宮内省の通達によって「雷震」の国外持ち出しが厳禁され、陸軍の手が完全に封じられた直後、竜宮はすでに次なる盤上の一手を打っていた。
国内法で縛れないなら、国際法と外交の壁を利用する。
前世において多国籍部隊の調整を担い、各国の利害を手玉に取ってきた元「民大将」にとって、国境の隙間をすり抜けることなど児戯に等しかった。
竜宮が密かに設計データをやり取りしていた相手――それは、東プロイセン・ケーニヒスベルクのクリームヒルト・フォン・ヴィッテンフェルトであった。
二人の手によって産み落とされた新型タクティカルモジュール。 その名を――「シュツルムフォーゲル(嵐の鳥)」といった。
泰山航空工業の「嵐」シリーズ(嵐凰・嵐迫・嵐征)の血統をドイツ語で受け継ぐその機体は、基本骨格こそ雷震と完全に同一であった。
心臓部のターボディーゼル機関や油圧リンクの規格も共通化されており、部品の相互流用が効くという兵站上の合理性は寸分たりとも崩されていない。
だが、その外観――装甲の形状は、雷震とはまるで別物へと変貌を遂げていた。
雷震が纏っていた角張った無骨な多層ハニカム装甲に対し、シュツルムフォーゲルは余分な肉を極限まで削ぎ落とし垂直装甲が傾斜装甲に代わっていた。
敵の砲弾を力で受け止めるのではなく、角度によって滑らせて逸らす「避弾経始(ひだんけいし)」の思想を取り入れたシルエット。
それは、プロイセンの質実剛健な工学精神と、未来の装甲理論が融合した、極めて洗練された機能美を湛えていた。
そして、その装甲に施されたマーキングが、見る者を戦慄させた。
機体の右肩には、ドイツ軍の象徴たる漆黒と白緑の「バルケンクロイツ(黒十字)」。
対する左肩には、名門貴族の誇りを誇示する黒鷲の紋章――「東プロイセン王国」の格式あるエンブレムが、誇らしげに刻印されていた。
完成したシュツルムフォーゲルは、あろうことか白昼堂々、帝都の竜宮警備本社ビルの正面玄関前に、まるで警備兵の如く我が物顔で直立していた。
「……な、なんだあれは!?」
「ドイツの国籍標識をつけた巨人が、なぜ帝都のど真ん中にいるのだ!」
道行く市民は立ち止まり、憲兵隊や外務省の役人は泡を食って色めき立った。
だが、彼らがどれほど騒ぎ立てようと、手出しすることは絶対に不可能だった。
書類上、このシュツルムフォーゲルは「ドイツ帝国貴族ヴィッテンフェルト家が極東に所有する在外資産の警護機材」であり、日本国の兵器ではなく完全な「外資系財産」として登記されていたからである。
満州事変以降、国際連盟を脱退して孤立を深める日本政府にとって、伝統的な親日国であり、将来の接近が不可避とされるドイツの名門貴族に対して、無断で機材を差し押さえるような外交的摩擦など死んでも起こせなかった。
宮内省の不可侵の御旗を掲げる「雷震」。
そして、外国貴族の治外法権めいた盾に守られた「シュツルムフォーゲル」。
法的な二重三重の結界を張り巡らせた竜宮は、帝都の騒然とした視線を尻目に、そのシュツルムフォーゲルを大型貨物列車へと積み込ませ、堂々と北の大地・北海道へと送り出していった。
国内法の盲点を突き、国際法の網の目を潜り抜け、北海の大要塞へと集結していく鋼鉄の軍勢。
狂気の時代を前にして、竜宮の築き上げる「私設防衛圏」は、何者にも不可侵の聖域としてその牙をますます鋭く研ぎ澄ましていた。
◇◇◇
西暦一九三四年――『照和』九年の春。
