TS少女は演じたい   作:息抜き

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53話

八月二十四日、月曜日。

 

控室の長机へ鞄を置くと、持ち手につけたピンクの飾りが、小さく音を立てた。

少し離れた椅子には、同じ形の緑色がぶら下がっている。

 

「夏希も、つけてきたんだ」

 

「うん。昨日のうちにつけた」

 

夏希が自分の鞄を持ち上げた。

 

「私もつけてるよー」

 

鏡の前から美月が言う。

今は髪を結んでもらっている途中で、振り返る代わりに、鏡越しにこちらを見ていた。

 

「今は動けないからあとで見せるね!」

 

「自分のは見られるでしょ」

 

ひより先輩の言葉に、美月が笑った。

私も笑いながら鞄を開ける。

今日と明日は、『六つの光』のMV撮影だった。

事前に見せてもらった資料には、光の入った白い空間や、薄い布の向こうに立つ人の絵があった。

全員で踊るところも、少人数で撮るところもある。

どんな映像にしたいのかは、既に説明を聞いている。

ただ、あの絵を実際にどう撮っていくのかまでは、まだよく分からなかった。

 

衣装へ着替え、髪を整えてもらってから、手元の予定表をもう一度見た。

最初のパフォーマンス撮影には、ラスサビ、と書いてある。

いきなり、曲の終わりの方だった。

 

「大丈夫?分からないところとかある?」

 

隣から玲奈さんが声をかけてくれた。

 

「曲の順番とは違うんですね」

 

「このセットで撮るところを、先にまとめてやるのよ。照明を変えたりする必要があるから。今日は全員で動くところが多いわね」

 

「なるほど……」

 

私は、その下へ目を移した。

同じ曲なのに、予定の欄がいくつも続いている。

 

「同じところ、回数覚えてられないくらい撮ることになるからね。結構体力勝負なんだよ」

 

夏希が神妙な表情で声をかけてきた。

 

「……そんなに踊るの?」

 

「撮りたいものが撮れるまで。角度変えたりして、何回もやるし」

 

「それは……体力持つかな」

 

「大丈夫大丈夫。真琴も普段練習であれだけ動けてるんだし」

 

「ずっと本番のつもりで待ってると疲れるから、休める時には座っておくといいよ」

 

ひより先輩が、椅子へ腰を下ろしながら付け足した。

 

「あと、待ち時間に何かできると思って持ってきても、案外できない」

 

「待ち時間とかで復習できるかなと思って、昨日もらった曲持ってきてたんですけど……」

 

「私も、一応本持ってきてるよ」

 

澪先輩が、自分の鞄を指した。

 

「読めますか?」

 

「読める時もある。今日は、まだ一ページ」

 

始まったばかりなのに、既に少し読んでいたらしい。

その時、控室の入口で小さなカメラが上がった。

 

「支度ができたところで、少し撮らせてください」

 

FOLIOの公式動画を担当している人だった。

今日はMVを撮る人たちとは別に、こちらの撮影風景や合間の様子も記録するそうだ。

後で公式チャンネルのメイキング動画にする予定だと聞いている。

美月が鏡の前から手を振った。

 

「髪、できました!」

 

「まだ最後、留めますね。もう少し動かないでください。やり直しになりますよ」

 

ヘアメイクさんに言われ、その手が途中で止まる。

 

「……もうすぐできまーす」

 

言い直したところで、玲奈さんが口元を押さえた。

 

————

 

撮影する場所へ入ると、上から白い布が何枚も垂れていた。

床にも白い板が敷かれ、その向こうに半透明の大きな板が並んでいる。

近くで見ると、布は布だった。

端の方には脚や重りがあり、照明の後ろではスタッフの人が配線を確かめている。

それが、モニターの中では、奥まで光が続く部屋になっていた。

 

「……こんなふうになるんだ」

 

隣へ来た美月に聞こえたらしい。

 

「綺麗だよね。立ってる場所から見るのと、結構違うし」

 

「向こう、普通に人がいるのに」

 

「そこは入ってないから」

 

美月が画面の端を指した。

こちらからは見える照明も、白い床が終わるところも、画面にはなかった。

料理の撮影でも、カメラの外にたくさんの機材があることは見た。

でも、今日は、そこにない広さまで映っているように見える。

いつもMVで見ていた、どこにあるのか分からない綺麗な場所。

そのすぐ横には、飲み物の載った台があった。

 

「六人、こちらへお願いします」

 

監督に呼ばれ、モニターから離れた。

高瀬先生は撮影担当の人と床の印を見ていた。

三枝さんも、カメラから見える位置を確かめている。

 

「まず動線を見ます。今は、動く場所が分かるくらいで大丈夫です」

 

