国際連盟を脱退したからといって、世界各国との国交が即座に途切れるわけではない。
当時の国際社会において、連盟の議場を去ることと、二国間の条約や通商関係を断絶することは全くの別問題であった。
大使館は機能し続け、商船は海を往来し、為替の手形は日々決済されていた。
そして何より――竜宮の手元には、中立国スウェーデンを拠点とするクリームヒルトとヴィッテンフェルト家の在外ネットワークという、列強の監視をすり抜ける強大な「裏の国際回線」が存在していた。
その回線を通じて、極東の島国へと雪崩れ込んできたのは、ユーラシア全土を覆い始めた暗黒の濁流から逃れ出た、膨大な数の「命」であった。
西暦一九三六年。 アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツにおいて、「ニュルンベルク法」の制定によって市民権を剥奪され、苛烈を極める迫害に怯えていたユダヤ人たち。
そして時を同じくして、スターリンが君臨するソビエト連邦において、血で血を洗う狂気の粛清――「大テロル」の嵐が吹き荒れ、処刑と強制収容所の恐怖から命からがら国境を越えてきたロシアの亡命者たち。
思想、人種、階層を問わず、ファシズムと共産主義という二大全体主義の圧政から逃れたいと願う人々が、スウェーデンやバルト海の港、あるいはシベリア鉄道の終着点を通じて、日本へと続々と集結し始めたのだ。
「……集まった連中は、一人残らず船に乗せて北へ送れ」
横浜や神戸の港に降り立つ難民たちの名簿を検分しながら、竜宮は淡々と命じた。
送り先は、他でもない――あの広大無辺な「北海道」であった。
もちろん、彼らを極寒の原野に放り出して野垂れ死にさせるような真似は毛頭ない。
竜宮住建が誇る断熱プレハブ住宅があらかじめ敷地内に整然と立ち並び、竜宮農業が備蓄する温かいシチューや握り飯が湯気を立て、真冬の寒さを跳ね返す防寒電熱服が全員に支給される。
衣食住の完全保障。その代わり、彼らに与えられた仕事は――「北海道再開拓」という、未開の原野を沃野へと変える土木と農業のフロンティアワークであった。
追いつめられ、家も財産も奪われ、いつ銃殺されるか分からぬ恐怖に震えていた難民たちにとって、その環境は信じ難いほどの奇跡であった。
肌の色や宗教の違いで差別されることもなく、家族と共に鍵のかかる清潔な部屋で眠り、働いた分だけ正当な賃金と温かい飯が約束される。
大黒柱を持ち上げる「雷震」や、頭上を物資を運んで飛ぶ「嵐征」の巨影に最初は腰を抜かしたものの、それが自分たちの生活を守る道具だと知るや、彼らは涙を流して感謝し、競うようにして開拓の鍬を振るった。
しかも、集まってきたのはただの労働力だけではなかった。
ナチスに追われたユダヤ人の中には、世界最先端の物理学、化学、材料工学を修めた学者や数学者が数多く含まれていた。
ソ連から逃れてきた亡命者の中には、精緻な工作機械を扱える熟練工や、寒冷地農業のノウハウを知り尽くした技師たちが溢れていた。
彼らが北海道のメガファームや、房総半島の竜宮重工の研究施設へと合流した瞬間、竜宮グループの技術開発力は、文字通り「世界最高峰の頭脳集団」を抱え込むこととなったのだ。
結果として、国際社会において極めて奇妙な、そして劇的なパラダイムシフトが巻き起こった。
「国際連盟を傲慢にも蹴り飛ばし、世界から孤立した極東の軍国主義国家」――欧米の新聞が当初そう書き立てていた大日本帝国が、蓋を開けてみれば、ナチスや赤色巨人の魔の手から逃れる人々を無制限に受け入れ、温かい寝床とパンを与える、地球上で最も人道的な『約束の地』として、世界中の避難民の間で伝説的な評判を呼び始めたのである。
