曙光の艦隊   作:星乃 望夢

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第二十二話 日中講和

南京・国民政府軍事委員会――その総統府大会議室は、文字通りの恐慌と錯乱の坩堝と化していた。

 

「……もう一度言ってみろ! 貴様、電文の翻訳を間違えたのではないか!?」

 

軍事委員会委員長・蒋介石は、手にした報告書を激しい剣幕で大理石の机へ叩きつけた。

 

額には青筋が浮かび、傍らに控える最高幹部たちも、蒼白な顔を見合わせている。

 

電信兵は震え声で、机の上の紙片を指差した。

 

「ま、間違いありません、委員長! 上海前線より脱出してきた憲兵隊長、および共同租界の密偵からの緊急電です!上海軍令部庁舎を占拠している敵部隊は……見たこともない装甲の服を着込み、超高速で連射する新式の自動小銃で武装。そして……日の丸の巨人のみならず、ソビエトの赤旗、イギリスの軍旗、アメリカの星条旗を掲げた兵士たちが、肩を並べて防衛線を敷いているとのことです!」

 

「馬鹿なッ! 狂気の沙汰だ!」

 

「ソビエトは我が国に武器を売り、英国は香港を通じて支援し、米国も中立を保ちながら義勇軍の編成を黙認していたはずだ!なぜその米英ソの正規軍が、日本軍と共に上海を占領しているのだ!?」

 

「さらに、洋上の報告も入っております!」

 

情報将校が悲鳴のような声を上げた。

 

「黄浦江の河口に、赤色海軍の戦艦『ガングート』が座乗!その隣には英国海軍の空母『ハーミーズ』、米国海軍の空母『ラングレー』が停泊し、日本海軍の空母群と共に上海沖を完全に海上封鎖しております!」

 

静寂。

 

そして、その場にいた全員の思考が完全に焼き切れた。

 

戦艦ガングート、空母ハーミーズ、空母ラングレー。

 

世界の海軍年鑑に載っている列強の軍艦が、なぜか極東の上海に集結し、手を取り合って日本軍の空母と艦隊を組んでいる。

 

陸を見れば、空飛ぶ回転翼機、二足歩行の鋼鉄の巨人、そして多国籍の兵士たちが同じ陣地で笑い合いながら国民党軍を薙ぎ払っている。

 

「……世界大戦が、始まったというのか?」

 

誰かが茫然と呟いた。

 

「欧米列強とソビエトが、我が国民政府を裏切り、日本と手を組んで我が国を分割統治しに来たというのか……!?」

 

理解の範疇を完全に超えた異常事態。

 

背後で操り、日本を泥沼に引きずり込むはずだった「国際協調」の構図が、一夜にして「全世界 対

中華民国」という狂気の悪夢へとすり替わっていた。

 

蒋介石は椅子の背もたれに崩れ落ち、震える手で頭を抱え込むしかなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

一方、上海共同租界――ドイツ軍事顧問団の連絡本部。

 

煙草の煙が重く淀む作戦室で、アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン歩兵大将は、ベルリンの陸軍総司令部から届いたばかりの至急暗号電を握りしめ、乾いた笑いを漏らしていた。

 

『――極東におけるいかなる新型兵器の配備、ならびに東プロイセン貴族部隊の派遣も、当総司令部は関知せず。当該の飛行機械および装甲兵器の存在は、軍部として完全なる未把握である』

 

「……関知せず、か」

 

ファルケンハウゼンは電文を灰皿へ放り込み、火をつけた。

 

ベルリンの軍部局ですら把握していない兵器。

 

だが、現実に窓の外を見れば、左肩にヴィッテンフェルト家の黒鷲を掲げた「シュツルムフォーゲル」が堂々とバリケードの前に立ち、その隣にはソ連の鎌と鎚を刻んだ巨人が15.2㎝砲を構え、イギリスのポンポン砲を抱えた青い騎士が睨みを利かせているのだ。

 

「閣下……南京の総統府から、先ほどから矢のような催促が届いております」

 

参謀の少佐が、脂汗を拭いながら伺いを立ててきた。

 

「『我が軍はどう対処すべきか、直ちに反撃の作戦指導を請う』と……」

 

「作戦指導だと?」

 

ファルケンハウゼンはバルコニーへ歩み寄り、ツァイスの双眼鏡で黄浦江の沖合を見つめた。

 

