TS少女は演じたい 作:息抜き
本当に申し訳ないです……
この話の冒頭辺りでしている話は47話を受けた流れになっています
流れとしては
46話:ライブアンケートの結果報告
47話:10/29 7時更新分
48話:前日更新したこの話
予約投稿失敗したまま放置も申し訳ないので10/29は47話を早めに更新します
ストックギリギリなので、10/29の更新は7時のみで、いつもの時間はなしになります
よろしくお願いします
八月十五日、土曜日。
「早川さん。少し、聞いておきたいことがあるんですけど」
廊下で声をかけると、早川さんは手元の端末から顔を上げた。
「どうしました?」
「学校でサインを頼まれた時にどうすればいいか、確認しておきたくて」
早川さんは一度時計を見てから、近くの打ち合わせ室を示した。
「お昼まで少しありますから、こちらでお話ししましょうか」
中へ入り、向かい合わせに座った。
冷房が効いていたけど、身体にはまだレッスンの熱が残っていた。
「昨日、友達にサインを渡したんです。それで、その時に聞いたんですが……クラスのグループで、学校が始まったら私にサインを頼んでみようかなって話している人がいたらしくて」
「なるほど」
「そこそこの人数が、私も欲しいって返していたみたいで……」
早川さんは、急いで何かを書き留めたりはしなかった。
私の話を聞いたまま、続きを待っている。
「私は、一枚くらいなら書けると思ったんです。でも友達に、一枚で済むかなって言われて。誰かに書いたら、ほかの人も欲しくなるだろうし、クラスの中だけとも限らないからって」
「それで、先に対応を決めておきたいと」
「はい。そもそも、個人的に書いていいのかも聞いていなかったので……」
最後のところで、少し声が小さくなった。
「サインを個人的に書くことを、一律に禁止する規則はありませんよ」
「あ、そうなんですか」
「はい。親しいご友人へ贈ったり、ご家族へ書いたりすることも、特に禁止したりはしていません」
「……よかったです」
思っていたより、はっきり息が抜けた。
早川さんが少し笑う。
「ただ、ご友人が心配されたことは、その通りだと思います。頼まれたものを、全て引き受ける必要はありません」
「一枚だけ、と思って書かない方がいいですか?」
「学校では、特にそうですね。一人の方に書いて終わるとは限りませんから。今度は友達の分も、家族が欲しがっているから、と増えていくことも考えられます」
昨日、由佳と話した時には、机の前へクラスメートが並ぶところを想像した。
早川さんの話では、その先にも人がいるようだった。
「会ったことのない人の分まで、ですか」
「はい。白瀬さんへ直接頼める人を通じて、依頼が広がる可能性はあります。いつでも何枚でも書いてもらえると思われると、途中から断るのも難しくなりますし」
「……そうですね。最初は書いていたのに途中から書かないとかやると、揉めるかも……」
「それに、サインの依頼が、ご本人が手元に置くためとは限りません。転売するつもりで求めてくる方が混ざる可能性も、ゼロではないです」
由佳が、名前を入れてほしかったと言っていたことを思い出した。
売りにくくなるし、何より、自分へ書いてくれたものになるから。
あの時は、由佳なりに考えてくれていたのだと思った。
その反対の理由で、欲しいと言う人もいるのか。
「もちろん、今、学校で欲しいと話している方が、そういうつもりだということではありません」
早川さんが続けた。
「人数が増えれば、白瀬さんには分からない理由で頼まれることも出てきます。毎回その方を信用できるか考えてから書く、というのも、大変でしょう」
「はい。……それは、かなり」
一枚書くだけなら、そんなに時間はかからない。
でも、書くかどうかを、そのたびに考える。
しかも、一度書いた人の隣で、別の人へは断ることになるかもしれない。
昨日までの自分には、そこまで見えていなかった。
「学校のお友達で、ほかにも個人的に贈りたい方はいらっしゃいますか?」
「いえ、昨日渡した子だけです」
「分かりました。それでしたら、学校で頼まれる分は、お受けしないことにしましょうか」
「全部、ですか」
「はい。マネージャーから、学校ではサインに応じないよう指示されている、と伝えていただいて構いません。その方が、相手によって対応が違うという話にもなりにくいですから」
私は、膝の上のスマホを見た。
まだ、相談すると書いてあるだけだった。
「早川さんのせいにしても、いいんですか?」
「私の指示ですから」
「でも、さっき、禁止する規則はないって……」
「事務所全体で一律に禁止しているわけではありません。そのうえで、今、白瀬さんの学校での対応として、そうすることをお勧めします」
