深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第11話 直す人

 部屋を下見した三日後、結城葵(ゆうきあおい)は退院し、水瀬透(みなせとおる)の家へ移った。

 葵の部屋の窓にはカーテンが掛かり、扉には鍵がついていた。相談員に見守られながら、葵は鍵を自分で開け閉めし、持ってきた荷物を棚へ収めた。

 

 それから二日後。透は葵の通院に付き添った帰りに、行きつけの装備整備工房へ車を回した。

 仕事で使う中継機を借り、傷んだ手袋を修理に出すためだった。少し寄ってもいいかと病院を出る前に尋ねると、葵は「大丈夫です」と答えた。

 

 工房へ入ると、奥で運搬車を整備していた女性が手を上げた。

 整備士の春風安江(はるかぜやすえ)だ。透が独立してからも、装備の点検や修理を頼んでいる。

 

「いらっしゃい。頼まれてた貸出機、出してあるよ」

「助かる。あと、こっちも見てほしい」

 

 透は作業台へ背嚢を置き、破れた手袋と空の中継機の収納袋を取り出した。葵は隣に立って、壁に並んだ工具を見ていた。

 安江が収納袋をのぞき込んだ。

 

「二台とも置いてきた?」

 

 作業台の向こうから声が飛んできた。

 透は、空になった中継機の収納袋を畳んだ。

 

「場所は報告してある。回収できたら戻る」

「できたらね。で、明日の仕事に使う分は?」

「それを借りに来た」

 

 安江は、額へずり落ちた保護眼鏡を上げた。

 短くまとめた髪の先に、金属の切り粉が一つついている。指で払い落とすと、今度は透の手袋を裏返した。

 

「こっちは修理できる。予備も出す。中継機は貸出台帳に名前を書いて」

「助かる」

「壊していいって意味じゃないからね」

 

 安江は言いながら、台の反対側へ視線を移した。

 葵が、透から一歩離れて立っている。

 

「こんにちは。騒がしくしてごめん。座れる?」

 

 葵はうなずいた。

 安江は油のついた工具箱を椅子から下ろし、きれいな布で座面を拭いた。透が椅子を引こうとすると、先に安江が場所を空ける。

 

「その荷物、後ろへ。通れない」

「あ、悪い」

 

 透は背嚢を足元へ寄せた。

 葵が椅子へ座るのを待って、安江は名乗った。葵も小さく名前を返す。

 

「水瀬とは仕事の付き合い。壊したものを持ってくる人と、それを直す人」

「毎回壊してるみたいに言うなよ」

「今日は?」

 

 透は台に置いた手袋を見た。

 葵も見た。

 

「今回は壊した」

「はい」

 

 安江が伝票を一枚抜いた。

 工房の奥では、別の整備員が運搬車の車輪を外している。金属を叩く音が響くたび、葵の足が椅子の下へ引かれた。

 安江は奥へ声をかけ、横の小部屋を開けた。

 

「こっちで待ってて。扉を閉めれば少し静かだから」

「ありがとうございます」

 

 葵が立つと、透もついていきかけた。

 

「水瀬は検品。使った本数、合わない」

「煙幕なら、補充前の分もある」

「だから説明して」

 

 透は足を戻した。小部屋の戸口で葵を見たが、彼女はもう椅子の位置を確かめていた。

 

 *

 

 手袋だけのつもりだったが、安江はほかの装備も作業台へ並べるように言った。透は背嚢を開き直し、安全帯を取り出した。

 

「防護布は替えたばっかりか」

「十八で。交換の記録もある」

「なら、こっちの縫い目を見せて。身体のほうは?」

「手の甲だけ。診てもらった」

「珍しく素直」

 

 透は返さず、上着を裏返した。

 安江が縫い目を指でなぞる。作業中は視線がほとんど上がらない。安全帯の金具も開閉を繰り返し、溝に入った砂を落としていた。

 

「小さい砂でも、噛むと閉まり切らないから。音だけで判断しないで」

「わかってる」

「知ってる。疲れてるときの話」

 

 透は金具を受け取り、最後まで閉まったことを指で確かめた。

 小部屋の扉が開いていた。葵が中から作業台を見ている。

 

「音、大丈夫?」

 

 安江が尋ねると、葵はうなずいた。

 

「それ、どうやって洗うんですか」

「この帯? 泥を落として、指定の洗い方で。強い薬品は使えないんだ」

 

 安江は洗浄待ちのかごと、検査を終えた棚を指した。

 

「あっちが使っていいもの。ここはまだ駄目なもの。似てるけど混ぜない」

「乾いていても?」

「乾いたあとに傷を調べるからね」

 

 葵は棚を見比べた。

 透は、その質問に少し驚いた。家では必要なことにも短く答えるだけだった。ここでは自分から聞いている。

 

 安江は椅子を台の端へ寄せた。

 

「見たいならここ。手は出さないでね。今から小さい部品が出る」

 

