TS少女は演じたい 作:息抜き
八月十一日、火曜日。
私は手元の進行表から顔を上げた。
「言い間違えたり、途中で話が止まったりしても、気にしなくて大丈夫ですよ」
午前中のレッスンが終わり、軽く昼食を済ませたところだった。
このあとは、公式チャンネルの収録。
昨日も予定を確認したけど、実際に着替える前に、もう一度説明を受けていた。
「今日は生配信ではありませんし、撮影も編集も社内で行います。必要なら止められますし、言い直したところもこちらでつなげられますから」
「一度止まったら、最初からやり直すわけではないんですね」
「はい。必要な部分だけで大丈夫です。何か気になることがあれば、その時に声をかけてください」
進行表には、挨拶、企画説明、調理、試食、と書かれていた。
台詞は載っていない。
「神谷さんが進行してくださいますので、白瀬さんがずっと話題を作らなければいけないわけでもありません。聞かれたことに答えたり、皆さんの話へ入ったりしていただければ」
「……はい」
「まだ公開していない話などは、これまでと同じように気をつけてください。それから、今日は料理ですので。火や包丁を扱っている時は、無理にカメラの方を見なくて大丈夫です。危ないと思った時や、どうすればいいか分からない時は、撮影中でもすぐに伝えてくださいね」
「分かりました」
そこは分かりやすかった。
話すことに気を取られて、指を切ってしまう方が困る。
「そういえば、白瀬さん。料理は普段からされますか?」
「たまに、家で手伝うくらいですけど」
「ご自分で作ることも?」
「はい。レシピを見れば、ある程度は作れると思います。全部覚えているわけではないので、見ながらですけど」
早川さんが、少しだけ黙った。
それから、口元に乾いた笑みを浮かべる。
「……そうですか」
何だろう。
できると言わない方がよかったのだろうか。
「あの、何か……」
「いえ。今回の動画の、見どころにもなりそうですね」
ますます分からなくなった。
早川さんは少し考えてから、私を見る。
「そのお話は、適切なタイミングまで、ご自分から詳しくはしないでいただけますか」
「料理をすることですか?」
「はい。もちろん、聞かれたことに嘘をつく必要はありません。その時は、普通に答えていただいて大丈夫です」
「……分かりました」
料理の経験について話すのに、適切なタイミングがあるらしい。
進行表を見直しても、そういう項目はなかった。
————
用意された服は、袖の短いブラウスと、動きやすいパンツだった。
その上から、ピンクのエプロンを着ける。
紐を後ろで結び、鏡の前へ立った。
いつものレッスン着とも、ライブの衣装とも違う。
髪が顔へ落ちてこないように整えてもらい、収録する部屋へ移動した。
入口を通ると、まず大きな照明が目に入った。
白い布のようなものを通した光が、調理台の方へ向けられている。
台は少しずつ角度を変えて三つ並び、それぞれ二人で使える幅があった。
まな板も、ボウルも、コンロも、一人分ずつ。
奥には流しがあり、手を拭く紙や、使い終わった道具を置く場所も用意されていた。
正面には三脚に載ったカメラ。
少し横には、別のカメラを持った人がいる。
調理台より高い位置にも、小さなレンズが下を向いていた。
「こちらは手元を撮りますので、調味料や道具は、この辺りへ置いてください」
スタッフの人が、台の上を示した。
「自分で動かしても大丈夫ですか?」
「はい。作業しやすいようにしていただいて構いません。映らなくなりそうな時はこちらからお声がけします」
足元のケーブルは、端へ寄せてテープで留められていた。
照明の脚のところには重そうな袋が置いてある。
何もない場所に見えても、歩いていいところは決まっているらしい。
部屋の端では、イヤホンを着けた人が機材を確かめていた。
その隣にモニターがあり、今、私たちが立っている場所が映っている。
画面に入っているところは、綺麗なキッチンだった。
そこから少し目を外すと、人と機材が並んでいる。
以前、家で見ていた時には、こちら側のことまで考えなかった。
「白瀬さん、マイクを着けますね」
女性スタッフに声をかけられ、私は向き直った。
小さなマイクを、ブラウスの襟元へ留めてもらう。
細いコードの先には、四角い機械がついていた。
「こちらが送信機です。腰のところへ固定しますので、少し横を向いていただけますか」
言われた通りにすると、腰の脇へ軽い重さが加わった。
コードが余らないようにまとめられ、エプロンの紐も少し位置を直される。
「この紐がマイクに触れると、擦れる音が入ってしまうので注意してください。腕を前へ出してみてください」
ボウルを持つつもりで手を伸ばす。
今度は身体を左右へ向けた。
スタッフの人が、襟元をもう一度確認する。
「では、普段話すくらいの声で、何か一言お願いします」
「白瀬真琴です。今日はよろしくお願いします」
少し離れたところで、音声を確認している人が頷いた。
「はい、ありがとうございます。大丈夫です」
胸元にあるものを、つい見下ろす。
こんなに小さいのに、さっきの声はちゃんと拾っていたらしい。
「真琴、似合ってる」
顔を上げると、美月がこちらを見ていた。
オレンジのエプロンを着け、高い位置で結んだ髪を後ろへ払っている。
「エプロン?」
「うん。その色やっぱりいいね」
