西暦一九三五年――『照和』十年七月十一日、未明。
帝都の街並みが夜明けの薄闇に包まれる中、不気味な地鳴りとともに、家々を軋ませる強い横揺れが襲った。
マグニチュード六・四。駿河湾に近い静岡の直下を震源とする強震であった。
死者・行方不明者九名、全半壊を含めた家屋損壊八百十四戸。
のちの歴史において「静岡地震」と呼ばれるこの災害を、さすがの竜宮たちとて日時に至るまで詳細に暗記していたわけではなかった。
だが、東京の竜宮警備本社にあってもはっきりと知覚されたその激震は、彼らの魂の奥底に眠る「記憶」を一瞬で呼び覚ました。
前世において凄絶な大戦をくぐり抜けてきた竜宮たちであっても、それ以前の平和大国・日本で生まれ育った歳月の中で、唯一、日常を突然奪い去るものとして命の危機を本能に刻みつけられたもの――それこそが「大地震」という天災であった。
「……震源は東海道、静岡近辺だ! 直ちに救援態勢に入れ!」
社長室の竜宮から下された号令は、官公庁のいかなる緊急電報よりも早かった。
役所の稟議や軍部の命令系統など待っている暇はない。
竜宮農業の倉庫から乾パンや缶詰、脱脂粉乳といった備蓄食糧が瞬く間にトラックへと積み込まれ、泰山航空工業のハンガーからは応急医療キットや毛布、小型ディーゼル発電機を満載したヘリコプター群が次々とプロペラを回転させ始めた。
そして、この「災害派遣」の報せを受けた第302陸戦中隊の隊員たちの動きは、まさに神速の領域にあった。
彼らは前世において、幾度となく大地震や集中豪雨の被災地へ先陣を切って飛び込んできた元自衛官たちなのだ。
「人を殺める」ための軍事訓練よりも遥かに多くの汗を流し、「人を救う」ために培ってきた人命救助のノウハウ。
ジャッキの扱い、瓦礫からの要救助者探索、迅速なトリアージと担架搬送――彼らの骨身に染み付いたレスキューの練度は、照和初期の警察や帝国陸軍の救護隊など足元にも及ばぬほど、圧倒的に完成されていた。
さらに、この作戦において最大の威力を発揮したのは、本来は陸戦兵器として開発されたタクティカルモジュールであった。
「嵐征、および嵐迫二機によるスリング空輸! TMを被災地へ直行させる!」
西住阿保の鋭い号令とともに、大型輸送ヘリ「嵐征」と、二機の中型ヘリ「嵐迫」が連携し、強靭な鋼鉄ワイヤーで「雷震」と「シュツルムフォーゲル」を宙へと吊り上げた。
時速二百キロを超える編隊飛行。東海道の街道や鉄道が土砂崩れで寸断される中、空を飛ぶ鉄騎兵たちは、駿河の山々を軽々と飛び越えて静岡の被災地へと急行したのである。
地震の直撃を受け、東海道の要衝である静岡の街は阿鼻叫喚の様相を呈していた。
あちこちで古い日本家屋が圧壊し、火の手が上がり、土砂崩れが道路を塞いで陸の孤島と化している。
呆然と立ち尽くす住民や、素手で瓦礫を掻き分けて身内を呼ぶ人々の頭上に――地鳴りのような重低音が降り注いだ。
バババババッ、と強烈なダウンウォッシュを巻き起こしながら、巨大な二重反転ローターを持つ「嵐征」が上空にホバリングする。
そして、ワイヤーを解かれた二体の鋼鉄の巨人が静岡の土を踏みしめた。
「な、なんだあの怪物は……!?」
「軍隊か!? 化け物か!?」
逃げ惑う被災民たちの前に、操縦席から拡声器を通じた西住の冷静な声が響き渡った。
『――静岡の皆様、ご安心ください! 我らは民間救助隊、竜宮警備であります! これより直ちに、生存者の救出および瓦礫の撤去作業を開始します!』
その瞬間から展開された光景は、被災者たちにとって奇跡そのものであった。
生身の人間が何十人集まってもビクともしなかった倒壊家屋の太い大黒柱を、雷震の巨大なマニピュレーターがミリ単位の精密さで軽々と持ち上げる。