言われた通りに並び、音を待つ。

聞き慣れた曲の、終盤から流れ始めた。

 

『六つの光』。

 

十三日に録った自分の声も入っている。

歌った時の部屋とは違う場所で、その声に合わせて身体を動かすのは、少し妙だった。

最後の位置で止まり、監督を見る。

 

「ありがとうございます。桜庭さんと神谷さん、今の移動のところを、もう一度確認させてください」

 

夏希と玲奈さんがモニターへ呼ばれた。

私たちも近くから画面を見る。

夏希が前を横切る時、玲奈さんの顔が、腕の向こうへ一瞬隠れていた。

実際には、二人は触れそうな距離でもない。

 

「こんなに重なるんですね」

 

思わず言うと、玲奈さんが頷いた。

 

「横から見てると、結構離れてるんだけどね」

 

高瀬先生が、画面と床を見比べた。

 

「桜庭、通る位置を少し手前へ。腕の大きさは残していい。神谷は今の位置を動かさない」

 

「はい。抜けるところだけ変える感じですか?」

 

「そう。止まるところまで、今から一度合わせる」

 

撮影担当の人もカメラの移動を確かめる。

次に流れた映像では、夏希の動きの向こうから、玲奈さんの顔が見えた。

夏希の動きは、小さくなっていない。

腕も、足も、大きく使っているのに、さっき隠れていたものだけが見える。

私も、自分の移動先を少し直された。

 

「白瀬、最後にもう一歩足さない。そこまでで止まるように」

 

「はい」

 

いつもの間隔へ戻ろうとしていたらしい。

隣のひより先輩との距離を確かめ、もう一度、入り方からやる。

今度は足さずに止まれた。

 

「よし。そこで大丈夫だ」

 

「白瀬。顔を向けるのも、今のタイミングのままね」

 

三枝さんが、モニターのそばから言った。

頷く。

床の印だけを見て立てばいいわけではない。

そこへどう入って、どちらへ顔を向けるかまで、画面の中では一つになっていた。

 

 

 

本番に入ってからは、同じサビを、撮り方を変えながら繰り返した。

六人の全身が入る画を撮り、カメラの動きを確認してから、次は少し斜めから撮る。

振付は同じでも、カメラがどこを通るかによって、隣の人との重なり方が変わった。

さっき直した移動も、実際に撮った映像を見て、もう一度確かめる。

 

「今の、皆さんの動きは大丈夫です。奥の光を少し変えて、同じところをもう一本お願いします。調整の間、休憩にしましょう」

 

監督の声に、六人で返事をした。

セットの外へ出て、飲み物を取る。

近くのモニターでは、撮影担当の人が、今のテイクを再生していた。

夏希が前を横切り、その向こうに玲奈さんの顔が見える。

腕の動きは大きいままだった。

 

「さっき変えたところ、映像だとあんまり分からないね」

 

私が言うと、夏希も画面を見た。

 

「自分では、いつもより手前を通ってるんだけどね」

 

「うん。でも、動きが窮屈になった感じはしない」

 

「それならよかった。小さくするんじゃなくて、って言われてたから」

 

夏希は最後まで見てから、水を飲んだ。

私も、自分が入るところへ目を向ける。

追加していた一歩はなくなっていた。六人が最後の形へ収まる。

踊っている時には、普段との距離の違いを意識していた。

画面では、その調整よりも、六人の顔と動きがちゃんと見える。

 

「この撮り方、完成したのでも見たいな」

 

口にすると、夏希が頷いた。

 

「ね。でも、別のところが使われることもあるよ。自分では、こっちかなって思ってたのと違ったり」

 

「あるある」

 

隣で飲み物の蓋を閉めていた美月が、話へ入ってきた。

 

「私、ちゃんと撮ろうとしてた時より、笑っちゃったところが使われたことある」

 

「あれね」

 

ひより先輩が、すぐに美月を見た。

 

「私の方を、なかなか見てくれなかった時」

 

「そう、それ!」

 

私は二人へ顔を向けた。

 

「どんな撮影だったの?」

 

「歌ってるところを撮ったあとに、ひより先輩と二人で目を合わせるカットがあったの。そっちは歌わないで、顔を見て笑うだけだったんだけど」

 

美月が、ひより先輩の隣へ少し寄った。

 

「さっきまでずっとレンズを見てたから、カメラが動いてきた時に、またそっち見ちゃって」

 

「私は美月を見てるのに、美月はカメラを見てる感じ」

 

ひより先輩が、順番に顔を向けた。

 

「私だけ、美月の横顔を見てる」

 

玲奈さんが笑った。

 

