媚 び を ウ ル フ   作:けもみみだいすき

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第2話 アラサー、五歳のケモミミ幼女になる

私、神谷凜は、どこにでもいる普通の男だった。

 

歳は三十で、特別頭が良いわけでもない。

運動が得意だったわけでもない。

容姿だって、街を歩いていて振り返られるようなものではない。

 

普通の学校に通い、普通に勉強し、普通に就職活動をして。

そして、死ぬほど苦労して、なんとか会社に就職した。

 

社会人になってからは、それなりに真面目に働いたと思う。

 

遅刻はしない。仕事も期限までには終わらせる。頼まれたことは基本的に断らない。

我ながら、そこそこ優秀な社会人だったと思う。

 

ただし。

そんな私にも、一つだけ特技があった。

 

――媚びを売るのが、非常に上手かった。

 

学生時代の先輩。大学の教授。職場の上司。取引先のお相手。

 

私は、相手の表情をじっくりと観察する癖があった。

 

眉が少し動いた。口元が緩んだ。声のトーンが変わった。目線がこちらから外れた。

そういった些細な変化を一つひとつ拾い上げて、その場に応じた態度を取る。

 

褒めたほうがいい人には褒める。

話を聞いてほしい人には、とにかく相槌を打つ。

自慢話が好きな人には、興味津々な顔をする。

 

逆に、余計なことを言われるのが嫌いな人には、こちらからは何も言わない。

 

相手が何を求めているのか。

今、自分にどういう反応をしてほしいのか。

 

それを考えながら、私は人と接していた。

 

もちろん、こんなことを特技として誇る気にはなれない。

 

自分の名前が「凜」なんて、どちらかといえば凛々しい響きをしているというのに。

実際の私は、権力のある人間を見つければ尻尾を振る、姑息なコウモリ野郎だった。

 

「いやぁ、さすが先輩ですね!」

 

「勉強になります!」

 

「○○さんに任せておけば間違いないですよ!」

 

そんな言葉を何度口にした。

 

時には自分でも、

 

(……私、今ものすごく媚びてるな)

 

と思うことがあった。

それでも、やめられなかった。

 

なぜなら。

 

生き残るためには、仕方がないからだ。

世の中には、正論だけではどうにもならないことがある。

 

プライドを守って損をするくらいなら、頭を下げて得をしたほうがいい。

どれだけ屈辱的な気分になろうとも、相手に気に入ってもらえれば仕事がやりやすくなる。

少し評価が上がる。面倒な仕事を押し付けられにくくなる。困ったときに助けてもらえることもある。

 

もちろん、生き残るために他の努力もやったけど。

 

そうして私は、必要とあればいくらでも媚びを売った。

それが私なりの処世術だった。

 

……まさか。

 

その特技が、異世界で命を救うことになるとは。

 

このときの私は、知る由もなかった。

 

 

 

 

気がついたとき。

 

「うーん」

 

私は、空を見上げていた。

 

最初に思ったことは、

 

知らない天井だ……

 

――ではなかった。

 

というか、天井なんてなかった。

 

視界いっぱいに広がっているのは、満点の星空だった。

黒に近い夜空。そこに、無数の星が散らばっている。

 

都会ではまず見ることのできない、圧倒的な数だった。

 

あまりに綺麗で。

あまりに現実味がなくて。

 

私はしばらく、ぼんやりとその光景を眺めていた。

 

「…………?」

 

しかし。やがて、違和感に気づく。

寒い。地面が硬い。

 

そして身体がおかしい。

私はゆっくりと身体を起こした。

 

その瞬間。

 

「……ん?」

 

頭の左右に、妙な感覚が走った。

 

何かが動いた。

反射的に顔を上げる。

 

……何だ、今の。

 

もう一度身体を動かしてみる。

すると、また頭の上で何かがぴくりと動いた。

 

「…………」

 

恐る恐る、自分の頭へ手を伸ばす。

 

触れると、ふわりとした毛。そして、丸みを帯びた感触。

 

「…………?」

 

意味が分からない。

 

とりあえず周囲に意識を向ける。

 

聞こえてくるのは、風に揺らされた草木の音。

遠くから聞こえる、水のせせらぎ。

 

夜の森特有の、どこか湿った匂い。

 

そして。

 

鼻を動かす。

自分でも妙な行動だと思った。普段の私なら、こんな行動絶対にしない。

 

だが、妙に匂いが分かる。

 

新緑の匂い。土の匂い。水の匂い。

 

それから――。

 

幼い頃に動物園でしか嗅いだことのない、獣のような匂い。

 

「……何だ、これ」

 

自分でも不思議なくらい、感覚が鋭くなっている。

 

聞こえる音も匂いも。

以前とはまるで違う。

 

そして、頭と――ケツ。

この二箇所に、特に強い違和感があった。

 

私はゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。

そこには人っ子一人いない森が広がっていた。

 

うっとうしい程の木々、草花、岩山。見たこともない植物。

そして、遠くには月明かりを反射する湖。

 

……何だここ。

泥酔して、変なところに来たのか?

