「単刀直入に申し上げる。貴殿もまた――『後世復命者』ですな?」
丸サングラスの奥から放たれたその言葉に、応接室の空気が一瞬で凍りついた。
だが、竜宮は動じず、銀縁眼鏡の位置を指先で直しながら静かに問い返した。
「……それは、『前世の記憶を持った転生者』であると認識してよろしいですか?」
「左様」 大高弥三郎は短く頷き、低く落ち着いた声で続けた。
「あの異形の回転翼機、そして工場奥の鋼鉄の巨人。さらには三菱に対し、全通甲板を備えた船を発注されたとも耳にしております。失礼ながら身辺を洗わせていただき、私は確信した。あの船の設計根幹には――陸軍が先の世において建造した特殊船『あきつ丸』そのものがあると」
大高の口から放たれた艦名を聞き、竜宮は肺腑の空気をすべて吐き出すように、一つ大きな息を落とした。
「……史実において、陸軍初の上陸用舟艇母船『神州丸』の起工すら来年に控えているこの時期に、現役の陸軍少将から『あきつ丸』の名を出されては、白を切るのも野暮というものですね」
「では」
「ええ。私にも前世があります。……ただし、貴方方の言う『前世』とは少々ズレがある。今から数えておよそ九十年以上も先の未来――『令和』の世からやって来たと注釈がつきますが」
「九十年……!」
大高が初めて丸サングラスを押し上げ、目を瞠った。
昭和二十年の破滅を知る復命者たちにとって、一九三〇年代は「やり直すべき過去」に過ぎない。
だが、目の前の少年が語る時間軸は、その昭和の敗戦すら遥か歴史の彼方へと置き去りにした、一世紀先の世界だったのだ。
「百年後の未来には、あの巨人が戦場を跋扈していると……?」
「ええ。もっとも、照和の工業水準で形にするための妥協は施してありますが、陸戦における二足歩行人型戦車としての性能は保証します」
誇るでもなく、淡々と事実を述べる竜宮に対し、大高は表情を険しく引き締めた。
「それを聞き、私は本日――その陸戦人型戦車『雷震』の、開発および製造の中止を申し上げに参ったのです」
室内に張り詰める冷たい沈黙。 竜宮の眉が、僅かにぴくりと動いた。
「……何故ですか? あれを量産して前線に配備できれば、日中戦争の泥沼を勝つまでは行かずとも、満州の権益を最低限の被害で維持することなど容易ですが」
「確かに、戦術的にはそうでしょう。だが、私は無用な血を流すことなく、この国が存続することを望んでいるのです」
大高は膝の上の拳を握りしめ、苦渋に満ちた声を絞り出した。
「すでに陸軍内部の一部において、貴殿が試作したあの巨人を戦車隊へ組み込み、大陸へ投入すべしという不穏な声が上がり始めている。ただでさえ満州事変の成功で気勢を上げている連中に、これ以上の絶対的な矛を与えてみろ。軍の暴走は止まらなくなる」
「しかし閣下」 竜宮は冷徹な現実を突きつける。
「やがて来る対米英戦――太平洋戦争を考えれば、中国大陸から得られる鉄や非鉄金属、石炭といった資源は、この島国にとって絶対に手放せぬ生命線のはずだ。それを放棄して飢え死にしろと?」
「あの戦争は、そもそもするべきではなかったのだ!」
大高の声が、応接室を震わせた。
「いや……ハル・ノートを突きつけられた段階において、開戦やむなしと追い詰められた経緯は理解できる。だが、緒戦の華々しい勝利の先に待っていたのは、日本全土を焼き尽くす焦土と完全なる敗北だった。二度とあの過ちを繰り返すわけにはいかん。再びこの国を焦熱地獄で焼かせないために……どうか、思い止まっていただきたい」
大高の切実な訴えに、竜宮の胸にも去来するものがあった。
自分もまた、空から降り注ぐ焼夷弾と爆撃の炎の中で死んだのだ。
焦土の絶望を知る点において、二人の魂に寸分の違いもない。
そして大高の危惧通り、いまの肥大化した日本陸軍に雷震を渡せば、彼らはその圧倒的な力に酔い痴れ、前世以上に大陸の奥地へと侵略の泥足を伸ばすだろう。