「しかも、美月はすごくいい笑顔だったんだよね」

 

「ちゃんとやってるつもりだったんですよ!」

 

「うん。見る方向と相手が違っただけだからね」

 

「そこが大事なところなんですけどね……」

 

美月も、自分で言いながら笑い始めた。

夏希がこちらへ身体を向ける。

 

「それで、ひよりちゃんが声かけたんだよ」

 

「美月ー、私、こっちにいるんだけどー、って」

 

ひより先輩が、隣の美月へ顔を向けた。

何でもない言い方だった。

でも、美月はそれを聞いただけで、また笑った。

 

「あの時のひより先輩の呆れた表情はめちゃくちゃかわいかったです!さすがひより先輩!」

 

「なにそれ」

 

「ひより先輩はいつも可愛い!ってことです」

 

「そのまま抱き着きながら謝ってた」

 

澪先輩が言った。

ひより先輩は、小さく頷く。

 

「やっと目が合ったと思ったら、次には視界が埋め尽くされてたね」

 

「……撮影中ですよね?それも撮ってたんですか?」

 

私が聞くと、美月が頷いた。

 

「うん。まだ回ってたから。メイキングで使われてたかな確か」

 

「確かそう」

 

澪先輩が言うと、美月は少し考えた。

 

「でも、なんだかんだで緊張もいい感じに解れて、その後上手く撮れたかな」

 

「……じゃあ、結果的にはよかった?」

 

「うん!結果オーライ!」

 

「ただ、仕事中に抱き着くのは必要ない時はやめようね」

 

「仕事中じゃなければいいんですよね!」

 

その言葉と同時に、美月がひより先輩に抱き着こうとする。

もはや見慣れた光景だった。

 

「……今も、仕事中なんですけど?」

 

ひより先輩が手で美月を抑えながら苦々しく呟く。

それを見て笑ってしまった。

 

「美月は撮影中以外は仕事じゃないと思ってる人?」

 

「美月、髪とかが乱れたらメイクさんとかに迷惑かかるわよ」

 

「終わったら好きにしていいから、とりあえずストップ」

 

「はーい!」

 

美月が伸ばしかけていた腕を下ろす。

ひより先輩も手を引き、飲み物へ手を伸ばした。

いいんだ、終わったら好きにして。

つい二人を見比べたけれど、ひより先輩は特に言い直す様子もなく、美月は嬉しそうに笑っている。

止められた方も、止めた方も、それで話は済んだらしかった。

さっき聞いた撮影の時も、きっとこんな調子だったのだろう。

ひより先輩に何か言われても、美月が笑って返して、そのうち周りまで笑ってしまう。

私はまだ少し笑いながら、水を一口飲んだ。

その向こうで、スタッフの人が手を上げた。

 

「お待たせしました。準備できましたので、先ほどの位置へお願いします」

 

「はい!」

 

美月がすぐに顔を上げ、飲み物を置く。

夏希も蓋を閉め、玲奈さんたちとセットへ戻っていった。

私も続く。

さっきと同じ印を確かめ、直した移動を頭の中で一度さらった。

ひより先輩と美月は、もうそれぞれの位置へ分かれている。

美月は監督の説明を聞きながら、カメラが動く範囲を目で追っていた。

ひより先輩も、次に顔を向ける場所を確かめている。

私も正面を向いた。

さっき見た映像を思い出しながら、音が流れるのを待った。

 

————

 

お昼休憩になった時には、サビの入りを聞くだけで、身体が次の動きを思い出すようになっていた。

ただ、今は、お弁当の方が気になる。

結構動いたせいもあって、とてもお腹が空いていた。

控室には、種類ごとに分けられた箱が並んでいた。

衣装の上へ保護用の上着を羽織ってから、焼き魚のものを取る。夏希は唐揚げだった。

 

「夏希、相変わらず迷わないね」

 

「唐揚げあったら迷う必要ないしねー。それに、さっき見えてたし」

 

「見えてた?撮影中に?」

 

「運ばれてきた時!」

 

「……その唐揚げに向ける執念はなんなの?」

 

「美味しいじゃん、唐揚げ」

 

そういうことらしい。

六人が座ったところで、早川さんが小さなカメラを上げた。

 

「午前の撮影、お疲れさまでした。お昼のところ、少しだけお願いします」

 

「お弁当です!」

 

美月が箱を示し、夏希も続く。

私も蓋を開けてから、少しだけ傾けた。

 

「いただきます」

 

玲奈さんが手を合わせ、私たちも続ける。

早川さんは笑って、カメラを下ろした。

隣の席には、普通に食べる時間が戻ってくる。

焼き魚を一口食べたところで、美月が言った。

 