そこには、日・英・米・ソの軍艦が整然と並び、上空には正体不明の重攻撃ヘリとスツーカが乱舞している。

 

「少佐。貴様は、あの陣地に突撃を命じる作戦を立てられるかね?小銃の届かぬアウトレンジから15.2㎝砲が飛来し、肉薄すれば毎分千二百発の機関銃と自動小銃の豪雨に晒され、頭上からは37mm砲の急降下爆撃が降ってくるのだぞ」

 

「……不可能です。一個軍団を突入させても、三十分で全滅します」

 

「そうだ。あれは戦争ではない。『近代戦の実験場』だ」

 

ファルケンハウゼンは冷徹に言い切り、軍帽を目深に被り直した。

 

「蒋介石に電文を打て。――『これ以上の戦闘継続は完全なる自殺であり、中華民国の破滅を意味する。上海の奪還は不可能。直ちに日本側との停戦交渉を開始し、講和のテーブルに着かれたし。顧問団としての指導は、これをもって終了とする』とな」

 

プロイセンの老将による、決定的な引導。

 

わけの分からぬ超兵器と、あり得ない多国籍軍の亡霊艦隊。

 

軍事的な暴力のみならず、政治的・外交的な「不条理の絶望」を敵の脳髄に叩き込む――元「民大将」が仕掛けた心理戦の罠は、南京の指導層の心を、完璧なまでにへし折っていた。

 

 

◇◇◇

 

 

上海・元国民革命軍軍令部の貴賓室にて行われた停戦会談。

 

入室してきた南京国民政府の特使団が最初に受けた衝撃は、目の前に広がる光景の「異常な若さ」であった。

 

上海の重防備陣地を一瞬で粉砕し、数万の精鋭部隊を挽き肉に変えた悪魔の如き防衛線。

 

その陣地を鉄壁の規律で固めている兵士たちが、誰一人として例外なく、十代後半から二十代前半の「若者たち」だったのだ。

 

一兵卒や下士官の年齢でありながら、彼らが放つ冷徹な殺気と無駄のない所作は、各国の古参兵すら足元にも及ばぬほどの練度を誇っていた。

 

そして――長机の中央、全権代表の席に座っていたのは、成人も迎えていない十代の少年――竜宮一士であった。

 

少年の背後に控える面々も、外交常識を木っ端微塵に粉砕する顔ぶれであった。 漆黒の軍服に白の上着を羽織ったプラチナブロンドの少女・クリームヒルト。

 

精悍な面構えのドイツ青年将校・マスタング。 旧ロシア皇族の気品を湛えた少女・アナスタシア。

 

その横には、筋金入りの職業軍人たるロシアの巨漢・スミルノフ、生真面目な英国紳士・マデューカスと物腰柔らかなウォルコット、そして不敵な笑みを浮かべるアメリカ海軍の艦長・グローバル。

 

全員がそれぞれの母国の軍服を纏い、歴戦の覇気を漂わせる多国籍の将校団。

 

特使団の首席代表は、額に冷や汗を滲ませながら、震える手で持参した文書を卓上へと差し出すのが精一杯であった。

 

「……こ、国民政府主席・蒋介石閣下の名において、貴軍に対し……無条件の即時休戦協定を提案いたす」

 

その言葉が落ちた貴賓室の窓際には、この時代には存在しないパラボラアンテナ型の高利得通信設備が据え付けられていた。

 

沖合の空母「仙鷹」の電算機を経由し、東京の霞が関――海軍省の地下で作戦を監視する大高弥三郎と高野五十六の両名へ、音声がリアルタイムで直通していた。

 

スピーカーから、大高の低く重厚な声が響き渡る。

 

『――特使殿。大日本帝国として、貴国本土の領土占領を続ける意図は毛頭ない』

 

大高と高野の思惑は最初から一致していた。広大な中国大陸の泥沼へ足を踏み入れることなど愚の骨頂であり、一刻も早く兵を引き揚げ、対米英への備えと国内の国力充実に集中せねばならない。

 

だが、大高の声は冷徹に続いた。

 

『しかし……先に鉄路を爆破し、戦端を開いたのは貴国である。手ぶらで兵を引けば、我が国内の軍部主流派や世論の怒りを抑え込むことは叶わん。講和の絶対条件として――朝鮮半島と海を挟んで対峙する、山東半島の利権割譲、および治安維持権の委譲を要求する』

 

