BLEACHの世界に転生したけど何故かステータス画面があるんだが 作:最強主人公2
視界のすべてが、白に塗り潰されていた。
空も、地面も、遠近もない。どこまでも続く白い世界には、風の音すら存在しなかった。
神代朔は、兵主部一兵衛の腕の中で身を縮めていた。つい先ほどまで見えていた流魂街の景色は、もうどこにもない。両親を失ったばかりの朔にとって、ようやく知った場所から引き離されることは、あまりにも突然で、あまりにも恐ろしい出来事だった。
「……かえ、る」
小さな声が、白い空間に落ちる。
一兵衛は答えなかった。
「おうち……かえるの」
「……」
「おとう、さん……おかあ、さん……」
呼んでも、返事はない。
分かっていた。もう二人が返事をしてくれることはない。あの日から、どれだけ呼んでも、どれだけ待っても、二人は帰ってこなかった。
それでも、今は呼ばずにはいられなかった。
朔は一兵衛の衣を握り締め、しゃくり上げながら顔を伏せた。幼い身体には、この世界の異様さを理解するだけの知識も、抵抗するだけの力もない。
ただ、自分の居場所がまた失われたことだけは、はっきりと分かっていた。
「……すまぬな」
頭上から、低い声が降ってきた。
一兵衛は朔を抱く腕にわずかに力を込める。大きな掌は幼子の背中を覆い隠し、その小さな身体を落とさぬよう支えていた。
「なぜ連れていかれるのかも、なぜ帰れぬのかも、今のおぬしには分からぬじゃろうな」
「や……」
「恨んでも構わぬ。泣いても構わぬ。じゃが、連れていくことだけは変わらぬ」
「いやぁ……っ!」
朔が一兵衛の胸を押した。力などほとんど入っていない。押された一兵衛は身じろぎひとつせず、ただ静かに前を見据えていた。
朔を憐れんでいないわけではない。むしろ、その小さな手が必死に自分を押し返そうとするたび、胸の奥に何かが引っ掛かる。
それでも、一兵衛は足を止めなかった。
白い世界の彼方に、何かがある。
やがて、朔の視界の奥に淡い影が浮かび上がった。
最初は、遠くに立つ一本の柱のように見えた。しかし、近づくにつれて、その認識が誤りであることが分かる。
柱ではない。
巨大な門だった。
その先には、雲海を見下ろすように広がる天上の都市があった。白い石造りの建物が幾重にも連なり、空中に浮かぶ街並みが果てしなく続いている。高くそびえる塔の向こうには、巨大な宮殿の輪郭がかすかに見えた。
その光景を目にした瞬間、朔の涙がぴたりと止まった。
見覚えがあった。
いや、正確には、見たことがあるはずの光景だった。
前世で何度も読んだ漫画。死神たちが命懸けで護り、限られた者だけが足を踏み入れることを許された場所。
霊王宮。
そして、その中心にある霊王大内裏。
朔の頭の中で、前世の記憶が次々と蘇る。
零番隊。王鍵。七十二層の障壁。そして、世界の均衡を保つために存在する霊王。
知っている。
ここがどんな場所なのか、朔は知っていた。
だからこそ、理解できなかった。
なぜ自分が、こんな場所に連れてこられなければならないのか。
霊王宮は、ただ強い死神が住んでいるだけの場所ではない。尸魂界のさらに上に位置する、世界の根幹に関わる領域だ。そこにいる零番隊は、護廷十三隊とは比較にならないほど特別な存在である。
そして、霊王は――。
朔は、その先を考えるのをやめた。
今は、それどころではない。
「……おっきい」
ようやく口から出たのは、そんな幼い言葉だった。
「ほう。ようやく周りを見る余裕ができたか」
一兵衛は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「ここが、おぬしの新しい居場所になる」
「……やだ」
「うむ。そうじゃろうな」
あっさりと返された言葉に、朔は困惑したように瞬きをした。