早川さんは、穏やかなままだった。
「その都度、白瀬さんだけで説明して回らなくて済むようにしたいんです。納得していただけないことがあれば、こちらへ相談してください」
「……分かりました。そうします」
学校ではサインは受けない。マネージャーからの指示。
言われてみると、それほど長い話ではなかった。
でも、何も決めないまま教室へ戻るよりは、ずっとよかった。
「忠告してくれた友人にも、あとで伝えておきます」
「先に相談するよう勧めてくださって、助かりましたね」
「はい」
頷いてから、昨日の顔を思い出した。
由佳がこれを聞いたら、ほら、と言いそうだった。
————
「では、午後の取材についても確認しておきましょうか」
早川さんが、端末の画面を変えた。
私も鞄から、今日の予定が書かれた紙を出す。
撮影。インタビュー。
最後には、読者プレゼント用のサイン、とも書いてあった。
「今回掲載予定の雑誌や、担当してくださる記者の方に関しては、こちらで信頼できる相手を選んでいます。白瀬さんにとって初めての雑誌取材になることも踏まえて、お受けしていますので」
「記者さんも、前から知っている方なんですか?」
「はい。これまでにも何度か取材をお願いしています。話したことを丁寧に扱ってくださる方ですし、今回どういう企画で、主にどんなことを伺いたいかも確認済みです」
紙へ目を戻した。
想定される質問も書いてあるし、具体的な質問文に近い形で書いてあるものもある。
六人体制での初ステージ。
加入までのこと。
メンバーとの関係。
『六つの光』と、二周年公演。
あやふやな書き方をしているものが、確認済みの質問文から発展する可能性がある質問とかだろうか。
「わざと困らせたり、露骨に不快な気持ちにさせたりするような質問は、まずないと思っています。必要以上に身構えなくて大丈夫ですよ」
「……そうなんですね」
何を、どんなふうに聞かれるんだろうなんて、そんなことばかり考えていた。
だけど、早川さんたちは、相手を知ったうえで今日の予定を組んでいた。
「そのうえで、話したくないことを聞かれた場合は、無理に答えなくて構いません」
「答えられませんって言っても、いいんですか?」
「はい。相手に悪気がなくても、ご本人にとっては話したくないこともありますから。『そのことは、今はお話ししないでおきたいです』で大丈夫です。それで怒らない方だというのが分かっているから、お受けしている部分もあるので。言いにくい時には、私に声をかけてください。取材中も同席していますので」
早川さんの顔を見た。
いつもの調子だった。
私が返事をしないと、相手を困らせてしまう。
そう考えて、何か言おうとするところまで、見越されているのかもしれなかった。
「ありがとうございます」
「すぐに上手な答えを出そうとしなくても大丈夫です。少し考えながら、ご自分の言葉で話していただければと思います」
「あらかじめ考えておいたことを、台詞みたいに覚えていくわけではないんですね」
「基本的にはご自分の言葉で話してください。未発表の内容や他の方の個人情報については、必要があれば私から補足します」
「……分かりました」
もう一度、質問の項目を読んだ。
何を考えればいいかは、少し分かった。
何を言えば正解なのかまで、書いてあるわけではなかった。
————
昼食を取ってから、六人で移動の車へ乗った。
窓の外は明るく、歩いている人の影が足元へ短く落ちていた。
冷房の風が届くところへ座ると、斜め前から美月が振り返った。
「そういえば真琴、サイン渡せた?」
「うん。目の前で書いてきた」
「どうだった?」
「……すごく喜んでくれた」
口にすると、昨日の由佳の顔がそのまま浮かんだ。
色紙から顔を上げて、本当に嬉しいと言っていた。
「よかったね」
ひより先輩が言った。
「ちゃんと書けた?」
「はい。ちょっと緊張しましたけど。しかも、そのあと額を買いに行くことになって」
「え、すぐ飾るの?」
「今日飾りたいって。私も選ぶのを手伝ってって言われた」
「書いた本人が、額まで選ぶんだ」
「自分のサインを入れる額を選ぶことになるとは、思ってなかった」
美月が楽しそうに身体をこちらへ向けた。
「いいじゃん。最初の一枚だったら、私もちゃんと飾りたい」
「最初、金箔のすごく派手なやつとか言い出したけど」
「それは、随分目立ちそうね」
玲奈さんの声には、もう笑いが混じっていた。
「さすがに止めました」
「止めたんだ」
「普通に部屋へ置けるものにしてほしかったから」
夏希がまた笑った。
私も、鞄の上へ置いた手を少し緩める。
昨日、由佳と会ってよかった。
それを話して、皆にも笑ってもらえるのが、何となく嬉しかった。
————
取材先のスタジオでは、入口の近くに今日使う衣装が掛けられていた。