「ありがとう。美月も似合ってる」
「でしょー。今日はちゃんと料理します」
その言い方が少し気になったところで、横からひより先輩の声がした。
「前は見栄えしか考えてなかったんだから、本当にちゃんとしてよ?」
「信じてくださいよひより先輩!映えるのはもちろん、味も考えたんですから!」
ひより先輩のエプロンは黄色だった。
短い髪の横をピンで留め、台の上の道具を確認している。
向こうでは、玲奈さんが進行担当の人と話していた。
澪先輩は手を洗い、夏希は緑のエプロンのポケットに、何か折った紙を入れている。
私の場所は夏希の隣だった。
反対側の台には、ひより先輩と美月がいる。
「真琴、準備できた?」
「うん。多分」
「よし!」
夏希は、なぜか自分のことのように頷いた。
そのあと、目の前の四角いフライパンを確かめていた。
随分、やる気があるらしい。
————
「それでは、最初のご挨拶からお願いします」
その声で、部屋の中の話し声が少し減った。
玲奈さんが正面を向く。
私も、最初に教えてもらったカメラへ目を向けた。
始まる。
「皆さん、こんにちは」
「Lumière Paletteです!」
玲奈さんの挨拶の後に、五人の声に、自分の声が重なった。
練習の時と同じはずなのに、最後の音がちゃんと揃ったことに少し安心した。
「今週の『ルミパレ放送部!』。今回は、真琴が初参加です」
玲奈さんがこちらを見る。
美月が小さく手を叩いた。
「ついに!真琴も参加だね!」
「ありがとうございます」
返してから、正面へ目を戻す。
「改めまして、白瀬真琴です。放送部には初めて参加するので、少し緊張していますが……皆さんと一緒に楽しみたいです。よろしくお願いします」
頭を下げる。
顔を上げると、ひより先輩が隣の台から手を叩いてくれていた。
「うん、よろしく」
玲奈さんが言った。
その声へ頷こうとしたところで、夏希が口を開いた。
「大丈夫大丈夫!今日は私が考えた企画だから!」
思わずそちらを見る。
「夏希が?」
「そう!」
「今夏希も言った通り、今回は、夏希の持ち込み企画です」
「真琴が入るって決まったあとに、スタッフさんにお願いしたんだ!真琴も放送部に出るようになったら、前の料理企画、もう一回やりたいって!」
知らなかった。
卵料理を作ることは聞いていたけれど、夏希が提案したとは聞いていない。
「前の料理企画って……」
「卵のやつ!」
夏希はすぐに答えた。
「今なら絶対もっとできるから!家でも練習したし、今度はちゃんと卵焼きにする!」
「あー……あれね」
ひより先輩が言う。
向こうで、玲奈さんが口元を押さえる。
「リベンジをしたかったのよね。でも、持ち込んだ理由、他にもあったんでしょう?」
「……それもある!」
「それも?」
夏希が、私の方を見た。
何だろう。
「だって、今六人じゃん」
「うん」
「真琴いるじゃん!」
「……いるけど」
「真琴、料理できるか分かんないじゃん!」
そこまで聞いて、何となく先が分かった。
夏希は少し身を乗り出す。
「だから今回、私、最下位じゃないかもしれない!」
玲奈さんが吹き出した。
美月も声を出して笑う。
澪先輩だけが、少し首を傾げた。
「前回、順位なかったけど」
「でも実質最下位だったじゃん!」
随分とはっきり言われた。
私は夏希を見る。
「……私、最下位候補だったんだ」
「いや、候補っていうか!」
「候補だったんだ」
「ごめん!」
返事が早かった。
それがおかしくて、私まで笑ってしまう。
「別にいいけど」
「ほら、私も前よりできるようになったから!もしかしたらっていう話で!」
「普通、新人の加入を最下位脱出のチャンス扱いする?」
ひより先輩が呆れたような表情で言った。
「んぐっ、そ、そういう意味じゃ……いやほんと違うんだよ真琴!!」
「うん。分かってる」
向こうで、早川さんがこちらを見ているのが目に入った。
料理の話をする、適切なタイミング。
さっきの乾いた笑み。
……何となく、分かってきた。
「では、夏希がそこまで言う前回を、少し振り返ってみましょう」
玲奈さんの声で、皆が横のモニターへ顔を向けた。
映像が始まる。
画面の中にも、調理台が並んでいた。
その前に立っているのは五人だった。
夏希が、自分のお皿を見下ろしている。
お皿の上のものの形は崩れ、色の大部分が黒に近い色になっている。
『味は、卵なんだよ』
『卵だからね。見た目がこの世の終わりみたいになってるけど』
聞き覚えのあるやり取りが流れた。
画面の中で、玲奈さんが笑っている。
こちらの玲奈さんも、もう笑っていた。
「久しぶりに見ても言い方がひどい!」
夏希が声を上げた。
「これ私が悪いの?」
「終末タマゴ、話題になりましたもんね」
美月まで乗っかり始めている。
「今日はこれを更新するから!」
「もっと黒くするって意味じゃないわよね?」
玲奈さんが聞く。
「違います!」
必死な夏希には悪いけど、この動画には、見覚えがあった。
「……これ、見たことあります」
夏希が振り向く。
「え?」
「FOLIOを調べてた時に。放送部も何本か見たから」
「じゃあ、私のこれも見たの!?」
「うん」
「忘れて!」
「無理だと思う」
考えるより先に答えていた。
ひより先輩が頷く。
「結構印象に残るしね」
「ひよりちゃんまで!」
初めて見た時には、まだ五人の名前もよく知らなかった。
