静岡の被災地が落ち着きを取り戻し、避難所の生活が軌道に乗った頃合を見計らい、竜宮は即座に次なる戦場へと打って出た。
行き先は、帝都・日本橋や丸の内に総本山を構える、日本の名門財閥各社の重役室であった。
用件は極めて明快――「今回の災害救助にかかった莫大な資材と費用の、援助金回収交渉」である。
今回の救難活動は、政府の国庫や陸海軍の公費から出たものではない。
泰山航空工業と竜宮グループという、一民間企業と個人の私財を丸ごと投げ打って敢行された超法規的な緊急出動であった。
「人命を救ったのだから、タダの慈善事業で美談にして終わればいい」
そんな頭の中がお花畑の甘っちょろい勧善懲悪は、絵本の中の正義の味方にでも任せておけばいい話だ。
生きていくためにも、組織を維持するためにも、金とモノが不可欠なのはこの世の冷酷な真理である。
前世において、物資の欠乏に喘ぎ、補給を絶たれた部隊がいかに惨めに崩壊していったかを骨の髄まで知る竜宮にとって、「タダより高いものはない」など常識以前の鉄則であった。
一分一秒を争う初動の段階において、惜しげもなく自前のヘリや重機、燃料や食糧をドブに捨てる覚悟で擲ったのは、人命を救うための必然の投資に過ぎない。
だが、山を越えて現場が安定期に入ったならば――話は別だ。
使った分は一銭残らず、利息をつけて他人の財布から回収するのがプロの流儀というものだった。
「竜宮グループの小僧が派手に動いてくれたおかげで、我らは懐を痛めずに済んだな」 各財閥の番頭や重役たちは、最初、応接室に現れた竜宮を見て完全に高を括っていた。
腰まで髪を伸ばした、十六歳の青二才。
世間知らずの若造が、人助けの美名に酔って勝手に自滅してくれたのだと、内心でせせら笑っていたのだ。
だが――彼らは致命的に見誤っていた。
目の前に座る少年の皮を被った怪物の「中身」が、前世の三十三年にこの世界の十六年を足し、すでに五十歳を目前にした、酸いも甘いも噛み分けた百戦錬磨の「腹黒タヌキ」であるという事実を。
銀縁眼鏡の奥の瞳を細め、純白の手袋を組んでソファーに深く腰掛けた竜宮は、穏やかな、だが背筋を凍らせるようなドスの利いた声音で切り出した。
「いやあ、各財閥の旦那方が不況の折、台所事情が大変なのは重々察しておりますよ。……ですがねぇ」
竜宮は、机の上に静岡での活動記録と、各社が「一銭も出さなかった」証拠の台帳をトン、と置いた。
「天下の大災害を前にして、天下の三井や三菱や安田が、一介の新興企業に人命救助を丸投げして高みの見物を決め込んでいた……なんて話が世間に漏れたら、どうなるかお分かりですよね?新聞各紙がどう書き立てるか。不況に喘ぐ民衆の怒りの矛先が、どこへ向かうか」
重役たちの顔色が変わる。だが、竜宮の「インテリヤクザ」たる真骨頂は、世論の脅迫だけに留まらなかった。
「それにですね……我が社が現場で使い倒した『雷震』という機体は、宮内省直轄の帝国斯衛軍が認めた、大元帥陛下の直属たる『護国の剣』なんですよ。……もしも鴻上宮殿下を通じて、御上の御耳に『財閥の方々は、皇室の斯衛軍が泥にまみれて民を救っている間、懐の銭を抱え込んで指をくわえて見ておられた』などと奏上されてしまったら……いやあ、私の口からはとても申し上げられませんなぁ」
慇懃無礼極まる笑顔の裏に、カミソリのような刃物を忍ばせた完璧な恫喝。
世論の暴動という「下からの突き上げ」と、皇室への不敬という「上からの鉄槌」。
その二つの万力で挟み込まれた財閥の重鎮たちは、額から滝のような冷や汗を流し、もはや白旗を上げる以外の選択肢を奪われていた。
