曙光の艦隊   作:星乃 望夢

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第七話 北海道再開拓

泰山航空工業の敷地は、その西端を深く青い海へと預けていた。

 

固定翼機のみならず、水上機や飛行艇の試作・離着水試験を請け負うための立地――海と陸の結節点に位置するその環境こそが、竜宮の次なる一手にとって不可欠な条件だった。

 

照和八年(一九三三年)の初頭。

 

泰山航空工業の真隣――竜宮警備が所有する鉄骨ビルの地下深くで、夜な夜な地中を揺るがす低周波が響いていた。

 

薄暗い地下空間で稼働していたのは、竜宮警備の非番隊員たち、そして泰山航空工業の奥に眠っていたはずの「雷震・参号機」であった。

 

予備機として保管されていたはずの鉄の巨人は、いまや兵器ではなく、最強の重機としてその膂力を振るっていた。

 

腕部に換装されたタクティカルアームズ用の巨大な剣スコが岩盤を力任せに削り取り、反対の腕に据え付けられた油圧ブレーカー杭打機が、コンクリートの如き硬い地層を粉砕していく。

 

表向き、近隣や官憲に対しては「万一の空襲に備えた大規模地下防空壕、および物資欠乏を見越した食糧備蓄庫の建設」と説明されていた。

 

だが、その真意を知る者は、設計者たる竜宮と、泰山航空工業社長の東野源一郎の二人のみであった。

 

掘り進められていたのは、ただの壕ではない。

 

海岸線の海中へと直結する、巨大な「密閉式地下乾ドック」――誰の目にも触れずに巨大構造物を建造・進水させるための、秘密工廠であった。

 

(三菱に発注した船は、あくまで『目立つ陽動』に過ぎない……)

 

全長百五十メートルのアングルド・デッキ輸送船。

 

あれは軍部や特高警察、そして列強のスパイたちの耳目を引きつけ、「竜宮警備は風変わりなヘリ空母を造っている」と油断させるための華々しい白鳥であった。

 

竜宮が見据える真の本命。

 

それは、空からの監視も、海上の哨戒網も一切寄せ付けず、暗黒の深海を音もなく滑空する――「潜水艦」であった。

 

数日前、地下室でその青写真を広げられた東野は、図面に引かれた線の意味を正確に捉え、言葉を失って震えていた。

 

紙の上に横たわっていたのは、全長百メートルを優に超える長大な艦影。

 

そして、艦橋と一体化するように艦上へ据え付けられた、巨大な円筒形の耐圧格納筒――。

 

その内部には、「嵐凰」複数機、あるいは手足を縮めた「雷震」をそのまま収容できる広大な空間が設計されていた。

 

「……こ、これは……」

 

東野の乾いた喉から、絞り出すような声が漏れた。

 

昭和二十年の記憶を持つ東野の脳裏に、かつての大戦末期、極秘裏に建造されたあの伝説の巨艦が鮮烈にフラッシュバックしていた。

 

地球を一周半できる航続力を持ち、三機の特殊攻撃機「晴嵐」を腹に抱え、遠くアメリカ本土攻撃――パナマ運河の爆撃を目指して出撃しながら、その帰途の洋上で無念の終戦を迎えた、幻の潜水空母。

 

帝国海軍が残した最後の怪物、『特型潜水艦伊400型』。

 

だが、東野を真に戦慄させたのは、艦の規模や運用思想ではなかった。

 

図面の端々に記された、当時の常識を根底から粉砕する狂気的な技術仕様の数々だった。

 

機関部には、ディーゼル機関とは別に、高濃度の過酸化水素を触媒反応させて蒸気タービンを回す「ワルター機関」の搭載が明記されていた。

 

シュノーケルを上げずとも、深海で驚異的な水中高速力を発揮する無音の心臓。

 

推進機構には、従来のスクリュープロペラが描かれていなかった。

 

代わりにダクト内にインペラを配置し、高圧の水流を後方へ噴出する「ポンプ式水流ジェット推進」。

 

キャビテーションを物理的に極限まで抑え込み、敵のパッシブソナーに絶対に探知されない静粛推進システム。

 

極めつけは、艦体全体を覆う外皮の指定だった。

 

――特殊配合の合成ゴムによる『護謨皮膜』の全面被覆。

 

アクティブソナーが放つ音波をゴムの弾性で吸収し、反響音を虚空へと減衰させる、前世のステルス技術の直系。

 

それは奇しくも後に紺碧会により建造される秘匿潜水艦艦隊紺碧の艦隊を構成する各潜水艦が備えし機能と全く同一のものだった。

 

「……竜宮さん。貴方は、これをこの地下で……我々の手で造るおつもりですか」

 

