回転翼機「嵐凰(らんおう)」が驚異的な飛行記録を叩き出してから、四ヶ月。
泰山航空工業の最奥に位置する第零試作格納庫に、低く唸るような重低音が響き渡った。
この世界で初となる人型機動兵器――タクティカルモジュールの心臓部に、ついに火が入った瞬間だった。
まだ装甲板は一切取り付けられていない。剥き出しの骨格だけで己の自重を支えるその姿は、近代兵器というよりは工業機械の巨人に近かった。
だが、その無骨な外観にこそ極限の合理性が凝縮されている。
外骨格がそのまま駆動骨格を兼ねる「ムーバブルフレーム構造」、そして各部を独立した規格品で構成する徹底的な「モジュール構造」。
これらは全て、前世の過酷を極めた戦線において、熟練工のいない前線基地や下町の町工場であっても、有り合わせの工具で組み立て・整備が完結できるよう練り上げられた思想の賜物だった。
その狭小な操縦区画に、竜宮は身を滑り込ませていた。
背中に直結された動力は、「嵐凰」の開発で培ったノウハウを惜しみなく注ぎ込んだ新型小型ターボディーゼルエンジンである。過給器が吸気音を軋ませ、過不足ないトルクを油圧系統へと送り込んでいく。
シート越しに伝わる強烈な振動と熱気を感じながら、竜宮は息を整えた。
ゆっくりと、己の右脚を引き上げる。
追従機構の油圧バルブが瞬時に開き、パワーステアリングを応用した伝達機構が少年の小さな筋力を数十倍の油圧力へと変換する。
ウィィン――と油圧ポンプが甲高い作動音を奏で、巨大な鉄の脚が持ち上がった。
そして、前方のコンクリート床へと振り下ろされる。
ズシリ、と大地を震わせる重量感が伝わり、機体は確固たる一歩を踏み出した。
竜宮の表情に焦りはなかった。
前世において、竜宮はただ操縦桿を握るだけのパイロットではなかった。
退役寸前のF-4EJファントムを徹底的にバラしては組み直し、物資欠乏の前線では自ら泥にまみれてレンチを振るった。
タクティカルモジュールの搭乗員にも、単独で機体をオーバーホールできる「パイロット兼整備士」としての極限の技量が叩き込まれていたのだ。
己の身体と同じように構造を熟知しているからこそ、機械の僅かな軋みすら神経の延長として捉えることができた。
格納庫の壁際に陣取っていた泰山航空工業の工員たちから、地鳴りのような感嘆が漏れた。
「おぉ……っ!」
「あ、歩いた……本当に、二本足で歩きやがったぞ……!」
先頭に立っていた東野が、呆然と眼鏡を外して目を擦っていた。
昭和二十年の技術者として、多砲塔戦車や大型爆撃機などの重工業の限界を見てきた東野にとって、自重数トンの鉄塊が人間の如く二足歩行するなど、空想小説の産物に過ぎなかった。
歩行制御の複雑さとバランス保持の破綻――その物理的壁を、この少年は町工場の工作機械と油圧リンクだけで軽々と打ち破って見せたのだ。
ガシャン、ガシャン、と無骨な金属音を立てて、フレームだけの巨人が歩を進める。
剥き出しの構造ゆえに、背中のエンジンから放たれる熱気が操縦席にダイレクトに吹き付けてくるが、竜宮は気にも留めていなかった。
いずれ防弾装甲を被せ、断熱層を挟み込めば遮断できる熱だ。何より、今の竜宮にはこれ以上ない心強い味方があった。
(……やはり、作っておいて正解だったな)
作業服の内側を、清涼な風が吹き抜けていく。
彼が着込んでいるのは、前世の工事現場や過酷な作業環境で普及していた「空調服」――ファン付き作業着だった。
実はこの四ヶ月の間、竜宮は強化外骨格の開発と並行して、前世の知識を総動員して小型の、と言ってもレンガブロックほどの大きさではあるが「リチウムイオン二次電池」を実験室レベルで自作していた。
この時代には存在しない高密度バッテリーと小型ファンを組み合わせ、作業着に組み込む。
ただそれだけのことだったが、照和初期の蒸し風呂のような夏場の工場において、それは革命的な奇跡をもたらしていた。
熱中症で倒れる工員が続出していた泰山航空工業において、竜宮から空調服を支給された職人たちは驚愕し、その作業効率は文字通り倍加した。
東野に至っては「この蓄電池と服の特許だけで財閥が買えますよ!」と目を血走らせていたが、竜宮にとってはあくまで自分の作業環境を快適にし、工期を短縮するための余技に過ぎなかった。
「旋回テストに移る。――下がっていてくれ」
外部スピーカーから響く竜宮の冷静な声に、工員たちが慌てて距離を取る。
鉄の足首が滑らかに角度を変え、巨体がその場で機敏に向きを変えた。
空の「嵐凰」。