東京湾からの潮風が吹き抜ける泰山航空工業の臨海滑走路に、空気を切り裂く鋭利な過給器の吸気音が響き渡った。
上空から滑り込むようにアプローチしてきたその機影に、誘導にあたっていた竜宮警備の隊員たちが一斉にざわめく。
複葉機がまだ空の過半を占めるこの時代にあって、それは異形の美学を極めた単葉機であった。
主翼は猛禽類が獲物に襲いかかる瞬間のように折れ曲がった「逆ガル翼」。
頑強なスパッツに覆われた固定脚。
そして何より、両翼の下には航空機が空中で撃つことなど到底考えられない巨大な長砲身――三十七ミリ機関砲のガンポッドが、まるで悪魔の角のように突き出していた。
機体側面に描かれた漆黒のバルケンクロイツ。
タイヤが白煙を上げて滑走路を捉え、滑走を終えてエプロンへと誘導されてきたその機体――かつてクリームヒルトがスケッチで返礼してきた、あの『カノーネンフォーゲル』そのものであった。
エンジンが停止し、金属の軋みとともにキャノピーが開かれる。 タラップも使わず、身軽な跳躍で翼から滑走路へと飛び降りてきたのは、一組の男女であった。
操縦席から降り立ったのは、春の陽光を浴びて黄金の如く輝くプラチナブロンドの美少女――クリームヒルト・フォン・ヴィッテンフェルト。
十六歳を迎えたその肢体は凛とした気品と軍人の鋭気を纏い、サファイアの瞳は極東の海風を射抜くように輝いていた。
そして、後部旋回機銃座の風防を跳ね上げ、同じく軽やかに着地したのは、十八歳前後の黒髪黒目の青年であった。
彫りの深い精悍な顔立ちに、どこかニヒルな戦士の気配を漂わせたその男の名は――リヒテンタール・フォン・マスタング。
前世の南海・タウイタウイ泊地において、泥沼の防空・陸戦陣地を維持するためにドイツ陸軍から出向し、竜宮の指揮下で地上部隊を統率した歴戦の少佐であった。
マスタングは飛行帽を脱ぎ、作業服姿で長髪を揺らす竜宮の姿を認めるなり、口元をニヤリと歪めた。
「――久し振りだな、提督。相変わらずのインテリヤクザ振りで何よりだ」
「そちらこそ。極東の風に吹かれて、その腕が湿気っていないことを祈るぞ、マスタング少佐」
短く交わされた言葉。二人は示し合わせたように直立し、寸分の狂いもない軍隊礼式の敬礼を交わし合った。
言葉の端々に滲むのは、南海の修羅場を背中合わせで生き抜いた男同士の、何物にも代えがたい絶対の信頼だった。
だが、その二人の男の世界をぶち壊すように、横からズイッと割って入ってきた影があった。
「……つれないな、カズシ。遥々バルト海を越えてやって来たこの私を差し置いて、男同士の再会に浸るとは良い度胸じゃないか」
腕を組み、僅かに唇を尖らせて睨みつけてくるクリームヒルト。
その不服そうな、だが熱っぽい眼差しに、竜宮は銀縁眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら苦笑した。
「無視などしているものか。……それにしても、もうスツーカを実機として飛ばせるまで仕上げていたとはな」
「当然だ。スウェーデンの自社工廠をフル稼働させて組み上げた。本国のユンカース社では、まだ木製のモックアップを弄んで首を傾げている段階の代物だよ。極東への手土産としては、上等だろう?」
誇らしげに胸を張るクリームヒルトに、竜宮は心底からの敬意を込めて頷いた。
「ああ。この上なくだ」
三人は並び立ち、春の青空の下で静かに息を潜める鋼鉄の怪鳥を見上げた。
