Oh!クソ人生   作:村上しんご

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第五話 奪三振ショー

 スコアは四対四。

 

 試合は最終局面──。

 ここで点を取られれば、日本にはもう後がない。

 

 長年追い続けてきたオリンピックへの夢も、すべて消え去ってしまう。

 

 女である私が、野球という競技に人生を懸けてきたのも、すべてオリンピックのためだ。

 だからこそ、この最後のチャンスを逃すわけにはいかない。

 

 女子野球には、プロとして活動できる環境がない。

 

 三十を目前にした今、引退という文字も現実味を帯び始めている。

 オリンピックという舞台で実績を残し、次のステップへと歩み出すのだ。

 

 あいにく、私にはこの美貌がある。

 

 私を見た瞬間、すれ違う男たちは誰もが振り返る。

 生まれ持った美しさに、鍛え抜かれたスタイル。

 

 どこを取っても、悪いところなど見当たらない。

 

 スポットライトを浴びる機会さえあれば、タレントとしてだって十分やっていけるのだ。

 

 だからこそ、この試合は絶対に落とせない。

 

 中継ぎとしてマウンドに上がった私の役目は、この回を無失点で抑え、次のイニングへつなぐこと。

 

 そうなれば、次の攻撃で私の打順も回ってくる。

 そこで点を取り、勝ち越すのだ。

 

 私は、いつになく力がみなぎっていた。

 

 相手は米国──。

 打順は三番、キャサリンから。

 

 パワーと技巧を兼ね備えたこの選手には、すでに三安打を許している。

 そのうち一本は、スタンドに叩き込まれた大きな一発だった。

 

 だが、私にかかれば、どうということはない。

 

 150キロを超える自慢の豪速球と、打者のタイミングを完全に外すスローボールがある。

 

 なにより、私の投球フォームは優雅──。

 蝶のように舞うその姿に見惚れているうちに、相手は空振りしてしまうのだ。

 

 バッターボックスに立つキャサリンは、完全に打つ気満々でこちらを見据えていた。

 バットをクルクルと回し、投球のタイミングをリズムよく計っている。

 

 そんなキャサリンを前にして、私はセットポジションに入った。

 そして、声を上げながら、渾身の一球を投げ込んだ。

 

「刮目せよ! ……この華麗なアンダースローを!」

 

 応援の熱気で賑わっていた球場が、その瞬間だけ一気に静まり返る。

 

 ボールが空気を切り裂く音が響き、キャッチャーのミットに球が収まった瞬間──。

 

「パァーン!」

 

 乾いた心地よい音が、球場中に響き渡った。

 

 キャサリンのバットは空を切り、身体は大きく泳いでいる。

 

「ストライク!」

 

 1球目は、外角低めのストレート。

 

 電光掲示板に表示された球速は──151km/h。

 その数字が、まばゆく点滅していた。

 

 その瞬間、観客席にどよめきが走り、すぐさま大歓声が沸き起こる。

 スタジアムは熱狂の渦に包まれていった。

 

 世界中を探しても、これほどの球速を投げられる女性など、そうそういないだろう。

 

 だが、私はまだ余力を充分に残している。

 全力投球を十とすると、今の投球は八割ほどだ。

 

 キャッチャーが返球し、ボールがミットに収まると同時に、私はすぐさま投球モーションに入った。

 

 私にダラダラとした間など必要ない。

 テンポよく投げて、相手から三振を奪うのだ。

 

「蝶のように舞い、蜂のように刺ぁーす!」

 

 大きく声を上げて、二球目を放つ。

 

 キャサリンは慌ててバットを構え直したが、高めに外れたボール球には手を出さなかった。

 

「ボール!」

 

 球速は、さっきと同じく151km/h。

 

「振ってくれれば儲けもの」──気楽にそう考えていたが、やはり一筋縄ではいかなかった。

 

 バッターボックスに立つこの女は、一流の選球眼を兼ね備えているのだ。

 

 緊迫した空気の中、ひと筋の汗が背中を伝う。

 ボールが返ってきた瞬間、私はまたしても、すぐに投球モーションへ入った。

 

 さっきと同じく、豪快で優雅なフォーム──。

 

「見よ! ……緩急を自在に操るこのピッチング!」

 

 ボールを投げ込む勢いは、何一つ変わらない。

 

 だが、手から離れた球は大きく弧を描き、縫い目が見えるほどゆっくりと回転しながら宙を舞っている。

 

 タイミングを外されたキャサリンは、ボールがホームに届くより早く、バットを豪快に振った。

 

 その瞬間、バットが唸るような轟音と共に空を切る──。

 

「ストライーク!」

 

 声と同時に、審判の手が高く上がった。

 

 電光掲示板に表示されたのは、98km/h。

 