「そういえば、料理の動画、すごく評判いいって。さっき担当の人が話してた」

 

「よかったー。私も、ちゃんと上達してたし」

 

夏希が頷く。

 

「うん。攻略メモのところも、好評だって」

 

「そっち!?」

 

「卵焼きも。でも、最初に『卵をちゃんと割る』って書いてあるの、分かりやすいよね」

 

「大事なことだから!」

 

夏希は箸を置かずに言った。

私は笑いそうになり、先に口の中のものを飲み込む。

 

「まあ一番好評なのは、夏希が真琴を最下位候補扱いしたところらしいけど」

 

「そこ!?」

 

「けほっ……そこなの?」

 

「うん。コメントとかで付いた——」

 

『新 人 加 入 を 最 下 位 脱 出 の チ ャ ン ス に す る 女』

 

「——っていうのがウケたんだって」

 

「ぷっ……ふふっ……」

 

玲奈さんがこらえきれないというように笑い始めてしまった。

 

「……そういう意図はなかった」

 

「なかったとしても、そう聞こえたからねぇ、あれ」

 

ひより先輩のその言葉に、夏希が勢いよくこちらを向く。

 

「ごめん真琴!」

 

「う、うん。私は気にしてないから……私でも入りやすい話題とか流れを作ってくれたのは、感謝してるくらいだし」

 

「そういう意図もなかった!」

 

「うん、知ってる」

 

夏希は反省顔のまま、唐揚げを一つ取った。

私は、もう一口ご飯を食べる。

私も確認の時に笑ってしまったし、自分たちが見て笑ったものを、公開されたあとにも楽しんでくれた人がいた。

収録した日のことを、ようやく少し先まで知れた気がした。

 

「そのあとに出たPRACTICE LOGも、続けて見てくれてる人がいるみたい」

 

美月が話を続けた。

 

「あれ、真琴と夏希の立場が逆だもんね」

 

「練習では、私が教える方だからね!」

 

夏希が少し胸を張る。

 

「いつもお世話になってます」

 

私が頭を下げると、向こうで美月が笑った。

 

「お礼までちゃんとしてる」

 

「そこは本当に」

 

練習動画も、公開直前に見た。

止まったところと、説明を聞いたところ。そのあと、もう一度やって、今度は前へ進めたところ。

撮られていたことは知っていても、まとめて見ると、当日の自分には見えていなかったものがあった。

 

「直す前とあとが分かるっていう感想もあったよ」

 

ひより先輩が言った。

 

「そういうところを見てる人も、結構いるから」

 

「……それは、ちょっと嬉しいです」

 

言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。

でも、間違っていない。

あそこは、できていた。

夏希が頷く。

美月が笑って、今度は自分のお弁当を見た。

 

「料理の方も、私の盛り付けとかもちゃんと見てほしいなあ」

 

「トマトを置き直してるところは、よく映ってたよ」

 

「ひより先輩、完成した後の話です!」

 

私はまた笑ってから、少し冷めた魚を口へ運んだ。

 

 

 

食べ終わり、お弁当の箱を片づけた頃だった。

 

「ね、六人で写真撮ろうよ」

 

美月がスマホを出した。

 

「MV撮影中って載せたい!」

 

それぞれに返事があり、私も頷いた。

撮影前の説明では、セット全体や衣装の細部を先に出さず、顔を中心にした写真なら確認のうえで使えると聞いていた。

美月は何も貼られていない壁の前へ移り、スマホを横に構える。

 

「ひより先輩は、こっち。真琴も、もう少し寄って」

 

私は夏希の隣へ入った。

画面には、六人の顔が少し窮屈そうに並んでいる。

 

「夏希、手下げて」

 

「顔にはかかってないよ?」

 

「自分にはね」

 

玲奈さんが言った。

夏希のピースが、玲奈さんの目元の前にあった。

 

「あ、ごめんなさい!」

 

慌てて手を引くと、今度は玲奈さんが笑ってしまった。

美月が、そのまま何枚か撮る。

 

「待って、まだ笑ってる」

 

「その方がいいです!」

 

言われて、私も口元を戻せなくなった。

撮り終えてから、六人で画面を覗く。

少しずつ顔の違う写真が並んでいた。

 

「これがいいんじゃない?」

 

夏希が指したものでは、私も、澪先輩も笑っている。

 

「私、すごく笑ってるわね」

 

玲奈さんが言った。

 

「でも、いいですね。これ」

 

私が答えると、玲奈さんはもう一度見て、頷いた。

 

「うん。これにしようか」

 

その時、美月が顔を上げた。

 

「早川さん、今、撮ってました?」

 

少し離れたところで、小型カメラがこちらを向いていた。

 