奥には白い背景紙と照明がある。
編集担当の人へ挨拶をすると、その隣にいた記者さんも名乗ってくれた。
「初めまして。今日はよろしくお願いします」
「白瀬真琴です。よろしくお願いします」
頭を下げる。
五人が交わす挨拶には、私の時より少し慣れた響きがあった。
美月が以前の取材の話をすると、記者さんもすぐ笑った。
早川さんが言っていたのは、こういうことなのだろう。
「まず撮影をして、そのあと皆さんのお話を伺います。今回は、六人での初ステージのお話と、白瀬さんについて少し多めに聞かせていただければと思っています」
「はい。お願いします」
衣装へ着替え、髪とメイクを整えてもらった。
鏡に映る自分は、さっきまでレッスン室で汗を拭いていた自分より、ずっと落ち着いて見えた。
汗に関してはちゃんとシャワーで落としているし、見えるだけで、内側は割とそうでもないけど。
「真琴、こっちだって」
夏希に呼ばれ、鏡から顔を離す。
撮影の位置へ向かった。
六人で立ち、カメラを見た。
少し向きを変える。
前に立つ人と、後ろに立つ人の間を調整する。
カメラマンさんに視線の位置を言われると、することは分かった。
撮られる間は、次に何を聞かれるかを考えずに済んだ。
「白瀬さん、今度は肩の向きはそのままで、顔だけ少しこちらへ」
「はい」
集合のあとには、一人ずつの写真も撮った。
最後に、読者プレゼント用のチェキも撮ってもらう。
小さな写真が出てくるのを見ると、それにも自分の顔が残るのだと、少し不思議な気がした。
撮影が終わり、六人で椅子へ移った。
低いテーブルの上に、飲み物と、小さな録音機が置かれている。
記者さんが録音してよいか確認し、早川さんも頷いた。
私も、膝の上へ両手を置いた。
「では、改めて。八日の公演、お疲れさまでした」
六人でお礼を言う。
「六人体制で初めてのステージを終えて、今はどんなお気持ちですか?」
最初は玲奈さんが答えた。
六人で準備してきたものを、客席へ届けられたこと。
実際に声や拍手が返ってきて、練習では分からなかった手応えがあったこと。
言葉を聞きながら、私もあの日の会場を思い出していた。
「白瀬さんは、ご自身としても初めてのステージでしたよね。特に覚えていることはありますか?」
自分へ質問が向く。
一度息を吸ってから、答えた。
「客席の光です。最初は、そこまではっきり見えると思ってなかったんです。どこを見ればいいか分からないくらいたくさんあるのに、ちゃんと見えて。その中に、自分の色を見つけて……」
「ローズピンクですね」
「はい。前の方に、ほかの色から変えてくださった方も見えて……それが、すごく嬉しかったです」
話しながら、少し口元が緩んだ。
あの一本の光は、思い出すと今もはっきりしていた。
「見えた瞬間、どんなことを考えました?」
「……私に向けてくれたんだ、って」
言ってから、少し照れた。
それ以外には、うまく言えなかった。
「自分の色があることは、知っていたんですけど。実際に、目の前で振ってくださる方がいるのは、全然違いました。自分の色がゼロでも、おかしくないと思っていたので」
「なるほど。あの場で初めて、実感された部分もあったんですね」
「はい」
記者さんは短くメモをしてから、顔を上げた。
次の質問が来るまで、少し間があった。
急いで何か付け足さなくてもよさそうだった。
「加入までの映像も拝見しました。最初から、アイドルを目指していたわけではなかったんですよね」
「はい。芸能活動をしたいと思ったこと自体、声をかけていただくまではなくて」
「最初に、やってみようと思ったのは、どうしてだったんでしょう」
膝の上で、指を少し動かした。
これは、前にも何度か話したことだった。
でも、今日この人へ話すのは初めてだ。
「才能があるって言っていただいたのが、嬉しかったんです」
「嬉しかった、ですか?」
「はい。自分では、そんなふうに思っていなかったので。本当にそういうものがあるなら、何なのか知りたいと思って、レッスンを受けてみました」
少しだけ、二月の部屋を思い出した。
自分の顔が、大きな画面へ映っていた。
何がよかったのかを説明されても、その時には、まだよく分からなかった。
「そこからLumière Paletteへ入ろうと思うまでには、気持ちの変化もありましたか?」
「ありました。最初に候補の話を聞いた時は……驚いた方が大きかったです」
「五人の中へ入るかもしれない、と」
「はい。自分がそこにいるところを、全然想像できなくて」
隣で、美月が小さく頷いた。
私は一度そちらを見てから、記者さんへ顔を戻す。
「でも、一緒に練習するようになって、休憩中にも話したり、帰る前に次の予定を聞いたりして。そのうち、次に会うことを普通に考えるようになったんです」