逆ガル翼の下に吊るされた二門の三十七ミリ砲は、遠からず欧州を席巻するであろう戦車部隊を、空から一方的に蹂躙するための絶対の牙。
極東の「民大将」竜宮一士。
プロイセンの誇りを継ぐ「軍神令嬢」クリームヒルト。
そして陸戦の「歴戦指揮官」マスタング。
前世のタウイタウイを支えた三人の魂が、照和九年の滑走路の上で、再び一つの戦列へと結集した。
◇◇◇
クリームヒルトとマスタングがスツーカを駆って降り立ったのと、同じ春の日の午後。
帝都・竜宮警備本社の正面玄関をくぐり、受付の門戸を叩く一人の男の姿があった。
一見すれば、仕立ての良い背広を着込んだ細身の青年に見える。
だが、開いたシャツの襟元から覗く鎖骨の筋繊維は、無駄な贅肉を極限まで削ぎ落とし、鋼の如く引き締まっていることを雄弁に物語っていた。
そして何より異様なのは、短髪が絶対の規範とされるこの時代にあって、肩口まで伸ばした黒髪をうなじのあたりで一つに束ねていることだった。
その双眸は、抜き身のナイフの如く鋭利に研ぎ澄まされている。
ロビーの革張りソファーで暇を持て余していたマスタングが、その足音に顔を上げ、片眉を跳ね上げた。
「――意外と遅かったな、西住」
「マスタング……! 貴様も来ていたか」
束ねた長髪を揺らし、男――西住阿保(にしずみ・あほ)はわずかに相好を崩した。
前世の令和末期、元陸上自衛隊所属でありながら過酷を極めた戦火に身を投じ、タウイタウイ泊地の第302哨戒警備中隊において、竜宮の指揮下で地上戦闘部隊を率いた日本陸軍の中佐。
南海の泥濘の中で、ドイツ陸軍少佐たるマスタングと共に幾度となく背中を預け合ってきた、無二の地上戦の要であった。
二人は無言のまま歩み寄り、握りしめた互いの前腕をクロスさせ、ガチリと鈍い音を立てて打ち鳴らし合った。
タウイタウイの前線で生死を分かち合った者たちだけに許される、無言の挨拶だった。
「提督殿はいらっしゃるか?」
腕を解いた西住の問いに、マスタングは工場の裏手――エンジン音が唸りを上げる方向へと親指を向けた。
「今、裏のテストコースでTMを乗り回しているところだ。呼んで来ようか?」
「いや、戻られるまでここで待つ。アポもなしに突然押し掛けてきたのは俺の方だからな」
「相変わらずだな。まあ、貴様がそう言うなら構わんが」 マスタングは肩を竦め、ソファーの背もたれに体重を預け直した。
「――それにしてもだ。貴様の嗅覚なら、もう少し早くここへ転がり込んでくると思っていたがな。何か手こずる理由でもあったのか?」
その問いに、西住は薄い笑みを浮かべ、うなじの髪を指先で軽く払った。
「実はな……俺も、日本陸軍内部の転生者たちが集まる会――大高閣下たちの組織に属していたんだ」
「ほう、陸軍の復命者組織にか」
「ああ。竜宮警備の立ち上げや、北海道での異常な大開拓の噂を耳にした瞬間、仕掛け人があの提督殿であることはすぐに確信できた。だが……恩義もある組織だ。勝手に姿を消すような不義理はできん。筋を通し、正式に脱退の手続きを済ませてから参じようと思っていたのだがな。――あの宮内省での電撃発表、そして『雷震』の雄姿を見てしまっては、もう悠長に構えているわけにもいかなくなった。全てを清算して、今ここにいるというわけだ」
「相変わらず、堅苦しいほど義理堅い男だな、貴様は」
呆れ混じりに、だが戦友の変わらぬ生真面目さに深く満足したように、マスタングは胸ポケットから銀色のシガレットケースを取り出した。