大高の言うことは、痛いほど理解できた。
だが――。
「閣下のお気持ちは痛惜の極みですが。……申し訳ありませんが、それは出来ぬ相談です」
竜宮は静かに、だが岩のように揺るぎない声で拒絶した。
「……理由を、お伺いしても?」
大高のサングラスの奥に、鋭い光が宿る。
竜宮は窓の外、冬の冷たい青空の彼方――西のユーラシア大陸のさらに奥を見据えるように視線を投げた。
「私の見ている視界は、極東の狭い泥沼や、対米英戦の勝ち負けだけに留まってはおりませんので」
「何……?」
「私が見据えているのは――あのベルリンで蠢く、『チョビ髭伍長』ですよ」
その一言が出た瞬間、大高の息が喉の奥で止まった。
アドルフ・ヒトラー。
前世において世界を狂気の大戦へ引きずり込み、欧州全土を地獄へと変えたナチス・ドイツの独裁者。
「満州や英米との軋轢など、これから地球規模で吹き荒れる業火の前哨戦に過ぎない。いずれ欧州を呑み込み、ソ連を蹂躙し、人類を破滅の淵へ叩き落とすあの悪魔に抗うためには、既存の兵器体系の枠内に収まる兵器など何の役にも立ちません。だからこそ、私はこの時代に『雷震』を鍛え上げているのです」
淡々と語る少年の瞳の奥に、大高は底知れぬ深淵を見た。
この少年は、日米戦争の勝ち負けなどという矮小な盤面を見ていない。
ユーラシアの西端から這い出そうとする悪魔の軍勢を見据え、世界規模の大災厄を粉砕するための「力」を、この極東の片隅で着々と準備していたのだ。
しばしの静寂の後、大高は深く息を吸い、ふっと口元を緩めた。
「……成る程。そういうことで、ありましたか」
恰幅の良い男は、丸サングラスを外して懐に収めると、少年の前に両手を突いて深々と頭を下げた。
「私の浅慮をお許し願いたい。貴殿のその広大無辺なる視界……しかと見届け申した」
昭和二十年の亡霊たちと、令和五年から舞い戻った元「民大将」。
二つの異なる未来の記憶が、世界を救うという唯一の標に向けて、運命の交差点を通り抜けた。
「太平洋戦争を経験された方にとって、あの悲劇を二度と繰り返してはならないとするのは、私もまったく同じです」
竜宮は静かに語り始めた。声は平穏だが、その瞳の奥には冷徹な現実主義の刃が研ぎ澄まされていた。
「しかし、いまの日本国内の沸騰ぶりを見れば、いずれ米英との衝突が避けられないことは、大高閣下も痛いほどご理解されているはずだ。ならば――後顧の憂いを少しでも断つための備えを、私は私自身のやり方で進めるつもりです」
「……それについては、私も同意見だ」
大高は深く頷いた。丸サングラスを外したその顔には、陸軍少将としての威厳と、過去の惨劇を背負う者特有の陰影が色濃く刻まれていた。
「実は、陸軍内部にもそれなりの数の後世復命者が集まっていてね。彼らを中心に、我々と志を同じくする者たちを束ねた『清風会』という組織を結成しているのだ。どうだろうか、竜宮社長。貴殿もこの清風会に合流されては。一世紀先の世界を知る者の視座は、必ずや来たるべき国難を前にして、我らにとって計り知れない導きとなるはずだ」
清風会――陸軍内部の良識派と復命者を結集させた秘密結社。
その中核に誘われたのだ。
普通ならば願ってもない後ろ盾である。
だが、竜宮は僅かに首を横に振った。
「有り難いお申し出ですが、おそらく陸軍の方々と私では、早晩、血を見るような意見の衝突を起こしてしまうでしょう」
「何故かね?」
「私は前世において、再び起こった国家存亡の戦火の中で赤紙を受け、強制的に徴用された民間人に過ぎません。……もっとも、現場で生き残るために足掻いた結果、遠くタウイタウイ泊地の第302哨戒警備中隊を預かる『提督』でありました。筋金入りの海の男ですよ。陸のお偉方方の癇に障ることは目に見えています」
「なんと……」
大高は絶句した。
