Curiosity killed the cat.(好奇心は猫をも殺す)
という英語のことわざを教科書で読んだことがあります。要するに、好奇心旺盛もほどほどにしないと痛い目を見る、ということです。
「好奇心」を持っている動物というのは賢いとよく言われます。猫しかり、犬、馬、象、カラス、イルカ、サル。そして私たち「人間」は、この「好奇心」が他の動物よりも強いおかげで、ここまで発展してこれたと言えるでしょう(しかしそのせいで、他の動物たちに比べれば、いくらか人間の方が気苦労も多いというのも、また明白かもしれません)。
恐らく人間はこの先も好奇心を燃料にして走り続けるはずです。このことわざにあるように、例えそれで失敗したとしても。
どうしてか? その方が毎日葉っぱを食べるだけの虫たちよりは楽しいでしょうから。
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それは至って普通の日でした。朝のアラームが嫌味たらしく鳴る。起きる。トイレに行く。洗面台に立ってから、薄手のパーカーを羽織って食堂へ行く。眠そうな友達に朝の挨拶をし、テレビのニュースを見ながら朝食を食べる。今日は塩鮭(たくあん付)とご飯、きんぴらごぼう、豆腐とわかめの味噌汁、カットしたリンゴ。
食後のお茶を飲みながら、一通りのテレビのニュースを眺め、緊急的に自分の人生に影響するものはないことを確認し、犬のホーム・ビデオのコーナーを見てからまた部屋に戻り、歯を磨き、身だしなみを整え、制服に着替え、鞄を持って寮を出る。
寮の玄関を出て少し歩くと、朝日がぼんやりと霞がかって眩しく、春の暖かさを感じさせました。小鳥たちが、冬の間忘れていたかのように気持ちよくさえずっています。見事なくらいの一日の始まり。まるでベートーベンの交響曲第一番・第一楽章の最初のように分かりやすく、平穏で、美しいものでした。
その日の学校は、これといって特に事件も事故もなく(普通はないのですが)、気づけば放課後になっていました。この日は生徒会の会議がある日でしたので、私はまず生徒会の仕事を終わらせてから同好会に遅れて行く予定でした。
結局生徒会の会議は思ったよりも長引きましたが、まだ同好会の皆はいる時間でしたので、私は生徒会が終わるとそうそうに同好会に向いました。
【少しだけ疲れた私は、途中眠気覚ましに自販機でブラック・コーヒーを買いました。】
生徒会の仕事もやりがいがあって好きなのですが、やはりこの瞬間が一番学校の中で好きな時間です。ある種機械的で義務的な勉強と仕事を終わらせ、みんなのいる部室へと向かう時。その時ばかりは私は首輪を外された犬のように(良い比喩なんでしょうか?)浮ついた、わくわくした、尻尾があれば振りたいような気分になるのです。ひょっとすればこの瞬間のために学校へ来ているのかと思うほどですし、あるいはこの居場所を守るために、私は生徒会の仕事をしているのかもしれません。それほど魅力が詰まっているのがスクール・アイドル同好会というものなのです。
私はシュトラウスの「皇帝円舞曲」を軽くハミングしながら、足早に歩いていました。すると突然、ぴたっと部室棟の通路の手前で止まりました。右足を前に、左足は後ろに残したまま、まるでビートルズの「アビイ・ロード」のような格好で、私は縫い付けられたように止まりました。ある異変に気づいたのです。このまま真っ直ぐ行って、角を曲がれば同好会の部室という風景。それはぱっと見ればいつも通りの通路でしたが、何かが決定的に違っていました。私はしばらくそのファミリー・レストランに置いてある暇つぶし用の間違い探しのような、いくつかのドアが規則正しく並んだ光景を眺めていました。そしてはっと、その間違いに気が付いたのです。
それは、「部室が一つ多い」ことでした。
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部室棟の部屋にはそれぞれ番号がついています。西側一階の奥から「101」で始まり、反対側の「110」まで連番になっています。その二階も同じように「201」から「210」になっています。そしてやや奇妙な作りなのですが、南側一階の端から「301」が始まり、その二階の端が「401」から始まるとなっているのです。私はいつもその南側の二階の手前、「410」から連番の部室の前を通って「401」で右に折れ曲がり、一番奥の「201」である同好会の部室へと行きます。つまり今私の立っているところから見れば、「L」をひっくり返したように通路が続いているのです。