 あまりの球速差に、キャサリンは対応できなかった。

 苦虫を噛み潰したような顔で、バットで地面を叩いている。

 

 ここまでくれば、後は持てる力のすべてを使った、渾身の一球を投げ込むだけだ。

 

 私はキャッチャーが返球すると、今度はボールの縫い目を確認し、そこを力強く握った。

 

 そして、大きく振りかぶって──。

 

「ひっさぁーつ! ……全力投球!」

 

 そう叫びながら、球を思いっきり投げ込んだ。

 

 球は唸りを上げて、バッターの胸元をかすめるような軌道を描き、一直線に伸びていく。

 

 その瞬間、キャサリンの目がキラリと光った。

 そして、アッパー気味にバットを豪快に振り抜く。

 

「ズバァーン!」

 

 しかし、バットは大きく外れて空を切る。

 ボールがキャッチャーのミットに収まると、乾いた音が爽快に響き渡った。

 

「スットラァーイク! ……バッター、アウト!」

 

 キャサリンは勢い余って、そのまま尻もちをついている。

 途方に暮れた様子でこちらを眺めるその顔は、まるでとんでもない生き物に出会ったかのようだ。

 

 私はキャッチャーからの返球を受け取ると、何事もなかったかのようにロージンバッグへ手を伸ばした。

 

 何もかもが完璧だった。

 

 明日の新聞の見出しには、私の名前──一条寺さやか──とともに、『世界の舞台で奪三振ショー!』という文字がデカデカと踊っていることだろう。

 それほどの衝撃を、このスタジアムにいる全員へ与えたのだ。

 

 電光掲示板に表示された球速は──155km/h。

 

 球場全体が熱狂の渦に包まれ、あちこちから大歓声が沸き起こっていた。

 

 しかし、次のバッターは米国屈指の四番、エルザ。

 

 この女には、過去の対戦でも何度かスタンドに大きな一撃を叩き込まれている。

 キャサリンのように、そう簡単にはいかないだろう。

 

 しかも、私と同様に美形なのだ。

 

 アスリートとは思えないほど整った顔立ちと上品なスタイル。

 モデルだと言われても、疑う者は誰もいないだろう。

 実際、モデルとしても世界の舞台で何度か活躍している。

 

 私はネクストバッターズサークルから、ゆっくりと打席へ向かうエルザを、険しい顔で睨みつけた。

 

 しかし、涼しい顔をしたエルザは、表情一つ変えずにマウンドを冷静に見据えている。

 不動の構えですらりと立つその姿は、まるで映画のワンシーンから抜け出してきた女優のようだった。

 

 この女には、小手先のごまかしなど通用しない。

 実際、過去の対戦で打たれたのも、タイミングを外そうとしたスローボールだった。

 

 私は声を張り上げ、今、出せるすべての力を込めて球を投げ込んだ。

 

「私の方が、美人だぁぁー!」

 

 球はエルザの膝元へ、一直線に伸びていく。

 

「カキーン!」

 

 まるでお手本のような、シャープなスイング。

 あれほど力を込めたはずなのに、球はあっさりと打ち返されていた。

 

 鋭い打球音が響き渡ると、球場内が一瞬だけ静まり返る。

 

 スタンドへ向かって伸びていった打球は、そのまま大きく外れ、ファウルグラウンドへ吸い込まれていった。

 

「ファール!」

 

 やはり、この女はただ者ではない。

 見た目の美しさに惑わされ、数々のピッチャーたちが敗北を喫してきたのだ。

 

 私は今まで以上に、球を握る手へ力を込めた。

 そして、さらに勢いをつけて球を投げ込む。

 

「このぉ、お高くとまった高飛車女がぁー!」

 

 しかし、エルザはピクリとも動かなかった。

 胸元ギリギリを狙った球は、ボール一個分だけ外れていた。

 

 電光掲示板に表示された球速は、さっきと同じ155km/h。

 

「ボール!」

 

 エルザの顔には余裕すらうかがえる。

 

 それでも、私は逃げるわけにはいかない。

 

 持てる限りのすべてを込め、渾身の球を投げ込む。

 

「世界に羽ばたくのは私だぁぁー!」

 

「カキーン!」

 

 エルザのバットが再び球を捉えた。

 だが、打球はまたしてもファウルグラウンドへ向かって飛んでいった。

 

 そこからは、まさに一進一退の攻防。

 

 際どく外した球はすべて見逃され、ストライクを取りにいけば、ファウルグラウンドへ叩き込まれる。

 

 そして、いつの間にかカウントはツー・スリー。

 

(このままでは埒が明かない……)

 

 そう思った私は、こいつを三振に取った瞬間の未来を思い描き、深く息を吸い込んだ。

 

