第1話 帰り道
「剣、そこに置けるか」
第十一階層の西側。鉱石を積んだ運搬車が、地上行きの昇降機へ向かう通路だった。
いまは崩れた岩が道を塞ぎ、照明のケーブルが天井から垂れている。運搬車も担架も瓦礫の向こうで止まり、透だけが隙間を抜けてきた。ここからは、脇の細い通路を使って負傷者を背負い出すしかない。
「これ、まだローンが」
「今は俺につかまるので精一杯だろ。剣まで抱えたまま背負ったら、その刃が俺に刺さる。あとで拾いに来よう」
青年は膝に抱えていた長剣を見下ろした。鞘が割れ、刀身が半ばから剥き出しになっている。
しばらく迷ってから、彼はそれを床へ置いた。
六人で帰還していた探索隊の最後尾が、この崩落に巻き込まれた。四人は先に避難し、残る二人のうち一人は歩けない。
透の右手側では、もう一人が割れた防護眼鏡を外していた。額を切っているが、こちらは立てる。
「歩ける人、名前は?」
「
「杉野さん。こいつに肩を貸すから、荷物を外すのを手伝ってくれ」
「俺、置いていったほうが」
「おい、ローンどうすんだ。返しに帰るぞ」
座っていた青年が、息を詰めて笑った。
透は彼の背嚢を外し、固定されていた左脚の状態を確かめた。背負い上げる準備をしている間も、頭上では細かな石が落ちている。ヘルメットを打つ音が鬱陶しい。
『水瀬さん、南の搬出路で追加の崩落です。そちらから見えますか』
耳元の無線に、管制の
「今見る。少し待って」
透は作業を止め、床についた片膝を動かさずに意識を広げた。
目の前の瓦礫とは別に、第十一階層の形が頭の中へ収まっていく。入り組んだ坑道、縦に抜ける空洞、資材を置くために広げられた部屋。その端から端までを捉え、南へ続く通路に注意を絞る。
先ほどまでつながっていた道が、二か所で潰れていた。
「南は使えない。東の保守路を通る」
『そちらは合流地点まで遠回りになります。今の地図だと――』
「途中の仕切りが倒れてる。資材庫を横切れば縮められる。搬送班を東の扉に回してくれ」
『了解。資材庫内の魔物は未確認です』
「こっちで見る」
道はわかる。そこに何がいるかは、目か耳で確かめるしかない。
透は青年を背負い、搬送用の帯を締め直した。杉野にも留め具を確認させてから立ち上がる。背中で、小さな悲鳴が漏れた。
「悪い。揺れるぞ」
「……重くないですか」
「装備つけた俺より軽い。杉野さん、右のポケットに煙幕がある。取ってくれるか」
砕けた石を踏み越え、二人が通れる幅を選んで進む。
資材庫の入口まで来たところで、透は止まった。
倒れた棚の向こうを、灰色の背中が横切った。
四つ足で歩く、ひどく痩せた猿のような魔物だ。前脚の先だけが不釣り合いに長く、曲がった爪で床を引っかいている。二体。さらに奥で、一体が棚に上っていた。
入口の縁に身を寄せ、杉野を止める。
右奥に出口がある。その手前は棚の残骸で狭くなっているが、人は通れる。三体とも、今はこちらに背を向けていた。
「あいつらなら、俺も戦えます」
杉野が腰の短剣に触れた。
「助かる。でも今は取っとこう。あっちへ回る」
「倒したほうが早くないですか」
背中の青年が、肩越しに何か言おうとした。唇の色がさっきより悪い。透は帯へ手を添え、体勢を直した。
「一体しくじったら、こいつを下ろしてやり直しだ。煙が出たら、俺の左腕をつかんで。離すなよ」
杉野がうなずき、透の左腕をつかんだ。
透は入口の床へ煙幕筒を滑らせた。白い煙が勢いよく噴き出し、骨猿が一斉に振り向く。その姿が隠れるのを待ち、三人は右の壁沿いに動いた。
すぐ左で、何かが棚にぶつかった。
その音に、透の左腕をつかんでいた杉野の手に、ぎゅっと力が入った。
「そのまま。あと五歩で足元が下がる」
白く濁った視界の先へ足を置く。頭の中に残る資材庫の形を頼りに、倒れた棚を避けた。爪の音は聞こえるが、位置までは決めつけられない。
壁に手が触れた。そこから半歩右。出口の縁を指で確かめ、杉野を先に通す。
背後で、甲高い鳴き声がした。
「頭、下げてろ!」
透は出口を抜け、青年を背負ったまま横へ踏み込んだ。
白煙から伸びた前脚が、肩のあった場所を掻く。骨猿は着地して向きを変えた。赤黒い目がこちらを捉えている。
腰の剣を抜く。
柄を握り直し、刃先まで魔力を通した。骨猿が跳ぶ。透は後ろへ逃げず、その下へ剣を差し入れた。