 

いや、そんな感じでもない。

そもそも、私は酒を飲んでいた記憶すらない。

 

それに。

 

「なんだ、あれ」

 

少し離れたところに生えている植物を見て、私は眉をひそめた。

 

紫色の葉。しかも、葉脈が妙に赤い。

その隣を、トカゲのような生き物が歩いている。

 

ただし。

 

私が知っているトカゲより、明らかにデカい。

そして目が三つある。なんか火を吐いている。

 

「……こわ」

 

見なかったことにしよう。

うん、きっと疲れているんだ。

 

私は頬を叩いた。

 

ぺちん。

 

「いたっ!」

 

夢ではない。

いや、待て。

 

もしかしたら、ものすごくリアルな夢なのかもしれない。

そんなことを考えながら、私はポケットを探った。

 

スマホとか財布とか鍵とか。

何かないか。

 

「…………ない」

 

そもそも。

 

ポケットがない。

 

「あれ?」

 

そこでようやく気づいた。

 

私は――。

自分の身体を見下ろす。

 

「えっ、私、全裸なんですけど」

 

夜の森に一人で、全裸。そして。

 

「うわっ、腕細!」

 

思わず声が出た。

その声が、夜の森に響く。

 

「……え?」

 

再び違和感を覚える。

 

今の声。誰の声だ?

私は慌てて自分の喉に手を当てた。

 

「え、えーと」

 

「声もかわいくなってる!なんで!!」

 

完全に女の子の声だった。しかも、かなり幼い。どういうことだ。

 

私は三十歳の男だったはずだ。

腕だって、もっと太かった。腕毛も普通に生えていた。

 

仕事で疲れた身体には、それなりに大人の男らしい筋肉も。いや、そこまで筋肉質ではなかったが、とにかくこんな腕ではなかった。

 

今の腕は。細く白く小さい。

そして、恐ろしく非力そうだ。すぐに折れそうな見た目である。

 

「うぅ、なんでぇ。夢なら早く覚めろよぉ・・・」

 

私は頭を抱えた。

その拍子に、また頭の上にある何かへ触れる。

 

ふわっ。

 

なんか、毛がある。

明らかに耳だ。

 

私はゆっくりと頭の左右を触った。

そこには、毛に覆われた大きな耳があった。

 

恐る恐る指で押してみる。

 

ぴくっ。

 

耳が動いた。

 

「ひっ」

 

思わず手を離す。

しかし、耳はその後も私の意思に合わせてぴくぴくと動いている。

 

今度は、自分の元々の耳がある場所に触れてみる。

髪の毛がある。その下を探る。

 

…どうやら、何もない。

 

どういうことだ。

 

頭の横についていたはずの耳がない。

代わりに、頭の上に獣の耳がある。

 

そして。

 

さっきからケツに感じていた違和感。

私は恐る恐る、背中側へ手を伸ばした。

 

ふわっ。

 

柔らかな毛。

触った瞬間、それが意思に反応するように揺れた。

 

「もしかして尻尾?」

 

もう一度触る。

 

ふさふさしている。たぶん間違いない。

 

「なんだこれは」

 

私は呆然と呟いた。現実感がない。

 

何かのドッキリなのか。

新手のVRゲームなのか。

 

それとも――。

 

「…悪い夢なら、早く覚めてくれよぉ」

 

しかし、何度頬をつねっても。

何度目を閉じても。目の前の森は消えてくれなかった。

 

と、とにかく、自分の姿を確認しよう。

近くにきれいな湖がある。

 

月明かりもあるし、水面に映せば姿くらいは確認できるだろう。

私は小走りでそちらへ向かった。

 

「うわっ」

 

身体がものすごく軽い。アラサーとは思えない軽さだ。

 

だが。

 

「なんだか歩きにくい」

 

一歩が小さい。足の長さが違う。身体の重心も違う。

 