山東半島。黄海と渤海の制海権を握り、満州の南の喉元の要衝。

 

この地を確保すれば、国内の強硬派に対し「確固たる国防上の戦果を勝ち取った」と申し開きが立ち、軍を完全に撤退させることができる。

 

特使が「しかし、そのような領土の割譲など……」と青ざめて難色を示しかけた、その瞬間であった。

 

卓上に肘をついていた竜宮が、銀縁眼鏡の奥の瞳をすっと細め、冷酷なトーンで言葉を挟み込んだ。

 

「特使殿。勘違いをなさらないように」

 

少年の低く通る声が、室内の空気を一瞬で凍りつかせた。

 

「この条件は、貴方方と対等に妥協点を探るための相談ではありませんよ。……もしもこの提案を拒絶し、くだらない時間稼ぎをなさるというのなら――黄浦江に座乗するロシア戦艦『ガングート』を直ちに長江へと遡上させ、主砲による南京総統府への直接艦砲射撃を実施する用意があります」

 

「な……ッ!?」

 

特使の息が喉の奥で止まった。

 

「長江の制空権は、我が泰山航空と海軍航空隊が完全に掌握しています。ガングートの巨砲が長江から火を噴けば、南京の防空壕ごと、蒋介石閣下の執務室は数分でクレーターに変わる。……どちらを選ぶかは、貴方方の自由ですよ」

 

白手袋を組んだ竜宮の微笑みは、百戦錬磨の悪魔のそれであった。

 

背後で、アナスタシアの巨砲を抱いたスターリ・チェラーヴェークの影が、窓の外で重厚な駆動音を響かせる。

 

空にはスツーカ、海には多国籍艦隊。

 

そして首都南京の喉元に突きつけられた戦艦の主砲。

 

特使団に、拒否の選択肢など最初から存在しなかった。

 

「……わ、分かりました。直ちに、南京へ電文を飛ばし……委員長の署名を頂戴いたします……!」

 

崩れ落ちるように頭を下げた特使の姿を、竜宮は冷ややかに見届けた。

 

泥沼の長期戦へと雪だるま式に転がり落ちるはずだった日中戦争の歴史は、上海事変の電撃戦と、インテリヤクザが仕掛けた無慈悲な恫喝外交によって、開戦からわずか1週間余りという前代未聞の早さで、完全なる「終幕」へと叩き込まれたのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

長江の河口から、黄浦江の瓦礫の街、そして華北の荒野に至るまで――前線に張り巡らされたすべての無線機と野戦電話を通じ、極めて異例の「緊急勅令」が電送された。

 

『――全軍、直ちに戦闘行動を中止せよ。現占領線を以て陣地を固定し、休戦監視委員会の指示に従うべし』

 

突然の停戦命令に、泥濘の中で銃剣を構えていた帝国陸軍の歩兵部隊も、逃げ場を失い怯えていた国民革命軍の兵士たちも、一様に呆然として引き金を引く指を止めた。

 

白煙と硝煙が風に流れる戦場に、静寂が降り注ぐ。

 

西暦1937年――『照和』十二年、盛夏。

 

北支の鉄路爆破によって火蓋が切られた「支那事変」は、開戦からわずか一週間と余日という、近代軍事史上類を見ない電撃的な早さで、その幕を下ろしたのである。

 

それは、かつて日清戦争において大敗を喫した中華の巨人が、一世代の時を経て、再び極東の島国に完膚なきまでに屈服した瞬間を意味していた。

 

前世の史実において、この戦争は八年もの長きにわたる泥沼の消耗戦へと発展し、数百万人もの将兵と民草の命をすり潰し、日本の国力を骨の髄まで干からびさせた最大の元凶であった。

 

それが、竜宮が仕掛けた上海への外科手術的強襲と、首都・南京の喉元を直接握り潰す冷徹な砲艦外交の前に強制終了させられたのだ。

 

南京の総統府において、屈辱に震えながら講和条約に署名した蒋介石の背中を、もはや支える者はいなかった。

 

上海の精鋭部隊は壊滅し、頼みのドイツ軍事顧問団は「抵抗は自殺行為だ」と匙を投げ、長江にはロシア戦艦ガングートの巨砲が向けられていたのだ。

 

継戦という名の破滅を選べるはずもなかった。

 

当然ながら、日本国内の陸軍主流派や好戦的な幕僚たちからは、「なぜ進撃を止めるのか!

