旋風のパトリシア 転生先の乙女ゲーム世界は戦争中です。 作:冬野晴(旧雪野春)
「お父様、お母様、私は立派な騎士になりたいの!」
天蓋のベッドが置いてある部屋の中で幼い少女がキラキラとした瞳を両親に向けて自分の夢について語る。
少女の母親は膝を地面について目線を同じ高さにして口を開く。
「パトリシア、貴女は女の子よ。多くの女の子にとって一番の幸せは高貴な身分の素敵な人と結婚して穏やかな家庭を作る事なの。どうして貴女は騎士になろうと思っているの?」
幼い少女は手に持っているベアティチュード帝国建国記という分厚い本を開き盗賊の魔の手から市民を守るために戦う騎士の挿絵があるページを見せた。
その騎士の名前は鉄剣騎士ユーグリットという。
「私」は騎士が訓練のために滞在する宿舎の2階の4人部屋にある固いベッドの上で目を覚ます。汗ばんで濡れている肌着に朝の冷気が当たりやや不愉快な涼しさが体の中をつき抜ける。少し頭痛がする頭を押さえながら起き上がって周囲を見渡すと、ある者は大きないびきをかき、またある者は穏やかな寝息を立て、またある者は寝言を言いながら眠っている様子を確認する事ができた。
ここ最近はパトリシアの過去についての記憶が流れんでくるような夢を見る事が増えた。ゲームで明かされる主人公の過去は紹介文で済まされる程度であり、5歳にして騎士になる夢を志し、10歳にして騎士見習い、13歳にして仮の騎士になり今に至る彼女の人生の道のりはメインシナリオやイベントシナリオで具体的な提示をされた事は一度もない。「私」は布団を被り朝礼の喇叭の音が聞こえてくる時間まで再び眠りに就く事にした。
5時に喇叭の音が鳴ると騎士たちは一斉に起きて部屋の隅にある着替え用の個室で宿舎を行き来する時に着る服に着替える。本日の洗濯担当、掃除担当の二人一組に分かれて朝の家事を始め、それが終わった後は宿舎の1階にある食堂へと向かう。
「私」のルームメイトは父であるオーギュストの亡くなった部下の息子であるアルベルト、豪商の5男であるケーニッヒ、農民の長男であるドミニクの3人。
アルベルトは艶のある黒い髪に澄んだ黒色の瞳と浅黒い肌とよく鍛えられた筋肉質な体つきの不愛想な少年で、パトリシアの幼馴染である。
ケーニッヒは輝く金髪と金の瞳、白い肌の美少年だが体つきは少し弛んでいて歩く速さは皆より少し遅い。
ドミニクは茶髪で茶色い瞳と白い肌を持つ細身の少年だ。この3人の中では比較的地味で平凡である。しかしこの世界で平凡と呼ばれている顔立ちは「私」から見ると十分イケメンに見える。
この世界は乙女ゲーム。当然物語に登場する人物は見目麗しい美男美女ばかりだ。
この3人は「聖帝国家物語」においてはガチャの最低レアに相当するキャラ達で、メインシナリオにもイベントシナリオにも滅多に登場しないモブ同然の扱いを受けていた。
しかしアルベールには編成するだけでチーム全員の防御を上げるスキル、ケーニッヒにはイベントアイテムのドロップを上げるスキル、ドミニクには戦闘で1回だけ味方にステルスを付与するスキルがあるためほとんどのプレイヤーがこの3人を育てている。どんなレアリティのキャラにも一芸を持たせるところが「聖帝国家物語」というゲームを好きになった理由の一つだ。
今日の朝食は牛のテールとトマトの冷製スープ、固めの丸いパン、蒸し鳥と蒸しブロッコリーのサラダ、豆とキャベツの酢漬け、ヤギのミルク、リンゴのタルトの6つ。
周りの騎士たちはがっついて美味しそうに食べているが、「私」は8割を食べたところで限界を迎えそうになっている。
先に朝食を完食していたケーニッヒが「私」に声をかける。
「パトリシア、苦しいのかい?僕が残りを食べてあげようか?」
「ケーニッヒ、お前まさか間接キスをしたいのか?破廉恥だな。」
