辺境薬師による世界の壊し方。 作:tokumei
心臓が素早く脈打ち、ギュっと掴まれるような痛さを覚える。まさか、よりによってポーションを使ったのが教会の関係者だったなんて。これがバレれば即刻異端審問に掛けられるはずだ。
しかし、なぜだ。
彼女は最初に聖職者かと聞いてきて、僕が『ヒール』を使えないのはバレているはず。それに、聖職者じゃないと分かってから雰囲気が和らいだのも……そして、なぜ聖女である彼女があの森で傷だらけで倒れていたのかも。
「……どうかしました?」
セレスティアは不思議そうに首を傾げる。
頭の中がこんがらがって何も分からない。でも、このまま何もしないのも不自然だ。セレスティアの表情を確かめながら、平静を装う。
彼女の差し出された手を握り返す。
「薬師のフェンです」
「フェンさんですか! 良いお名前ですね。ところでフェンさんに恐縮ではありますが、お願いしたいことがありまして」
「……なんでしょうか」
教会に付いて来いとか言われるのではないだろうかと、様々な不安ばかりが募っていく。
セレスティアは血塗れで破れた服の裾を摘まむ。
「どうか、服と体を清めるものを貸していただけないでしょうか?」
セレスティアは困った様に眉を八の字にする。
確かに……彼女の服はボロボロであり、所々が裂けている。
それに血がべっとりと付着しているので、着心地も良くないだろう。
「僕の服で良ければ」
「えぇ、ぜひ」
体格的にもそんな差がないと思うから問題はないはずだ。
僕は寝室のタンスを物色し、少し長い袖の服とズボンを取り出し、セレスティアにそれらを手渡す。
「じゃあ、水を汲んで来ますので」
そう告げ寝室を後にする。
玄関を出て、家の裏手にある井戸へ向かう。壁際に立て掛けてあった桶を手に取り、足元に置く。
滑車に掛けられた紐を手繰り寄せながら、少しばかり考える。
聖女……確か、教会の中でも特殊な立場だったはずだ。異端審問官も有名な存在ではあるが、聖女は知名度と人気で異端審問官を上回る。聞いたところによると、聖女は祈りの言葉を唱えるだけで、あらゆる傷を癒すという。
その力があれば祖母も……。
地面に水を打ち付ける音が響く。
桶からこぼれた水が地面に染み渡っていく。考えに夢中で気づいていなかった。
……流石に重いかな。
桶に注いだ水を減らし、布切れを片手に寝室の前へと戻る。
ドアノブに手を伸ばしかけ、止める。
もしかしたら着替えている際中かもしれない。伸ばしていた手を握りしめ、ドアを軽くノックする。
「水と布を持ってきました、ドアの前に置いておきますので」
ドアの向こうからくぐもった声が響く。
「あ、ありがとうございます」
鉢合わせても不味いし……僕は寝室の前から足早に去り、作業室へと向かう。
いつもの嗅ぎ慣れた薬草の匂いがどこか安心感を覚える。
一応ポーションはセレスティアに使った分で最後だが……何か勘繰られるとマズイ。今なら体を綺麗にするのと着替えで時間を稼げるはずだ。
机の上に広げてある古びた紙を使っているポーションのレシピは……。
一応鍵付きの棚はあるが、疑ってくださいと言っているようなものだ。となると、聖女が興味を示なさそうな薬草図鑑のページに挟もう。
レシピを隠し終え、本棚に薬草図鑑を押し込む。手を離す直前に廊下から声が聞こえる。
「フェンさん?」
レシピは隠し終えた。しかし、材料の薬草とかは……いや、薬師と説明している手前何もない方が不自然か。
ドアノブを回し、ギィと音を立てる。
廊下の中ほどで、不安そうにキョロキョロしているセレスティアの姿があった。その髪は水で濡れている。彼女は僕に気づいたようで、安心したように笑みを浮かべる。
「あぁ、良かった。いらしたのですね」
「えぇ、少し作業していたもので……」
そう答えながら、セレスティアに見えないように後ろ手に作業室に鍵をかける。
彼女は首を少し伸ばしながら、僕の後ろへと視線を向ける。
隠しはしたが、作業室を疑われるのは良くない。何かを勘付かれる前に会話の主導権を握らなければ。
「今日はもう夜遅いですから、休んだ方が宜しいかと」
傷が癒えたとは言え、痛みを忘れたわけではない。それに、かなりの血も失っているはずだ。
「……お言葉に甘えても?」
「もちろんです。聖女様をこんな夜遅くに追い出すわけにもいきませんから」
こんな時間に追い出す方が怪しく思える。夜の森は魔物に襲われると危険だ。それに……セレスティアに死んでほしいわけではない。彼女は僕のやったことを知れば、僕を軽蔑し断罪するかもしれない。かといってそれを逃れるために彼女を犠牲にするつもりはない。
「……ありがとうございます」
セレスティアは感謝の言葉を述べるが、彼女の目線は下を向いており、どこか気まずそうだ。
僕はセレスティアの横をすり抜けて、寝室へと入る。血の匂いが少し鼻に突く。
流石に聖女をこの血濡れたベッドで横にさせるわけにはいかない。タンスから汚れていない代えのシーツを取り出す。
交換しようと思って、ベッドに向かうと……。
「私もお手伝いします」
「……お願いします」
作業の最中もセレスティアと言葉を交わすことはなく、着々とシーツの交換が進んでいく。それにしても、手際が良い。聖女と言うからには良い暮らしを送っているものだと思っていた。こういった雑用はしてくれる人がいるものだと思っていたが……。
「不思議ですか?」
セレスティアはシーツから顔を逸らさず、横目で視線が合う。
表情に出ていたか……。
「……こういうことは不慣れだと思っていました」
「ふふっ、皆さん私のことをお姫様のように接してきますが……元々孤児院出身なんですよ?」
「そうなんですか?」
思わずセレスティアのことを直視してしまった。彼女の日焼けを知らない白い肌に、擦り傷のない綺麗な手。そして、手入れされた白髪。僕はてっきり、貴族の出身だと思っていた。
「えぇ、ただ信仰心が強かったから選ばれただけですが……当時はお世話になった人たちに恩返しできると喜んでいたものです」
当時は。その含みのある言い方が気に掛かる。
……いや、詮索しないと決めたはずじゃないか。部屋には微妙な空気が漂うが。手を止めることは無い。
暫くして、ベッドのシーツの交換が終わった。
僕は立ち上がって、ベッドの方を指し示す。
「では、聖女様はこちらで」
セレスティアは申し訳なさそうに首を横に振る。
「いえいえ、そこまでしてもらうわけにはいきません。私は床で大丈夫です」
セレスティアはそう言って断ろうとするが、それは断じて飲めない条件だ。
「信徒として、聖女様を床に寝させるわけにはいきません。それに、お怪我されていたので安静にしなくては」
僕が敬虔な信徒であることを証明しないといけない。教会の教えに背いた僕ではあるが、神を否定するつもりなどないのだ。
「し、しかし」
なおも固辞しようとするセレスティアに、これ以上説得しても難しそうだ。
僕はタンスから予備の大きな布を取り出し、体に包み床で横になる。
半ば強引ではあるが、こうするしかない。
壁を見つめていると、背後からギィとベッドが軋む音が響く。
「ありがとうございますフェンさん……おやすみなさい」
「……はい、おやすみなさい」
なぜだろうか。セレスティアは警戒すべき対象だというのに、久々に良い夢が見られそうな気がする。
あぁ、そうか……誰かと一緒に夜を過ごすのは久しぶりだったな……。