パチンと蓋を跳ね上げ、中の煙草を西住の前へと差し出す。
西住は躊躇うことなくその中から一本を抜き取り、薄い唇に咥えた。
カチリ、とマスタングがオイルライターのホイールを弾き、立ち上った小さな炎を西住の口元へと差し出す。
深く息を吸い込み、西住の煙草の先端が赤く灯るのを見届けてから、マスタングは自分の煙草にも火を移した。
ふう、と二つの紫煙が天井へと立ち上り、春の光が差し込むロビーの静寂に溶けていく。
タウイタウイの空を駆けたカノーネンフォーゲルの翼。
そして、泥沼の防空陣地を死守した日独の歴戦の陸戦指揮官たち。
裏手のコースから響いてくる「雷震」の重厚な足音を聞きながら、二人の戦士は静かに煙草を燻らせ、かつて自分たちの命を預けた「提督」の帰還を待っていた。
「……待たせたな」
背後から掛けられたその声に、二人が同時に振り返った。
ロビーの奥、演習場へと続く防音扉から現れたのは、作業着の上から羽織を引っ掛け、腰まで届く癖っ毛の長髪を揺らした竜宮だった。
両手にはいつもの純白の手袋。激しい操縦訓練を終えた直後だというのに、その息は微塵も乱れておらず、瞳の奥には静謐な覇気だけが宿っていた。
「提督……!」
西住は咥えていた煙草を灰皿へ押し潰すと、直立不動の姿勢を取り、右手をスッと額へと掲げた。
「第302哨戒警備中隊、陸上戦闘群司令・西住阿保中佐。……本日付をもちまして、民間警備会社『竜宮警備』への着任を志願いたします」
その寸分の狂いもない敬礼を見つめ、竜宮の口元に、前世の過酷な泊地で見せたものと同じ、不敵で獰猛な笑みが広がった。
「遅いぞ、西住。……待ちくたびれて、陸戦隊の枠をマスタングに全部くれてやるところだった」
「滅相もございません。日本の泥を駆けるのは、我ら自衛隊……いや、日本陸戦隊の専売特許です」
白手袋の手が差し出され、西住の無骨な手がそれを握り返す。
狂乱の昭和初期。
国家が軍靴の音を響かせて暴走を加速させる中、竜宮の私設部隊は、最早いかなる正規軍の師団をも正面から叩き潰しうる最強の陣容を、着実に完成させつつあった。
西住の手から伝わるゴツゴツとしたタコの感触は、前世で幾度となく銃把を握り、泥にまみれて陣地を守り抜いた男のそれと寸分違わなかった。
「歓迎するぞ、西住。……これでようやく、地上を預けられるピースが揃った」
竜宮が手を解くと、マスタングが煙草の煙を吹き出しながら、肩をすくめてニヤリと笑った。
「やれやれ、私の天下もここまでというわけか。だが、極東の狭隘な泥濘地での歩兵・装甲連携となれば、確かに元陸自の教範に一日の長がある。文句はないさ」
「異国の騎士殿にそこまで立てていただけるとは光栄だな」
西住は口元をわずかに緩め、次いで鋭い双眸を竜宮へと向けた。
「提督殿。筋を通して陸軍の組織を抜けてきたと言いましたが……手ぶらで転がり込んできたわけではありません。大高閣下より、直々に言伝と『手土産』を預かっております」
「大高閣下から?」
竜宮が片眉を跳ね上げると、西住は懐から蝋封の施された分厚い封筒を取り出し、テーブルの上へと滑らせた。
「陸軍内部における、各派閥の動向リストです。……特に、荒木や真崎らを中心とする『皇道派』の青年将校たちが、近頃目に見えて不穏な動きを見せています。彼らは満州事変以降、国家の改造を叫び、軍奈落の底へ突き落とすような武力蜂起――前世でいう『二・二六事件』の火種を、水面下で着実に燻らせ始めている」