東野の震える問いかけに、竜宮は銀縁眼鏡の奥の瞳を眇め、冷徹に頷いた。

 

「ええ。ヘリと人型機動兵器を腹に収め、無音で太平洋を横断し、敵の喉元へ電撃的に兵力を揚陸できる潜水強襲母艦です。……大高閣下たち陸軍にも、海軍の軍令部にも、この船の存在だけは絶対に悟らせてはなりません」

 

陽の当たる洋上では、三菱の空母が海軍の目を引きつける。

 

そして陽の射さぬ地下の乾ドックでは、深海の亡霊が静かにその背骨を組み上げていく。

 

『照和』という狂乱の海を制するため、元「提督」が用意した真の切り札が、極東の暗がりの中で産声を上げようとしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

兵器をいくら揃えようとも、兵の胃袋が空であれば戦端を開く前に瓦解する。

 

国民が飢えに喘ぎ、配給を巡って争うようになれば、いかに強大な艦隊や機動兵器を誇ろうと、国家は内側から腐り果てて自滅する――。

 

前世の令和末期、物資を断たれた絶望の包囲戦の中で、泥水を啜りながら部下たちの食糧調達に奔走した竜宮にとって、それは骨の髄まで焼き付いた絶対の真理だった。

 

海辺の地下ドックで無音の潜水母艦を組み上げ、民間警備会社の看板を掲げる傍ら、竜宮は休むことなく次なる大事業の鍬を振るった。

 

――北海道の大開拓である。

 

設立された新会社の社名は、飾り気のない「竜宮農業」。

 

特許料とスイス銀行から引き出した唸るような資金を注ぎ込み、竜宮は全国の新聞へ向けて大々的な募集広告を打ち出した。

 

『求む、北辺の開拓者。農業経験者は破格の待遇にて優遇。ただし働く意思ある者ならば、学歴、年齢、性別を問わず』

 

照和八年(一九三三年)の日本は、世界恐慌の余波と昭和東北大凶作の傷跡が癒えぬ底冷えの時代であった。

 

東北の寒村では欠食児童が溢れ、娘の身売りが横行し、職を失った無数の人々が路頭に迷っている。

 

そんな暗雲立ち込める世相にあって、渡航費を全額支給し、住居を用意し、正当な賃金と家族の生活を丸ごと保障するという竜宮農業の募集は、貧困の底に沈む民草にとって、暗闇に差し込んだ唯一の救いの光明であった。

 

募集事務所には、希望を求めて全国から職にあぶれた人々が殺到した。

 

だが、竜宮が目指したのは、明治以来の過酷を極めた原始的な「屯田兵」の再現ではない。

 

彼の頭の中にあったのは、前世の平成・令和の動乱期において、海外からの食料輸入が途絶した日本が総力を挙げて完遂した「北海道再開拓プロジェクト」の完全な再現であった。

 

前世において、食料自給率の崩壊に直面した日本は、最先端の農業土木と品種改良技術を北海道に集中投下した。

 

冷害に強い耐寒性小麦や遺伝的改良を経た根菜類、泥炭地を沃土へと変える大規模な暗渠排水と客土事業、そして徹底した輪作体系の導入――。

 

その結果、前世の日本は北海道という広大な大地ただ一地域のみで、列島全人口の胃袋を完全に賄い切るという、世界農業史上類を見ない一大穀倉地帯を築き上げたのだ。

 

(あの時と同じ土木・農業工学を、この時代に前倒しで叩き込む……!)

 

竜宮は容赦なく資本と技術を北の大地へ注ぎ込んだ。

 

泰山航空工業の「嵐凰」が空を飛び、陸路の寸断された原生林の開墾地へ、食料や医薬品、発電機を即座にピストン空輸する。

 

さらに、タクティカルモジュール「雷震」の開発過程で培われた油圧ダンパーと高出力ディーゼル機関の技術を惜しみなく転用し、この時代には存在しない規格外の超大型トラクターや抜根機、整地重機を次々と特注して北へ送り込んだ。

 

人が鍬を振るい、機械が大地を抉り、空の翼が補給を繋ぐ。

 

これまで「不毛の極寒地」と見捨てられていた原野が、驚くべき速度で幾何学的な近代メガファームへと変貌を遂げていく。

 

やがて日本が国際社会から完全に孤立し、日米開戦、そしてABCD包囲網による徹底的な海上封鎖と経済制裁を突きつけられる日は確実にやってくる。

 

石油が止まり、鉱物が止まり、あらゆる外資が途絶するだろう。

 

だが――。

 

(飢え死にだけは、絶対にさせるものかよ)

 

自給率百パーセントを超える食糧生産基盤を、この極東の島国に打ち立てる。

 

