瀬戸内海を抜け、黒潮に乗って東京湾へと帰還した第302艦隊の威容は、まさに圧巻の一言であった。
空母三隻――「仙鷹」「ハーミーズ」「ラングレー」、そして、三連装主砲塔四基を誇るロシア戦艦「ガングート」。
これほどの大所帯となれば、さすがの泰山航空工業の専用港湾湾区画であっても受け入れ容量を完全にオーバーしていた。
そのため、艦隊は隣接する竜宮警備の岸壁へと横付けされ、各艦の間には頑丈な鉄骨の渡し橋が幾重にも架橋された。
海の上に忽然と現出した、四カ国の軍艦が連なる巨大な「人工島要塞」――その異様な光景を、呉から仙鷹の艦橋に同乗してきた高野五十六は、ただただ圧倒された面持ちで見つめていた。
揺れのない仙鷹の士官サロンに落ち着いたところで、竜宮は高野へ向けて、前世において苦楽を共にした第302哨戒警備中隊の幕僚たちを一人ずつ引き合わせた。
「高野長官。……こちらが、前世のタウイタウイで私を支えてくれた、中隊の幕僚陣です」
紹介された面々は、海軍少将である高野の前であっても一切気圧されることなく、それぞれの母国の礼式で飄々と敬礼を返した。
ロシアの剛腕スミルノフ中佐と、皇族の気品を湛えたアナスタシア少佐。
アメリカ海軍の不敵なイケおじ艦長、ローディ・グローバル大佐。
英国空軍のエースにして兵站の要、フィリウス・ウォルコット中佐。
そして、竜宮の潜水艦の師匠たる英国紳士、アーサー・マデューカス大佐――。
この後世世界において、彼らが本国の軍隊で与えられている階級は、まだ大尉や少佐といった中堅どころに過ぎない。
だが、前世の記憶と人脈を持つ彼らが、本国内に散らばる「前世の仲間たち」と水面下で結託した瞬間、軍艦の一隻や二隻をくすねて極東まで回航してくることなど、赤子の手をひねるより造作もない芸当であった。
「……もっとも、高野提督」
マデューカス大佐が生真面目な顔を崩さずに付け加えた。
「ガングートやラングレーのような荒っぽい強奪組とは違い、我がハーミーズはロンドンの海軍省から『極東居留民保護および親善航海』という、極めて正式で合法的な辞令を勝ち取ってここへ寄港しておりますので。大英帝国の面誉のため、そこはお見知りおきを」
「はははっ、相変わらず抜け目のないことだ、マデューカス!」
グローバルが豪快に笑い飛ばし、サロンの空気が和んだ。
各国の軍規すら手玉に取るこの多国籍の怪物たちを前に、高野は頭を掻き、感嘆の吐息を漏らすしかなかった。
「……いやはや、恐れ入った。前世で山本五十六として世界の海軍を見てきたつもりだったが、これほど規格外で頼もしい多国籍の義勇軍は見たことがない。大高中将といい、貴殿らといい、先の世の地獄を知る者たちの執念には舌を巻くばかりだ」
「ええ。ですが、これでもまだ全員が揃ったわけではありませんよ」
竜宮が銀縁眼鏡の奥で苦笑を漏らすと、クリームヒルトが紅茶のカップを置きながら頷いた。
「そうだ。まだフランスの真面目眼鏡と、イタリアの伊達男が抜けている」
前世の第302中隊において、理屈っぽいが職人肌の真面目なフランス人幕僚と、陽気でお洒落だが戦闘になれば誰よりも獰猛だったイタリア人幕僚。
その二人の不在について、サロンに集まった全員が、自分たちの若返った肉体を見下ろしながら、ある一つの「結論」に達していた。
「……まあ、あの二人は前世でも提督と同い年だったからな」
マスタングが肩を竦めて笑う。
「今世でも竜宮提督と同じく、まだ18歳前後の青二才に生まれ直しているはずだ。……その年齢じゃ、いくら前世の記憶があろうと、フランスやイタリアの海軍で自前の軍艦を一隻動かせるような階級には届いていまいよ」