刃が胸を裂き、手首へ鈍い抵抗が返る。振り抜く幅はない。体をひねって壁へ押しつけ、倒れたところで首に刃を入れた。
魔力の乗った刃を受けた体が痙攣し、爪の音が止まった。
「扉!」
杉野が重い鉄扉を引いた。透は剣を引き抜いて下がり、靴底で扉を押し込む。
閉まった途端、向こう側で二度、続けて衝突音がした。
透は内側の落とし棒を下ろした。
息を吐くと、背中の青年が震えていた。
「当たってないか」
「は、はい」
「よし。あと少しだ」
杉野が透の剣と扉を交互に見ている。
「救助の人って、もっと……」
「おとなしい?」
「いや、その」
「俺も静かに帰りたかったんだけどなあ」
透は剣を拭い、鞘へ戻した。残してきた二体が扉を掻いているうちに、歩き出す。
保守路を曲がった先で、二つのライトが揺れた。
「こっちだ、担架を頼む!」
待機していた搬送班が駆け寄ってきた。
青年を下ろすと、背中に冷たい空気が触れた。汗で服が貼りついている。透は負傷の状況と搬送中の様子を伝え、杉野も隊員へ引き渡した。
『二人とも収容を確認。水瀬さんも戻ってください』
「了解。落とし物が一つあるから、場所だけ報告する」
『場所だけ、ですよ』
「わかってるって」
担架の上から、青年が透の袖をつかんだ。
「剣、もういいです」
「いいのか。高いんだろ」
「買い直します。……ありがとうございました」
透はうなずいて、袖から離れた手を毛布の下へ戻した。
*
第十一階層の退避所には、消毒液と温めた缶詰の匂いがこもっていた。
搬送班が地上行きの昇降機へ向かうのを見送り、透は壁際の長椅子へ腰を下ろした。背嚢を置くと、金具が床に当たって大きな音を立てる。
『肩の防護布、破れてますよ』
きなこに言われ、透は右肩をつまんだ。いつの間にか、縫い目が開いていた。
「下まで届いてない。かすっただけ」
『それは映像でも見えています。交換してくださいって話です』
「あと一回くらい使えそうだけど」
『交換してください』
「はい」
背嚢から補修用のテープを出し、破れた箇所に仮止めする。
残りの煙幕を数えると一本だった。今夜だけで三本使っている。クランにいたころは、月末の精算で煙幕代を見るたび、経理担当に「もう少し節約しろ」と叱られた。
独立してからは叱る人がいない。代わりに、口座の残高が減る。
『また装備代の計算ですか』
「顔に出てた?」
『手が止まってます』
透は残りの一本をしまった。出動映像の送信を切ろうとして、きなこが続ける。
『地上で食べてから帰ってくださいね。売店、まだ開いてます』
「冷凍の炒飯がある」
『昨日もそれでは?』
「昨日は海老。今日は高菜」
『そうですか』
急に興味のなさそうな声になった。
透は笑って立ち上がりかけ、ふくらはぎがつる気配に腰を戻した。水を飲み、足を伸ばす。空腹も思い出した。
背嚢の底から潰れた栄養バーを取り出したとき、机の上で古い受信機が鳴った。
短い電子音が三つ。
透は顔を上げた。
壁には同じ型の受信機が何台か並んでいる。いずれも消灯していた。一台だけ、机上の液晶に薄い緑の光がついている。
『水瀬さん?』
「今、何か鳴った。旧回線のやつ」
近づくと、受信機の脇に点検済みの札があった。古い保守区画との連絡用に、まだ残してある機種だ。
表示は数字と横線を交互に映していた。発信元の欄が埋まらない。
透は呼び出しに応答した。
「こちら救助担当、水瀬。聞こえますか」
雑音が返った。
音量を上げる。布を引きずるような音に交じって、息を吸う音がした。
『……ひとり』
女性の声だった。
「一人ですか。怪我は?」
返事が途切れる。透は受信機に顔を寄せた。
『あの子を……お願い』
机の端に置いていた手を止める。
「お子さんがいるんですね。あなたも一緒ですか。場所を教えてください」
大きな雑音が入り、透は思わず受信機から顔を離した。
次に聞こえたのは、何かを押す、乾いた音だった。何度も続いたあと、通話が切れる。
透は呼び出しボタンを押した。応答はない。
「田中さん、今の拾えたか」
『そちらの送信音声で。旧回線の記録を調べます。切らずに待ってください』
透は受信機の番号を読み上げ、座り直した。
包みを開けた栄養バーが、膝から落ちた。
机の液晶に、遅れて文字が並ぶ。
救助要請。一名。
さっき話していた女性は、自分を数えたのだろうか。
透はもう一度、呼び出しボタンを押した。