「はい。写真を撮っているところを」

 

「写真より、撮るまでの方が長かったですね」

 

私が言うと、夏希が頷いた。

 

「私、手を下げただけなのに」

 

「下げる前も撮ってた」

 

澪先輩に言われ、夏希が早川さんを見る。

早川さんは否定せずに笑い、カメラを下ろした。

美月はその隣へ行く。

 

「この写真、載せたいんですけど。文章は、MV撮影中で、お昼休憩に六人で撮りました、って感じで」

 

「写真、見せてもらえますか」

 

早川さんが画面を見る。

 

「背景は大丈夫そうですね。撮影中の素材なので、写真と文面を一緒に、会社のSNS担当へ確認してください。いつもの確認先で大丈夫です」

 

「はーい!送ります!」

 

美月が自分の席へ戻り、文章を打ち始めた。

送信してから、スマホを伏せる。

私にも、選んだ写真を送ってくれた。

昨日見た写真は高校生三人だった。

今日は、その周りにひより先輩も玲奈さんも澪先輩もいる。

少し詰めて立っただけなのに、随分賑やかな一枚になっていた。

待っている間、私は隣の澪先輩へ聞いた。

 

「午後の、歌ってるところって、声も出すんですか?」

 

「私は出す予定。口だけ動かすと、息をどこで使ってたか分からなくなるから」

 

「録った音と合わせるんですよね」

 

「うん。最後を、どこまで伸ばしてたかとか。声は大きくなくても、歌った方がやりやすい」

 

音程を録り直すのではなく、既に録った自分に合わせて歌う。

同じ歌でも、確かめるものが違うらしい。

 

その後、口元の化粧を直してもらう人が一人ずつ呼ばれた。

メイク直しの順番を待っているうちに、美月が送信してから十分ほどが経っていた。

 

「あ、返ってきた」

 

スマホを手に取り、画面を読む。

 

「写真も文章も、このままで大丈夫だって!」

 

早川さんへ返事が来たことを伝え、美月はもう一度写真を確かめた。

 

「じゃあ、載せます」

 

少しして、私のスマホにも投稿が表示された。

 

『「六つの光」MV撮影中! 

お昼休憩に六人で撮りました!

午後も頑張ります。完成を楽しみにしててね!』

 

さっき皆で覗き込んだ写真だった。

まだ、午後の撮影は始まっていない。

でも、今日六人で作っているものを、楽しみにしてもらうための一枚は、もう外へ出た。

 

「真琴、その写真送ったからね」

 

「うん。保存した」

 

「早い」

 

「美月が送るのも早かったから」

 

返すと、美月が笑った。

 

————

 

午後、澪先輩の歌唱カットを、モニターの横から見た。

聞こえているのは、録音された歌だった。

けれど、先輩の口元は、その声が今そこで出ているように動く。

最後の音が伸び、唇が閉じる。

視線は、すぐには戻らなかった。

 

「そのまま、少し残してください」

 

監督の声に、先輩は次の動作を足さずにいる。

曲の中でまだ何かを聞いている顔だった。

カットがかかると、ふっと肩が下がる。

戻ってきた先輩に、私は声をかけた。

 

「さっきの話、少し分かった気がします」

 

「声、聞こえてた?」

 

「音源の方が大きかったです。でも、歌ってるところがちゃんと見えました」

 

先輩が、小さく笑う。

 

「それならよかった」

 

次には、美月が呼ばれた。

布の前を少し歩き、カメラへ顔を向けるカットだった。

風を使うらしい。

スタッフの人が送風機の角度を確かめ、美月が一度振り返る。

ポニーテールが大きく動いた。

顔の前に。

 

「はい、止めます。風、少し変えましょうか」

 

美月が髪を押さえた。

モニターに残った自分を見て、口を開く。

 

「今の、顔見えました?」

 

「最後は見えたよ」

 

ひより先輩が答えた。

 

「途中は?」

 

「髪だけかな」

 

「髪の撮影じゃないんですよ!」

 

夏希が横で笑い、玲奈さんまでつられた。

美月も笑っていたけど、髪を直してもらう間には、監督の説明を聞いていた。

三枝さんが、向きを変えるところを確かめる。

 

「橘、身体を全部こちらへ開かなくていい。顔が来たあとに肩がついてくるくらいで」

 

「今より少し遅らせる感じですか?」

 

「そう。笑い始めるところは、さっきのでいい」

 

次のテイクでは、髪が頬の横を流れた。

その向こうから美月の目が現れる。

レンズを見つけた瞬間、画面が明るくなった気がした。

大きく笑っているわけではない。

それでも、こちらへ向けられた顔だと分かる。

さっきまで髪に隠れていた人と同じだった。

美月が戻ってくる。

 

