のライブで起きてほしかったことが、その短い文章の中にあった。
久世は、六人の方へ一度目を向けた。
真琴が、美月へ何かを話している。
相手の返事を聞いて、また笑った。
今、画面に出ている言葉は知らないだろう。
少なくとも、こちらへ反応を確かめに来る様子はなかった。
久世は端末へ視線を戻した。
「掲示板の方は?」
「そちらも、公演そのものの感想が出ています。ただ、五人の方がよかった、という感情はかなり残っていますね」
宮原が画面を切り替える。
「その上で、五人の方が好きだが、だからといって今の六人を全部否定する必要までは感じなくなった、という書き込みがあります」
「見た上で?」
「現地で見たと書いている方です。ライブは思っていたより楽しめたし、白瀬さんも自分の役割を全うしたうえで、白瀬さんだけの役割があった、と」
久世は、表示された文章を読んだ。
全面的な歓迎とは違う。
五人の方が好きだという部分は、はっきり残っている。
それでも、新しい形を好きになる可能性まで閉じなくてよいと、その人は考えたらしかった。
「別の方は、五人の頃は今でも好きだし、その映像も見る。ただ、FOLIOの判断がよかったかどうかや、白瀬さんについては、これからじっくり見ていく、と」
「なるほどな……」
「もちろん、変わらない意見もあります。六人で実際にできていたことと、六人にする必要があったかは別だ、というものです」
そこには、五人の組み合わせをもっと見たかった、と書かれていた。
真琴が上手くなれば済む話ではない。
あの五人の続きが見たかった。
久世は、しばらくその文章を見ていた。
「今日の公演を褒めたから、増員にも賛成したことにはならないな」
「はい。ただ、風向きは確かに変わっています。少なくとも初動を調べている間、白瀬さん個人への罵詈雑言は、だいぶ減っていましたから。彼女が実力を示してくれたからこその結果ですね」
「そうだな。今回の不満の原因は、体制を変えることを決めた会社側にある。それを分かってくれた人が増えたなら、嬉しい限りだ」
久世は頷いた。
ようやく、真琴自身を見てもらえた。
写真や加入理由の説明だけではなく、六人が歌い、踊り、話すところを。
その上で好きだと言う人もいれば、やはり違うと言う人もいる。
今日の一回で決めず、次を見ようとする人もいる。
そこまでを強制するつもりもない。
だが少なくとも、次も見てもらうための空気を作ることはできた。
「ありがとう。もう少し揃ったところで、また聞かせてくれ」
「はい」
宮原が端末を引き寄せる。
久世は、その手元を見てから料理の方を示した。
「宮原は食べたか?」
「まだです。少しだけいただこうかと」
「まとめるのは後にして、冷めないうちに食べた方がいい。随分手が早い食いしん坊がいるみたいだからな。好みのものがなくなってしまうかもしれない」
久世が夏希の方に目配せしてそういうと、宮原は笑って立ち上がった。
————
「ひより先輩、もうデザートですか?」
美月の声が聞こえた。
ひよりの手元には、小さなプリンの容器があった。
「うん」
「早くないですか?」
「美月が喋ってる間に食べたから」
「そんなに喋ってました?」
「うん。真琴に構い倒して、夏希とふざけて、スタッフさんたちに手当たり次第に話しかけて。これだけやってれば食べ終わりもするよ」
美月が少し黙り、それから笑った。
その隣で、真琴まで笑っている。
久世も、思わず口元を緩めた。
柔らかな声で、随分と現実的なことを言う。
見た目しか知らない人には意外に思われることもあるが、久世には馴染みのある返しだった。
その顔を見ていると、昔の撮影を思い出した。
明るい背景の前に立ったひよりへ、久世は第一印象の可愛らしさをさらに押し出すよう注文した。
ひよりの動きが、一瞬止まった。
それから小さく頷き、求められた形を作った。
仕上がった写真も映像も評判がよかった。
小動物みたいだ、守りたくなる。
そうした声が増え、写真も商品も手に取ってもらえた。
読みが外れていたわけではない。
小柄で、童顔で、柔らかな声を持つひよりには、確かにそういう魅力があった。
