会社帰り、夜道を歩いていると、突然、足元が眩い光に包まれた。
光の中に浮かび上がったのは、まるで魔法陣のような紋様だった。
僕は思わず目をつむった。いったい何が起こったのか、まったく理解できない。
そして、再び目を開けたとき、目の前には見たこともない光景が広がっていた。
アスファルトの道を歩いていたはずなのに、足元には石畳が広がり、その上にはふかふかの真っ赤なカーペットが敷かれている。
見上げれば、広大なドーム型の天井に、無数のシャンデリアが輝いていた。
レンガ造りの壁には、見たこともない紋章が描かれたタペストリーが厳かに掛けられている。
そして、その奥に高くそびえる玉座には、中世の王様を思わせる格好をした年老いた男が座っていた。
「ようこそ、勇者の諸君!」
貫禄のある男の野太い声が、広間に響き渡る。
玉座の周りには、貴族姿の男たちがずらりと並んでいた。
壁際には剣を携えた騎士たちが立ち、警戒するようにこちらを見据えている。
そして、足元で消えかけている魔法陣の周囲では、フードをまとい、杖を手にした魔導士たちが詠唱を続けていた。
それはまるで、異世界ものの漫画やアニメで見た、勇者召喚のシーンそのものだった。
(こ……これは……異世界!? 召喚されたのか?)
僕は混乱していた。だが、その一方で、内心では興奮していた。
憧れていた出来事が、現実となって目の前で起こったのだ。
よく周りを見れば、魔法陣の中にいるのは僕だけではなかった。
見た目のぱっとしない中年のおっさんに、大学生風の若者。
そして、ギャルっぽい格好をした女子高生までいる。
三人とも、この状況に混乱し、慌てふためいていた。
「な、なに!? ……ここは何処なの!?」
女子高生が、ヒステリックな声を上げる。
現実にはあり得ないことが起こったのだ。パニックになるのも当然だろう。
残りの二人も、辺りをキョロキョロと見回し、呆然としていた。
そのとき、玉座に座る男の隣にいた、眼鏡を掛けた神官風の男が静かに口を開いた。
「君たちは、このバルサッサ王国を救うため、異世界より召喚されし勇者──」
その言葉に、召喚された三人は愕然とした。
漫画やアニメのような出来事が、まさか現実に起こるとは思ってもいなかったのだろう。
三人の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「魔王を倒し、この王国に平和を取り戻すのだ!」
神官風の男がそう告げた瞬間、三人は血相を変えて声を上げた。
「魔王!?」
「なにそれ!」
「家に帰してくれぇ!」
三人とも、目の前の現実を受け入れられないようだった。
しかし──
「静かになさい! ……魔王を討伐するまで、帰ることなどできません!」
冷たい口調でそう言い放ったのは、真っ赤なドレスを身にまとった、気品漂う少女だった。
ブロンドの髪をドリルのようにくるくると巻いた姿は、まるで漫画に出てくる悪役令嬢そのものだ。
身分の高い地位にいるのか、その言葉を遮る者は誰もいない。
扇子を片手に高圧的な態度を取る少女に、三人はたじろいでいた。
「あなたたちには、女神より授かりし加護があります。……その力を使って魔王を打ち倒しなさい。そのあと、元の世界に帰るがいい!」
まさに、異世界ものの漫画やアニメでおなじみの展開だ。
僕たちは召喚されると同時に、チート能力を授かったのだ。
まだ、どんな能力なのかはわからない。
だが、異世界で無双できる──そう思うと、ワクワクしてたまらなかった。
変化のない毎日に、僕は飽き飽きしていたのだ。
「ステータスオープン!」
僕は手をかざし、思わず声を上げた。
思ったとおりなら、この掛け声とともに、僕のステータスが目の前に現れるはずだ。
しかし──何も起こらない。
「……何をしておるのじゃ?」
その場にいた誰もが、面食らったようにキョトンとしていた。
召喚された三人は、危ない奴だとでも思ったのか、明らかにいぶかしげな視線を向けている。
王国の面々も、なぜか「うわぁ~」といった顔で引いていた。
まるで、中二病をこじらせた痛々しい奴を見るような目だった。
僕はその場をごまかそうと、何事もなかったかのように口笛を吹いた。
(これじゃなかったのか? ……もしかして、石でできた文字盤とかに手を当てて、鑑定するのか?)