「納得ですな。今頃、ブレストやタラントの兵学校か下士官兵営で、上官の理不尽なシゴキに内心で舌打ちしながら、爪を研いでいる頃でしょう」
ウォルコットの言葉に、サロンの全員が「違いない」と声を揃えて爆笑した。
日、独、英、米、露。
すでに五大国の英知と軍艦をその掌中に収めた竜宮の艦隊。
そして、いずれヨーロッパの地中海と大西洋の側から合流してくるであろう、残る二つのピース。
東京湾の穏やかな波の上に浮かぶその多国籍の要塞は、やがて世界を二分する未曾有の大戦の嵐を前に、既存のいかなる国家の枠組みをも超越した、絶対の「第三極」として、静かにその爪を研ぎ澄ませていた。
◇◇◇
房総半島の竜宮重工ドックにて、ロシアから届いた「スターリ・チェラーヴェーク」と、英国から持ち込まれた「エクスカリバー」の装甲が整備のために外された時、立ち会った工員や技師たちは一様に驚きの声を上げた。
外装こそソ連の鋳造傾斜装甲と英国の角型複合装甲という明確な差異があったものの、その内側に鎮座する中枢骨格――ムーバブルフレームと油圧リンクの基本構造は、「雷震」や「雷鋼」と完全に同一規格であったからだ。
それもそのはずである。
設計の原点にあるのは、全員が前世の南海で命を預け合っていた、あの「神雷」の骨格そのものだったのだから。
「……助かるな。これなら、ウチの生産ラインと予備部品をそのまま丸ごと流用できるぞ」
整備班長が満足げに呟いた通り、兵站の観点からすれば、これはまさに徹底された合理性であった。
異国の兵器でありながら専用の補給線を新設する必要がなく、房総のプラントから吐き出される規格化された部品のサプライチェーンにそのまま相乗りさせることができるのだ。
そして――整備の目処が立ち、上海事変の電撃的終結という大仕事をやり遂げたその日の夜。
東京湾の岸壁に渡し橋で連結された「仙鷹」「ガングート」「ハーミーズ」「ラングレー」の四隻の甲板と格納庫は、前代未聞の空前絶後の大宴会の熱気に包まれていた。
潮風に乗って漂うのは、四カ国の胃袋を刺激する香ばしい匂いの数々。
英国の水兵たちが大鍋で揚げる、新聞紙に包まれた熱々のフィッシュ・アンド・チップス。
米軍の巨漢たちがドラム缶の炭火で焼き上げる、煙を噴く肉厚のTボーン・バーベキュー。
ロシアの女性陣やアナスタシアが手際よく包み、香ばしく揚げた熱々のピロシキ。
そして、竜宮農業が北の大地と近海から直送した、新鮮なネタが並ぶ江戸前の寿司と、カラリと揚がった旬の天ぷら。
酒樽や木箱も際限なく開け放たれた。
高価なフレンチ・ブランデー、焦げた樽の香りが立ち上るケンタッキー・バーボン、喉を焼くロシア直輸入の冷凍ウォッカ、そして日本の銘酒たる純米吟醸。
酒の飲めない下戸や若い隊員たちの前には、キンキンに冷やされた瓶入りのコーラや、ガラス玉の鳴るラムネが山のように積み上げられた。
「おいロシア野郎! バーベキューにウォッカぶっかけるな、火事になるだろうが!」
「黙ってろヤンキー、肉はアルコールで消毒してこそ男の味だ!」
「まあまあ二人とも、大英帝国の紅茶でも飲んで落ち着きなさいな」
言葉の壁など最初から存在しなかった。
肩を組み、グラスを打ち鳴らし、大笑いしながら肉を頬張り、互いの無事な再会を祝して抱き合う男たちと女たち。
世界の海を共に駆け抜け、泥水を啜って生き残ってきた彼らの絆は、単なる軍隊の同僚などという薄っぺらなものでは断じてなかった。
彼らは、一人ひとりが血の繋がりを超えた「兄弟」であり、かけがえのない「家族」そのものであった。
飛行甲板の片隅、夜風に長髪を遊ばせながらグラスを傾ける竜宮の元へ、高野五十六と鴻上昴、そして恩師たるマデューカス、スミルノフ、グローバルが歩み寄ってきた。
「……良い部隊だな、竜宮提督」