 ──沸き起こる大歓声。

 球場中の誰もが、見事な三振劇に酔いしれ、惜しみないエールを送り続けるだろう。

 

 世界一の美女が私だと、世間も改めて認識する。

 そして、球界を引退した後には、オファーが山のように殺到するのだ。

 

 そんな輝かしい未来を思い描きながら、私はありったけの力を込めて球を投げ込んだ。

 

「いつまでも、しつこいんだよぉー! ……クソ野郎ぉー!」

 

 まさに、ど真ん中へ向かってボールが伸びていく。

 それを見たエルザは、絶好のチャンスとばかりに鋭くバットを振り抜いた。

 

「ズッバァァーン!」

 

 しかし、その球威は、私でさえ今まで見たことがないほどだった。

 エルザのバットは空を切り、ボールはキャッチャーのミットへ吸い込まれていく。

 

「スットラァーイク! ……バッター、アウト!」

 

 電光掲示板に表示された球速は──158km/h。

 

 騒がしかった球場にどよめきが走り、それは一気に大歓声へと変わっていく。

 

 まるで、日本が優勝したかのようなお祭り騒ぎ──。

 球場は一気に熱狂の渦に包まれていった。

 

 しかし、当の私はそれどころではなかった。

 

 あまりに力を込めたせいで、お尻からウンチが漏れてしまったのだ。

 

 少しだけだと思いたい。

 

 しかし、下着にかかるこの重み──。

 決して少量ではないことを、嫌というほど物語っている。

 

 確かに、少し前から便意は感じていた。

 だが、それほど切羽詰まった感じではなかったし、お腹を壊しているわけでもない。

 

 通常なら我慢できる程度の、許容範囲のはずだった。

 試合が終わるまで、何事もなく収まるはずだったのだ。

 

 私は気が動転していた。

 

 世界中の誰もが注目するこの場で、脱糞してしまったなど、美人の私が悟られるわけにはいかない。

 ばれた瞬間、私の上品なイメージが音を立てて崩れ去ってしまう。

 

 しかし、お尻の辺りは漏れたもので、こんもりと膨れ上がっている。

 さらに、その汚物から染み出した黄ばんだ液体が、アンダーウエアにまでじわじわと滲み出してきている。

 

 しかも、激しい動きをしてしまったら──。

 いつ、それがぼとりと落ちてしまってもおかしくはない。

 

 なにより、強烈なこの臭い。

 誰かが近くに寄ってきたら、すぐに気付かれてしまうだろう。

 

 すぐにでもトイレに駆け込んで、下着を取り替えたい。

 だが、対戦相手を前にして、アスリートの私が逃げ出すわけにはいかないのだ。

 

 打順は五番、アナコンダ。

 

 エルザのような華やかさはないが、こいつも粘り強い打撃で、対戦投手を苦しめている。

 

 だが、この時の私は、打ち気満々のこの女を前にして、早く勝負を終わらせることばかりを考えていた。

 

 ひたすら額の汗を拭っているのは、緊張のせいではない。

 

 下着の中のウンチが落ちてしまうのではないか──。

 そのことが気になって、気が気ではないのだ。

 

 もう、あの派手なアンダースローで投げるわけにはいかない。

 

 私はまるで相手を馬鹿にしているかのように、キャッチボールでもするような女投げで、軽く球を放った。

 

「スポーン!」

 

「ストライク!」

 

 球場中の誰もが、驚きを隠せなかった。

 あの豪快で華麗な投球が一転して、やる気の感じられない力の抜けた投球へと変わってしまったのだ。

 

 手を出すことさえしなかったアナコンダは、怒りで身体中をブルブルと震わせている。

 鬼のような形相で私を睨みつけるその姿は、まさに鬼神そのものだった。

 

 しかし、それでも私は、こうやって投げるしかない。

 

 私はまたしても女投げで球を放った。

 

 顔を真っ赤に染めたアナコンダは、怒りに任せてバットを振り抜く。

 

「カッキーン!」

 

 しかし、彼女はすでに冷静ではなかった。

 

 気負って打った球は、バットに当たった瞬間、ファウルグラウンドへ一直線に飛んでいった。

 

 ここまでは私の計算通りだった。

 

 一球だけ──。

 一球だけなら、何とか全力を出せるはずだ。

 

 あいにく、身体にぴったりとした下着を履いている。

 例のものは、まだお尻の中心辺りに留まっている。

 

 一度くらいなら、下着からはみ出すことはないだろう。

 

 私は、この一球にすべてを懸けた。

 

 セットポジションに入り、大きく振りかぶる。

 

「私はクソなど漏らしてなぁーい!」

 

 また、あの豪快で華麗な投球が舞い戻ってきた。

 それを見たアナコンダは、顎を引き、グリップを強く握りしめる。

 