「レッスンへ行くことだけではなくて?」
「はい。今日は誰がいるのかな、とか。前に話していたことの続きを聞きたいな、とか」
言いながら、家で五人の話をしていたことを思い出す。
自分ができたことより、誰が何を言ったかを話していた日もあった。
「歌やダンスは、ずっと難しかったです。今もそうなんですけど……でも、できないから別のことをしたい、より、皆と一緒にできるようになりたいと思うようになって」
そこまで言って、少し考えた。
「最初からアイドルになりたいと思っていたわけではないんです。でも、一緒に練習して、五人のことを知っていくうちに、この人たちと一緒にLumière Paletteをやりたいと思うようになりました。だから、正式にお話をいただいた時に、自分でやりたいと思ってお返事しました」
言い終えてから、膝へ目を落としかけた。
今の言葉は、五人にも聞こえている。
もちろん、当たり前ではあるんだけど。
「特別な一日だけで決まったというより、一緒に過ごす中で変わっていった、ということですね」
「……はい。多分、その方が近いです」
記者さんは頷いた。
自分では少し長く話してしまった気がしたけど、途中で急かされることはなかった。
「発表から、たくさんの反響もあったと思います。公演後の感想などで、特に印象に残っている言葉はありますか?」
「全部を自分で見ているわけではないんですけど、スタッフさんから教えていただいています。……『雨音のリフレイン』で、私の声も好きだったと言ってくださった方がいて。それが、嬉しかったです」
「声ですか?表現の部分も沢山の反響がありましたが」
「はい。表現は、それが強みだとあらかじめ言っていただいていた部分があって……ただ歌は、直すところの方が多いと思っていたので。もう一度聴きたいって思っていただけるとは、あまり考えていなくて」
一昨日読んだ、短い文章を思い出した。
澪先輩の歌はもちろん、私の短いフレーズの声も好きだった。
あの言葉を、今日は自分の口で話している。
「最初は、どう受け止められるかという不安もあったと思いますが、実際にステージへ立って、変わったことはありますか?」
すぐには答えず、少し考えた。
早川さんは、離れたところでこちらを見ていた。
何か決まった言葉を言うよう、合図をしているわけではない。
「不安が、なくなったわけではないです」
そう言ってから、続ける。
「五人での活動を長く見てきた方もいますし、まだ慣れないという感想も教えていただきました。歌や動きで、もっとできるようにならないといけないところもあります」
「はい」
「でも、楽しかったと言ってくださる方や、また見たいと思ってくださる方もいると分かって。そちらも、ちゃんと受け取りたいと思いました」
一つの言葉が怖かったからといって、別の人が嬉しいと言ってくれたことまで、なかったことにはならない。
そこは、資料を読んでから少し分かったところだった。
「見てくれた方が、見てよかったと思ってもらえるものを、六人で作りたいです」
「——ありがとうございます」
記者さんが、少し笑った。
私は水を一口飲んだ。
冷たさが喉を通ると、思っていたより長く話していたことに気づいた。
「ここからは、普段の皆さんのお話も伺いたいです」
記者さんが、紙を一枚めくった。
「白瀬さんが、最初に仲良くなったメンバーはどなたですか?」
「最初に……」
思わず、五人の顔を順番に見た。
美月が、こちらを見返している。
夏希は、何か思い出したように少し笑っていた。
「最初に、安心して話せると思ったのは、ひより先輩だと思います。でも、友達みたいに話すようになったのは、夏希が最初かもしれません」
「それぞれ、少し違うきっかけがあったんですね」
「はい」
「それでは、まず小日向さんについて聞いてもいいですか?」
ひより先輩の方へ目を向けた。
先輩は私を見て、少しだけ首を傾げた。
「初めて会った日も、プリンを作ってきてくださって。それも嬉しかったんですけど……一緒にレッスンを始めて間もない頃に、夕飯へ誘ってくださったことがあって」
「ああ」
ひより先輩が、小さく声を出した。
「うん。あったね」
初めて泊まった日だった。
知らない部屋で、荷物をどこへ置くかもまだ決めていなかった。
先輩は、美月と一緒に引き上げようとしているところで、夕飯のことを聞いてくれた。
「その時、一人でゆっくりしたかったら、それでも大丈夫って言ってもらったんです」
「一緒に食べるかどうか、選べるように?」
「はい。誘っていただいたのは嬉しかったんですけど、まだ少し緊張していて。何をどれくらい手伝えばいいのかとか、どのくらいで帰れば迷惑じゃないのかとか、そういうことも気になって、すぐには返事ができなくて」
