「子供が、単座型のオートジャイロを欲しがっている……ですか?」
泰山航空工業株式会社の社長室にて、東野源一郎は専務からの報告に怪訝な眉を寄せた。
実は、東野には誰にも明かせぬ秘密があった。
彼は、あの焦土と化した「昭和二十年」の記憶を抱いてこの時代に生まれ直した、いわゆる転生者であった。
先の世で日本の航空産業の敗北と破滅を目の当たりにした彼は、二度と同じ轍を踏むまいと、この照和の世で若くして航空機メーカーを立ち上げ、臥薪嘗胆の思いで技術基盤の構築に心血を注いできたのだ。
「どうしますか、社長。いくら何でも子供の悪戯でしょう。塩でも撒いて追い返しましょうか」
専務の苦笑いに対し、東野は静かに首を横に振った。
「……いいえ、お会いしましょう。応接室へお通ししてください」
照和五年において、オートジャイロという単語そのものが欧米の航空専門誌の片隅にようやく載り始めたばかりの最先端概念だ。
並の大人ですら知るはずのない技術を、小学生ほどの子供が口にし、わざわざ発注に来たという。
ただの悪戯で片付けるには、あまりにも異様だった。
数分後。
応接室の扉を開けた東野は、長髪を肩口まで伸ばした奇妙な風貌の少年――竜宮と対面した。
そして、少年の手によって漆塗りの応接テーブルの上に広げられた青写真を一目見るなり、東野の息は喉の奥で凍りついた。
「こ、これは……!? これほどの物を、いったい何処で手に入れられたのですか……!?」
思わず丁寧な敬語が口をついて出た。 相手が子供であることなど、東野の意識から完全に消し飛んでいた。
青写真に描かれていたのは、東野の知るオートジャイロの枠組みを根底から破壊する、異形の機体だった。
操縦席は視界を遮るもののない、滑らかな卵型のバブルキャノピーで覆われている。
着陸脚にはタイヤではなく、軽量パイプで組まれた金属製のスキッドが据えられている。
そして天頂部には、巨大な三枚翅の回転翼。一見すればオートジャイロの主回転翼に見えるが、その根元に組み込まれたスワッシュプレート機構と複雑なリンク系は、ローターのピッチ角を全方位に傾斜させ、揚力のみならず自在な推力をも発生させる構造を示していた。
極めつけは、細長く伸びたテールブームの先端にある小さなプロペラ――テールローターだった。
航空力学に精通している東野だからこそ、その恐るべき意図を即座に看破できた。
前方に推進力を得るためのプロペラではない。天頂の主回転翼が回転する際、その反作用によって胴体が逆方向に回転しようとする遠心力を、この尾部ローターの横方向の推力で完全に打ち消し、かつ自在に機首を旋回させるための機構だ。
前進、後退、左右への水平移動。 そして何より――空中に完全に静止する「ホバリング」。
(オートジャイロなどという代物ではない……! 完全な垂直離着陸と静止を可能にする新鋭機……!)
昭和二十年の記憶を持つ東野ですら、震え上がらざるを得なかった。
前世の日本陸軍が細々と実用化した「カ式観測機」はあくまでオートジャイロであり、しかし目の前にある図面は、その遥か未来――洗練を極めた完成形の回転翼機の構造そのものだった。
昭和二十年の敗戦技術者である東野にとって、それは完全に「未知」の領域に属する、悪魔の如き先進設計だったのだ。
驚愕のあまり額に冷や汗を滲ませる東野の姿を、竜宮は銀縁眼鏡の奥から冷静に見つめていた。
(……ほう?)