しかしその部屋のドアが明らかに一つ多い。ような気がする。
私は慎重に、刑務官が一つ一つ独房を覗いていくようにそのドアを確かめていきました。そして私は二度ほどその通路を往復し、あるドアの前で止まりました。
「『404』?」と私は一人で小さく言いました。
いつもなら、「403」の次は「405」ではなかったかと私は思ったのです。これに関しては設計ミスでも何でもなく、全く問題ではありません。昔から建っているアパートや病院、ホテルなどではよくある話です。いわゆる、「忌み数」と呼ばれるもので、「4」が「死」を連想させるために、あえてその番号を抜かすのです。
この発展した都市の中の現代建築である虹ヶ咲学園でも、そうした古くからの風習は未だに細々と残っていました。そしてそれ自体は「普通」のことなのです。そうした風習に根ざした「日常」です。
私はもう一度、一つ一つ部室を確認していきました。「401」、手芸同好会。「402」、陶芸研究部。「403」、鉱石探究部。そして確かに、その次は「404」の黒い印字がグレーのドアに表示されていますが、部活の表示はありません。そしてその次が「405」、モルック部(やれやれ、自由な学園です)。
「ふむ……」と私は、顎に手を当ててしばらくその前に立っていました。何人かのスポーツ・ウェアを着た生徒が楽しそうにおしゃべりをしながら通り過ぎて行きました。私以外誰も、このドアのことは気づいていない様子です。そのまま無視して同好会へ行ってしまおうかとも思いました。もしかすると、私の勘違いで「404」は前からあったのかもしれない。そうも思いました。
私は一度来た道を戻って階下へ降りました。一階には地図があるからです。部室棟の位置を示した、ショッピング・センターにあるようなパネル、それを確認しに行きました。しかしパネルには確かに「401」「402」「403」と続き、その続きは「405」でした。どこにも「404」は存在していません。
私はもう一度階段を登ってドアの前まで戻りました。あるはずのない四番目のグレーのドア、「404」の黒い印字、行き交う生徒、笑い声。全く一緒でした。段々と日が傾いてきて太陽の光が煌々と差し込んできています。私はその時ふっと背筋が冷たくなりました。心臓の脈打つ音が少し早くなった気がしました。何か魔物のようなものの口笛に吸い寄せられ、図らずも深く底の見えない谷の淵の際へと立ってしまっているようでした。
しかし私とて伊達に生徒会長をやっているわけではありません。しっかりとした意志を託されて生徒会長になったのです。この学校で、私の知らないところで何かが起こっていることは生徒会長として見過ごせません。私にはこれを確認する「義務」があると思いました。
そう思うと私は何だか腹が立ってきました。このグレーのドアが何か白々しさというか、「自分は全く普通ですよ」とでも言って空を見上げながら音の外れた口笛を吹いているように見えてきたのです。
私はひとつ息を整えて、「404」のステンレス製のドアノブに触れてみました。ずっと暗い海の底に潜んでいたようなひんやりとしたドアノブ。私はドアを開けてみました。
私は部屋の中を見て、啞然としてしまいました。それが明らかに異質な部屋だったからです。
さて、突然ですが私は生徒会長としてある欠点を持っていることを告白します。それは私がこういう時に先生や友人に報告などせず、まず自分で確かめたくなってしまう「怖いもの見たさ」という気持ちが人よりも強い、という点です。
私は恐る恐る、中へと入っていきました。
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部屋は正方形の真っ白な部屋で、中央に木製の学校机と椅子が置いてありました。部屋には音楽がかかっており、ヘンデルの「水上の音楽」でした。しかしスピーカーなどはどこにも見当たりません。ただ真っ白な壁、机と椅子、音楽、それだけでした。蛍光灯もないのに、部屋は何故か明るくなっていました。それは何かの尋問部屋、あるいは洋画に出てきそうなサイコチックな実験施設のようにも見えました。