怒られると思っていた。泣くなと叱られるか、黙れと命じられるか。少なくとも、自分の嫌だという気持ちを、そのまま受け止めてもらえるとは思っていなかった。
しかし、一兵衛はそれ以上何も言わなかった。
二人が門へ近づくにつれ、朔は周囲の異変に気づき始めた。
空気が違う。
息を吸い込むたび、肌の表面を細かな何かが撫でていく。目には見えないのに、世界そのものが光の粒で満たされているような、不思議な感覚だった。
霊子。
尸魂界を構成する霊的な粒子が、下界とは比較にならないほど高い密度で満ちているのだ。
原作でも、霊王宮の環境が通常の尸魂界とは大きく異なることは描かれていた。強大な霊子の密度は、訪れる者にとって障害にもなれば、さらなる成長の糧にもなる。
だが、知識として知っていることと、実際にその場所に立つことはまるで違った。
朔には、その濃密な霊子を自在に扱う力などない。身体の奥がざわつき、肌にまとわりつくような感覚に戸惑うばかりだった。
それでも、恐怖の中に、奇妙な感覚が混じっていた。
ほんの一瞬だけ、胸の奥が懐かしさにも似た何かに揺れたのだ。
朔は小さな手で胸元を押さえた。
――何だ、今の。
考えても答えは出ない。
霊王宮については知っている。霊王についても、零番隊についても、原作を読んだ記憶がある。
だが、自分がここへ連れてこられた理由だけは、どこにも書かれていなかった。
そもそも、原作に神代朔という人物はいない。
自分がこの世界に転生した時点で、すでに物語は原作とは異なる道を進み始めているのかもしれない。
そう考えると、背筋に冷たいものが走った。
朔の知識は、あくまで前世で読んだ物語のものだ。今、自分の目の前で起きている出来事まで、すべて予測できるわけではない。
そして、一兵衛は何も説明してくれない。
朔は彼の顔を見上げた。
「……なんで?」
「何がじゃ?」
「……ぼく、なんで……ここ?」
一兵衛は、しばらく朔を見つめた。
その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
「今は知らずともよい」
「……やだ」
「それはもう聞いたわい」
軽い調子で返されたが、朔には笑う余裕などなかった。
一兵衛は門の前で立ち止まった。
巨大な門は、二人の接近を待っていたかのように、音もなく開いていく。
その向こうに広がるのは、天上の町。
そして、さらに奥には、霊王が安置されている霊王大内裏が存在していた。
霊王宮は、下界から隔絶された絶対聖域である。幾重にも張り巡らされた障壁に守られ、通常の方法では侵入することすらできない。
その領域に足を踏み入れる資格を持つのは、限られた者だけだった。
一兵衛は迷いなく門をくぐった。
朔は、その腕の中で小さく身じろぎした。
「……ここ、れいおうきゅう?」
「そうじゃ」
「……ほんとに?」
「わしが嘘をついてどうする」
朔は再び、遠くにそびえる宮殿を見つめた。
あの場所に、霊王がいる。
原作で知っている霊王は、世界を支えるために封じられた存在だった。世界の始まりに関わり、五大貴族の始祖たちによって身体を奪われ、三界を繋ぎ止める楔にされた存在。
朔は、その事実を知っていた。
だからこそ、胸の奥に嫌な予感が広がっていく。
霊王宮へ連れてこられたことが、単なる保護であるはずがない。
少なくとも、護廷十三隊の隊長たちを前にしても一歩も引かなかった兵主部一兵衛が、わざわざ自ら流魂街まで出向き、幼い子供を強引に連れ去ったのだ。
そこには、何らかの理由がある。
だが、その理由が分からない。
霊王が自分を呼んだのか。それとも、一兵衛が独自の判断で連れてきたのか。
どちらにしても、朔には選択肢がなかった。
そのとき、門の奥から複数の気配が近づいてきた。
