辺境薬師による世界の壊し方。 作:tokumei
鳥のさえずりで目を覚ます。
気怠げな体を起こすと、ポキポキと関節が音を立てる。床で寝たから、節々が少し痛む。
横を見やればベッドは抜け殻となっており。毛布は綺麗に畳まれている。部屋には僅かに残る甘い香りが彼女が居たことを示している。
そうか……セレスティアは出て行ったか。
いや、これで良いんだ。秘密を探られることもない。これで良かったんだ。
立ち上がり、ドアノブに手を掛ける。
さて、今日はやることが一杯だ。シーツも洗わないといけないし、昨日置いてきた籠も取りにいかないといけない。
「あっ、フェンさんおはようございます」
ドアを開けた直後、セレスティアとばったり鉢合わせる。
「……おはようございます」
「ちょうどお声がけしようとしていたところなんです」
セレスティアは僕の手を掴むと、そのまま居間へと向かう。
机の上には、湯気が立つスープとパンが用意されていた。スープにはきのこと干し肉が浮いており、非常に食欲をそそられる匂いを放っている。
「私なりにフェンさんに恩返ししたいなと思いまして、勝手ながら朝食をお作りしました……ご迷惑だったでしょうか?」
セレスティアの言葉を否定しようと口を開くが、腹から空気を絞るような音が唸る。
頬が熱くなり、顔を伏せる。
「……ありがとうございます」
「ふふっ、冷めないうちにどうぞ」
僕は椅子に腰かけ、対面にセレスティアが座る。スプーンを手に取り一匙掬う。一人になってから干し肉とパンだけの食事だったが……こんなまともな食事いつぶりだろうか。
スプーンを口に運び、手が止まる。
「……おいしい」
「喜んでもらえたなら良かったです。これでも、孤児院では料理上手って褒められたんですよ?」
セレスティアは机に肘を付き、両手で顎を支えながら嬉しそうに笑う。
なるほど……確かに、セレスティアの料理は胸の奥が温かくなる。
再度スプーンを口に運ぼうとする。
ぐぅ。
音の鳴った方を見つめると、セレスティアがその白い肌を朱に染めていた。
「……食べてなかったんですか?」
セレスティアは顔を伏せ小さく頷く。
しかし、すぐに顔を上げる。
「で、でも。お世話になってるのに勝手に食べるのは良くないですし……」
なんと言うか……責めるつもりはないけど、勝手に食糧と台所を使っているが、変に真面目というか。
僕はスープの横に置かれているパンを手に取り、半分に割く。出来たてのような柔らかさはないが、スープに付ければ美味しく食べれるはずだ。
スープをセレスティアとの中間に置き、半分に割いたパンの片割れを差し出す。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
流石の聖女と言えど空腹には抗いきれなかったのか、いや変に固辞したところで僕が曲げないと学んだのかもしれない。
セレスティアはパンを手に取り、スープに付けて一口齧る。
よほど腹を空かしていたのか、セレスティアは黙々と口にパンを運ぶ。まぁでもあれほど血を失えば栄養を欲するのは当然かな。
互いに何も言わず、食事を進める。
皿を洗おうとするセレスティアを椅子へと追いやり、汚れた皿を水で濯ぐ。ぬめっとした触感も、陶器本来の艶のある触感を取り戻す。
背中越しにセレスティアが呼びかける。
「あの、フェンさん」
「どうかしました?」
僕も、洗う手を止めず、返事をする。
「あの、もう少し……ここに居させてもらえないでしょうか?」
手が止まる。
「それは……なぜでしょうか? 聖女様には帰るべき場所があると思いますが」
セレスティアは少し気まずそうにしながら、頭を掻いて答える。
「実は……私、教会から飛び出して来まして……あ、もちろん。タダというつもりはないです! フェンさんのお仕事手伝いますから!」
聖女が……家出?