卵のお皿を見て笑って、誰が何を言ったのか、字幕で確かめていた。
本人と知り合った後だとなおさら、忘れる方が難しかった。
————
「今回もテーマは、卵を使った朝ごはんです」
映像が終わり、玲奈さんが説明を始めた。
「調理時間は前回と同じ四十分。卵は一人二個で、他の材料はこちらに用意されているものを使います」
台の上には、野菜やハム、チーズなどが並んでいる。
調味料も一通り揃っていた。
ご飯は共通で炊いてもらっていて、パンも使っていいらしい。
「主役は卵料理ですけど、付け合わせを作っても大丈夫です。最後に、六人で食べ比べます」
「で、今回は順位つけよう!」
夏希が言った。
玲奈さんが、説明の紙から目を上げる。
「なんで?」
「それがないとリベンジにならないじゃん!」
「前よりおいしくできたら、リベンジにはなると思うけど」
ひより先輩の言葉に、夏希は首を横に振った。
「ちゃんと結果が欲しい!」
正面にいたディレクターの人が、笑いながら口を開いた。
「味と見た目と、朝ごはんとしてどうか、というところは皆さんで見ていきましょう。総合順位を出すかどうかは、最後に判断します」
「なんでそこだけ決まってないの!?」
「まずは、ちゃんと作ってからね」
玲奈さんが言って、話を戻した。
夏希はまだ何か言いたそうだったけれど、今度はこちらへ顔を向けた。
「真琴って、料理する?」
「することはあるよ」
「得意?」
少し考えた。
ひより先輩みたいに、何も見ずに次々と作れるわけではない。
作ったことのないものなら、途中で何度もレシピを見直す。
「普通だと思う」
「よし!」
「何が?」
「なんでもない!」
さっき全部聞いたので、何でもないはずはなかった。
その時、美月がひより先輩の方を見た。
ひより先輩もそちらを見る。
二人とも、何も言わなかった。
「またそれ!」
夏希が指摘した。
「何が?」
「企画の話した時も、その顔してたじゃん!」
ひより先輩は、私へ一度目を向けた。
「真琴の普通が、夏希の想像してる普通と同じかは分からないよ」
「大丈夫!」
「……そっか」
「だから、その反応何!?」
美月が口元を押さえている。
「私は何も言ってません」
「美月も絶対何か知ってる!」
二人の顔を見て、以前、一緒に夕飯を作った時のことを思い出した。
玉ねぎを切って、ハンバーグの形を作った。
あの時の話だろうか。
私が一人で作ったわけではなかったけど、少なくとも、包丁を持ったところは見られている。
夏希はしばらく二人を見比べてから、エプロンのポケットへ手を入れた。
「でも、今日は本当に違うから!」
折った紙を取り出し、正面へ向ける。
そこにカメラが近づいた。
太い字で、卵焼き攻略メモ、と書かれていた。
その下には、番号を振った短い文章が並んでいる。
卵をちゃんと割る。
殻を確認する。
火を強くしすぎない。
一気に全部入れない。
焦って巻かない。
最後の一行には、二重に線が引かれていた。
「全部普通のことだよ」
ひより先輩が言った。
「前回それができなかったんだよ!」
「そこまで分かってるなら、今日は期待してよさそうね」
玲奈さんの声は、まだ少し笑っていた。
「では、準備を整えてから始めましょう」
玲奈さんの声で、一度撮影が止まった。
スタッフの人と、必要な道具が揃っているかを確認する。
手を洗い、レシピを立てる場所を決めた。
「レシピ、使っていいんですよね?」
「はい、特に禁止していませんので。桜庭さんもメモを持ち込んでいますしね」
「ありがとうございます」
私は、だし巻き卵を作るつもりだった。
ご飯に、豆腐とわかめの味噌汁。
それから、きゅうりの和え物。
どれも家で作ったことはある。
だけど、あまり作らないものの分量まで全部覚えているわけではない。
和え物のレシピを上から読み直す。
コンロは一つなので、汁物の準備をしてから卵を焼けばよさそうだった。
「始まってからも、困ったら呼んでくださいね」
「はい」
正面のカメラの横に、残り時間を表示するものが置かれた。
夏希は攻略メモの位置を少し直していた。
「真琴、準備できた?」
「うん」
「よし。頑張ろうね!」
さっきまで、私が最下位になる可能性の話をしていた人とは思えない。
でも、こちらに向けた笑顔には、特に裏があるようにも見えなかった。
「夏希もね」
返すと、夏希は大きく頷いた。
準備ができると、もう一度カメラが回る。
「それでは、調理スタート!」
玲奈さんの声で、夏希が真っ先に卵を取った。
私は先に、小鍋へ入れる水を量った。
だしを用意して、コンロへ置く。
温まる間に、きゅうりを洗った。
「殻、なし!」
隣から声がした。
夏希が、小さな器の中を覗き込んでいる。
一つずつ割って、わざわざ殻なし確認をしてからボウルへ移していた。
「よかったね」
「今回の私は一味違うんだよ!」
こちらへ言ってから、二個目も同じように割る。
私はきゅうりの端を落とした。
普段使っているものとは、包丁の重さが少し違った。
最初の一切れをゆっくり切って、それから続ける。
薄く切ったものをボウルへ移し、塩を振った。
使い終わったまな板を拭いて、今度は豆腐を出す。
小鍋へ入れ、レシピの次の行を確かめた。
「美月、もうお皿を選んでるの?」
玲奈さんの声がした。
「最初に決めておくんです。構図や色合いを決めるには、あとからじゃ遅いので!」