「まさか」と私は言いました。もう一度入ってきたドアを開けてみると、当たり前ですがまた部室棟の通路でした。
「こんな『部屋』、どうなっているんでしょうか」
私は不気味に感じました。この部屋の「意図」が分からないからです。一体この部屋は何のための空間なのか? 何をするべき場所なのか? それが一向に分かりませんでした。「すいません」と私は少し大きな声で言ってみました。返事は当然のようにありません。机の向こう側には、入ってきたものと全く同じの「404」と書かれたドアがありました。こんな設計はいくらなんでもやり過ぎだと私は思いました。
しかし私は前に言ったように生徒会長なのです。どうして生徒会長が自分の学校でびくびくしていられるでしょうか。私は先にその奥のドアを確かめてみました。しかし全く開く気配はありません。
諦めて再び部屋を眺めてみると、机の上に何かが置かれてるのに気がつきました。それは一枚の紙にプリントされたクロスワード・パズルでした。横には先のよく尖った一本の鉛筆が行儀よく置かれています。
「これを解け、ということですか。少し白々しいですが」
そうすれば鍵が開くのかもしれない。馬鹿馬鹿しいとは思いました。一体誰がこんなことをしているのか? 皆目見当もつきませんでした。しかし選択肢は他にありませんでした。この部屋の謎を探るために、出来ることはそれだけです。私は鉛筆を手に取りました。
それはかなり簡単なクロスワード・パズルで、
①日本で一番高い山
②首の長い動物
③お風呂から出た時に体を拭くもの
とかそんな風なものでした。小学生が昼休みに作ったと言われてもおかしくはないでしょう。そのくらいのレベルのものです。私はそれを五分も満たないうちに解いてしまいました。するとかちり、と音がしました。
奥のドアノブを捻ってみると、予想通りドアはするりと開きました。私はそのまま中へと入って行きました。こうなればいけいけです。疑心と恐怖と怒りと知的好奇心の混ざった妙な血液が体の中を回っていました。
しかしそこにはまた同じような部屋でした。白い部屋、奥のドア、テーブルと椅子、バッハの「ブランデンブルク協奏曲」。
「全く、何だっていうんですか」と私は言いました。
机の上には今度はルービック・キューブが一つ置かれていました。私にはもう何が何だかよく分かりませんでした。しかしもう戻るということはしたくありませんでした。戻ったらそれこそ訳が分からないような気がしたからです。電車で遠くまで行って何もせず帰ってくるようなものだと思いました。
私はその三×三のルービック・キューブをクリアしました(ある程度簡単にしてくれていました)。次のドアを開きます。そしてその次も同じような部屋でした。
その部屋にはジグソー・パズルが置いてありました。パッヘルベルの「カノン」。私は何も考えず机に向かいました。そしてジグソー・パズルをやりました。私はもう無我夢中でそれをやりました。そしてやがて最後の一枚をはめた時、私はあることに気がつきました。それは完成した絵が私自身だったのです。たくさんの白い花に埋もれた棺に入り、両の手でユリの一本を大切そうに持って目を瞑っている三船栞子でした。
あ、と私は思わず言ってしまいました。口の中が乾いていて、私はその時ようやく戻ろうかと思いました。音楽が突然打ち切られ、「マタイ受難曲」の「われら涙流しつつひざまずき」の合唱に変わりました。かちりと鍵が外れる音。
「やはり……不味いでしょうか」と私は言いながら、開いた方のドアを見ました。それは確かに不穏と悪意に満ちたドアでした。明らかに「罠」でした。
私は二三の深呼吸をしました。そして怖い気持ちを抑え、私はこの存在するはずのない「404」の正体を突き止めるために来たのだということをもう一度思い返して、ぐっと拳を握りました。私はドアを開けることにしました。この先に何がいるのか? その好奇心も私を後押ししました。私は思い切ってそのドアを開けました。