その隙間へ、反射ベストを着込んだ第302中隊のレスキュー隊員たちが滑り込み、下敷きになっていた子供や老人を傷つけることなく抱き起こして救出していく。
土砂崩れで完全に塞がれていた街道には、シュツルムフォーゲルが突入した。
油圧ショベルとブレードを振るい、巨岩を砕き、土砂を道路脇へと掻き出して、わずか一時間足らずで緊急車両が通れる「命の道」を切り拓いてみせたのだ。
後続の嵐迫からは温かい炊き出しの握り飯と清潔な飲料水、毛布が配られ、小型発電機によって暗闇に包まれていた救護所へ眩い電灯の明かりが灯された。
「ありがてえ……ありがてえ……!」
「神様だ……鉄の武者様が助けに来てくれた……!」
涙を流して巨人に手を合わせる老人や母親たち。 その光景を、上空の嵐凰から見下ろしながら、竜宮は銀縁眼鏡の奥の瞳を静かに和ませていた。
前世において、暴力と理不尽の果てに散っていった兵器たち。
だが、その鉄の腕は、人を殺すためだけにあるのではない。
泥に埋もれた命を掬い上げ、絶望の淵にある民草の手を握り返すためにこそ、その力は振るわれるべきなのだ。
照和の空の下。
帝国陸軍が満州や大陸での権益争いに血道を上げているその時――竜宮警備の放った「鉄の救難隊」は、静岡の被災地において、民衆の魂に決して消えぬ深い感謝と信頼の楔を打ち込んでいた。
夜の帳が下りた静岡の被災地の上空を、無数の双発タービンエンジンの爆音が絶え間なく切り裂いていた。
房総半島の格納庫に眠っていた竜宮重工所有のタクティカルモジュール十二機すべてが、泰山航空工業の「嵐征」と「嵐迫」による徹夜のピストン空輸によって、次々と現地の瓦礫の街へと降ろされた。
それだけではなかった。皇宮の奥で事態を知った鴻上昴の電撃的な決断により、帝都の防衛を担う帝国斯衛軍までもが緊急出動を敢行。
烈士の銘を刻んだ暗灰色の「雷震」十二機、そして昴自らが手綱を握る紫の隊長機が、巨大なローターの風塵を巻き上げて被災地へ舞い降りたのだ。
瓦礫と粉塵が舞う静岡市街の要衝に、あの気高き紫の雷震が仁王立ちして指揮を執る。
その周囲には、十二機の暗灰の烈士仕様機、竜宮警備が誇るレスキュー作業用の深緑の雷震群、そしてプロイセンの漆黒の装甲を纏ったシュツルムフォーゲルが整然と展開していた。
総数三十機近くに及ぶ鉄の巨人たちが、投光器の光の下で夜を徹して大黒柱を持ち上げ、土砂を掻き出し、生き埋めになった市民をその精密な指先で救い出していく。
その間――平時には大言壮語を吐いていた帝国陸軍の歩兵連隊や救護隊は、夜が明けてもなお、現場に誰一人として到着していなかった。
東海道本線が土砂崩れで寸断され、電話線が切断された混乱の中、彼らは前近代的な伝令と官僚主義的な命令系統の不備に縛られ、駐屯地で右往左往するばかりで初動の貴重な時間を完全に空費していたのである。
◇◇◇
明けて七月十二日の早朝。 東海道を見下ろす箱根の山腹に設営された竜宮警備の現地司令本部に、徹夜の救難活動の結果が続々と集約されていた。
野戦天幕の中、無線機のスピーカーから前線の西住や隊員たちの緊迫した報告が飛び交う。
「……重軽傷者の搬送、累計で三百名を超えました。現在、嵐迫のメディバックにて、帝都の提携先へ重傷者を順次空輸中」
書類をめくる竜宮の隣で、紫のパイロットスーツを着た昴が、汗と煤で汚れた顔を拭いながら身を乗り出した。
「倒壊家屋の生存者は……!?」
「早期の空中展開と、TM群による即時瓦礫撤去が完全に功を奏した。生存率が急激に低下する『発災後72時間』のリミットを待たず、夜明け前までに現在147名の救出に成功している。このペースなら間に合うだろう」
竜宮の冷静な言葉に、天幕内の通信手たちから安堵の吐息が漏れた。