陸の「タクティカルモジュール」。
九十年の時を飛び越えた二つの異形の技術が、狂乱の時代の足音が忍び寄る日本の一角で、確かにその爪を研ぎ澄ましつつあった。
◇◇◇
タクティカルモジュールが誇る真の強みは、単なる二足歩行の機動性だけにとどまらなかった。
その拡張性と実用性を極限まで高めているのは、両腕に備えられた絶妙なサイズのマニピュレーターと、規格化された兵装懸架システムにあった。
人間用の大型工具や土木機材をそのまま拡大して把持できるマニピュレーターは、不整地での陣地構築や障害物除去において、一個工兵小隊を上回る作業能力を発揮する。
そして戦闘時においては、人の身では到底扱えぬ重火力を、全身をプラットフォームとして自在に操ることができた。
腕部のハードポイントに直付けされた二十ミリ連装機関砲、あるいは三十七ミリ機関砲。
発砲時の強烈な衝撃は、前腕部に多重配置された高圧油圧ダンパーが機械的に受け止め、機体の姿勢制御系へと逃がす。
さらに度肝を抜くのは、両肩のウェポンパイロンだった。
そこに懸架されるのは、八十八ミリ、あるいは百二十ミリの長砲身ライフル砲である。
巨砲の発砲反動に対し、肩部パイロンの接続部に組み込まれた緩衝シリンダーと大型マズルブレーキが猛烈な反動を物理的に相殺する。
電子制御に頼らない、極めて古臭く、だがそれゆえに絶対に作動不良を起こさない堅牢な力学機構。
工場の片隅で組み上がっていく兵装群を検分していた東野は、図面に記された砲口径の数字を指でなぞりながら、ある種の戦慄を覚えていた。
(……この口径の選び方、偶然ではない)
昭和二十年の記憶を持つ東野の脳裏に、かつての大戦で猛威を振るった兵器たちの残影が鮮明に蘇っていた。
回転翼機「嵐凰」に積まれた二十ミリや三十七ミリ。 そしてこの陸上機動兵器に宛がわれた、八十八ミリという極めて特徴的な数字。
それは言うまでもなく、後の第二次世界大戦においてナチス・ドイツが対空高射砲のみならず、重戦車ティーガーの主砲として連合軍を恐怖の底に叩き落とした、あの伝説の『アハト・アハト』の口径そのものだった。
さらに、百二十ミリに至っては、世界各国の海軍駆逐艦が主砲として採用している標準規格――日本海軍の十年式・三年式十二センチ高角砲や駆逐艦主砲と完全に合致している。
事実、竜宮が用意させた試験用の模擬砲弾は、海軍の余剰物資から横流し同然に買い叩いてきた十二センチ艦載徹甲弾だった。
(二十ミリ機関砲はいずれ、我が国の次期主力戦闘機でも標準武装として採用されるはずの口径……。そして陸の機動兵器でありながら、海軍の艦載砲弾の補給網にそのまま相乗りする気か)
東野の背筋に冷たいものが走った。
新兵器を開発する技術者が最も陥りやすい罠は、「専用の高性能弾薬」を新造して補給線を破綻させることだ。
前世の旧日本軍もまた、陸海軍の反目と無秩序な弾薬規格の乱立によって、前線の兵站を幾度となく地獄へと突き落とした。
だが、この竜宮という少年が設計した兵装体系は、最初から徹底的に『兵站』に寄り添っていた。
既存の海軍工廠で山のように備蓄されている十二センチ砲弾や、いずれ量産ラインが立ち上がるであろう二十ミリ弾をそのまま撃ち出せる構造。
補給が途絶した前線基地でも、艦艇や要塞の弾薬庫から弾頭を融通するだけで継戦能力を維持できるのだ。
「竜宮さん……失礼ですが、貴方は兵站の専門家でもあられたのですか?」
思わず東野が問いかけると、油まみれのマニピュレーターの調整をしていた竜宮は、作業の手を止めずに短く鼻を鳴らした。
「弾が届かなければ、どれほど最新鋭の鉄塊もただの棺桶ですからね。撃てない大砲より、泥水啜ってでも届く一発の旧式弾のほうが百倍マシです」
淡々と言い放つその横顔には、子供の面影など微塵もなかった。
前世の令和末期、物資を止められ、制海権を失い、孤立無援の中で部下たちを生かし続けるためにあらゆる密輸と融通を繰り返した元「提督」の、骨の髄まで染み付いた現実主義。
東野は息を呑み、静かに頭を垂れた。
この少年は、ただ未来の知識を振り回す預言者ではない。
泥と硝煙にまみれ、国家の破滅の底から這い上がってきた、筋金入りの「戦神」なのだと悟ったからだった。
◇◇◇
重厚な防弾装甲が全身を包み込み、ついに完成形となったタクティカルモジュール――その機体には、天を揺るがす神鳴りの名を冠し「雷震(らいじん)」と命名された。
無塗装の鈍い鋼鉄色に覆われた全高三・五メートルの巨躯は、工場裏の荒れ果てた丘陵演習地へと足を踏み入れた。