しかしドアの先は、どうしてでしょうか。そこは学校だったのです。私が入ってきたところと全く同じの部室棟でした。しかし何かが違います。違和感。窓から見える空は変に暗く、紫色の光を放っていました。生徒は一人も見当たりません。そしてよく見ると階段の位置が反対でした。階段だけでなく、構造も何もかもが普段の反対でした。部室のそれぞれの番号札も鏡文字になっています。
「どういう……ことですか……」と私が啞然としていると、何か音がしました。
ごろごろ。
それは学校によく出入りしている猫が喉を鳴らす音によく似ていました。
ごろごろ。
しかしそれも何かが違っています。猫のような平和な生物が出す音ではありませんでした。
私は恐る恐る音のする方を見ました。するとそこにはバクがいました。大きなバク。バクという生き物を何度も見ている訳ではありませんが、馬ではないし、象ではないし、猪でもアリクイでもありません。それは確かにバクでした。私の体の二倍以上はあるような灰色のバクは、中途半端な鼻をひくひくとさせて、目は細く、そしておかしなことに分厚い二本脚で人間のように立っていました。さらにおかしなことに、そのバクは上等なつやつやとしたタキシードを着こんでいました。靴は履いておりません。代わりに赤ワインか何か入ったグラスを片手で器用に持って揺らしていました。
「何者ですか!」と私は大きな声で言いました。
「僕はバクさ」とバクは低い、バスクラリネットのような声で言いました。
「何の──何をしているんですか!」
「うん、だから言ったろう、僕はバクさ。今から君を食べるんだ」とバクはまた半分に切ったような鼻をひくひくとさせました。
「食べる?」と私は言いました。背中に嫌な汗をかいていて、手にも汗がにじんでいます。
「そう、食べるんだ。せっかくだから説明してあげよう。食べられる側にだって知る権利はあるからね。僕はあるちょっとした『漁』をしていたんだ。普段存在しない『4』のつく部屋を見せて、それに興味を持った人間をこっちの世界におびき出すんだ。釣りみたいなものだよ。でも釣られる魚にも警戒心はあるから、すっと部屋には中々入ってきてくれない。だから誘うんだ。あるはずのない『4』の部屋と、ゲームの置かれた奇妙な部屋。古い音楽。演出さ。そして見事に君はそれに引っ掛かってくれた」
「『罠』ということですか」と私は言いました。時間稼ぎでした。脳がエラー状態を処理し、この芳しくない状況を打破する時間が欲しかったのです。
「そう、『罠』さ。知的好奇心、人間のそれは素晴らしいよ。だから僕もそれを利用するんだ。『チョウチンアンコウ』みたいにね。賢いだろう」そう言うとバクはまたその中途半端な鼻を自慢げにひくひくとさせました。
「それはグッド・アイデアですね。それでその、のこのこ引っ掛かった知的好奇心に溢れた賢く愚かな人間をどうするつもりなのでしょう」
「だから言ったろう、食べるのさ」とバクは嬉しそうに目を見えないくらい細めて言いました。
「記憶や思考のエネルギーをもらうんだ。いつも通りのやり方で夢ばかり食べてちゃ飽きちゃうからね、たまには変わった感じのものを食べたくなるだろ? バクって昔からこういうちょっとしたやり方が得意なんだよ。味はやっぱり若い人の方がいいよね。ピュアなんだよ。美味しいんだ。年を取っている人間はダメ。余計なものが多くってさ。苦いし、脂っこいんだ、最悪だよ」とバクはそう言いながら丸太のような足でのそのそと近づいてきます。彼の言う通り、私を食べるために。
「やれやれ……それは穏やかではありませんね」と私はため息交じりに言いました。そしてさっと身を翻して、入ってきたドアノブに手を掛けました。逃げようとしたのです。しかしその時でした。私の体は宙に浮かび上がったのです。
突如として体重がなくなり、髪が逆立ち、スカートが翻り、床から足が離れてしまったのです。鞄も同じように空中に浮かび上がっていました。宇宙ステーションからの中継映像でよく見るような光景でした。
「あ!」と私は言いました。ドアノブからも手が離れてしまったのです。その代わりに、薄い膜のようなものの中に閉じ込められていることに気がつきました。それはちょうど巨大なシャボン玉のようなもので、紫を基調とした多重で複雑な光彩が大小様々な渦を巻きながら木星の表面のように膜全体を流れていました。そしてその渦はいつの間にか、何かの映像のようになっていきました。
「これは……私の記憶!?」