結果――竜宮が懐に収めて帰ってきたのは、消費した軽油や食糧、機材の減価償却費の全額補填どころではなかった。
「震災復興特別義捐金」という名目で毟り取った莫大な現金に加え、満州産の鉄鋼、セメント、原油といった戦略物資の最優先供給枠まで、お釣りが山ほど出る規模でごっそりと巻き上げてきたのである。
「ぶははははっ! 相変わらず、えげつない真似をするな、カズシ!」
竜宮警備の社長室で、戻ってきた竜宮の報告書を見たクリームヒルトが、ソファーの上で腹を抱えて大爆笑していた。
黄金の長髪を波打たせ、涙が出るほど笑い転げている。
「天下の財閥の古狸どもを、世論と天皇家を盾にして脅し上げるなど……! プロイセンのユンカーですら、そこまで露骨な恐喝はせんぞ!」
「恐喝とは人聞きの悪い。私はただ、応分の社会的責任を果たしていただいたまでのことさ」
竜宮は淹れ立ての紅茶を啜りながら、澄ました顔で肩を竦めた。
だが、その手元にある帳簿には、以前を遥かに上回る潤沢な活動資金と物資の数字が、黒々と刻み込まれていた。
民を救い、英雄と崇められ、裏では財閥の喉元にドスを突きつけて巨利を貪る。
善と悪、光と闇を完全に使い分け、破滅の未来を迎え撃つための「竜宮の帝国」は、また一つ、その強固な牙城を太らせていた。
◇◇◇
静岡の地に激震が走ってから、一ヶ月の月日が流れた。
八月。
真夏の照りつける陽光の下、静岡や沼津の避難所となっていた学校の校庭には、この時代の人間がかつて見たこともない異様な光景が広がっていた。
土ぼこりが舞っていたはずのグラウンド一面に、整然と打ち込まれた軽量鉄骨のフレーム。
そこへ、規格化された断熱パネルがボルト留めで次々と嵌め込まれ、二階建て、三階建てへと幾重にも連結された「即席の集合住宅」――前世の現代人であれば誰もが見慣れた、プレハブ工法による『応急仮設アパート群』が立ち並んでいたのだ。
各財閥の重役室から毟り取ってきたセメント、鉄鋼、建材の数々が、寸分の無駄もなくこの場へと注ぎ込まれた結果であった。
「仮住まいの粗末なバラック小屋」などと呼ぶには、その建物はあまりにも先進的でありすぎた。
むしろ、照和初期の長屋や隙間風の吹き抜ける古い木造家屋に暮らしていた庶民たちからすれば、
「……おい、前のウチの家よりずっと綺麗で立派じゃねえか」
「壁から隙間風も入ってこねえし、床板もしっかりしてるぞ」
と、呆気にとられる者が続出するほどの居住性を誇っていた。
竜宮農業の倉庫や泰山航空工業の現場で培われた断熱技術と通風設計が惜しみなく盛り込まれ、天井には竜宮警備の可搬型発電機から引かれた電灯が灯り、窓には網戸すら完備されている。
もちろん、敷地と物資の制約上、一人ひとりに個室をあてがうことまでは叶わなかった。
だが、薄いカーテンで申し訳程度に仕切られただけの体育館の雑魚寝生活から、鍵のかかる扉で仕切られた「世帯ごとの独立した空間」へ移り住めるということ――それは、過酷を極める避難生活において、民衆の精神を摩耗から救い出す何よりも尊い贈り物であった。
隣の部屋の目を気にすることなく、家族だけで食卓を囲み、疲れた身体を横たえて涙を流すことができる。
人間の尊厳を守るための「プライベート」という概念を、この時代の被災民は、身をもって噛み締めていた。
「……見事なものですね、竜宮さん」
完成した仮設住宅の並木道を歩きながら、視察に訪れた東野源一郎が心底から感嘆の声を漏らした。