特に、アメリカや英国の在外ユダヤ人社会や人道支援団体は、極東の島国が見せた破格の包摂政策に度肝を抜かれ、惜しみない賛辞と、水面下での莫大な支援資金を竜宮グループへと注ぎ込み始めた。
「……国際世論とは、現金なものだな」
社長室で欧米各紙の論説をめくりながら、竜宮は銀縁眼鏡の奥で冷ややかに口角を吊り上げた。
人道主義の美名を掲げるつもりなど毛頭ない。
ただ、前世で物資と人手の枯渇に泣かされた経験から、優秀な頭脳と強靭な労働力を他国の暴君たちが勝手に手放してくれたので、余さず拾い集めて自らの力へと変えただけの話であった。
北海道の広大な大地に響き渡る、ロシア語、ドイツ語、イディッシュ語、そして日本語の交錯する歓声。
迫害の嵐が世界を覆い尽くそうとする時代にあって、北の大地は、多様な英知と数万の命を抱き込み、誰にも破れぬ巨大な「不沈の城塞」へと、その根を深く深く張り巡らせていた。
◇◇◇
雪の二・二六事件がわずか半日で電撃的に鎮圧されたという報せを受けた時、霞が関の海軍省の一角で、高野五十六海軍少将は執務机の上の書類から顔を上げ、深く、重い吐息を漏らしていた。
(……歴史が、完全に別の奔流へと流れ込んでいる)
昭和十八年四月十八日。
ソロモン諸島ブーゲンビル島の上空において、搭乗していた一式陸上攻撃機が米軍のP-38戦闘機群の急襲を受け、ジャングルの業火に包まれて戦死した元連合艦隊司令長官・山本五十六。
彼が再び目を開けた時、その魂は明治三十八年、日露戦争の日本海海戦において煙霧たなびく装甲巡洋艦「日進」の甲板に立っていた。
左手の指二本を吹き飛ばされた前世の負傷をすんでのところで回避し、五体満足の身体を保ったまま目覚めた高野は、山本家の家督を継ぐことなく生家の「高野」姓のまま海軍へと留まり、航空主兵論の確立と次世代航空機の開発に心血を注いできた。
前世の二の舞を演じ、祖国を再び灰燼に帰さしめるわけにはいかない――その執念だけが彼を突き動かしていた。
だが、この後世世界において展開されている現実の様相は、高野の知る歴史の枠組みを根底から粉砕していた。
「ヘリコプター」と呼ばれる未知の回転翼機が全国の空輸産業をリードし、 静岡の震災では全高三・五メートルもの「人型機動兵器」が瓦礫を軽々と持ち上げて民衆を救い、
一民間企業が斜め飛行甲板を備えた航空母艦を平然と進水させ、
民間警備会社という看板を隠れ蓑にして、帝国陸軍の正規師団すら圧倒しかねない私設武装部隊が蠢いている。
さらには、極寒の北海道において、世界中から集まる難民を丸ごと養い尽くすほどの規格外のメガファーム大開拓まで成し遂げているのだ。
そして――その全ての中心に座しているのが、弱冠16歳の少年、竜宮一士だという。
(……麒麟児だと? 笑わせるな)
高野は左手を開閉させながら、冷徹に思考を巡らせた。
いくら天才であれ、神童であれ、一介の少年がゼロからこれほどの軍事技術と国家規模の兵站インフラを同時に組み上げられるはずがない。
そんな寝言を鵜呑みにするほど、高野の頭は耄碌していなかった。
あの少年もまた、己と同じ――あるいは己以上の「未来」を知る後世復命者に違いない。
さらに、陸軍の動きも前世とはまるで異なっていた。
一歩間違えれば陸軍そのものが内部分裂し、血みどろの内戦に突入しかねない極限の賭けを打って、皇道派を電撃的に鎮圧してみせた陸軍中将・大高弥三郎。
前世の陸軍において常に無視され続けた「兵站」の絶対性を説き、中国大陸への泥沼の戦線拡大に対して頑強な慎重論を唱え続ける、陸軍唯一の開明的な巨頭。
二・二六事件が未遂に終わり、皇道派が粛清されたことで、軍部主流派――東條英機ら統制派の強硬論者たちですら、好き勝手に国家を戦争へと引きずり込むことができなくなった。
これは祖国の破滅を回避したい高野にとって、願ってもない好材料であった。