そんなことを考えていると、さえないおっさんが口を開いた。
「……加護って何ですか?」
おっさんの質問に、ドリル巻きの女は得意げな笑みを浮かべて説明を始めた。
「あなたたちが召喚された時点で、女神より何かしらの力が与えられています。……剣技やスキル、魔法……人によって特性は異なりますが、いずれも優れた能力を授かっているのです」
(キタ──────! 異世界無双確定!)
僕は心の中で、喜びのダンスを踊りまくっていた。
ようやく、平凡だった人生から解放されるのだ。
しかし──
「優れた能力って……私、なにも変わってないんですけど」
女子高生が不満そうに言った。
「なにか確認できるものはあるんですか?」
大学生風の男も、それに続いて尋ねた。
すると、ドリル巻きの女は神官風の男に目配せをした。
「あれを持て!」
「はっ!」
女の命令を受け、神官風の男はいったん奥へと引っ込んだ。
すぐに戻ってきたが、その手には妖しげな水晶が抱えられていた。
(あれに手を添えると、スキルボードが現れるんだな……)
僕には、それが何なのかピンときていた。しかし、ほかの三人には皆目見当もつかないらしい。
いぶかしげに水晶を眺め、小首を傾げている。
神官が水晶を女に手渡すと、女は僕らを見渡した。
「では、そこの者、前へ」
「へっ? ……わ、わたし?」
最初に呼ばれたのは、ギャルっぽい女子高生だった。
妖しげな水晶を前に、何をさせられるのかと戸惑っている。
それでも彼女は、言われたとおりに前へ出た。
「……な、なにすんの?」
「ここに手をかざせ」
戸惑う女子高生を前にしても、ドリル巻きの女はあくまでも高圧的だった。
女子高生は渋々といった様子で、水晶に手を当てた。
「ピカーン!」
その瞬間、水晶が光り輝いた。
あまりの眩しさに、僕たち四人は目を開けていられなかった。
「おぉーっ!」
玉座の周りにいた貴族たちから、どよめきが起こる。
「お前は大魔法使いだ。……四大属性のスキルに加え、光と闇の属性まで持っている」
ドリル巻きの女の声が、広間に冷たく響いた。
ゆっくりと目を開けると、水晶から光の幕のようなものが浮かび上がっていた。
それはまるで、空中に浮かんだデータパネルのようだった。
僕たちがこれまで見たこともない文字が、びっしりと並んでいる。
日本どころか、世界中を探しても見たことのない文字だ。
それなのに、不思議なことに、そこに何が書かれているのかは理解できた。
光の幕には、女子高生の情報が事細かに表示されていた。
【名前】生島 加奈子 【年齢】18歳
【職業】魔法使い(Lv.1)
【女神の加護】固有スキル〈深淵の雷〉 四大属性+(火・水・風・土) 光属性+ 闇属性+
主な項目はこれらの情報に加え、アタックポイントや魔力といった基本ステータスだった。
だが、表示されているのは、それだけではなかった。
「……な、なによ、これ……こんなことまで載せないでよ!」
女子高生にも、この文字が読めているのだろう。
光の幕を消そうと、血相を変えて両手をブンブン振り始めた。
しかし、画面がわずかに歪むだけで、文字が消える気配はまったくない。
そこには、五歳から十歳までおねしょをしていたことや、十四歳で彼氏ができたものの、今に至るまでまだ処女であることが、赤裸々に記されていた。
こんな情報まで明らかになるとは、僕自身も予想外だった。
強さやスキルには、まったく関係がないのだ。
まして、魔王を討伐するうえで、こんな情報が何の役に立つというのだろう。
それなのに、水晶の表示を見ているおっさんと大学生風の男は、ニヤニヤと笑っていた。
彼女が他人に知られたくない秘密をさらされているのを見て、面白がっているのだろう。
だが、二人は次に自分たちの番が来ることなど、まったく考えてはいなかった。
「次はお前だ!」
女子高生がげんなりした様子で戻ってくると、ドリル巻きの女は、今度は大学生風の男を指名した。
案の定、その瞬間、男の顔から血の気が引いた。
さっきまでの笑顔は一瞬で消え、額には冷や汗まで滲んでいる。