私の部屋。昨日食べたハンバーグ。いつか貰った髪飾り。母親。高校の入学式。川端康成の本。お台場の海。YZF-R25(姉のだ)。モーツァルトのレコード。電車。姉。ステージ。テレビに映った犬。同好会の皆。ファンの人たち。水族館のアザラシ。そういったものがめちゃくちゃに重なっています。
「君はスープになるんだよ」とバクの喋る声がシャボン玉の向こう側から聞こえました。
「君の記憶や知恵や知的好奇心をスープにするんだよ。そのシャボン玉の中でね。じっくりと溶け出すんだ。抽出。そしてそのうち君は色んなことを忘れる。安心して、死にはしないよ。ただ色々忘れてしまうだけだ。夢みたいに。今までの人生の一部や、ここのこともね」とバクはそう言って鼻を持ち上げて愉快そうに笑いました。
私は逆さまになったりしながら何とかそのシャボン玉を割ろうとしました。しかしどうやっても指がその冷たい表面を撫でるばかりで脱出は不可能でした。
「はっきり言ってかなり不味い状況、ということですか……」
「無駄無駄無駄。割れっこしないよ。そのシャボン玉は特別なんだ、チェーンソーでも切れないよ」
「へえ、それでは何でなら割れるんでしょうか」と私はふと言ってみました。
「駄目駄目駄目。教えないよ」とバクは鼻を左右に振って答えました。
「どうせ私はあなたにスープにされて、ここのことも忘れてしまうんでしょう? それなら教えてくれたっていいじゃないですか。そうでしょう? 観念しましたから、好奇心で聞かせてくだい。賢いバクさん、私は知りたいんです」私は両手を合わせてねだるようにそう言いました。
「へえ、君は随分好奇心旺盛なんだね。それに賢いや。うん確かにそうだ。君はここのことを忘れる。うんそうだな、よし教えてやろう。カフェインだよ。カフェイン。僕らバクは『そういうパワー』を使うからね。特にブラック・コーヒーのカフェインが駄目なんだ。それをかけるとあっという間にそのシャボン玉は割れてしまう。大人の人間はその点良くないんだ。ブラック・コーヒー好きが多いからね。だから僕は高校生に絞ったんだ。大体女子高生なんかがブラック・コーヒーなんか飲まないからね。賢いだろう?」
私はふっと笑いました。
「いや、前言撤回致します。あなた、おバカさんですね」と私は言いました。
「何!?」
「正直、あまり好きではないんでよね、この『力』を使うのは。だから使うのはいつも最後にしてるんです。どうもこれは、ずるい気がするんですよ」
「何を言ってるんだ!」
「『栞』を差し込ませていただきました。『ダーティ・ワーク』。そういう『適性』があるんです、致し方ありません。この『一連の物語』の中に、【少しだけ疲れた私は、途中眠気覚ましに自販機でブラック・コーヒーを買いました。】の一文が書かれた栞を挿入しました。理解できていますでしょうか? 一連の過去の出来事を物語にして、そこに差し込んで改変出来るんです。まあ限界はありますけどね。そしてどうやら、筋は通ったようです。するとほらここに」と私は言って、鞄の中を漁りました。するとそこにはさっきバクの言っていたブラック・コーヒーの冷たい缶がありました。
「なんだって」とバクは鼻をわなわなと震わせました。
「というか女子高生でもブラック・コーヒーを飲む人いますし、忘れてしまうからと言ってべらべら喋ってしまうのはあまり感心とは言えませんね」
私はそう言って缶コーヒーを開けてシャボン玉に思い切りかけました。するとバクの言う通りシャボン玉はあっという間に割れてしまいました。私はすとっと着地し、今度はバクに向かってコーヒーを投げつけました。バクは悲鳴を上げて転がりました。私は再び入ってきたドアノブに手を掛けました。
「どうやらここでの適性は、私の方にあったみたいですね」
私はそう言って部屋に戻り、ドアをバタンと閉め、どんどん来た道を戻っていきました。そしてやっと元いた虹ヶ咲学園に戻って来ました。もうすっかり暗くなっていて、今にも陽は沈んでしまいそうでした。振り返ると「404」のドアは跡形もなく、ただ壁があるだけでした。
私はほっと一息をつきました。どこかから、やや音のはずれたホルンの音が聞こえてきました。ドヴォルザーク、交響曲第九番・第二楽章。
「好奇心旺盛も、ほどほどにしないといけませんね」と私は言いました。皆さんも不審な部屋を見かけたら、どうぞお気を付けて。