先輩は、その時と同じように、続きを待っていた。
「でも、それ以上勧めずに待ってくださったので、一人で食べますって言っても、大丈夫そうだなって思えて。それで、断り方より、一緒に食べてみたいなって考えられました」
「それで、ご一緒されたんですね」
「はい。決まってからも、まず休んでって、一度離れてくださったので……そういうところが、すごくありがたかったです」
ひより先輩が、少し口元を緩めた。
「来てくれて、私も嬉しかったよ」
「……はい」
「私も誘ったはずなのに、ひより先輩に負けた……」
「美月はいきなりお邪魔したりして結構急に距離詰めるからね。悪いことではないんだけど。ね、真琴」
「はい。美月は最初から仲良くしようとしてくれていて、嫌だったわけじゃないんですけど、私の距離感とか戸惑いの話なので」
「まあ、ひより先輩が安心できるのは私もそうだから、気持ちは分かるけどぉ……」
少し不貞腐れながらそういう美月に、少し笑ってしまった。
「桜庭さんとは、どういうきっかけだったんですか?」
記者さんの視線が、夏希へも向く。
「夏希とは、練習じゃないことでも、普通に話せて。一緒にゲームをした時に、気づいたら敬語じゃなくなっていました」
「そう。最初は、私と美月にもちゃんと丁寧だったんですよ!」
夏希が、待っていたように言った。
「レースゲームをやったんですけど。最初は『もう一回、同じところでいいですか』って聞いてきて、それが途中から『もう一回』だけになって」
記者さんが笑った。
夏希は、まだ楽しそうだった。
「しかも、まだゴールしてないのに、もう次を頼んでくるんですよ」
「次は、同じところで間違えないと思ったから」
「それで、何回も同じコース走ったんだよね」
「夏希も、普通に選んでくれたでしょ」
「選んだよ。私も負けたくないし。真琴もでしょ。負けず嫌いだよね」
「悪い?」
「ううん?いいことだよ!」
そこまで言ってから、二人で笑ってしまった。
「最後も、そろそろ終わろうって言ったら、『最後、負けたんだけど』って」
「……それも言うの?」
「言ったじゃん」
「言ったけど」
横から、美月の笑う声が聞こえた。
玲奈さんまで、口元へ手をやっている。
「白瀬さんも、随分負けず嫌いなんですね」
記者さんに聞かれ、私は少し考えた。
「そう、ですね……夢中になっていたのもあるとは思いますけど、できる可能性があるものは、ちゃんとできるように頑張りたいですし、あまり負けたくないです」
「そういうの、結構あるよね」
夏希が言う。
「トランプは私が勝ったから」
「ほら、ちゃんと覚えてる」
「夏希も覚えてるでしょ」
「覚えてるよ」
返事が早かった。
また笑ってしまった。
「そうやって話しているうちに、呼び方も変わったんですね」
「はい。夏希から、喋り方は普通なのに、名前だけ『さん』が残ってるって言われて」
「そう、それなんですよ!」
美月が、急に身体を起こした。
反応が大きかったので、私だけでなく記者さんもそちらを向く。
「夏希とは普通に話すようになったのに、私はずっと『美月さん』だったんです。同じ学年なのに!」
「……そうだったね」
「そうだったね、じゃなくて。私、初めて会った日から、美月でいいよって言ってたんですよ?」
「覚えてるよ」
「覚えてるのに、『まだ、ちょっと』って!」
夏希が吹き出した。
「あ、それ言ってた」
「急に言われると、意識しちゃったんだって」
「夏希には言えたのに?」
「ゲームしてたから」
「じゃあ私も、先にゲームに誘えばよかった!」
思わず、口元へ手をやった。
そこだったのだろうか。
美月は本気で考えていそうな顔をしていて、余計におかしかった。
「どうやって呼び方が変わったんですか?」
記者さんが聞くと、ひより先輩が答えた。
「別の日に三人でプリンを食べていたら、美月が急に、皆の呼び方を並べ始めたんです」
「皆さんの?」
「はい。玲奈さん、澪先輩、夏希、って。そのあと、私だけまだ小日向さんだって言われて」
「小日向さんを『ひより先輩』と呼ぶようになったのも、その時だったんですね」
「そうです。私の分まで、美月が話を進めていました」
「だって、ちょうど三人いたじゃないですか!」
「うん。プリン食べてたね」
私も、その時の美月の指を思い出した。
一本ずつ立てて、呼び方を並べていた。
「美月のことは名前で呼んでるって言ったら、私は『さん』の方、って」
「そう!そこです」
「よく覚えているわね」
玲奈さんが、笑いながら言った。
「美月が、すごく一生懸命だったので」
「一生懸命でしたよ。ひより先輩って呼べたから、よし、次は私だって」
美月が、当時と同じようにこちらへ向いた。
「呼んだ時の返事、大きかったよね」