「どんなふうに盛るつもり?」
「スクランブルエッグをパンに載せて、オープンサンドにします。トマトも一緒に載せたいから、色が見えるお皿がいいなって」
顔を上げると、美月が白い皿と、縁に模様のある皿を見比べていた。
その横には、洗った葉物とトマトが並んでいる。
「見栄えばっかりに気を取られ過ぎないようにね。私たちで食べるんだから」
ひより先輩が言った。
「そこは前回で反省しましたよ!」
ひより先輩の手元には、切ったチーズがあった。
美月が皿を一枚決めると、ひより先輩は、もう一枚を自分の方へ寄せていた。
私は小鍋へ視線を戻した。
温まったところで火を止め、蓋をする。
先に卵を焼く準備までしておこう。
卵を別の器へ割り、殻を確かめる。
だしと調味料を量り、卵とは別の器へ合わせていった。
「白瀬さん、その器を少し右へ置いていただいてもいいですか」
スタッフさんに声をかけられ、顔を上げる。
「この辺りですか?」
「はい。そこなら、計量しているところも見えます」
頷いて、器を置き直した。
卵を混ぜる前に、きゅうりの様子を確かめた。
出てきた水気を切り、塩昆布と合わせる。
少し味を見て、小鉢へ移した。
「……真琴、それもうできたの?」
夏希に聞かれ、顔を向ける。
夏希は、私の置いた小鉢を見ていた。
「うん。和えただけだから」
「そっちの鍋は?」
「味噌汁。あとで温めて、味噌を入れればいいようにしてる」
夏希の視線が、小鍋からボウルへ移った。
量ってある調味料と、洗って端へ寄せたまな板も見ている。
「……なんか、慣れてない?」
「そう?」
「卵以外も、普通に作ってるじゃん」
「先にできるものからやってるだけだよ。焼き始めてからだと、そっちを見ないといけないし」
説明しながら、卵のボウルを手前へ寄せた。
菜箸を取る。
夏希はまだ、こちらの台を見ていた。
「真琴、手際いいわね」
玲奈さんの声もした。
「いえ、レシピを見ながらなので」
「でも、次に使うものがもう揃ってるでしょう。慌てなくてよさそう」
「火をつけてから探すと、焦がしそうなので……」
その時、美月が何気なく言った。
「前もこんな感じだったよね」
隣から、すぐに声が上がった。
「前!?」
「あ」
「美月」
美月の口が閉じる。
ひより先輩もそちらを見ている。
夏希が二人を見比べた。
「前って何!?」
私は、卵を混ぜる手を止めた。
夏希の前では、調味料を入れたボウルが、まだコンロの横に置かれている。
「ちょっと待って。二人、真琴と料理したことあるの?」
「……前に三人で夕飯を作ったことがあるだけ」
ひより先輩が答えた。
「ハンバーグです!」
美月が付け足す。
「聞いてない!」
「聞かれてないから」
ひより先輩が答えると、夏希がこちらを向いた。
「真琴も!」
「私も聞かれてなかったし……あの時は、ひより先輩が作るのを手伝っただけだから、わざわざ言う必要もないし」
具材を少し切って、ハンバーグの形も一緒に作ったけど、焼いたのはひより先輩だった。
あの夕飯を私が作ったと言うのは、さすがに違う。
「でも、玉ねぎ切って、他の野菜も切って、ハンバーグも一緒に作ってたよ」
美月が言う。
「形を作っただけ」
「片づけもしてくれたし」
「それは料理じゃなくない?」
「大事だと思うけど」
ひより先輩が、私の方を見た。
「一つ終わったら次に何するか聞いてくれたし、空いたところも片づけてくれたから。助かったよ」
少し返事に困った。
「あ、ありがとうございます」
夏希が、小さく息を吸った。
「……それ、企画持ち込んだ時に聞きたかった」
「普通にはできると思うって言ったでしょ」
「その普通の中身を!」
「でも、真琴が一人で全部作ったところは見てないから」
ひより先輩は、そう答えて自分の台へ目を戻した。
「今日も、どんなふうに作るかまでは知らなかったよ」
「だからあの時二人とも変な反応だったんだ!」
「あの時って?」
「私が企画持ち込んだ時、この二人もその場にいたの!!」
夏希が、ようやく分かったというように言った。
私も、早川さんに料理経験を尋ねられた時のことを思い出す。
適切なタイミング。
どうして最初に詳しく話さないでほしいと言われたのか、今なら分かる気がした。
「美月は、二人が作るのを見てたんでしょ?」
「見て、食べた。おいしかったよ」
「完全に知ってる側じゃん!」
「私もレタス洗ったよ?」
「そこ聞いてない!」
玲奈さんが笑った。
手元へ目を戻しながら、少し肩を揺らしている。
私はもう一度卵を混ぜ、合わせておいた調味料を入れた。
夏希も、攻略メモへ目を落とす。
「……大丈夫。私も練習したし」
自分へ言い聞かせるような声だった。
「まだ分かんないからね!」
「何が?」
「結果!」
やっぱり、そこは気になるらしい。
小鍋をコンロから下ろし、用意されていた鍋敷きへ置いた。
代わりに、卵焼き用のフライパンを載せる。
油を薄く広げる。
温まったところへ卵液を少し入れると、細かな音がした。
台の上のカメラではなく、卵の端を見る。
家で作る時より、少し落ち着かない。
隣からも焼ける音がしているし、正面ではカメラを持った人が動いている。
卵の端へ菜箸を入れて、少しずつ手前へ巻いた。
最初のところが細くなったけど、そのまま続ける。
奥へ寄せ、空いたところへもう一度油を薄く引いた。