そのうちの一つは、ほかの気配とは明らかに異なっていた。静かで、重く、しかし圧迫するような威圧感はない。そこにあるだけで、周囲の空気そのものが従ってしまうような気配だった。
一兵衛は歩みを止めた。
「来たか」
短い言葉の直後、回廊の奥から一人の人物が姿を現した。
朔には、その顔がよく見えなかった。見ようとすればするほど、視線が自然と逸れてしまう。まるで、そこにいる人物を認識することそのものが、何かに阻まれているかのようだった。
一兵衛は、その人物を前にしても頭を下げなかった。
ただ、普段と変わらぬ調子で口を開く。
「連れてきたぞ」
その人物は、一兵衛の言葉に答えることなく、腕の中にいる朔へ視線を向けた。
幼い身体。
小さな手。
泣き腫らした目。
どこにでもいる、流魂街の子供にしか見えない。
それでも、その視線は朔から離れなかった。
まるで、長い時間をかけて、ようやく探し当てたものを確かめるように。
そして、声が響いた。
「その子を、こちらへ」
一兵衛の目が、わずかに細くなる。
「……分かっておる」
その声音には、普段の飄々とした響きがなかった。
朔は一兵衛の胸元に顔を埋めた。
「……やだ」
小さな手が、衣を握り締める。
「やだ……いかない……」
一兵衛は朔を見下ろした。
先ほどから何度も聞いた言葉だった。
そのたびに、彼は足を止めなかった。
今回も、同じはずだった。
だが、一兵衛はすぐには動かなかった。
腕の中の子供は、自分がどこへ連れてこられたのかも分かっていない。両親を失い、帰る場所を失い、今度は見知らぬ天上の世界へ連れてこられた。
その小さな心に、これ以上何を背負わせるというのか。
そんな考えが、一瞬だけ脳裏をよぎる。
しかし、彼はそれを振り払った。
「……すまぬな、朔」
静かに告げる。
「今は、ここに来てもらうしかない」
朔は首を横に振った。
「おとうさん……おかあさん……」
その言葉を聞いたとき、目の前の人物がわずかに目を伏せた。
だが、何も言わなかった。
一兵衛は朔を抱き直し、回廊の奥へと歩き始める。
その先には、霊王大内裏がそびえていた。
巨大な宮殿の中心には、水晶に囲まれた空間がある。
その中に安置されているのは、世界の崩壊を防ぐ楔。
かつて世界に秩序をもたらしながら、今では自らの意思を外へ伝えることすら許されない存在。
霊王。
朔は、その存在について知っていた。
だが、原作で描かれた霊王と、今ここにいる霊王が、朔に対して何を考えているのかは分からない。
その霊王が、なぜ自分を呼び寄せたのか。
何を望んでいるのか。
そして、自分の前世に何が隠されているのか。
答えは、どこにもなかった。
ただ、一兵衛の衣を握り締めたまま、朔は霊王大内裏を見つめていた。
そのとき、朔の視界の端に、見慣れた表示が浮かびかけた。
いつものステータス画面とは違う。
数値も、項目も、そこにはなかった。
――観測対象、到着を確認。
朔は瞬きをした。
「……?」
次の瞬間、文字は跡形もなく消えた。
何が起きたのか分からない。
朔は一兵衛の顔を見上げたが、彼は何も気づいていないようだった。
あるいは、気づいていても、何も言わなかっただけなのかもしれない。
回廊の先で、霊王大内裏の扉がゆっくりと開いていく。
その奥から、白い光が溢れ出した。
朔は、知らず知らずのうちに息を止めていた。
その光の向こうにいる存在を、朔は知っている。
世界の均衡を保つ楔。
尸魂界の頂点に据えられた、動くことも語ることも許されない王。
そして、朔が知る原作の物語では、決して自分と交わるはずのなかった存在。
その霊王が、今、自分を待っている。
――今度こそ、間違えるわけにはいかない。
扉の向こうには、静寂が満ちていた。
兵主部一兵衛の足音だけが、広大な空間に淡く響いている。白い柱が幾本も天へ伸び、壁面には複雑な紋様が刻まれていた。天井は遥か高く、そこから降り注ぐ光が床を白く染め上げている。