このまま南京を陥落させ、大陸全土を支配下に置くべきだ!」という怒号が上がった。

 

だが、その鼻息荒い強硬派たちをねじ伏せたのは、陸軍中将・大高弥三郎の老獪極まる政治力であった。

 

大高は、蒋介石から毟り取った「山東半島の利権割譲、および治安維持権の委譲」という講和条件を、勝利の証として大本営と政府へ叩きつけたのだ。

 

渤海と黄海の制海権を握り、満州の南の守りを磐石にする戦略的要衝の獲得――これほど目に見える巨大な戦果を前にしては、いかなる軍閥といえども「手ぶらで帰ってきた」と大高を非難することなどできなかった。

 

「兵を泥濘で浪費せず、最小の損害で最大の要衝を奪ったのだ。これ以上の深追いは、英米の介入を招く愚挙である」

 

大高の一喝に、軍部も世論も沈黙するしかなかった。

 

国民は提灯行列で「一週間での完全勝利」を熱狂的に祝い、赤紙の乱発や戦費の増税を免れたことに、胸の奥で安堵の息を漏らしていた。

 

そして――この余りにも早すぎる終劇に、最も激しい衝撃を受け、混乱に叩き落とされたのは、海の向こうの英米中枢であった。

 

中国大陸を巨大な蟻地獄とし、蒋介石政権に武器と資金を流し込んで日本の息の根を止めようと画策していた米国のヘンリー・ルーズベルト政権。

 

だが、援蒋ルートの構築はおろか、義勇航空隊の派遣準備すら整わぬうちに、戦争そのものが電光石火で片付けられてしまったのだ。

 

しかも、上海で暴れ回った部隊の背後には、なぜか米英ソの軍艦と兵士が肩を並べていたという怪奇報告まで届いている。

 

謀略の絵図面を根底から引っ繰り返されたワシントンとロンドンの指導者たちは、一体何が起きたのかを理解できず、ただただ頭を抱えるしかなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

上海の埠頭に停泊する空母「仙鷹」の戦闘ブリッジ。 長江から吹き抜ける湿った潮風を受けながら、竜宮は銀縁眼鏡を外し、静かに目を閉じた。

 

大陸の泥沼を回避した。

 

これにより、日本の貴重な国力、鉄鋼、燃料、そして何よりも何十万もの若者たちの命が、無駄にすり潰されることなく温存された。

 

北海道のメガファーム、房総半島の航空・造船プラント、そして地下ドックで静かに注水を待つ無音の潜水母艦――破滅を跳ね返すためのすべての基盤は、寸断されることなく、さらなる成長の時間を勝ち取ったのだ。

 

「カズシ、良い風だな」

 

振り返ると、甲板のレールに腰掛けたクリームヒルトが、プラチナブロンドの長髪を風に遊ばせながら、満足げに微笑んでいた。

 

その背後には、日の丸の「雷轟」を囲むように、黒十字の「シュツルムフォーゲル」、鎌と鎚の「スターリ・チェラーヴェーク」、そして青き騎士「エクスカリバー」が、戦いを終えた巨躯を休めている。

 

埠頭では、マデューカス、スミルノフ、グローバルの三人の歴戦将校たちが、酒樽を囲んで部下たちと豪快にグラスを打ち鳴らし合っていた。

 

「ああ。……だが、嵐の前の凪に過ぎないさ」

 

竜宮は再び眼鏡を掛け、西の空――ユーラシアの彼方を見据えた。

 

二度目の人生において、歴史の狂気を一つねじ伏せた。

 

だが、ヨーロッパではハインリッヒ・フォン・ヒトラーが爪を研ぎ、やがて来る1939年の欧州大戦、そして1941年の対米衝突という「真の怪物」が、確実に刻限を刻んでいる。

 

「宴が終われば、全軍直ちに撤収する。……我らが帰るべき城塞へな」

 

少年の低く落ち着いた声が、勝利の歓声に沸く上海の黄昏に、静かに溶け込んでいった。

 

泥沼の歴史をねじ曲げ、未来を自らの手で掴み取るための戦いは、ここからいよいよ、世界という巨大な大海原へと漕ぎ出そうとしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

停戦条約の細かな調印手続きや外交上の雑務は、後からやって来た外務省の使節団と大高の手配した陸軍幕僚たちにすべて丸投げし、竜宮は電光石火の早さで上海から引き揚げていた。

