辺境薬師による世界の壊し方。 作:tokumei
小窓から朝日が差し込み、暗がりの部屋で僕の膝下を照らしている。
薬草の独特なツンと鼻を突く匂いを感じながら、薬草の汁で汚れた左手にそっと短剣を沿わせる。
刃を握り締め、短剣をさっと引き抜く。
握りしめた左手を開けば、プッと血の玉が浮かび、やがて線として繋がる。
作業台に右手で短剣を突き立てる。
出血は止まらず、掌を伝った血が床に滴る。
僕はその光景を見ながらも、どこか他人事のように感じていた。痛みにはもう慣れていた。
突き立てた短剣の横にある2つのガラスの小瓶の片方を右手で手に取る。
中身の青色の液体がチャプンと音を立て波立つ。
蓋を外し、小瓶を逆さにする。
傷口に振りかければ熱を感じ、痛みはみるみるうちに引いていった……服の袖で血痕を拭えば、そこには傷一つない手のひらが存在した。
完成した。
というのに……達成感というよりも虚しさを覚えた。
なぜなら教会はこういったポーションの存在を認めてない。完成したとしてもそれが日の目を見ることはない。
空になった小瓶を作業台に立たせ、注ぎ口をピンと指で弾く。倒れた小瓶が作業台の上で半円を描きながら転がる。
転がる小瓶をじっと見つめる。
ドンドンと木の戸を叩く音が聞こえ、続いて野太い男の声が響く。
「おーい、フェン。いるかー?」
僕は2つの小瓶を目立たぬように作業台の雑多な道具の奥に突っ込み、部屋を出る。
部屋を出ると踵を返し、ポケットに手を突っ込む。冷たい質感を感じながら鍵を取り出し、鍵穴がガチャと音を立てて鍵を閉める。
軋む廊下を抜け、玄関へと向かう。
「あれ? いないのか? おーい」
ドアを開けると、右手を振り上げた茶髪の青年が突っ立っていた。
青年の瞳を僅かに見開き、腕を下ろす。
「なんだ、いるんじゃないか」
「ごめんカール」
「まぁいいや。ほら、コレ今週分だ」
カールは木で編まれた籠をめんどくさそうに突き出す。
僕は両手でソレを受け取る。左手で支えながら、上に掛かってる布を捲ればパンが7つと数切れの干し肉。ありがたい……。
「おい、袖に血がついてるけど、大丈夫か?」
「ん、あ……」
布を捲るときに袖に着いた血痕に気づいた様子だった。
何の支障もないことを示すため、軽く手を振る。
「大丈夫、ちょっと作業中に切っただけだから」
「気を付けろよ? この村には司祭様がいないんだから」
司祭……祈ることで、人の傷を癒すことが出来る存在だ。しかし、代償はある。
「居たとしても、お金がないさ」
神の奇跡の対価は金銭をもって償う。しかし、村外れに住む薬師の僕には到底払えない金額を要求される。
「まぁ、な……」
カールは気まずそうに頬を掻く。
村はずれで暮らす僕のことを心配してくれる……カールは良いやつだ。他の人たちは僕と顔を合わせることすら嫌う。
「あ、ちょっと待ってて」
僕は籠を抱え、家の中へと向かう。
居間には台所と机と椅子しかなく、何の面白みもない家だ。机の上に籠を置くと、隣にある籠を手に取り玄関に戻る。
「お返しにコレ」
そう言ってカールに籠を渡す。中身は、森で薬草を取る際に、ついでに取った食用可能なキノコや山菜の寄せ集めだ。
「お、いつもありがとうな」
カールは感謝を述べるが、感謝しているのは僕の方だった。パンは森では手に入らないからだ。
突如、ゴーンゴーンと鐘を打つ音が響く。
カールは空を見上げたあと、視線を戻す。
「じゃ、僕そろそろ戻るわ。居ない事バレると怒られっから」
「あっ、うん」
カールは来た道を戻るが、ふと立ち止まり振り返る。
「……またな」
「……うん」
カールの背が消えるのを見送ってから息を吐き出す。
ポーションが完成したからと言って、それで何かが変わるわけではない。
それに、完成したことを唯一友達と言っていいカールに伝えることもできない。
籠からパンや干し肉を机に並べると、空になった籠を手に取る。作業室で短剣を回収し、森へと向かう。
森に入れば、鳥のさえずりや木々をすり抜ける風が頬を撫でる。
僕はこの森が好きだ。誰もいない家、静まり返った居間。森に入れる間は、一人じゃない気がした。
ふと足を止め、木の下でしゃがみ込む。
ギザギザした葉を持ち、青々と伸びているこの草はトンピピ草と言う。ポーションに使う材料の一つだ。数枚の葉を千切って籠に入れる。取りすぎは良くないと祖母から教わった。
立ち上がり、再度森の中を歩く。
森の中は心地良いが、かといって疲れないというわけではない。木の根っこが張った地面はデコボコしており、確実に体力を奪ってくる。
額に浮かぶ汗の玉を拭う。
確か……こっちのほうに川があったはずだ。
記憶を頼りに草木を避けながら進む。ふと、かすかに水のせせらぎが聞こえる。
行く手を阻む邪魔な草木を短剣で切り伏せて行くと、川辺が見えてきた。
しかし、僕の足はそこで止まった。
土手を背に、白髪の少女が血だらけで倒れていたのだ。