ひより先輩が言った。
「嬉しかったんです!」
「……今も大きい」
澪先輩の短い声で、玲奈さんが声を漏らした。
つられて、私もこらえられなくなった。
美月は、私の顔を見て少しだけ頬を膨らませる。
「真琴まで笑ってる」
「だって、今も同じ顔してるから」
「嬉しかったのは、本当だもん」
「……うん。今はちゃんと呼んでるでしょ」
「そう。そこは、とても満足してます」
言い切った顔まで、あの時と同じだった。
私はもう一度笑ってから、記者さんの方へ顔を戻した。
さっきから、ほとんど美月を見て話していた。
笑いが少し落ち着いたところで、記者さんが五人へ目を向けた。
「では、今度は皆さんから見た白瀬さんのお話も伺いたいです。候補の頃から一緒に過ごしてこられて、どんなメンバーだと感じていますか?」
今度は、私が答える質問ではなかった。
水を一口飲み、五人の方を見る。
真面目とか、頑張っているとか。
そういうことを言われるのだろうかと思った。
「一緒に仕事をする相手として、信頼しています」
玲奈さんが言った。
ボトルを戻しかけた手が、少し止まった。
「分からないところを、そのままにしないで確かめてくれるんです。それから、聞いたことを、その場の返事だけで終わらせない。次に会う時には、自分で考えて、前よりできるようにして持ってきてくれるので」
「成長を、日々感じていらっしゃるんですね」
「はい。それに、教えることばかりでもありません。表情の作り方は、私たちの方から、もう一度見せてほしいとお願いしたこともあります」
「……あれは」
思わず声が出て、玲奈さんがこちらを見た。
「参考にしたかったからよ。私たちも、どうしてそう見えるのか知りたかったの」
その時のことは覚えている。
五人の前で、もう一度同じ表情をした。
でも、今ここで、そういうこととして話されるとは思っていなかった。
「苦手なことは少しずつできるようになっていて、真琴ならではのものもある。だから、これから一緒に作れるものが楽しみです」
玲奈さんは記者さんへ向き直った。
私は、ボトルから手を離した。
ありがとうございます、と言おうとしたところで、ひより先輩が頷いた。
「真面目だよね。でも、普通に話している時も面白いです。時々、思っていたのと違うところから返事が来るので」
「違うところ、ですか」
「細かいところを見ているんだなって。あと最近は、自分の好きなものも前より話してくれるようになりました。それが嬉しいですね」
「……そんなことも、ですか?」
聞くと、ひより先輩は普通にこちらを見た。
「うん。一緒に何を食べようかって話している時に、これがいいって言ってくれるのも」
「私は、ただ食べたいものを……」
「そう。それが聞きたいから、聞いてるんだよ」
すぐには、何も返せなかった。
「そういう、何気ないことでもちゃんと意見を言ってくれるようになったこと。それくらい真琴が慣れてきてくれたのが、嬉しいです」
ひより先輩は、最後のところを記者さんへ向けて話した。
私のことを話している。
私が隣にいるのに。
当たり前だけど、少しずつ落ち着かなくなってきた。
「私も、一緒にやってて楽しいです」
夏希が続いた。
「さっきの『もう一回』も、結構嬉しいんですよ。こっちに付き合ってくれてるだけじゃなくて、本当にまだ遊びたいんだなって分かるから」
「……何回も付き合わせたとは、思ってたんだけど」
「というか、ゲーム自体私から誘ったんだけど?私からも再戦要求しまくったし」
「夏希も、負けず嫌いだからでしょ」
「そうだよ。だから楽しいんじゃん」
あまりに普通の返事だった。
私は少し笑って、それからまた言葉に困った。
「練習でも、できないところがあると、どうすればいいのか自分から聞いてくれるし。得意なことがあるからそれだけでいい、ってしないところも、いいなと思います」
「……ありがとう」
「うん」
夏希が笑う。
ふざけている顔ではなかった。
それで、余計に恥ずかしくなった。
「歌も、今は真琴がどう歌ったかを聴いて、私の方を変えることがあります」
澪先輩の声に、顔を上げた。
「前に話したり、説明したことを、次にはちゃんと使おうとしてくれるから。最初から同じ説明をするんじゃなくて、その続きから合わせられるようになってきました」
「教える相手というだけではなくなってきた?」
記者さんが聞く。
澪先輩は頷いた。
「はい。一緒に合わせるのが楽しいです。真琴のあと、自分がどう歌うか考えるのも」
一昨日、ガラスの向こうから聞いていた歌声を思い出した。
私は、先輩みたいに歌えないことばかり考えていた。
先輩は、私の歌のあとを考えていたのか。
「……一緒にいて楽です。ずっと話していなくても、気まずくならないから」