「……え」
夏希の声がした。
「真琴も卵焼き?」
「うん。だし巻き。好きだから」
返しながら、次の卵液を流す。
巻いた卵を少し持ち上げ、下へも入れた。
夏希の方から、返事がなかった。
卵から目を離さずに待つ。
少しして、もう一度声がした。
「今、普通に巻いたよね?」
「巻かないと卵焼きにならないから」
「そうだけど!」
夏希の声に、向こうで美月が笑った。
「今真琴、綺麗に巻いてます!!」
「実況しないで!」
夏希が返す。
私は端の固まり具合を確かめ、もう一度菜箸を入れた。
「何回くらい作ったことあるの?」
「何回って……数えたことないけど」
「数えてないくらい作ってる!」
その受け取り方は、少し違う気がする。
「料理するたびに、回数は数えなくない?」
「私は今回、練習で何回作ったか覚えてる!」
「……そっか」
だし巻きを手前へ巻く。
端が少し破れたから、菜箸で寄せて、そのまま重ねた。
完璧にはならない。
でも、ばらばらにはならずに済んだ。
隣を見ると、夏希がこちらのフライパンを見ていた。
「夏希、自分の方を見た方がいいよ」
「見てる!」
「今、こっち見てたけど」
「余裕があるだけ!」
随分分かりやすい余裕だった。
「夏希、次を入れる前に、火を少し落としてみたら」
ひより先輩の声がした。
夏希が自分のフライパンへ視線を戻す。
「あっ」
底の方が、少し濃い色になりかけていた。
夏希はすぐにコンロを弄って、フライパンを持ち上げる。
しばらく卵を見てから、戻した。
「大丈夫。まだ大丈夫」
攻略メモへ一度目を向け、次の卵液を入れる。
今度は、こちらを見なかった。
私も、自分の卵へ目を戻す。
向こうから、バターの匂いがしてきた。
ひより先輩の方らしい。
そちらを見る余裕は、今はなかった。
「美月、あなたも自分の料理に集中して」
玲奈さんの声がした。
「してます!」
「さっきから二人の方ばっかり見てるでしょう」
「卵はちゃんと見てます!」
少し間が空いた。
「あ、待って。ここで止めた方がよかった」
「ほら」
焼ける音が弱くなった。
私は笑いそうになって、一度息を吐いた。
菜箸の先がずれないよう、卵を巻いていく。
隣から、小さな声がした。
「……よし」
夏希の卵も、ちゃんと巻けていた。
最初の部分が少し厚かったけど、、ちゃんと一つになっている。
「できてるじゃん」
「でしょ!」
今度は、手元を見たまま返ってきた。
「だから、ちゃんと練習してきたんだって」
「うん。ちゃんと分かる」
「澪ちゃん、どっちが勝ってると思う?」
夏希が聞いた。
顔を上げると、澪先輩は鍋に蓋をしたところだった。
私たちの手元を順番に見て、答える。
「真琴」
「早い!」
「まだ完成してないですけど……」
私も言った。
澪先輩は、夏希の顔を見る。
「真琴の方が、自分のをちゃんと見てる」
玲奈さんの笑い声がした。
「私も見てるって!」
「今、私を見てるし」
夏希が黙って、正面へ向き直った。
口元が少し曲がっている。
私も笑いをこらえながら、最後の卵を巻いた。
澪先輩は、それ以上何も言わなかった。
自分の鍋の蓋を取り、中を確かめている。
隙間から、だしの匂いが漂ってきた。
しばらくは、それぞれの台から料理の音がした。
私も、形を整えてから、火を止める。
だし巻きをまな板へ移すと、ようやく少し肩の力が抜けた。
端が細い。
厚さも、完全には揃っていない。
でも、今から直せるところではなかった。
「やっぱり普通にできるよね」
ひより先輩の声がした。
「はい。ひより先輩ほどではないですけど、普通には」
「私もそこは見たことなかったしね。夏希にもちゃんと言ってたはずなんだけど」
「ひよりちゃんの普通、細かく分かれすぎじゃない!?」
ひより先輩は笑っただけだった。
小鍋が温まるのを待ちながら、隣の台へ目を向ける。
ひより先輩が、フライパンを傾けて卵を寄せていた。
私のものよりずっと大きな動きなのに、崩れない。
皿へ返すと、黄色いオムレツが綺麗に載った。
「……すごい」
思わず声に出た。
ひより先輩が顔を上げる。
「何が?」
「それ、綺麗にまとまるんですね」
「真琴も巻けてるよね?」
「それとは、ちょっと違う気がします」
ひより先輩は少し笑って、皿へ目を戻した。
脇へ残してあったチーズを、小さな容器へ戻している。
「中にチーズが入ってるんですか?」
「うん。あとはトーストを添えるだけ」
聞いているだけで、おいしそうだった。
私は自分の鍋へ向き直り、火を弱めた。
隣でも、夏希が火を止める。
「できた!」
お皿へ移すところを、つい見てしまった。
少し傾きかけたけど、フライ返しで支え、無事に載せる。
四角かった。角は少し丸いし、厚さも揃ってはいない。
それでも、さっきの映像のお皿とは、全然違う。
夏希は自分の卵焼きを見た。
それから、私の方を見る。
もう一度、自分の卵焼きへ視線を落とした。
「……私もできてる」
「できてるじゃん」
「でも、真琴の方が綺麗」
「こっちばっかり見てるからじゃない……?」
「それは、ちょっとあるかもしれないけど!」
認めるとは思わなかった。
笑ってしまうと、夏希も少し笑った。
「次は見ない」
「今日は?」
「もうできたから見る」
そう言って、私のだし巻きを覗き込んできた。
「残り五分です」
スタッフさんの声で時計を見る。