本人も可愛いものが好きで、その柔らかさも作り物ではなかった。
ただ、自分はそれを押し出しすぎた。
直された位置へ次の週にも戻ってくることも、周りを見ながら動けることも、育成の頃から知っていた。
映像を止めて細かく確かめる姿や、今のような現実的な返しも、面白いと思っていたはずだ。
それなのに、外へ見せる時には、分かりやすい可愛らしさばかりを選んだ。
本人が一瞬固まることにも気づいていた。
それでも、その後きちんとできて、反応もよかったから、問題はないと判断してしまった。
売り方の偏りを認めた時、一度、本人にも謝った。
「会社が……私が押し出すためだけの印象作りになってしまっていた。すまなかった」
ひよりは少し驚き、それから困ったように笑った。
「……確かに、ちょっと困る時はありましたけど」
そう言ってから、久世の顔を見た。
「でも、可愛いって言ってもらえるのが嫌だったわけじゃないです。これからほかのところも見てもらえるなら、私は大丈夫ですよ」
最後には、もうそんな顔をしないでください、と笑ってくれた。
その言葉には救われたが、同じことを繰り返してよいわけではなかった。
どんな曲や舞台を作り、何を、どの順番で世間へ見せるか。
方針を決めるのは、今も自分の役目だ。
ただ、本人の表情や言葉まで、頭の中の完成図へ合わせようとはしなくなった。
技術は専門家に任せ、本人が何を面白がり、何をやってみたいかも聞く。
自分の気に入った一面だけを繰り返させるより、まだ知らないところを見せてもらう方が面白い。
五人を育ててきた時にも、そんな楽しみがあった。
育成中、ひよりの動きを見て、この小さな子が大きな舞台の真ん中でも同じように立てたら、どんなふうに見えるだろうと思った。
美月が初対面のスタッフまで自然に笑わせるのを見て、その力が客席へ向いたところを見たくなった。
玲奈が皆の話を聞いてから言葉を選ぶ姿には、大勢を前にしても人を置き去りにしない進行を期待した。
澪の歌を聴いた時には、もっと大勢に聴かせたいと思ったし、この子にはどんな歌を任せても大丈夫だと感じた。
夏希が踊り終え、次はどこを直すのかと顔を上げるたび、この子ならライブで何を見せるのだろうと楽しみになった。
最初からすべてを見抜けたわけではない。
育っていく途中で、初めて分かったことも多かった。
それでも、一度見つければ、その先を見たくなった。
採算や日程とは別に、世間へ名前が出る前から、彼女たちの次の出番を待っていた。
ファンという言葉を使うなら、自分もその一人だったのだと思う。
ただ、自分には舞台を用意する側の仕事がある。
楽しみにしているからこそ、自分の好みに揃えてしまわない。
ひよりの一件で、そのことは学んでいた。
白瀬真琴については、最初からアイドルを考えていたわけではない。
二月、新人開発から回ってきたカメラテストの映像。
画面の中の少女は、指示を聞くと、表情の一部分だけを変えた。
変更されたのは小さなところなのに、見ている側へ伝わる感情は変わる。
しかも、一度できて終わりではない。
もう一度と言われれば、同じことができた。
「これ、経験ないの?」
最初にそう確認したことを覚えている。
映像の仕事なら、面白い。
三枝の評価を聞いても、その見立ては変わらなかった。
新人として演技を学び、短い台詞や動作のある場面を経験していく。
まずは、そういう育て方が自然だった。
その後の記録にも、久世は何度か目を通した。
初めからすべてが上手いわけではなかった。
相手が話し終わる前に表情を作って、やり直している。
身体の動きを考えると、返事が遅れる。
歌では声色を変えようとして、息まで変わってしまう。
ダンスになると、もっとはっきりと初心者だった。
腕を加えた途端に足が遅れ、途中で止まる。
ただ、分からないところを、そのままにはしなかった。
説明を聞き、一つずつ確かめる。
次の記録では、以前直されたところが少し残っていた。
四月に入る頃には、真琴がすぐにできることだけでなく、できないことをどう覚えていくのかも見えてきていた。
その中で、別の可能性が気になり始めた。