腹を満たした兵は戦場で怯まず、腹を満たした民はデマや敗北主義に惑わされず、大本営発表の嘘に縋る必要もなくなる。

 

食糧という名の、最も強固な国家防壁。 元「民大将」が仕掛けた次なる戦略物資は、火薬ではなく、北の大地に芽吹き始めた黄金の麦穂であった。

 

 

◇◇◇

 

 

北海道の大開拓が本格化するにつれ、泰山航空工業の工場群は空前絶後の活況に沸き返っていた。

 

敷地内に増設された量産ラインは昼夜を問わずフル稼働を続け、各地の僻地輸送を支える「嵐凰」のみならず、兵員や作業員を一度に輸送できる中型汎用機「嵐迫」までもが、次々と生産ラインから送り出されていった。

 

だが、数千、数万の人々が北の大地へ渡り、見渡す限りの原野をメガファームへと変貌させていく中で、既存のヘリコプターではどうしても埋められない「輸送力の壁」が立ちはだかり始めた。

 

開墾用の大型トラクターや抜根重機、何十トンもの肥料や種籾、そして一度に移動する数十名規模の開拓団。

 

小型の嵐凰では吊り上げ重量が足りず、中型の嵐迫を何往復もピストン輸送させていては、時間も燃料も浪費してしまう。

 

道路も鉄道も通らぬ原生林の奥地へ、規格外の重量物を一撃でねじ込むための「圧倒的な胃袋」が不可欠だった。

 

(……やはり、あの巨人を起こすしかないな)

 

竜宮は自ら製図板に向かい、新たな青写真を引いた。

 

その図面を前にした東野源一郎は、もはや驚愕の声を上げることすら忘れ、ただただ息を詰まらせて凝視した。

 

紙の上に描かれていたのは、前後に二基の巨大な主回転翼を掲げた、前代未聞の長大な機体だった。

 

前世の現代人であれば、ニュース映像やミリタリー映画において、アメリカ軍の圧倒的な物量作戦を象徴する輸送機として誰しもが一度は目にしたことのある姿――伝説のタンデムローター式大型輸送ヘリ「CH-47

チヌーク」の雄姿そのものであった。

 

その機の名を――「嵐征(らんせい)」といった。

 

単一の主ローターを持つ通常機と異なり、前後に配された二つの巨大ローターが互いに逆回転することで、回転反作用を互いに打ち消し合う。

 

すなわち、テールローターにエンジン出力を割く必要がなく、エンジンの馬力のほぼ百パーセントを純粋な揚力と前進推力へと変換できる究極の空輸プラットフォームだった。

 

胴体全体が、まるで空飛ぶ巨大なトンネルだった。

 

機体後部には油圧で開閉する大型カーゴランプが備えられ、四輪駆動トラックや小型の重機が自走してそのまま機内へ吸い込まれていく。

 

人員であれば、開拓民――あるいは完全武装の兵員を一度に四十名以上も飲み込み、何トンもの物資を腹に抱えたまま、時速250㎞の高速で巡航することが可能だった。

 

さらに、胴体下部に設けられた三箇所のスリングフックを用いれば、機内に入り切らない超大型の工作機材や野砲、小型舟艇すらもそのまま空中に吊り下げて運搬できた。

 

「竜宮さん……これは、もはや『空飛ぶ貨物列車』ではありませんか……!」

 

東野の震える声に、竜宮は淡々と頷いた。

 

「ええ。これさえあれば、北海道のいかなる原生林であろうと、一夜にして近代的な補給拠点を構築できます。陸路の整備を待つ必要すらありません」

 

数ヶ月後、完成した「嵐征」の初号機が、双発の新型高出力タービンエンジンの咆哮とともに照和の大地を揺るがした。

 

ドオオォォォン――と腹の底に響く二重反転ローターの重低音を響かせ、巨大な胴体が垂直にふわりと宙に浮き上がる。その異様な光景に、見守っていた職人たちから割れんばかりの歓声が上がった。

 

北の大地へ送られた嵐征は、その真価を遺憾なく発揮した。

 

これまで数週間を要していた物資と重機の搬入が、わずか数時間の飛行で完結する。

 

泥濘に足を取られることなく、山越え谷越え、北辺の原野へダイレクトに巨躯を降ろしては物資を吐き出すその姿は、開拓民たちから「天翔ける鉄の納屋」と崇められた。

 

だが、その圧倒的な光景を遠く東京から報告書で受け取った大高弥三郎は、背筋を震わせながらその紙面を握りしめていた。

 

(嵐凰で敵を偵察・牽制し、嵐迫で電撃的に強襲部隊を降下させ、そしてこの『嵐征』で後方から野砲や装甲車、一個中隊丸ごと即座に敵の背後へ送り届ける……)