 ど真ん中を狙った球は、浮き上がるような軌道を描き、高めいっぱいへ伸びていく。

 

 迫るボールに合わせて、アナコンダがバットを勢いよく振り抜く──。

 

「ズッバァーン!」

 

 しかし、バットは空を切った。

 ボールは音を立ててキャッチャーのミットに収まっていく。

 

「スットラァーイク! ……バッター、アウト!」

 

 まさに、奪三振ショー。

 

 電光掲示板には、さっきと同じ158km/hが表示されている。

 

 その瞬間、球場全体が大歓声に沸き上がった。

 

 喜びのあまり、勝ったわけでもないのにキャッチャーまでもが駆け寄ってこようとする。

 しかし、私は涼しい顔で、それを制した。

 

 近くに寄ってこられ、臭いでウンチを漏らしたことを悟られてはならない。

 

 危機を脱したばかりなのに、ここで気付かれてしまえば、これまでの苦労がすべて水の泡となってしまう。

 

 そろりそろりとベンチに戻りながら、次の対策を考える。

 

 ──まだ、トイレには行けない。

 

 この回、私は二人目の打者なのだ。

 

 私はバットだけを手に取ると、すぐにネクストバッターズサークルへ向かった。

 

 そして、この忌まわしい臭いを掻き消そうと、バットをブンブンと振り回す。

 

「うりゃー! ……うりゃー!」

 

 しかし、下半身をあまり動かすわけにはいかない。

 

 私はウンチを気にしながら、少しでもお尻の辺りの臭いを吹き飛ばそうと必死になっていた。

 なぜなら、バッターボックスのすぐ背後には、米国のキャッチャーと審判がいるのだ。

 

 八番打者の川辺が、少しでも時間を稼いでくれればと願う。

 

 そうすれば、この臭いもいくらかマシになるだろう。

 

 幸い、川辺は結構粘ってくれた。

 

 まだ完璧とまではいかない。

 だが、これで少しはこの臭いも誤魔化せる。

 

「あぁ~、便秘が辛いなぁ~。……もう、一週間も出てこない」

 

 私はバッターボックスに立ちながら、便秘のフリをした。

 

 そうすれば、こんな臭いを撒き散らしていることにも説明がつく。

 

 漏らしたことがバレるより、ずっとマシだ。

 

 キャッチャーと審判は、少し怪訝な顔をしている。

 だが、私は何事もなかったかのようにバットを構えた。

 

 マウンドに立つのは、米国屈指の本格派投手、ミザリー。

 

 手元で浮き上がるように見えるジャイロボールと、軌道が予測不能なナックルが、この女の武器だ。

 

 普段の私なら、何ということはない。

 だが、今の私はバットを振れない。

 

 下着の中心にあったウンチは、徐々に移動し、今にもはみ出しそうなところまで来ているのだ。

 

 下半身を激しく動かすことなど、論外。

 すべての球を見逃すしかないのだ。

 

 ──一球目、ナックル。

 

 私は少し悩むような顔を作り、ボールを見送った。

 際どいコースだったが、判定はストライク。

 

 あと二球。

 

 ──二球目、唸りを上げた速球が膝元を狙う。

 

「ストライク!」

 

 あと一球。

 

 これで、トイレに駆け込むことができる。

 これで、この忌まわしい感触ともお別れできるのだ。

 

 だが──。

 

 三球目。

 

 すべての球を見送るはずだった。

 しかし、アスリートとしての私の本能が、それを許さなかった。

 

 ど真ん中をめがけて、ゆっくりと迫ってくる球。

 誰が見ても明らかな失投だった。

 

 こんな球を見逃せるはずがない。

 

 私は思わず、バットを振り抜いていた。

 

「カッキーン!」

 

 腰を効かせた、完璧なフルスイング。

 

 しかし──。

 

「ブリッ! ……ブリブリ!」

 

 まだ腸に残っていたものが、勢いに任せて一気に放出された。

 

「ホ……ホームラン!」

 

 球審が大きな声でホームランを告げる中、私は涙を流していた。

 

 感動のあまり泣いていたわけではない。

 私の夢は、跡形もなく崩れ去ったのだ。

 

 大観衆が見守る中、私のアンダーウエアの尻の部分はクソまみれになり、足首からは内容物がボタボタと落ちている。

 

 先ほどまで一気に沸き起こった大歓声も、次第にどよめきへと変わっていった。

 

 次の日──。

 

 新聞の見出しには、私の名前──一条寺さやか──とともに、

 

『世界の舞台で脱糞ショー!』

 

 という文字がデカデカと踊っていた。

 

 そして私は、一躍、時の人となった。

 

 

 

 

 

 

              END

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