この時代の常識であれば、瓦礫の下に閉じ込められた人々は人力による遅々とした捜索を待つしかなく、衰弱死や圧迫死によって犠牲者の数は何倍にも膨れ上がっていたはずだった。人型重機の圧倒的なパワーと、元自衛隊員たちの熟練したレスキュー技術が、何十人もの命を死の淵から文字通り力ずくで引き戻したのだ。
だが――竜宮が手元の報告書に落とした視線は、決して晴れやかなものではなかった。
「……しかし、駄目だった場所もある」
竜宮の低く沈んだ声に、昴が息を呑む。
「家屋の完全倒壊による直撃だ。我々が現場に到達した時点で、すでに頭部および胸部の挫滅による圧即死と認定された市民が二名確認された。……子供と、老婦人だ」
天幕の中に、冷たい沈黙が落ちた。
自然の暴力の前にあって、いかに未来の技術と神速の足があろうとも、地震の最初の数秒で命を奪われた者たちを呼び戻すことはできない。
前世において、数え切れぬほどの理不尽な死を見てきた竜宮にとっても、救えなかった命の重みは胸を鋭く抉った。 隣で、昴が小さく拳を握りしめ、唇を噛み締めていた。
「……僕たちが、もっと早く……揺れた瞬間に飛べていれば……」
「馬鹿を言うな、昴」
竜宮は少年の華奢な肩に手を置き、静かに首を横に振った。
「悔やむのは後だ。お前が斯衛軍を動かしてくれたおかげで、救われた命がその何十倍もある。……そして、まだ泥の下で助けを待っている人間がいる。我々の戦いはまだ終わっていないぞ」
「……っ、うん……! 分かってる、竜宮さん!」
昴が涙を拭い、再び凛々しい戦士の顔つきを取り戻した。
その時、天幕の外から偵察ヘリ「嵐凰」の無線が飛び込んできた。
『――司令本部へ、上空の嵐凰より報告。三島方面の街道より、帝国陸軍の輜重隊および歩兵部隊とおぼしき隊列を確認。徒歩にて移動中……現地到着まで、あと推定三時間はかかる見込みです』
通信手の報告を聞き、竜宮は銀縁眼鏡の奥で冷徹に目を細めた。
発災から半日以上が過ぎ、生存者の大半を救出し終えた後に、ようやく徒歩でチンタラとやって来る旧態依然の軍隊。
被災地の民衆が、泥にまみれて命を救ってくれた「紫と暗灰の鉄の武者」と、遅れてやってきた「銃剣を背負った兵隊」のどちらに真の信頼を寄せるか――その答えは、火を見るよりも明らかであった。
「西住に伝えろ。陸軍の部隊が到着次第、交通整理と避難所の警備をあちらに引き渡せ。我々は引き続き、山間部の孤立集落の捜索と物資空輸に全力を挙げる」
「了解!」
朝日に染まる富士の裾野で、竜宮の背中は、前世の無念を払拭するかのように力強く前線へと向かっていた。
泥と粉塵にまみれ、油圧の排熱を静かに吐き出しながら佇む「雷震」と「シュツルムフォーゲル」の巨躯を見上げ、竜宮は小さく息を吐き出した。
タクティカルモジュールの災害派遣――。
それは実のところ、前世の戦乱の記憶を含めても、歴史上「初めて」の試みであった。
幸いというべきか、それとも皮肉な無念というべきか、前世の戦時下における日本列島では、人型機動兵器を緊急出動させねばならぬほどの壊滅的な大地震や天変地異は一度も発生しなかった。
戦火の中にあっても例年通り台風は襲来したが、平和な時代に幾重にも張り巡らされた災害大国・日本の河川改修や堤防、高潮防波堤といったインフラは極めて強靭であり、並の台風程度ではびくともしなかった。
運良く線状降水帯による突発的な集中豪雨に見舞われることもなかったのだ。
ゆえに、前世における「神雷」は、敵の無人自爆ドローンを叩き落とし、押し寄せる敵歩兵を長刀と機関砲で薙ぎ払うための、純然たる「殺戮と破壊の決戦兵器」としてしかその力を振るう機会がなかったのである。
だが――こうして泥濘の被災地に立ち、倒壊した家屋の梁を持ち上げ、土砂を掻き分けて人命を救い出すタクティカルモジュールの圧倒的な有用性を目の当たりにした時。
第302陸戦中隊の隊員たちの胸に去来したのは、かつて平和だった前世の日本を襲った、未曾有の災禍の記憶であった。