嫌な記憶がフラッシュバックし、頭に痛みが走る。右手で目を覆う。しかし、空いた目でしっかりと川辺の向こうを見据える。痛みを気にしている場合ではない。
手を振り払い、土手を駆け下り、その勢いのまま川の中へと足を踏み入れる。
幸い、ここ最近は雨が降ってなかったおかげで、水位は高くない。膝下が水に浸かり、抵抗を感じるがそれでも一歩ずつ進んでいく。足を十数回往復したころ、対岸へと到着する。
遠目では、気付かなかったが……太ももには裂傷、肩には矢が刺さっている。
少女にそっと近寄り、軽く肩を揺する。
「聞こえる?」
そう問いかけるが、少女は苦悶の表情を浮かべるのみで返事は返って来なかった。
肩に触れて思ったが、服は濡れており体が冷たい。
状況は危機的であるが、ここでは満足な治療は望めない。家に帰れば、備蓄している薬の類がある。しかし、魔物に襲われる可能性があるここに少女を放っておくこともできない。
ならば。
服の裾を引きちぎり、それを縒ることで一本の紐を作る。強度的にこれでたぶん大丈夫だろう……。
「ごめん」
軽く謝罪を入れてから、少女の腕を肩にかけ背負う。ふっと力を入れて、立ち上がる。
先ほど作った紐を少女の腰にも回し、僕の胴体の前で強く縛る。これで、すぐ落ちることはないはずだ。
少女を背負って川を渡る。ここまでは問題ない。
しかし、眼前にあるのは急勾配の土手。短剣を手に取り、土手に突き刺し少しずつ登っていく。少し登っても水を含んだ土であるため、ぬかるみ上手く登れない。それでも少しずつではあるが、上へと登っていく。
必死に登りながらもふと考える。
なぜ、僕はこうも必死なのだろうか……見ず知らずの少女。助ける義理などなかったように思える。いや、違うか……。
これは僕の自己満足だ。あの日、救えなかった後悔を……もう一度しないために。
手を伸ばし、木の根を掴む。
手の皮が擦り剝け、痛みが走るが関係ない。力を振り絞って体を持ち上げる。
土手の上へと再び戻ってきたが、休憩する暇などない。籠も回収せずに、家へと向かって走った。
家のドアを開け、ベッドに少女を横たわらせる。シーツに少しずつ血が染みていく。
手首に指をあて脈を取るが、リズムはゆっくりでか細い。少女の顔色も青白い。
残された時間はそう多くないように思えた。
急ぎ作業室へと向かい、使えそうな薬草を何個か手に取り戻ろうとする。そこでふと、道具箱の奥に押し込んだ小瓶が目に入る。
まだ小瓶の一つには中身が残っている。
作業台の上に手に取っていた薬草を置き、小瓶を拾う。
果たしてこれを使って良いのだろうか。
これを使ったら最後、引き返せないということを直感していた。
小瓶をギュッと握りしめる。
いや、なにを悩んでいるんだ……あの日の後悔をしないためにこれを作ったんじゃないか。
小瓶を手に、寝室へ戻る。
少女の肩に刺さっていた矢を勢いよく引き抜くが、出血が無かった。
恐らく、もうかなりの血を失っているのだろう。小瓶の蓋を開け、傷口に重点的にポーションを垂らしていく。
疲れを感じ、壁際でしゃがみ込む。
果たして、この状態の少女にこのポーションがどこまで効果があるのかは分からない。あとは神に祈るしか……いや、教会の教えに反しているのに、神に縋るのは烏滸がましいか。なら……この少女を信じるしかない。
ん……。
薄暗い部屋の中で目を覚ます。なぜ、僕はベッドじゃなくてここで……。
淀んでいた意識が一気に覚醒する。床に膝と手を付く。
目の前のベッドにはいるはずの少女の姿がない。どこへ――。
窓辺に立つ、少女の姿が目に入る。
少女もこちらに気づいたようで、振り返りその金色の瞳を覗かせる。陽の光を反射した白髪が黄金のように煌めく。そのスラリとした肢体は、まるで作り物かのような印象すら抱く。ケガをしていたのでじっくりと見ていなかったが、こうした立ち姿を見ると……窓辺から差し込む光も相まって、天使のようで畏敬の念を覚えた。
少女はそっと微笑んだかと思うと、軽く頭を下げた。
「まずは感謝を」
その澄んだ声は耳を突き抜け、心を揺さぶるような音色であった。
「そして、一つ聞きたいのです。あなたは――聖職者ですか?」
少女の質問に言葉が詰まる。何かを……疑われている。
直視し続ければ動揺しそうで、床の染みに目線を落とす。
「僕は……村はずれに住んでいるただの薬師です」
「本当ですか?」
なおも少女は疑っている様子で、こちらをじっと見つめる。
僕はただ顔を伏せ、一つ頷く。
「……なら良かった」
少女の雰囲気が柔らかくなった。少女は窓辺から歩いて、僕の目の前で立ち止まる。
一体何者なのだろうか……いや、考えるのは止めよう。肩に矢が刺さっていたあたり魔物ではなく人の手によるものだ。明日の朝にでも、去って貰おう。だから、名前も事情も知る必要はない。
「あ、そうでした」
少女は何かを思い出したように声を上げる。胸に手を当て、軽く会釈をする。
「申し遅れました。私、聖光教会の聖女を賜っておりますセレスティアと言います。改めて、助けていただきありがとうございます」