昭和二十年の敗戦技術者であった東野にとって、被災地といえば焼け野原にトタン板を立てかけただけの無残なバラック街が原風景であった。
これほど整然と、かつ衛生的に建てられた仮設都市など、前世の終戦直後ですら目にしたことのない奇跡であった。
「人間、腹が満たされても、他人の視線に晒され続ければ心が腐って自滅しますからね。兵站の基本ですよ」
竜宮は銀縁眼鏡を押し上げ、子供たちが駆け回るプレハブの路地を冷徹な目で見つめた。
もちろん、竜宮の頭の中にあるのは人道支援の美談だけではない。
この規格化パネルと軽量鉄骨による急速建築技術は、ひとたび有事となれば、何千、何万の将兵を前線で風雨から守る「野戦兵舎」となり、前進航空基地の「臨時司令部」となり、最前線の「野戦病院」へと一夜にして化ける。
泥濘の大陸であれ、南方の孤島であれ、輸送ヘリで資材を降ろせば数時間で近代的な軍事拠点を組み上げられるという実証実験を、竜宮は震災復興の看板を掲げながら、完璧に完遂していたのだ。
「竜宮の旦那! いつも本当にありがとうごぜえます!」
通りがかりの開拓民上がりの大工が、深々と頭を下げていく。
その感謝を片手で受け流しながら、竜宮の視線は遠い西の空――いよいよ歴史の針が破滅へと加速し始める、来たるべき「照和十一年」の足音へと向けられていた。
民を救い、軍団を鍛え、兵站を固め、莫大な富を蓄えた。
帝都を揺るがす未曾有の大事件まで、残された時間はあとわずか。
竜宮一士が仕掛ける盤上の布石は、何者にも不可逆の領域へと、確実にその歩みを進めていた。
◇◇◇
静岡の地に激震が走ってから、二ヶ月の歳月が過ぎた。
秋風が駿河湾から吹き抜ける頃、被災地を埋め尽くしていた倒壊家屋の瓦礫や山肌を崩した土砂の撤去作業は、ほぼ完全に完了していた。
「雷震」をはじめとする重機の圧倒的な馬力と、手際よく資材を搬出し続けたトラック部隊の奮闘により、街は驚くべき早さで整地され、見渡す限りの広大な更地へと姿を変えていたのだ。
だが――街が綺麗に片付けば片付くほど、被災民たちの胸には、別の、より重く冷え切った現実が重くのしかかり始めていた。
「……更地にはなったが、これからどうやって暮らせばいいんだ」
先祖代々から受け継いできた、いまや何一つ遮るもののない土の地面を前にして、多くの人々が力なく立ち尽くしていた。 住むべき「家」が、影も形もないのだ。
ある程度の手元資金や蓄えを持つ地主や大店(おおだな)の商人であれば、すでに大工を手配し、木材を買い付けて自宅の再建に着手していた。
だが、この時代は世界恐慌の余波がなお列島を苛む暗黒の不況期である。
日々の食い扶持を稼ぐだけで精一杯だった零細な職人や小作農、長屋住まいの庶民たちにとって、家を一軒新築する金など、天地がひっくり返っても用意できるはずがなかった。
学校の校庭に建てられたプレハブのアパート群は、雨風をしのぎ、家族のプライバシーを守るには申し分のない施設であった。
しかし、それはどこまで行っても応急の「仮住まい」に過ぎない。
いつまでも学校を占拠し続けるわけにはいかず、いずれは立ち退かねばならない一時的な避難所に過ぎないのだ。
銀行へ駆け込んだところで、無担保の被災民に金を貸してくれるような奇特な金融機関などこの時代には存在しない。
高利貸しに手を出せば、今度は家族の身売りが待っている。
「家を建てる銭がねえ……」
「土地はあるのに、野宿するしかねえのか……」
瓦礫が撤去されて平らになった大地の上で、人々は再建の目処も立たぬまま、途方に暮れて項垂れていた。