「一世紀が経とうという未来において、またしてもこの国は戦乱に巻き込まれたというのか……」
「ええ。それも前世以上の、救いようのない醜悪さで」
竜宮の低く抑えた声の底に、どす黒い熱と静かな怒りが滲み出した。
少年の細い喉から放たれているとは信じ難いほどの怨嗟が、応接室の空気を圧迫する。
「正規軍のための備蓄を最優先する名目のもと、我々のような民間徴用の部隊には本国からまともな補給すら届きませんでした。あてがわれた装備はとっくに退役した旧式ばかり。敵と撃ち合う前に燃料と弾薬が尽き、諸外国の連絡将校に頭を下げて、密輸同然に物資を融通してもらって食いつなぐような有様だったのです。――そして、国内はどうだったと思いますか?」
竜宮は身を乗り出し、大高の目を射抜くように見据えた。
「亡霊のように蘇った『検閲』と『大本営発表』ですよ。民草は真実を知る術をすべて奪われ、敗色濃厚な戦況を伏せられ、嘘を真実だと信じ込まされ続けた!敗北を口にすれば警察に連行され、破滅の足音に耳を塞いだまま、最後は頭上から降り注ぐ無数の爆弾の業火に焼かれて死んでいったのだ!」
激しい呼気が吐き出される。
前世で民間人をシェルターへ押し込み、至近弾の爆風で四散した三十三歳の「民大将」の魂が、少年の肉体を突き破らんばかりに叫んでいた。
「大高閣下。もしこの『照和』という世界が、かつての歴史と同じ構造を引きずっているのだとすれば――軍も、政府も、その腐りきった根幹から丸ごと叩き壊して作り変えなければ、百年後、この国はまた寸分違わぬ同じ過ちを犯し、再び国民の頭上に無数の爆弾を浴びることになります!その生き証人であり、証拠こそが……いま貴方の目の前にいる、私自身だ!」
叩きつけるような竜宮の言霊。
それは、応接室の壁を震わせ、大高弥三郎という軍人の魂の最深部を容赦なく打ち据えた。
大高は息を呑み、拳を白くなるほど強く握りしめていた。
少年の告発は、彼がこれまで胸の内に押し込め、迷い、躊躇い続けていた「ある恐るべき決断」の背中を、強烈な力で押し出すものだったからだ。
(やはり……対症療法などでは間に合わんのだ)
軍部の独走を宥め、失政を糊塗し、破滅を先送りするだけでは意味がない。
既存の統帥権の縛り、軍閥の利権、国民を欺く欺瞞の政治機構――その全てを灰燼に帰すほどの、根底からの国家改造。
かつて前世の青年将校たちが夢想し、そして無残に失敗した「維新」ではない。
国家の背骨を力ずくで叩き折り、真に国民の生存を担保する強靭な新国家を打ち立てるための――『救国クーデター』。
大高の脳裏に漠然と描かれていた計画の青写真が、一世紀後の地獄から舞い戻った少年の怒りによって、決定的な「必然」へと昇華された瞬間だった。
長い沈黙ののち、大高はゆっくりと顔を上げた。
その双眸には、迷いを完全に振り払った巨頭の光が宿っていた。
「……よくぞ、申してくれた」
大高の声は低く、だが地底を揺るがすような重厚さを帯びていた。
「竜宮社長。貴殿の痛憤、この大高弥三郎、しかと胸に刻み申した。この国を二度と焼き尽くさせぬため……そして百年後の民草に同じ絶望を味わわせぬため、私は我が命を懸けて、成すべきことを成す所存だ」
「……閣下」
「貴殿の手綱を握るつもりはない。清風会への合流を断られた理由も得心がいった。だが――盟友として、互いに背中を預け合うことならば、叶うはずだ」
大高は立ち上がり、少年に向けて分厚い右手じっと差し出した。 それは、陸軍の将官が民間の少年に差し出す手ではなかった。
破滅の未来を叩き潰すため、運命の泥濘を共に往く「共犯者」としての握手だった。
竜宮は銀縁眼鏡の奥で薄く微笑み、その手を力強く握り返した。
「ええ。……海の向こうの悪魔を討つその日まで、存分に利用し合いましょう、大高閣下」
冬の木枯らしが吹き抜ける窓の外で、歴史の歯車が、後戻りのきかぬ重低音を響かせながら噛み合っていた。