「どうだった?」

 

「すごく綺麗だった。振り向く途中から」

 

「やった。ひより先輩は?」

 

「今度は顔も良かった」

 

「もう髪のこと忘れてください!」

 

美月は笑いながら、自分でもモニターを覗き込んだ。

 

私の撮影も、いくつかあった。

歌う部分、光の向こうへ目を向けるところ。

カメラに見える範囲と、目線を置く場所を確かめながら撮った。

一つ終わると、次の準備がある。

その間にヘアメイクを直してもらい、水を飲み、待っていた誰かと話す。

四分ほどの曲が、細かいかけらになって、スタジオのあちこちに置かれているようだった。

今日だけでも、何度も最後まで聴いた。

なのに、映像としては、まだ最初から最後まで一度も見ていない。

一日目の撮影が終わり、着替えて鞄を開ける。

持ってきた昨日もらった曲は、ほとんど見ることもできなかった。

隣で澪先輩も、本を鞄へ戻している。

 

「読めました?」

 

「少し。真琴は自習できた?」

 

「全然でした」

 

「明日もあるよ」

 

「明日も、撮影ありますよね」

 

先輩が笑った。

私は本の横へ予定表を入れ、鞄を閉じた。

 

————

 

八月二十五日、火曜日。

 

同じスタジオでも、布と板の位置が変わると、昨日とは違う場所に見えた。

今日は、個人や少人数で撮る時間が多い。

自分の順番を待っている間、隣で美月が昨日の写真を見ていた。

 

「この玲奈さん、すごく楽しそう」

 

「笑わせた人が言う?」

 

玲奈さんが返す。

 

「私じゃなくて夏希ですよ」

 

「私は手を上げただけです」

 

「私の前にね」

 

玲奈さんは言いながら、もう少し笑っていた。

そのあと、私と二人で呼ばれた。

歌うところではなく、間奏に使う予定のカットだった。

少し離れて立ち、同じ方へ目を向けている。

先に玲奈さんが私を見る。

私も気づいて、顔を向ける。

 

「大きく笑い合うところまでは、いかなくていいです。目が合って、少し嬉しくなるくらいで」

 

監督が言った。

二人で動きを確かめる。

顔を向けると、思っていたより近くに玲奈さんの目があった。

まっすぐ見られる。

つい、口元が緩んだ。

 

「どうしたの?」

 

「……いつもより、じっと見られてる感じがして」

 

「そういう撮影だからね」

 

「はい。分かってるんですけど」

 

玲奈さんも笑った。

 

「今、私、真剣な顔しすぎてなかった?」

 

「少し」

 

「少しか……」

 

「少しですけど、何か聞かれるのかなって思いました」

 

その答えが、またおかしかったらしい。

玲奈さんは口元を押さえ、監督へ小さく頭を下げた。

 

「すみません。戻します」

 

三枝さんが、モニターの方から声をかける。

 

「神谷、今、白瀬の返事を聞いた時くらいの柔らかさでいい。待つ時に、力を入れすぎないで」

 

「はい」

 

もう一度、位置へ戻った。

 

 

 

音が流れる。

今度は、玲奈さんがこちらを向くまで、先に笑おうとはしなかった。

顔を向ける。

目が合った。

さっきより、少し柔らかかった。

何か答えなければいけない目ではない。

ただ、私が見るのを待っていた。

こちらも、目を逸らさずにいられた。

少し息が抜ける。

口元の力がほどけた。

 

「カット。いいですね」

 

声がしてから、玲奈さんが笑った。

私も、今度ははっきり笑う。

監督に呼ばれてモニターを見ると、自分が思ったよりも小さな変化が映っていた。

大きく笑う前だった。

でも、二人が目を合わせて、少しだけ空気が変わったことは分かる。

玲奈さんの横顔も綺麗だった。

 

「ここ、使いたいですね。このあと、白瀬さんの寄りで続きを撮りましょう」

 

監督が言った。

 

「午後のセッティングでお願いします。今のテイクとつなぐ感じになるので、覚えておいてください」

 

スタッフの人が番号を確認する。

私は画面の中の顔を、もう一度見た。

この続きを、あとで撮る。

 

「では、ここでお昼にしましょう」

 

その声に、少し肩の力が抜けた。

 

 

 

昼食を食べ終えてから、少しだけノートを開く。

少しだけ復習が進んだところで、メイク直しへ呼ばれた。

戻ってきた時には、監督と三枝さんがモニターを見ていた。

 

「白瀬さんも、こちらで」

 