 葵が座り、膝に手を置いた。

 安江は故障した照明器具を開ける。割れた樹脂の覆いを外し、細いねじを白い皿へ載せた。

 

「これも、水瀬さんが?」

「これは別の人。水瀬のは、その破れた手袋」

「俺の仕事、だいぶ悪く伝わってない?」

 

 安江は笑った。

 葵は手袋から透へ目を移した。何か言いそうだったが、結局、照明の中へ視線を戻した。

 

「クランの頃は、月末に経理に捕まってたんだっけ」

「煙幕代でな。毎回三体相手に剣振ってたら、それこそ時間が足りない」

「使うなとは言ってないよ。補充する時間も予定に入れて。前日の閉店間際に駆け込むなって話」

 

 安江は伝票の受取予定時刻を丸で囲んだ。

 透はその下へ署名した。

 

「今日は間に合っただろ」

「今日はね」

 

 小さな音がした。

 葵が息を漏らしたのだと気づくまでに、一拍かかった。笑ったのか確かめたくなったが、見るともう真面目な顔でねじの皿を見ていた。

 

 *

 

 安江は最後に、葵の履いている靴へ目を向けた。

 

「踵、浮いてない?」

「少し」

「借りたもの?」

 

 葵がうなずくと、安江は棚から薄い中敷きを出した。

 透は財布を出しかけたが、安江に手で止められた。

 

「まず合うか見てから。買えばいいってもんでもない」

 

 葵は片足を椅子の下へ引いた。

 安江はその足へ手を伸ばさず、中敷きを机へ置いた。

 

「自分で靴を脱げる? 難しければ今日はやめよう」

 

 葵は少し待ってから、靴を脱いだ。

 透は横に立っていたが、安江の作業する場所を空けて一歩下がる。中敷きを入れた靴へ、葵が足を戻した。

 

「さっきと比べてどう?」

「抜けないです。でも、ここが」

 

 葵が足の甲を指した。

 

「じゃあ厚すぎるね。別のを試そう」

 

 安江は中敷きを替え、葵が数歩歩くのを見た。足を置くたびに靴が鳴っていたが、二度目にはその音が小さくなった。

 葵は自分の足元を見下ろした。

 

「こっちがいいです」

「じゃ、こっち。痛くなったら戻してね」

 

 透はそれを聞いてから財布を開けた。

 安江は葵に値段を伝えた。葵が自分のお金で払うと言うと、透の財布は出番がなくなった。

 

「見てから払え、って言ったでしょ」

「見てたよ」

「うん。じゃあしまって」

 

 透は財布を戻し、貸出機の箱を持ち上げた。

 安江に家で履くものもあるかと聞かれ、葵は首を横に振った。出してもらった室内履きを試し、底に滑り止めがついた一足を選ぶ。中敷きとは別に代金を払い、袋へ入れてもらった。

 

 受け取った装備を車へ運び、透が戻ると、葵は安江と話していた。

 机に携帯端末が置かれている。葵のものではなく、工房の貸出用だ。

 

「番号を書いた紙でもいいよ。連絡の手段、まだ決まってないなら」

 

 安江が名刺を裏返し、直通番号を書いた。

 

「服の留め具とか、靴が合わないとかも相談して。何でもここで直せるわけじゃないけど、扱ってる店は知ってる」

 

 葵は名刺の角をつまんだ。

 

「水瀬さんに、言えば」

「私に直接でいいよ。服のこととか、男の人には話しにくいこともあるでしょ。休みの日は電話に出られないけど、あとで折り返すから」

 

 透は戸口で靴の泥を落としていた。

 呼ばれていない会話へ入るのも変だと思い、背嚢の肩紐を直す。

 

「また来ても?」

「うん。次は水瀬の修理代、本人に払わせよう」

「いつも払ってるだろ」

 

 つい返すと、安江がこちらを向いた。

 

「いたの。じゃあ、貸出機の説明を聞いて。前のとボタンの位置が違う」

 

 帰り際、葵は工房の入口で立ち止まった。

 安江が奥から手を上げると、葵も胸のあたりまで手を上げた。

 透は車の扉を開けて待った。座席へ乗り込む葵の指には、名刺が挟まれていた。

 

「預かろうか。なくさないように」

「持っています」

「うん」

 

 葵は服のポケットへ名刺を入れた。

 透は扉を閉め、運転席へ回った。

 

 家へ戻る途中、工事中の道路で止まった。窓の外を作業員が横切り、透の車へ頭を下げる。

 葵はその人を見送ってから、膝の上の袋を開いた。工房で選んだ滑り止めつきの室内履きが入っている。

 

「前の靴は、そのまま持ってていいからな」

「わかっています」

 

 少しだけ、返事が早かった。

 透は前を向く。先回りしすぎたかもしれない。

 

 誘導員が進むよう合図を出し、前の車から順に動き始めた。

 葵は袋を閉じたあと、もう一度ポケットの名刺を確かめていた。

 

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