だが――高野の胸中には、依然として晴れぬ焦燥の炎がくすぶり続けていた。
やがて来るべき、強大な工業力を誇るアメリカ合衆国との対峙。
いかにして戦争そのものを回避するか。
あるいは、万が一戦端が開かれたとして、いかに被害を極小に抑えて早期の和平講和へと持ち込むか。
それを日夜研究し続ける高野にとって、現在の海軍航空隊が保有する九〇式艦上戦闘機や、開発が進む九六式艦戦・陸攻の性能は、あまりにも非力で、あまりにも頼りなかったのだ。
海軍工廠の技術者たちが「全金属製」や「沈頭鋲」の採用程度で頭を抱えている間に、民間の泰山航空工業は、時速三百キロを遥かに超える武装回転翼機を飛ばし、小型ガスタービンや過給器付きターボプロップ機関を平然と量産している。
「……背に腹は代えられん、か」
海軍の面子など、国家の存亡に比べれば羽毛よりも軽い。
腹を括った高野五十六は、軍服ではなく平服の背広に身を包み、自ら車を走らせて東京湾沿岸――泰山航空工業株式会社の正門前へと降り立った。
社長室へ通された高野を待ち受けていたのは、油の匂いを漂わせた初老の男――泰山航空工業社長、東野源一郎であった。
「……突然の不躾な訪問をお許し願いたい。海軍の高野五十六と申します」
差し出された名刺の文字を一瞥した瞬間、応接机を挟んで座る東野の眉が、ピクリと跳ね上がった。
昭和二十年の敗戦の記憶を持つ東野にとって、その名はあまりにも巨大な歴史の亡霊であった。
そして――昭和十八年に墜落死した記憶を持つ高野にとっても、目の前の社長が放つ、ただの町工場の経営者とは思えぬ底知れぬ技術者の眼光は、強烈な違和感を放っていた。
二つの異なる「前世」を背負った男たちの視線が、静まり返った社長室の中で、火花を散らして交錯した。
「東野社長。単刀直入に申し上げたい。――我が海軍航空の未来のために、貴社のその異次元のエンジンと機体設計の技術……どうか、力を貸していただけないだろうか」
「高野閣下、誠に恐れ入りますが、少々お待ちいただけますでしょうか。……この技術の真の権利者であり、設計の全権を握る者を呼んでまいります」
東野源一郎はそう丁重に告げると、秘書室の工員へ向けて内線電話を回させた。
何せ、泰山航空工業と竜宮警備は敷地を接する「お隣さん」であり、資本も技術も完全に血を通わせた蜜月の関係である。
待合の革張りソファーで茶を啜る高野五十六の耳に、静かに廊下を踏みしめる靴音が届いたのは、それから十分も経たない頃であった。
コツ、コツ、と寸分の狂いもない一定のリズムで刻まれる乾いた足音。 引き戸が滑らかに開かれた瞬間、高野は思わず湯呑みを持つ手を止め、目を瞠った。
室内に足を踏み入れたのは、仕立ての良い「濃紺のスーツ」に身を包んだ少年であった。
だが、歴戦の海軍将官である高野の目は誤魔化せない。肩の縫製、胸元のカッティング、そして潮風と過酷な環境に耐えうる厚手の生地――装飾こそ削ぎ落とされているものの、その裁断は紛れもない「海軍軍服」の系譜そのものであった。
頭上に戴くのは、菊の御紋も錨の飾章も排されてはいるが、一目でそれと分かる端正な海軍軍帽。
両手には汚れ一つない純白の手袋。足元には、夜光の如く鏡面に磨き上げられた長革靴。
腰まで届く癖毛の長髪を襟足で揺らしながらも、そこに立っていたのは一介の新興企業の若社長などでは断じてなかった。
幾千の艦艇を見渡し、幾万の命を預かって海原を睥睨してきた――正真正銘の「海の男」の威厳が、少年の全身から濃密に立ち上っていた。
さらに、その少年の背後に控える少女の姿もまた、高野の度肝を抜くには十分すぎた。
陽光を浴びて煌めくプラチナブロンドの長髪と、冷徹なサファイアの瞳。
彼女が身につけていたのは、一見すればドイツの精鋭部隊――親衛隊かプロイセン名門の参謀将校かと見間違うような、漆黒を基調としたカッチリとした軍服と軍帽であった。