思っていたより、時間が進んでいた。
味噌汁の味を調え、ご飯を小さめのお茶碗へ盛る。
小鉢と卵のお皿を並べると、自分の前だけいつもの食卓に近くなった。
向こうでは、美月がパンの上のトマトを動かしていた。
スクランブルエッグと葉物の間に、赤い色が少しずつ入っている。
「ここに赤があった方がいいと思うんですけど」
「もう赤は十分あると思うけど」
ひより先輩が答えた。
「こっちにも欲しいんです」
「食べる時落ちない?」
「……少し減らします」
あの時の夕飯とよく似た会話で、少し笑ってしまった。
夏希はサラダを盛り、ご飯の位置を直している。
卵焼きは、切った断面がよく見えるように並べていた。
少し向こうで、澪先輩が鍋を傾ける。
玉ねぎと卵が、ご飯の上へ滑っていった。
「澪先輩の、丼なんですね」
「うん。玉ねぎを煮て、卵でとじただけ」
湯気と一緒に、さっきのだしの匂いがした。
最後に刻んだ海苔を少し載せ、澪先輩は使い終わった鍋を脇へ寄せる。
玲奈さんは全員を見てから、自分の皿へ目を落とした。
ハムの上に、目玉焼きが二つ並んでいる。
添えていたサラダを少し直し、皿の縁を拭いていた。
「玲奈さん、自分のもできてる?」
美月が聞いた。
「できてる。ハムエッグだから、焼きすぎる前に止めておいたの」
「ずっとこっちに話しかけてたから、忘れてるのかと思いました」
「美月とは違うから」
「返す言葉もございません……」
玲奈さんも笑ってから、パンを皿へ添えた。
「はい、ここまでです!」
終了の声がかかった。
手を止める。
予定していたものは、全部できた。
「では、完成したお料理を撮らせてください」
スタッフの人が、カメラを持って近づいてきた。
一人ずつ、料理の前から少し離れる。
私も横へよけ、自分の皿へ向けられたレンズを見た。
簡単なものを作っただけなのにこんなふうに撮られると、少し落ち着かない。
だし巻きの端の細い一切れが気になったけど、今から別の場所へ動かすのも変な気がした。
「白瀬さん、ありがとうございます」
声をかけられて、ようやく頷く。
六人分を試食用のテーブルへ並べると、全部が見渡せた。
ひより先輩のチーズオムレツは、黄色い表面が綺麗にまとまっていた。
横にはトーストとサラダ。
パンにも、ちょうどよさそうな焼き色がついている。
美月のオープンサンドは、ぱっと目に入った。
スクランブルエッグの黄色と、トマトの赤と、葉物の緑。
何度も位置を直していた理由は、並べてみるとよく分かる。
確かに写真映えしそうな色合いとお洒落具合だった。
玲奈さんはハムエッグにパンとサラダ、澪先輩は玉ねぎの卵とじ丼。
どちらも普通に美味しそう。
夏希のお皿には、切り分けた卵焼き。
ご飯とサラダも添えられている。
その隣が、私のだし巻き卵と、ご飯と味噌汁。
きゅうりの和え物の小鉢を置いて、少し位置を直した。
同じ卵を二個ずつ使ったはずなのに、それぞれ並んだものは随分違っていた。
「試食する前に、一枚だけ撮ってもいいですか?」
美月が聞いた。
スタッフの人が頷くと、すぐにスマホを構える。
「夏希、そこもう少し寄せて」
「私のもちゃんと入ってる?」
「入ってる。今日は綺麗に撮れるよ」
「前も撮れてたでしょ!」
「写真自体が綺麗かと、美味しそう!とか、食べたい!って思える映え写真が撮れるかはまた別の話なんだよ」
美月のその言葉に、玲奈さんがまた笑う。
私も笑っていたら、美月に少しだけ待ってと言われてしまった。
取り分け用の皿と箸が用意され、六人で席についた。
一人分ずつ作ったものを、少しずつ分けて食べ比べる。
「では、いただきます」
玲奈さんの声に合わせ、私も手を合わせた。
最初にこちらのお皿を見たのは、夏希だった。
「真琴の、食べていい?」
「うん。どうぞ」
取り分けた一切れを、夏希が口へ運ぶ。
私は、自分が食べるより先に、その顔を見てしまった。
卵を巻いている時より、今の方が気になる。
夏希が、しばらく噛んでから頷いた。
「……おいしい」
「よかった」
素直に息が抜けた。
ところが、夏希はそのまま私を見る。
「普通って言ったじゃん」
「普通だと思うけど」
「これが普通はずるい!」
「ずるいって言われても」
自分でも一切れ食べてみた。
だしの味がする。
火を入れすぎて硬くなった感じも、それほどなかった。
よかった。
ちゃんと、いつも作っているものになっている。
「真琴の普通って、レシピを見れば、知らない料理でも一応作れるってことだよね」
ひより先輩に聞かれた。
「はい。何も見ずに作ってって言われると、困るものも多いですけど」
「それ、普通に料理できる人の話じゃん!」
夏希が言った。
ひより先輩は頷く。
「だから、そういうつもりで話してたんだけど」
「それを、企画持ち込んだ時に!」
美月が笑いながら、だし巻きを口へ運んだ。
「うん、おいしい。ご飯も欲しくなる」
「あるよ」
思わず答えると、美月が私を見る。
私も、自分の言い方に少し笑った。
「……普通に勧めちゃった」
「じゃあ、普通にもらいます」
美月がご飯を取り分けた。
玲奈さんも卵を食べ、頷いている。
「味が濃すぎないのがいいわね。朝に食べたい感じ」
澪先輩は味噌汁を少し飲んでから、こちらを向いた。
「これもおいしい」
「ありがとうございます」
言われるたびに、自分の皿を見てしまった。