西住の言葉に、ロビーの空気が一気に引き締まった。 照和九年。史実の二・二六事件(一九三六年)まで、あと僅か二年の猶予しかない。
「大高閣下率いる清風会は、その暴発を未然に防ぎ、あるいは逆に利用して軍閥の膿を一掃する機会を窺っておられる。その際、皇室の直属軍たる『帝国斯衛軍』、そして民間軍事組織たる我ら『竜宮警備』がどう動くかが、勝敗の分水嶺になると」
「……成る程な。大高閣下も、腹を括られたか」
竜宮は封筒を手に取り、中身の書類に視線を落とした。
陸軍の暗闘など、前世の令和において正規軍の派閥争いに煮え湯を飲まされた竜宮からすれば反吐が出るような愚行に過ぎない。
だが、その愚行の果てに国が破滅へと転がり落ちるのを座視する気も毛頭なかった。
「西住、お前には直ちに竜宮警備の『陸戦機動特科群』の指揮権を委ねる。配備されるのは、完成したばかりのシュツルムフォーゲル、そして房総の竜宮重工から極秘裏に送られてくる雷震の実戦仕様機だ」
「了解であります」
「マスタング」
竜宮の鋭い視線が、ドイツの歴戦将校を射抜く。
「貴様はクリームヒルトと共に、スツーカを用いた対地支援――陸空統合戦術(コンバインド・アームズ)の教範を、西住の陸戦隊に叩き込め。あの逆ガル翼の三十七ミリ砲と、TMの長刀・機関砲が連動した時、既存の歩兵師団など一瞬で粉砕できる体制を作り上げるんだ」
「ヤーボル、提督。……最高の悪夢を仕立て上げて見せましょう」
マスタングは獰猛な笑みを浮かべ、直立して踵を打ち鳴らした。
日独の歴戦指揮官たちが、それぞれの持ち場へと散っていく。 その背中を見送りながら、竜宮は本社ビルの窓辺へと歩み寄り、西の空を見上げた。
房総半島では、竜宮重工の巨大臨海プラントが黒煙を上げて鉄を鍛え、国際規格のメガエアポートの滑走路が着々とコンクリートで固められている。
北の大地・北海道では、何千、何万の開拓民が耕したメガファームが黄金の麦穂を実らせ、飢餓への絶対防壁を築きつつある。
そして――泰山航空工業の地下深く、密閉式乾ドックでは、深海の亡霊たるポンプジェット潜水母艦が、静かにその巨体に護謨皮膜を纏い、注水の時を待っていた。
国内を覆う狂気と、水面下で蠢くクーデターの胎動。
だが、そのすべてを呑み込み、自らの絶対の力へと変えるための布石は、いまや一分の狂いもなく噛み合い始めていた。
「……始めるか」
誰にともなく呟いた少年の声は、春の冷気に溶け、やがて来る未曾有の嵐への宣戦布告となって、静かに帝都の空へと染み渡っていった。
「西住。俺のラストバタリオンは、今どの程度集められる」
低く落とされた竜宮の問いに、西住は背筋を僅かに震わせ、直立不動のまま即答した。
「ハッ。現在、確実に所在と前世の覚醒を確認できている者は、全国で184名。皆、この世界でも身体を鈍らせぬよう帝国陸軍の各連隊へ身を投じ、歩兵や輜重の現場で訓練に励んでおります。……しかし、提督殿からの招集さえあれば、泥を蹴ってでもいつでも参陣可能であります」
「184名か。……ざっと全体の五分の一というところだな」
竜宮は銀縁眼鏡を指先で押し上げ、冷徹に計算を弾いた。
前世の南海・タウイタウイ泊地において、正規軍から見捨てられながらも竜宮を「提督」と仰ぎ、死線を共にした陸上戦闘群の総数は約千名。そのうちの二割弱が、すでに日本陸軍という巨大な組織の末端で爪を研ぎ、合図を待っているのだ。