そしてその上から、純白の防寒上着をマントの如く颯爽と肩に羽織っている。
東野の呼び出しを受けて現れた、竜宮一士、そしてクリームヒルト・フォン・ヴィッテンフェルトであった。
「……お待たせいたしました、海軍少将・高野五十六閣下」
竜宮は軍帽の庇に白手袋の右手をスッと添え、寸分の乱れもない美しい海軍式敬礼を捧げた。
その所作一つ、重心の置き方一つをとっても、揺れる艦橋の上で鍛え上げられた本物の船乗りのそれであった。
高野は湯呑みを卓上に置き、ゆっくりと立ち上がった。
相手は十七歳にも満たぬ少年と、それよりさらに幼い異国の少女。
だが、高野の全身の皮膚が、歴戦の軍人特有の危険信号をチリチリと発信していた。
(……やはり、ただの童などではない)
前世の山本五十六として、幾多の名提督や海の猛者たちと対峙してきた高野の鑑識眼が、目の前の少年の「格」を一瞬で見抜いていた。
この少年は、書類の上で軍艦を弄んだだけの机上の秀才ではない。
血の混じった潮風を吸い込み、爆炎の海で舵を握り、自らの決断で数え切れぬ敵を海の藻屑へと沈めてきた――本物の「艦隊指揮官」の眼光を宿している。
「丁寧な礼を痛み入る。……貴殿が、噂の竜宮グループの代表……竜宮一士殿ですな」
高野もまた背筋を伸ばし、一人の提督に対する敬意を込めて、海軍式の答礼を返した。
社長室の窓から差し込む春の陽光の下、昭和十八年の空に散った海軍の巨頭と、令和五年の焦熱地獄から舞い戻った元「民大将」の視線が、音もなく正面から噛み合った。
「ええ。泰山航空工業の筆頭株主であり、技術の設計を一任されている竜宮警備代表、竜宮一士です。……そしてこちらは、我が技術提携パートナーであるヴィッテンフェルト家のクリームヒルト嬢」
竜宮がソファーを促すと、高野は静かに腰を下ろした。
少年の銀縁眼鏡の奥に、不敵で怜悧な笑みが微かに浮かぶ。
「……前世において」
竜宮はふっと肩の力を抜き、組んでいた白手袋の指を解いた。
銀縁眼鏡の奥の眼差しから、商人としての刺々しい値踏みの色が消え、代わりに現れたのは、過酷な海を生き抜いた軍人だけが知る、静謐で深い敬意の色であった。
「私は、山本五十六という一人の提督を、心から私淑しておりました」
その名を耳にした瞬間、高野五十六の身体が微かに震えた。
この後世世界において、自ら捨て去ったはずの旧姓。昭和十八年のブーゲンビル島上空で、無念の銃弾を浴びて散った己の前世の存在を、一世紀先の未来から舞い戻ったこの少年提督は、克明に知っていたのだ。
「航空主兵の重要性を誰よりも早く見抜き、日米の圧倒的な国力差を正確に把握し、無謀な戦争を何としても回避しようと最後まで足掻き続けた現実主義者。……そして何より、兵を消耗品としか見なさぬ軍令部の石頭どもに囲まれながら、若き搭乗員たちの命を惜しみ、苦悩し続けた悲劇の司令長官」
竜宮の声は、どこか遠い海を見つめるように静かであった。
「前世の昭和より先の未来において、私もまた『提督』と呼ばれながら、正規軍の無能と保身の壁に阻まれ、物資を断たれ、部下たちを守るために泥水を啜り続けました。……だからこそ、閣下。かつての貴方が背負わされたその孤独と無念の重さは、痛いほど理解できるのです」
「……竜宮殿」
高野は胸を突かれたように息を呑み、言葉を失った。
前世の帝国海軍において、自らの航空主兵論や対米非戦論を真に理解してくれる者など、数えるほどしかいなかった。
大艦巨砲の亡霊に憑りつかれた海軍中枢の中で、孤軍奮闘の末にブーゲンビルのジャングルへと散っていった己の魂を、これほどまでに深く受け止め、肯定してくれている。
その事実は、二度目の人生を歩む高野の魂の最深部を、熱く震わせるに十分であった。