大したものを作ったつもりはなかったけど、食べてもらっておいしいと言われるのは嬉しい。
私は夏希のお皿へ目を移した。
「夏希のも食べていい?」
「もちろん!」
夏希が、すぐに答える。
一切れを取って、口へ運んだ。
少し甘い。
外側に焼き色がついているところは、香ばしかった。
中まで火が通っていて、噛むと、思っていたより柔らかい。
「……うん。おいしい」
「本当に?」
「うん。少し形は崩れてるけど、前の動画のとは全然違う」
「比較対象がひどい!」
「リベンジ企画でしょ?」
「……それはそう!」
納得するのも早かった。
ひより先輩も、夏希の卵焼きを食べていた。
「本当に、前より全然いいよ。ちゃんと巻けてるし」
「途中、ちょっと危なかったけどね」
夏希が、自分から言った。
「でも、ちゃんと戻せたね」
「うん」
今度は普通に頷いた。
その顔を見てから、私はもう一度、取り分けた卵へ箸を入れた。
「味、好きだよ。少し甘いやつ」
「……そう?」
「うん」
夏希の口元が緩んだ。
私のだし巻きを見ていた時とは、少し違う顔だった。
美月が、夏希の皿を指す。
「ちゃんと写真に残せる卵焼き!」
「美月の基準はそこなの?」
「動画的には、写真も大事。前の時のも」
澪先輩が言った。
玲奈さんが、箸を置いて笑い始める。
「澪、今それは……」
言い終わる前に、また笑った。
夏希も、もう抗議しながら笑っていた。
それから、他の四人の料理も分けてもらった。
ひより先輩のオムレツは、切っても綺麗だった。
中のチーズが卵と重なり、少しずつ口の中でほどける。
塩加減も、トーストと一緒に食べるとちょうどよかった。
「……おいしいです」
さっきも同じことを言った気がした。
だけど、最初に出てくるのは、それだった。
ひより先輩が、少し照れたように笑った。
「普通のオムレツだよ」
夏希が、すぐに顔を上げる。
「また普通!それ普通じゃないよ!!」
今度は私も、笑ってしまった。
美月のオープンサンドは、持ち上げる前に少し迷った。
上に載ったものを落とさずに食べるには、どこから口へ入れればいいのだろう。
「切り分けよっか。私の、このままだと六人で食べられないし」
「崩していいの?」
「食べる時はいいの!もう写真も撮ったしね!」
スタッフさんが手早く切り分けてくれた。
食べてみると、野菜が多くて、卵の味は優しかった。
ひより先輩のものを食べたあとだと、少し薄く感じるかもしれない。
「もう少し塩があってもいいかも」
ひより先輩が言った。
美月は自分の分を食べ、少し考える。
「……確かに。最後、トマトの位置ばっかり見てました」
「知ってる」
「でも、見た目はよくないですか?」
「うん。それは私もそう思う」
「だよね!なら大成功!」
私が答えると、美月は嬉しそうに笑った。
お互いに一通り食べあったあたりで、正面のカメラが少し動いた。
こちらへ向けられたレンズが目に入り、そういえば撮影中だったと思い出す。
今、どこへ顔を向けていただろう。
澪先輩に話しかけられて、そのまま返していた気がする。
少し姿勢を戻したところで、夏希に呼ばれた。
「真琴、きゅうりも食べていい?」
「うん。それ、塩昆布と和えただけだけど」
「それも普通においしそう」
「普通って言っていいんだ」
「私が言うのはいいの!」
また笑ってしまった。
————
「では、今回の結果ですが」
全員の料理について話したあと、玲奈さんが正面へ向き直った。
夏希の背筋が伸びる。
「待ってました!」
「味については、ひよりのオムレツが特に好評でしたね。真琴のだし巻きも、朝ごはんとして食べたいという感想が多かったです」
私のお皿へ、皆の視線が向いた。
少し照れくさくなり、頷く。
「見た目は、美月が頑張りました」
「ありがとうございます!」
美月が胸を張った。
玲奈さんも笑ってから、スタッフの方を見る。
「それで、総合順位は?」
夏希が身を乗り出した。
ディレクターの人が、少し笑う。
「今回も、総合順位はありません」
「なんで!?」
期待していた分だけ、声が大きかった。
「前回と同じですね」
玲奈さんが言う。
「そこまで同じにしなくていいじゃん!」
「ただし」
スタッフの人が続けた。
夏希が、すぐに口を閉じる。
「前回からの成長部門、一位は桜庭さんです」
「やった!!」
今度は両手が上がった。
隣で見ると、随分忙しい。
「それ、ほとんど夏希のための部門じゃない?」
つい言うと、夏希がこちらを向いた。
「真琴、今それ言わなくていい!」
「でも、本当に上手くなってたよ」
美月が言った。
ひより先輩も頷く。
「ちゃんと練習したの、分かったし」
「途中で火を調整できたのもよかったね」
玲奈さんの言葉に、夏希は自分のお皿を見る。
「……じゃあよし!」
夏希は顔を上げた。
「リベンジ成功ってことで!」
「そこは、間違いないね」
玲奈さんが笑った。
私も手を叩く。
最初に見せてもらったメモを思い出した。
夏希は、本当にそれを一つずつやっていた。
私の方を見すぎて、少し失敗してはいたけれど。
「ということで、今回は六人で、卵料理の朝ごはんを作りました」
玲奈さんがカメラへ向く。
私も正面を見る。
「皆さんも、作ってみたいものがあったら、ぜひ試してみてください。それでは、また次回の『ルミパレ放送部!』でお会いしましょう」
五人と一緒に、手を振った。