まずは走破性の計測テスト。 平坦な直線路において、雷震の巡航速度は時速15㎞を記録した。
「……自転車と同等か、少し速い程度、ですか」
計測器を手にした東野が、少々物足りなげに呟いたのも無理はなかった。
照和四年(一九二九年)に仮制式化され、陸軍が誇る最新鋭の「八九式中戦車」でさえ、整地での最高速度は時速25㎞、巡航でも20㎞を発揮する。一見すれば、雷震の足は鈍重に映った。
だが、テストの舞台が泥濘と岩肌の入り組んだ急斜面――実戦の戦場たる不整地へ移った瞬間、その評価は完全に覆った。
履帯を持つ八九式中戦車は、ぬかるんだ泥や深い窪み、急勾配の丘陵地帯に入ると、たちまち履帯を空転させ、時速8㎞から5㎞にまで速度を落とす。最悪の場合、泥土に足を取られて行動不能に陥るのが戦車の宿命だった。
しかし、雷震は違った。
人間と同じ二足歩行――接地面積を瞬時に選び、関節の角度を微調整しながら岩を踏み越え、泥を蹴り上げる。
二本の脚が独立して衝撃を逃がし、段差を跨ぎ越していくため、地形の悪化による減速をほとんど起こさない。
平地と同じ時速15㎞のストライドを維持したまま、荒野を力強く駆け抜けていく。
結果は明白だった。同じ悪路の走破テストにおいて、八九式中戦車を遥かに突き放し、目的地へ先に到達したのは雷震の方であった。
さらに、東野や工員たちを真に戦慄させたのは、その戦闘機動における「即応性」と「柔軟さ」だった。
戦車という兵器は、敵を発見してから砲塔を旋回させ、照準を合わせるまでにどうしても物理的なタイムラグが生じる。
だが、雷震に「砲塔旋回速度」という概念は存在しない。
操縦席の竜宮が腕を振るだけで、追従したマニピュレーターが瞬時に火砲を目標へと指向する。
エイミングにかかる時間は、生身の人間が銃を構える速度と寸分違わない。
さらに、敵の砲火を避けるための「ステップ退避」。
腰の油圧シリンダーを瞬間的に収縮させ、横方向へ軽快なステップを踏んで射線を外す。
巨岩の陰に身を隠し、機体全体を晒すことなく腕部機関砲だけを突き出して射撃を行う「スラウチング射撃」。
砲弾の風切り音を察知した瞬間に、膝を折って身を伏せる緊急退避行動。
人間が戦場で生き残るために行う泥臭い動作の全てを、数トンの鋼鉄の巨人がそのままトレースしてやってのけるのだ。
これほど捉えがたく、厄介極まりない標的がかつて陸戦の歴史に存在しただろうか。
そして、極めつけはその圧倒的な防御力だった。
廃車となった旧式トラックの残骸を標的に据え、雷震自身の三十七ミリ機関砲による実射跳弾テストが行われた。至近距離からの徹甲弾が、雷震の胸部装甲板へと吸い込まれる。
甲高い破裂音が響き、火花が散った。
煙が晴れた後、東野たちが駆け寄って目にしたのは――装甲表面に刻まれた僅かな擦り傷と、粉砕されて足元に転がる砲弾の破片だけだった。貫通はおろか、装甲の割れすら生じていない。
「ば、馬鹿な……! 三十七ミリの直撃を受けて、へこみすらしないだと……!?」
東野が目を見開き、装甲板に震える手を触れた。
装甲の内部には、竜宮が徹底的に指定した「トラス構造」と「ハニカム構造」による中空サンドイッチ多重装甲が仕込まれていた。
徹甲弾が着弾した瞬間、蜂の巣状の多孔質セルと立体トラスが極限の塑性変形を起こし、運動エネルギーを全身へと分散・吸収してしまうのだ。
それもそのはずだった。
この装甲の基本思想は、前世において「M1A2エイブラムス」や「10式戦車」といった現代の第三・五世代、第四世代主力戦車が撃ち出す、音速の数倍で飛来する極超音速徹甲弾(APFSDS)の直撃にすら耐えうる複合装甲理論をベースに設計されていた。
一九三〇年代の野砲や戦車砲が放つ低初速の徹甲弾など、雷震にとっては小石を投げつけられた程度の衝撃に過ぎない。
コックピットのハッチが開き、中から汗を拭いながら竜宮が姿を現した。
波打つ長髪を風に遊ばせ、少年は満足げに装甲を軽く叩いた。
「悪くない。……これなら、大陸の泥濘でも、南方ジャングルの密林でも、歩兵に随伴して前線を押し上げられる」
淡々としたその言葉に、東野はごくりと唾を飲み込んだ。 空の支配者「嵐凰」に続き、陸の王者「雷震」の誕生。
既存の軍部が「巨艦巨砲」と「大艦隊決戦」、そして「戦車中心の機甲戦」という前時代の幻影を追い求めている間に、この少年は一人、数十年先の未来戦を支配する絶対の切札を、その小さな両手の中に握りしめていた。