澪先輩は少し笑った。
「私は、そういうところも好きです」
頬が熱くなるのを感じた。
澪先輩に、そんなふうに言われるとは思っていなかった。
「私も、撮影している時の真琴もすごく好きなんですけど」
美月が言った。
まだ、続くらしかった。
「こうやって普通に話して、笑ってる時も可愛いと思います。最初はもっと大人っぽい子なのかなって思ってたんです。でも、くだらないことで一緒に笑ってくれるし、慣れたら言い返してくるし」
「言い返すところまで?」
思わず聞くと、美月は頷いた。
「うん。何でもこっちに合わせてもらうより、嬉しいもん。ちゃんと真琴がどう思ってるか分かるし」
「……そう」
「だから、もっと仲良くなりたかったんです。呼び方を変えてほしかったのも、それです。ずっと気を遣ってもらうより、普通に遊びたいので」
美月は、記者さんへそう話した。
さっきまで、さん付けの話であんなに笑っていたのに。
私には、もう、同じようには笑えなかった。
「……そんなに、言わなくても」
声に出すと、皆がこちらを向いた。
それで、さらに顔が熱くなった。
「聞かれたから、答えてるんだけど」
美月が言う。
「それは、分かってるけど」
「真琴、顔赤い」
「余計なことは言わなくていい」
「ごめん。見えたから」
夏希も笑っている。
口元へ手をやったけれど、多分、あまり隠れていなかった。
誰か一人が面白がって、大げさに言っているわけではない。
ひより先輩も、澪先輩も、普通に頷いている。
それが一番、困った。
「白瀬さんは、皆さんのお話を聞いて、いかがですか?」
記者さんに聞かれ、どうにか顔を上げた。
質問の答えを考えるより、五人を見ないようにする方へ気を取られていた。
「……嬉しいです。すごく。ただ、そんなふうに思ってもらっていたとは、思っていなかったので」
「私、結構言ってるよ?」
美月が言った。
「言ってくれてるけど。五人に続けて言われるとは、思わないでしょ……特に澪先輩なんて、あんまりそういうことを言ってくれる印象も……」
「……必要な時は言うのに」
玲奈さんが、また口元を押さえた。
その顔を見たら、私も少し笑ってしまった。
でも、頬の熱さは引かなかった。
「ありがとうございます」
小さく頭を下げた。
嬉しかった。
恥ずかしいから、もうやめてほしいとも思った。
だけど、言われたことを、聞かなかったことにしたいわけではなかった。
————
「では、その六人で作っている『六つの光』についても、お聞きしたいです」
記者さんが話題を移してくれて、私は少しだけ姿勢を戻した。
横で、美月がまだ嬉しそうにしている。
そちらを見ると、また何か言われそうだったので、今度はちゃんと記者さんを見た。
「六人それぞれへ、見せ場が巡っていく曲ですね。歌う時には、どんなことを意識していますか?」
「自分のところだけで完結させないことですね」
玲奈さんが答えた。
「短いフレーズを受け渡すので、自分が歌い終わった時には、もう次の人がいます。そこをどうつなぐかは、六人で何度も確認しています」
「声も、全員で揃えるところと、その人の違いを残すところがあります」
澪先輩が続ける。
「ずっと同じように歌うんじゃなくて、途中で誰の声を聴いてほしいかを考えています。録音でも、前後を聴くと、自分だけで歌っていた時とは変わるので」
「レコーディングも、進んでいるんですよね」
「はい。先日録りました」
澪先輩が答えたあと、私にも視線が向いた。
「白瀬さんにとっては、収録も初めての経験だったと思いますが、何が難しいとかはありましたか?」
「最後の言葉だけ変えてくださいって言われて、そこを変えようとすると、前のところまで変わってしまって。ひより先輩は、同じところは同じまま、そこだけ変えていたので」
「私も、全部一回ではできてないよ」
ひより先輩が言った。
「でも、変えたいところ以外まで変わると、比べにくくなるんだよね」
「はい。やってみて分かりました」
「録ったものを並べて聴くから、少しの違いでも気になるんです。私も、もう一つ録っておこうって言われると、何が違ったかなって考えます」
先輩が記者さんへ話しているのを聞いた。
私を教える時とは、少し違う。
自分の歌をどう残すかについて、話していた。
「白瀬さんは、次の公演へ向けて、どんなことを目指していますか?」
「八日は、自分が次に何をするかを考えるので、精一杯のところもありました。次は、もっと客席を見ながら歌えるようになりたいです」
「楽しむ余裕も?」
「はい。でも、楽しかったのは、八日も本当なので」
言ってから、少し笑った。
「次は、楽しいと思っているところを、もっとちゃんと届けられたらと思います」
「ありがとうございます」
記者さんが、最後にもう一度メモをした。
