深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第12話 返事はいりません

 台所で湯が沸いた。

 水瀬透(みなせとおる)は火を止め、時計を見た。(あおい)の部屋の扉は閉まっている。

 朝食を用意すると伝えたのは、二十分前だった。

 

「結城さん。起きられそう?」

 

 扉の向こうで布の擦れる音がした。

 

「はい」

「急がなくていいよ。お湯が沸いたから」

 

 透は台所へ戻った。

 食卓には、透が前から使っているコップと、葵用に買ったコップが並んでいる。片方へ水を注ぎ、もう片方にも同じだけ入れかけて止めた。冷たいものを飲みたいとは限らない。

 もう一度扉へ向かう。

 

「水とお茶、どっちがいい?」

「水で」

「冷たくても大丈夫?」

 

 少し間が空いた。

 

「大丈夫です」

 

 葵が扉を開けた。

 寝間着の上に薄い上着を羽織っている。髪の左側だけが肩に引っかかっていた。透は直していいものか迷い、髪を示すだけにした。

 

「そこ、引っかかってる」

 

 葵は自分で外した。

 透は椅子を引く。葵はその椅子へ座り、食卓を見た。

 

「食べられそう? 量が多かったら残していいから」

 

 卵とパンと、昨日買ったスープ。

 葵の皿は小さくした。足りなければ足せるように、パンの袋は閉じずに置いてある。

 

「水瀬さん」

「うん」

「ちょっと、待ってください」

 

 透はスープの袋を持ったまま止まった。

 

「熱かった?」

「まだ、飲んでないです」

 

 葵は両手を膝へ下ろした。

 透も袋を置く。

 

「どうした?」

 

 聞いてから、また質問したことに気づいた。

 

 葵はコップを見ていた。

 

「返事をする前に、次を聞かれるので」

 

 透は黙った。

 

「考えてるだけのときも、あります」

「……うん」

「部屋でも」

 

 葵の声が小さくなった。

 透は椅子へ座った。立ったまま聞いていると、見下ろすことになる。

 

「何度も呼ぶの、嫌だった?」

 

 葵はすぐには答えなかった。

 透は待った。

 

「休んでいていいと言われたので。寝ようとしたら、呼ばれて」

 

 昨日の午後を思い出した。

 水は足りるか。窓を開けたいか。寒くないか。夕飯は何がいいか。

 具合が悪くて返事ができないのではないかと、最後には扉を叩いた。

 

「ごめん。休ませてなかったな」

 

 葵が顔を上げた。

 

「怒ってはいないです」

「うん。でも、気をつけるよ」

 

 透は端末へ伸ばしかけた手を戻した。

 聞く回数を記録するのも違う気がした。

 

「部屋にいるときは、急ぎじゃなければ呼ばない。食事は先に時間を決めよう。困ったら呼んでくれるかな」

「はい」

「返事を考えてるときも、ちゃんと待つよ」

 

 葵はうなずき、コップへ手を伸ばした。

 透は自分のパンを取った。スープが冷める、と言いかけたが飲み込む。

 ……今、言われたばっかりだろ。

 世話を焼いているつもりで、朝から何度も急かしていた。透はパンをかじり、おとなしく待った。葵は水を一口飲んでから、スプーンを持った。

 

 *

 

 食器を洗ったあと、透は玄関で靴を履いた。

 午前中は、地上の搬送訓練に参加する予定だった。数時間の留守番については生活相談員と話し、葵も了承している。

 行ってくる、と声をかけると、葵が食卓から顔を上げた。

 

「何時ですか」

「戻るのは一時くらい。遅れるときは連絡する」

 

 連絡用の端末は、食卓の端にある。

 病院と支援窓口の番号が登録され、透に電話するボタンも一つ作った。使い方は知っていると言われたので、操作を何度も試してもらうのはやめた。

 

「鍵は持ってる?」

 

 葵はポケットから鍵を出した。

 透はうなずく。

 

「じゃ、行ってくる」

 

 玄関を出て少し歩いたところで、換気扇の使い方はわかっただろうかと気になった。

 振り返りかけて、やめる。昨日、一緒に動かして確かめたばかりだ。

 また戻って声をかけるところだった。透はそのまま階段を下りた。

 

 訓練場では、組んだ相手が透の肩を叩いた。

 

「今日はずいぶん時計を見るな」

「一時に帰る」

「なら早く持て。俺だって昼飯は食いたい」

 