「……なぁ、隊長」
ヘルメットを脱ぎ、煤に汚れた顔を拭った元レンジャーの隊員が、ぽつりと呟いた。
その視線は、遠い過去――いや、一世紀先の未来の記憶へと向けられていた。
「あの時……東日本大震災の津波の泥ん中や、熊本地震の崩れた阿蘇の土砂崩れ、それに能登の半島で道が全部寸断されたあの地獄に、もしコイツが一機でもいてくれたら……もっと、もっと大勢の人間を助け出せたんじゃないスかね……」
その言葉に、周囲で握り飯を頬張っていた隊員たちが一斉に沈黙した。
彼らの多くは、前世において自衛官としてそれらの災害派遣任務に実際に従事した経験を持つ者たちだった。
凍える寒さの中、スコップ一本と己の素手だけで瓦礫を掻き分け、重機が入らない悪路に歯噛みし、タイムリミットが過ぎて冷たくなってしまった同胞の亡骸を、悔し涙を流しながら抱き起こした記憶――。
あの時代、技術の壁に阻まれて望むべくもなかった「夢の救難機械」。
もし、不整地をものともせず疾走し、数十トンの瓦礫を軽々と持ち上げるこの鉄の巨人があの場にあれば、どれほどの命を死の淵から引き戻せただろうか。届かなかったはずの手に、どれほど届いただろうか。
「……過去を悔やんでも、死んだ人間は戻らん」
背後から歩み寄ってきた西住阿保が、静かに、だが鋼のように硬い声で言った。
その切れ長の瞳もまた、かつて自衛隊員として災害の現場で泥を啜った痛烈な記憶を宿していた。
「だがな、お前たちが今ここで動かしたその腕は、間違いなく照和の市民を百人以上救い出した。前世で届かなかった祈りを、この時代で形にしたんだ。胸を張れ」
「……ッス!」
隊員たちが力強く頷き、再び救助用のロープとジャッキを握り直す。
その光景を、天幕の影から見守りながら、竜宮は胸の内で静かに熱いものが込み上げるのを感じていた。
人を殺めるために生み出された兵器。
しかし、それを操る人間の意志が「命を救う」ことに向けられた時、鉄塊は神仏の如き救難の具現へと昇華する。
前世で正規軍に見捨てられ、使い捨ての便利屋として泥を啜り続けたラストバタリオンの男たちが、いまやこの時代において、名もなき民草の生を繋ぎ止める本物の守護者となっていた。
(この光景を、日本中の人間が見ている……)
竜宮は銀縁眼鏡の奥で、冷徹な戦略家の目を取り戻した。
徒歩で遅参した帝国陸軍の無力さと、神速で空から舞い降りて命を救った「竜宮警備」と「帝国斯衛軍」の圧倒的な頼もしさ。
新聞記者たちが競うようにしてシャッターを切り、電報を帝都へ走らせている。
この静岡の地で刻まれた「鉄の武者による奇跡」は、単なる人命救助に留まらず、やがて軍部独裁へと傾斜しようとするこの国の世論の根底を、音を立てて揺るがす巨大な地殻変動の引き金となろうとしていた。
◇◇◇
朝日が完全に昇りきった午前八時過ぎ。
疲労困憊の面持ちで静岡の被災地へと足を踏み入れた帝国陸軍の歩兵部隊は、あろうことか現場に到着するなり、開口一番に怒号を張り上げた。
「民間警備会社ごときが、栄えある大日本帝国陸軍に対して警備と交通整理を引き継げとは何事か!」
「人命救助の現場指揮権を軍へ即刻引き渡せ!貴様らのような民間人が軍隊に指図するなど、軍の威信を冒涜する不埒千万である!」
泥にまみれて徹夜の救出活動を続けていた第302中隊の隊員たちの前に、軍刀をチャラつかせた陸軍大尉が食ってかかる。
初動の遅れによってどれほどの生存者が死線を彷徨っていたかも知らず、東海道の寸断を言い訳にして遅参した挙句、開口一番に口をついて出たのが自らの「メンツ」と「階級意識」への固執であった。
その醜態に、現場で油圧ジャッキを握っていた元自衛官の隊員たちが内心で強烈な侮蔑の眼差しを向けた、その時だった。
「――控えよ!」