神代朔は、一兵衛の腕の中で身を固くした。
ここが霊王大内裏。
そして、この先にいるのは霊王だ。
漫画で読んだ光景が、次々と頭の中に蘇る。霊王を収めた水晶。世界を支える楔としての役割。五大貴族の始祖たちによって封じられた、かつての超越者。
知識はある。
けれど、その知識が今の状況を理解させてくれるわけではなかった。
なぜ自分がここにいるのか。なぜ零番隊の長である兵主部一兵衛が、自ら流魂街まで迎えに来たのか。どうして霊王宮の奥へ通されているのか。
何ひとつ分からない。
「……こわい」
朔の口から、かすれた声が漏れた。
「そうか」
一兵衛は短く答えた。
慰めるような言葉はなかった。だが、朔を抱く腕がわずかに動き、小さな身体を支え直す。
その何気ない仕草に、朔は衣を握る手へ力を込めた。
やがて、広間の中央に据えられた巨大な水晶が見えてきた。
朔の呼吸が止まった。
水晶の中に、一人の男が浮かんでいる。
白い衣。閉ざされた瞳。人の形を保ちながら、人間とは明らかに異なる存在感。身体の一部を失い、幾重もの拘束によって封じられた姿は、あまりにも静かだった。
霊王。
原作で見た姿と、ほとんど変わらない。
けれど、漫画の紙面越しに眺めていたときとは違う。目の前にいるその存在は、作り物でも、絵でもない。
この世界を支えている、本物の霊王だった。
朔は震える指を伸ばしかけ、すぐに引っ込めた。
――本当に、いるんだ。
当然のことを、今さら実感する。
自分はBLEACHの世界に転生した。死神が存在し、虚が人を襲い、斬魄刀が魂を斬る世界。頭では理解していたつもりだった。
それでも、霊王を目の前にすると、今までの認識がひっくり返る。
ここは、自分が知っている物語の中であると同時に、誰かが生きている現実なのだ。
そして、その現実の中で、自分は両親を失った。
「……おとうさん」
小さく呟いた声は、広間の静寂に吸い込まれていった。
「……おかあさん」
返事はない。
もう、二人はいない。
分かっているのに、胸の奥が痛かった。
朔は俯き、再び一兵衛の衣を握り締めた。
そのときだった。
――ぴくり。
水晶の中の霊王の指先が、ごくわずかに動いたように見えた。
朔は顔を上げた。
「……え?」
見間違いだろうか。
霊王は、原作では自ら動くことも、言葉を発することもない存在として描かれていた。封印された身体は、三界を繋ぎ止める楔として機能している。
しかし、朔が見つめる先で、確かに何かが変わった。
空気が揺れる。
音もなく、霊子が流れを変えていく。広間に満ちていた白い光が、ほんの一瞬だけ、朔のいる場所へ向かって収束した。
一兵衛の表情が変わった。
ほんのわずかな変化だった。目を細め、霊王を見上げる。その視線には驚きよりも、確認するような慎重さがあった。
「……なるほどのう」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「やはり、そういうことか」
朔は一兵衛を見上げた。
「……なに?」
「おぬしには、まだ分からんでよい」
「また……それ」
「今すべてを知ったところで、理解できぬこともある」
一兵衛は霊王へ視線を戻した。
「それに、知ればよいというものでもない」
朔は頬を膨らませた。怒っているのか、困っているのか、自分でもよく分からなかった。ただ、何も教えてもらえないことが不満だった。
だが、その不満を口にするより早く、霊王の水晶から淡い光が広がった。
今度は、見間違いではなかった。
光は広間の床を滑り、柱を伝い、やがて朔の足元にまで届いた。触れられたわけでもないのに、身体の奥が微かに熱を帯びる。
同時に、朔の視界へ半透明の画面が現れた。