初動の人命救助という「戦術的勝利」の後に訪れた、生活再建という「経済的敗北」の影。この時代の社会保障の貧弱さが、容赦なく被災民の首を絞めようとしていた。
その光景を、静岡駅の跨線橋から冷徹に見下ろしていた竜宮は、胸ポケットから取り出した万年筆を指先で弄びながら、静かに息を吐き出した。
(命を助けただけで満足して、その後の生活を野垂れ死にさせるなら、初めから助けなかったのと同じだな)
前世の令和において、自然災害の後に被災地が直面した「災害関連死」や「経済的困窮によるコミュニティの消滅」を、竜宮は嫌というほど知っている。
家を建て直せない民衆が街を捨てて散り散りになれば、せっかく東海道の要衝として確保した静岡のインフラも、港湾も、鉄道網もすべてが死に体と化す。
それは、竜宮グループにとっても戦略的な大打撃であった。
「……銭がないなら、銭がなくても家が建つ『仕組み』を売ってやるまでのことさ」
竜宮の口元に、いつもの不敵で老獪な笑みが浮かんだ。
北海道の開拓地で確立した、驚異的な低コストで量産できる規格化パネル住宅の生産ライン。
そして、前世の現代社会において庶民のマイホームを支えた、この時代には影も形もない「長期分割払い」と「土地担保型の復興金融システム」。
途方に暮れる民草を絶望の底から救い上げ、同時に己の経済圏へと強固に組み込むための次なる一手――。
元「民大将」の計算高い視線は、すでに静岡の更地を近代的な計画都市へと生まれ変わらせるための、次なる巨大な図面を描き始めていた。
「……まったく。俺はこれから、あと幾つの看板を掲げれば済むんだろうな」
静岡の更地を見下ろす駅前臨時事務所で、竜宮は新しく刷り上がったばかりの二枚の登記申請書を眺めながら、思わず自嘲の混じった溜め息を漏らした。
机の上に並んでいたのは――「竜宮住建株式会社」、そして「竜宮保険相互会社」の設立書類であった。
だが、自嘲しながらもその手腕に迷いは微塵もない。
更地に立ち尽くす民草を救い、街を復興させ、なおかつ己の経済圏へと強固に組み込むためには、前世の近代社会を支えていたシステムを丸ごとこの照和の世に移植する他になかったのだ。
竜宮住建が提示したのは、この時代の人間が聞いたこともない「住宅再建パッケージ」であった。
まず、被災民の敷地内に竜宮重工製のプレハブ規格住宅を電光石火で建て上げる。北海道開拓の現場で洗練された耐震・断熱パネル工法を用いているため、着工からわずか数日で頑強な一軒家が完成するのだ。
そして、その建築費の支払いに導入されたのが――前世の現代人なら誰もが知る『住宅ローン』であった。
手元にまとまった現金がなくとも、土地を担保にして最長三十年の低利分割払いで家が建つ。
日々の賃金や収穫から無理のない範囲で月々返済していけばいいというこの前代未聞の仕組みは、金を工面できずに野宿を覚悟していた被災民にとって、暗闇に突如として差し込んだ救いの光であった。
さらに、竜宮のインテリヤクザたる真骨頂は、そこに「竜宮保険」を抱き合わせで組み込んだ点にあった。
住宅ローンを組むと同時に、火災保険、風水害保険、そして万一の世帯主の死亡に備えた生命保険をセットで契約させる。
前世において当たり前だったリスクヘッジの金融商品を網羅させることで、被災民は二度と天災による破滅に怯える必要がなくなり、竜宮の手元には毎月莫大な保険料のプール金が雪崩を打って転がり込んでくる。
「住宅金融と損害保険の設計、専門家がいなければ立ち行かないのでは?」