竜宮は清風会への正式な加入を見送った。
だが、それは決して大高弥三郎と袂を分かつことを意味してはいなかった。
陸軍という巨大な組織の派閥に呑み込まれず、あくまで「竜宮警備」および「泰山航空工業」の代表たる民間人という独立した立場を維持する。
その上で、大高個人と固い握手を交わした連携の内実は、両者の完全合意に基づく「全面的な相互協力体制」そのものであった。
大高は密かに泰山航空工業から数機のヘリコプターの供給を受け、竜宮から直接もたらされた先進教範――すなわち「ヘリボーン戦術(空中機動強襲)」の部隊育成に着手した。
大高の言う「無駄な血を流したくない」という信念は、現実を直視せぬ甘美な非戦論などでは決してない。
正面から敵陣地へ突撃し、貴重な将兵を弾雨の中にすり潰す旧来の歩兵戦術を徹底的に排し、圧倒的な機動力と立体機動によって敵の弱点を電撃的に急襲、最小限の損害で目的を達成する。
そして何より、迅速な負傷兵の後送によって一人でも多くの味方の命を救い出す――その冷徹なまでの合理的救国策こそが、大高の目指す道であった。
だが、その構想を実現するためには、既存の「嵐凰」では不都合があった。
単座、あるいはせいぜい複座の豆ヘリである嵐凰は、機動性と軽武装、あるいは単機の物資輸送には優れていても、武装した兵員を小隊規模で前線へ運ぶキャパシティを持ち合わせていないからだ。
ゆえに、大高のもとへと極秘裏に引き渡された機体は、カモフラージュのために書類上は「嵐凰型」と記載されていたものの、その実態は骨格からして全く異なる新造機であった。
もともと、嵐凰の民間普及によって市場が温まった頃合いを見計らい、泰山航空工業の次期主力として世に出すべく、竜宮と東野が密かに設計・試作を進めていた多用途汎用ヘリコプター。
その名を――「嵐迫(らんぱく)」といった。
嵐凰の倍以上に延長された胴体には、完全武装の歩兵一個小隊を余裕をもって収容できる広々としたキャビンが確保されていた。
機体両側面には大型のスライドドアが備えられ、兵員が左右から一斉に展開・降下できる構造となっている。
さらにドア部には機関銃マウントが設けられ、強襲着陸時の降下地点へ制圧射撃を叩き込むことも可能だった。
心臓部には、出力を大幅に強化した新型ターボシャフトエンジンを搭載。
数トンの兵員と資材を飲み込みながらも、時速二百キロを超える高速巡航を維持し、山岳地帯の薄い大気の中でも安定したホバリング性能を発揮した。
まさに、前世においてベトナムのジャングルや中東の砂漠を跳梁した伝説の汎用ヘリ――「UH-1イロコイ」や「UH-60ブラックホーク」の系譜を直撃する、空中機動戦の申し子であった。
「……素晴らしい。山を越え、河を飛び越え、敵の頭上から直接部隊を叩き込む。これぞ、我らが求めていた『陸の翼』だ」
極秘に設定された山間部の演習場にて、巻き上がる風塵の中でホバリングする「嵐迫」を見上げ、大高は唸るように呟いた。
その視線の先では、大高の息のかかった清風会の精鋭将校たちが、ロープを用いた急速降下やキャビンからの迅速な散開訓練を、目を血走らせながら繰り返していた。
既存の陸軍が、大陸の広大さに翻弄され、補給線の維持に喘ぎながら歩兵を泥濘の中へ行軍させている間に。
大高と竜宮の手によって、時代を四半世紀以上も飛び越えた「空中機動歩兵」の萌芽が、人知れずその牙を研ぎ澄ましていた。
空を翔ける「嵐迫」のローター音を遠くに聞きながら、竜宮は自社ビルの屋上で長髪を風になびかせていた。
(陸と空の歯車は噛み合った。……ならば、次は『海』だ)
三菱の長崎造船所で、あの異形のアングルド・デッキ空母が静かに進水の時を待っている。
極東の盤上に配置された駒たちは、竜宮の冷徹なシナリオに沿って、確実にその死角を埋めつつあった。