高野が日本酒の猪口を干し、目を細めて甲板の喧騒を見渡した。
「国境も人種も超え、これほど純粋に互いを信じ合える軍隊を、私はかつて見たことがない」
「ええ。自慢の家族たちです」
竜宮は微笑み、並び立つ恩師たちと昴へ向けて静かにグラスを掲げた。
夜の東京湾に響き渡る、多国籍の歌声と笑い声。
狂気の時代を前にして、竜宮一士が率いる「世界で最も温かく、世界で最も凶暴な家族」は、誰にも引き裂くことのできぬ鉄の結束を、満天の星空の下で確かに誓い合っていた。
肉が焼け、美酒が酌み交わされ、宴が最高潮に達しようとしていたその時――。
カラン、カラン、と銀のスプーンでグラスを叩く澄んだ音が、仙鷹の飛行甲板に響き渡った。
静かに立ち上がったのは、大英帝国の誇る空母「ハーミーズ」の艦長、アーサー・マデューカスであった。
「――総員、アテンション!」
生真面目な英国紳士の低く通る号令に、騒ぎ立てていた多国籍の猛者たちがピタリと口を噤み、一斉に直立して視線を向けた。
マデューカスは厳粛な面持ちで歩み寄り、長髪を風になびかせて立つ竜宮の正面に立つと、副官のウォルコットから差し出された豪奢な深紅のビロードの小箱を、両手で恭しく掲げた。
「竜宮提督。……バッキンガム宮殿より預かりし、貴殿への親任の品である」
パチン、と金具が外され、開帳された箱の内部に収められていたもの――それを見た瞬間、周囲の英軍将兵たちが一斉に息を呑み、次いで感嘆のどよめきを漏らした。
燦然と輝く銀の十字章と、王室の王冠を戴く豪奢なリボン。
大英帝国勲章――そして、大英帝国において名誉ある貴族の礼遇を受ける「勲功爵」の任命証書であった。
白手袋の手でそれを受け取りながら、竜宮は銀縁眼鏡の奥で困惑を隠せなかった。
前世の苛烈を極めた大戦末期において、多国籍部隊を率いて世界の海で武功を立て、英国王室から直々に賜ったものと寸分違わぬ勲章。
だが、この「照和」の世界において、竜宮はまだ英国本土のためにそこまで大それた勲功を立てた覚えなど、天地神明に誓って一度もなかったからだ。
だが――勲章の脇に添えられていた、英国王室専用の特製便箋に認められた親書に視線を落とした瞬間、竜宮のすべての疑問は氷解した。
そこには、流麗にしてどこか勝気な、見覚えのある気品に満ちた筆跡で、こう記されていたのだ。
『――拝啓、我が愛すべき東洋の提督へ。本当は、前世と同じく我が騎士団の最高峰たる「バス勲章」まで変わらず貴方に授けたかったのですが……現在の私の身分では、宮内と議会の石頭どもを説得して決済を通すのも、この勲功爵が限界でした。不満はおありでしょうけれど、今はこれで我慢なさい。……また海の向こうで、チェスの続きをいたしましょう』
「……なるほどな」
手紙を胸ポケットに収め、竜宮は思わず苦笑交じりの吐息を漏らした。
前世の平成・令和の動乱期において、東洋の一介の民間徴用提督に過ぎなかった竜宮の才覚を認め、爵位を授けた、あの高貴なる「クイーン」。
その至高の君主もまた――この照和十二年のロンドンにおいて、王位継承者たる「若きプリンセス」として、前世の記憶を完全に保ったまま転生を果たしていたのだ。
十代の幼きプリンセスの立場でありながら、すでに王室の裏ルートを動かし、マデューカスに命じて「ハーミーズ」を極東へ合法的に派遣させ、この勲章を送り届けてみせるその豪腕ぶり。
遠く離れたロンドンの宮殿から、己の存在を誇示するように微笑む女性の姿が、竜宮の脳裏にありありと浮かび上がった。
日本の皇族たる鴻上昴。
東プロイセン名門貴族のクリームヒルト。
ロシア皇族の血を引くアナスタシア。
そして、大英帝国の至高の血脈を継ぐ若きプリンセス――。