呼ばれて、隣へ行く。

午前の二人の映像が、途中で止まっていた。

私の目は玲奈さんへ向いている。

口元は、まだ笑い終わっていない。

 

「ここからアップへ切り替えて、この先をもう少し見たいんです」

 

監督が、再生位置を少し戻した。

 

「ただ、寄りになるところで、急に笑顔ができあがっている感じにはしたくなくて」

 

「白瀬は、残すところと変えるところを分けて伝えると、細かく調整できます」

 

三枝さんが言った。

 

「入口をこのテイクへ合わせて、その先の変化だけ変えることもできます。表情の形だけより、相手から何を受け取ったのかまで共有した方が、続きを作りやすいです」

 

監督が画面を見直す。

 

「なるほど?では、この一瞬を合わせるだけでなく、そこへ来るまでの目の動きも残せますか」

 

私への質問だった。

 

「……もう少し手前から見せていただいてもいいですか」

 

映像が戻る。

玲奈さんがこちらを見る。

私が顔を向ける。

目が合ってから、息が少し抜けていた。

先に口だけ笑っているのではなかった。

 

「……ここまでは同じようにして、そのあとを続けるんですよね」

 

「そうです。嬉しくなっていくところを、寄りで少し長く見たい。顔を大きく変えるより、まだ途中なんだと分かるように」

 

私は、止まった顔を見た。

目元が変わったあと、口元が追いつくまでの時間。

笑うのを隠すわけではない。

ただ、すぐに全部を出しきらない。

 

「視線を合わせるところはそのままで、息が抜けてから、口元が変わるまでを少し残す感じですか?」

 

「そうです。それで、一度どうなるかを見たいです」

 

監督の返事に頷いた。

三枝さんが、私を見る。

 

「途中の顔を止めて待たないこと。前と同じところを通って、その先へ行く」

 

「はい」

 

「神谷さんには、同じ目線の位置に立ってもらいましょう」

 

監督が撮影担当の人へ声をかけた。

準備が動き始める。

お願いされたことが、最初に聞いた時より細かくなっていた。

でも、嫌ではなかった。

どうすれば画面に残るかを考えているうちに、早く一度やってみたくなった。

 

 

 

髪の位置を午前の記録と合わせてもらい、衣装の飾りも直してもらった。

玲奈さんが、カメラの脇へ立つ。

 

「ここから見てればいいんですね」

 

監督へ確認してから、私の方を向いた。

 

「さっきみたいに、何か聞きそうな顔になってたら言って」

 

「今は、大丈夫です」

 

「今は、って」

 

私も笑った。

その顔を戻し、最初に見る位置を確かめる。

レンズは午前より近い。

顔を見せようとして、顎までそちらへ戻す必要はない。

今、どこまで映っているかは、テストで確認していた。

三枝さんは監督の隣に戻っている。

短編の撮影の時、森川さんがこちらを見るまで、次の顔が分からなかったことを思い出した。

今日は、合わせるものがある。

でも、目の前の玲奈さんを見ないで、形だけを置けばいいわけではなかった。

 

「少し前から音を出します。本番です」

 

音が流れた。

光の入る方を見る。

玲奈さんが顔を向ける気配がした。

私は、午前と同じところで、そちらへ目を移した。

頬の力を抜く。

視線が合った。

玲奈さんは、こちらを待っていた。

そこにいることが分かって、息が少しほどける。

このあたりだった。

午前の映像で、口元が変わり始めていたところ。

その途中を通る。

止めない。

玲奈さんの目を見たまま、さっきより少しだけ、続きを待つ。

見てもらえたことが、遅れて嬉しくなる。

口元が緩んだ。

そのまま、静かに息を吐いた。

 

「カット」

 

聞こえてから、玲奈さんが小さく頷いた。

私は監督の方を見る。

 

「今の、いいですね。入口も合っています。そのあとの変わり方も自然です」

 

返事をするより先に、嬉しくなった。

 

「ありがとうございます」

 

「確認のために、午前のところと一度つないでもらえますか」

 

監督が、別の画面の前にいるスタッフへ頼んだ。

私は立っていたところから外れ、玲奈さんと一緒にモニターへ近づいた。

三枝さんは、もう一度再生されたアップを見ていた。

 

「前を合わせようとして、その先まで固めなかったわね」

 

「玲奈さんが、ちゃんと見ていてくださったので」

 

「それを受けながら合わせられたのが、今のよかったところ」

 

私は頷いた。

ただ戻っただけではない。

合わせたいところを残したまま、そこから先へ行けた。

 

 

 