東野が心配そうに尋ねてきたが、竜宮は銀縁眼鏡の奥で薄く笑った。
「心配いりませんよ。その道のエキスパートなら、ウチの事務室に掃いて捨てるほどゴロゴロしていますから」
前世で大手生保の査定人をやっていた元キャリアウーマンや、都市銀行の住宅ローン審査を担当していた元行員、損保の約款を隅々まで暗記している百戦錬磨の事務員たちが、竜宮警備のバックオフィスには山のように囲い込まれている。
彼女たちを新会社の重職へスライドさせるだけで、照和初期の官僚ですら頭を抱えるような精緻な金融約款が、わずか数日で完璧に仕上がった。
そして、事業の急拡大に伴うマンパワーの不足を補う手段も、すでに確立されていた。
全国紙の朝刊に、一枚の折り込みチラシを挟み込むだけで良かったのだ。
『週休二日制・有給休暇あり。交通費全額支給、社宅寮完備。年二回ボーナス支給。――アットホームな職場です』
その言葉の真の意味――すなわち「我、ここに在り」というコールサインを理解できるのは、前世の記憶を持つ転生者たちである。
チラシが一面に配られるや否や、全国各地の寒村や都市で燻っていた元現代人たちが、まるで磁石に吸い寄せられるように竜宮の門前へと列を成した。
だが、それだけではなかった。 この破格極まりない募集要項は、前世の記憶を持たぬ照和の一般市民にとっても、目を疑うような夢の待遇として響き渡ったのだ。
「週に二日も休みがあるのか!?」
「電車賃を出してくれる上に、年に二回も小遣いをくれるのか!?」
と、飢えと不況に喘ぐ若者や職人たちが、我先にと応募窓口へと殺到したのである。
竜宮の人材配置の方針は極めて合理的であった。
機密兵器の設計や特殊部隊の指揮を担う「竜宮警備」の中枢だけは、情報漏洩を防ぐために純度百パーセントの前世転生者でガチガチに固める。
だが――新設された竜宮住建や竜宮保険、そして竜宮農業や竜宮重工といった一般事業においては、前世持ちであろうと照和の人間であろうと、働く意欲さえあれば幾ら人が来ても大歓迎ウェルカムであった。
それもそのはずである。
何十万ヘクタールもの原生林を切り拓く北海道のメガファーム大開拓と、東京湾の対岸で巨大造船所と国際級メガエアポートを一から造成している房総半島のコンビナート建設――。
竜宮が同時並行で進めている国家改造事業の胃袋は、何千人、何万人という労働力を呑み込んでもなお、底なしの人手不足に喘ぎ続けていたのだから。
「静岡の家を建て直し、あぶれた人手は北海道と房総へ回せ。一人残らず食わせて、使い倒すぞ」
竜宮が下す指揮のもと、静岡の更地には規格化住宅が立ち並び、被災地は近代的なモデル都市へと生まれ変わりつつあった。
そして、その復興の輪から溢れ出た無数の労働力は、北の大地へ、東海道へ、そして房総の臨海プラントへと送られ、竜宮の帝国の歯車をさらに凄まじいトルクで回転させていく。
救済と復興、そして資本の自己増殖。
少年実業家の姿をした怪童の足元で、日本列島の勢力図は、軍部が気づかぬうちに根本から塗り替えられようとしていた。
静岡震災の救援活動において、鴻上昴の威光を背負って鉄道省の喉元へねじ込ませた「ディーゼル機関車特別ダイヤ」――竜宮は、その既成事実をみすみす手放すような甘い男ではなかった。
非常時特例の臨時便であったはずの運行枠を、復興物資の輸送継続と被災民の移動支援という大義名分を盾にしてそのまま居座らせ、静岡から帝都・東京へと至る東海道本線の定期運行便へと鮮やかに再編・定着させたのだ。