いつものステータス画面ではない。
見慣れた数値も、能力値も表示されていなかった。
そこに浮かんだのは、短い一文だけだった。
【特殊条件を満たしました】
朔は目を見開いた。
次いで、画面の下に新たな文字が浮かび上がる。
――未確認領域との接続を検出。
未確認領域。
そんな項目は、今まで一度も見たことがない。
朔が戸惑っている間にも、文字はゆっくりと変化していく。
【システムが対象を再認識します】
「……なに、これ」
思わず声が漏れた。
一兵衛が朔へ目を向ける。
「どうした?」
「……あの、もじ……」
「文字じゃと?」
朔は自分の目の前を指差した。
だが、一兵衛は何もない空間を見つめるだけだった。
彼には見えていない。
この画面は、自分にしか見えないのだ。
その事実を改めて突きつけられ、朔の胸に不安が広がった。
画面の文字が、最後の一文へと変わる。
【再認識――完了】
直後、視界が白く染まった。
朔は反射的に目を閉じた。
身体の奥で、何かが静かに噛み合うような感覚がした。痛みはない。ただ、今まで自分の中に存在していた何かが、別の形へと組み替えられたような、不思議な感覚だった。
数秒後、光が消えた。
朔は恐る恐る目を開けた。
霊王は、変わらず水晶の中に浮かんでいる。
広間も、柱も、床も、何ひとつ変わっていない。
ただ、視界の隅に、新しい表示が一つだけ残っていた。
【未確認領域:観測中】
朔は、その文字をじっと見つめた。
意味は分からない。
けれど、今までのシステムとは違う何かが起きた。それだけは確かだった。
「……ぼく、へん?」
一兵衛は、しばらく朔を見つめた。
「いや」
短い返答だった。
「おぬしは、おぬしじゃ」
朔には、その言葉の意味がよく分からなかった。
それでも、一兵衛の声には、先ほどまでとは異なる響きがあった。
確信と、警戒。
そして、ごく僅かな安堵。
一兵衛は霊王を見上げた。
「これでよいのか、霊王よ」
返事はない。
水晶の中の王は、静かに目を閉じたままだった。
だが、一兵衛はその沈黙を受け止めるように、ゆっくりと息を吐いた。
「……分かった。後はわしが預かる」
その言葉を最後に、広間は再び静寂に包まれた。
朔は霊王を見つめ続けた。
原作の知識だけでは説明できないことが、次々と起きている。
それでも、今の朔にできることは何もなかった。
自分はまだ幼く、霊圧の扱いすら満足にできない。両親を守ることもできず、兵主部一兵衛に連れられるまま、霊王宮へやってきた。
だが、ひとつだけ決めたことがある。
もう、何も分からないまま流されるのは嫌だった。
いつか自分の力で、この世界のことを知る。
なぜ両親は死ななければならなかったのか。なぜ自分はここへ連れてこられたのか。そして、このシステムは何なのか。
すべてを知るまでは、絶対に諦めない。
朔は小さな手を握り締めた。
その決意を知ってか知らずか、一兵衛は踵を返した。
「行くぞ、朔」
「……どこ?」
「ひとまず、おぬしが暮らす場所じゃ」
暮らす場所。
その言葉に、朔の胸が小さく痛んだ。
もう、帰る家はない。
父も、母もいない。
それでも、ここで生きていかなければならない。
朔は霊王を振り返った。
水晶の中の王は、やはり動かなかった。
けれど、ほんの一瞬。
その閉ざされた瞼の奥から、誰かに見つめられたような感覚がした。
朔は足を止めた。
「……?」
「どうした、朔」
「……なんでも、ない」
小さく首を振り、朔は一兵衛の腕の中で身体を丸めた。
広間を出る直前、視界の隅に残っていた文字が、音もなく消えた。
その代わりに、誰にも見えない場所で、ひとつの記録が静かに更新されていた。
――観測を継続。
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