「またねー!」
夏希の声が隣で聞こえる。
私も笑って、もう一度手を振った。
少し待ってから、スタッフの声がした。
「はい、オーケーです。お疲れさまでした!」
その声を聞いて、ようやく手を下ろした。
終わった。
椅子の背へ少し身体を預けると、思っていたより長く座っていたことが分かった。
向こうではスタッフの人たちが動き始めている。
さっきまでこちらへ向いていたカメラが、少し下を向いた。
音声の人が近づいてきて、マイクを外してくれる。
「少し待ってくださいね。コードを抜きます」
「はい」
襟元から小さな留め具が外れた。
腰の機械もなくなる。
重いものではなかったのに、外してもらうと少し楽だった。
「白瀬さん、お疲れさまでした」
早川さんが来た。
私は姿勢を戻す。
「お疲れさまです」
「初めての収録、いかがでしたか?」
少し考えた。
「最初は、どこで話せばいいのか少し気にしてたんですけど……途中から、普通に料理してました」
「はい」
「食べてる時も、澪先輩に作り方を聞いたりしちゃいましたし……あれでよかったんでしょうか」
早川さんは小さく笑った。
「よかったと思いますよ。話を聞いて、気になったことを尋ねたり、自分の感想を返したりできていましたから」
その横から、ディレクターの人も声をかけてくれた。
「桜庭さんとのやり取り、面白かったですよ」
「ありがとうございます。……でも、特に何か考えていたわけではなくて」
「それで大丈夫です。最初の最下位候補の話から、自然に入れていましたし」
私は少しだけ、夏希の方を見た。
向こうで、攻略メモを畳んでいた。
あれは、思ったことをそのまま言っただけだった。
面白い返事をしようとしたわけではない。
それでも、夏希が持ち込んでくれた企画のおかげで、思ったよりも緊張しなかったのは確かだった。
「ただ、笑ったあとの返事が、少し小さくなるところはありましたね」
ディレクターの人が続ける。
「次は、笑い終わってから一拍置いて話しても大丈夫です。急いで返さなくても、ちゃんと待てますので」
「……はい」
口元を押さえたまま、何か言っていた気がした。
思い返すと、自分でも声が小さかったところがある。
「今日の収録は大丈夫ですから。それだけ、次に少し意識してみてください」
「分かりました。ありがとうございます」
うまくいかなかったところも、確かにある。
でも、最初から全部やり直しになるような話ではなかった。
早川さんへ向き直る。
「あの、最初に言っていた、適切なタイミングって……」
早川さんが、少し笑った。
「分かりましたか?」
「夏希が気づくまで、ってことだったんですね」
「はい。実際に作っているところを見て、気づくのが面白そうだと思いまして」
「美月が先に話してましたけど」
「そこから発覚するのも、それはそれで悪くないので」
今度は私も笑ってしまった。
「……私も、あそこまで驚かれるとは思ってなかったです」
「いい反応でしたね」
早川さんは夏希の方へ一度目を向けた。
そのあと、私へ戻す。
「今日はありがとうございました。あとは皆さんで、残りも召し上がってください」
「はい」
返事をすると、本当に少しお腹が空いていることに気づいた。
一口ずつ味を確かめながら食べていたので、食事としては、まだ途中だった。
————
「さっきの写真、あとで送るね」
美月がスマホを見ながら言った。
画面には、食べ始める前の六人分が並んでいた。
今は、取り分けた小皿が増え、パンも卵も、少しずつ減っている。
「真琴、だし巻き、もう一個もらっていい?」
夏希に聞かれ、皿を少し寄せる。
「うん」
夏希は一切れ取って、しばらく眺めてから食べた。
それから、自分の卵焼きへ目を向ける。
「もう一回やったら、勝てるかな」
「何回料理企画やるの?」
「次は真琴が苦手なやつにする」
「料理で?」
「うん」
少し考えた。
作ったことのない料理は、たくさんある。
でも、何を比べて苦手かと聞かれると分からなかった。
「私も知らないんだけど」
夏希がひより先輩を見る。
「ひよりちゃん、知ってる?」
「知らない」
「美月は?」
「知らないよ」
「じゃあ探そう!」
思わず、箸を止めた。
「何で三人で協力する流れなの」
「私は協力するって言ってないけど……」
ひより先輩が言った。
美月は少し笑う。
「ちょっと楽しそう!」
「美月まで」
「じゃあ決まり!」
「決まってない」
夏希は笑って、自分の卵焼きを一つ食べた。
誰かが話して、誰かが返す。
さっきも、同じように話していた気がする。
カメラが回っている時と、急に別の会話になったわけでもなかった。
「最後、真琴の一個だけだ」
夏希に言われ、自分の皿を見る。
端が少し細くなった、だし巻きが残っていた。
「食べる?」
「真琴が食べなよ。私、もう二個もらったし」
「じゃあ」
箸で取って、口へ運んだ。
形が少し違っても、味は同じだった。
最後のご飯を食べ、箸を置く。
見渡すと、卵のお皿は全部空になっていた。
サラダも、パンも、小さな丼の中身も、残っていない。
「ちゃんとなくなった」
「おいしかったからね」
私が答えると、夏希は嬉しそうに笑った。
初めての収録だったはずなのに、思った以上に緊張しなかった。
自覚があるのかは分からないけど、多分、私が入りやすい企画にしてくれた夏希のおかげなのだろう。