紗季のコートから、ボタンがひとつ取れかけていた。
「帰ったら直す」
先月も同じことを言っていた気がする。けれど、僕の部屋には切れた電球が二週間そのままだ。人のことは言えなかった。
十一月の三度目の日曜日、駅前はもうクリスマスになっていた。昼間の電飾は、点いているのかどうか分からない。紗季は僕の腕に自分の腕を通し、歩幅を合わせた。
「今日は何時まで大丈夫?」
「明日の朝まで」
それを聞いて、ようやく休日になった気がした。
前の週末は会えなかった。彼女が友達と旅行に行っていたからだ。僕は土曜の仕事が早く終わり、駅で二人分の弁当を買いかけた。約束していたわけでもないのに、その晩は少し機嫌が悪かった。
八時四十三分に電話が来た。
「今、平気?」
平気、と答えた声が、自分でも驚くほど明るかった。
温泉に入って、ご飯を食べたところだと言っていた。僕はスーパーの弁当の蓋を閉めた。テレビでは、知らない人が知らない人の物真似をしていた。
「楽しんでる?」
「うん。そっちは?」
「普通」
仕事のことを二つ、駅前のパン屋が閉まることを一つ話した。電話の向こうで、硬いものが床を転がる音がした。
「何?」
「飴、落としちゃった」
笑い声が聞こえた。
「戻らなくていいの」
「もうちょっと」
僕は閉めた弁当を、また開けた。
そのあと送られてきたのは、湯呑みと三角に畳まれた紙の写真だった。箸袋で作った鳥らしい。鳥には見えないと返すと、〈見えます〉と来た。
今日の待ち合わせで、紗季は「先週の埋め合わせ」と言って僕の手を取った。謝られるほどのことではない。でも、覚えていてくれたのは嬉しかった。
昼食のあと、川沿いの小さな店に入った。紗季は古い食器を眺め、僕はレジの脇のガラスケースを覗いた。
銀色の鳥がいた。指先ほどの大きさのブローチだった。
片方の翼の先だけ白い。
「欠けたところを樹脂で直してあるんです」
店主に言われて、覗き直した。修理した跡は羽の模様のようにも見えた。
「留め金も替えてます。今のもののほうが丈夫なので」
紗季は隣に来て、鳥の顔を確かめた。
「ちょっと偉そう」
「似てる」
「誰に?」
買います、と店主に言った。
店を出てから渡すつもりだったのに、包み終わるまで二人で待つことになった。贈り物というものを、僕はいつも上手くできない。
「何の日?」
「別に」
「別に、で買ってくれるの」
「欲しそうだったから」
紗季は包みを開け、胸元に当てた。
「ここ?」
「もうちょっと上」
つけて、と渡された。新しい留め金は硬く、彼女のコートを引っ張らないようにすると、なかなか針が通らなかった。
紗季はじっと待っていた。近くにある顔を見ないようにしていると、笑われた。
「そんな緊張する?」
僕は返事をせず、留め金を閉じた。
夕飯は僕の部屋で食べた。彼女は炊飯器を開け、「今日ちょっと柔らかいね」と言った。いつも食べているみたいな言い方がよかった。
食器を洗うあいだ、紗季は椅子に座ってスマートフォンを見ていた。
「お風呂、先どうぞ」
「あとでいい。一緒に寝たいし」
水を強く出しすぎて、袖が濡れた。
ベッドに入ってから、先週、少し寂しかったことを話した。暗ければ言えることもある。
「言ってくれればよかったのに」
「旅行中に言うことじゃないだろ」
「帰ってからでも」
彼女の手が、布団の中で僕の手を探した。
「じゃあ、次から言う」
「うん」
月曜の朝、紗季がまだ寝ているあいだに、僕はコートのボタンをつけ直した。裁縫箱はなく、ホテルでもらった小さな袋の糸を使った。
袖を通すとき、彼女はすぐ気づいた。
「あ、直ってる」
「帰ったらやるって言ってたから」
「ありがとう」
鳥のブローチを外そうとすると、手を止められた。
「これはここでいい」
玄関の鏡に向かって襟を整え、白い翼を指で一度撫でる。
僕はごみ袋を持ち、彼女と一緒に部屋を出た。