旋風のパトリシア 転生先の乙女ゲーム世界は戦争中です。 作:冬野晴(旧雪野春)
聖帝国家。
ベアティチュード帝国を中心とした5つの国が同盟を結んでできた複合国家。
この国家の覇権を握っているのは先々帝、先帝である祖父と父を亡くした幼い皇太子である。
しかし10歳の子供に政務ができるはずもない。そのため皇太子が18歳になるまでは先帝の皇弟である皇太子の叔父が摂政として政治を執り行っている。
パトリシア=シュヴァリエ=ド=セルマンは代々帝国に仕える騎士の家系に生まれた14歳の娘である。彼女は父であるオーギュスト=シュヴァリエ=ド=セルマンに連れられて皇太子を教会から宮殿まで送り届ける任務に就いていた。
その道中で皇太子の命を狙おうとした刺客が現れる。パトリシアは皇太子の肉盾となり多くの血を流して倒れた。刺客はその場でオーギュストにより斬首され、皇太子の命を狙った者の正体を探るため調査が行われたが何も分からなかった。
パトリシアは意識不明の重体となり帝都の治療院のベッドの上で1年間眠り続けている。オーギュストは帝都に留まり愛する娘の快癒を願って毎日祈り続け、皇太子は毎日見舞いの花と金銭を送り続けた。
「聖帝国家物語」
それは老舗の乙女ゲームメーカーであるユメゴコロが開発と運営をしているソーシャル乙女ゲームである。
舞台は中世ヨーロッパと近世ヨーロッパの間の時代。
女性ながら騎士として育てられたパトリシアという主人公(名前は任意で変更可)が自分の力の限界を感じて15歳で騎士を引退し王侯貴族や武人の男性達と様々な恋の駆け引きを繰り広げるゲームである。
「私」はユメゴコロの長年のファンであり、タイトルが発表された時点で毎日このゲームの情報をチェックして事前登録した。毎日ログインをし続けコンテンツを支えようとグッズやガチャに少しお金を出してこのゲームを楽しんでいた。
そしてこのゲームのサービスが開始して5年経った日に、事前登録者様への特別プレゼントというメールが私のアカウントに届いた。
上機嫌にそのメールを開いた瞬間に私の部屋は白い光に包み込まれた。
「私」は驚いて目を瞑った。
次に「私」が目を覚ました時、最初に目に飛び込んできたのはオレンジの髪に緑の瞳と白い肌を持つ整った顔の西洋人の男性だった。
男性は私の顔を見て呆然として、次に両目から涙を流し始めた。
「パトリシアっ、パトリシア!やっと目覚めてくれた!ああ神よ、私は貴方に感謝します!」
男性は「私」の体を強く抱きしめて泣き続けた。いつのまにか「私」に着せられている服に熱い涙が零れ落ちて染み込んでいく。
「離してください!」
「私」はできるだけ大きい声で叫んだ。
「すまないパトリシア。」
男性は私の体からそっと離れる。「私」は周囲を見渡して自分がどのような状況に置かれているのか確認した。
「私」が今居る場所は木製の部屋のベッドの上であり、着用している服はブラウスとスカートではなく上下一体のフリルのついた寝巻である。
そして目の前の男性は「私」をパトリシアという名前で呼ぶオレンジの髪に緑の瞳と白い肌を持つ整った顔の西洋人。
パトリシアという名前は「聖帝国家物語」の主人公のデフォルトネーム。
まさか、と思った。
「私」は部屋の隅にある鏡を見つけ自分の顔を向ける。
オレンジの髪に緑の瞳と白い肌を持つ整った顔の西洋人の少女の顔。
その顔は間違いなく「聖帝国家物語」の主人公の顔だった。
私はゲームの世界に転生してしまったのだ。
「医者を呼んでくる。少し待っていてくれ。」
オレンジの髪に緑の瞳と白い肌を持つ整った顔の西洋人の男性───おそらく父親であるオーギュストは部屋を後にした。
「私」は頭の中で考える。乙女ゲーム転生ものといえば主人公を邪魔する悪役令嬢に転生して(尚そんな令嬢が実際の乙女ゲームに登場する事は滅多にない)自身に待ち受けている破滅的な結末を回避する為に奮闘していくのがお約束のはずだ。
乙女ゲームの主人公に転生した場合はどうすればいいのだろうか?今更言っても仕方が無いがこんな事になるならもう少し読書の幅を広げておけばよかった。
しかしよくよく考えると「聖帝国家物語」のテーマは甘々溺愛ハッピーエンド。
例え途中で悲惨な展開を迎えるとしてもその先には必ず幸福な未来が待っている。
わざわざ苦労してバッドエンドルートを回避する必要などあるのだろうか?
「これからどうしよう。」
「私」はベッドの隣にある机に置かれている綺麗な花を見つめながら呟く。
女医によるいくつかの検査と質問を受けた後に異常なしと診断され、退院してオーギュストと共にセルマン領に行く事になった。
セルマン領は主人公の故郷であり物語の最初の舞台となる場所だ。この土地で騎士を辞める決断をして婿探しの旅に出るという物語が始まる。
既定路線のハッピーエンドを掴むためならこのタイミングで騎士を辞めるべきなのだろう。
その先には様々なイケメンとの心ときめく恋が確実に待っている。
辞めない理由が無い。
「パトリシアが自分の命を懸けて皇太子の盾になった時はその忠誠心に感動した!あの姿はまさに騎士道を体現していた!」
セルマン領の城内にある広間で椅子に座り向かい合うパトリシアとオーギュスト。
オーギュストは興奮気味に声を張り上げながら自分の娘を誇らしげに語る。
その姿にパトリシアほか城内の使用人たちは若干引いていた。
自分の娘の自慢が1時間ほど続いたところでオーギュストは真剣な面持ちで口を開く。
「今まで私は女性の身では誇り高い騎士の役目は十分に果たせないと思い込み侮ってしまっていた。しかしそれは間違いだった。忠誠心に性別など関係ない。たとえ脆弱な者であるとしても自らに与えられた使命を全うする姿は美しく尊いものなんだ。
パトリシア、君はこれからも騎士として戦い、王に剣と心を捧げなさい。」
「え?」
パトリシアは首を傾げる
「父上。私は子供の頃から一流の騎士になるのが夢でした。しかしどれだけ夢に焦がれて努力を積み重ねてもどうしても超えられない壁が女にはあるのです。最近は体力の限界を感じております。そんな私が騎士を続ける意味はあるのでしょうか?」
「君が騎士を続ける意味があるのかどうかは私にも分からない!ただ私は君がこれから先どのように成長していくのか見届けていきたいんだ!」
「でも、私には自信がありません。」
「ならば立派に鍛えて君を一人前にしてみせる!」
オーギュストの目は情熱に燃えている。
おかしい。この乙女ゲームのシナリオにこんな展開はない。
これから「私」はどうなってしまうのだろうか。
それから「私」ことパトリシアはオーギュスト直属の部下である騎士達に混じって剣の打ち込みや体力作りに精を出す日々を送った。こんなに体を動かしたのは運動部だった学生時代以来で、「私」はへとへとになりながらも必死に食らいつくのだった。