「ですから、閣下。私は貴方に、技術を売るつもりなど毛頭ありません」 竜宮は姿勢を正し、再び怜悧な指揮官の顔つきを取り戻した。
「カネならスイス銀行に腐るほど眠っています。私が閣下に求める『血』とは、そのような端金ではない。――我が国の海軍を、その根底から作り変えるための『三つの覚悟』です」
「……聞こう」
高野が居住まいを正し、鋭い眼光で応じる。
「第一に、新型機およびエンジンの開発・生産から、海軍工廠の石頭どもを完全に排除すること。泰山航空工業および竜宮重工が全権を握る民間コンソーシアムに、開発の主導権と制式採用の決定権を委託していただきます。官僚の机上の空論で、防弾鋼板や無線機を『重い』などと削り落とす真似は、爪の先ほども許しません」
「呑もう。航空本部の全権をもって、海軍工廠の介入は私が力ずくで遮断する」
高野は即座に頷いた。
「第二に、海軍航空隊の優秀な若き搭乗員たちを、泰山航空および竜宮警備へ大量に出向させること。彼らには、この時代の複葉機乗りが誇る前近代的な『曲技飛行』や『勘と度胸』を一度すべて忘れさせます。計器飛行、編隊連携、そして我らが誇る『戦術データリンク』の現代教範を徹底的に叩き込み、絶対に死なないプロフェッショナルの航空集団へと鍛え直す」
「異存はない。勘に頼る空中サーカスなど、近代戦の前には的同然だ。徹底的に叩き直してくれ」
「そして、第三――」
竜宮は身を乗り出し、高野の目を射抜くように見据えた。
「大艦巨砲主義の亡霊どもが夢想している『大和型戦艦』をはじめとする、無用の長物たる巨大戦艦の建造予算を、閣下の手で根こそぎ毟り取っていただきたい。その巨額の血税をすべて、航空戦力の拡充、電探の開発、そして――深海を制する無音の潜水母艦と、補給兵站網へと強制的に振り替えさせるのです」
その言葉に、高野の口元が歓喜と獰猛さに歪んだ。
「さらに言えば、閣下。陸軍の中枢には、すでに大高弥三郎中将が座しておられます。陸と海がいつまでも醜い縄張り争いに明け暮れる時代は、昨日で終わらせねばならない。海軍航空隊は、帝国陸軍大高弥三郎閣下と電撃的に手を結び、来るべき国家改造の『翼』となっていただきます」
海軍工廠の解体、搭乗員の現代化、戦艦利権の粉砕、そして陸海軍の真の統合。
それは、既存の帝国海軍の歴史と伝統を根こそぎ叩き壊す、まさに狂気の抜刀であった。
だが、高野五十六は怯むどころか、低く、腹の底から哄笑を漏らした。
「ははっ……! 素晴らしい! それこそ、私が先の世でやり残し、夢にまで見た海軍の真の姿だ!」
高野は立ち上がり、分厚い右手を少年に向けて真っ直ぐに差し出した。
「喜んでその血を流そう、竜宮殿。いや――我が盟友たる、竜宮提督。貴殿が空の翼と海の牙を用意してくれるというのなら、私は海軍の古狸どもの喉笛を食いちぎってでも、その予算と権限を強奪して見せようではないか」
「ええ。存分に暴れていただきましょう、高野閣下」
竜宮が差し出した白手袋の手が、高野の武骨な手と固く、力強く握り合わされた。
ブーゲンビルの無念を背負う海の巨頭と、 令和の焦熱から舞い戻った元「民大将」。
二人の提督が交わした固い握手は、大艦巨砲の神話を過去の遺物へと葬り去り、照和の空と海に、何者にも撃ち落とせぬ「不滅の翼」を羽ばたかせるための、決定的な誓いとなった。
固い握手を解いた後、高野五十六は社長室の窓の外――遠く東京湾の水平線へ視線を向けながら、声を潜めて切り出した。
「……竜宮殿。実は、海軍内部においても、私と同じように先の世の記憶を抱いて生まれ直した者たちを集め、極秘裏にある集まりを結成している。名を『紺碧会』という」
「紺碧会……」
竜宮が呟くと、高野は重々しく頷いた。