録音機へ手が伸びる。
「お話は、こちらで以上です。皆さん、ありがとうございました」
六人で頭を下げた。
顔を上げると、さっきより少し部屋が広く見えた。
緊張していなかったわけではない。
でも、話すことがなくなって困ったり、早川さんを何度も見たりする時間は、思っていたよりなかった。
————
「最後に、読者プレゼント用のサインをお願いします」
編集担当の人が、色紙と写真を持ってきた。
予定の紙にあった、最後の一行だった。
「こちらは六人の寄せ書きで、三枚お願いします。それから、先ほどのチェキに、お一人ずつ二枚です」
「はい」
五人が、自然にテーブルの方へ寄った。
ペンの色を確かめ、書く場所を相談する。
私は、渡された自分のチェキを見た。
さっき着ていた衣装。
カメラを見ている、自分の顔。
小さいのに、ちゃんと写っていた。
「白瀬さん、こちらのペンを使ってください。試し書きは、この紙で大丈夫です」
「ありがとうございます」
キャップを外し、紙の端へ短い線を引いた。
黒い線が、途切れずに出た。
写真へ戻ろうとして、少し手を止める。
「宛名とかは……」
「これから募集して、抽選でお送りしますので、今回はサインだけでお願いします」
「あ、はい。分かりました」
誰が応募して、誰のところへ届くのか、今日はまだ分からない。
言われてみれば当然だけど、私が書き終わったあとに決まるらしい。
写真の白い余白を確かめた。
色紙より、ずっと狭い。
でも、名前の形は同じだ。
最初の輪を少し小さくして、その先へつなげる。
後ろを詰めすぎないように気をつけて、最後のoから線を下へ回した。
小さな光を添える。
ペンを離した。
……書けた。
顔のすぐ下に、自分のサインがあった。
どちらも私なのに、並ぶと、昨日の色紙とはまた違って見えた。
二枚目も、同じように書く。
先に書いたものを、乾くまで少し離れたところへ置いた。
「真琴、こっち回していい?」
夏希に聞かれ、顔を上げる。
「うん」
色紙が一枚、こちらへ来た。
五人のサインが、少しずつ違う角度で並んでいた。
見本として見せてもらった時より、互いの間が近い。
空いている場所は、一つだった。
「ここ、真琴の分ね」
ひより先輩が指で示した。
「はい」
色紙の向きを少し変えた。
夏希の線へ重ならないように、最初の位置を確かめる。
昨日、由佳の前で書いた時ほど広くはない。
それでも、自分の名前を書く場所はちゃんとあった。
ペンを下ろした。
一度動かし始めると、練習した形が指についてきた。
最後の線を戻し、小さな光を加える。
六人分になった。
美月が、横から覗いた。
「いいね。揃った」
「……うん」
「ちゃんと馴染んでる」
「私のだけ、少し慎重な線な気がする」
「書いた回数が違うからね」
ひより先輩に言われて、少し笑った。
確かに、それはそうだった。
残りの色紙にも、順番に書いた。
一枚ごとに、五人の線の広がり方が少し違う。
私も、全く同じ形にはならなかった。
それでも、同じ名前だと分かる形にはなっている。
最後まで書き終えてから、ペンのキャップを閉めた。
「大丈夫そう?」
隣の夏希に聞かれる。
「うん。乾くまで、少しだけ待って」
「了解」
六人のサイン。
私の写真。
これを欲しいと思って、応募してくれる人がいる。
「初めての雑誌取材、いかがでしたか?」
片づけをしていた記者さんに聞かれ、顔を上げた。
「最初は、何をどこまで話せるか、少し心配していたんですけど……思っていたより、話せました」
「よかったです。皆さんの思い出のお話も、聞けて嬉しかったです」
「……私は、途中から少し恥ずかしかったです」
言ってから、美月を見てしまった。
目が合うと、美月は悪びれずに笑った。
「でも、ちゃんと伝えられたから、私は満足」
「それは、さっきも聞いた」
「それに、真琴側も私たちに言ってなかった恥ずかしいこと、急に言い出したし。お互い様だね」
「……恥ずかしいこと?」
「アイドルになるだけならやらなかったけど、私たちとだからやるって決めたって部分」
「あぁ……」
そういえば、確かに言った。
お互い様だったか。
早川さんが、少し離れたところで笑っていた。
インクが乾いたのを確かめ、色紙を編集担当の人へ渡した。
チェキも、重ねずに差し出す。
担当の人は枚数を確認し、一枚ずつ丁寧に受け取ってくれた。
「ありがとうございます。確かにお預かりします」
「お願いします」
自分の手から離れた写真を、もう一度見た。
上には、誰かの名前を書く余白が残っている。
昨日は、渡した相手の顔を、その場で見られた。
今日は、まだ分からない。
それでも、受け取った人が少し笑ってくれたらいいと思った。
私は空いた手を膝へ戻し、もう一度、小さく頭を下げた。