 透は担架の持ち手を握った。

 段差を越える。足元を告げる。相手の返事を待ってから上げる。

 仕事なら、返事を待つことができる。

 家では何をあんなに焦っているのだろう。

 

 訓練が終わったあと、連絡用の端末を確かめた。

 葵からの着信はなかった。

 何もなかっただけだ。そう思い、昼食を買って帰った。

 

 玄関の扉を開けると、食卓に紙が置かれていた。

 

 休んでいます。具合は悪くないです。

 

 文字は一字ずつ丁寧に書かれていた。

 透は袋を静かに置く。葵の部屋の扉には近づかず、自分の弁当を開けた。

 食べ終わっても、扉は開かなかった。

 普段なら、具合を確かめに行っていた。

 

 透は借りた中継機の説明書を読み、仕事の記録を整理した。椅子が鳴らないよう、足を引くときに持ち上げる。

 四十分ほどして、葵の部屋の扉が開き、彼女が顔を出した。

 

「帰ってたんですか」

「うん。お昼も買ってきたよ」

 

 葵は壁の時計を見た。午後一時五十分だった。

 

「一時に?」

「一時の五分前には帰ってたよ」

 

 透は袋を指した。

 

「温めようか」

 

 葵が答えるまで、待った。

 

「先に、顔を洗います」

「わかった」

 

 洗面所の戸が閉まった。

 透は弁当を袋から出すだけにした。

 

 *

 

 午後、透は玄関で仕事の電話を受けた。

 夜間の救助要員に欠員が出たという。救助要請に備えて待機する仕事だ。時間と集合場所を聞き、引き受ける返事をしそうになった。

 食卓には、葵の昼食の容器が残っていた。

 

「今夜は入れない。明日の日中なら空いてる」

 

 通話の向こうで、相手が予定表をめくった。

 ほかを当たる、と言われて電話が切れる。

 

 戻ると、葵が空の容器を重ねていた。

 

「仕事ですか」

「夜の救助待機を頼まれたんだ。別の人を探してくれるって」

「私がいるから?」

 

 透は椅子の背へ手を置いた。

 そうだと言えば、自分で選んだ滞在先のせいで仕事を奪ったと考えるかもしれない。違うとだけ言うのも嘘になる。

 

「今は日中の仕事を受けるって、先に決めたから。急に変えると、留守の間の連絡も組み直しになるだろ」

 

 葵は容器の蓋を見ていた。

 

「寝ていれば」

「仕事はほかにもあるよ。夜に戻すときは、相談してからにする」

 

 透は容器を受け取り、ごみを分けた。

 相手に気を遣わせたくなくて、口数を増やす癖がまた出そうだった。話を終えることにして、手を洗った。

 

 葵は部屋へ戻らず、棚から小さな本を持ってきた。

 相談員が貸してくれた、近所の地図と店の案内だった。透が向かいの椅子へ座ると、葵はページを一枚めくった。

 しばらく、紙の音だけがしていた。

 同じ食卓についているからといって、話し続けなくてもよかった。

 

 夕方、葵が食卓にあった紙を折り畳んでいた。

 透は向かいで、救助帯の貸出伝票を確認している。

 

「これ、また使ってもいいですか」

「寝るときの紙?」

「はい」

「もちろん。毎回書かなくても、それ置いてくれたらわかる」

 

 葵は紙を広げ直した。

 端を揃えて折り、台所からも読める向きに立てる。

 透はペンを置いた。

 

「連絡がないと、心配になるんだよな」

 

 言ってから、言い訳に聞こえたかもしれないと思った。

 

「でも、だからって毎回返事させるのは違うな。今日はよく寝られた?」

 

 葵は紙を見たままうなずいた。

 

「呼ばれなかったので」

 

 透は額へ手を当てた。

 

「効くな、それ」

 

 葵がこちらを見る。

 

「嫌な言い方でしたか」

「違う違う。俺がちゃんと聞くべき話だったってこと」

 

 葵の肩から少し力が抜けた。

 透は立ち上がり、夕飯の準備へ向かった。聞きたいことは何個も浮かんだが、まず自分が何を作れるかを考えた。

 

「卵焼きと、焼いた魚ならどっちがいい?」

 

 葵は少し考えた。

 透は冷蔵庫を開けずに待った。

 

「魚を。焦げてないのがいいです」

 

 昨日の卵焼きは、端が黒かった。

 透は振り返ったが、葵は真面目な顔をしていた。

 

「努力する」

 

 今度こそ、ほんの少し笑ったように見えた。

 

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