【○月×日 てんき:ゆうだちのあと】
夏休みも、もうすぐ終わりが見えてきた。
夕方、激しい夕立が通り過ぎたあと、少し涼しくなったあじさい公園にスバルは向かった。
「今日もどうせ、ベンチで『あ〜生活費ねぇわ〜』ってゴロゴロしてるんだろーなー」
そう思いながら茂みを抜けた瞬間、スバルは自分の足を止めた。
「違う……! 鈍いわよ、私の右半球(ヒップ)……ッ! そこはただ揺らすんじゃない、おケツの細胞一つ、毛細血管の先の一滴にまで私の魂を張り巡らせるのよ……ッ! 世界中を私のこの、おケツの引力でひれ伏させるために……っ!!!」
聞こえてきたのは、いつものおっさん臭い声じゃない。
信じられないくらい真剣で、凛としたマリンの声だった。
雨上がりの濡れたアスファルトの上。
そこでマリンは、汗と飛び散る水滴にまみれながら、激しいダンスのステップを踏んでいた。
いつもならお尻を突き出してふざけているはずのステップが、今は恐ろしいほどのキレを持っている。
ターンをするたびに、濡れたローファーが鋭く地面を叩く。
水たまりの泥が跳ねて、マリンの衣装や顔を汚していくけれど、彼女はそんなこと一ミリも気にする様子がない。
「はぁ、はぁ……ッ! ひれ伏しなさい、世界……! 誰が私を忘れたって、誰が私を笑ったって……このおケツがある限り、私は何度でもキミたちを狂わせにいくんだから……っ!!!」
マリンは激しく呼吸を乱しながら、誰に見せるでもないステップを、ただひたすらに、狂ったように繰り返している。
絵面的には、大人が誰もいない夕暮れの公園で、泥だらけになりながら必死にお尻を振って踊っているだけだ。
普通なら、ただの変質者として片付けられる光景。
なのに。
スバルは、息が止まっていた。
腕に、鳥肌が立っていた。
マリンは、足がもつれかけても、膝に手をついても、少し休んだらまた最初の位置に立つ。
何回目なのか、スバルには分からなかった。
途中から数えるのをやめてしまったからだ。
なんで自分の胸がこんなにうるさいのか、スバルには全然分からなかった。
分からないのに、目が離せなかった。
最後の爆発的なステップと共に、マリンが完璧なポーズを決める。
その瞬間、夕立の雲が割れて、真っ赤な夕日がマリンの背中を強烈に照らし出した。
マリンは膝に手をつき、ポタポタと地面に汗を落としながら、ふぅ、と息を吐いた。
そして、茂みからの視線に気づいたのか、スバルのほうを振り向いた。
「あら、スバルちゃん。見られてたかしら。……ちょっと、ダサかった?」
そう言って、いつものようにへらりと笑うマリン。
スバルは、何か言おうとした。
でも、口がパクパク動くだけで、声が一つも出てこなかった。
顔だけが、どうしようもなく熱くなっていく。
結局スバルは、一言も言わずに、その場から走って逃げ帰った。
家に着いても、心臓はまだうるさかった。
机に向かい、震える手でノートを開いて、今日見た光景を日記に書き殴った――
◇◇◇
【大空マネージャーの活動報告:マリンが泥だらけになりながら、誰もいない公園でダンスの特訓をしていた。
自分のお尻を愛し抜くというあの人の姿は、常人ならざる狂気と、ほんの少しの感動、そしてそれを上回る圧倒的な不審者オーラを放っていた。
あまりにも真剣すぎて逆に警察に通報しづらいのがタチが悪い。
とりあえず、あの人がお尻を振りながら『世界よ、私にひれ伏しなさい!』と叫んだ瞬間、散歩中の犬がものすごい勢いで吠えて逃げていったのを、スバルは一生忘れないと思う。】
◇◇◇