竜宮の口元に、微かな笑みが浮かぶ。
一見しただけで、この複雑極まる反トルク制御とスワッシュプレートの幾何学的連動の意味を看破したのだ。
この男、ただの照和初期の町工場の経営者ではない。
極めて高度な、それもこの時代の水準を明らかに逸脱した航空知識を持っている――。
「話が早そうで助かります、東野社長」
少年の口から放たれたのは、子供の甘えなど微塵も含まない、かつて無数の修羅場をくぐり抜けてきた男の低く落ち着いた声だった。
「これを作っていただきたいのです。もちろん、相応の対価はお支払いします」
竜宮は懐から、あのスイス銀行の預金通帳と小切手を、無造作にテーブルの上へと滑り込ませた。
「……この新鋭機、是非とも我が社の社運を懸けて形にさせていただきます」
東野は深く頭を下げ、差し出された少年の手――小さくとも引き締まったその掌を、両手で力強く握りしめた。
契約の締結。
それは、弱小航空機メーカーに過ぎなかった泰山航空工業が、世界の航空力学の最先端へと躍り出る瞬間でもあった。
「有り難う御座います。つきましては――テストパイロットは、私自身が務めます」
握手を交わしながら、竜宮は平然とした口調で告げた。
「君……あ、いえ。貴方ご自身が、ですか?」
東野は驚きに目を丸くした。
相手がどれほど尋常ならざる知性を秘めていようと、身体はまだ十二、三歳の少年に過ぎないのだ。
だが、竜宮の返答は極めて合理的だった。
「この機体の設計者でありますから、特性も操縦の癖も、頭の中ですべて把握しております。他の方に命を懸けさせるわけにはいきません。それと……もう一つお願いがございます。材料費と設備使用料はもちろんお支払いしますので、貴社の工作機械と一角の作業場を、私個人に少々使わせていただきたいのですが。如何でしょう?」
「工場の設備を……ですか。それは一向に構いませんが、いったい他にお造りになるおつもりで?」
東野が小首をかしげる。
竜宮自らがテストパイロットを買って出たことについては、東野としても深く納得がいく部分があった。
オートジャイロはおろか、その概念を根底から覆すこの未知の新鋭機――純粋なヘリコプターを操縦できる人間など、いまの日本広しといえど存在するはずがないのだ。
設計者本人が舵を握るというのは、ある意味で最も理に適っていた。
だが、この怪童はさらに何かを企んでいるらしい。
少年の瞳に宿る不敵な光に、東野の技術者としての好奇心は強く刺激されていた。
「それは、完成してからのお楽しみということで。何分、私自身、この時代の技術でどこまで形にできるか、まだ確信が持てておりませんので」
竜宮は悪戯っぽく笑って見せた。
だが、その内実は決して冗談などではなかった。
(まさか、この手で一から組み上げることになるとはな……)
竜宮が画策していたのは、身体駆動補助装置――すなわち「強化外骨格装甲兵器」、前世において『タクティカルモジュール』と呼ばれた人型機動兵器の建造だった。
空想特撮やアニメーションに登場するような、全高18mもの巨大ロボットなど、自重と重心の破綻、材料力学の限界からして絵空事の極みである。
竜宮が目指すのは、全高三メートルから、大型の特機でも五メートル程度。
人間が直接乗り込む、あるいは装着する限界サイズの「鉄の皮膚」だった。
前世の令和において、戦場はドローンの自爆攻撃と無人機による飽和攻撃によって激変した。
既存の主力戦車や装甲車、生身の歩兵では対応の限界を迎える中、その対抗策として生み出されたのがこの兵器体系だったのだ。
二足歩行による圧倒的な不整地走破性と小回り。腰部のテールバインダーに備えた姿勢制御バーニアによる、瞬発的な跳躍機動。
地球の重力に抗って空戦機動を行うことはできずとも、人間と同じ変則的な立体機動を行う三〜五メートルの小型目標に対し、ドローンを直撃させることは困難を極めた。
万が一被弾したとしても、強固な装甲がその爆圧を跳ね返す。
常識的な技術者なら嘲笑するだろう。だが、竜宮の計算は違っていた。
「作れる」と確信していた。
なぜなら、タクティカルモジュールという兵器は、前世において「レアアースなどの希少鉱物の供給網が完全に遮断された絶望的状況」を前提として開発された、究極の『アナログ技術の結晶』だったからだ。
人体の四肢の動きをトレースする機構は、高度な電子マイコンではなく、自動車の油圧パワーステアリングや機械式リンク機構の発展応用に過ぎない。
射撃や砲撃、跳躍着地の凄まじい衝撃も、洗練された油圧ダンパーとサスペンションの多重配置で機械的に吸収・減衰させる構造だ。
外部視界も、頭部と胴体に配置されたレール走行式のモノアイ光学カメラから、操縦席のモニターへと直結させるだけ。
通信システムに至っては、敵の強烈な電子戦ECM環境下を想定していたため、無線機こそ積んでいるものの、主たる伝達手段は「モノアイの点滅による発光信号」、「マニピュレーターによるハンドサイン」、そして「信号弾の射撃」という、泥臭い旧世紀の歩兵戦術をそのまま拡大しただけの代物だった。