「なんだと?アルベルト、僕は破廉恥なんかじゃない!僕はただパトリシアを助けたいと思っただけだ!それに食べるつもりなのは手をつけていないタルトだから間接キスにはならない!君はなんて失礼なやつなんだ!」
「そんなに食ってるからお前はいつまで経っても豚みたいなやつなんだよ。」
「なんだと?いつも僕の事を馬鹿にしやがって!」
いつものようにアルベルトとケーニッヒの口ケンカが始まった。
ドミニクは心配そうな顔をして「私」に話かける。
「パトリシア、残してもいいんだよ?残した分は家畜の飼料になるから無駄にはならないさ。」
「でも食べ残すとシェフの方に失礼だし、体がきちんと育たないからきちんと完食してみせるわ。」
「そうか。無理せず頑張ってね。」
「私」が苦しくても毎回食事をたいらげている本当の理由は、提供される食事がとても美味しいからである、ようするに「私」はただ単に食い意地が張っているだけなのだ。
「私」はヤギのミルクをおかわりしてリンゴのパイを食べきった。
食堂での食事が終わった後は7時までに宿舎の外に集合して担当教官の演説と1日のスケジュールを聴く事になっている。
アルベルト、ケーニッヒ、「私」、ドミニクの順番で縦一列に並び担当教官が来るまで姿勢を正して待機する。「私」の脳裏にはかつて運動部で朝から練習に打ち込んでいた学生時代の景色が浮かぶ。
担当教官が来た。灰色の髪に青の瞳を持ち片目に眼帯をした、顔に深い皺と傷が幾つも刻まれており、3つの勲章が左胸にある黒い軍服を着た壮年の男。
名前はヴィルヘルム=ブラーヴ=ド=フォルス。騎士階級の軍人である。「聖帝国家物語」においてはSRのキャラだ。いわゆるイケオジ枠である。
彼は教え子の騎士達の前に立ち、声を張り上げる。
「敬礼!」
彼の一声で騎士達は一斉に敬礼の姿勢を取る。
「聖帝国家騎士信条!騎士の本分とは王の盾になる事である!」
「騎士の本分とは王の盾になる事である!」
「王の治める土地や人民もまた王の体である!」
「王の治める土地や人民もまた王の体である!」
「誇り高い騎士の名に誓って命尽きるまで敵と戦え!さすればその魂は輝かしい天まで昇り名声は世の終わりまで続く!」
「誇り高い騎士の名に誓って命尽きるまで敵と戦え!さすればその魂は輝かしい天まで昇り名声は世の終わりまで続く!」
「では、これから演説を始める!」
ヴィルヘルム教官はいつものように演説を始めた。しかしその内容は3日前と同じである。ヴィルヘルム教官は最近は頻繁に同じ演説をする事が増えてきた。しかもこれが1時間以上続く。40歳にして頭脳の衰えが始まっているのだろうか?あくびが出そうになるが必死に唇を食いしばって耐える。
目の前にいるケーニッヒの体が左右にゆらゆらと揺れ始めた。これはまずい。嫌な予感がする。でも敬礼の姿勢を解く事はできない。「私」は緊張した面持ちでヴィルヘルム教官の顔を見つめる。
「ケーニッヒ!」
「はいっ!?」
ヴィルヘルム教官は大声を上げて怒鳴る。
「私の演説の最中に眠るとは良い度胸だな?貴様の心臓は鉄でできているのか?」
「違うであります!」
「ではお前が演説中に眠った理由はなんだ?寝不足で疲れが取れていないのか?」
「いいえ、教官の演説が長すぎて集中できなかったのであります!」
この発言はまずい。次の瞬間、私の嫌な予感は的中した。
「なるほどな。ではアルベルト、ケーニッヒ、パトリシア、ドミニク。貴様達は訓練に参加しなくていい。その代わり宿舎の外周を1日中走り続けろ。貴様達の今日の分の夕食は抜きだ。」
敬礼をしていた騎士たちは抑えきれない笑い声を漏らし始めた。
アルベルトはしかめっ面をして、ケーニッヒは青ざめ、「私」は真顔で硬直し、ドミニクは狼狽える。
今日はなんて最悪な日なんだろうか。