少し待ってから、短くつないだ映像を見せてもらった。

完成版ではなく、この二つがどう続くかを確かめるためのものだ。

玲奈さんと、私。

目が合う。

画面が私のアップへ変わった。

笑い始めるところが、続いていた。

撮った時には、お昼を挟んでいる。

カメラの位置も変わり、髪を直してもらい、もう一度立った。

でも、画面の中では、玲奈さんを見てから、まだ一度も目を離していなかった。

 

「……本当に続いてますね」

 

声が出た。

 

「続けたの、真琴でしょう」

 

玲奈さんが笑う。

 

「そうなんですけど。自分で同じように作った感覚はあるんですけど、つながると、思ってたより……」

 

もう一度、画面を見た。

 

「間に、お昼食べた感じがしないね」

 

「不思議。さっきまで全然違う話してたのに」

 

近くへ来ていた美月も、再生される数秒を見た。

 

「真琴、口のところまで同じ……前の顔、見たらそこまで戻せるの?」

 

「見たのもあるけど、玲奈さんがどう見てたか、覚えてたから」

 

「私の顔?」

 

玲奈さんがこちらを向く。

 

「はい。あの時、少し安心したので」

 

言ってから、急に恥ずかしくなった。

でも、玲奈さんの方も少し照れた顔になっていた。

 

「……そう言われると、こっちまで落ち着かなくなるね」

 

昨日聞いた、ひより先輩と美月の話を思い出す。

 

「私も、前のMVで二人が笑ってるところ、こういう感じで撮ってたのかなって思いました」

 

美月は画面を見てから、少し首を傾げた。

 

「私は、ひより先輩にこっち見てって言われて、ようやく見た方だけどね」

 

「そこは、ちょっと違うね」

 

近くにいたひより先輩が言った。

 

「真琴は抱き着いたりしていないものね」

 

「私も流石にそこまでは……」

 

「それはもういいじゃないですか!」

 

美月が返し、また笑いが起きた。

その様子を、公式動画の担当の人が少し離れて撮っていた。

モニターの中には、静かに笑う私がいる。

その横では、玲奈さんが笑いをこらえ、美月がひより先輩へ何か言い返している。

画面の中の続きを撮ったあとにも、こちら側の時間は続いていた。

 

————

 

そのあとは、残っていたカットを撮った。

 

正面へ顔を戻す。

曲が流れ、六人で動いた。

自分の歌のあとに、澪先輩の声が入る。

隣の位置が変わり、美月が前へ出る。

ひより先輩の動きが見えて、次に入るところが分かる。

カメラが近づいてきても、今は追わなかった。

決めたところで顔を向け、そのあと、また皆のいる方へ戻す。

 

「カット。はい、ありがとうございます」

 

監督が画面を確かめる。

少し待って、スタッフの人たちの間でも確認があった。

 

「皆さんの撮影、以上です。二日間、お疲れさまでした!」

 

声がして、周りから拍手が起こった。

私も頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

 

六人で、もう一度お礼を言った。

美月が、隣のひより先輩の方へ身体を向ける。

 

「終わりましたねー」

 

「うん。お疲れ」

 

夏希は息を吐いてから、両手を一度だけ上げた。

澪先輩が、その横で小さく拍手をしている。

玲奈さんは、まだ衣装のままで笑っていた。

 

————

 

セットを出たところで、早川さんが立っていた。

 

「白瀬さん、初めてのMV撮影はどうでしたか?」

 

私は、少し考えた。

 

「楽しかったです。撮ってる時には普通のスタジオなのに、画面だと全然違う場所になってたり。少しずつ撮って、あとからちゃんと続きになるのも、面白くて」

 

「完成したら、もっと変わるよ」

 

美月が言った。

 

「今日見てないところもあるしね」

 

玲奈さんも頷く。

私がメイクを直している間、誰かが撮っていた。

自分の順番を待つ間にも、別のセットでは準備が進んでいた。

二日間ずっとここにいたのに、まだ知らない映像がある。

 

「……早く、最初から最後まで見てみたいです」

 

『六つの光』は、四分九秒の曲だ。

その時間のために、二日間、何度も立つ場所を変えた。

同じところを踊り、歌い、笑い始めるところまで戻った。

お弁当を食べて、写真を撮って、誰かの撮影を待つ間に話したこともたくさんある。

全部がMVに映るわけではない。

それでも、あの玲奈さんとの数秒を見たら、今日のことを思い出すと思う。

私が以前見ていた、ひより先輩と美月の笑顔にも、二人が覚えている時間があった。

今度は、それが私にもある。

 

控室へ入ると、美月が鞄へ手を伸ばした。

 

「ね、終わった写真も撮らない?」

 

「また?」

 

夏希が言いながら、もう隣へ寄っている。

私も鞄を置き、そちらへ行った。

昨日より少し早く、六人が画面に収まった。

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