「充分だ。――直ちに召集を掛けろ。この時代の薄っぺらな国粋主義と精神論に付き合わされて無駄死にするより、特上のオイルと硝煙の匂いをまた嗅がせてやると伝えろ」
「ハッ! 直ちに暗号電文を回し、第302中隊の再編に着手いたします!」
弾かれたように踵を打ち鳴らし、西住が猛烈な気迫を込めて敬礼を返した。
それは、常人から見れば狂気の沙汰としか思えぬ「地獄への招待状」であった。
だが、前世において泥沼の包囲戦を生き抜き、合理的な火力と補給のありがたみを知り尽くした彼らにとって、精神力至上主義で兵を殴り飛ばすだけの帝国陸軍の兵営など、退屈極まりない拷問部屋に過ぎない。
「死ぬまで戦え」と強要される理不尽な精神論の檻から抜け出し、再びあの怜悧で獰猛な指揮官のもとで、圧倒的な性能を誇る鋼鉄の巨躯を駆る――それこそが、彼らにとっての唯一無二の「楽園」に他ならなかった。
西住がロビーを飛び出し、極秘の連絡網を通じて電文が放たれるや否や、日本陸軍の各地の兵営で静かな地殻変動が巻き起こった。
近衛歩兵連隊、第一師団、果ては習志野の騎兵旅団に至るまで。
上官からの理不尽な鉄拳制裁や精神訓話に内心で舌打ちしながら耐え忍んでいた古参兵や下士官、気鋭の若手将校たちが、暗号めいた手紙や電報を受け取った瞬間、一斉に目の色を変えたのだ。
『――提督が、呼んでいる』
その一言だけで、十分だった。
ある者は正規の手続きを踏んで除隊届を叩きつけ、ある者は家業の継承を口実に免役を勝ち取り、またある者は陸軍の派閥争いに嫌気がさした体を装って除隊を強行した。
陸軍上層部からすれば、全国で優秀な下士官や古参兵が示し合わせたように一斉に軍を去っていくという不可解極まりない怪現象であったが、宮内省の「斯衛軍」と繋がる民間警備会社への再就職とあっては、引き留めるにも限界があった。
数日のうちに、房総半島の秘密宿舎へと、184名の猛者たちが続々と集結していった。
彼らの眼光には、帝国軍人特有の狂信的な気配は微塵もなかった。
あるのは、近代戦の冷徹なリアリズムと、前世で培われた百戦錬磨の戦技。
そして何より、再び自分たちの親父――竜宮一士のもとで戦えるという、獰猛な歓喜だけであった。
格納庫に整列した百八十四名の歴戦の獣たちを前に、作業着姿の竜宮がゆっくりと歩み出る。
背後には、暗灰色に鈍く輝く「雷震」と、プロイセンの曲面装甲を纏った「シュツルムフォーゲル」が、威圧的な巨体を並べて聳え立っていた。
「……よく集まってくれた、野郎ども」
竜宮が低く告げた瞬間、格納庫の空気がビリリと震えた。
「これより、第302陸戦中隊を正式に再編する。貴様らに竹槍を持たせる気も、バンザイ突撃を命じる気も毛頭ない。この鉄の巨体を使い倒し、来るべき狂乱の時代を力ずくでねじ伏せるぞ」
「「「オオッ……!!」」」
地鳴りのような咆哮が、鋼鉄のドックを揺るがした。
狂気の昭和初期にあって、いかなる帝国陸軍の正規師団をも正面から轢き潰しうる、世界最強の「私設機甲歩兵部隊」が、ここに完全なる産声を上げた瞬間であった。
「喜べ、お前たち!お前たちがこれから駆る戦車は、この時代の薄っぺらいトタン板や、ションベン臭いインポ野郎のマスかきとは桁が違う、最高に可愛くて凶暴な彼女たちだ!今から紹介してやる!」
竜宮の怒号が響き渡ると同時に、白手袋の右腕が高々と掲げられた。
ガコン――と重厚なロックが外れる音が轟き、格納庫のさらに奥を閉ざしていた巨大な防爆扉が、両脇から押し開かれる。