「表向きは、若手や中堅将校による航空・潜水用兵の研究会という形をとっている。だが、その真の目的はただ一つ――来るべき『一二〇八』の開戦日を、いかにして回避するか。そして、もし国際情勢の激流に呑まれ、どうしても戦端が開かれてしまったならば、いかにして被害を最小限に抑え、早期に米国と妥協講和を結んでこの国を存続させるかだ」
前世の山本五十六が味わった、真珠湾攻撃の口火を切りながらも、最後は祖国が焦土と化すのを見届けるしかなかった痛恨の悔恨。
それを二度と繰り返さぬための組織。
「そのための次世代兵器――既存の軍令部の常識を打ち破る長距離航空機や、無音の水中兵器の開発計画も水面下で進めている。だからこそ、私は貴社のその飛び抜けた技術力に目をつけたのだ」
切々と語る高野に対し、竜宮は銀縁眼鏡を軽く押し上げ、薄く笑った。
「なるほど。……ならば閣下、私からも一つ、特大の情報を差し上げねばなりませんね」
「何かな?」
「先ほど申し上げた陸軍の大高弥三郎中将ですがね。……あの方もまた、貴方や私と同じ、前世の記憶を持つ『転生者』ですよ」
「……何だと!?」
高野は目を瞠り、思わず椅子から腰を浮かせかけた。
「大高閣下が……復命者だと? あの陸軍の……?」
「ええ。それだけではありません。閣下が海軍で『紺碧会』を組織されているように、大高閣下もまた、陸軍内部の転生者や良識派の同志たちを糾合し、『清風会』という一大勢力を築いておられます。先の二・二六事件を電撃的に鎮圧してみせたのも、その清風会の精鋭部隊ですよ」
竜宮の淡々とした言葉に、高野は呆然と口を開き、次いで「参ったな」と言わんばかりに自らの短い刈り込み頭をバリバリと豪快に掻きむしった。
「……いやはや、灯台下暗しとはこのことだ。大高君が以前から兵站を重んじ、大陸への深入りに警鐘を鳴らす極めて開明的な人物であることは、もちろん知っていた。だが、まさか彼も先の世を知る同胞であり、陸軍の中で同じように同志を集めていたとはな……」
苦笑いを浮かべる高野の表情には、組織の枠を超えた奇妙な安堵と可笑しさが滲み出ていた。
「陸も海も、あの地獄を一度骨の髄まで味わった者が考えることは、結局のところ寸分違わず同じだったというわけだ。……我ら前世持ちが互いに腹を探り合い、目の前にいる同志にすら気づかずにいたとは、我ながら滑稽極まりない」
陸軍と海軍。
明治以来、互いに反目し合い、予算を奪い合い、同じ敵と戦うことすら忘れて足の引っ張り合いを続けてきた日本の宿痾。
その病根を、前世の記憶を持つ二人の巨頭が、それぞれ水面下で同時に叩き壊そうとしていたのだ。
「閣下。お互いに同じ痛みを背負い、同じ未来を憂いているならば、話は早い」
竜宮は卓上の手帳を閉じ、冷徹な仲介者としての視線を高野へ向けた。
「軍令部や参謀本部の耳目を避け、陸と海のトップが手を取り合うための『場』が必要です。……私が仲介人を務めましょう。竜宮警備の地下要塞か、あるいは神楽坂の隠れ家に、大高中将をお呼びします。そこで、海軍の『紺碧会』と陸軍の『清風会』を、正式に裏で結びつけるのです」
一介の民間企業の代表であり、同時に誰の派閥にも属さぬ「民大将」だからこそできる、中立にして絶対の架け橋。
高野は居住まいを正し、力強く頷いた。
「願ってもない提案だ、竜宮殿。……陸と海が真に一つとなり、貴殿の持つ未来の力と結びつくならば、我らはもはや軍閥の暴走を止めるどころか、この国の運命そのものを力ずくで書き換えることができる」
海の「紺碧会」、陸の「清風会」、そして、宮中の「帝国斯衛軍」と、時代を超越した技術を握る「竜宮グループ」。
破滅へのカウントダウンが進む照和の空の下。
国家の背骨を水面下からすげ替えるための、史上最大の「救国同盟」が、一人の少年の差配によって、ついにその全貌を現そうとしていた。