この子の表現は、映像の役を演じる時だけに使うものなのだろうか。
俳優の道だけでも、破格の才を持った期待できる新人だった。
ひよりの一件を理由に、何でも違うことをやらせればよいわけでもない。
それでも、短い歌の中で言葉の印象を変えた声が、耳に残っていた。
まだ音程も呼吸も不安定だったが、技術が追いついたら、あの言葉はどんなふうに聞こえるだろう。
歌い終えたあとまで表情を残したら。
そこへ、別の誰かの歌が続いたら。
考え始めると、五人の舞台が浮かんだ。
華やかな曲の途中で、ほんの短い間、カメラが真琴を捉える。
笑うかどうか迷っているような目元が変わり、次の瞬間には、もう違う気持ちが伝わってくる。
大きく踊ったわけでも、強い声を張ったわけでもない。
それでも、その数秒が頭に残り、次に映る時には少し注意して見る。
五人を見に来た観客が、帰る頃には真琴の名前も覚えている。
次のライブでは、その名を呼び、真琴の声が入る一節を待つ。
やがて、その子を見たくてチケットを申し込むようになる。
そんなことが、起きるのではないかと思った。
役の中で見せる表現にも、価値はある。
その道を捨てさせたいわけではなかった。
ただ、舞台へ立った白瀬真琴自身を好きになり、応援する人がいる光景が、頭から離れなかった。
自分が客席にいたとしても、きっと次の出番を探す。
そう思ったところで、ようやく気づいた。
まだ見ぬ観客の反応を想像しているつもりで、自分が映像を見た時の感覚を重ねていた。
カメラテストの映像を戻したのも、修正の確認だけではない。
何を変え、どんな印象を生んだかは、もう分かっていた。
しかし、仕組みを説明できることと、心を動かされないことは別だった。
次にどんな顔をするのか知っていても、また見入ってしまう。
ほんの少し目を動かしただけで、そこにいる少女の言えなかった言葉まで聞きたくなる。
新しいレッスンの記録が届くたび、今度は何を見せるのかと楽しみにしていた。
自分が思わず映像を戻したあの数秒を、今度は大勢の観客にも見てもらいたかった。
歌や動きを身につけ、五人の歌を受けた時、あの表現はどう変わるのか。
久世が、見たくなっていたのだ。
アイドルになった、白瀬真琴を。
その時は、まだ本人に可能性の話すらしていなかった。
歌もダンスも仕事にできる水準ではなく、五人と活動できるかどうかも分からない。
専門家には、強みを残したまま必要な基礎を育てられるかを確かめた。
早川からは、本人の意思を先に聞くよう念を押された。
もっともだった。
自分が見たいからといって、本人が望まない道へ進む必要はない。
五月に候補としての話を出し、三か月近く一緒に練習してもらった。
一人ではできる表情を、他の五人へつなぐところから直す必要があった。
その一方で、飲み込みの早さは異様なほどだった。
細かく分解して理屈を理解し、血の滲むような地道な努力で技術を身につけていく。
たった数か月で五人と同じ舞台に立つ段階まで来られたのは、その両方があったからだ。
その間に、真琴がここへ来る理由も変わっていた。
加入の意思を確かめた時、真琴は五人との練習の話をした。
ひよりの歌を聞き、自分が歌い、美月へ渡す。
自分が変わると、その先も変わる。
もっと上手くやりたい。五人と一緒に、もっといいものを作りたい、と。
「私がやりたいのは、アイドルじゃない。あの五人と一緒に、Lumière Paletteをやることです」
その言葉を、久世は覚えていた。
自分の才能を確かめるために来ていた少女が、五人と作るものの続きを望んでいた。
久世に見たいものがあったように、真琴にも、やりたいことができていた。
そのために、真琴は加入を選んだ。
そして今日、あの場所へ立った。
久世は、机の上の自分の手へ目を落とした。
最初に思い描いたものと、すべて同じだったわけではない。
曲も、動きも、表情も、自分一人で決めたものではなかった。
六人と、指導する三人と、舞台を作るスタッフが、それぞれの仕事を重ねた結果だ。
だからこそ、面白かった。