 

長居をして政治の泥沼に巻き込まれるなど、最も忌避すべき時間の浪費であった。

 

東シナ海の波を蹴立て、日本本土へと針路を取る船団。

 

先頭を行く輸送船空母「仙鷹」を旗艦とし、その後背には赤色海軍の戦艦「ガングート」、英国海軍の空母「ハーミーズ」、米国海軍の空母「ラングレー」、そして陸軍特殊船「神州丸」が堂々たる陣形を組んで航行していた。

 

そして――豊後水道を抜け、瀬戸内海へと滑り込んだ異形の艦隊が立ち寄ったのは、帝国海軍の一大拠点たる軍港――「呉」であった。

 

「……な、なんだあの艦隊は……!?」

 

「総員、配置につけ! いや、待て、敵艦隊なのか!? なぜ英国と米国の空母が……赤旗の戦艦までいるぞッ!?」

 

呉鎮守府、そして呉海軍工廠の構内は、蜂の巣をつついたような大恐慌に陥っていた。

 

アングルド・デッキを左舷に張り出した民間空母「仙鷹」や、陸軍が誇る上陸用舟艇母船「神州丸」までは、まだ「大日本帝国の船」であるから理解の範疇であった。

 

だが、その背後に連なって呉港の狭い水道を堂々と通過し、工廠の沖合へと次々と巨大な錨を降ろしたのは、紛れもないソ連の十二インチ砲戦艦、大英帝国の正規空母、そして米国の星条旗を掲げた空母だったのだ。

 

同盟も結んでいないはずの列強三カ国の主力艦艇が、日本軍の空母に護衛されるようにして、帝国海軍の心臓部たる呉軍港へ平然と入港してくる――。

 

日本の海軍史において、前代未聞どころか前代未聞の極致というべき超現実的な光景に、停泊していた戦艦「長門」や「陸奥」の水兵たちも、作業を止めて甲板から身を乗り出し、開いた口が塞がらない様子で立ち尽くしていた。

 

もちろん、この奇跡的な入港は、海軍中枢で航空本部長の座にある高野五十六が、事前に呉鎮守府の司令長官へ「極秘の国際治安維持任務に伴う緊急寄港である」と強引な根回しを通していたからこそ実現した力技であった。

 

だが――この呉の海軍将兵たちが真に知る由もなかったのは、戦艦「ガングート」の内部に隠された、あまりにも切実な「内情」であった。

 

「……よくぞここまで、沈められずに辿り着いてくれたものだな」

 

仙鷹の甲板から内火艇でガングートへと渡り、その重厚な甲板に足を踏み入れた竜宮を出迎えたのは、武装した兵士たちだけではなかった。

 

不安げに瞳を揺らす女性たち、母親のスカートを握りしめる幼い子供たち、そして着の身着のままで手荷物を抱えた、痩せこけた初老の男たち――。

 

このガングートは、単なる戦闘艦ではなかった。

 

スミルノフとアナスタシアが、ソ連国内で極秘裏に連絡を取り合った前世の同志たちのみならず、スターリンによる狂気の「大テロル」の銃殺リストから命からがら救い出した、赤色軍の優秀な将校たち、造船技師、物理学者、そしてその家族たちを満載した――正真正銘の『巨大な避難船』であったのだ。

 

「赤の広場に血の雨が降っている」

 

スミルノフが低く苦い声で吐き捨てた。

 

「有能な将校から順番に反逆者の濡れ衣を着せられ、夜明け前に壁際に立たされて銃殺される。そんな狂気の檻から、我が部下と同志の家族、そして祖国の英知を逃がすには、この戦艦ごとバルト海を脱出する他になかったのだ」

 

「……よくやってくれましたよ」

 

竜宮は銀縁眼鏡の奥で目を細め、甲板で震えるロシアの子供の頭を優しく撫でた。

 

「安心しろ。ここにはスターリンの秘密警察の手など届かない。……呉で燃料と真水を補給したら、全員をそのまま房総半島に受け入れるさ」

 

彼ら亡命者たちが持っているのは、帝政ロシア以来の頑強な重工業のノウハウと、極寒の地で生き抜くための実践的な知恵であった。

 

夕暮れに染まる呉軍港。 大和型戦艦の建造中止によって空いた巨大なドックの向こうで、日・英・米・露の四カ国の艦影が、波間に静かにその巨躯を並べていた。

 

 

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