前世において『銀河鉄道』の物語をこよなく愛していた竜宮にとって、煙と蒸気を吹き上げて疾走する蒸気機関車は、男のロマンを掻き立てるこの上なく風情ある存在ではあった。
だが――軍事と経済の実利という冷徹な天秤にかけた時、風情など一文の価値もない。
頻繁な給水や石炭の補給を一切必要とせず、煤煙で乗客を燻すこともなく、何十両もの貨車と客車を満載にして箱根の急勾配を平然と駆け抜けるディーゼル機関車は、まさに時代を力ずくで引きずり回す「鉄の化け物」であった。
そして、東京駅へと滑り込ませたその鉄路の先を、竜宮はさらに東へと伸ばした。
東京を起点とし、千葉をぐるりと迂回して、自社の一大拠点である房総半島のコンビナートとメガエアポート建設地へと乗り入れるルートを確立させたのだ。
ただし、静岡から房総への「全線直通運転」はあえて見送った。
静岡から東京、そして東京から房総――あえて帝都・東京をターミナルとして分割運行させる構造をとったのだ。
一本の長大な直通列車にしてしまえば、往復の走行距離が長くなりすぎて車両の整備サイクルが狂い、どこか一箇所で事故や遅延が発生した瞬間に全線のダイヤが麻痺してしまう。
東京を乗り換え・積み替えのハブとして切り離すことで、各列車の往復距離を短く抑え、故障リスクを分散させ、運行ダイヤの編成と保守点検を劇的に効率化させるという、前世の近代鉄道工学の鉄則であった。
だが、これらはすべて「序の口」に過ぎなかった。
「……いつまでも国の線路を間借りしていては、いずれ軍部や鉄道省の横槍が入るからな」
東京駅前の仮事務所で、竜宮は関東一円の鉄道路線図の上に赤ペンを走らせた。
いくら皇室の威光をチラつかせようと、国有鉄道の線路を使っている限り、ダイヤの優先順位や運行権の主導権は官僚の手に握られたままだ。
ならば、どうするか。 答えは一つしかなかった。
竜宮はまたしても新たな看板を掲げ、民間鉄道会社「竜宮鉄道」を電光石火で立ち上げた。
そして、房総半島の買収地から東京湾沿岸へ向けて、自前の専用線路を敷設する大規模な土木工事を、文字通り力ずくで開始したのである。
一民間企業が自前で幹線鉄道を敷くなど、当時の財界から見れば正気の沙汰とは思えぬ暴挙であった。
竜宮が見据える最終到達点は、目先の通勤・貨物輸送などという矮小な枠組みには収まっていなかった。
航空産業においてジャンボジェットが「必ず当たる宝くじ」であるならば、陸上交通において絶対に外れることのない黄金の覇権――それこそが、時速200㎞を超える超高速鉄道網、『新幹線』の現出であった。
軍部が大陸進出にうつつを抜かし、やがて検討し始めるであろう「弾丸列車計画」などという机上の空論を待つ気はない。
民間の手で、最初から標準軌による強固な路盤を敷き詰め、高出力のディーゼル、そしていずれ訪れる電化による高速電車を走らせるための「未来の鉄路」を、今この瞬間から自前で建設し始めたのだ。
「新幹線、ですか……。またしても途方もない夢を追われますね」
青写真を見つめる東野が呆れ混じりに呟くと、竜宮は銀縁眼鏡の奥で不敵に目を細めた。
「夢ではありませんよ、東野社長。これは五年後、十年後の日本列島を一つに結ぶ『生きた血管』です。空を飛ぶ翼と、大地を駆ける標準軌が揃った時、この国の物流は世界最強となる」
房総の原野に打ち込まれる、巨大な標準軌用のコンクリート枕木。
空のジャンボジェット、海の潜水母艦、陸の人型兵器に続き、鉄路の弾丸までもが、竜宮の手によってその軌道を未来へと伸ばし始めていた。