凛として、だが刃物のように鋭い一声が、騒然とする現場の空気を切り裂いた。
歩み出てきたのは、煤で汚れた紫のパイロットスーツに身を包んだ鴻上昴であった。
少年の華奢な身体から放たれているとは信じ難いほどの、底知れぬ威厳。その背後には、全長三・五メートルを誇る紫の「雷震」が、抜刀こそせぬものの、巨躯を威圧的に聳え立たせて陸軍将兵を見下ろしていた。
「ひっ……こ、鴻上宮の若君……!?」
蒼白になって直立不動をとる陸軍将校に対し、昴は眉一つ動かさず、怜悧な眼光を突き刺した。
「救助の黄金時間を空費して遅参した上に、泥を啜って同胞の命を救い上げた者たちへ向けて吐く言葉がそれか! 統帥権の独立を振りかざす前に己の無能を恥じるがいい!我らは大元帥陛下の御名において、この地の人命救助を拝命した帝国斯衛軍である!」
毅然たる宣告。
皇族たる昴が、宮内直轄の「斯衛軍」という最高位の盾を背負って下す命令に対し、大日本帝国陸軍の法秩序において逆らえる者など一人として存在しなかった。
「現場のレスキューにおいて、貴様らは完全なる『素人』だ。専門の機材も持たず、瓦礫の力学も弁えぬ者が立ち入れば、かえって生き埋めの生存者を圧殺しかねん!素人は邪魔だ。人命救助の妨げになる真似は断じて許さぬ!」
痛烈極まりない一喝に、陸軍の将校たちはぐうの音も出ず、顔を真っ赤にして口を噤むしかなかった。
(……まったく、手厳しいが正論だな)
救護所の天幕からその様子を冷徹に見届けていた竜宮は、銀縁眼鏡を押し上げながら内心で鼻を鳴らした。
彼らは鉄砲を撃ち、銃剣で突撃する訓練を受けた「兵隊」であって、精密な捜索救難を行う「レスキュー隊」ではないのだ。
頸椎の損傷を考慮した担架固定の技術も知らず、ハニカム構造の重機も持たぬ軍隊が、大挙して現場に押し寄せたところで何ができるというのか。
竜宮警備から「こちらの指示に従って後方支援を」と要請したところで、「警備会社ごときが」と見下して非協力的な態度をとるくらいなら、百害あって一利なしであった。
被災地における無駄な人員の急増は、配給すべき食糧や飲料水を徒らに食い潰し、衛生環境を悪化させ、指揮系統を混乱させるだけの「人口密度の無駄な増大」に他ならない。
本音を言えば、初めから派遣されてこない方が遥かにマシな存在だった。
だが、来てしまった以上は使い道を見出すしかない。
「仕方ありませんね」
竜宮は昴の脇へ静かに歩み寄り、冷淡な事務口調で告げた。
「殿下。せっかく無駄に体力だけは有り余っている兵隊さんが揃っているのです。御上の威光を存分に背負っていただき、斯衛軍の指揮下でこき使ってやりましょう」
「……そうだね、竜宮さん」
昴は小さく頷き、直立不動のまま固まっている陸軍連隊長へ向けて冷然と言い渡した。
「陸軍部隊は直ちに斯衛軍の統制下に入れ!竜宮航空が空輸してきた支援物資の荷下ろしと配給、避難所の周囲の交通整理、および人命救助が完了した区画の瓦礫運搬に従事せよ!一人たりとも現場の救出作業に口を挟むことは相成らん!」
「は、ハッ……! 謹んで、拝命いたします……!」
大日本帝国陸軍の誇り高き歩兵たちが、深紫の巨人と十五歳の皇族少年の前に完膚なきまでに屈服し、頭を下げた瞬間であった。
こうして、遅れてやってきた帝国陸軍は、前線の主役となるどころか、斯衛軍と竜宮警備の「下請け作業員」として、大人しく救援物資の米俵を担ぎ、道路の交通整理へと回されることとなった。
その滑稽な光景を、静岡の被災民たちは冷めた目で、そして確かな理解を以て見つめていた。 命を救ってくれたのは誰か。
真にこの国と民を想い、神速で手を差し伸べてくれたのは誰なのか――。
照和十年の朝。
泥にまみれた被災地で交わされた主導権の逆転劇は、軍部の権威という名の虚飾を、無残なまでに剥ぎ取っていた。