気付けば、前世において世界を支えた最高峰の血統と権威が、再びこの竜宮一士という一人の男を中心として、見えざる運命の糸でがっしりと結び直されていた。
「サー・カズシ!」
グローバル大佐が面白そうに叫び、ビールジョッキを高く掲げた。
「我が愛弟子が、またしても大英帝国のナイト様に返り咲いたぞ!野郎ども、提督に乾杯だ!」
「「「サー・カズシに乾杯ッ!!」」」
甲板を揺るがす割れんばかりの歓声と、打ち鳴らされる無数のグラス。
降り注ぐ星空の下、勲章の銀の輝きを見つめながら、竜宮は不敵に口角を吊り上げた。
飛行甲板の歓声の中、目の前で執り行われた代理叙任式を見届けた高野五十六は、日本酒の猪口を片手に、思わず腹の底から愉快そうに喉を鳴らした。
「……いやはや、痛快至極、実に愉快な光景を見せてもらったよ」
かつて前世において欧米を歴訪し、国際社会の冷酷な力学をその肌で知る高野にとって、大日本帝国の少年実業家が、英国王室から直々に名誉ある騎士の爵位を授けられる瞬間など、前代未聞の喜劇にして最高の痛快事であった。
「……もっとも、竜宮提督。これからが色々と大変な騒ぎになるだろうがね」
高野は苦笑いを浮かべ、肩をすくめてみせた。
もしこの事実が霞が関の外務省や海軍軍令部、あるいは陸軍参謀本部の知るところとなれば、石頭の官僚どもが「一民間人が勝手に敵性列強から爵位を受けるとは何事か」「国家への二重忠誠ではないか」と、泡を食って騒ぎ立てるのは目に見えていたからだ。
だが――大局を見据える高野の鋭い眼光は、その煩わしい手続きの遥か先にある「計り知れない戦略的価値」を、即座に見抜いていた。
(現役の大英帝国勲功爵が、この極東の日本に……それも、我らの救国同盟の中核に座しているのだ)
国際連盟の脱退と満州事変以降、かつての日英同盟の絆は完全に冷え切り、日英関係は破滅的な対立へと転がり落ちつつある。
だが、バッキンガム宮殿の若きプリンセスと直接繋がり、王室公認の爵位を持つ竜宮がここにいるという事実は――将来、国際情勢が極限の危機に達した際、破局を回避し、あるいは電撃的に英国との友好と協調を取り戻すための、いかなる外交官束になっても太刀打ちできぬ「最強の切り札」となり得るのだ。
「……竜宮卿」
高野は悪戯っぽく笑いながら、少年に向けて己の猪口を真っ直ぐに差し出した。
「日本の海軍将官として、そして貴殿の志を共にする戦友として……心からその栄誉を祝福させてもらおう。貴殿が手に入れたその銀の十字架は、やがてこの国が大西洋の彼方と再び手を結ぶための、至高の懸け橋となるはずだ」
「ありがとうございます、高野閣下」
竜宮もまたグラスを軽く合わせ、銀縁眼鏡の奥で不敵に目を細めた。
「英国の看板であれ、利用できるものは一滴残らず使い倒すのが私の流儀ですから。……いずれチャーチルやルーズベルトが締め上げに来たその時、この勲章の真の威力を思い知らせてやりますよ」
夜風が吹き抜ける東京湾の甲板で、交わされた二人の提督の乾杯。
世界大戦の濁流が刻一刻と迫る中、極東の島国には、軍事、経済、そして最高位の国際人脈を兼ね備えた、何者にも揺るがせぬ巨大な「不沈の礎」が、静かに、だが完璧に完成しつつあった。
◇◇◇
支那事変の電撃的な停戦協定調印から、一週間が経過していた。
帝都・東京の街並みは、連日連夜にわたる「戦勝祭り」の熱狂に沸き返っていた。
銀座の目抜き通りには旭日旗が翻り、提灯行列が万歳を連呼し、新聞各紙は「皇軍、一週間にして暴支を屈服せしむ」と勇ましい大見出しを踊らせている。
日中戦争という底なしの泥沼を早期に断ち切れたことは、戦略的にこの上ない大勝利であった。