その扉の取っ手を軽々と押し広げたのは、クリームヒルトとマスタングが駆る二機のシュツルムフォーゲルであった。
油圧の唸りとともに開け放たれた広大な第二ドックの暗がりから、鈍い外光を浴びて現れたのは――十数両に及ぶ、異形の鋼鉄の群れであった。
車高は驚くほど低く、砲塔を持たない固定戦闘室構造。 前面から側面にかけて鋭角に傾斜した、極めてシャープな避弾経始のフォルム。
第二次世界大戦の末期、ドイツ軍がその圧倒的な生産性と防御力で連合軍の戦車を屠りまくった傑作軽駆逐戦車――『ヘッツァー』。
「装甲はトラス・ハニカム構造の多層複合装甲! 現代の10式戦車の徹甲弾が直撃しても耐えうることは、貴様らも骨の髄まで知っている通りだ!」
竜宮の機関銃のような怒声が、一列に並ぶ装甲車の列を指し示す。
「主砲は標準の七・五センチ対戦車砲だけではない!陣地粉砕用の十・五センチ榴弾砲、そして重装甲目標を地獄の底まで叩き落とす八十八ミリ高初速砲――アハトアハト換装型を揃えてある!心臓部は泰山航空工業と竜宮重工が叩き上げた最新鋭の小型ガスタービンエンジンだ!複合装甲化で自重が劇的に軽量化されている分、悪路でも時速五十キロでかっ飛ばせる! 見た目の小ささに騙されるな、その身体に『本物の戦車』の感覚を叩き込め!」
整列した古参兵たちの目が、ギラギラとした獰猛な光を帯びていく。
八九式中戦車や九四式軽装甲車といった、歩兵銃で穴が開くような鉄板細工しか配備されていないこの時代にあって、それは神の戦車と呼ぶにふさわしい怪物たちだった。
だが、竜宮の咆哮は止まらない。 足元に山積みにされた頑強な木箱を、長革靴の爪先で力任せに蹴り開けた。
「歩兵火器も舐めるな! カラシニコフとシモノフの同志たち、毎分千二百発を叩き出すMG42の愛しき戦友ども!
ヒトラーのケツをファックして余りあるパンツァーファウストと、弾頭交換式のロケットバズーカを掃いて捨てるほど用意した!催涙弾、閃光弾、煙幕弾、そして各個に持たせるトランシーバー無線機も腐るほどある!貴様らの腕が鈍っていなければ、この装備一式で一個連隊を五分で殲滅できるはずだ!」
竜宮は顎を上げ、整列する隊員たちを銀縁眼鏡の奥から冷酷に見据えた。
「大和魂、結構! 愛国心、大いに結構だ!だがな――未だに精神論と銃剣突撃という旧態依然の自殺戦術で足踏みしている帝国陸軍の空気に毒された腑抜け野郎は、今すぐ一歩前に出ろ!俺が直々に、貴様の頭蓋骨へ七・六二ミリ弾をブチ込んで再教育してやる! ――何か異言はあるかッ!!」
叩きつけるような竜宮の問いかけに対し、184名の喉から返ってきたのは、格納庫の鉄骨を軋ませるほどの狂瀾の咆哮であった。
「「「サー・ノー・サーッ!!!!」」」
足元を踏み鳴らし、拳を胸に叩きつける男たち。
その瞳には、精神論の軍隊で抑圧されていた鬱屈を完全に吹き飛ばし、圧倒的な物量と最先端の火力を手に入れた「プロの戦闘集団」の狂気が満ち満ちていた。
「よろしい! 全員、直ちに愛機と火器を受領し、小隊編成を完了させろ! これより、この照和の青空の下に、本物の『戦争のやり方』を叩き込んでやる!」
「「「イエッ・サーッ!!!!」」」
地鳴りのような返礼とともに、男たちがヘッツァーと火器の山へ向かって雪崩を打って駆け出した。 照和九年の帝都近郊。
狂信と精神主義の時代に抗うため、一人の元「民大将」が仕立て上げた私設機甲歩兵中隊が、完全なる実戦即応体制を完了した瞬間であった。