ハイテクを極限まで削ぎ落とし、電子戦そのものを最初から放棄しているがゆえに、この兵器はどんな過酷な環境下でも確実に動き、確実に意思を伝達できた。
角張った寸胴の無骨な装甲に覆われたその姿は、歩兵戦闘をゲリラ戦から「重装甲騎兵戦」へと塗り替えた生きた鉄塊だったのだ。
(動力だけが問題だが……)
前世のそれは小型水素エンジンと高密度バッテリーのハイブリッドだった。さすがにそれを照和五年で再現することは不可能だ。
だが、小型の高出力過給器付きディーゼルエンジン、あるいは――過酸化水素の化学分解反応を利用する「ワルター機関」を転用してタービンを回せば、駆動系に十分な油圧と電力を供給できるはずだった。
航空の要として東野の工場で垂直離着陸機を形にし、陸の切り札として己の手で強化外骨格を鍛え上げる。
「空」と「陸」。
前世で軍に見捨てられた元「提督」が仕掛ける技術革新の歯車は、誰も知らぬ工場の片隅で、静かに、だが恐るべきトルクを伴って噛み合い始めていた。
◇◇◇
設計図の優秀さと機体フレーム構造の簡素さが功を奏し、機体そのものの骨格組み上げは、わずか二ヶ月という驚異的な早さで完了した。
だが、真の難関はそこからだった。
竜宮が求めた異常な要求性能を満たす心臓部――小型かつ高出力のエンジンをものにするまでに、実に半年の歳月を費やすこととなった。
東野率いる泰山航空工業の技術陣は、まさに文字通りの不眠不休で心血を注いだ。
前世の記憶を持つ東野の怜悧な指導と、竜宮がもたらした先進の流体力学理論。
その二つが噛み合わさることで産み落とされたのは、この時代には影も形もない「過給器付き新型ターボプロップエンジン」だった。
この小型怪物を搭載した試作回転翼機は、初飛行の段階で早くも常識を粉砕した。
通常巡航速度、時速230km。
数字だけを聞けば、海軍の現役主力である三式艦上戦闘機の最高速度(約239km)と同等か、僅かに劣る程度に思えるかもしれない。
だが、固定翼機とヘリコプターを同列に比較すること自体が、航空力学の観点からすれば正気の沙汰ではなかった。
滑走路上を疾走して揚力を得る戦闘機と、空中で停止できる回転翼機が、直線速度で競り合っているという事実そのものが異常事態なのだ。
ましてや、運動性能に至っては雲泥の差であった。
急減速、急停止、水平方向へのスライド移動、そして旋回半径ゼロでの機首回頭。
限定された空域でのドッグファイトであれば、背後を取ろうと大回り旋回を強いられる三式艦戦を、空中でクルリと向き直ったヘリが正面から蜂の巣にするなど赤子の手をひねるより容易かった。
そして、その戦闘能力を決定づけていたのが、機体両舷に配されたパイロン・アタッチメント方式――現代の攻撃ヘリや特殊作戦機と同様のハードポイント構造だった。
そこに懸架されるのは、専用設計された密閉式ガンポッド。
選択式で「二十ミリ連装機関砲」、あるいは装甲目標すら撃ち抜く「三十七ミリ機関砲」を一門ずつ、計二基の重火器を両脇に吊り下げるという、この時代には狂気の沙汰としか思えない重武装を誇っていた。
主力戦闘機が七・七ミリ機銃の豆鉄砲を二丁積んで「重武装」と胸を張っていた照和初期の空において、この火力差はもはや勝負にすらならなかった。
大口径砲の炸裂弾がかすめるだけで、羽布張りの複葉戦闘機など一瞬で木っ端微塵に四散する。
しかも恐るべきことに、この重機関砲ポッドを両脇に抱え込んだフル装備状態でなお、時速230㎞の巡航を維持してみせたのだ。
武装ポッドを取り外した非武装状態――偵察や連絡を想定した形態であれば、速度計の針は時速250㎞を軽々と指し示し、三式艦戦を悠々と置き去りにした。
だが、この機体の真の恐ろしさはそこでは終わらない。
「竜宮様、過給器のフルブーストテストに入ります……!」
飛行試験の終盤、コックピットの竜宮はスロットルレバーを限界まで押し込んだ。 エンジンが咆哮を上げ、新型タービンが極限の回転数へと達する。戦時最大過負荷出力。
その瞬間、武装を吊るした状態のヘリが叩き出した最高速度は――時速360㎞に達した。
地上で計測器を握りしめていた東野が、息を呑んで立ち尽くした。
照和五年現在、三菱や中島が次期主力を目指して開発を進め、初飛行を終えたばかりの「九〇式艦上戦闘機」など視界にすら入らない。それどころか、陸軍が威信を懸けて開発中であるはずの「九二式戦闘機」の公称最高速度(時速355㎞)すら、武装した回転翼機が軽々と抜き去ってしまったのだ。
「……規格外、などという言葉では生ぬるいなですな」
着陸し、キャノピーを開けた竜宮は、荒ぶる風に長髪を揺らしながら冷徹に微笑んだ。
時代を十数年も飛び越えた、完全なるオーバースペック。
この一機が、照和の青空を塗り替える最初の楔となる。
そして竜宮の視線は、ヘリの格納庫のさらに奥――自身の私費を投じて資材を運び込ませている、暗がり作業場へと向けられていた。
空の怪鳥は産声を上げた。
ならば次は、大地を踏みしめる「鉄の騎兵」の番だった。