だが――その代償として、世界情勢の力関係も知らぬ大衆の「国粋主義」と「大日本帝国無敵論」をさらに後押しする形になってしまったことは、実情を知る者たちにとって実に痛し痒しの両刃の剣であった。
そんな狂乱の帝都を離れ、水郷の風が吹き抜ける茨城・霞ヶ浦の湖畔に佇む一軒の料亭。
海軍航空隊の飛行艇が湖面を滑走する重低音を遠くに聞きながら、奥座敷には再びあの三人が雁首を揃えていた。
陸軍中将・大高弥三郎。
海軍少将・高野五十六。
そして、竜宮グループCEO・竜宮一士。
「……いやはや、街の連中の浮かれようには頭が痛くなるがね」
大高が猪口の酒を煽り、苦笑い混じりに吐息を漏らした。
だが、その双眸には、胸のつかえが完全に取れたような深い安堵が宿っていた。
「だが、前世を思えば……太平洋戦争の無条件降伏に至るまで、8年もの長きにわたって兵と資材を無限に吸い取られ続けたあの大陸戦線の泥沼が、ひとまず我が国の懸念リストから綺麗サッパリ消え失せたのだ。この功績の大きさは、どれほど高く評価してもし尽くせんよ」
「ええ、大高さん。まったくその通りです」
高野も深く頷き、柔らかな笑みを浮かべた。
「あの広大な大陸で無駄死にさせられるはずだった何十万もの将兵が無傷で残り、浪費されるはずだった膨大な鉄鋼と燃料が、そのまま本土と海の守りへ温存された。これほど決定的な戦略的転換点はない」
二人の歴戦将官が交わす至極真っ当な総括。
その向かいに座る竜宮の装いは、いつもと変わらぬ仕立ての良い濃紺の軍服調スーツであったが――その左胸ポケットの上には、以前にはなかった「新たな光」が鈍く輝いていた。
深紅と青の豪奢な織り柄を持つリボンバー。
大英帝国勲章、そして英国王室から直々に授けられた「勲功爵」の公式略章であった。
大高がその胸元を一瞥し、片眉を上げて豪快に笑った。
「それにしても竜宮殿……その英国騎士の略章、堂々と着けこなしておられるな。陸軍の石頭どもが見たら、目を剥いて卒倒しかねんぞ」
「使えるものは何でも使うのが私の流儀ですから」
竜宮は涼しい顔で茶を啜り、薄く笑った。
「大英帝国のプリンセスが直々に下さった正規の略章です。軍閥の連中が文句をつけてこようと、『国際親善の証である』と突っぱねれば手出しはできませんよ。……何より、この小さなリボン一枚が、いずれ英米が我が国を経済封鎖で締め上げようとしてきた際、ロンドンの喉元を揺さぶる最高の外交レバーになるのですから」
少年の口から放たれる徹底した現実主義に、大高と高野は顔を見合わせ、感嘆の息を漏らした。
慈善の美名にも、空虚な愛国心にも溺れず、ただひたすらに冷徹な計算で泥臭く国家の生存圏を切り拓いていく策士。
「さて、大高閣下、高野閣下」
竜宮は湯呑みを置き、二人の将官を見据えた。
「大陸の火消しは終わりました。ですが、これはほんの前哨戦に過ぎません。……欧州ではハインリッヒ・フォン・ヒトラーが爪を研ぎ、あと二年――西暦一九三九年には、間違いなく世界大戦の火蓋が切られます」
座敷の空気が、一瞬で引き締まる。
「浮いた予算と資材、そして温存された人命を、これより一分の隙もなく次なる大事業へ集中投下していただきます。――房総の国際メガエアポート、全国を貫く標準軌新幹線、そして前原艦長が率いる深海の潜水艦隊。……嵐が吹き荒れるその日までに、この国をいかなる大国も手を出せぬ完全なる『不沈の城塞』へと仕立て上げましょう」
「うむ。偉大なる竜宮卿に」
「竜宮卿に」
「我ら救国同盟に」
陸と海の巨頭とCEOが、力強く杯を打ち鳴らし合った。
国粋主義の熱狂に踊る帝都の影で、救国の盟約を結んだ者たちの視線は、すでに二年後に迫る世界大戦の業火、そして太平洋を挟んだ巨大な怪物との決戦の盤面を、寸分の狂いもなく射程に収めていた。