「……ぼ……僕はいいです……」
大学生風の男は、力のない声でそう言った。
それも当然だろう。
ステータスと一緒に、自分の隠しておきたい秘密まで公になってしまうのだ。
しかし、ドリル巻きの女は冷たく言い放った。
「だめじゃ! ……お前のステータスを確認するには、この方法しかない」
その威圧感の前では、とても断れる雰囲気などなかった。
王や貴族、さらには周囲の騎士までもが、冷たい目で彼を見据えているのだ。
そんな中、大学生風の男は力なく前へ出た。
ドリル巻きの女の鋭い視線を浴びながら、ためらいつつも水晶へと手を伸ばしていく。
触れた途端、輝きだす水晶。
光の幕に浮かび上がったのは──
【名前】林 信之 【年齢】22歳
【職業】僧侶(Lv.1)
【女神の加護】固有スキル〈癒しの風〉 回復系魔法(効果50%up) 状態異常回復系魔法(効果25%up) 蘇生魔法(成功率25%up)
これに加え、アタックポイントや魔力といった基本ステータスも表示されている。
確かに、ここだけを見れば、優れた能力を与えられたことは間違いない。
だが、その下に続く文字が表示された途端、その場にいた人々から含み笑いが漏れた。
「わぁー! ああああああああ!」
大学生風の男は、先ほどの女子高生と同じように、必死になって空中に浮かぶモニターを消そうとしていた。
そこには、幼少期からの恥ずかしい性癖が、事細かに記されていた。
【追記】幼少期より、女性のスカートをめくることに異様な興奮を覚える。
保育園の先生のスカートをめくったことが始まり。
それ以来、好きな子ができると、スカートめくりを繰り返して気を引こうとしていた。
大人になってからは、道徳的な問題を考え、自分を抑えている。
だが、「パンツ」というキーワードでネット検索をしては、欲望を紛らわせている。
────────────────────────────────────────────
「お前は、いやらしい奴じゃのぉ~」
ドリル巻きの女がそう言ってニヤリと笑ったとき、僕も思わずプッと吹き出してしまった。
普段はそんな性癖とは無縁に見える、真面目で大人しそうな男なのだ。
そのギャップに、笑いをこらえられる者など、ここにはいなかった。
お返しとばかりに、女子高生も腹を抱えて笑っている。
しかし、そんな中で、おっさんだけは青ざめた顔で俯いていた。
それもそのはずだ。こんなのは公開処刑に等しい。
僕だって、本当は笑ってなどいられない。
しかし──
「次はお前じゃ!」
ドリル巻きの女が指名したのは、やはりおっさんだった。
おっさんは青ざめた顔で、ダラダラと汗を流し続けていた。
それでも観念したかのように、ゆっくりと前へ出る。
その姿は、まさに死刑執行を目前に控えた罪人のようだった。
儚げな後ろ姿に、僕自身も目頭が熱くなっていた。
水晶を前にして息を呑む姿は、さっきまで笑っていた人間と同じだとは到底思えない。
「何をしている! 早く水晶に手をかざせ!」
ドリル巻きの女に急かされ、おっさんは震える手で水晶に触れた。
「ピカーン!」
その瞬間、水晶が光り輝いた。
光の幕に浮かび上がったのは──
【名前】高橋 良一 【年齢】42歳
【職業】戦士(Lv.1)
【女神の加護】固有スキル〈身体能力強化〉 パワー(25%up) 俊敏さ(25%up) 物理防御(25%up) 魔法防御(25%up)
続いて、アタックポイントや魔力といった基本ステータスが表示される。
ここまではいい。
これだけ見れば、召喚された勇者パーティーの立派な一員だ。
だが、問題はここからだ。
【追記】会社ではうだつの上がらない万年平社員。毎日、上司に嫌味を言われながらも、窓際で目立たぬように過ごしている。仕事ができないせいで、仲のいい同僚どころか、友達すらいない。
だが、その実、捨てられた子猫を助けるような優しい性格の持ち主。
孤独な身でありながら、見捨てられ、ひっそりと消えゆくか弱い命を、何度も救ってきた。