おまけに、尻尾が勝手に揺れるせいで微妙にバランスが取りづらい。

転ばないよう慎重に歩いていると、ほんの少ししか離れていないはずの水辺まで、やたらと時間がかかった。

 

そして。

 

ようやく湖面へ顔を近づける。

そこに映っていたのは――。

 

知らない少女だった。年齢はおそらく五歳くらい。

 

小さな身体、白い肌。顎ぐらいの高さまで伸びた、ちょっとボサボサな黒髪。

 

そして。

 

頭から生えた、オオカミのような大きな耳。

 

私は右手を頬へ当てた。

 

水面の少女も、同じように頬へ手を当てる。

 

試しに口角を持ち上げてみる。

 

少女も笑った。

 

鋭い犬歯が覗く。

間違いない。この少女が私だ。

 

「…………」

 

しばらく無言で水面を見つめる。

 

そして。

 

「どうせなら、ハーレム系の男主人公にしてくれよぉ!!」

 

夜の森に、少女の悲痛な叫びが響き渡った。あと、いつのまにか息子と今生の別れをしていた。

 

 

 

 

 

そこから数日はまさに苦難の連続だった。

 

まず第一に、私はサバイバルなんてしたことがない。

現代日本で三十年生きてきた男に、森の中で生き抜く知識なんてあるわけがない。

 

水がなければ死ぬ。これだけは分かる。

 

だから、とりあえず水の確保だ。と言っても、目覚めた場所の近くに湖があったのだが。

水質に関しては何一つ分からなかったが、背に腹は代えられない。

 

恐る恐る口をつける。

 

「あっ、これは普通に水だわ」

 

普通に飲めた。多分腹痛も起きない。まぁすぐにはお腹壊すことはないか。

とりあえず、この世界の水は人間にも飲めるらしい。

 

そして、その日のうちに、先客のいなさそうな洞穴を見つけることができた。

 

屋根がある。雨風をしのげる。何より、外から丸見えではない。

 

「よし。ここを拠点にしよう」

 

だが夜になって、問題が発生した。

 

「め、めっちゃ寒い」

 

火が欲しい。非常に欲しい。

 

私は洞穴の入り口の近くから、湿っていない落ち枝をかき集めた。

そして、火をつけようとする。

 

「あれ?火ってどうやってつけんの?」

 

無理だった。

 

当然だ、ライターなんて持っていない。

マッチもない。火打ち石なんて、あるはずもない。

 

そこで私は、ふと思った。ここが異世界だと仮定するなら。

 

魔法、あるのでは?

 

「ファイヤ!」

 

何も起きない。

 

「メラ!」

 

ミス!何も起きない。

 

「エクスプロージョン!」

 

洞穴の中に、幼い女の子の声だけが響く。

 

むなしい。

 

ならばこっちだ。

異世界系なら多分定番のやつ。

 

「ステータスオープン!」

 

また、何も起きない。

 

むなしい。非常にむなしい。

 

そんなことを繰り返しているうちに、私は自分の内側へ意識を向けてみた。

 

すると。

 

「……ん?」

 

身体の奥に、何かがある。

 

上手く説明できない。

魔力、とでも言うのだろうか。

 

意識を集中させると

 

ぽうっ。

 

小さな光の球が、私の手のひらに浮かんだ。

 

できた、魔法だ。

本当に魔法があった!

 

「おお……!」

 

感動する。異世界に来て、初めて異世界らしい現象を見た。

 

だが。

 

「え?これなに?」

 

あまりにも小さい。

手のひらに浮かんだ光は、せいぜい豆電球程度。

 

「魔法的なやつ、これだけ?」

 

光源としては役に立つだろう。

 

でも。

 

「……しょぼ」

 

思わず呟いた。

 

しかもこの魔法を使うと、自分の中から何かが抜けていくような感覚がある。

それと同時に

 

「なんか、だる」

 

全身に倦怠感が押し寄せた。

どうやら無限に使えるわけでもないらしい。

 

「もう、いいや……」

 

結局その日は、火を起こすことすらできなかった。

私は諦めて、洞穴の地面に身体を丸める。

 

石は硬い。土は冷たい。枕も布団もない。

三十年間、文明の恩恵を受けて暮らしてきた私には、あまりにも過酷だった。

 

「家、帰りたい」

 

誰も答えてくれない。

風の音だけが、洞穴の外から聞こえてくる。

 

少し冷たくなった尻尾を股の間に通し、抱き寄せるようにして、眠りについた。

 

 

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