自分の頭の中を確かめるだけなら、あれほど見入ることはなかっただろう。
真琴のあとに美月が顔を上げた、あの瞬間。
次へ渡した真琴も、受け取った美月も、どちらもよかった。
その先で、客席の光が変わった。
そして、先ほどの投稿。
それを受けて、また見たいと書いた人もいる。
応援のつもりで買ったグッズを、今は買ってよかったと思っている人もいる。
あの頃、久世が一人で考えていたことに、別の人の言葉が返ってきていた。
————
美月の声で、久世は顔を上げた。
真琴が、デザートの並んだ机の前に立っていた。
少し離れたところから、ひよりも会話に入る。
真琴は、笑っていた。
舞台の上で見せた表情とは違った。
カメラへ向けて、どこまで気持ちを残すか確かめていた時とも違う。
初めての公演を終え、仲間と食事をし、気になっていたデザートを選ぶ基準を冗談めかして話している。
こんな顔で笑うのか。
久世は、四月には知らなかったことを、また一つ知った。
普段の慎重な真琴も、今笑っている真琴も、同じ少女なのだろう。
ただ、今日はこちらがよく見える。
自分が立った舞台の話を、自分の言葉で楽しそうにする。
その話を、同じ舞台に立っていた五人が聞いている。
久世が作ろうとして作れるものではなかった。
あの頃の基準で、真琴の落ち着いたキャラを押し出し、演技だけに専念させて作ることができる表情だとは思えない。
作り物ではない、年相応の少女の素顔が、そこにはあった。
近くでは、早川が帰りの予定をスタッフと確認していた。
料理の容器も、少しずつ空になっている。
今日の仕事は、もう終わりに近かった。
真琴が飲み物を取りに来たところで、久世は声をかけた。
「白瀬」
顔がこちらへ向く。
「あ、久世さん」
「今日はお疲れ」
「お疲れさまでした。食事も、ありがとうございます」
「しっかり食べられたか?」
「はい。少し、食べ過ぎちゃったくらいです」
真琴が笑う。
久世は、その顔を見て尋ねた。
「初めてのライブ、どうだった?」
一瞬だけ、真琴の手が止まった。
それから、目元が緩んだ。
「……すごく、楽しかったです」
打ち合わせで聞く返事より、少し速かった。
「緊張はしました。最初は、次の場所とか、歌うところとか、そればっかり考えていて……。でも、声が聞こえたんです。自分の名前を呼んでくださってるのも、ちゃんと分かって」
話しているうちに、また少し頬の赤みが増したように見えた。
「新曲の時、ピンクが増えてたのも見えました」
「そうか、見えたか」
「はい。最初より、増えてました」
同じことを二度言ってから、真琴は少し照れたように笑った。
「嬉しくて。次も歌わないといけないのに、そっちを見たくなってしまって」
久世も笑った。
あの時、真琴は次の動きへ戻っていた。
見たかったものから目を離して、やるべきことを続けた。
その内側で何が起きていたのかは、今初めて本人の言葉で聞いた。
「六人で最後までできて、終わってからも皆とその話ができて……」
真琴は言葉を探すように一度視線を落とした。
それから、顔を上げる。
「また、やりたいなって、思えました」
終演の挨拶でも聞いた言葉だった。
今はマイクを持っていない。
皿と紙コップを手に、少し笑いながら、それでもはっきりと言った。
五月には、自分があの五人の中へ入れるのかと戸惑っていた。
七月には、自分で一緒にやりたいと選んだ。
そして今は、一度立ってみた舞台へ、もう一度立ちたいと言っている。
「そうか」
久世は頷いた。
「今日の六人、すごくよかった」
真琴の目が、少し大きくなった。
「白瀬のところも、全部見せてもらった。白瀬だからこそ見せられるもの、白瀬だからこそできる表現。それが、はっきりと伝わってきた」
「……ありがとうございます」
返事のあとで、口元がまた緩んだ。
自分が伝えられることは伝えたつもりだった。
向こうから、美月が真琴を呼んでいる。
真琴は一度そちらを見て、すぐに久世へ顔を戻した。
「次のステージを楽しみにしてる」
「はい!」
あの五人と、まだ話したいことがあるだろう。
久世はそこで言葉を切って、真琴に五人の方に戻って大丈夫だと示した。