────────────────────────────────────────────
最後の一文が表示された途端、おっさんの顔に血の気が戻った。
それどころか、軽くガッツポーズまで見せている。
「お前は見た目と違って、いい奴なのだな……」
ドリル巻きの女が、珍しく優しい言葉を掛けた。
その表情にも、相手を労うような温かさが感じられる。
それを見た女子高生と大学生風の男は、苦虫を噛み潰したような顔で悔しがっていた。
そして、とうとう僕の番がやってきた。
「最後はお前じゃ!」
僕はおっさんのステータス画面を見て、少し安心していた。
何も、恥ずかしいことばかりが表示されるわけではないらしい。
人知れず善い行いをしていれば、それも表示される。
ならば、僕は大丈夫なはずだ。
何しろ、お年寄りを見かければ笑顔で挨拶するし、会社では仕事のできない後輩を手伝ってやることもある。
この間など、少し美人な同僚に食事を奢ってあげたりもしたのだ。
なにより、僕はこんなところで躓いているような人間ではない。
魔法使い、僧侶、戦士とくれば、残っているのは勇者だけ。
そう、僕こそが勇者。この世界で唯一無二の存在なのだ。
僕は水晶に向かって歩き出すと、ドリル巻きの女の顔を見て、ニヤリと笑った。
「さあ、水晶に手をかざせ」
(僕のステータスに驚くがいい……)
僕は意気揚々と水晶に手をかざした。
その瞬間、水晶が光り輝く。
光の幕に浮かび上がったのは──
【名前】中島 健吾 【年齢】28歳
【職業】勇者(Lv.1)
「よっしゃー!」
勇者の文字を目にした瞬間、僕は雄たけびを上げた。
しかし──
【女神の加護】脱糞
そこに表示されたのは、たったそれだけの文字だった。
しかも、なぜかキラキラと光り輝いている。
(……こ、これだけ? ……しかも、脱糞ってなに?)
さらに──
【追記】小学生の頃、掃除の時間中に同級生の前でクソを漏らす。付いたあだ名は【脱糞カーニバル】。
中学生になると、生徒会長に選ばれるも、初めて壇上に立った際にクソを漏らす。その時に付いたあだ名は【脱糞生徒会長】だった。
しかも、その年の文化祭でも、人知れずクソを漏らしていた。トイレに籠もり、必死に後始末をする姿からは、生徒会長の威厳など微塵も感じられなかった。
高校に入ってからも、脱糞癖は収まらない。
最大の屈辱は、初めての彼女とのデート中に漏らしてしまったことだ。
それ以来、彼女とは音信不通になり、いまだに新しい彼女はできていない。
しかも、これだけではない。大学に入ってからも、その癖は治らず……
────────────────────────────────────────────
まるで暴走でも始めたかのように、いつまでたっても終わらない痴態の羅列。
その内容に、この場にいる者たちは腹を抱えて爆笑していた。
僕だって、好きでクソを漏らしていたわけじゃない。
小さい頃からお腹が弱く、仕方なかったのだ。
いたたまれないほどの恥ずかしさを覚えながらも、激しい憤りが込み上げてくる。
そんな中、僕は思わず叫んでいた。
「もう、やめろ! ……やめてくれぇ!」
もう、ここが異世界だろうが、勇者だろうが、どうでもいい。
僕を嘲笑うこの状況を、なんとかして食い止めたかった。
「発動せよ! スキル、脱糞!」
その瞬間、僕の尻が光り輝いた。
同時に、猛烈な便意が込み上げてくる。
このスキルがいったい何なのか、僕にはわからない。
だが、軽はずみにその言葉を口にしたことを、僕は深く後悔することとなる。
尻から溢れ出す、大量のウンチ。
まるで、せき止められていた川が一気に氾濫するかのように、いつまでたってもクソは止まらない。
腹を抱えて笑っていた人々も、押し寄せるクソに飲み込まれ、次から次へと流されていく。
そして──
僕は一人になった。
この世界に突如として現れた、暗黒大陸。
強靭な肉体を誇る魔物でさえ、強烈な異臭が漂うこの地では、生きていくことすらできなかった。
そして、僕はこの世界で【魔王】と呼ばれるようになったのだ。
END