【○月×日 てんき:さいこーにはれ】
夏休み最終日。
今日でスバルの「マリンの観察日記」も終わり。
のはずだった。
だけど、いつものあじさい公園に行っても、ベンチには誰もいなかった。
ワンカップの空き瓶も、変なポエムが書かれたノートもない。
ただ、ベンチの上に、石が乗っていた。
その石の下に、一枚の紙きれが挟まっていた。
「……ん? なにこれ、チケット?」
そこには、今日このあと街のドームで開催される、宝鐘マリンの一大ドームライブのプラチナチケットと、
「スバルちゃんへ。宿題、ちゃんと出しなさいよ」
という殴り書きのメモが添えられていた。
「はぁ!? あいつ、本当にアイドルだったの!?」
スバルは頭が混乱したまま、自転車を猛スピードで漕いでドームへと向かった。
ドームの周辺は、信じられないくらいの熱気に包まれていた。
赤い海賊帽子をかぶったファンの人たちが、何万人も詰めかけている。
「マリン! マリン!」
って、みんながあのマダオの名前を叫んでる。
スバルは、人の波に流されながら、なんとかチケットに書いてある入口を探し当てた。
そこは、ファンの人たちが並んでいる列とは全然違う、静かで、なんかピリッとした感じの通用口だった。
(うわ、絶対ここ、子供が来ちゃダメなやつじゃん……)
首からカードを下げたスタッフのお姉さんが、スバルのチケットを受け取って、じっと見た。
それから、手元の紙をめくって、無線で誰かに何かを聞いた。
心臓がバクバクした。
「……あ、はい。うん、聞いてます」
お姉さんは無線を下ろすと、スバルの顔を見て、なぜかちょっと笑った。
「大空スバルさんね。船長から伺ってます。……こちらへどうぞ」
「え、あ、はい」
「走らないでね。あと、ぜったいに走らないでね」
二回言われた。
案内された先は、ステージのすぐ横の、変な角度の席だった。
まわりには大人しかいなくて、みんなスーツを着たり、名札を下げたりしている。
スバルは、自分の首から下げるものが何もないことに気づいて、なんだかものすごく落ち着かない気持ちで座った。
その瞬間、ドームの照明がパッと消えた。
ドォォォォォン!!!
と、地響きのような大歓声。
ステージを照らす真っ赤なライトの真ん中に、その人は立っていた。
「……っ!!」
スバルは息を呑んだ。
そこにいたのは、昼間からカップ酒を飲んで管を巻いていた大人じゃなかった。
泥だらけになりながら、誰もいない公園で踊っていた、あの時の目がそこにあった。
イントロが流れた瞬間、彼女は爆発した。
完璧な歌声、地を這うような激しいダンスステップ。
曲の途中、マリンが鋭くターンを決めた。
その一瞬で、スバルは分かってしまった。
昨日の夕方、誰もいない公園で、この人が何回も何回もやり直していたのは、ここだ。
濡れたアスファルトの上で、泥だらけになって、膝に手をついて、それでも最初の位置に戻っていた、あの部分だ。
何万人が、今、そこで悲鳴を上げている。
誰も知らない。
昨日この人が、誰にも見られていない公園で、何十回それを失敗していたか。
スバルだけが、知っている。
客席のファンは全員、涙を流して熱狂している。
スバルも、鳥肌が止まらなくて、言葉を失ってステージを見つめるしかなかった。
ライブが最高潮を迎えた、その時だった。
曲の合間、マリンがステージの端、スバルがいる関係者席のすぐ近くまで走ってきた。
そして、マイクを握りしめ、何万人もの観客の前で、スバルを指差してニヤリと笑った。
来る。
スバルは身構えた。
この状況で、この距離で、この顔。
絶対に、何か、とんでもなくロクでもないことを言う顔だ。
マリンは、汗まみれの前髪をかき上げて、思いっきり息を吸い込んだ。
そして。
「スバルちゃぁぁぁぁん!!! 宿題ぃぃぃ!!! ちゃんと出しなさいよぉぉぉぉーーー!!!!!」
ドーム中に響き渡る、大音量の、生活指導。
何万人ものファンが、一斉に沈黙した。
歓声が、ぴたりと止まった。
「……宿題?」
「え、今、宿題って言った?」
「船長、誰に……?」
ざわめきが波みたいにドーム全体に広がっていく。
さっきまで涙を流して熱狂していた何万人が、全員「?」の顔になっている。
客席のスバルは、顔から火が出るくらい真っ赤になった。
「何言ってんだアイツーーーーーーーー!!!!! バカじゃないのぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!? 何万人集めて言うことがそれかよ!!!!! うちのお母さんかお前は!!! ステージ降りろーーー!!!!!(号泣)」
スバルの全力のツッコミは、戸惑うファンのざわめきにかき消されたけれど。
ステージの上のマリンは、それを見て満足そうに、最高に、世界一輝く笑顔でウインクをくれた。
何万人の中で、たった一人にしか通じない言葉。
それを、世界で一番でっかい声で言うのが、あの人だった。
次の日、新学期が始まった。
公園のベンチには、もうマリンの姿はない。
だけどスバルの手元には、ばっちり完成した夏休みの宿題がある。
スバルはノートの最後の1ページに、ステージの上で誰よりも輝いていた(そして誰よりも不審者だった)海賊のイラストと一緒に、力強くこう書き込んだ。
◇◇◇
【今世紀最大の公私混同:あの人は、世界一ダメな大人で、世界一めんどくさい変質者だけど。
世界中の誰がなんと言おうと、自分を信じて、自分の愛するもの(特にお尻)を貫き通す、世界一カッコいい大海賊(トップアイドル)だ。
…………と、書いたばっかりなのに。
今日学校から帰ってきたら、家のリビングのソファで、あのマダオがうちのお母さんと楽しそうにお茶を飲みながら『お母様、スバルちゃんをうちの事務所にください❤️』って本気で所属契約書を差し出していた。
しかもお母さんが「あら〜、スバルがお世話になります」とか言いながら、めちゃくちゃ良い笑顔で印鑑を探しに行った。
先生、これがスバルの夏休みの自由研究の成果です。今すぐ警察を呼んでください。】
◇◇◇