まさか、ケガもそれが原因だったりするのだろうか? いや、そんなわけはない。聖女という重要な存在を教会が襲う理由がないからだ。
いや、理由なんてどうでもいい……彼女の存在をここに置くのはリスクがありすぎる。
「……すいません、僕にもあまり余裕が無くて」
「そう、ですよね……無理言ってすみません」
背中越しに伝わるセレスティアの声で元気がないのが良く分かった。
これが正解なんだ。本来接点のない僕らなんだから。これでいい。
「……ここから、西に少し言った所に村がありますので……助けが必要ならそこに行けばいいと思います」
僕にはなにもできないが、村に行けばセレスティアなら邪険に扱われることはないだろう。
「……教えてくださり、ありがとうございます。では、お世話になりましたフェンさん」
背後で椅子から立ち上がる音が聞こえる。
足音は少しずつ遠ざかり、玄関のドアが閉まる音が聞こえる。
そこでやっと振り返ることが出来た。
僕しかいない居間。それが日常だったはずなのに、なぜか今だけは虚しさを覚える。
いや、これで良いんだ。
視線を皿に落とすと、本来の質感を取り戻した水滴残る白い皿に自らの顔が反射する。
僕はこんな顔をしていたのか……。
「おーい、フェンいるかー?」
カールの声で我に返る。
皿を棚に戻し、足早へと玄関に向かう。
ドアを開けるとカールが立っており、僕の顔を見つめると首を傾げる。
「……なんかあったか?」
「いや、特になにも」
もう終わったことを喋っても仕方がない。
「それで、どうしたの?」
そう問いかけると、カールは思い出したように語りだす。
「あぁ、そうだ。森の方で魔物が出たらしくてな、フェンも当分森に入るのは控えたほうが良いぞ」
「……わざわざそれを?」
「まぁな」
村の人たちからすれば僕が魔物に襲われ死のうがどうでもいいはずだ。しかし、カールはそれを承知の上で教えてくれたのだ。
「……ありがとうカール」
「良いってことよ」
しかし、どうしたものか。籠を取りに行くのは危ないか。ん? 待て……何かが引っ掛かる。
僕は恐る恐る口を開く。
「ね、ねぇカール」
「ん? どうした?」
「今日さ、村に余所から女の人が来なかった?」
辺鄙な村だ。セレスティアが村に行けば、娯楽も何もない村では噂が瞬く間に広がるはずだ。カールならそういった村での噂を話してくれるはずだ。
「どうしたんだ突然? まぁ、でも……今日どころかここ最近他所の人なんて来てねーぞ?」
カールには嘘を吐いた様子はない。
「おい! どうしたんだ⁉」
気付けば走り出していた。セレスティアは魔物のことを知らないはずだ。何もなければそれでいい。
木々を抜け、森の中をひた走る。方向感覚を見失いそうになるが、ここは長年歩いてきた庭のようなものだ。地面に残るセレスティアの足跡から行方を追う。
足跡を追いかけていると、変化を見つける。一定だった歩幅が乱れている。そして、その中に魔物思しき獣の蹄の跡が混じっていた。
不味い、鉢合わせしてしまったようだ。
とりあえず一刻も急がねば。魔物は草木を気にせず歩くから方向が分かりやすい。今まで以上のペースで走り抜ける。
木々の間をすり抜け、横の方からセレスティアの声が聞こえた。
若木が生い茂り、視界がないが……こっちの方角のはずだ。強引に体をねじ込み、飛び出す。
木を背に怯えた様子を見せるセレスティアの前へと躍り出て、僕は腰に差していた短剣を抜き放ち構える。
正面では、猪の魔物『ワイルドボア』がこちらを伺うように身を屈めじっと見つめている。魔物が大量発生し、人口の半数を失った『暗黒時代』の残滓。
気付けば短剣を持つ手が微かに震えていた。
「フェンさん、どうして」
どうして……なんでだろうな……。気づけば体が勝手に動いていた。
情が移ったのだろうか。それもあるだろう。しかし、一番の理由は……。
「後悔したくないから」
目の前で死にゆく祖母を救えなかったあの時の後悔、罪悪感。それを繰り返さないためにも僕は自身の命も天秤にかける。
そうだ、ポーションを完成させたのも……僕は助けたかったんだ。長い間忘れてしまっていたけど。
過去の憧れを思い出すと、不思議と手の震えは収まった。
しかし、同時にワイルドボアがこちら目掛けて、その体躯を活かして突進してくる。
背後にはセレスティアがいるため、避けることはできないし防御しても受け切れない。
……ならば、前に出るしかない!
「うぉおぉぉおお!」
なけなしの勇気を振り絞り、ワイルドボア目掛けて突っ込む。
衝突する刹那、鈍い痛みが腹部に響く。弾かれそうになるのを左手でワイルドボアの体を掴み、しがみつく。
こいつの体表は硬い。僕の筋力じゃ貫けない。しかし、魔物と言えど弱点は存在する。目だ。
ワイルドボアの目に深々と短剣を突き刺す。
「ピギャアアアアアアアアアアア!」
ワイルドボアの絶叫に合わせて、深々と刺さった牙が僕の内臓を抉る。
痛みで意識を手放しそうになるが、ここで諦めるわけにはいかない。僕が尽き果てるか、ワイルドボアが果てるか……勝負だ。
無限にも思える時間が続いた。
ワイルドボアの突進の勢いは次第に衰え、やがて足を止める。
ワイルドボアが倒れるのに合わせて、腹部から牙がずるりと抜け落ちる。僕も痛みからその場にへたり込む。
蓋を失った傷口からどくどくと血が溢れ出し、服へと滲んでいく。口の中でも鉄の味を感じる。あぁ、流石にこれは不味いな……。
「フェンさん!」
セレスティアが駆け寄ってきて、僕の横で座り込み手を組む。
彼女の髪がふわりと浮き上がり、金色の輝きをその身から放つ。これはまさか……。
「……神の愛を、我が身を通して、汝に」
セレスティアから放たれた光の玉が、僕の腹部へと集まる。温かな熱を感じながら、痛みは次第に引いて行った。
これが神の奇跡。神の権能であり、聖職者が聖職者たる所以『ヒール』。
セレスティアは今にも泣きそうな目で僕の顔を覗き込む。
「……また、助けてもらいましたね」
「……お互い様ですよ」