 

民間開拓の名目で完成した空輸体系。

 

だがそれは、ひとたび有事となれば、世界のあらゆる陸軍を過去の遺物へと変貌させる――史上最強の「空中機動軍団」の完全なる完成形に他ならなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

北海道開拓特需の幕が上がったことで、泰山航空工業の資本力は日を追うごとに跳ね上がっていった。

 

竜宮の頭の中には、すでに成功に至る一本道が克明に描かれていた。ゆえに、投資に対する躊躇いなど微塵もない。

 

自ら取得した回転翼機やバッテリー、各種機構の特許から転がり込んでくる天文学的な特許料を、竜宮は手元に残すことなく、すべて北海道の開拓事業へと注ぎ込んだ。

 

そこに成立したのは、資本主義の歴史上でも稀に見る「自己増殖型の経済サイクル」であった。

 

北辺の大地を開墾するために、規格外の輸送力を持つヘリコプター――「嵐凰」「嵐迫」「嵐征」が湯水のように求められる。

 

機体が売れれば売れるほど、泰山航空工業の金庫には巨額の利益が積み上がり、設計者たる竜宮の口座へ膨大な特許料と配当金が還流する。

 

そして竜宮は、その資金を元手にさらに北海道の土地を買い足し、新たな開拓団を送り込み、追加のヘリを泰山航空工業へと発注する。

 

金が金を生み、技術が土地を肥やす。まさに一分の隙もない永久機関のような経済システムが確立されていた。

 

さらに、竜宮の資金基盤を狂気的な速度で押し上げたのは、重工業の枠を超えて民需市場を席巻した「服」であった。

 

リチウムイオン二次電池と小型ファンを組み合わせた空調服は、真夏の鉱山、製鉄所、紡績工場、そして鉄道敷設の現場において「作業員の命を救う奇跡の服」として爆発的なヒットを記録していた。

 

だが、竜宮の商才は夏だけで終わらない。

 

電池の配線を薄型の電熱ヒーター線へと繋ぎ替え、厳冬期に対応した「防寒電熱服」を開発・投入したのだ。極寒の北海道や東北の冬にあって、ボタン一つで衣服の内部が陽だまりのような温もりに包まれる。

 

夏は空調服、冬は電熱服。

 

一年を通じて生産ラインが休む暇なくフル稼働し、作った端から飛ぶように売れていく究極のドル箱商品。

 

この特許料だけでも、小規模な財閥が一つ丸ごと買えるほどの莫大な現金が、竜宮の懐へと雪崩を打って転がり込んできた。

 

そんな狂瀾の特需を前にしながら、当時の日本を牛耳る三井、三菱、住友といった名門財閥の首脳陣は、依然として高を括って動こうとしなかった。

 

「あんな極寒の不毛の地に金を注ぎ込むとは、成金の道楽も極まったな」

 

「泥炭地を農地に変えるなど土木工学の非常識だ。冬が来れば開拓民もろとも凍死して終わりだろう」

 

守旧派の資本家たちにとって、北海道の未開地は「金をドブに捨てるような死地」に過ぎなかったのだ。

 

(……せいぜい、指をくわえて見ていなさいな。気づいた時には全てが遅いのだから)

 

自社ビルの社長室で地価台帳をめくりながら、竜宮は銀縁眼鏡の奥で冷徹に口角を吊り上げた。

 

競合他社は皆無。完全なるブルーオーシャンであった。

 

前世の平成・令和において、最先端の農業技術と土木工学によって一大穀倉地帯へと化けた北海道の真価を、竜宮は誰よりも正確に知っている。

 

国ですら持て余し、帳簿の上で二束三文の価値しかつけられていなかった広大な原野や山林を、竜宮は手に入った資金の端から片っ端から買い叩いていった。

 

将来、食糧自給の要として、あるいは新たな工業団地や資源開発の拠点として爆発的に跳ね上がるはずの優良地を、タダ同然の捨て値で選び放題に買い漁る。

 

将来の土地単価と国家戦略上の価値を計算すれば、これほど確実に、かつ莫大に儲かる投資が他にあるだろうか。笑いを噛み殺すのが難しいほどの絶対に当たる一等宝くじを鷲掴みし放題のボーナスステージだった。

 

軍が気脈を通じる巨大財閥に縋り付いている間に、一介の少年実業家は、日本の国土そのものの「生命線」を合法的にその掌中へと収めつつあった。

 

金は唸りを上げ、北の大地は黄金色に染まり、地下のドックでは深海の牙が研がれる。

 

破滅の未来を迎え撃つための巨大な陣容は、誰にも悟られぬまま、着実にその完成度を高めていた。

 

 

 

 

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